カテゴリー「江戸文芸に見る「将棋」」の8件の記事

2017年7月25日 (火)

江戸文芸に見る「将棋」その7

近松門左衛門「山崎与治兵衛寿門松」(やまざきよじべえみぎはのかどまつ)より
中の巻

…昨日の駒動かせず置きました.サアござれござれ.しからば勝つても負けてもこれ一番.昨夜から盤の上とつくと見定め.工夫した相手とさすはこはもの.お手はこなたか、サア遊ばせ.まづ飛車先の歩を突きませう.ヤこの成金してやらうでの.かう寄りませう.浄閑頭を叩いて.ハアゝ南無三.この馬落ちた、深田に馬を駈け落し.引けども上がらず、打てども行かぬ望月の.駒の頭も見えばこそ、むつかしゆなつたと、案じける.
 おきく盤のそばにより、これ父様.あちらの方が落ちればこちらも落ちる.両方の睨み合うていつまでも埒明かぬ.迷惑する駒はたつた一枚.浄閑様のお手には金銀がたんとある.欲を離れて金銀さへお打ちなさるれば.これ、この父様のむかふの、浄閑様のこの馬は助かる.どうぞ手にある金銀を打ち出させますやうに.思案してみしやんせ.合点か合点かと袖を引けば、治部右衛門うち頷き、オゝオゝオゝ、よう知恵つけた、呑み込んだと.言へども、浄閑気もつかず.親ぢやと思ふて助言言ふまい言ふまい.またちょつこりと歩で合いたそ.ムゝ、シテお手に何々.浄閑が手には金三枚、銀三枚.歩もござる.この歩で回したら、まだ金銀がふえましよ.いかい銀持(かねもち)羨ましいか.銀持とは、この角が睨んでゐる.かう寄つたらば金銀出して打たずばなるまいぞ.でも金銀は放さぬ.桂馬を上がろ.治部右衛門堪(こた)へかね.ハテいかい吝(しは)ん坊、沢山な金銀握りしめて何になさるゝ.来世へ持つて行かるゝか.これご覧なされ.この飛車をかう引けば、天にも地にもたつた一枚のこなたのこの玉が.片隅へ座敷牢のごとくおつ籠められ.今の間に落ちるが、金でも銀でも打ち散らして.囲うてみる気はござらぬか.我らが吝いは知れたこと.座敷牢へ入らうが、都詰にならうが.金銀は手放さぬ.歩あしらひで見知らせう.こなたも歩をもつて、ぶに首を提げらる(
※1)が、悔みはないか.構わぬ構わぬ.まづ逃げてゐませう.コレそのうちに香車の鑓をもつて鑓玉に上げらるが.それでも金銀出すまいか.勿体ないこと.鑓玉に上げられうが.獄門に上がらうが.手前の金銀は放さぬ放さぬと.両馬強き欲の皮、そばでおきくは気を揉みて.つゝむ涙も手見せ禁(※2)、命手詰め(※3)と見えにけり.…

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(『
新編日本古典文学全集74 近松門左衛門集①』1997年3月 小学館)
※1 夫に首あげらる 戦場で雑兵に首を取られる意の諺
※2 手見せ禁 待ったなしの意
※3 手詰め 手段に窮する

 1718(享保3)年1月2日、竹本座初演。
 漫然と将棋を指しているのではなく、与治兵衛の妻おきくは、助言に見せて、浄閑(与治兵衛の父)にお金を使って与治兵衛を助けるように訴えているのである。治部右衛門はおきくの実父。

2017年7月22日 (土)

江戸文芸に見る「将棋」その6

 いささか、看板に偽りがあることになるが、室町時代の俳諧書に「将棋」を見つけた。

『竹馬狂吟集』(作者不明 序文は1499年の日付 写本であり孤本 天理図書館蔵)
巻第九

馬の上にて稚児と契れり
山寺の将棋の盤をかり枕

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(『新潮日本古典集成 第七七回 竹馬狂吟集 新撰犬筑波集』1988年1月 新潮社)

