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2013年12月19日 (木)

完本『詰将棋 トライアスロン』その61

 63日間にわたったトライアスロンも、本日ついにゴールを迎えるのである。

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1994年12月号
玉位置の謎

 詰将棋作家はベートーベンやモーツァルトにはなり得ない。次から次へと作ってもだ。なぜなら、詰将棋は音楽ではないのでね。音楽は聴覚の世界の産物であり、詰将棋は感覚の世界の産物である。作図三昧のとき、耳には何も入らず、眼だけが駒の動きを追っている。この状態を入魂の作図とは言わなかったかしらん。
 ところで、無双には謎がいくつかある。図巧にも謎がいくつかある。どちらにもある謎の一つが玉位置の謎。
 そのことに触れる前に、むかしあった有名な論争を。もちろん玉位置について。
 田宮克哉氏が次のように主張され、
◇図面の配置のこと
 「左型」にしなければならない特別の理由のない限り「右型」に書く方がよいと思います。理由──どちらでもよいのなら、どちらかに統一した方がよい。決めるのなら、「右型」が自然。
 「特別の理由」とは美濃囲いとか実戦型を表す場合などがあります。但し次の見解を持つ場合は一層スッキリします。例えば「金」とは「金将」と云う駒ではなく金将と同じ性能を持つ「ことがら」に対する符号と考えると、詰棋観はガラリと変って来ますから、美濃囲いもヘチマもありません。従って玉方上段の成駒なども、それは効力の座標点を示しているのですから、どこにあってもかまいません。駒をあくまでも「将棋の駒」と見るか性能だけをひきだした「オヴジェ」と見るかによって見解が別れることでしょう。更に付け加えたいことはナマハンカではいけないことです。「将棋の駒」と見るならば私の近所の実戦派の人の云う様に「大凡、実戦に出てくる筈もない突飛な形の詰将棋なんて意味がない」の言に賛成すべきでしょう。(詰パラS32年11月号)
 巨椋鴻之介氏が次のように反論された。
◇玉位置統一論について
 田宮氏は再三、玉位置を右辺に統一せよと主張されているが、小生は作者の立場から(というよりは、むしろ、作品というものが、それを産み出す人間とどれほど深い関係にあるかを知る者の立場から)これには賛成できかねる。
─その理由─
 一つの作品の玉位置というものは、決して偶然ではなく、作者にとっては確然たる意味を持っているからです。
 多くの人々が右効きであることを見越して、主眼手を左へ持って来るというような場合もあるし、そのようなハッキリした理由のない場合でも、ちょっと苦心した作ともなれば、作図中、気分転換のため、玉を右へ移し左へ移して苦吟した結果が誌上に発表される作品となっているのである。
 (左右転換すると不思議によい知恵が湧く
 ─これが小生の経験)
 つまり、図に表われた玉の位置(勿論他の配置駒でも同様だが…)というものは、作者の苦心と作品への愛情の象徴ともいえるものなので、この点を見逃しては、図巧や無双に於ける玉の全格配置の真の意味を味わうことことは出来ないと思う。
 田宮氏のいわれる統一案は、主に初心の方々の混乱を避けるためらしく、この意味でならば、作者は初心向作品に限り玉を右辺に置くという「好意」を示してもよいのだが、これは絶対に規則で決めて統制すべきことではないと思う。
 以上のような考えは、世の中が万事機械化されて行く時代でも、詰将棋は一局一局に愛情を注ぎながら、コツコツと作って行くより仕方がないのだし、またそれが詰棋というものの、大きな魅力の一つをなしているのです。
 数字で割り切ろうとしても決して思うようにならない詰棋の魅力、そしてそれに関連した詰棋のこの手工芸品的な性格、これは、是非とも残して行きたいものと思う。(詰パラS33年2月号)
 「図巧や無双に於ける玉の全格配置の真の意味」というのが今回のテーマである。いやいや、例によってコジツケですよ。いつもの通り軽薄にね。

「将棋無双」
Muso

「将棋図巧」
Zuko_2

 無双と図巧の全格玉配置については、門脇芳雄著「詰むや詰まざるや」には次のようにある。
◇玉位置の配列
 「無双」と「図巧」の作品は、じつに優雅な配列がしてある。すなわち、全作品は玉位置順に並べてあり、偶数番の作品は玉を盤の右半分に、奇数番は玉をそれと対称の左半分に配置し、しかも作品番号順に玉位置が規則的に変わり、盤面81格の全位置に玉が配置されている。一番と百番も対称になっている。
 両書の玉位置を表示すると、次の通りである。(枠内数字は作品番号を示す)
 これはまことに奥ゆかしい趣向で、詩で韻を踏むのに似ている。盤面81格の全位置に玉を配置した作品を揃えることは並大抵のことではなく、しかも作品がこれだけ高い水準であることには、いまさらながら驚嘆する。
 このような玉位置の対称配置の元祖は、四世名人大橋宗桂(象戯手鑑)で、彼以後の献上図式は全部同趣向を伝統としているが、宗看・看寿以外は空欄があり、81格配置は達成できていない。
 古今で81格全位置に玉位置を達成したのは、宗看・看寿を含めてつぎの五人だけで、いかにこの完成が難しいかが知られよう。
 1伊野辺看斎「将棋手段草」(享保9年)
 2伊藤宗看「将棋無双」(享保19年)
 3伊藤看寿「将棋図巧」(宝暦5年)
 4松本明雅翁「将棋万象」(明治38年)
 5二上達也「将棋魔法陣」(昭和28年)
 「偶数番の作品は玉を盤の右半分に、奇数番は玉をそれと対称の左半分に」といわれているところ、無双の1番と100番だけが逆になっている。「一番と百番も対称になっている」といわれているところで“訂正”されたのかもしれない。

【無双1番】
60_muso1

【無双100番】

 

