カテゴリー「忘れられた論客」の20件の記事

2017年4月 2日 (日)

忘れられた論客 その20

 杉本兼秋は1943年6月号から9月号まで「福泉藤吉撰 將棋新選圖式」を解説している(第40番まで)。いったん5月号で有馬康晴が第10番まで解説したのだが、6月号に「都合により本號より杉本氏の解説として改めて發表致します一部故岡田秋葭君の協力によって完成された物である事を記しておきます ありま」とある。

 月報1944年1月号に「日本詰將棋作家協會設立要項」が発表された。
 杉本兼秋の功績の一つであろう。

第一條 本會設立ノ目的ハ發表圖ノ統合ト其ノ配給網ヲ確立シ斯道ノ向上普及ヲ圖ルニアリ

に始まり第三十條まである。その中で

第十四條 現在一ケ年ヲ通ジ一作品以上ノ詰圖ヲ創作シアルモノニシテ入會申込或ハ理事長並理事ノ推薦ニ依リ會長之ヲ認メタル場合本會會員トナス
新會員ノ氏名ハ其ノ都度發表ス

という規定が目を惹いた。
 作家協会といっても、著作権を守るというような団体ではなく、月報への作品発表がスムーズに行われることに主眼がある。いわば月報内組織である。このため「作圖選定部」「
作圖檢討部」「作圖發表部」「作圖指導部」を設置するとなっている。
 また、付則として「褒賞規定」「解答規定」「作品應募規定」がある。
 これに続いて

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日本詰將棋作家協會第一期役員

名譽會長 阿部吉藏
會  長  有馬康晴
理 事 長  杉本兼秋
理  事  岩木錦太郎
       大橋虚士
       吉田一歩
       内藤武雄
       小林豊
       佐賀聖一
       澤田和佐(イロハ順)
顧  問  前田三桂、松井雪山
       櫻井蘇月、宮本弓彦

各部擔當
選定部 杉本兼秋
檢討部 當分の間理事兼任
發表部 一部 小林豊   二部 佐賀聖一
       三部 吉田一歩 四部 岩木錦太郎
       五部 澤田和佐
指導部 有馬康晴(但し病氣中理事長兼任)

役員新任の辭

名譽會長 阿部吉藏
今回杉本氏の御骨折により前記の如く萬全なる内容は詰將棋界に一新機軸を齎らす誘因であります。その勞を謝すと共に私の兎角役員諸氏に及ばぬものを痛感し、今後の努力發展に努めますれば讀者諸彦の一層の御協力と御鞭撻とを願ひ詰將棋の發達を祈るものです。

會長 有馬康晴
病氣中

理事長 杉本兼秋
大東亞戰第三年目の新春を迎ふるにあたり昨春以來懸案の日本詰將棋作家協會が愈設立の運びとなりました事は御同慶の至りに存じます 諸氏の御推薦により不肖若輩の身を以つて非力をも顧みず理事長と云ふ重責をお引受け致しましたが淺學菲才果して此の重責を全ふ(ママ)出來るか否か甚だ疑問でありますが有馬會長はじめ理事諸氏會員各位の御指導御鞭撻を幾重にもお願ひ申上げ諸氏の御期待に副ひ得る様努力を續ける覺悟で御座ゐます
詰協發足に當り一言御挨拶申上げます

理事 岩木錦太郎
 有馬杉本兩大家の御努力に依つて詰協も愈々其の第一歩を踏み出すに至つた。邦家の爲め誠に祝福すべき事である。
 昇る陽は大きい。──流石に杉本兄が御骨折だけあつて、會長以下一騎當千實力所の網羅。我等をして、これなら詰協も不朽不易、先づ先づ今後の發展疑ひ無しの感を大いに懐かせる。
 詰將棋が決戰下の娯樂として最も愼ましやかなものである事は今更論ずるまでも無いが、我々は生産戰に勝ち抜く爲、而して其の原動力を蓄へる爲め、大いに詰將棋を利用していいと思ふ。
 幸ひ同好諸氏の御援助に依り、一日も早く、詰協が確固不動の礎を築かん事を希ふと共に、微力乍ら私も何かと御役に立ち度いと思つてゐる。

理事 吉田一歩
帝國が歴史上かつて未だ他にその類を見ざる超大戰爭の真つ只中に有つて
戰支那事變七度目大東亞戰三度目の新年を迎え(ママ)られたる事は何んと云ふ幸せ誠に感謝に堪えません此れに過る喜びは有りません誌友皆様と共に心から御祝申上ます 此の事實と並んで日本作家協會が誕生致しましたるは詰棋界にとり近頃の大快事で有ります
設立に御奮闘下さつた先輩諸兄に厚く御禮申上ると共に誌友諸兄に手前淺學非力にて厚顔乍ら三部を受持ち努力致しますれば何卒御教示御後援の程を切に御願ひ申上ます

不鮮明なため判読し難いが「聖」か

理事 小林豊
 此の度杉本兼秋氏のお骨折に依り茲に多年懸案の「詰將棋協會」設立の運びと相成り私も同人の一人として微力を盡す事となりました
 顧みれば昨年十月本誌月例詰棋欄の擔當者たる里見義舜先生が突然御退陣致され月報名物の詰棋欄も遂に後任者なきため終熄を告ぐるかと思はれました、主幹初め有馬康晴氏も此の傳統と光輝ある詰棋欄の消滅を憂へ巳むなく「詰協」同人にて之が繼續を引受ける事となりました「詰協」の微力が些かにても本誌詰棋欄の進歩發展に寄與する事を得ば私達同人望外の喜びとする所です
 「詰協」發足に當り一言御挨拶を申上げ、切に讀者誌友の御指導と御協力をお願ひする次第です

理事 佐賀聖一
待望の詰將棋作家協會が設立され、私も其の役員の一人に選ばれましたがはたして若輩者の私に其の資格が有るかと云ふ事は甚だ疑問です。が、例の如き圖々しさを以てとにかくお引受致しました。どうかよろしくお願ひします。

理事 澤田和佐
 決戰下第三年目の新春に當り待望の詰將棋作家協會が結成されました事は我等詰將棋人として此の上無き喜びであります。此詰棋隣組に於ける第五部と言ふ一世帶主として不肖小生が選ばれましたる事は何よりの名譽な事であり、又一方果して鈍骨良く一家を背負つて家長としての責任を全う出來るかと不安にも思ひます 併し一度お引受けしたからには粉骨碎身懸命の努力を盡して家族たる第五部黨の誌友諸兄の御期待に應へん覺悟であります
 何卒がつちりと手を組んで第五部發展へ邁進出來ます様御後援御指導を切にお願ひ申し上げます
(イロハ順)
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 第五部は1943年2月新設。当初の担当は南出岩樹。9月号に選者交代の記事がある。南出による紹介文には「氏は眞に詰將棋に對する熱深く所謂名實共の大家であります」とある。澤田和佐は回文になっていることから筆名かもしれないが、正体不明である。
 岩木錦太郎の文章が最も熱がこもっているように思えるが、岩木は「詰將棋作家協會」設立について何度か書いていたのである。
 2月号で月報は廃刊し、この設立はまぼろしに終わることになる。
(了)

2017年3月 6日 (月)

忘れられた論客 その19

 1943年6月号「詰將棋問答」。

質問者 棋塵庵
應答者 杉本兼秋

質問
 詰將棋を大作品とか小作品とかに區別してゐる人のうちには、形が大きく手數が長ければ、其れで大作だ、と斯う思つてゐる人があるが、其れは間違つてゐると思ふ。今昔を問はず大作品と銘打てるやうな作品はさうザラにあるものではない。私の觀方からすれば、昔の物で宗看、看壽作の大部分と其の他の作家に依る或る部分、現今では酒井桂史氏作の大部分と其他數氏に依る少數作品、之等が大作の部類に入る作品だと思ふ。
 よくある例だが、如何に圖柄や手數が大掛りでも、内容が空疎で、其の意が何處に在るのか分らないやうな物や、又は唯だ單に龍や馬を以て玉將を追ひ廻すと云つたやうな物では、之を以て大作と云へぬのは勿論、鑑賞的價値に於て又低位たるを免かれないのである。
 私のやうな作圖に經驗の少い者では、作者の心理を描出すると云ふ事は困難かも知れぬが、少くとも次のやうな事は云へると思ふ。
 (一)作者は創作に當つて、自己の想を活かすべく萬全の努力をする。(二)軈(やが)て詰將棋の原型が出來上るが、まだまだ不備の點が多い。餘早詰や變化の方が手順が長かつたり、又は手順が前後しても詰んだりするのは此の時である。(三)圖の不備を修整しやうとしても、銀や桂が五枚欲しくなつたりして思ふやうに行かないものである。そして圖は何時の間にか大模様となり、自己の力では収拾する自信がなくなる。(四)此處で努力すれば洗練された味の良い圖が出來るのだが、多くの人は遂ひ屁古垂れて了ふ。併して易きに就くと云ふか「これで充分だ」と云ふ氣を起したが最後、もう其の圖は浮ばれないので、良くいつてスラスラしたる好局位で終つて了ふのである。
 以上此のやうにして屁古垂れた結果出來上つたやうな代物では、それに魂のあらう道理がないので、さうした作品は如何に大柄でも、如何に手數が長くとも、決して大作とは云ひ得ないのである。
 此の大作云々に關し、先輩であり理論家である杉本兼秋氏の御説を賜り度いものである。