 上掲書は現行の漢字に直しているので、「将棋」は原本では違っているはずである。「將棊」かと予想して影印本(「天理図書館善本叢書」第二十二巻『古俳諧集』1974年11月 八木書店)を見てみると、

    むまのうへにてちこと契れり
山てらのしやうきのはんをかり枕

と読め、「將棊」ではなかった。


『醒睡笑』(安楽庵策伝 1628年成立ヵ)

巻之一
謂被謂物之由来(いへはいはるゝものゝゆらい)

一 信長公、諸大名をよせ給ひ、馬ぞろへあそはし、おもひおもひの出立、はなやかなりし風情にて、きらをみかき、あたりをかゝやかせば、いにしへも、ためしまれなる事と、沙汰しあえり、即、主上も簾中より叡覧なされし
 金銀をつかひすてたる馬そろへ将棋に似たる王の見物


巻之二
名津希親方

一 又東堂にむかひ、それかし、若年より心にかけ、碁、将棋、連歌、弓法の道を心得て候まゝ、その旨を工夫ありて、斎名(さいみん)をあたへたまへとこふ、僧ほめて、人に一徳ある事まれなり、それならは、唯、四徳斎といはん
 
いやな斎名の

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 なぜ「いやな斎名」なのか、四五日考えた。

佐保姫の春立ちながら尿(しと)をして 『犬筑波集』
蚤虱馬の尿する枕もと 『おくの細道』

 四徳斎=尿(しと)臭いである。「しとく さい」と読んでいたために「しと くさい」になかなか思い至らなかったのである。


巻之三
不文字

一 京都四条の河原にて、将棋の馬をひろひたる者あり、何ともしらで、主に見せたれば、是はすごろくの碁いしといふ物也


巻之四
そてない合点

一 上手の碁が、今朝、めし過より八つさかりになるが、いまだ二番はてぬと、いふをきゝて、それは逆馬になつた物であらう、はてまいぞ、雄長老、

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 いずれも『假名草子集成』第四十三卷(2008年4月 東京堂出版)。
 単に「将棋」の文字が出てくるというだけで、面白味はなかった。


『新増犬筑波集』(松永貞徳編 1643年刊)

   一二一二ともじぞみえける
おりはうつさいに将棋の馬をして

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(『古典俳文学大系」1 貞門俳諧集一』(1970年11月 集英社)

 「おりはうつ」が何なのか知らないと難しい。盤双六とは別に、折羽双六というものがあって、双方12枚の駒を置き、竹筒に入れた賽を振って、出た目の数で相手の駒を早く取るきることを競うのだそうである。
 俳諧に出てくる双六はほとんど一対一の勝負である盤双六で、絵双六ではないようだ。


『時勢粧』(いまようすがた)(松江重頼編 1672年刊)

        螺鈿の軸も猶古草紙 維舟
碁将棋も向ふ徒然のひぐらしに
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(『古典俳文学大系2 貞門俳諧集二』(1971年3月 集英社)


『大阪獨吟集』(1675年刊)

夕日影ゆびさす事もなるまいぞ 三昌
    雲のはたてにはづす両馬

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(『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(1991年5月 岩波書店)

 上掲書の註に
「ゆびさす」を指でさす意に取成し、飛車・角行の両馬外しの将棋を付けた
とある。
 相手がヘボなので、二枚落ちにしたのである。

2017年7月 5日 (水)

江戸文芸に見る「将棋」その5

 井原西鶴特集。

『獨吟一日千句』(1675年刊)『定本西鶴全集』第十巻(1954年 中央公論社)より
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片手では思ひもよらぬ將棊盤
なくさみかへて發句あそはせ

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 上掲書の註に「力競べに将棋盤を片手にてさし上げる」とある。


『西鶴俳諧大句數』(1677年刊ヵ)
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適の御出に豆腐さへなし
是からは將棊をやめて秀句つめ

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 註に「適-タマ」。また「秀句つめ-秀句詰。秀句に言ひ勝ちたるもの豆腐の田楽を取る咄あり」とある。「秀句」はこの場合、地口、軽口の類であって必ずしも俳句とは限らない。この豆腐田楽の咄は広本系写本『醒睡笑』巻之六の「児の噂」にある。