60_muso100

 無双の1番と100番だけがなぜ逆になっているのか。1番を左側に、100番を右側にすれば偶数番は右側、奇数番は左側になるのにね。なぜそうしなかったのか。ここに「玉の全格配置の真の意味」があるのかもしれない。
 ものを見るとき、視線は左から右へ動くという。そのような習性をもっているという。だとすると、詰将棋は視覚の世界の産物なので、そのことと関係があるのかもしれない。「左型」の作品はいきなり目に飛び込み、「右型」は視線が左から右へ動いて目に入るわけで目にやさしい作品といえるかもしれない。実戦型の場合、「右型」の作品が好まれるのはそのせいかもしれない。
 作図中、玉を右へ移したり左へ移したりするのは、そういった感覚の違いを無意識的に知っていて、それを利用しているのではないだろうか。
 無双1番は「43玉」だったからあの手順が得られたのではないか。「63玉」だったら別の手順になっていたのではないか。
 無双100番にも同じことがいえるのではないだろうか。「63玉」だったからあの手順が得られ、「43玉」だったら別の手順になっていたのではないかと。
 その1番と100番を宗看の感性が配置替えするはずがないか。
 無双の玉位置の対称配置は1番と100番、2番と3番、4番と5番……となっている。なぜ1番と2番、3番と4番、5番と6番……とはしなかったのだろうか。2番を1番とし、3番を2番とする。一番ずつ若くすれば1番は99番となり、次が100番というわけですっきりすると思うのだが。
 まさか1番を巻頭に据えたということではないよね。1番はそれほどの作品でないし──。

【図巧1番】
60_zuko1


 

【図巧100番】
60_zuko100

 図巧の場合はどうか。やはり1番と100番、2番と3番、4番と5番……となっている。1番を巻頭に据えたということはあり得るかもしれない。名作なのでね。
 だが、どうも違うような気がする。看寿は宗看の顰みにならったのではないかという気がするのだ。
 待てよ、無双の作品の順番は1番、100番、2番、3番、4番……ではなく、100番、1番、2番、3番、4番……ではないのか。ふと頭をかすめたのが順列七種合。「歩香桂銀金角飛」の順序を「飛歩香桂銀金角」とする。これでも順列七種合だよね。飛を頭に持ってくるのはそれなりのわけがあるからだが、そうか、宗看もそうだったのだ。
 宗看は100番を巻頭に据えたかったのだ。いや、据えたつもりだったのだ。「飛歩香桂銀金角」の「飛」というわけなのだろう。100番はそれほど気に入った作品ということかもしれない。これが半分の理由。そしてもう半分の理由は宗看の遊びだと思う。23歳から28歳まで五年間で100局を作ってしまった天才、その宗看の究極の境地は遊びだったのではないか。無双61番などにそれが表れている。看寿もいきついたところはそこだったに違いない。図巧52番などで宗看を喜ばせ、いや、それより図巧の玉位置の配列がまさに無双のコピーで、これには宗看、呵々大笑したことだろう。
 宗看もしあわせ、看寿もしあわせ、この兄弟愛は羨ましい限りである。
 看寿は42歳で没し、その翌年、宗看も56歳で没した。
 宗看と看寿の関係は、兄弟のようでもあり、親子のようでもあったのではないか。
 宗看と看寿は私の永遠のライバル──。
 さて、紙数が尽きたようである。
 友よ、さらば。

-----これにて、一件落着-----


完本『詰将棋 トライアスロン』の掲載を終えて

 いかがでしたか?
 最近、平安時代の物語や日記を読んでいるのですが、『落窪物語』の中の何気ない一文に、なぜか心を打たれました。

 誰も誰もいとうれし。

 継母に虐げられていた落窪の君を権門の青年が救い出し、主従ともども一台の車に乗って「飛ぶやうにして出で給ひぬ」さまの描写なのです。
 「詰将棋 トライアスロン」が、誰も誰もいとうれしく読んでもらえたのであれば幸いです。

 私自身は入力していてとても愉快でした。自慢話が多いですが、天真爛漫(失礼かな?)としているので嫌味がありません。いわゆる名文ではないかもしれませんが、心地良い文章でした。

 最も気をつけたのは、当たり前ですが転記の誤りです。初めて「詰将棋 トライアスロン」を読む人は、原文を参照することができないのですから責任重大です。にもかかわらず、後で見直してみると、何やってんだかと思うような誤りがいくつもありました。「皆勤」を「解禁」とするたぐいで、これは手書きなら絶対にしないような誤りですね。実は、アップ後もほとんどの回に二度三度と手を入れています。気がついた誤りは、今後も直していくつもりですのでご寛恕願います。
 また、原文自体の誤りをどうするかも悩んだところです。送り仮名の問題もありました。基本的に、明らかな誤字・誤植は直し、脱字は補い、送り仮名は触らぬようにしていましたが、はじめの方では触っていたようなので、これも不徹底に終わっていました。誤字・誤植・脱字を正すには厳密にはその都度(註)を付けるべきなのでしょうが、そこまで要求されることはないでしょう。送り仮名はいろいろ思うところがあるので原文に戻しています。
 同時に、当然ながら図面には間違いのないよう注意を払ったつもりです。また、原文は縦書き三段組みなのに対して、こちらは横書き一段なので、図面を原文通りの場所に入れることはかなわず、どこに入れれば落ち着きがよいかも考えました。図面の誤りについてはいくつかご指摘をいただいたので、あらためて見直したいと思います。
 詰手順についても再度点検しているところです。原文が「不成」なのに当初は一律に「生」としていたのはいただけませんでした。その4までは原文でも「生」でしたが以降は「不成」なので、訂正してあります(ただし、その18「七種合②」のC図の詰手順では「生」と「不成」が混在しています)。また詰手順の「○手詰」もその4からは「○手」に変わっているので、これも直しました。
 なお、原文の詰手順や変化手順などの記述には読点はなく、間にスペースが入っているのですが、読点を入れる方がリズム良く変換できてしかも見やすかったので、そのままにしてあります。掲載の最初の方で述べましたが、原文の表記はその3「煙詰のルーツ」までは手順は図面の直下でなく末尾にまとめてあり、数字+漢数字になっています。いっそのこと、そこまで徹底して直そうかとも思いましたが、横書きだと読みづらいのでこれはやめました。

