カテゴリー「「王将」」の18件の記事

2015年6月 1日 (月)

「王将」補遺

 今頃になって補遺というのもヘンですが…。
 1954年1月号(創刊号)に掲載された「詰将棋 第一線の作家陣」(石野巌=野口益雄)は簡単にすませていましたが、紹介しておく意味があると思い直しました。この時点での人気(も実力もある)作家たちといったところです。

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 現在、詰将棋の最前線に活躍されている方々を紹介する。作者を知ることはその作品を鑑賞する上に必要だと思われるから。
 いずれ劣らぬ"詰将棋の鬼"十八人集である。

金田秀信(東京都)
 短篇専門。わずか十三手ほどの中に華麗さを盛り上げる所は、古今を通じての絶品というべし。23歳


※金田秀信は「将棋研究」1946年11月号初登場。



柏川悦夫(北海道)
 戦後最も早く出た作家である。将棋評論誌上において独り舞台の観があった。
 作風は新鮮、軽妙。十一手から二十五手位の短、中篇を得意とする。27歳

「将棋研究」1946年2月号初登場。


植田尚宏(愛知県)
 最新鋭。半年ばかりの間にめきめき売り出している。約十一手の短篇が特に傑出。
 この調子があと三年続いたら金田も柏川も顔色ないだろう。

※年齢が抜けていますが、20歳です。
「将棋世界」1953年1月号初登場。一年間に各誌に19局発表しています。このうち11手詰は6局。


北原義治(東京都)
 この人と植田は最近の掘り出しものだ。二人共恐ろしく筋が良い。
 昨年、近将の新年号付録五十人集で第一位を奪ったからその短篇も相当だが、むしろ中篇に力を入れた方がいゝらしい。18歳


※「詰棋界」1952年1月号初登場。


奥薗幸雄(福岡県)
 去年、七百十五手詰を以て一躍、男を上げた。その後、新煙詰や八百余手の作をものしたが不完全で発表されず。20歳


※「将棋評論」1950年5月号初登場。


大井美好(千葉県)
 中、長篇における捌きが実に美事。
 寡作なのであまり知られてないが、詰将棋界、当代の実力者である。27歳


※「将棋世界」1943年3月号初登場。


村山隆治(東京都)
 この十八人の中で、大井氏と二人だけの戦前派。短篇が得意だが作家としてより、詰将棋評論をもって知られている。30歳


※「将棋月報」1941年2月号初登場。


渡部正裕(福島県)
 二年位前から、曲詰に熱を入れている。自然、曲詰では断然他を圧している。近頃は作るばかりでなく、詰将棋評論もやる。20歳


※「将棋評論」1950年9月号初登場。


谷向奇道(兵庫県)
 戦後派中での相当の古顔。難解派だが、そのくせ筋が良い。近頃の作品は光っている。23歳


※「将棋研究」1946年11月号初登場。


山田修司(北海道)
 最初はあまり冴えていなかったが、三年前の正月、オメデトウの五篇の曲詰を成してよりガ然一流中の一流にのし上げた。
 千鳥銀玉の周辺回り等の趣向詰では他の追随をゆるさない。20歳

※「将棋評論」1948年5月号初登場。



清水孝晏(東京都)
 曲詰、短中長篇、趣向詰何でも結構という便利な男。至妙の才を発揮するが惜しいことに曲詰以外は渋がとれてない。
 ガリ版の同好誌「詰棋界」を三年以上続けているのは驚嘆すべき情熱である。24歳


※「将棋評論」1947年4月号初登場。


黒川一郎(東京都)
 趣向詰で山田とは又ちがった持ち味がある。年も三十を過ぎているし、家族も多いので、あまり凝ってもいられまいが、一途にうちこませたら大したもの。30歳


※「近代将棋」1950年12月号初登場。


駒形駒之介(東京都)
 将棋世界に貧乏図式なる金銀不使用の連作を発表。金銀を使うとうまくないなどと言われているがそんなことは嘘だろう。軽快な作風は無類。23歳


※「将棋評論」1948年2月号初登場。


村木徳(静岡県)
 多作である。才が溢れるようだ。
 が、そのわりにこれといった代表作がないのはどうした訳か。
 近ごろは、趣向詰にも気があるらしい。25歳


※「旧パラ」1951年5月号初登場。


湯村光造(群馬県)
 短、中、長、いずれも作るが、短篇は特に珠玉。村木と逆に寡作だ。
 作品数に比してファンが多い。20歳


※「将棋世界」1948年12月号初登場。


桑原辰雄(群馬県)
 谷向、湯村と共に入玉型の好きな三人男。指将棋が強いのが祟ったか作品が難解性を持ち、少々ゴツゴツの感がある。20歳


※「将棋世界」1950年6月号初登場。


小西稔(兵庫県)
 短篇ばかり作る。筋は非常に良いのだが、ムラのあるのが玉にキズ。20歳


※「旧パラ」1951年6月号初登場。


真木一明(東京都)
 正統派というべきか。実に癖のないものを作る。そこが彼の長所とも、弱点とも言えよう。21歳


※「将棋評論」1949年7月号初登場。


※自分と同じ20代中心の紹介になったのでしょう。戦前に活躍していた作家たち(大橋虚士、小林豊、三上毅、有田辰次、佐藤千明等)は復活が遅く、詰将棋どころではなかったのかもしれません。

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金田秀信作「将棋評論」1952年7月

0376_2

23金、同金、24金、22玉、23金、同玉、24角成、22玉、32金、11玉、
33馬、同桂、41飛成
まで13手詰

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植田尚宏作「将棋世界」1953年11月

46800862  

32金、23玉、12銀、同玉、24桂、23玉、33金打、同桂、22金、同角、
32角成
まで11手詰

※それらしいのを選んでみました。

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北原義治作「近代将棋」1953年1月付録「詰将棋短篇傑作集」

06081686

46角、24飛、33龍、同桂、31角、12玉、23桂成、同飛、13角上成、同飛、
22角成
まで11手詰

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山田修司作「銀迷路」「旧パラ」1951年11月

Kyupara1965

35銀、43玉、44銀打、54玉、55銀上、63玉、74と、同玉、75銀、63玉、
64銀右、54玉、55銀右、43玉、44銀右、34玉、35金、同と、同銀、43玉、
44銀左、54玉、55銀左、63玉、64銀左、74玉、85金、同と、75歩、同と、
同銀、63玉、64銀右、54玉、55銀右、43玉、44銀右、34玉、24金、同成桂、
35歩、同成桂、同銀、43玉、44銀左、54玉、55銀左、63玉、64銀左、74玉、
86桂、同と、75銀、63玉、96角、同と、64銀右、54玉、55銀右、43玉、
44銀右、34玉、39飛、37桂、同飛、同と、35銀、43玉、44銀左、54玉、
55銀左、63玉、62と、同玉、72香成、51玉、62成香、同玉、54桂、61玉、
52歩成、同玉、53銀成、同玉、64銀左、43玉、53銀成、同玉、75角、52玉、
42角成、61玉、43馬、52金、同馬、同玉、53歩、同玉、44銀右、63玉、
64金、52玉、53金、51玉、42桂成、61玉、52成桂
まで107手詰