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豆腐二、三でうを田楽にせしか、人おほなり、いさ、むつかしき三字はねたる事を言ひて、くはんと義せり、雲林院、根元丹、せんさんびん、さまざま言ひつゝとりて、みなになるまゝ、小児たへかねて、茶(ちや)うすんといひさまに、二つ三つとり事は
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(『假名草子集成』第四十三巻 2008年 東京堂出版)
 「せんさんびん」は陶器製の水差しで「仙盞瓶」と書くそうな。
 「三字はねたる事」なので「ん」が三つ入っていなければならないのに、「茶うすん」は一つしか入っていない。それにしても「茶うすん」とは何だろうか。茶臼に「ん」を付けただけなのか、さらに意味があるのだろうか。


『物種集』(1678年刊 井原西鶴編)。
付合集。秀逸な付句を蒐集し、編纂したもの。
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取(とり)ずてにする浦の貝がら
   中将棊和歌吹上にさし懸り 
仏眼寺喜祭

ついて出る鑓と云より香車かゝ
   大手の木戸の鑰腰につけ 
梶山保友

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 「取ずて」から中将棋を連想したもの。中将棋では持駒はなく、取り捨てになる。
 和歌吹上は和歌の浦の吹上の浜、即ち佳境の意味だろう。

 「香車かか」は既にあったようにやり手婆のこと。「かか」は「嚊」。
 註に、「鑰腰につけ」は「遣手の風俗。腰に鍵を提ぐ」とある。


『西鶴大矢數』(1681年刊)『定本西鶴全集』第十一巻下(1975年 中央公論社)より
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始末して居喰に暮す山の秋
隙ならさそう獅子の勢い

將棊の金銀こかね山吹
玉川の蛙も隙に相手とり

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 前句の居喰を獅子の動きに見立てた付である。
 註に言う。「居喰」は無為徒食。「隙ならさそう」はひまなら将棋を指そうの意。

 玉川…歌枕である井手の玉川(京都府)を指すのであろう。
 蛙なく井手の山ぶきちりにけり花のさかりに逢はましものを 
読人しらず
(『新日本古典文学大系5 古今和歌集 巻第二』 125 1989年 岩波書店)
 山吹から玉川を連想したのだろう。

2017年7月 2日 (日)

江戸文芸に見る「将棋」その4

『江戸談林三百韵』(1676年 松意・正友)。『談林俳諧篇』(1948年6月 養德社)より。
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なり上り家中に人もなき様に 松意
     桂馬飛して大小金鍔 正友

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 三百韵の第二。今一つ意味が分からないが、成り上がり者だからまっとうに昇進したのではなく、トリッキーにうだつを上げたことを「桂馬飛」と見立てたか。
 大小金鍔は刀と脇差しを金(または鍍金)の鍔でけばけばしく飾っている風体。


『俳諧三部抄』(1677年 岡西惟中編)上掲書より。
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     宮古のうちハ水をふすかせ 
佐々木重賢
將棊の盤よハき馬をハ下手に立て 同

鎗つかふ跡は都へかよふらし 惟中
    香車へたつる遠山の雲 同

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 「宮古」は都。「水をふすかせ」は水を伏す(押さえつける)風か。
 「馬」は角の成駒でなく、駒であろう。

 「香車へたつる」は香車隔つるだと思うが、「鎗(やり)」からの連想だろう。しかし意味は分からない。


『二葉集』(1679年 杉村西治編)。『古典俳文学大系3 談林誹諧集一』(1971年 集英社)より。
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盛(さかり)には花見の庭もつまりけり 水田西吟
        王手飛車手にかゝる藤浪 
梶山保友

つなげ馬あとより恋の責(せめ)くれば 
前川由平
        しのび宿には香車一まい 
立花

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 「藤浪」は藤の花が波のように揺れるさま。「つまり(詰まり)」から「王手飛車」への流れか。