 内容はご覧いただいた通り、無双と図巧への深い理解とこだわり、煙詰に係わる作者の美学、打歩詰や遠打などの主題による作図の紹介、不完全作の修正やルールについての見解、改作過程の披瀝、詰棋交友録、詰棋界の時事的な話題についての言及など多岐にわたっており、筆者の圧倒的な作図力とともに、詰棋全般にわたる関心の広さと深さを伺わせる好読物であると思います。その53「あれこれ決めるべからず」の合駒非限定に係わる主張はまさに道理ですね。
 推理小説好きで、またスポーツ紙を愛読されていることもよく分かりました。(^^;

 注記は、最小限にしたつもりです。打歩詰の話題ではコメントしたいところもあったのですが、茶々を入れるのがトライアスロン掲載の主旨ではないので控えました。一点だけ述べておくと、その56「癖即作風」に出てくる北原氏作は新手ではなく、湯村光造氏の「歩詰手筋総まくり」によれば伊藤果氏の先例があります。
 実のところ、私は煙詰や曲詰、○○図式といった条件作にはあまり興味がありませんし、駒場氏の作品の真骨頂は煙詰にではなく「地雷原」のような長篇構想作にあると思っています。

 登場作は、重複局を除く実数で141局(原図と修正図はまとめて1局と数える。ただしその57「夢芝居」の駒場氏作2局は新作として扱う)、図面のある登場作家は47人です(古作物のうち、作者不明分3局は人数には入れない。合作は別個に1人と数える。鳥越九郎氏と鳩成平氏は同一人物なので1人と数える)。

作者 作品数 作者 作品数
有田辰次 1 小峯秀夫 1
有馬康晴 1 佐々木聡 1
飯田岳一 1 七条兼三 6
伊藤看寿 15 小菊花 1
伊藤宗印(二代) 2 相馬康幸 1
伊藤宗看(三代) 14 添川公司 1
伊藤 果 1 高木秀次 1
伊野辺看斎 1 田中 至 1
上島正一 1 鳥越、鳩 2
上田吉一 1 内藤国雄 1
大橋健司 2 橋本 哲 1
大橋宗桂(五代) 1 原田泰夫 1
大橋宗桂(八代) 1 深井一伸 1
大橋宗桂(九代) 2 堀 半七 1
岡田 敏 1 森 敏宏 2
奥薗幸雄 1 森田正司 1
金子清志 1 宿利 誠 1
金田秀信 1 柳田 明 1
北川邦男 1 山田修司 4
北原義治 2 山中龍雄 1
北原+駒場 1 湯村光造 1
久留島喜内 5 米長邦雄 1
黒川一郎 6 若島 正 2
駒場和男 41 作者不詳 3

(敬称略、50音順)

 意外に思ったのは、巨椋鴻之介氏の作品が一局も採りあげられていないことで、北原・巨椋時代の一方の主役が登場しなかったのはどうにも解せません。
 話題の転換に必然性があるとは思えない展開もまま見受けられましたが、これも談論風発というものかと妙に納得させられました。しかし、終盤では全体の3分の2を引用が占めるような回もあり、さすがにお疲れが目立ってきた感は否めません。

 最後に、『ゆめまぼろし百番』でも修正が不調に終わった「春雷」について。
 同書では、その58(及び60)のC図の33歩が玉方21金になり、攻方72銀、玉方63角、54玉の配置から、63銀生、53玉で始まる21手詰に変わっています。

21

63銀生、53玉、97角、同歩成、55龍、63玉、61飛成、同金、74と、同玉、
96角、同と、64龍、85玉、75龍、94玉、95歩、同と、74龍、84歩、
83銀生まで21手詰

 この配置では、44角、63玉、61飛成、同金、74と、52玉、63と、41玉、52角、
同金左、53角成、42歩合、52と、同金、同馬、同玉、53歩、同玉、55龍、54歩合、44金、52玉、54龍、41玉、52金、32玉、42金、同玉(22玉は33金、同玉、43金、22玉、24龍、11玉、13龍以下)、43金、31玉、32歩、同金、同金、同玉、23金、41玉、42歩、同玉、43桂成以下の余詰があります。
同玉は54角、
74玉、83銀生、85玉、63角成、86玉、87歩、97玉、98歩、同玉、48龍以下。「かぐや姫」の収束を思い出させるような手順ですね。
52玉なら62角成、同金、42龍、同玉、43桂成、51玉、52歩以下です。
31玉は22角成!、同玉、42龍、32飛合、23金、11玉、12歩、同飛、同金、同金、23桂生以下。
52同金右は、同と、同金(同玉は62角成以下)、53角成、42歩合、52馬、同玉、53歩、同玉、55龍、54金合(54歩合は44金、52玉、54龍、41玉、42金以下)、52金、63玉、64歩、52玉、54龍、41玉、52金、31玉、42金、同玉、43龍、31玉、33龍以下。
42香合や銀合は、52と、同金、同馬、同玉、62金、同玉、42龍以下。
42桂合は、52と、同金、同馬、同玉、43龍以下。
 同書の記述から推測するに、63とから22角成!が読み抜けのようです。
 また、2手目63同玉、4手目86香合の変化は、同書ではいずれも2手変長とありますが、63同玉の方は以下61飛成、同金、74と、同玉、75歩、65玉、76角、75玉、57角、64玉、44龍、63玉、64歩、62玉、42龍、52合、53金、71玉、93角成、82香合、63桂、72玉、83と、同香、同馬まで、正しくは6手変長なのです。同書には64玉の変化の記述がなく、読み抜けかと思われます。
 33歩配置でも、その58のF図34歩配置でも44角以下の余詰があることは、その58の注記で述べました。