※発表図。『夢の華』第22番では、序と配置を簡略化した101手詰になっています。


2015年4月29日 (水)

「王将」 その17(最終回)

 「王将」1954年12月号の続きです。

195412_4    

 「王将」の表紙を飾った作品を記しておきます。

1月号 金田秀信

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 攻方25歩が26歩なら飛車も捌けたということですね。

2月号 駒形駒之介

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3月号 椿春男

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4月号 清水孝晏

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5月号 柏川悦夫

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6月号 桑原辰雄

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 飛頭桂。これは良い作品。

7月号 村山隆治

0125_2

8月号 北原義治

0150

9月号 村木徳

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 作意は初手44角成ですが、31銀生以下の余詰がありました。

10月号 渡部正裕

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 4手目24桂を同歩と取ると2手変長になります。

11月号 湯村光造

0235

12月号 植田尚宏

0266

 こちらは、「王将」入選上位10氏です。

氏名 回数
1 北原義治 14
2 植田尚宏 10
3 柏川悦夫 9
3 桑原辰雄 9
5 奥薗幸雄 7
5 村木徳 7
5 渡部正裕 7
8 藤井国夫 6
8 小西稔 6
8 小西逸生 6

※ 志摩津太作も北原分に加算

 「王将」 おわり

2015年4月26日 (日)

「王将」 その16

 「王将」1954年12月号(最終号)です。2回に分けます。

 この月は、「自画自讃」も「失礼御免へたの横槍」も「将棋大矢数」もありません。

195412       

「詰将棋百話」清水孝晏
 炙り出し曲詰が4局紹介されています。


「詰将棋研究室」
入門科での問答

Y「王将も来月は満一歳だ。新年号からは大いにハリ切って新鮮なところを見せたいね」
Z「いろいろ企画はあるよ。今年の王将と来年の王将とをくらべてハッキリ分るくらい様子の違ったのが出来上がるはずだ」

 ………………… _| ̄|○|||||


「10月号詰将棋研究室解説


 <別科>清水孝晏

 どんなに難しい計算でも瞬時にして答を出す精密計算機がイギリスで発明された。と新聞で報じていた。
 うらやましいことだ。詰将棋に応用がきけば、何を質に置いても輸入せずばなるまいが、数字の計算以外はダメとあっては指をくわえて引き下がるよりない。
 その昔、人事を尽くして天命を待つなどという言葉があったが、詰将棋の検討も正にその通りで、一生懸命になって余詰などの不完全をなくし王将誌には不完全という文字は不要。と大見得を切りたいと思っているのだが……。

黒川一郎作「歯車」

0224

55金、同玉、56歩、同玉、65銀、66玉、58桂、同と、77銀、67玉、
76銀右、56玉、67銀、55玉、66銀左、同桂、同銀、56玉、65銀、66玉、
67歩、同玉、76銀、56玉、67銀、55玉、47桂、同と、28角、同と、
66銀、56玉、65銀、66玉、67歩、同玉、76銀、56玉、45銀、46玉、
47歩、同玉、36銀、56玉、67銀、55玉、54金、同玉、45銀、53玉、
44銀、54玉、52飛左成、同と、同飛成、44玉、45歩、同玉、56銀、44玉、
55龍、43玉、44歩、42玉、33と、同金、同香成、同玉、35龍、34歩、
32金、同玉、34龍、33金、23金、42玉、33龍、51玉、52歩、同玉、
53金、51玉、42龍、同香、52歩、41玉、31と、同玉、21歩成、41玉、
31と、同玉、22銀成、41玉、32金
まで95手詰


 北原義治「正に圧巻である。精巧な時計の内部を思わせる序盤の銀の動き、それに収束の美しさは錦上花を添うる感である。浪漫派の巨匠黒川氏にしてもなお最高の部類に属する作品であろう。塚田賞の貫禄充分である」



「飛角いれかえ」

 十月号で募集した駒入れかえパズルの王座「飛角いれかえ」は全国から多大の反響を呼び、ついに永年の疑問は解明されました。
 甲図より乙図に至る最短手数は九十九手であります。
 出題者西田尚史氏が四年がかりで解いたのも九十九手でありますから、これが最短手数と断定してよいと思います。
 三カ月前の「不動将棋」で第一位を占めた森茂氏は今回百手で惜しくも優勝圏外に去り、九十九手の解答をされたのは左の五氏でありました。
 小竹博也氏
 村上公一氏
 沢井楠雄氏
 草鹿東武氏
 毛山正彦氏

甲図

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乙図

Photo_17

 甲図より乙図に至る最短手順

18飛、28銀、39金、49玉、59金、69銀、78金寄、68銀左、79角、88金、
98金、78銀、69金、59銀、68角、79金、88金右、79角、68銀、59玉、
69玉、49金寄、59金、49銀、38金、39銀、48銀右、39金、38飛、28金、
18金、39銀、28銀、48飛、38銀、49金、39金、49飛、59銀、48銀、
68角、79玉、69飛、49金、39銀左、59角、48角、68玉、59玉、79飛、
69銀、68銀、69飛、79銀、78金、68金、88金、78金左、88銀、79飛、
69金、68金寄、78飛、79銀、98飛、88銀、78金寄、79金寄、69玉、59金、
49銀、38銀直、39角、48銀、49金、59銀、68銀、59金、48角、49銀、
39銀、38銀直、39角、48銀、49銀、28金、38金、28角、39銀、48金寄、
38銀左、49金寄、59玉、69金、79銀、68金寄、78銀、79銀、88飛
まで99手

※ これにも誤記があり、直しました。ったく。


「一握り詰 №3」
 10月号募集分の結果です。
 入選作は四局ありましたが、調べてみたら二局は余詰でした。

渡辺康郎作

0292

61金、同玉、94角、51玉、61金、41玉、85角、同飛、51金、同玉、
52金
まで11手詰

 この作者については、栃木県の人という以外分かりません。
 発表作はもう一局あるだけのようです。



2015年4月24日 (金)