 「あとより恋の責くれば」は上掲書に典拠あり。…「枕よりあとより恋のせめくればせむかたなみぞ床中にをる」(『古今和歌集』巻十九 1023 『新編日本古典文学全集』1994年 小学館 より引用)。歌の意味、枕元からも足もとからも恋が私に迫ってくるので、どうにもこうにもしかたがなくて、寝床のちょうど中ごろで小さくなっているのだ」(上掲 全集より)。
 「香車一まい」…あとで西鶴の句にも出てくるが、おそらく、やり手婆の意。


『西鶴大矢數』(1681年 井原西鶴編)
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わるくるひ唯山姥が業なれや
     夫上臈に香車うらめし

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 一昼夜独吟4000句の内。「それじょうろうに」云々の「香車」は「遊女を監督する遣手」と『定本西鶴全集 第十一巻下』(1975年 中央公論社)の註にある。

2017年6月25日 (日)

江戸文芸に見る「将棋」その3

 こういう意味のないことに時間を取られるのは実に楽しい。(笑)

 今回は中川喜雲『しかたはなし』(1659年刊ヵ)。『假名草子集成』
第33巻(2003年3月 東京堂出版)。

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先祖の年忌に、僧俗よびあつめ、斎(とき)の調菜(てうさい)に、しるにもふ、にものにも、ふ、さしミにも、ふ、さかなにも、ふを出したれハ、俗の中より、いふやうハ
 僧衆の御経を、とらやとらや、と、よませらるゝゆへ、ふか、たくさんな
と、いふ
僧の、いはく
 いや、さやうてハない、わうしやうも、ふのもの也
と、いはれし

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 巻一第48話。
 引用した『假名草子集成』は、現在も未翻刻の仮名草子を翻刻・出版中だが、語義の注釈などは一切ないので困る。括弧内は原文にあるルビ。
 「ふ」は麩である。「とらや」は禅宗系で読まれる「大悲心陀羅尼」をさしているのだろうか。
 「わうしゃうも、ふのもの」は「王将も歩のもの」と「往生も麩のもの」を掛けているのだろう。それにしても「とらや」ゆえに「ふ」、という意味が分からない。
 虎の斑の意か。そうすると将棋には関係がなかったかも。

※「王将も歩のもの」という諺?があることを知らなかった。
「方策が尽き運命が窮まっては、勇将もあえなく敵の一兵に倒される。王将も最も弱いこまの歩のえじきとなる。強者も場合によっては、弱者に打ち負かされることのたとえ。一説に「往生もふのもの」の誤りともいう」(『日本国語大辞典』)

※2017年7月2日記
この話の解が『江戸時代語辞典』(2008年11月 角川学芸出版)にあった。
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往生も符のもの
死する時・所も人々の運によって定まるとの意。「王将も歩のもの」と解するのは誤り。
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として、この話を例示し、「斎に麩が多く出たので言った洒落」とある。結局、将棋には関係のない話だった。

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むかしむかし、きやうげんの番くミに、いぐゐと有を見て
 これハ、中将棊(ちうしやうぎ)の事を、きやうけんに、するか
と、いふ
 いかに
と、いへハ
 中しやうぎに、獅子(しゝ)のいくひ
といふ

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 巻二第2話。
 『しかたはなし』は全5巻197話を収めるが、読んでただちに面白さが分かる咄とそうでない咄がある。この咄は分かりやすいが結末が想像できる分、つまらない。
 狂言の「いぐゐ」とは「居杭」という演目。透明人間化した者のいたずらの話。
 中将棋の駒である獅子は玉と同じ利きを持つが一手で二回動けるので、利きの範囲の敵駒を取って元に戻ることもできる。これを居食いという。

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かくをわつらふ者有
友たち、見まひにきたりける時
 いしやハ、なにと、いはるゝそ
と、とひけれハ、膈(かく)と、いふ事を、わすれて
飛車(ひしや)と、いふ煩(わつらひ)じや、と、いはれた

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 巻四第15話。
 膈は、飲食物が胸につまるように感じる病症であるらしい。