Photo

 「修正三原則」による私の案です。
 余詰、変長などの問題点はすべて解消していると思います。
 2手目63同玉は、74と、同玉、75歩、65玉(85玉は63角、94玉、95歩以下)、61飛成、同金、74角、54玉(=77香配置の意味その1)、55歩、53玉、64角、62玉、42龍、52合、53角成、72玉、83角成まで2手早い。
62玉は、42龍、同金、44角、53銀合、63と、同玉、61飛成、62合、72角、74玉、75金まで。
52玉は、63角、62玉、42龍、同金、61飛成、同玉、72金以下。
 玉方34銀配置なら、44角に63玉、61飛成、同金、74と、52玉で62角成が効かない(同金、42龍、同玉、43桂成を同銀と取れる)ので詰みません。63とと追うのも、同玉、54角、52玉で逃れ。
74とは、同玉、75歩、85玉、76龍、94玉で馬の利きが強く詰みません。
 4手目86香合は同角と取らず、55龍、63玉、61飛成、同金、74と、62玉(同玉は、64龍、85玉、63角まで=77香配置の意味その2)、73と、同玉、64龍、72玉、54角、82玉、81角成まで17手です。

 読んでいただいた方々、コメントをいただいた方々、そして毎回リンクを貼って下さったTETSUさんに深くお礼申し上げます。

2013年12月18日 (水)

完本『詰将棋 トライアスロン』その60

1994年11月号
動機の謎

 あたしゃ佐野洋の「推理日記」のファンである。その中に──。
 「森村誠一が『小説推理』に『推理小説のセールスポイント』という特別エッセイを書いていることを、三つの謎(犯人、動機、犯行方法)を中心に図式化すると、つぎのようになる。
①動機-謎の次元としては、動機のほうが高いかも知れないが、私はそこに推理小説でなければ描けない個性的で強烈な謎を感じないのである。動機の謎は人間の謎である。人間の謎をよみたければ、推理小説でなくてもよい。
②犯人-だが、本格子好みではあっても、『犯人は誰か』スタイルの推理にはほとんど惹かれない。それは、どんなに意外な犯人を持ってきたつもりでも、登場人物の中に限定されているからである。
③犯行方法-ところが、犯行方法となると無限の創造が可能である。奔放な想像を、いかにして現実らしく描くかという点に作者の腕の振いどころがある。
 そこで、推理小説のセールスポイントを、『一、犯行方法、二、動機、三、犯人』の順に並べると、いうのが、前記エッセイであった。
 『動機の謎は人間の謎である』と、彼は言う。それ自体は間違ってはいまい。しかしそれが直ちに『人間の謎をよみたければ、推理小説でなくてもよい』とは行かない筈である。
 AがBを殺した。この場合、Bの死によって、Aが利益を受けることが、誰にでもわかるというのでは、『動機の謎』はない。
 Bは日ごろからAをかわいがっていた、それにもかかわらずAはBを殺した。ここに初めて『動機の謎』が生まれる。
 Dの死によって、Aは明らかに不利を招く。それにもかかわらずAはBを殺した。しかも、それは『利益の犯罪』であった。不利と思われたことが、実は大変な利益に結びついていたのだ……。少なくとも、これは推理小説の扱う問題であり、『動機の謎』と言えるのではないか。」
 「『犯人は誰か』の問題にしても、同じことが言える。彼も言っているように、推理小説では、犯人は人数による枠の中に限定される。しかし、それが直ちに意外性がないというのは推理小説に於ける『意外性』なる言葉を誤解しているからではあるまいか。
 この『犯人』の問題は、本来『動機』と関り合いを持っているのだ。
 AがBを殺すはずがない。あるいはBを殺す動機がない。さらに読者の盲点になっている。ところが、やはりAだった。そして小説を読み返してみると、いつも伏線が張られていたというのが『意外性』であり、読者はどう考えても、考えつかない人物を、犯人に求めてはいまい……。
 以上、要するに、『動機』『犯人』の謎は、作家が巧く書くか否かにかかっている問題なのだ。」
 「ところで『犯行方法』の謎はどうであろう。森村は『無限の想像が可能』だという。果してそうだろうか? また『奔放な想像を、いかにして現実らしく描くかという点に作者の腕の振いどころがある』とも言う。しかし、それは小説を書くことではなく、単に一つの『状況』を書くことではあるまいか。『犯人』『動機』の謎は、小説技術を抜きにしては成立しないものであるのに反し、『犯行方法の謎』つまり、狭義のトリックは、日本では往々にして、それ独自で価値を持つかのように遇されて来た。
 犯行方法を考える──この心理過程は、まだ推理小説家のものではない。架空の犯罪者の心理過程である。
 だから、森村誠一が『セールスポイント』なる言葉を使って、『犯行方法』を第一に置き、他の二つに『惹かれない』と言い切るとすれば、それは、推理小説家であることを放棄し、犯罪技術教科書の作家でありたいと宣言することになりはしないか。」
 所々割愛せざるを得ず、そのために意味がわからなくなったところも生じたかもしれない。論理的に畳み掛けるこの文章にして初めて推理小説は書けるのだろうね。
 さて、推理小説の三つの謎(犯行方法、犯人、動機)ということは、詰将棋の場合にも当てはまる。
 あれはむかしむかし、本の間から一片のメモ用紙が出てきた。見ると、詰将棋が書いてある。それがA図。

【A図】
60a

 私の作品ではない。作風というものがあり、配置を見ただけで判別がつく。
 私の下手な字ではあるので、いつかどこかでメモったに違いないのだが、それが思い出せない。ハテ……。
 このときのA図には犯行方法の謎、犯人の謎、動機の謎があった。犯行方法とは作意であり、犯人とは作者であり、動機とはまさに作図の動機である。
 この三つの謎を目の前にして、あたしゃ名探偵ならぬ迷探偵、何度も頭を掻きむしりましたよ。そのせいか近頃大分頭の毛が薄くなりましたけどね。
 とにかく、まずはA図を解くことである。作意の発見は犯行方法の発見である。それによって作風(手口)などから作者(犯人)もわかるのではないか。
 A図は実戦型ではない。だが、駒のつながりが実戦型的である。このことからも作者は実戦型の場数を踏んでいるということがわかる。
 A図を睨んで十数分、さらに十数分、遂に作意に到達。
 作意
22歩成、同玉、31角、11玉、21角成、同玉、
12銀、32玉、42角成、22玉、
32馬、同玉、52飛成、同金、23銀打、33玉、31龍、44玉、34龍、53玉、
54歩、42玉、31龍、43玉、44金、同玉、34龍まで27手