「王将」 その15

 「王将」1954年11月号です。

 この月から「詰将棋名局鑑賞」がなくなりました。

195411

「自画自讃」村山隆治

 早発性ツメギ創作症にとりつかれて以来、慢性の症状に悩まされている。どうやら病原菌は、ミョウシュ、コウシュ、ケイシュ、チンシュ、キシュと判明したが、未だに特効薬は発見されていない。残念なことである。
 ケッサク、カサクをものして高熱を出し、ペニシリンの厄介になった経験よりも、ダサク・グサクを排出して物笑いの種になった回数の方がはるかに多いから、詰将棋界の権威などと驚ろかされると、こそばゆい気がしてならない。
 オシャカサマは私ごとき患者に「自画自讃」という方便を教えてくれた。
 客観的に人を頼らず、主観的にみずから讃めてみずから慰めようというのである。
 その故事にならって自著「図式拾遺集」中の傑作と信ずる詰棋をヒレキしたい。

「将棋研究」1946年12月 修正図

70851749

18銀、16玉、27銀、17玉、26銀、同金、29桂、同銀生、18歩、16玉、
27龍、15玉、26龍、同玉、36馬、同玉、37金
まで17手詰

 初手直ちに26銀では同金、29桂、同銀不成で、次18歩が二歩になって禁手となるのが骨子です。

 「将棋図巧」第十九番にめずらしい、「二歩の詰将棋」がある。私もかって数年前、この趣向に限りない魅力を感じ彫心鏤骨、ある時はどうしても余詰が防げないので放キし、実に数年の小児病を彷徨した結果、ようやく上手のごとき完成図を得るに至った。そしてみずから快心の出来栄えと信じているものである。
 (註、原図は完成図とやヽ異にしているが、いろいろと駒の置換、移動を行って完全作とした。この間の苦心談は後日に発表したい)
 名人(当時)塚田正夫著「最新詰将棋名作選」に採用、引緊った仲々見事な作品と自讃ならぬ他讃され、創作病症状である頭痛と熱が一度にさがって爽快になってしまったが、あとで余詰が発見され再発してしまった因縁つきの詰物である。
 1六歩を玉方に取らせておくねらいが、二歩の詰将棋の趣向で、手順も巧妙を極め必要にして、かつ充分なる条件を具備したケッサクと自画自讃する次第である。
 制約と条件と要求が、かくまで多いものはないが、早くこの病から離脱したいもので、特効薬の発見がまさに必要なわけである。
 大正十二年七月十七日生



「詰将棋研究室」

 正解者欄の別科の項では、誰が何題解答して結果はどうだったか、出題作ごとに○×を付けて紹介するという念の入りよう。北原義治も森田正司も4題中1題×。旧パラで一時期行われていた例に倣ったのだと思われます。


「読者の広場」
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「私の飛角入れ換え」
 A図からB図に配置をかえてください。これはやさしい。かんたんにできたでしょう。ではこんどはB図からA図にもどして下さい。
 行きはよいよい帰りはこわい。
 さあ、帰りはちょっとやっかいですよ。

A図

2_3  

B図

2_4

 A→B 十四手
 B→A 三十四手


「入選 一握り詰 №2」
 応募者中、兵庫県の○○氏は十二題を創作するという熱心さを示したが遺憾ながらすべて落選した。

竹内伸作

0265

25桂、14玉、16香、15香、13桂成、同玉、15香、14香、同香、同玉、
16香、15香、同香、同玉、17香、16桂、同香、同玉、18香、17桂、
28桂、同桂成、17香、同玉、28馬、16玉、27馬、15玉、26馬、14玉、
25馬、13玉、24馬、22玉、14桂、31玉、43桂、41玉、51馬
まで39手詰

選評
 今回ただ一人の新人である。1筋に香を打っては交換し、交換しては打ち変化を織り交ぜての攻防は他の既成作家たちを顔色なからしめるものがあろう。1三の玉を1七へ運び、さらに馬によって追い落としていく所、趣向詰の匂いもあり、これが新人の作かと疑わせるほどである。


 11月号、12月号も一握り詰の募集がありましたが、発表予定はそれぞれ新年号、2月号だったため、日の目を見ることはありませんでした。


「棋界通信中継局」
 アマチュアも含めた指将棋の情報欄なのですが、第四回学生王座決定戦、関東代表・東京大学と関西代表・同志社大学の一戦(6対2で東大の勝ち)の出場者を見ていたら、東大に恒川純吉の名前を見つけました。年齢からしてもご本人でしょう。


「将棋大矢数」塚田九段

 …「一番」では平然と駒あまりをやっている。…「三番」に至っては、左のごときはや詰みを出している。

第三番

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72飛、82歩、83角、同玉、85香、84角、同香、同玉、85飛、同玉、75金、95玉、84角まで十三手のはや詰み。
 恐らく、作者は左のごとき順を考えているのであろう。

82金、同玉、72飛、同玉、61角、82玉、84飛、73玉、83飛成、64玉、
66香、54玉、53龍、45玉、55龍、34玉、42金、33玉、43角成、22玉、
25龍、23銀、32金、同銀上、34桂、11玉、22銀、12玉、21銀生、11玉、
22桂成、同玉、32馬、11玉、22銀
まで35手詰



2015年4月22日 (水)

「王将」 その14

王将1954年10月号の続きです。

195410

「八月号詰将棋研究室解説」
別科・清水孝晏解説

植田尚宏作

50690949_2

84と、同玉、75と上、同と、同と、同玉、76歩、同玉、86と、同金、
77香、同金、同飛、同玉、88金、同と、68銀、同玉、88龍、57玉、
48金、46玉、36金、同金、同と、同玉、26と上、同と、同と、同玉、
37銀、15玉、16歩、同玉、26金、17玉、27金、同玉、38金、16玉、
27金、15玉、26銀、14玉、15歩、23玉、24歩、同玉、35銀、15玉、
26金、14玉、13桂成、同玉、24銀、同玉、25金、13玉、24金、同玉、
28龍、33玉、37龍、44玉、34龍、53玉、55香、同成桂、63角成、同玉、
55桂、72玉、74龍、81玉、93桂打、同馬、同桂生、92玉、82歩成、同玉、
71角、91玉、81桂成、同玉、83龍、71玉、61香成、同玉、51と、同玉、
53香、61玉、52香成、同玉、63龍、51玉、43桂生、同銀、41歩成、同玉、
43龍、31玉、21と、同玉、32銀、11玉、12歩、同玉、23龍、11玉、
21龍
まで111手詰