應答
 詰將棋に於ける作品價は客觀的事項たる妙手及詰手數(單に詰手數そのものも妙手に對し五分の一乃至十分の一の價値を有する)及主觀的事項たる構成形態詰手順其の他(客觀的事項が増價事項として扱はれる事に對し主觀的それは同時に減價事項をも含む)に依つて決定されるその一部分たる手數のみを以つてされるは長篇、短篇の區別であり單に夫のみを以つて大作云々の區別は出來ない。
 作品價を決定する主要事項たる妙手價値がその作品の手數との此に依つて決定されるのではなく加算的に評價されるとせば短篇作の持つ妙手價には限度があり又構成に於てもその表現の範圍が限定される。(註 妙手價を等うする場合の長篇作が短篇作に劣つて見へ(ママ)る事があるのは手數の持つ作品價より他の作品減價事項が大であるに依る)
 故に又反對に手數を無視して他の事項のみを以つて大作云々と稱するは理論的にも不可能であり、又名稱的にも不自然な點がある。
 外觀的事項(手順及夫に必然的に併ふ形態)及作品の持つ内容(構成及妙手の相乗價)が共に或る水準に達してゐる作品を大作品と稱するのだと思ふ。
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 棋塵庵は岩木錦太郎。
 これも今一つよく分かりません。
 質問は、ただ長いだけの作品を大作と持ち上げるのはいかがなものかという趣旨なので、「その通り」と答えておけば良いのです。(笑)
 妙手が客観的で、「構成形態詰手順」が主観的という杉本の考えはおかしいし、長手数作は短手数作に優るという先入見があるようです。

2017年3月 5日 (日)

忘れられた論客 その18

 1943年1月号「名局に觀る」。

初代大橋宗桂以降参百年の作圖史は駒餘り圖式の消滅より享保年間に於ける純創作型圖式への發達更に形象圖の出現と幾多の盛衰推移を經て現在に至つてゐるが、享保の三代宗看同じく看壽の作品はその一部は現代作圖理論に於て、「準手餘り」と看做さるべきものがあるとは云へ作圖理論の最も進歩した現代に於ても尚最高に位する作品とされてゐる
構成型作品に於て短篇作品は別として數拾手以上の本格創作はその主眼となるべき作品構想を必要とするが、作品創作に於て最も困難とされるのはその着想でなくその構想を如何にして作局中に生かすか、又その構想を如何にして不自然の状態でなく作品中に表現するかと云ふ點にある。
此の型の作品がその着想の特異性から、或は、玉の一定軌道を必要とし、或は合駒制限を必要とする爲、他の部分が平易になり過ぎるとか圖式が不自然の形に陥り易いものである。
その着想が秀抜であるに正比例して是等創作上の困難な諸條件を伴ふものである
今看壽の圖巧を看るに作者の非凡なる創作力は此の難條件を排除して幾多名局を得てゐるが形態の點で不自然を感じる作品が二三あるを認める。
宗看と看壽の作品を對照するに兄宗看の作風は創作技巧を主に作品構想を從にしたものであり看壽の夫は前者と反對に構想に重點を置て作つたものと看らるゝのである
宗看圖式が一定水準の作品が揃つてゐるのに對し圖巧が名作と他の作品價の差が大きいのも或は又作圖全般を通じて宗看の豪放、雄大、看壽の巧緻微妙と云つた差異もこの作風の差異から來るものと見られる。
この二つの大きな流れは現今に於ても尚一部級作家に間に認められるのである。
看壽の衣鉢を受け繼ぐものに酒井桂史氏の諸創作あり宗看の壘を摩すものに今田氏ありとは雪山、松井氏の言
である。尚其の他の作家について云へば前者に里見、後者に田代(内藤)田邊氏があると思ふ。
  ×  ×  ×
圖巧第八番

100008

43歩、同玉、33金、同歩、52銀、同馬、32桂成、44桂、同金、同角、
同と、32玉、87角、同龍、43金、同馬、同と、22玉、34桂、同歩、
77角、同龍、92飛成、32角、同と、同金、同龍、同玉、23金、31玉、
22角、21玉、12金、32玉、33香、同桂、23桂成、同玉、13角成、32玉、
22馬
まで41手詰
※1

看壽圖巧第八番の着想は二枚角遠打であるが五一と五三に是を配置して手順の推移に依り是を得る順も極く自然の状態に於て行はれて居り着想の第一着手八七角が十三手目第二、七七角が二十一手目にと各々適當の箇所にあるのも此の作品の價値を大ならしめてゐる。
又合駒制限必要とする爲の六四成香の配置も殊更に形を損してはゐない。
合駒の使用はその局面と手順の如何に依つては作品價を減少する事があるが此の作品に含まれた四四桂三二角は共にその駒の攻方に渡つた場合を考慮して行はれる部類に属するものであり、作品評價法に依れば増加事項に入つてゐる。
遠打を分類すると玉方の利筋消滅攻方の利筋發生及打歩詰回避等があるが是の局は前者玉方の利筋消滅の部に属する
其の着想第一 八七角龍移動に依り次の七七角に於て龍の利筋が縦横何れかが香の蔭になる二枚角遠打は數多くある此の作品の何れの着想よりも優れていると思ふ。
遠打の着想はその成立要件として中間合駒に依り作意を阻害されない爲の中合に對する變化手順を必要とし構成の性質に依つては玉方の質駒を目標として行はれる變化手順を必要とする遠打作品は前記の外に餘詰が伴ふ事が多く完成迄の努力は他の作品創作の場合と大變な差がある。
此の型の作品は構想點以後の推移が概して平易に陥り易いものであるが最後の集(ママ)束至る迄整然としてゐるのも作者の非凡の技倆を示すものと云へやう。
兎に角この着想を以つて是だけの作品にまとめる迄の努力は想像外であらう
幾多の作品中名局と云ふ感を強く受けた作品である。又私の最も好きな作品でもある
  ×  ×  ×
宗看圖式第拾六(ママ)番

090060

57桂、同馬、37桂、44玉、45歩、同金、33龍、35玉、36歩、同金、
24龍、44玉、33龍、35玉、27桂、同金、24龍、44玉、35龍、同玉、
36歩、44玉、45歩、33玉、43馬、24玉、26飛、同金、25歩、同金、
33馬、同玉、25桂、42玉、33金、31玉、21と、同玉、12歩成、同銀、
同香成、同玉、13銀、21玉、22銀成
まで45手詰
※2

宗看圖式の第六拾番はその作品から作者の着想の主眼と看らるべき箇所は見受けられないが五四金の移動から打歩詰回避の二枚飛の犠牲等、作品全体を通じて妙手を包含し作者の力が全局に強く感じられる作品である。宗看圖式は調べて特に印象の深かつた作品も少なかつたが此の程度なら自分でも創れると思つた作品も無かつた
(完)

本稿は葉書八枚に綴つたものにて其の熱心と病
※3を癒やす傍らも絶へず斯界に精進を續ける真摯な氏の努力の姿が感じられます(編輯子)
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『將棋龍光』の松井雪山序文にある
※1実際の誌面には手順なし
※2実際の誌面には手順なし
※3はっきりした年月は分からないが、1943年11月号「噫 酒井桂史先生」に病を得て日本国内で療養していたとある

 準手餘りは、里見凸歩「詰將棋講座」第三回(月報1935年12月号)に減価事項として掲げられています。「玉方が最長手順なる様應酬すれば攻方の手駒の餘る場合」、というのは変長ですね。他に「攻方が飛角等を王よりはなして打てば王方の合駒がそれ丈餘計にとれるとき王にぶつけて打ちても差支なき否それが本手順なる場合」も記載してありますが、これは余詰でしょう。

2017年3月 3日 (金)

忘れられた論客 その17

 1941年7月号「追憶の記」

創作を始めたのが昭和八年の秋、最初の處女作が發表されたのが當時の將棋時代の拾月號誌上である。
それから既に八年の日月は過ぎてゐる。然し作品は未だ百局程に過ぎない。
貳拾局位創れた年もあつたし又數局しか創れない年もあつた。
月報誌上へ發表したのが昭和九年の二月本當に創り出したのは此の年からである。此の年は可成創作したにもかゝはらず完全な作品として發表の運びに至つたものは僅かであつた、當時日下明正氏吉田正直氏が連月中篇作の好局を發表してゐられた。此の年には未だ酒井桂史先生の作品も二三見る事が出來た。酒井先生が作品を發表せられたのは此の年が最後と思ふ。當時の自分に作品を見ると作品として不完全な處も見受けられるし、形とか手順とかに随分無關心だつたものである。
當時は唯創りたい、發表したいと云ふ氣持で一杯だつた。當時は古名局の研究もしてゐなかつたし、どんな名作があるのか全然解らなかつた。里見氏が詰將棋理論の研究を發表せられたのが翌昭和十年詰將棋創作に於ける定則が如何なものであるかと云ふ事が判つたのも同誌の研究を讀んで以後だつた。
此の年には作品は數局しか創つてゐない。
上古名局の研究、主として三代宗看と伊藤看壽の作品の研究を始めたのが此の年の秋宗看看壽の作品は心ゆく迄調べた、創作圖式に構成型なるものがある事を知つたのも此の年今迄に於て朧げ乍ら構成型作品の存在することは知つてゐたが其の作品の性貿(ママ)が判然としたのは矢張り彼等宗看看壽の作品を研究してからである。
昭和十一年及十二年は共に貳拾局位の作品を殘してゐる。最初の作品より幾分かは整つて來た様には思ふが作品構成の點では進歩した跡が見られない。自作品の集成、白翠選の草稿に掛つたのが昭和十三年の仲秋草稿を完了したのが同年の暮、此の作品選定中に創つた作品が數局、構成派作品へ轉向の最初である。
翌十四年は宿望の構成派作品の創作に専念してゐる。
然し創つた作品は僅か拾局程度、
古名局鑑賞の稿を起したのが此の年の初秋それから約三箇月を作品の調査に費した。
宗看圖式の二番は當然名局選中に加へられる名作だが研究中不詰を發見した。此の局は何れ後日詳しく發表したいと思つてゐる
同十四年の暮より現代迄約一箇年餘創作より離れてゐる。
構成派の創作を始めてから僅か一箇年で創作を中絶したのであるから未だ同派の作品創作が如何なるものであるか判(ママ)きり解つてゐない。今後再び創るとしてもどの程度の作品が創れるか全く自信がない。
然し創作から離れてゐると云ふものゝ時々餘暇があれば事短篇作を創つてはゐる、以下拾數局は今迄に創つて來た作品である。
作品と云へる程のものではない。殊に餘詰の檢討も全然してないから不完全な作品があると思ふ。兎に角、陣中作として御笑覽を願へれば幸甚である。又再び故國に歸る日あらば創作に進みたいとは考へてゐる。
 氷雪覆ふ北滿の曠野にて二月十一日記す
 滿洲國
  横井隊 杉本兼秋
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 このあとに「陣中作」10局が解答とともに掲載されていますが9局は余詰。残る一局も凡庸でした。
 無双第2番は不詰とありますが、根拠は示されていません。
 月報1941年12月号、松井雪山「三代宗看圖式補正完成章(一)」に今田政一の調査により詰ありとして「杉本氏の異説は再び謂ふ何等の錯覺ではないでせうか」とあります。完全作です。