43香成は、同玉、21角成、33玉、42角、同金、31龍、32香合、同馬、同金、同龍、同玉、34飛、33銀合以下不詰
22銀は、32玉、33銀打、23玉、24歩、同金以下不詰
52飛成は、同金、42角成、同金、21飛成、33玉、23龍、44玉以下不詰
23銀打は、13玉、31馬、24玉以下不詰
12玉なら、13銀、23玉、12銀打、33玉、42角成、同金、31龍、32金打合、42龍、同金、23金まで
又、33玉なら、43香成、同玉、34角成、54玉、64金、同歩、同角成まで
12同玉なら、13銀、23玉、22角成まで
42同金なら、21龍、33玉、23龍まで
42歩合なら、同香成、22玉、51成香、33玉、43金、24玉、22龍、15玉、26銀まで

【途中図】
60a_2

【終了図】
60a_3

 途中図は8手目32玉までの局面である。本図のテーマは邪魔駒消去である。その邪魔駒とは、何と途中図の31角である。信じられないよね。31角は途中図までの手順の主役である。それが途中図では邪魔駒になっている。その構成の妙もさることながら、途中図からの42角成、22玉、32馬、同玉という邪魔駒消去の手順の妙、これはもう只者ではありませんよ。そこへ持ってきて、きわどい紛れ筋、変化筋。これを作風と言わずして何ぞや。実戦型難解派が何人か私の頭をかすめた。
 待てよ、この道はいつか来た道……。
 微かに記憶がよみがえってきた。あれはたしかに酒席でのこと。A図が本図を出題した。B氏の作品だよと言って。段々思い出してきた。そのとき私は本図を解いた。かなり酩酊していたし、すっかり忘れていた。
 A氏が誰かも思い出したし、B氏が誰かも思い出した。このことを「詰棋めいと」第三号(S60年8月15日発行)に発表。「B氏の遺作」として。ところが、これはとんでもないミスであった。B氏は健在で、つい最近も塚田賞を受賞されている。有田辰次氏こそその人である。
 未解決なのがA図の作図の動機である。なぜ作図されたのだろうか。どこにも発表されなかったのでね。謎である。

 ところで、あたしゃ本当におっちょこちょいなのかもしれぬ。ミスのオンパレード。またかまたかと何度舌打ちしたことか。そしていままた──。今度は15年前のミスに気付いたのでね。
 B図は「春雷」の作図中の一局面である。

【B図】
60b

 B図から、51玉、43桂不成、同金、61龍、42玉、52龍以下というのが15年前の余詰手順である。この手順を私は信じていた。
 あんた泣いてんのね
 だから言ったじゃないの
 というわけで、この手順を信じていた私がバカだった。
 B図の64龍に対して63歩合、私はガバと跳ね起きた。明かりをつけて、盤駒を取り出して、そして。
 63歩合に対し、同角成は51玉以下不詰、同龍は51玉、43桂不成、41玉、61龍、32玉以下不詰。43桂不成の所61龍は同玉、62歩、同玉、63金、51玉以下不詰である。
 ということは、合格者を不合格者としていたということである。
 C図は完全だったのだろうか。だとしたら、「34歩」より「33歩」のほうが形は自然である。C図を完成図とすることにするか。

【C図】
60c

 なさけないのは63歩合に気付かなかったことだが、63歩合が普通の手だけにかえって盲点になっていたのかもしれない。
 正情報であれ誤情報であれ、詰将棋作家の頭の中にインプットされると、その情報はいつ引き出してもそのままである。
 いずれにせよ、当時の私の検討がいかに杜撰だったかということだよね。いまさら反省しても仕方がないんだけど、まだ生きていてよかった。修正することができるのでね。
 詰将棋作家は夭折してはいけませんよ。自分の作品に責任を持たなきゃ。
 とはいうものの、“詰狂老人”にはなりたくない。たかが詰将棋であり、されど詰将棋ではないのでね。
 あんた妬いてんのね
 誰も妬いてないって

※ 注記
C図はその58で述べた通り余詰。

-----つづく-----

2013年12月17日 (火)