83玉は73と、94玉、84と、同玉、74と右、94玉、84と、同玉、64飛、75玉、74角成、同馬、同と、85玉、94角、同金、96と以下容易な詰
83玉は74角成、72玉、63飛成、81玉、92馬以下詰み。
同玉、88龍、同と、77斤、75玉、76香、84玉、64飛、83玉、73とまで
65玉は56と、同玉、48桂、65玉、56金、54玉、55金、53玉、73飛成以下詰み。
86玉は(76玉なら96龍、86歩、87金以下詰)97龍、75玉、74金、65玉、64金以下簡単な詰み。
76玉は96龍、86合、77歩、65玉、64金以下容易。
66玉は86龍、76歩、77金、65玉、76龍以下詰み。
45玉は35と、54玉、63銀、65玉、74銀、75玉、76歩、同玉、77金、75玉、86龍、84玉、73桂成以下詰み。

 まだ、いろいろな変化はあろうが省略する。
河野剛「こんな見事な煙詰をよく人間の頭で考えたものだ、看寿と共に詰将棋ノーベル賞を贈りたい。解答する方でも気持がよくなった。」
北原義治「短篇、曲詰専門の作家とばかり思っていた植田氏が"煙詰"第3号とは恐れ入った。サスガに作風は争えぬもので中、終盤キビキビしているのには感心の至り、長篇にも開眼した作者の後続作を期待するや切」
詰鬼人「多言を要しない文句無しの傑作」

 奥薗氏の時は失敗したので、今度は充分なる検討に日時を費した。その結果は多数の方々から絶賛を得ることができたのは、私も大いに喜んでいる。
 本局の争点は28香を龍で取る手順を作るところであろう。この香は55香と成桂を呼ぶために捨てるのであって、この手により47桂を55桂、43桂と二段に活用させるなどは実に巧妙である。
 傑作の名に価いする作品と思う。



全題正解者より
初級科
橋本守正、本間精一、畠山広吉、津野山呆鳥、伊賀井清一、田宮克哉、北川明、植田尚宏
中級科
杉田宇通、三木正道、本間精一、植田尚宏、鍛治之孝、稲葉元孝、畠山広吉、岸本雅美、橋本守正、大道政治、伊賀井清一、西田尚史、近藤孝
上級科
小林淳之助、津野山呆鳥、鍛治之孝、市村道生、伊賀井清一、盛山文質、竹内伸、小西逸生
別科
伊賀井清一、北原義治、津野山呆鳥、詰鬼人、中本実、廬関子


「詰将棋評価論」川崎弘


「読者の広場」
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「不詰か?」

10_2

 変わった詰将棋を紹介します。○は玉方の駒で、玉と同じ性能を持ち、又絶対に取れないのです。合駒がないのだからかんたんに詰みそう ですが、なかなかどういたしまして。かりに21飛に31○としても同飛成とは取れないからつらい。実は私も友人から本図を見せてもらった時、答を聞かな かったので知らないのです。どなたかお教え下さいませんか。

※ 攻方は残り駒全部です。答えらしきものは、その後「読者の広場」にも、別のページにも出ていません。


「自画自讃」桑原辰雄

 二十四年の終り頃、創作を始めてから五年もの間、あきたことが一度もないのであるから、どうも勉強の不まじめな学生がいたものである。
 発表した作品は現在まで七十局あまり。中でも快心作といえば下図を思い出す。初手14角から最後まで寸分のゆるみのない豪快、華麗な手順は自分としても快心のできばえであったし、他人様に見せても天狗の鼻を延ばすに充分たりうると自負している。

「将棋世界」1953年4月

46800762

14角、同歩、31飛、同玉、13角、32玉、41銀生、23玉、32銀打、12玉、
21銀生、同玉、31角成、12玉、24桂、23玉、33龍、同玉、42馬、同玉、
32桂成、43玉、44金
まで23手詰

 三手目の31飛に23玉なら21飛成 22歩 同龍 同玉 31角 23玉 13角成以下詰み。

 また、この作品についてはおもしろいエピソードがある。
 佐野市の将棋大会で、出席していた間宮六段が盤に並べて考えていたのが他ならぬ本局なのである。しかしどうしても詰まず、ついに私にお教えを願ったというまことに痛快な話なのである。指将棋では専門家にいじめられてしまうが、詰将棋ならざっとこンなものだ。
 作風としては軽快な作品が好きであるが、さて自分で作るとなるとなかなか軽快なのができず、難解型であるとなどという批評をいただいてしまう。
 最近は中、長篇物にも手を出しはじめたが、何か作風の変った新風を送りこもうと思っている。
 快心の長篇を作りたいとは思っているが、来春は卒業なので果して実現するかどうか。
 昭和八年二月十三日生



「第一回 一握り詰作品」
 第一回ながらはなはだ活パツで三百を越す応募作中より、今回は十作が入選致しました。

北原義治作

0233

23銀引、同金、13歩、同金、11馬、同玉、31飛、21角合、同飛、同玉、
32角、11玉、22桂成、同玉、13銀生、同玉、14金、22玉、23金、11玉、
21角成、同玉、32と、11玉、22と
まで25手詰

 21角合と、13銀不成でまとめた感じです。職人芸。



 この月の一握り詰募集はありませんでした。


「棋界通信中継局」
 伐採夫が大乱闘

 茨城県久慈郡……の伐採夫○○、△△、□□外四名は、七月二十四日六時半頃、山林内で焼酎を飲み将棋をさしていたが「待った」「待てぬ」「頼む」「汚い事をするな」から大乱闘となり、七人が入り乱れて丸太などを振り回し、それぞれ骨折、打撲傷などを負った。

※ 何でしょ、この記事…。


「詰将棋論」
 価値の主観性について

 大塚敏男氏の論考。直接には川崎弘氏の評価論への反論でしょう。
 「最近の詰棋界では、よく作品評価に数字をもってする事が試みられているが、(中略)反対する」

 同じページに詰パラ復刊の広告が出ています。

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 「近代将棋」はこの月から10円値上げ。別冊付録は「諸名家に聞く将棋の強くなる法」。

2015年4月20日 (月)

「王将」 その13

 「王将」1954年10月号です。2回に分けます。

195410

「詰将棋名局鑑賞」塚田九段
 三代大橋宗桂『将棋衆妙』から、第1番、第26番、第51番、第53番の紹介。


「各地方代表の新人コンクール」
 全国を七地方に区分し、各地方を代表する詰将棋を一局ずつ選び、この七局を審査して順位を決定したいと思います。
 この募集は対象を無名のかたに置いております。隠れたる天才児の出現を待っているのです。全国の新人がふるって応募されることを望みます。