2017年3月 2日 (木)

忘れられた論客 その16

 1939年2月号「詰將棋斷片」

 詰將棋を解く規定として
「玉方は最も手數長くなる様逃げる事」
「攻方は最も手數短い手順で詰める事」
是は誰でも知つてゐる事であるが詰將棋を作るには是の規定にて作品の本手順を得られる様に作らねばならぬ
攻方云々の規定は本手順より長い手順にて詰む順がある場合に於て必要とするので。
例へば圖巧百番の六百十一手詰は六百参拾餘手にて詰める順もあるが是の規定に依つて六百十一手を本手順とする
もし本手順より早く詰む順があれば同規定に依つて其作品は作品としての價値は認められない
同規定に依れば餘詰ある作品は現在では作品としての價値は認められてゐる
餘詰によつては作品としての價値を甚だしく低下するものであるが、同規定を抹消すれば玉方が最長手順なる様逃げた場合は攻方の詰手順は唯一つのみでなければならぬ様になり終局三手、五手の餘詰ある作品でも作品として成立せず、現在の作品では過半が此餘詰を有してゐる以上同規定の抹消が創作上困難を伴ふ事は明らかである
餘詰の程度に依り作品の正否を區分する事は各作品に依りて手順の中途より發生せるもの、終局に於いて出來るもの等多岐に渡り困難である、餘詰は作品正否に關係せずとすべきか?
  ×  ×  ×
詰將棋の本手順を選定する場合玉方が最長手順なる様逃げたら平凡なる手順である場合手數は短くとも最も興味ある様に逃げる事が玉方は最長云々の規定がある以上解答者はそんな事を斟酌する必要は毫も無い事である
作者が解答者に夫を要求するのが始から無理であつて作者が創作する時その本手順より長い手順を消してをけば作者の創意である本手順が必然的に玉方は最長手順云々の規定と一致する事になるのである
  ×  ×  ×
三月號には里見氏の作品五拾番が登載される由、里見氏の作品は貳百局近くある事と思ふ故自分としては是非百局集成を希望する、それから田代氏の百局、吉田俊三郎氏の五拾局乃至百局も是非集成を拝見したい酒井桂史先生の作品の大集成は近く實理する由であるが現代詰將棋壇を代表する作品だけに我々の期待は大きい。
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 1941年6月号「現代作圖論」

一、作品評價に附いて

古名作鑑賞が完結したのは昨年の十月だがあの原稿は一昨年の仲秋に草稿したもので實際月報誌上へは一箇年以上寄稿してゐないのである。
題して現代作圖論と云ふだけのものが書けるかどうか解らないが現代の作品に對する希望其の他を述べて見たいと思ふ。
古名局鑑賞の稿を起す際現代名局も同じく五十局選定する考へで作品を調査したのであるが現代作品の方は作圖家其の他作品が複雜多岐に渡り遂に日子關係で起稿の運びに至らなかつた。
古代名局の選定に當つては初代大橋宗桂から幕末の將棋新選圖式に至る一通りの作○
を調査したが宗桂宗古時代の作品は詰將棋初期の作品に見受けられる手餘りの作品が其の殆んどで作品評價の水準以下のもののみにして一通り調査をしたものゝ實際に五十局中に選定したのは二代伊藤宗印の勇略精妙圖式の五百局中からである。
宗印の勇略は名作が多く見受けられるが實戰型作品より構成派作品への轉換期の作品の事として不完全な處が少からずあり、君仲の玉圖は構成派全盛期以後の作品ではあるが形態其の他構圖等の點に於て迄か(ママ)宗看兄弟の作品より遜色あり五十局中に選定せられたのは宗看圖式と看壽圖巧が其の過半を占めてゐた。
同一の作品評價水準を以つて選定した場合それが特異な作品評價法でない限り宗看看壽の作品のみが選定されるのは止むを得ない事であらうかと思ふ。
自分はあの古名局選で君仲の極妙と添田宗太夫の秘曲集を除外した、これはこれら形象型作品は普通の作品評價法で構成派作品と同様に妙手變化を評價する時は極めて低級な作品となるからである。
普通作品評價法に於ては形態も作品評價の一部分を占むるものであるが、象形象型作品に於ては形態と云ふ點に作品評價の主題を置かなければならぬ。
此の意味に於いて作品評價の統一上形象型作品のみ名局鑑賞より除外する事にしたのである、古名局鑑賞に於て其の選定法はかつて里見氏が講述された詰將棋講座の作品評價篇に準據して是を行つた。
作品評價の主要なるものとして揚げられるのは大体次の事項である。
第一、作品の構成(是は構成型作品に於てゞあつて他の作品には餘り關係はない)妙手。
第二、變化、紛れ
第三、形態(形象型作品以外の作品評價法に於ける)
尚此の外に作品減價事項として駒餘の本手順より長い變化手順を有するもの、輕度の餘詰を有するもの等が掲げられる
第三の形態に於てはそれが減價事項となる場合がある。
第一の妙手、構成型に於ける作品構成は作品を形成する第一要素で第一項の妙手を有しない作品は如何に他の事項が優れてゐるとも作品とは云ひ難い。
作品の價値増減の主要部分をなすものが即ち妙手であるが、その妙手を大體その妙手の性質に依つて次の如く分類する事が出來る。
實戰型作品に於いて單妙手、復(ママ)妙手。構成型作品に於ける構成型妙手。
實戰型作品に於ける單妙手とは玉の逃路閉塞に於ける飛角打或は敵駒の利筋消滅を計る桂打等一つの意味を有する妙手で。(ママ)妙手としての價値の最も低いものである。
普通妙手と稱さず輕手等の稱で呼んでゐる
實戰型復(ママ)妙手とは最も作品に用ひられる妙手で玉方の應手で二つ以上の意味を持つ妙手である、もし玉方の應手で二様にあれば二元妙手であり、三様の應手があれば三元妙手である(此の名稱は不適當であるかもしれない。)
此の次元が多い程妙手價値は大きいわけである實戰型に於ては五元妙手を限度としそれ以上を作る事は不可能である。
普通作品に最もよく見るのが二元乃至三元妙手である。
構成型妙手は構成型作品中にのみ見られるものにしてその作品の構成主要部に一手或は二手位見られるもので、その作品の中心をなすものである。構成型妙手はその性質上前記實戰型妙手と同一に評價出來ない。
構成型妙手が現はれだしたのは二代伊藤宗印以降で享保の伊藤宗看看壽の出現に依つて全盛を極めたが其の後彼等に次ぐ天才の出現を見る期(ママ)會なく此の種の作品が多大の天分を必要とする爲其の発表の數を減じつゝあるは嘆はしい事である。第二の變化及び紛れも第一の妙手に次ぐ作圖構成の重要素である。
變化は復(ママ)妙手の價値と關聯しその變化中に含める妙手は作圖妙手の半分の價値を有するものである變化手順は本手順に於ける妙手を中心として發生せるものに限られ他の場合は作圖價値に關係しない。
變化紛れは或程度作圖價値増大をなすものではあるが餘り無味に復(ママ)雜に過ぎる場合殊に本手順より長い場合は減價事項となる。
第三の作圖の形態は構成型作品に於ても重要視せられるものである。
作圖の駒數と手數は形の輕重に關聯して其の作圖の形態價値を増減するものである。
普通駒數と手數の比を一對一とし、それより駒數の多き場合は減價事項による。又壁駒不動駒を有する場合も減價の原因となる
餘詰防止の爲或は變化手順等の爲本手順に關係なき駒の配置も減價の誘因となる事がある。駒餘り餘詰等は現在の作圖評値では作圖として取扱はれない場合が多い。

二、現代は如何なる作圖を要求してゐるか。

以上の作圖評價法に依つて古局五百局中より五拾局を選定したが宗印の作圖は構成に不備な點を多く見られ、君仲の玉圖は稍形態に無關心だつた跡が見受られ殊に妙手價値の點では他の作圖に遜色があつた。
宗看の作圖は變化稍復(ママ)雜に過ぎ殊に本手順より長い變化手順を有するものが多くあつた。
右の評價法に最も適合したのが看壽の圖巧である。看壽の二元乃至三元妙手を含む輕快な中篇作は現代に於ても最も要求してゐる處であると思ふ。
手數參拾手内外で二元乃至三元妙手を含む中篇作は現代で最も要求されてゐるにもかゝはらず此の種の作圖の發表は稀れで發表される作圖の大部分が四拾手以上の長篇作圖でありその作圖中の妙手が殆んど單妙手のみであるのは如何なるわけか。二元以上の妙手の有するものを作る事は外の作圖を作るのに比して困難な理由もあるだらうが主な原因は是等中篇の好局を發表してゐた中堅作家が作圖を發表しない事に依るとも云へるのである。
現代の月報作圖壇の作圖は殆んど新人の作と變つてゐるが、數年前本誌上に中篇名局を發表してゐられた作家の作圖の再び誌上に現はれる事を望むで止まない。
以上の中篇作圖と同時に後世に殘すべき其の時代の代表的作圖も必要である。
今後の長篇作圖は構成型に最も大きな期待が掛けられてゐる。
構成型作圖は享保の昔宗看看壽の天才に依つて既に其の構想を使ひ盡されたかの感があるがよく沈思考慮する時未だ未だ新分野のある事を發見する。然し此の種の作圖は其の構想が困難であると共に餘詰防止の點での努力は實戰型作圖の比でない。
此の作圖の創作が一部の作家に限られてゐるのも又創作の困難からと云ふ事は解るが酒井田代今田等の諸代(ママ)の作圖に接し得ない今日殆んど是等構成型作圖を見る機會がない。新人諸氏の構成型作圖創作を希望すると同時に再び諸先輩の名作に接する日の近き事を望んで止まない。