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かふきの子共をあつめ、将棊さし侍る者あり
何とやらん名を、いひし、かふき子、そはに見物してゐけるに、まだ手あきの人々おほけれハ、かつ手より今一めん、盤(ばん)を持て出ぬるに、かの見物のかふき子、心のうちに、食を、まちかねける、と見えし色、外にあらハれたり
持出る、しやうぎのばんを、しりめにかけ「膳(ぜん)か出る」と思ひ、人のさしてゐる、しやうぎを、そはから、くつし
 膳かでた まづ、しやうきを、くつしたか、よい
と、いふて、上座に、なをりけるに、そハへ持来るを見れは、しやうきの盤にてそ有し
是ほと、そつしのいたり、せうしなる事て、あつた

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 巻四第16話。
 「かふき」は「傾奇」で、ここでは不良少年といった意味か。
 「かつ手」は勝手。「そつし」は卒爾で、軽率の意。「せうし」は笑止。
 食事の時は、指し掛けた将棋を崩す慣習でもあったのだろうか。

2017年6月11日 (日)

江戸文芸に見る「将棋」その2

 くどいようだが「将棋」を探しているのではなく、知りたいのは別の語句なのであるが。

『新撰犬筑波集』(山崎宗鑑 1524年以降)
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碁うち双六しやうぎさすなり
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『犬子集』(松江重頼編 1633年)
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さか馬にいられて後はつめにくし 貞徳
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 えのこしゅうと読む。
 『新撰犬筑波集』だの、『古今犬著聞集』だのと「犬」が付くのはそれぞれ本家『新撰菟玖波集』や『古今著聞集』に対する卑称である。
 『犬子集』の本家は何かといえば、序文に「犬子集といふ事、犬筑波をしたひて書(かき)たる」とある。


『塵塚誹諧集』(斎藤徳元 1633年)
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将碁さすかたへにうてる碁寸五六(すごろく)
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 管見の範囲では、碁や双六は将棋より出現度合いが高い。特に「碁」は一音ですむので、17音という限られた文字数しかない俳句では重宝されるのである。


『新増犬筑波集』(松永貞徳 1643年刊)
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まけかたの馬はかひなし中将碁
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 中将棋を詠んだ句は珍しいのではないだろうか。


『正章千句』(安原正章 1647年)
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様々の手ある将棊のこまかさよ
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『崑山集』(鶏冠井(かえでい)令徳編 1651年刊)
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将棊さしの上手(じやうず)にみせな金銀花 
喜多正友
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 金銀花は漢方薬らしい。


『紅梅千句』(有馬友仙編 1653年ヵ)
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天道よかたせてたまへ此将棊 可頓

まけさうに成ても強き中將棊 友仙
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『懐子』(松江重頼編 1660年刊)
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自慢めきさせる将棊ハ位詰め 宗立
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 ふところご。国会図書館のデジタルライブラリーを眺めていて見つけた。
 影印本は「近世文學資料類従」にあるらしいが、翻刻はされていないようだ。上記は合っていると思うが自信はない。
 ところで「くらいづめ」は将棋用語ではなく、「敵を身動きできないようにすること」(『日本国語大辞典』)。
 名前を見て、五代宗桂との棋譜が遺っている森田宗立かと思ったが、別の誹諧集に大坂之住 川崎宗立とあるらしく(『貞門談林俳人大観』 1989年 中央大学出版部)、別人なのだろう。
 森田宗立は『京羽二重』(1685年刊)の「諸師諸藝」の「將棊」の部に鎰(かぎ)屋重兵衛として登場し、『象戯綱目』(1707年 赤縣敦庵編 竹村新兵衛刊)では「江戸 森田宗立 鎰屋十兵衛事」と掲載されている。


『宗因千句』(西山宗因 1673年刊)
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将棊をもさす月影のさやかにて
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 指すと射すを掛けている。

 このほか、歩三兵にやられたという句もあったが、メモを取らなかったので思い出せない。『
誹風柳多留』ならありそうだが、初期誹諧集で見たのである。
 歩三兵とは上手方盤上玉一枚で持駒歩三枚。24歩、同歩、23歩で角を取られるというアレ。

2017年6月 5日 (月)