応募資格
 無名のかたに限る。練達者の匿名は認めません。無名とは具体的に言うと現在入選回数が約3回以内であること。又は3回以上でもこの一年以内に初入選したかた。

 作品は16手以内、締切10月末、発表明年新年号とありますが、12月号をもって廃刊したため、この企画はどうなったのでしょう。
 12月号の「詰将棋研究室」において、
X「新人コンクールはどうかね。もう〆切ったのか」
Q「いや、まだ盛んにきている」
というやりとりがあります。


「懸賞パズル 飛角いれかえ」
 甲図より乙図へ--つまり飛角を入れ換えるに最短何手を要するでしょう。

甲図
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乙図
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 この問題は江戸時代から伝わったもので、駒の入れ換えパズルの王座というべき傑作です。
 現在編集部で判明している最短手順は約百手です。が、もっと短手数があるかもしれません。
 (出題者は西田尚史氏)

※ 締切9月末、発表12月号とあります。


「詰将棋研究室」
 別科に植田尚宏、奥薗幸雄、北原義治、黒川一郎。オールスターですが、唯一完全だったのは黒川作「歯車」だけ。奥薗幸雄は3月号から12月号まで「王将」に発表した7局すべてが不完全作でした。


「八月号詰将棋研究室解説」
初級科・金田秀信

志摩津太作

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(5手詰)19銀、同玉、26龍、18玉、28馬まで

 おそらく皆さんが手こずったのはこのシマッタ氏の5手詰であったと思う。
 誤解の多かったこと、創刊号のそれに次ぐ程で、正解を見て、シマッター と思う人も少なくないはずである。わずか5手で、こういう詰物はなかなか作れるものではない。誤解の多い順から挙げて見ると--
(1)19銀、同玉、27龍まで3手詰 ★37に合がきく
 これについて、津市の小林氏いわく、「19銀、同玉、27龍の3手詰とした人が多いのではなかろうか?」
 まことに見事な推理である。
(2)19銀、同玉、27龍、28合(又は29玉、)28馬まで5手 ★これは(1)の手順より幼稚
(3)29銀、同香成、36馬、19玉、17龍まで5手詰 ★29同香成を同玉で不詰
(4)38龍、17玉、18銀、16玉、36龍、26角出、27銀、17玉、28馬、同玉、38龍、17玉、18龍まで13手(8手目17玉で15玉は26龍、同香、33角あり)--○○氏 ★26角出で桂合いをすれば後の38龍がなく詰まない。
 その他「19銀、同玉、39龍」や「19銀、29玉」などいろいろに間違えている。私も最初これを見た時、両王手の作品かと思った。

※ 志摩津太は北原義治のペンネーム。この作品は『独楽のかげ』第2番だそうです。(hiro さんより)

2015年4月18日 (土)

「王将」 その12

 「王将」1954年9月号の続きです。

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「詰将棋研究室」
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 中級科・駒形駒之介
 「詰将棋作家のうぬぼれ」
 だいたい選者がどうかしてる。「この作が採用されなければ私の作った詰将棋は全部ダメのはず」と書いて三カ月前に送ったのに掲載されないとはどうしてだ。余詰も絶対にないのだが。
 選者なんてもうロクな詰将棋は作れないくせにえらそうな顔をしやがって「もう一手妙手が欲しいところでアル」などとぬかす。
 いまのところ、日本全国で、俺より上の作家といえば北海道の金田孝晏、東京の柏川修司、名古屋の湯村隆治ぐらいだろうが、この連中の時代は去年までで終わりを告げたよ。
 感覚の新しさにおいて俺くらいの作家はちょっと見当らないし作ろうと思えば二分間でも佳作はできるし、アーア、全国詰将棋作家を一堂に集めて競技会でも行なわないかな。
     ×     ×
 (これは、わたしのことじゃないですよ)
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 この月の中級科には田辺国夫作(第四回短篇賞)が登場。


「懸賞 不動将棋発表」

 その一
 九つのマスの中に飛角銀四の持駒を打ちこんで動けなくする問題は「その二」より手ッ取り早くできるため多勢の読者より応募があった。
 九通りの図を解答したかたがあり、ウームこれはたいしたものだと思ったら飛車が一枚余分だったり、銀を一枚成銀にして配置したなど、珍答もあった。

Photo

 その二
 先後手共、動けば敵に取られてしまうという駒組に至る最短手順は、福岡県の森茂氏によって発見された。
 その駒組に達するまでに敵駒に「取り」がかかってもいけないという規定だったから、応募者の苦心もなかなかのものだろうが、それでも七十四氏からの作品が編集部に集った。
     ×     ×
 森氏の他に四十三手の桂京二氏、福士伸一氏、四十四手の笹倉弘道氏、四十六手の吉野政雄氏等があり、これらのかたがたにとってはまことに残念だった。
     ×     ×
 さて、出題者の西田尚史氏は、この不動将棋を募集する以前には四十五手で組みあがる手順を用意していた。ところが編集部より「四十二手の森茂氏が一位になった」と聞くや、憤然としてケツ起、ついに四十一手を発見した。
「四十二手を最短と聞いてから考えたのですからこれが最短でも、あまりほめられたものではありません」とは西田氏けんそんの言葉。
 その組みあがった図を見ると森氏と全く同一。アリヤと思ってよくよくしらべたら手順前後で一手倹約できたものと分った。つまり、後手の玉が3三へ上るまでに、森氏は三手を要したが西田氏は二手でできたからである。ゆえに実際上の最短は四十一手。

不動駒組

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56歩、54歩、48銀、62銀、57銀、53銀、66銀、44銀、76歩、34歩、
77角、33角、98飛、12飛、88銀、22銀、68玉、42玉、78玉、24角、
16歩、33玉、86角、94歩、77玉、32金、78金、14歩、96歩、13桂、
97桂、84歩、26歩、72金、38金、83金、27金、74金、36金、93香、
17香まで