三、圖式創作に附いて

かつて將棋世界誌上に宮本弓彦君の希望で圖式創作に附いて書いた事がある。
前號に田代氏が同じく書いてゐられたと思ふ、あの時自分が書いたのは今日誌が無くて判然しないが實戰型構想の創り方だつたと思ふ。實戰型は構成型作品に比して其の創作は實に容易である。
實戰の終局面から二元妙手を有する所謂構想になりそうな局面を得たとすると、それに僅かな修正を行つたのみで一個の作品が完成する場合も少くない。
又漫然と盤上に駒を配置して作る方法に於ても同誌上に述べた如く時には好局を得る事がある。
構成型作品の創作は實戰型の夫に比して復(ママ)雜である。先づ角打に依る玉の逃路打開に依る打歩詰消滅を計る構想を得たとする場合、先づ其の構想の正當であるか否かを點檢しなければならぬ。その構想に不備の點がありとすれば必然的に餘詰を有する作品となつて現れ、その餘詰は構想が不完全である限りその消滅は不可能である。
愈其の構想が完全であると解つた場合その構想を盤上に遷すのであるが、構想を中心として序盤終盤の手順を追加し更に此の種の作品に於いて往々陥り易い構想部分以外が平易になるのを防ぎ形態に修正を加へて完成するのであるが、實戰型の創作に比し一駒の移動が眞に構想に影響する場合もあり、殊に構想を盤上に遷す場合は愼重な(ママ)考慮する必要がある。それは構想に關聯せる駒の配置は後に至つてその大部分が不可能であるからである。
白翠選五十局に集録の此型の作品は僅に數局夫から約一ヶ年創る處の作品は二拾局内外、此の種の作品創作の經驗は誠に少ない
殊に此の一年間は創作にも全然離れてゐる
今迄書いたのはその僅かな創作に於ける感想に過ぎない。
然し何はともあれこれからの作品への期待が此の型の作品にかけられてゐる以上夫に向つて進むべきであらう。夫に創作に専念する時間を與へられてゐない。再び創作に進む日が來たら構想派作品の創作に精進したいと考へてゐる。
題名の如きものは何も書き得なかつたが一年振りの草稿である。參考となるなにもないので思ふまゝを書き綴つた。まとまつてゐないと思ふが御諒承を願ふ次第である。
約一ヶ年創作より離れてゐる。然し作品だけは一通り見てゐるから創作への情熱は失つてゐない。又再び創作に歸る日あらば誌上に發表させて頂く考へである。
 北滿の一隅にて 一月二十八日
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実際には後手番の将棋の駒の形。「品」と思われる。

 よく理解できない箇所が多々あります。

2017年2月22日 (水)

忘れられた論客 その15

 「私の古名作鑑賞」1940年6、7月号より。当ブログで紹介していない三代宗看の作品(ただし余詰作第31番は除く)を紹介します。変化手順の説明は省いて杉本の感想のみ。

第22番

090022

53金、同銀、44桂、同銀、53銀成、同銀、44桂、同歩、32飛成、42銀、
53歩、同玉、62銀打、同龍、64金、同歩、62銀生、同玉、42龍、52桂、
71銀、72玉、73飛、61玉、62銀生、同玉、53龍、61玉、72飛成、同玉、
73桂成、71玉、62龍迄 參拾參手


持駒を巧みに打捨てゝ玉の上部脱出を防ぐ順面白し
最初53金打捨は44桂の時41玉、32飛、53玉を防止せるもの
53金、同銀、44桂、同銀と44の逃跳(ママ)を閉鎖53銀成と33飛の利筋を遮ぎる銀を成捨て44桂、同歩と再び44玉の逃路を閉塞以下再び64金打捨輕手なり
本圖は着想敢へて奇とするに足らざるも持駒の打捨妙味あり


第23番

090023

51桂成、同玉、52香、同玉、16馬、51玉、55飛、同銀、62歩成、イ同角、
42龍、同玉、43金、51玉、15馬、42桂、同馬、同銀、63桂、41玉、
31歩成、同銀、42歩、同銀、32銀成迄 二十五手


七手目55飛輕妙なる犠牲なり本手順には關係なく一見無意味の如くなるもイの變化62歩、同玉、61馬、同玉、63龍、62金の時53桂、同銀にて詰なき爲55同銀として53への利筋を消滅せしものなり
62歩成捨は緊要なる一手にして終盤63桂打を作る爲の用意なり43金打を作る42龍の捨場又巧妙なり
攻方、56歩配置の意は52歩打を防止せる爲にして此の歩無き時は55飛、62歩の二手を經ずして直ちに詰あり


第29番

090029

82銀生、同玉、92香成、73玉、64銀、84玉、73銀生、同玉、62龍、イ84玉、
73龍、同玉、64と、84玉、51馬、同金、95角、94玉、51角成、96銀成、
93金(21手詰)


本作品の創意は95角の通路にある自駒を消滅玉方の駒を移動して次の空王手の時其の駒を手中に得るにあり
第一着手82銀は92香成と前後挾撃の準備
64銀73銀と55銀の消滅を計るはイの場合62同玉、53馬、51玉の時33角成を作る爲なり
以下62龍、73龍、51馬は作者の主圖せる處なり


第43番

090043

66桂、同歩、55香、同と、同歩、同玉、56歩、54玉、45金、同龍、
55歩、同龍、45角、同龍、同馬、43玉、44飛、52玉、64桂、61玉、
72桂成、51玉、62成桂、同玉、63銀、61玉、72銀成、51玉、52歩、同玉、
63馬、同玉、73歩成、同飛成、同成銀、同玉、65桂、62玉、63歩、61玉、
62飛、51玉、42飛上成、同歩、52歩、41玉、61飛成迄 四十七手


最初66桂、同歩と玉の上部進出を防ぐは當然の着手ならん
次55香打にて玉側のと金を交換し45金、同龍の時55歩と突捨てるのが此の作品の重要部分をなすものにして作者構圖の主意は此處にあり即ち此の55歩突捨の一手は十九手64桂に對し51玉と引かれる順に對して備へたものなり
45金の時直ちに45角、同龍にては同金、63玉にて詰無く又45同馬にても51玉の手ありて詰を得ず
55歩突捨含みある妙手なり
以下の手順は變化少くして容易なれど二十七手72銀成を不成とせば歩詰の局面なる爲銀成として63馬、同玉となす處巧妙
終局42飛成又面白し


第59番

090059

66飛、75玉、65飛、76玉、75飛、同玉、48馬、74玉、75馬、同玉、
57馬、74玉、66桂、75玉、74桂、同玉、75金、73玉、84金、82玉、
92歩成、72玉、79香、62玉、73金、51玉、62金、同玉、84馬、61玉、
52銀成、同玉、44桂、41玉、51馬、同玉、52銀、42玉、43銀上成、31玉、
41銀成、同玉、52桂成、31玉、42成桂迄 四十五手


作者の主眼とせるは79香打なり
79香と打つは後に48馬を84へ移動せん爲にして75香にては此の手なし
79の個處を空所にする角桂の捨場面白し
盤上香四枚を配せるは79香に對し77香合の順を防止せるものなり


第67番

090067

58金、78玉、79歩、同と、68金、同玉、48龍、67玉、58龍、77玉、
69桂、同と、87馬、66玉、77馬、同玉、86角生、66玉、78桂、同香成、
67歩、76玉、78龍、85玉、53角成、94玉、95香、同玉、62馬、同龍、
75龍、94玉、84龍迄 參拾參手


最初と金を移動して金の捨場面白し77馬、同香の變化に備へて69桂打捨妙手なり
77馬、86角不成、78桂の輕手に依りて歩詰を打開終局龍の位置變更の62馬又巧手なり
特筆すべき妙手はなけれども局面清新にして中篇佳局ならん


第91番

090091

78銀、同成香、79金、同成香、68金、同玉、58金、69玉、68金、同玉、
57龍、77玉、69桂、同成香、78歩、87玉、99桂、同歩成、76馬、同玉、
98馬、同と、66龍、87玉、77龍、96玉、97歩、同と、76龍、86合、
85銀迄 參拾壹手


最初78銀打面白し直に79金にては59玉にて不詰なり99桂及び98馬絶妙にして此の二手を以つて本作品構圖の主眼となす 99桂打捨てを行はずして直に98馬なれば打歩詰の局面を招致するなり
創作型打歩詰應用作品中玉方の利筋發生の奇に属する好個の中篇なり


第97番

090097

83歩、71玉、72歩、同玉、84桂、83玉、72角、84玉、85銀、同玉、
45飛上、84玉、85飛、同桂、83飛生、94玉、33飛生、84玉、83飛生、94玉、
63飛成、84玉、83角成、95玉、94馬、同玉、86桂、84玉、75金、同歩、
54龍、73玉、74龍、62玉、63銀、53玉、54龍、42玉、43歩、41玉、
51龍、同玉、42角、41玉、31角成、同玉、33香、41玉、32香成、51玉、
42成香迄 五拾壱手