西鶴と詰将棋

 前回は芭蕉の将棋の句に触れたので、今回は西鶴。
 芭蕉と西鶴は同時代人で生まれは西鶴が二年早く、没年も西鶴が一年早い。
 西鶴には『懐硯』(1687年)という短篇集があり、その中に「後家に成ぞこなひ」という作品がある。
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…かくて年月かさなりある時甚九郎つれづれなる雨の日淋しく。日比(ころ)將棊好にてむつかしきつめものの圖を案じける程に。朝の四つより七つ半まで詠(なが)め入。さても今合点(がつてん)が往(い)たこれでつむものをと。吐息つきながらうめきける音したるに。何事と女房かけ付て見れば。はや目を見つめて寒汗(ひへあせ)瀧のごとく。…
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(『定本西鶴全集』第三巻 1955年 中央公論社)

 朝の四つより七つ半は、午前10時から午後5時まで。詰将棋を長時間考えて、解けたと思った途端絶命するのである。実に詰キストの鑑ではないか。(笑)
 亡くなって直ちに、弟二人と女房がそれぞれに欲心を起こして財産を狙うが、絶命と思ったのが実は仮死状態で、息を吹き返したあと三人は勘当、離縁とさんざんな目に遭う。
 詰将棋の部分は話の発端に過ぎないのだが、詰物とは何かといった説明は全くなく、こういう風景が読者にも特に違和感なく受け入れられていたと思われることに注目したい。
 この当時、刊行されていた(詰)将棋書は「新増書籍目録」(1681年 山田喜兵衛刊)によると
 將碁教 宗固
 同大本 宗桂
 同首書 宗閑
 同鈔
 同仲古 久須見
 同鏡 同
 同作物 宗閑
 同中象戯

となる。宗固は宗古、宗閑は宗看であることは言うまでもない。
將碁教は將棊(新板將棊經 二代宗古 1654年 本屋甚左衛門刊)か。五代宗桂の『圖式 象戯手鑑 指南抄』(1669年 柏原屋清右衛門刊)などもあったはずだが。
 西鶴が実際に将棋を嗜んでいたかどうかは分からない。芭蕉の書簡は二百通以上遺っているので年譜はかなり克明だが、西鶴は十通も遺っていないので、動静がよく分からないのである。

2017年5月31日 (水)

江戸文芸に見る「将棋」

 古典詰将棋作品集について調べたいことがあり、このところ俳書を中心に元禄時代あたりまでの文芸書を読んでいるのだが、いくつか「将棋」を見かけたので記しておく。「将棋」を探しているわけではないのだが。


『尤之双紙』(もっとものそうし)下(斎藤徳元 1632年 恩阿斎刊ヵ)
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廿 おもしろき物の品々

…相手によりて、碁将棋もおもしろし。…
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 『尤之双紙』は全編「物尽くし」で、上巻は「長き物」「短き物」「高き物」など40題を並べ、下巻は「引く物」「さす物」など40題。
 序文に『枕草子』、『犬枕』(慶長年間)に書き漏らしてあることを集めたとある。
 上記『犬枕』(秦宗巴 1606年頃刊)には「○ 咄にしまぬ(話が進行しない)物」として「一 碁・雙六・將棋」とする。
 この「おもしろき物」尽くしの段は「葦毛馬は、頭もしろし、おもしろし」とたわいない駄洒落で終わる。


『清水物語』(きよみずものがたり)(意林庵 1638年 敦賀屋久兵衛刊)
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…大勇の人には大将をさせ、血気の勇者には、無理に破るべき所に用候へば、皆用に立つ事候べし。将棊の馬を使ふが如し。…
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 問答形式による教訓説話集。
 『仮名草子集』(1991年 岩波書店「新 日本古典文学大系74」)の注には「馬」を「将棋の駒で桂又は成角の龍」とあるが、馬=駒の意ではないだろうか。