完本『詰将棋 トライアスロン』その59

1994年10月号
画竜点睛

 短編作家はかつての日本軍である。長編作家はかつてのアメリカ・イギリス・フランス軍である。かつての日本軍は十人、八人、六人といった小集団、つまり“分隊単位”の戦いには強かった。だが、旅団や大隊、中隊という戦略を要請される戦いには弱かった。戦闘には強いが戦争には弱いのが短編作家、戦争には強いが戦闘には弱いのが長編作家というわけである。
 南條範夫著「豊臣秀吉」の中に──。
 「ここで、小説としては不必要な注釈を少し加えておく。筆者の悪癖の一つだと思って御容赦頂きたい。
 小牧の役と云われるのは、天正十二年三月から十一月まで八ヵ月に亙る秀吉対信雄、家康の戦争である。その間に、犬山城奪取、長久手の闘い、伊勢諸城の攻略、その他多くの戦闘が含まれており、同時に多くの政治的外交的工作が含まれている。ところが一般的には、長久手の戦闘を以て小牧役を代表させ、甚だしきに至ってはこの両者を同義語に解しているものが多い。これは驚くべき曲解であるが、このような誤った考えを一般化したのは、ほかならぬ徳川氏である。徳川氏は、三百年に亙って、長久手の勝利を以て小牧役の勝利だとし、この役に秀吉は敗れ、神君家康が勝ったのだと、強弁しつづけた。だが、小牧の役とは一定期間(八ヵ月)継続した一つの戦争である。長久手の闘いはその間に一定場所で一定日時に行われた一戦闘に過ぎない。戦闘の勝利と戦争の勝利は別のものだ。戦闘は単なる軍事行動であり、戦争は多くの軍事行動と、政治外交経済一切の場面における工作とを含む全敵対行動なのだ。いくつかの戦闘に勝っても、戦争に敗れることは珍しくない。真珠湾で、シンガポールで、マレーの戦闘で勝った日本は、太平洋戦争で完敗している。賤ヶ岳の戦いは、織田家内部の覇権争いであったが、小牧の役は実質上天下分け目の戦いであった。これに勝ったものが天下の覇者となると見られた戦いである。徳川氏の強弁する如く家康がこの役の勝利者であるならば、何故、家康が先に天下をとり得なかったか、何故、敗者である秀吉に叩頭してその家臣となったか。答えは明白だ。この天下分け目の戦いに秀吉が勝って家康は敗けたのだ。
 この役、秀吉は長久手や羽黒や蟹江で敗れたが、凡てそれは敵地内であり、寸土も奪われていない。逆に、敵の犬山城を奪い、尾州に侵入し伊勢伊賀の殆ど凡てを攻略して手中に収めている。戦争総体を通観すれば、軍事的にさえ、秀吉方が勝っている。まして、肝心の表看板の信雄を家康の鼻先で掠めとり、敵首脳を両断して戦争の口実を失わしめた政治方略に至っては、断然、秀吉方が優っている。家康は全く間の抜けた、収拾のつかない状態に追い込まれたと云ってよい。少くもこの時点での政治感覚の欠落は覆いようもない。この明らかな事実を無視して、徳川氏が小牧役勝利を呼号してきたのは、長久手役が秀吉に対して勝利を得た唯一の例であり、唯一の誇りだからである。徳川氏ばかりでなく、後に徳川氏の幕下になった諸大名は、徳川氏に対する忠勤ぶりを示そうとして、その藩祖が長久手の役で如何に奮戦し、いかに功績があったかを、必死になって書き立て、多くの伝説をこしらえ上げた。戦国の戦闘で、わずか一日の戦いに、これほど多くの史料が残っているものはほかにない。(大日本史料に引用されている抄記だけでも四百七十頁に及んでいる)徳川三百年を通じて、すべての御用学者が、言葉を尽くしてこの闘いにおける神君家康を賞讃し、その軍事能力は秀吉以上だと宣伝した。もしそうならば、同じ筆法で、家康軍を上田城で二度までも撃破した真田昌幸は、家康以上の軍事的大天才と云うことになるのではないか。頼山陽と云う、実質以上に評価されている史家が、─東照公の天下を得たるは大坂にあり、大坂に非ずして関ヶ原にあり、関ヶ原に非ずして小牧にあり、と云った。爾来、明治後においてさえ、小牧の役を説く者はすべてこの言を引き、家康に軍配をあげ、或いは少くも互角の戦いをしたものと述べている。一戦闘と戦争全体との差異を知らぬ愚論であり、長久手の戦勝を過大評価する徳川三百年の心術から脱却できない迷妄の論としか云いようがない。政治外交工作によって敵の首脳陣を両断し、一方を他方の知らぬ中に懐柔して単独講和を結んでしまうと云うのは、戦略として最も卓抜なものであり、戦闘における勝利などとは比較にならぬ決定的大成果なのである。」
 私は根っからの秀吉ファンである。我が意を得た思いがしたものである。それはともかく、短編だけでは「天下布武」というわけにはいかない。一国一城の主だけで終わってしまう。ボーイズビーアンビシャス、長編を作り給え。天下を取り給え。

 かつて某氏が次のように言っておられた。
 「“一万の駄作より、ひとつの傑作”。ある高名な詰作家がこのようなニュアンスの言葉を時々書いておられる。別に多作家を批判しているわけではなく、どうせ同じエネルギーを使うのなら感動する作品をものにしようじゃないか、と言っているのだと私は解釈している。」
 この某氏も長編作家で、ときどき凄いのを発表しておられる。
 私は“一万の短編より、ひとつの長編”というニュアンスでしゃべっているつもり。短編だけでは天下は取れないからだ。
 ところで、本誌では15手までを短編、35手までを中編、それ以上を長編としている。17手と37手が一番割をくうけれど、どこかで線を引かなければならないわけで、やむを得ないのかもしれぬ。
 長編作家としては、冗長部分を切り捨てれば37手で長編も可能と言われているような気がしなくもない。長編とは、長編のテーマを長編の手数で表現する、というものなのだけれどね。それはつまり、長編のテーマを表現するには長編の手数を必要とするということなんだ。37手で表現できるものが果たして長編のテーマなのだろうか。とフト思ったりして。
 むかし某氏が次のように言っておられた。
 「最初盤面四半分位で、と考えていた構図は、半分にふくれ、やがては盤面の全面に広がってしまいました。」
 盤面四半分の構想を盤面全部で表現せざるを得なくなってしまったと言っておられたわけで、私はこれを他山の石としている。この逆を心掛けているわけである。
 詰パラH6年8月号到着。詰将棋作家のそれぞれの生き様が窺われて興味深かったのが次の二つ。
 読者サロン─。
岡田敏─私も明年古希を迎えることになりました。ここらで既発表千五百局余りから選局し、集大成の作品集「詰の花束」(600局収録)をまとめることにしました。600局の内訳は、①実戦型百番②清涼詰百番③不成百番④合駒百番⑤あぶり出し百番⑥その他百番の以上600局です。そこで本誌の読者の皆さんにお願い致します。私の集大成作品集の一頁を飾ってやろうと思われる方は、私の過去の発表作の中から一局を選んで、解説なり感想を書いて下されば幸甚です。作稿の要領は、17字×22字×3段で丁度、本誌の一頁分です。タイトルは「印象に残る作品」とか「私の好きな作品」とか、その他自由です。書き方は、本誌の平成5年10月号16頁以下を参照すればよく分かると思います。尚、作品の重複を避けたいと思いますので、作品集へ解説参加ご希望の方は、本誌平成5年10月号で解説されている12局を除いて選局して下さる様にお願いします。締切は8月末日です。
 44頁─。
堀内和雄─撮影者の弦巻カメラマンと会った時に、この詰将棋のことを訊いたら意外なことを教えてくれた。詰まないと分かったとき、米長さんは「もう一歩、どこかにあったんだ」と言ったという。初耳だった。図は、米長さんが作った図ではなく、「夢の中で解いた詰将棋」だという。消えた一歩は、どこにあったのか。まずA図を検討してみよう。