※ 41手といいながら、42手の順が掲載されていたので直しました。掲載されていたのは、20手目32玉、86角、24角、77玉、33玉と同形に進む順。


「詰将棋評価論」川崎弘


「自画自讃」金田秀信

 詰将棋を誤解する原因にはいろいろあろうが、作意を見くびる、ということがその一つであることは否定できない。この作品にひっかかった人が非常に多かったのも、理由がそこにあるとにらんでいる。仮にこれが他人の作品であったとすれば、さしづめ、ぼくなど正解をなし得まい。このくらいほめて来ると、ずいぶんむずかしい詰将棋のように思えるが、詰将棋のむずかしいなんてこんなものではない、とは本誌を読まれるようなかたにはおわかりのはず。とにかく、見くびるというとそこにゆだんを生じ、間違えなくてよいものを間違えることになる。

「将棋評論」1951年1月

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23飛、14玉、13飛成、同玉、14香、同玉、33金、24金、同飛、同玉、
34金打、13玉、23金寄、14玉、24金引、同銀、32角、13玉、23角成
まで19手詰

※ 初出誌の記載がなく、作意手順もまとめて書かれていないので補いました。

 まず、初手は23飛の一手で、これに食いつくと22桂成でやられることくらいはわかる。で、14玉の時33金とやって見たくなるのが最初の紛れ。が以下、44歩 13飛成 同玉 14香の時24玉とかわされて逃げられる。そんなことをしているうちに、23飛 14玉の時すかさず13飛と捨て同玉に14香とつり上げる手を発見する。これなら24玉がない。34金があるから。そして解けたと思う。とたんにゆだんが出て、次の手順を誤まることになるのである。その誤まりやすい手順を挙げてみると……
 (1)44合 32角 24玉 33角成まで
 (2)13玉 14飛 同玉 32角 24玉 23角成まで
 (3)24飛 同飛 同玉 34飛 13玉 14飛 同玉 32角 24玉 23角成まで
 (正解)24金 同飛 同玉 34金 13玉 24金寄 14玉 24金引 同銀 32角 13玉 23角成まで
 作図の上で迷ったのは、(今でもわからないのであるが--)41のと金と14の桂と11の香を除き、持駒の飛を23に置いて14に玉を上げた図、つまり作意手順を二手進めた時を完成図にするか、ということである。というのは、14にぶらさがっている桂は不自然であるし、これを消去する手法なるものは既に用いているので、バカの一つ覚えと思われそうなのも気にならないではなかったからである。それに、カンのいい人なら"何が為に桂がある"ことくらいすぐ見破るから、そうなると、14の桂はない方がかえってよいことになる。
     ×     ×
 実は、この自画自讃には近将7月号の作品を選びたかったのであるが余り最近過ぎるので採りかねた。
 昭和5年2月25日生。

※ 「近将7月号の作品」とは塚田賞(中篇賞)受賞作です。



「読者の広場」
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「底辺の言葉」
 私が王将を入手すれば、第一に読む所は詰棋解説欄であることを強調します。上級、別科の解説はいくらくわしくてもくわしすぎることはありません。初心者にもよく鑑賞できるようにお願いします。三角形の底辺を形成している初心者の存在を考えて下さい。(三角形頂点の高級者ばかりを対象とせずに)
(岡田敏)

※ 岡田敏は「詰棋界」1953年11月が雑誌初登場(『三百人一局集』では初入選は「風ぐるま」1954年2月号)。詰パラに700回以上入選した大家もこの頃は初心者だったんですね。


「将棋大矢数」塚田九段
 一番と二番を解く
 こまかい考証をしたいところや疑問の点もあるが、一番と二番を見ただけではなんとも言えない。一口で言うと「大矢数」の作品は『力で来い』といった感じだ。

第一番

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63銀、同玉、54馬、52玉、63香成、41玉、42歩、同玉、62飛、31玉、
21馬、同玉、12香成、31玉、22成香、41玉、52飛成
まで17手詰


※ 塚田九段は4手目74玉として19手、桂余りを正解としていますが、妙手説の時代にあっては17手が作意であっただろうと思います。
※ 掲載図は攻方56銀になっていましたが、誤りと思われます。

第二番

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51角、31玉、32銀、同龍、42金、同龍、同角成、22玉、32飛、13玉、
23香成、同玉、34飛成、同玉、35歩、23玉、26龍、同成桂、24歩、同金、
同馬、同玉、34金、15玉、27桂、同成桂、25金
まで27手詰


※ 掲載図は攻方49歩がありました。その事情については、佐原さまのコメントを参照して下さい。「古図式総覧」には49歩はありません。


第三番

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 「近代将棋」9月号別冊付録は「桂馬に関する十二章」。
 この月も「定価据置で別冊付録を毎月お贈りすることになりました」とありますが、10月号から70円が80円に上がります。

2015年4月16日 (木)

「王将」 その11

 「王将」1954年9月号です。2回に分けます。

195409

「詰将棋名局鑑賞」塚田九段
 九代宗桂-詰将棋ランキング三位

 九代宗桂の『将棋舞玉』から3局紹介。
 第8番、第75番、第96番です。

第75番

120075

87角、同桂成、97銀上、同成桂、同銀、同玉、89桂、96玉、88桂、95玉、
87桂、94玉、86桂、93玉、84飛成、同玉、74と、85玉、75と、86玉、
76と、87玉、77と、88玉、78と、89玉、98銀、99玉、55馬、98玉、
88馬
まで31手詰

 「<作品八番>では横に桂を並べて見せたが、<作品七十五番>では縦に桂を打ってみせた上で手順にこの桂四枚を消してみせる趣向がおもしろい」



第96番

120096

19桂、同歩成、36角、同玉、18角、同と引、46龍、27玉、37龍、16玉、
17歩、同と、36龍、26歩、25銀
まで15手詰

 「こみいった図形だけに変化は多いが主題の18角が妙手で九代宗桂らしい傑作だ」



「第三回 一握り詰募集」
 使用駒 飛飛角角金金金金(これに玉を加えて計9枚)
 締切8月31日
 発表11月号


「第三回 塚田賞受賞者決定」

 ある詰将棋作家からは「私の作品が受賞されるにちがいないと八月号を手にするやいなやページを開いたが、発表がないのでガッカリ。しかし九月号を楽しみにして待っている」という投書がありました。
 不幸にしてこのかたは受賞されませんでしたが、その他にもこの発表をごらんになって内心、落胆するかたが非常に多いのではないかと、小心の編集子は気に病んでおります。

短篇賞 三木正道
中篇賞 中本実
長篇賞 黒川一郎

三木正道作「近代将棋」1954年1月

1011

13飛、同玉、25桂、12玉、13桂成、同玉、23飛、14玉、24飛成、同玉、
33角成、14玉、15歩、同銀、23馬
まで15手詰

塚田九段
 新人が特に進出してきた感がある。鍛治、近藤、河辺、山岸の諸氏が目についたが特に三木氏が傑出していた。
 桂を打って12歩を取らせ、又捨てる所が切れそうで指しがたいと思われる。
 三木氏と並んで谷向、小西両氏が伯仲の作品だった。