本局は形態は實戰形なるも純然たる創作型構圖なり最初歩及び桂に依りて72角打を作り45飛上ると一歩を得る順面白し
以下打歩詰を打開する飛不成及び94馬、75金妙手なり又75金、同歩の時54龍を作る爲再度83飛不成として63飛成は味ふべき處あり 盤上玉方88歩配置の意は拾七手33飛不成に對し83歩合不詰の順を防止せるものなり 本圖局面は複雜ならざるも他の作品に比して作意の發見が至難なりと思ふなり


 1940年10月号で「私の古名作鑑賞」は終了します。
 末尾に「今號を以つて好評裡に完結致しました。次號より詰棋界の一偉才神戸の今田政一氏の作圖將棋龍光二十五番を連載致します。ご期待下さい。」とあり、次頁に「杉本兼秋氏よりのお便り」という記事があります。
 なお、「將棋龍光」は連載ではなく、「次號」でもなく、1941年1月号に一挙30局掲載されました。

(前略)過日郷里より轉送し來たりし月報誌七月號を拝見しました。前田先生の横槍坤の卷、名槍は益々冴へて來ました。先生の趣味は變らぬ御努力には感謝の外ありません
宮本氏の天野宗歩、幕末の反家元派の棋聖の面影を如實に表現して居ります。
名人決定戰土居八段の一勝せるは意外でした。十三連戰の後とは云へ無敵木村を倒したるは偉とすべき事と思ひます。
自稿古代名局鑑賞は昨年仲秋草稿せしものが尚連載されつゝあるを見て當時を懐しく思ひました。當時の豫定としては古代篇、五十局現代篇五十局を選し、其の他、理論の研究も里見氏分類法に準據して組織篇、評価篇に分類して草稿の豫定でありましたが、古名局の選定に於て宗看及看壽の作品に以外(ママ)の日子を費し時日無き爲遂に現代篇及理論の研究の方は起稿する迄に至りませんでした。現代名局選五十局、の選及び理論研究の細目分類は出來て居りますから又機會あれば連載させて頂く考へであります
古代名局選選定中宗看圖式及看壽圖巧中二三疑問の局に就いては酒井氏分析法で檢討しましたが宗看圖式第二番を研究中不詰の順あるを發見しました。
然し同圖は享保以來貳百有餘年間完全なる圖式として現代に轉はれるもの。自分の發見せし不詰に就いては分析法を用ひました
自分の研究としては第二番不詰と云ふより外ありません山村先生外三代宗看圖式研究家の御研究の程お願ひ致したかと思ひます
七月號發表の第一部三百八十九番は昨年十月上旬の作品です、構成派作品に属するものでありますがストーリに促(ママ)はれ過ぎて中間が平凡になつてしまひました。構成派型作品未發表のものも數局殘つてゐます
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 酒井氏分析法というのは、月報1928年1月号に丸山正爲が紹介している酒井桂史からの書簡にある方法、
「私は圖式の調査をするに際しては先づ最初の一手につき詰方のあらゆる攻手順を試み次は玉方の逃手に付き全部の筋を考へ又次手詰方の全部と云ふ具合に眞に一手一手全くの無駄手と思ふ手順をも自力の有らん限り調査を遂げます」
という虱潰しの検討をいうのでしょう。

2017年2月20日 (月)

忘れられた論客 その14

 1940年1月号から10月号にかけて、杉本は「私の古名作鑑賞」を執筆しています。
 1月号は二代宗印の『将棋勇略』から5局。第39、40、59、68、73番。
 3月号は『将棋勇略』からさらに5局。第72(73)、73(72)、76(77)、84(85)、94、100番。杉本の作品番号は山村兎月に倣っているので表記に誤りがあります。括弧内が正しい番号です。桑原君仲の『将棋玉図』から3局。第9、14、16番。
 5月号は『将棋玉図』から7局。第25、27、28、32、62、76、80番。
 6、7月号は三代宗看15局。6月号、第15、22、23、29、31、34、36、43番。7月号、第48、51、59、60、67、91、97番。
 8、10月号は看寿15局。8月号、第3、8、20、27、32、41、46、48番。10月号、第62、72、73、74、82、95、99番。

 勇略はすべて紹介済みですので、玉図から二三。変化説明は省略して杉本の感想のみ。

第9番

270009

39金、同と、59金、同玉、69飛、同と、26角、48歩、同馬、68玉、
78金打、同桂成、35角、77玉、66馬、同玉、76と、55玉、44角、同桂、
56歩、同桂、64銀、54玉、55歩、同飛、53銀成
まで27手詰

變化は少きも、69飛及び78金と玉の逃路を閉鎖する順は面白し又66馬と捨て玉を後退させる手も妙手なり、唯遺憾なるは35角に對し57歩合の手段ある事なり。此の順徒に手數を長くするのみにて玉方の執るべきにあらずと云へども大矢數の72歩合あるを思へば一考を要す。

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 57歩合、48歩合の繰り返しは歩…だけが増えて原形に戻るので無駄合でしょう。


第27番

27gyokuzu0027

58銀、同玉、59金、同と、49銀、同と、59銀、69玉、36馬、59玉、
58金、69玉、68金、同玉、69金、67玉、58馬、66玉、75銀、65玉、
66歩、同桂、74銀、64玉、75金、同玉、85馬、64玉、63銀成、65玉、
64成銀、同玉、74馬
まで33手詰

本圖に於て參考となるは58銀及び49銀の二手ならん 以下の手順は容易なり形稱惡きの感あるなり



第62番

270062

59角、同金、69馬、57玉、49桂、同香成、46龍、同玉、36馬、57玉、
47飛、68玉、69銀打、同金、48飛、同成香、69馬、57玉、49桂、46玉、
36馬、55玉、46金、54玉、43香生、44玉、26馬、54玉、27馬、44玉、
17馬、54玉、27馬、44玉、26馬、54玉、36馬、44玉、35馬、54玉、
45馬、同桂、55歩、44玉、36桂、33玉、24と、32玉、44桂、31玉、
41香成、同金、同銀成、同玉、42歩、同玉、43歩、同玉、33金、44玉、
34金
まで61手詰

本局は六拾壹手の大作なるも變化は難解なるは無し59角打は78玉を防止せる妙手なり
49桂打巧手なり直ちに46龍にては拾貳手目68玉の時58玉にて次49玉の順ありて詰を得ず以下一歩不足の局面を巧みに成角を移動して17とを得る邊り流石巧妙なり 然し此の圖に於て作者最初の構圖は初盤59角49桂の二手を含む邊に有りと思はる。



 そして問題だったのが、1940年8月号、図巧第27番の紹介でした。

第27番

月報1940年8月号図
27_2
原図0027

52角成、63歩合、65金、同成桂、73金、同玉、65桂左、72玉、62銀成、同香、
61馬、同玉、53桂生、72玉、73歩、同玉、75飛、74歩合、65桂打、72玉、
74飛、同馬、73歩、同馬、同桂成、同玉、74歩、72玉、83角、82玉、
73歩成、同玉、65桂、82玉、74角成、91玉、64馬、同歩、83桂、82玉、
71桂成、同玉、82金
まで43手詰

 左の図は原図ではありません。加藤文卓の補正図でした。

 
1927年2月号「圖巧解説」より
192702_2

 これが正しい図ではないかと加藤が想像したもので、別の版には正しい図があるとは書いていないのですが、誤解させるような書き方ではあります。
 
杉本はこれを受けて、補正図を注釈なしに示した上でこう書きました。

27_3

 西宮彌兵衛版(文化ではなく文政4年)の図には誤りがあるらしいと書いたのは不用意で、これがため将棋世界付録『将棋図巧』(1961年6月)、『古図式全書』第六巻(1964年9月)の図も誤ってしまいました。

将棋世界付録『将棋図巧』
27_4
古図式全書第六巻『象棋奇巧図』
27_5


『詰むや詰まざるや』より
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前記早詰を消した次の補正図が『将棋月報』昭和15年8月号に杉本兼秋氏により発表されているが、「文政版『将棋図巧』には第二十七番誤謬あるものの如し」と註記してあるため、この補正図が杉本氏自身の案なのか、古来伝わるものなのか紛らわしくなってしまった。このため最近までこの補正図が原図と誤り伝えられたが、昭和41年内閣文庫で発見された原書(献上本及び家元刊本)には早詰のある原図が掲載されており、この補正図は加藤文卓氏のものであることが判明した。
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 門脇氏
引用は原文通りでないことがままあります。
 こうして、杉本は名を残してしまうことになりました。

2017年2月19日 (日)