【A図】
59a

33桂打、22玉、31角、同金、21桂成、同金で、以下
33桂成、31玉、51飛打、41桂合で詰まない。

12飛は32銀合で詰まない。
52飛打は32金打で詰まない。
62飛は63歩合、同飛寄成、33金打で詰まない。62飛にすぐ32金打は33桂成、31玉、33成桂、同金、42金、同金、51飛成以下詰み。42金-51飛成はすごい順があったもの。
残された手は、初手23飛成と33桂不成であるが、これはいずれも切れ筋のようである。
 米長さんは3日も4日も考えていたらしい。一歩をどこかに置くだけで詰むのだという。それにしても、攻め方の歩なのか、玉方の歩なのか、それだけでもわかっていればいいのだが…。わたしも2、3日考えてみた。
の筋で37手、の筋で29手になる歩の配置を見つけたが、ここにはあえて書かない。の手順との手順は私の力ではどうにもならない。角建逸氏にきいたところ、米長さん自身が歩を57に置くと語ったらしいことと、七條兼三さんが調べたらしいと教えてくれた。玉方57歩配置で詰むことは詰む。が、収束が乱れすぎていて、本手順がどれなのかわからないくらいである。どなたか、米長さんの夢に挑戦して下さい。ただ一枚の歩を置くだけで「これだ!」と米長さんを狂喜させてやってください。
 前者についてもノーコメント、後者についてもノーコメントのつもり。ところが、
編集部─今年の全詰連大会で、原図に玉方35金を置けば7手目62飛に52歩合、同飛寄成……の手順で、35手詰の完全作になると、どなたかの意見がありました。
 事情通に素っぱ抜かれてしまった。“どなたかの意見”というのが編集部のそれなりの配慮かしらん。だとしたら─。
 あれはかなり前、秋葉原ラジオ会館で藤代三郎六段が思案投げ首の態。週刊将棋に出ているA図がどうやっても詰まないとか。藤代六段は知る人ぞ知る詰将棋作家、そして佐瀬一門の大番頭である。その藤代六段が詰まないと言うのだから、A図では不詰なのであろう。不詰では詰将棋ではない。ではどうやったら詰将棋になるかということになった。玉方35金配置がそのときの私の案である。
 それがB図。

【B図】
59b

33桂打、22玉、31角、同金、21桂成、同金、62飛、52歩、同飛寄成、32金打、
33飛成、12玉、32龍左、同金、13桂成、同玉、24金、12玉、23金、同金、
13歩、同玉、24銀、14玉、15歩、25玉、35龍、16玉、36龍、17玉、
27金、18玉、38龍、19玉、28龍まで35手
 A図の紛れ筋、変化筋が一手も漏らさず取り入れてある。これは上出来というわけで、ならばヨネさんに知らせようということになった。七條兼三氏経由で、そのハガキが米長さんの所に届いているはずである。
 それにつけても、秋葉原ラジオ会館は“梁山泊”であった。碁・将棋・詰将棋のつわもの共の溜まり場であった。
 ときどき見るんだよね、その頃の夢を。みんな元気で、笑っていてね。一つの時代を共有したという事実。これはいつまでも消えないし、そしてこれがいつまでも夢を見させるんだろうね。
 さてB図、もしかすると逸話として歴史に残るのではないのだろうか。将棋の名人の夢の中に現れた図に長編作家が駒を一枚加え、それで画竜点睛というストーリーである。この手のフィクションはよくあるが、実話でもあり、図面もちゃんと出てくるのは史上初である。割は長編作家のほうが少しいいけれど、餅は餅屋、仕方がないよね。
 実をいうと、名人と私はまんざら知らない間柄でもないのです。

※ 注記
27金で37龍なら? と思うのである。

-----つづく-----

2013年12月16日 (月)

完本『詰将棋 トライアスロン』その58

1994年9月号
変長

 詰パラ54年8月号──。
木脇克弘─図巧に21題、無双に28題の変長作のうち各々15題、19題は、修正できました。作業の過程で気付いたのですが、図巧の方は、変長順に逃げられないようにポンと攻方のとでも配すればいいタイプが多いのですが、無双の方は、構想がらみの変長が多いのです。つまり変長の質が違うのです。
 なるほど図巧と無双とでは、作図が違うと変なところで感心いたしました。私は、古典大好きです。鑑賞しながらついでに、せっかくの名画にとまったハエを追っ払ってみたのです。無論、原図をないがしろにする気持ちは、全くありません。図巧と無双全二百局を並べて一体何回長嘆息し、何回居住まいを正すべく正座し直したことでしょう。図巧12、13、15、39、50、57、無双1、43、47、53、55、64、65、74、96番を修正されました方はぜひ小生にご一報下さい。
 木脇氏は「無双の方は、構想がらみの変長が多い」とおっしゃる。その通りかもしれない。
 A図は無双1番。

【A図】
58a

 作意
42桂成、同金、33金、同金、44銀、
同金、33龍、同玉、45桂、同金、
34金まで11手
 変化

同飛なら44銀、52玉、42角成、62玉、74桂、①73玉、83金、同玉、33龍、同桂、81桂、以下詰み。63玉は、33龍、53桂合(33同桂は93飛、73合、53馬、74玉、85金、73玉、93飛以下)、85金、同玉、87飛、86合、83龍以下。①63玉は33龍、同桂、53馬、74玉、85金以下詰み。
又、同桂なら44銀、52玉、53金以下詰み。
又、52玉なら54龍、53歩(62玉は63歩、71玉、82銀以下)、同角成、同桂、63金、41玉、42金、同飛、33桂、32玉、23銀、同玉、24龍以下詰み。