作者
 全く予想していなかったので喜びは何とも言えません。日頃御指導の諸兄に感謝いたします。

※ 作者は21歳。



中本実作「王将」1954年5月

2012

44龍、56玉、47龍、55玉、67桂打、同歩生、44龍、56玉、68桂、同歩成、
47龍、55玉、67桂打、同と、44龍、56玉、57歩、同と、54龍、46玉、
57龍、45玉、44と、同玉、53龍、45玉、46歩、同玉、57龍、45玉、
46歩、44玉、53龍
まで33手詰

塚田九段
 大井氏と山田氏と中本氏が三つ巴の形で争っていた。
 中本氏は形のわりに、よく見るとゴテゴテしてないのと、歩をと金にする手順がちょっと作りがたい点、それに飛の上下は力強い。作品としては山田氏のはこれと同等か又は上に位するかもしれないが、前回に受賞していることを考慮して一応遠慮して頂いた。

作者
 詰将棋を始めてからまもないのに、この光栄に浴し、うれしくてたまりません。

※ 作者は群馬県、17歳とあります。



黒川一郎作「蒼猿」「王将」1954年5月

3010

94銀上、84玉、85銀上、95玉、96銀上、86玉、88香、97玉、31角、98玉、
87銀、88玉、97角成、同玉、99龍、87玉、96銀、86玉、88龍、96玉、
85銀、95玉、97龍、85玉、74銀生、84玉、86龍、93玉、43飛生、同桂、
94歩、同玉、85銀、83玉、84銀、82玉、73銀生、91玉、81龍、同玉、
72銀成、91玉、82金
まで43手詰

塚田九段
 黒川氏以外に北原氏のもすぐれている。北原氏作は飛の遠打ち、歩の突き捨てが美事だが右上隅の駒が重たいのが少々気になった。
 受賞の黒川氏は蒼猿と表題があった銀の動きが実におもしろい、最後に龍で、追う手順と銀不成も画竜点セイの一手で、ひきしめている。ただ、41飛と51桂が詰手順を暗示しているのではないか。

作者
 今回の受賞は生涯を通じての輝やかしい記念であり、楽しい思い出となることでしょう。


2015年4月14日 (火)

「王将」 その10

 「王将」1954年8月号です。

195408

「詰将棋名局鑑賞」塚田九段
 二代伊藤宗印の不成百番の紹介の続きです。

『将棋精妙』第76番

070076

71金、同金、同飛成、同玉、73飛生、81玉、71金、92玉、84桂、同香、
93歩、82玉、72金
まで13手詰

 「玉方の置駒75歩は73飛不成のとき72に歩のアイを打たせない意味と、もう一つの意味は、73飛不成の手で91飛成、72玉、61龍、73玉、62龍、74玉のとき75金と打てないようにしてある」



『将棋精妙』第78番

070078

82金、同玉、83歩生、91玉、92歩、同玉、84桂、91玉、82歩成、同飛、
83桂生、同飛、92歩、82玉、72馬
まで15手詰



「第二回 一握り詰募集」
 使用駒 飛飛角角桂桂香香歩歩(これに玉を加えて計11枚)
 締切7月30日
 発表10月号


「読者の広場」
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「表紙に」
 王将誌も早や半年になりますので、ひとつ表紙評を呈します。
 毎月色が変るのは楽しくまた詰棋を載せているのは大いに佳。
 赤っぽい色と白っぽい色と交互になっているが四月号のようなのより五月号の薄緑色の方が感じが落着いてよいようです。今後どんな色が出るか大いに楽しみ。詰棋の文字もいろいろ出ましたが一二三月号のが好きです。四五月号のは気をつけてよく見ないとどちらの何が置いてあるか分らない。六七月号の活字体は分りはよいが味に乏しいように思います。またいつも左下隅に限らず真中にしたり斜にしてもおもしろいでしょう。
 表紙以外では"自画自讃"は非常におもしろい思いつき。詰将棋界には大テング、小テングがぞろぞろいるので後には困らないでしょう。これにも大いに期待いたす次第。
 今回はこの位にして次回にも注文やら横槍を呈します。
(北原義治)

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 七月号の不動将棋はよい趣向の問題でした。この種のゲームで又ちがうのを出題していただきたいと希望します。
 全読者にお願いします。

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「香の詰将棋」

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 香を詰めるのですが、ちょっとおもしろい手順です。お考え下さい。(村木徳)

※ 答えは伏せますが、かしこ詰ですので抵抗します。7手詰。


「詰将棋研究室」

入門科にこんな図がありました。

0153

 55馬は不要ですね。

 中級科に岡田敏と柴田昭彦が初入選。
 この月から上級科の担当が北原義治に交代。

 別科に植田尚宏の煙詰第三号局(第4回長篇賞)が登場。
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「将棋大矢数」

 読者より「古作を掲載せよ」の声が強く、考慮中でありましたが、このたび塚田九段のおすすめもあって将棋大矢数百一番を毎月二題ずつ掲載することになりました。
 大矢数は江戸時代の詰物集で、詰将棋の古典といわれています。著者は尢住僊逸とか、無住庵とかおかしな名前の人ですが、おそらく名ある棋士の変名でしょう。
 大矢数には解答が付されておりません。解くのは後世の詰棋人たるわれらの義務とも思われます。で本誌ではこの解答を募ることにしました。腕におぼえのかたはふるって御応募下さい。

第一番

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第二番

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「詰将棋評価論」川崎弘


「自画自讃」小西稔

 先輩諸氏をさしおいて小生が出てきたとはまことに汗顔の至りながらそんなことを言っていたのでは、"自画自讃"なんてものはできやしない。
 勇を鼓して自讃を始めます。
 詰創作をやりだして約三年九カ月、各誌に発表せし数は六十を越えているはず。会心作といえば下図あたりでしょうかな。
 近代将棋の27年12月号に掲載されたもので、当時、塚田賞が設定されていたら断然第一候補?
 かえすがえすも残念。もう一カ月遅れて発表したら第一回塚田賞を受けられたかもしれないのに。
 発表の際、各氏の評もよく、ただ一人が「惜しむらくは変化が少い」とおっしゃったようですが、難解さのないのは私の棋風(作風)のいたす所。

Konisi

 詰手順
19金、17玉、18金、同と、同馬、同玉、38龍、28銀合、29金、17玉、
37龍、同銀成、18歩、27玉、39桂
まで15手詰

 十一手目の37龍が主眼で、47龍と離れては27歩合で詰まず。

     ×     ×

 創作とは楽しいもので、又苦しいもの。何度となく創作をやめようと思ったのですが各誌上の作品を見ると又もや作りたくなる。それを幾度も幾度もくりかえして今日に至った次第です。
 これからはひとつ、長、中篇ととり組んでみたいと思っています。期して待たれよ。
 昭和8年9月25日生。

▽19金、17玉、18金の時、同玉なら38龍、28合、29金、17玉、28金、同と、29桂、同と、18龍まで。
▽初手18金では、同と、同馬、37玉、と脱出される。


※ この図は「小西稔好作集」で取り上げましたが、修正図?