『毛吹草』(1638年序 松江重頼編 1645年刊)
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一連歌付誹諧付差別の事
 てにをはをもちゐて付侍るには、指と有に、小櫛 盞 舟を付るは連哥付、將棊 蜂 箱細工 此等誹諧付也。又、打と有に碁 碪(きぬた) 畑などは連哥付、礫(つぶて) 双六 賀留多あそびははいかい付なり。
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 俳論書。
 連歌と俳諧は一見したところ区別はない。貞門俳諧の祖 松永貞徳は「俳言」を使うのが俳諧であると言っている。上記の「將棊 蜂 箱細工」が俳言である。


『是楽物語』(ぜらくものがたり)(作者不詳 1655~1661までの成立)
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…名所旧跡など尋ねしも、後にはしやう事なくて、端の歩をつく将碁にも指し草臥(くたび)れ…
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 仮名草子。悲恋譚だが、旅行記でもあり、楊貴妃の講釈あり、町人生活の活写ありで非常に面白い。
 「端の歩をつく」は『誹風柳多留』(1765-1840年)三篇に「本能寺端の歩をつくひまはなし」とあり、注に「明智光秀の夜襲。事急にして本能寺方は応戦に暇ないさまを将棋の用語を用いて表現したもの。「手のない時には端歩をつけ」などといって、端歩をつくのは持久戦模様」とある。(『川柳 狂歌集』(1958年 岩波書店「日本古典文学大系57」)


『ゆめみ草』(休安編 1656年 安田十兵衛刊)
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 将棊をさしける折から発句所望有ければ
将棊よりつめたきものや指のさき 
天満 奇任
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 冷と詰を掛けている。
 談林俳諧の先駆となる撰集。


『続山井』(湖春編 1667年)
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将棋ならで立(たつ)年と日もたいば哉 
丹波柏原 季成
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 「たいば」は対馬(たいま)=互角の意だろうか。
 湖春は北村季吟の息子。


『詼諧番匠童』(和及編 1685年 新井弥兵衛刊)
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○前句付の事
古流中比(ころ)当流の付心のさかい一句の前句にて付わけぬ
是になぞらへて他を知るべし
  
前句
   萩の露ちる馬持の家

付句
 月にしも二人将棊をさしむかひ
   是古代の付様也前の馬を将棊の馬にして付る也
   又中比宗因風の時は
 其方のお手はととへは松の風
   是も将棊の馬にして付たれとも将棊にいわて噂にて付萩の露ちるといふに松の風を余情にあしらひたり
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 前者は作意にあらわし、後者は変化に隠したというところか。
 古流、古代とは貞門流を指す。



『きれぎれ』(白雪編 1701年序 井筒屋庄兵衛刊)
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さか駒に入て仕廻(ま)ふや下手師走 桃先
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 「さか駒」は入玉。
 芭蕉の白雪宛書簡(真蹟写し)が現存する。桃先は白雪の息子。



『其角十七回』(淡々編 1723年成立)
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一、晋子常にいへるは、「初心のうちよりよき句せんと案(あんず)る事有まじ。只達者に句はやくすべし」とぞ。
 器用さとけいことすきと三つのうち
  好きこそものゝ上手なりけれ
と口ずさみせられけるが、将碁の宗匠宗桂もこの狂哥を折ふしず(誦)しられけるとぞ。共に二本榎上行寺の塵下苔露の友とはなり給ひぬ。
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 宝井其角十七回忌追善撰集。晋子は其角の別号。
 上行寺はこの当時江戸にあったが、現在は神奈川県伊勢原市。三代大橋宗桂以降、十二代大橋宗金までの大橋本家当主全員が眠っている。其角の墓もある。
 ここでいわれている宗桂が其角(1661~1707年)の同時代人とすれば、五代宗桂(1636~1713年)あたりか。(上行寺と大橋宗桂の墓については磯田征一氏のご教示による)
 ところで上記の「狂哥」、これを利休百首の一つとする解説を見たが「上手にはすきと器用と功積むと此の三つそろふ人ぞよく知る」というのが利休の歌であるから正しくない。また「菅原伝授手習鑑」の筆法伝授の段に「上根と稽古、好きの三つのうち、好きこそ物の上手」とある
(上根は優れた素質)が、そもそも1746年初演なので年代が合わない。初出不明である。

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