忘れられた論客 その13

 1939年6、7月号

 詰將棋を語る
 桂子

『創作を續けてゐられる様ですが最近いゝ作品が出來ましたか』
『相變らず出來る作品は凡作ばかりです、最近から創作型を作る様努力はしてゐますが、創作型のは構想も困難だしそれに構想が、まとまつても盤上へ遷してみると形の惡いものになつたり以外(ママ)な餘詰が出來たりして思ふ様には作れません。前に實戰型のばかり作つてゐた關係で少なからず勝手が違ふのです、宗看や看壽の用ひてゐる様に優れた構想を案出する事が出來ても、その構想を拾分活かす事が出來るだけの創作力がないと、どうしても出來あがる作品が筋ばかりのものになつて他の部分が平板なものになつてしまふのです。(ママ)
『創作型の今後は期待すべきものがあるでせうか』
『今の處どの程度此作品が發展するかは解りません、それに作品も少ないし……
『創作型の作品では難解とは思はれない様な作品でも以外(ママ)に正解者が少ない様に思はれますが………』
『それは今迄實戰型の作品のみ見てゐたので實戰型のものを解く様な方法では此作品は仲々解けないからです。
實戰型だと其局面を見れば正着がどの邊にあるかと云ふ事が容易に解けるし指將棋の終局面の寄せと同じ様に考へてゐるのですが、創作型となるとその作品を解く上に一番必要な事は第一にその作品の構想が奈邊にあるかを知る事です、作品の趣向が解らなければ解く事が困難と思ひます。
『然しそれは此型の作品が多くなれば自然と解つて來るでせう』
『宗看の作品等此の作品の趣向を探究して其の後で解答を求めれば容易に解ける作品が多い様です。
現代の様に作品を新聞とか雜誌に發表する様になれば解答者の棋力をも考慮しなければならぬから難解なものが餘り迎へられないのです。
然し作品が一時的のものでなく永久に殘るものである以上或程度は作品の價値と云ふ事も考へねばなりません。今迄は難解であれば名作である様考へられてゐましたが、是からは作品を作る時に解答者の棋力の程度を考へなければなりませんから、平易であつて作品の價値のあるものと云ふ事になるのです』
『作る者としては随分困難な事ですね。それでその様な作品を作るには………』
『第一に考へられるのは變化とか、まぎれを少なくするのです。變化とか、まぎれと云ふ作品の表面に現れないものが其多少に依つて其作品を難解にもし又平易にもするのです。變化、まぎれは本手順の半分位の價値をもつてゐるものですから、解答者の棋力が充分であればいくら多くても一向差支へないわけですが………』
『作品を調べて見ると本手順は直ぐ解つても變化が多くある作品は一應變化も調べて見なければならないですから………』
『解説を見て調べる時指將棋と同じ様に本手順だけを盤上で調べて變化は頭の中で讀める程度がいゝと思ひますね。
變化が二十手以上あるもので頭の中で讀み切れなくて盤上で調べなければならぬ様なのは面倒だと思ひますね、詰將棋を研究してゐる人は兎も角一般としては………』
『詰將棋を研究してゐるものでも餘り變化の多い作物になると調べるのが面倒になつて來る事があります。
それで變化を少くして………と云つても程度の問題ですが、餘り變化の少ないのも作品の價値に關係しますから作物の價値を失しない程度に變化を少なくして其替りに形とか手順とを整へて行く事です。
理想を云へば、終局の三手位の僅かな餘詰も無いようにしたいのです。手順が前後するも同一意味であるものが、本手順より變化が長いもの、本手順と同じ手數のもの等も無くして最長手順が本手順である様にしたいものです。
作品の主要部分をなすもの──作品の生命は妙手ですが、變化は此妙手に依つて出來るものです、捨駒──打捨と盤上のと兩方ですが──此捨駒に對する玉方の應妙(ママ)の多い程妙手としての價値があるのですから妙手に依つて出來る變化を少なくする事は妙手價値を少くする事ですから變化は多くても長い變化のあるものを作らない事です
變化が多くても長くなければ調べるにも面倒でないと思ひます。
妙手でない場合に出來る變化、殆んど玉の逃方に依る變化ですが此變化の場合は變化は少くても、無くても作品價値には影響が少ないものですから此の様な變化は出來得る限り少なくして解答が簡單に出來る様に留意して作りたいと思ひます。(續く)
---
(ここから7月号)
『表面に現はれない作品價値に關係しない部分を簡單にして形とか詰上り等を感じのいゝものにする事ですね
然し作者としては變化を少くするち云ふ事は變化を多くすると云ふよりは困難な事ですね變化と云ふものは意識して作るものではなく本手順に附随して現はれて來るものですから──殊更に變化を多くした跡の見える作品もありますが………
變化を少くしやうと思へば創作に當つての努力が大變なものではないでせうか──』
『或程度の困難は伴ふでせうが最初から其の點を考慮して作る事です、途中で變化を少くする爲に駒數を多くしては同じ事ですから………』
『平易であつても作品價値のあるものと云ふのですから作るのも樂ではないわけですね、難解なものを避けるとすれば手數や駒數も或程度を越えない方がいゝと思ひますね、二十枚以内、三十手内程度とする様に──最近には餘り長手順の作品が現はれなくなつた様ですが作者がこの點を考へる様になつたかと思へますね』
『それは將棋専門誌でも餘り長手順のものは其努力に反比例して向(ママ)へられないわけですから、後世に自分の姿を殘すと云ふ考へで作圖に自信が無ければ出來ないわけです、時に名作を發表しても作品の價値を充分理解する者は僅かで、調べるのが面倒だと云ふ者が多いのですから作者としても馬鹿らしくなりでせう』
『然し其の様な事を意とせずにこの時代の作品を後世に殘すと云ふ超然たる作者が是非必要ですね、このまゝでは現代の作品價値は未だ未だ低級なものだと思ひます』
『然し今後の鑑賞法がどの様に變化して行くかゞ問題ですね、現在の様に平易な物を求める様、後世でも………』
『現在でも平易な作品が向(ママ)へられてはゐるが、それは一般的であつて單に懸賞の解答とか新聞とか娯樂雜誌に發表されたものを其の時に調べる者に於てゞあつて詰將棋を専門に研究してゐるものは矢張り宗看、看壽とか多くの有名な古作で調べてゐる様ですが──それに新聞とか娯樂雜誌類に發表されるものは一時的の興味で調べられるもので、詰將棋を研究してゐる者以外の者で古作などを調べる者は稀れの様ですから今後に於ても我々の作品が後世に調べられるとしたらそれは後世の詰將棋研究家於て調べられるものと見るべきでせう。大衆藝術は皆一時的生命で永遠的のものではないから、現在に於て一般を目標として發表した作品を後世の詰將棋研究家に依つて調べられるとすれば我々は損な立場にあると思はれますが──』
『其の點昔の家元の棋士は幸福であつたと云へましょう。専心創作に没頭出來たわけですから………時代の推移と共に詰將棋研究家以外の者の腦裡からは總べての作品が消えて行くが後世の詰將棋研究家には名作凡作の如何にかゝはらず、すべてが検討されるわけであるから長篇でなくても中篇短篇何れを創るともその作品の長短大小に應じて努力しておけば小作品は小作品としての價値は認められるでせう。大衆的作品が平易な物になるのは仕方が無い事で平易であつても、後世の研究家に其の作品の努力の跡を認めて貰へば足りるわけです』
『現在では一年數百局の作品が發表されてゐますが、是等の中での酒井先生とか其の他の人の名作……現今の最高位に位する作品と、享保の看壽とか宗看の作品との比較ですが……是れは今迄もしばしば論じられて來たものですが現代の作品、古作に劣らずと云ふ説や反對の説がありますが、果してどんなものでせうか』
『古今を通じての作品の中一番名作と云へば何と云つても看壽の圖巧九十九番の煙詰でせう、あの作圖に比肩する名作は他に無いと思はれます、あの作圖は、全部が作者の偉大なる構想によつて一貫してゐるのです。藝術の遊技とも云ふべき作品と思ひます。百番の六百十一手のものは古今最長手順として有名ではあるが、價値の上からは九十九番には劣るでせう、現今には是れと比肩するものは見當らない様に思はれます。宗看のは傑出したものは無く一定の水準作が揃つてゐる様ですが、百局あれだけの名作を揃へ様とすれば現在では先づ不可能でせう。
看壽の九十九番、百番を除いたもの、宗看の百番と現在の名作を數からでなく價値から比較すると優劣は如何とも云ひ難いと思はれます、現在と云つても是は大正昭和と云ふべきです、明治以後の詰將棋と云へばそれは殆んど酒井先生の作圖が代表してゐるので、近頃の様に酒井先生其の他今田、田代氏の作圖の發表が無いと詰將棋界は活氣が無いのです』
『酒井先生は創作よりは遠がつて(ママ)ゐられる様ですが、田代、今田氏の作圖に接し無い様ですね、毎月多くの詰將棋は發表されてゐますが、いゝのは殆んど見當らない様です。唯僅かに發表を續けてゐると云ふに過ぎない有様ですね、大衆雜誌や新聞などの讀者はそんな事はないでせうが、専門雜誌は何となく詰將棋の淋しいのを感じますね』
『詰將棋の特輯とか何とか色々やつてはゐますが肝心の作圖が貧弱なのだから外からさわいだ處でどうもしやうが無いですね
實戰型に於ては殆んど新しい妙手が無くなつた様に思はれますね。實戰型は皆同じ様なものばかりです、是の新(ママ)開策として普通詰將棋の定則である、攻めの手掛かりを作るのと反對に主要な詰めの手掛かりとなる龍とか馬をいきなり切つてしまふ類のものが現はれ出した様です、普通の詰將棋と違ふから、最初は玉が廣い方へ逃走してしまふ様で決行し難い様感じますから最初は解くのが困難の様なのですが、是等のものは妙手が基礎で無く相手の意表に出る事に主眼に置いてゐるだけに解説の付いたのを調べたら興味は少ないと思ひます』
『その様な詰圖が現はれ始めた様ですね
妙手が主眼で無いだけに一時的のものでせう。解答者もそれに慣れて來たら興味を失つてしまふでせう(完)
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 検証するまでもなく、杉本兼秋の文章です。

2017年2月18日 (土)

忘れられた論客 その12

 1939年1月号「創作型の研究」

創作型作品に於ける遠打に附いて
杉本兼秋

詰將棋作品には實戰型、創作形の二種類あるがその作品を見るに初期の宗桂宗古時代に實戰型が多く享保年間の詰將棋全盛期に創作型の作圖が多く現今に於ては實戰形創作形共同じ程度に發表されてゐる様である
實戰型は指將棋中に於て取材出來る關係上創作が容易であるが創作型作品は小作圖に於ては創意の表現が至難である故その構成が實戰型に比して困難である。
現今では創作型作品は享保の夫に比較すべくも無いが將來に於て此型の作品が盛んになる事は明らかである
創作圖の双璧たる宗看、看壽の作には、その超人的なる創意の跡、構想の妙が遺憾なく表現されてゐる
現今に於ても酒井、今田、田代等の名手の作圖には此創作品の名作が多く見られる
  ×  ×  ×
創作型の構成の主眼には不成、遠打其他種々あるが古今幾多の作圖に見られる遠打を含むものを研究して見るのも興趣あるものと云へやう
創作形作品の創作に於ては遠打を含むものが最も至難である
現今の作品に遠打の優れた作品が少ないのも是の爲であらう
遠打は飛角香の三種があるが香車の遠打は創作型の作品には甚だ少なく、大部分が實戰型に属する玉の遠出を防ぐ打捨である
飛角の遠打には一枚の遠打と二枚連續の遠打とがある、二枚の遠打の場合は一枚々々別の意味に於て行ふのと二枚連續して始めて効果を發揮するのとある。
以下遠打を含む作品を列記して見やう。