 「近代将棋」8月号別冊付録は「知識の宝庫 将棋吹寄せ」。

2015年4月11日 (土)

「王将」 その9

 「王将」1954年7月号です。

195407

「懸賞・不動将棋」
 愛読者鴨藤氏・西田氏より、将棋のゲームが投稿されました。これを懸賞問題として、解答を募集します。ふるって御名答をお寄せ下さい。

 その一
 不動将棋と題して私が創作しましたこの九ツのマスの中に持駒(飛角銀四)を打ってどの駒も動けないようにして下さい。
 (鴨藤弘)

Photo_6  

 その二
 A図を御覧下さい。先手後手同型のA図では双方とも敵駒のきヽ筋に味方の駒は存在しません。

A図
Photo_3

 平手戦開始時におけるごとく駒を並べ、相互に手を進めて右のような動けない駒組(駒組という語が適当でなければ配置といいましょうか)に最短手順で持って行きたい。手順と図面を求む。
 但し、その駒組に達する経過中、敵駒に「取り」がかかる手はゆるされない。
 ヒント
 これは発見してもらいたいのですが角をうまく使うこと。
 (西田尚史)

※ 「王将」 その12で正解を紹介します。この図を最短手順でつくれという問題ではなく、上記の条件に合う図を最短で…ということです。


「第一回 一握り詰募集」
 使用駒 飛角金銀銀桂歩歩(これに玉を加えて計9枚)
 締切6月30日
 発表9月号


「詰将棋名局鑑賞」塚田九段
 二代伊藤宗印の不成百番の紹介です。

『将棋精妙』第17番

070017

23歩、同飛、32飛生、21玉、33飛成、11玉、12歩、同玉、13歩、11玉、
21角成、同飛、12歩成、同玉、13龍
まで15手詰

 塚田九段は
同玉と取って23飛成、22金合以下21手を正解としていますが、作意としては15手詰でしょう。



『将棋精妙』第33番

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14銀、同玉、24金、同金、同飛、13玉、14飛、23玉、13飛生、32玉、
33金、41玉、42金、同玉、43飛生、31玉、32歩、同玉、24桂、31玉、
33飛成、41玉、32桂成、52玉、42成桂、61玉、31龍
まで27手詰



「詰将棋百話」清水孝晏
 無仕掛け図式

 「無仕掛け図式中、最も傑出したのが裸玉作品ではなかろうか?」ということで、裸玉図が紹介されています。


「詰将棋研究室」

 この月より全科の解答可になりました。


「詰将棋研究室 4月号解説」

 奥薗幸雄作「左右フック」の余詰順と修正図(清水孝晏による)が掲載されています。


「自画自讃」會津正歩(渡部正裕)

 将棋落英集--これは全部で六巻から成る自作集の名である。計三百局。この三百局はいわば「精選詰将棋」で自分の気に入った作ばかり。気に入らずに捨てた詰将棋はちょっと勘定ができない。五百はあることは確かである。
 三百局中、半数は曲詰、イロハ、ABC、和洋数字、アラカルトと色彩はなかなかに多彩である。発表局数は全部で五月現在七十六局。
 落英集第四巻から抜いた一局が下図。

Photo_4

作意=52龍、同歩、33金、54玉、55歩、同玉、46金、同銀、44角成、同玉、

35銀右、同銀、54金、同玉、53桂成、同歩、55歩、同玉、45飛、54玉、
46桂、同銀、55歩、同銀、43飛成、同歩、45銀
まで二十七手詰。

 何の字が現れました? おわかりにならない方は盤に並べてその妙手順を御賞味下さい。

     ×     ×

 最近は創作より、各種の詰棋の統計を取って数字と取り組んだり、各誌の原稿を書いたり、その草案を練ったり検討をしたりしている。創作方面は一応完成、詰棋解説も幸に好評で、又詰棋解答も番付の横綱に二度ランクされ能事成れり安ドの胸をなで下ろしている。さし将棋も近隣に敵無く毎夜腕が夜なきしている。あまり強くなるのも考えもの。
「私」という人間に対する自画自讃である。呵々大笑。

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 「下」の字でしょうか。

 
44角成、同玉、35銀右、54玉、55歩、同玉、46銀以下。
 
34金、同玉、46桂、43玉、34銀、32玉、33桂成、41玉、42成桂、同玉、54桂以下。
 
35銀直、同銀、53桂成、46香合、同飛、同銀、34金、同玉、46桂以下。
 
53桂成、33玉、42飛成以下。

 これは杜撰でした。
 12月号の「読者の広場」で、
詰鬼人がの余詰を指摘しています。


「読者の広場」
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「希望と質問」
(1)読者の広場を拡張せよ。
(2)初、中級程度の詰将棋をもっと多く載せよ。
(3)研究室に詰手数を書くことは解答の手がかりともなる。やめてもらいたい。
(4)複式詰将棋も載せよ。
(5)詰将棋パラダイスの最終号は何年何月のものであったか。

 複式詰将棋とは、双玉図のことです。
 最後の質問は場違いで笑いました。
 編集部の答え「27年蘭秋号(第3巻第7号)以後は出ていないようです」。
 さらにこれには続きがあって、翌月8月号の「読者の広場」で別の読者から「先月号に詰将棋パラダイスの最終号についての記事がありましたが、二十八年に、一月号と五月号と六月号を発行して休刊した模様です」と正確な答えがありました。


「詰将棋評価論」川崎弘

 詰将棋作品を数値化により評価する試みです。「傑作とは何か」「形の理論」(いずれも『北斗』所収)へと整理されていく論考ですので、同作品集(全詰連書籍部で扱っています)を見てもらいたいと思います。


 「近代将棋」7月号別冊付録は「自分でわかる棋力テスト」。

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