第一番

090010

13銀、同玉、14歩、22玉、13歩成、同玉、19飛、18歩合、14銀、22玉、
29飛、31玉、21飛打、同金、同飛成、同玉、32金、11玉、23桂
まで19手詰


第壹番は宗看圖式の拾番であるが七手目一九飛の遠打が此作の主眼で此の飛を打つ前に一三銀一三歩成の妙手が創業(ママ)されてゐる
此創意は玉方の二一龍の移動であるが一九飛打を一八飛では無意味である
一九飛と二九龍に當てゝ打つ故に次に二九飛と龍を取る順になる、玉方の駒の移動を策する場合の遠打は玉方の或る駒を目標として打つ事が原則である。
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 原文は図面だけで手順はありません。
18歩合は17桂合が妥当ではないかとどこかで読んだ記憶がありますが…。


第二番

090048

36銀、同玉、46龍、25玉、37桂、15玉、16歩、24玉、26龍、33玉、
45桂、同金、42銀、32玉、33歩、42玉、22龍、51玉、52歩、61玉、
71と、同玉、62歩成、81玉、31龍、92玉、56角、同金、81龍、同玉、
45角、91玉、92銀、同玉、56角、81玉、82金
まで37手詰


第貳番は同じく宗看圖式の四拾八番である
是は二枚角の遠打で初の一枚のみが打捨になつてゐる。此作品は二枚角で玉方の金を得る様になつてゐる。二十七手目に五六角同金と取らせて四五角打で次に五六金を得る順になる。
尚此圖は中盤四五桂跳の妙手がある。


第三番

090051

75銀、同玉、64銀、86玉、26飛、同銀、75銀、同玉、25飛、同馬、
76金、74玉、65金、63玉、54金、52玉、53金、51玉、52金、同玉、
43馬、41玉、33桂、31玉、21馬、42玉、43歩成、51玉、41桂成、同玉、
32馬、51玉、42馬
まで33手詰


第參番も宗看圖式の五拾一番である
本圖は二枚飛の打捨である
此局面では玉方の五八馬の利筋を移動するか又は持駒に銀が無ければ續かない形である。
五手目に二六飛と銀を目標として打捨てるのが妙手である。合駒なら次に二五飛で銀を得る順になる。
二五(ママ)同銀と取らせて又二五飛と再度銀を目標にして打捨てる。同馬にて馬の七六への利筋が消へ(ママ)る順になるのである。


第四番

100008

43歩、同玉、33金、同歩、52銀、同馬、32桂成、44桂、同金、同角、
同と、32玉、87角、同龍、43金、同馬、同と、22玉、34桂、同歩、
77角、同龍、92飛成、32角、同と、同金、同龍、同玉、23金、31玉、
22角、21玉、12金、32玉、33香、同桂、23桂成、同玉、13角成、32玉、
22馬
まで41手詰


第四番は圖巧第八番であも(ママ)。
遠打を扱つた作品としては最も優れてゐるものであらう。本局は玉方の龍の移動にて飛の活躍を計る爲の二枚角の打捨である。
此圖は二枚連續で其効果を發揮するものである十三手目八七角打は妙手である八七角打捨に依つて龍を移動させておく事に依つて次の七七角打捨の場合縦横いづれかの龍の利筋が消えるのである


第五番

100062

17金、同馬、19銀打、29玉、18銀打、同馬、同銀、28玉、22飛、同馬、
23飛、同馬、73角、18玉、19銀、17玉、62角成、27玉、26馬、38玉、
37馬、29玉、28馬
まで23手詰


第五番は圖巧六十二番である
此圖は玉方一一馬の利筋移動の二枚飛車打捨である
最初二二飛打にて同馬と香の利筋を封塞して二三飛同馬で七三角打の順になる


第六番

100025

73銀生、65玉、55金、同玉、66金、54玉、64銀成、同玉、74と、54玉、
64と、同玉、65歩、54玉、58香、同馬右、94飛成、同馬、14飛、53玉、
43桂成、同金直、同と、同金、54飛、42玉、43香成、同玉、34金、42玉、
53飛成、同玉、43金打、54玉、44金
まで35手詰


第六番は圖巧二十五番で香車の遠打である
創作型に於ける香車の遠打を扱つたものは先づ此作品位のものであらう。
本局は十五手目五八香と二枚角の利筋の交叉點に打ち玉方の馬を一方利きにして九一一六何れかの飛の活躍を計る想意である。
本局着想は奇とするに足る


第七番

1214

81と、72玉、82香成、63玉、64歩、52玉、57飛、同金、63歩成、同玉、
45角、同桂、67飛、同金、64歩、52玉、53歩、同銀、同と、同玉、
35馬、42玉、43銀、同玉、44馬、32玉、33銀、23玉、24銀成、12玉、
45馬、11玉、23桂、12玉、31桂成、22玉、23馬、31玉、32銀、42玉、
33馬、53玉、43馬
まで43手詰


第七番は酒井先生の名作である
攻方の角馬の利筋を通す爲の金を目標としての二枚飛車の打捨てである

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 初出は月報1932年6月号です。


第八番

2604

12銀生、同玉、13歩、11玉、12香、同角、同歩成、同玉、24桂、11玉、
23桂、同馬、12歩、同馬、同桂成、同玉、45角、同金、13歩、11玉、
21歩成、同玉、54角、同香、12歩成、同玉、42飛成、同龍、13歩、21玉、
12金、同龍、同歩成、同玉、13飛、21玉、22歩、同銀、同銀成、同玉、
33飛成、21玉、22銀、12玉、13龍
まで45手詰


第八番は拙作
二八(ママ)飛の利筋を通す爲の五四金を目標としての四五、五四二枚角の打捨である
此外玉方の合駒と交換する場合の遠打がある、代表的名作としては宗看圖式の八十一番の二九角打。一部集の五十八番、酒井先生作の六八角打(
)等がある、此場合の遠打はその遠打の順に至る迄に妙手と云ふ事は出來ない。
玉の脱出を防ぐ遠打捨の作品もあるが是は部分的なもので實戰型作品に属するものである。此場合の作品には名作に乏しい。
未だ遠打を扱つた作品は玉圖其他にも見受けられるが、何れも着想は大同小異故省略致します。(完)
  ×  ×  ×
拙作集成「白翠選(ママ)五十番」の選定に當つては餘詰其他の點に付いて可成詳しく調査致しましたが未だ不完全の箇所ある事と思ひます。不完全圖發見の節は本社、或は小生に御一報の程お願ひ申上ます。
尚本書は五十題を上巻として單行本に調製いたしました。御希望の方へは實費送料共金參拾錢にて頒布致します部數は僅少であります。小生宛に御申込下さい
岡山縣上道郡平島村南古都 杉本兼秋
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 第八番の初出は月報1938年12月号です。遠打というには距離不足。限定打ですね。
 
月報1931年5月号の酒井桂史作を指す。

Sakai1030

47桂、同歩成、25金、36玉、35金、同玉、36歩、24玉、94飛、64角、
同飛、同と引、54龍、同と上、68角、46銀、同角、同と、25銀、15玉、
18香、同と、16銀、24玉、15銀、同歩、25歩、14玉、13と、同玉、
24金、22玉、21馬
まで33手詰


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 本局は遠打というより、玉方銀先銀歩(第一号局)が狙いでしょう。

2017年2月17日 (金)

忘れられた論客 その11

 1939年1月号に杉本の作品集「白翠選圖集」上巻50局と第25番の途中までの解説が掲載されています。2月号にはその続きから第50番まで。

Photo_8     


 上巻とありますが、下巻はありません。
 作品集出版を前提にした個展のようなもので、それまでにも月報では詰將棋第三部集や第一部集などの誌上発表はありましたが、古典ではない個人の作品集が掲載されたのはこれが初めてでした。
 2月号に「本書は本社では販賣いたしません御入用の方は」として岡山県上道郡平島村(現在、岡山市)の杉本の住所が記されています。
 まえがきを紹介します。

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杉本兼秋著
白翠選圖集
集録の作品に就て

此の五拾局は九年より現在迄數ヶ年の間に各誌に發表した作品の内より選んだものであります。
集成の作品に對する自信は更にありませんが貧弱ではあるが兎に角是だけまとめる事の出來た僅かな喜びを感じてゐます。
始めは百局集録の考へで居りましたが創作に入つて未だ日の淺い私としては百局の作品がその殆んど全部であるので百局選ぶには意に滿たない作品も入れねばならず。其内の數拾手以上の作品は發表するには餘りにも價値無きものばかりと思ひ遂五拾局集成する事に決めました。
純創作型作品の創作が年來の私の宿望でありますが創作型を作るには今尚其創作力が餘りにも非力である事を考へました。
藝術的價値無き創作型作品程其存在の無意味なるは無いと思ひます。
集録の作品中殆んど實戰型であるのも此の意味であります。集録の作品は皆懸賞課題として創作したもの故解説を見て調べる作品として興趣少きものかも知れません。
作品に附せる解説は冗漫なる個所多くある事と思ひますが是から詰將棋を研究せられんとする方の爲此作品を調べるのが少しでも容易なればと思
て附記したるものであります。
集録の作品は本誌へ發表せる以外のものが過半あり其作品を未知の方に調べて頂かうと思
たのが此作品集成の目的なのであります、作品中貳參變化手順の長いものがありますが御寛恕の程お願ひ致します。
前記各點を御諒承の上此初期作集成を御笑覧下されば幸甚と思ひます。
一九三八年仲秋 著者
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 選圖集の50局を並べてみましたが、手数は9手から91手まで。短篇(~17手)18局、中篇(19手~49手)31局、長篇1局です。
 まえがきにもある通り、いわゆる実戦型が過半数(
「殆んど」ではない)を占めています。不完全作は19局あります。手順前後や24桂と打つところ44桂でも良いといた非限定を大目に見れば15局。
 このうち、いくつか紹介します。
 初出は調べてみましたが、月報以外はほとんど分かりません。
 手順は漢字を半角数字に変え、74金打などの「打」(当時は攻方持駒の着手にはすべて「打」を付けていた)は省略しました。

第六番(初出は月報1935年11月号)

2617

82角成、84玉、93角、同桂、74金、同龍、93馬、同玉、94香、同龍、
82銀、92玉、93歩、同龍、同銀成、同玉、99香、94桂、同香、同玉、
95飛、84玉、76桂、74玉、86桂、同香、75飛
まで27手詰


【解説】82角成、84玉、93角、同桂迄は當然の順であらう。此時93馬と取ると同玉、94香、84玉と上られて74玉の順があるから續かない。74玉の順を防ぐ74金の妙手を發見出來やう。同玉でも同歩でも73馬であるから同龍の一手である。此74金を93角と打たずに行ふと同玉で桂の利きがあるから失敗する。
93馬、同玉、94香、同龍、82銀、92玉、93歩、同龍、同銀成、同玉、95香、94桂合此合は桂が最善で歩では同香、同玉、95歩で何れへ逃げても飛打の詰である。
同香、同玉、95飛、84玉、76桂、74玉、86桂と飛車の筋を通して75飛迄である。
---

86桂、同香、95飛が成立します。


第拾九番(「將棋時代」1933年10月号)

2630

24桂、同桂、12飛成、同香、33金、同玉、11角、32玉、22角成
まで9手詰


【解説】本局を一見して解るのは玉を33より44へ脱出させては絶對に詰まないと云ふ事である。此想定で22金、21角等は無い事になる。先づ浮んで來るのが33金、同玉、22角の順であるが32玉と引かれても24玉と上られても詰まない
12飛成と桂を取
ても同香、33金、同玉、11角、24玉と上られて桂二枚では詰まない
11角の時24玉と上ることが出來ないと假定したら、24の逃路が玉方の駒で閉鎖されてゐるとしたら32玉、22角成の詰である。
最初24桂と打つ、是は玉方の逃路44、24を44のみに限定させる輕手で33玉は22角、24玉、15金迄。同歩は22金迄である。24同桂直ちに33金では同玉、22角、32玉で詰まないとすれば12飛成と捨てる順は容易に浮んで來ると思ふ。
33金、同玉、11角、24が桂で閉鎖されてゐるから32玉の一手、22角成迄で成功である。
---


 まえがきに「九年より」とありますが、本局は昭和8年の発表作です。


第貳拾壹番(初出不明)

2632

22金、同銀、13歩、同銀、24桂、同銀、22金、同玉、31角、32玉、
43金、同玉、41飛成、33玉、42龍、34玉、45龍、33玉、34歩、32玉、
42龍
まで21手詰


【解説】本局は最初の着手が可成多い。21飛成でも詰の如く見えるが打歩詰になる。又52飛成、13歩、24桂等の手段もあるが33銀の守備が強いから僅かの處で殘る事になる。本局の主眼は此33銀を移動させて31角を狙ふ處にある。
第一着手、22金(同玉なら31角、12玉、24桂、同銀、52飛成迄である)、22同銀、13歩(同玉なら24金、同歩、同金、12玉、13歩、同銀、34角、22玉、23角成迄)、24金の時12玉なら23金左、同銀、13歩、同桂、21角、22玉、52飛成、32歩、23金、同玉、32龍迄である。
13同銀、24桂、同銀、22金、同玉、31角、32玉、43金以下容易な詰である。
---

 一回転させたかったですね。


第貳拾參番(十の字)(「將棋世界」1939年1月号)

2634

12香、同玉、24桂、同銀、13歩成、同銀、24桂、同銀、23銀、13玉、
14銀成、12玉、23成銀、11玉、22金、同香、12歩、21玉、32角成
まで19手詰


【解説】一見して最初の着手が持駒に依る事は明らかであるが第一、23桂、第二、12銀、第三、22銀、第四、12香の四手段がある、
先づ23桂と打
て見る玉方同香と應ずれば12香、同玉、23角成、11玉、12銀迄で詰むが輕く12玉と上られると13歩成、同玉と上邊に脱出せられて詰まない。
12銀と打つと同玉、13歩、同玉、19香、24玉で詰まない。
後は22銀と12香であるが、22銀は玉方22同銀と取れば12香、同玉、24桂、11玉、22金、同玉、32角成、11玉、12銀迄で詰であるが22同香と取られると12香、同玉、22金、同玉で詰まず13歩成でも同玉、14銀、24玉とな
て詰まない。
以上の三手段が失敗だとすると正着は後に殘
た12香と云ふ事になる。
12香、同玉、此處で13歩成、23銀、24桂の三様の手段があるが13歩成、同玉が上部へ脱出の形であり23銀は11玉と逃げられると後續が無い。24桂、玉方同香は13歩成、同玉、23角成故同銀と取る。攻方23銀と打
ても11玉と逃げられ後の手掛りが無い形であるが此の時14歩が無いと假定すれば22金、同香、12歩、21玉、32角成の詰が出來てゐる。
24桂、同銀の時13歩成と捨てるのが輕手で玉方同銀と應ずる、直ちに23銀は11玉、22金の時、玉方の銀が13へ下
てゐる爲同銀で打歩詰の局面となる。此22同銀を消す爲に再度24桂と打て同銀と移動させておけば以下23銀、13玉、14銀成、12玉、23成銀、11玉、22金と打歩詰を打開して、同香、12歩、21玉、32角成で成功する。

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 この作品は紹介済みです。選圖集も1月なので「將棋世界」に発表したのと同時に月報にも掲載されたことになります。
 左は月報、右は將棋世界の図。月報は33金ですが、こちらはと金です。
 

193901_3 193904_2



第44番(月報1938年11月号)


2655

31角、12玉、24桂、同金、23桂成、同金、24桂、同金、13歩、同桂、
21銀、23玉、22角成、同玉、32馬まで15手詰

【解説】持駒に金が無いから13玉と上らしては絶体に詰の無い形。
第一着手が31角は當然であらう。同玉なれば42銀、22玉、33銀成、同桂、32金、13玉、23桂成、同玉、33馬、13玉、25桂、12玉、22金迄の詰。
12玉直ちに23桂成では同玉で上邊脱出は防げない24桂と打つのが好手である。
同歩は23銀、同金、同桂成、同玉、35桂、12玉、23金迄。同金、同玉()では24玉が無いから32銀、12玉、21銀、23玉、22角成、同玉、32馬迄である。
此時13歩では同金と寄られ同角成では同玉で駒が不足の形である。
又34馬と引いても23金と合をせられて續かない。13金を消す爲再度24桂と打捨てる同金、13歩、同桂、21銀、23玉、22角成と捨て34玉の順を防いで32馬で詰となる。
---

 44番と48番も紹介済みです。
 24桂、同金、23桂成、同玉の手順を指しているのだとしたら、32銀、12玉、21銀生、23
玉、22角成、同玉、32馬では、13玉で逃れ。ただし、22角成のところ35桂、同金、32銀生、24玉、42角成で詰みます。


第48番(初出不明)

2659

25桂、同龍、24銀、同龍、25桂、同龍、35角、22玉、33金、同香、
11飛成、同玉、13香、21玉、12香成、31玉、13角成、41玉、23馬左、32歩、
31馬、同玉、22成香、41玉、51銀成、同玉、33馬、61玉、51馬、同玉、
63桂、61玉、71桂成、同玉、62金、81玉、83香、91玉、82香成
まで39手詰


【解説】此局面では23金、同龍、同馬、同玉と交換しては詰が無い。持駒の桂と17角の配置を見れば此活用に依
て龍の利き筋を遮斷する順を發見出來やう。
第一着手として角の活動を阻害してゐる35銀を捨てる順が考へられるが直ちに24銀では同銀で下邊に龍の利きがあるから詰まない。
25桂、同龍、24銀、同龍再び25桂と打
て35角を狙ふ。
22玉なら31飛成、同玉、42と、同玉、53角成、32玉、33香、同龍、同桂、同玉、23金迄
又42との時22玉なら23香、同龍、同馬、同玉、33飛、24玉、35飛成、23玉、33龍、12玉、13龍、21玉、33桂迄である
25同龍、35角、22玉、31飛成は52桂の守備の爲に詰が無い。
33金、同玉なら31飛成、32銀、43と、同玉、53角成、33玉、42馬迄
33同香、11飛成、同玉、13香、21玉、12香成、32玉なら43と、同玉、53角成、32玉、43銀、41玉、42馬迄
31玉、13角成、32玉なら22成香、同龍、同馬、同玉、12飛、21玉、13桂、31玉、42と迄
41玉、23馬、32金合なら同馬、同玉、31金、32銀合なら31馬、同玉、22成香、41玉、32馬、同銀、42銀迄。又32桂合なら直ちに51銀、同玉、33馬で本手順より四手早い
32歩合が最善の應手。
直ちに51銀成では同玉、33馬、同歩、63桂、41玉、42香、32玉で飛車を交換しても詰は無い
31馬、同玉と取らして22成香と寄
て置くのが良い41玉、51銀成、同玉、33馬、同歩なら63桂で二手早く詰む
61玉、51馬、同玉、63桂、61玉、71桂成以下本手順の詰である。
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