52玉なら53金、同桂、同銀成、51玉、21龍以下詰み。
52玉なら53金、同桂、同龍、41玉、33桂以下詰み。(門脇芳雄著「詰むや詰まざるや」より)
 この無双1番がまさに象徴していると思う。“構想がらみの変長”ということをね。
 木脇氏によれば、無双に28題、図巧に21題の変長作ということは、宗看の変長作は三割弱、看寿の変長作は二割強ということだよね。因みに、私の変長作は約一割である。作は世につれ、世は作につれ、か。変長の質も変わってきているしね。
 変長ということでは、苦い思い出がいくつかある。その一つ──。
 S54年5月、詰パラ主幹鶴田諸兄氏から書簡。私の作品が余詰んでるとのこと。
 それがB図。

【B図】
58b

 「余詰初手より、55龍、63玉、64歩、同と、74と、同と、45角、62玉、82龍、72歩合、同角成、同馬、同龍、同玉、83と、62玉、63歩、同玉、81角以下。
62玉は64龍、52玉、63角以下。
又、同玉は83銀不成、63玉、81角、72合、同銀不成、同馬、同角成、同玉、81角、61玉、51龍、同玉、63角成、61合、同龍、同玉、62金まで。54、5、6
 ギャフン! 「以上、初手の紛れを詳述しましたが、この紛れこそ本局の生命です。この紛れを語らずして本局は語れません。この紛れあってこそ、打歩詰回避の二枚の捨て角が光彩を放つのです。」なんて書き添えといたのでね。
 ところが、氏の余詰解、初手より、55龍、63玉、64歩、同と、74と、同玉、83銀不成、これを同馬と取られるのを見落としていた。ではB図が完全かというと、やはりダメ、別の余詰順があった。それが二通りあって、どちらも成立。
55龍、63玉、45角、62玉、82龍、72歩合、63角成、同玉、74と、同玉、
64龍、85玉、75龍以下。
72歩合の所72桂合なら、同角成、同馬、同龍、同玉、83と、72玉、54桂以下。
44角、63玉、61龍、同金、74と、52玉、62角成、同金、34角、41玉、
42龍、同玉、43角成以下。
同金の所41玉なら、52角又は23角以下。
 の63角成といい、の62角成といい、どちらも余詰の見本のような手だよね。
 を詰まなくするには91の龍を飛にするだけでよさそうだし、を詰まなくするには玉方33歩を付加するだけでよさそうである。
 ところが、そのC図、

【C図】
58c

55龍、63玉、64歩、同と、74角、同と、61飛、同金、74と、同玉、
63銀不成、63玉、74角、62玉、64龍、51玉、43桂不成、同金、61龍、42玉、
52龍以下。
 紛れ変じて余詰。玉方33歩が玉の退路を塞いでしまったのである。
 修正案としてD図。

【D図】
58d

 「検討係の皆様には、何度も危ういところを救っていただき、お礼の申し上げようもなく、只々脱帽の一手です。
 今度は31に桂を置いてみました。すると、61の馬は角でもよさそうです。角でよいのに馬を置いては作者の恥。よってまたぞろ検討が厄介というわけで、あゝ何という因果な作風なのでしょう。
 61角の場合、危険なのは初手の紛れだけだと思うのですが、そこらをもう一度調べてくださいませんか。その紛れを列記しておきますので、一通り目を通してくださらば幸甚に存じます。」
 と、書き添えて。
 果たせるかな、危惧的中。
 「余詰初手より、55龍、63玉、74と、同玉、64龍、85玉、75龍、94玉、83銀不成、①同玉
84歩、94玉、93飛成、同玉、73龍、②83合、同歩成、同角、84角、92玉、
93歩、81玉、83龍、82金合、72角、91玉、92歩成、同金、81龍まで。
①同角は85角、同桂左、95歩、同玉、93飛成、94合、87桂まで。
②92玉は83角、81玉、93桂、91玉、71龍まで、又、94玉は86桂、95玉、75龍、85合、87桂まで。54、7、21
 検討陣の有り難さを感じるのはこういうときである。当時の詰パラの検討陣は強力だった。今は、私はタッチしていないので、全然分からない。多分強力なのだろうね。
 かくてE図を詰パラS55年1月号に発表。

【E図】
58e

 結果発表は同誌同年5月号。
 本局の構想は「春雷」の名の示す通り初手97角!(正に春雷!)にはじまり、玉方96歩が96と金に変わり、打歩詰を解消して詰め上がる。手数は僅か19手だし、配置もかなり大げさであるが、この構想をこれだけの配置で実現したのは「流石駒場氏」というべきか「駒場氏でもこれだけ必要だった」と言うべきか、見る人により異なるであろう。
 鶴田諸兄氏の解説だったが、とにもかくにも完全だった。と思いきや、ガーン! 思いもよらぬ変長が……。
97角、
86香合、同角、63玉、61飛成、同金、74と、同玉、75歩、65玉、66香又は76角以下。
 
の所の86香合の変化が4手長以上になっていたのである。短編の場合、4手長以上の変化は大きな減価事項であろう。何でこんなことに……。
 原因は31桂だった。余詰を防止するために配したのだが、その守備力を読み違えていたわけである。
 アタタタッ! 痛いなんてものじゃないよ。磨き上げた宝石に大きなキズが付いていたようなものでね。救いとしては、各氏の評が寛大だったこと。
 そういえば、「この手(97角)のための四桂配置は痛い」という批評もあった。もしかしたら“四桂出尽くしの作図”と思われたのでは。だとしたら、それは違う。それから本作の変長は“構想がらみの変長”とも違う。そのことを証明するためにも修正することにするか。いやいや、31桂と34歩を取り替えるだけのこと。それがF図である。

【F図】
58f

 作意
97角、
同歩成、55龍、63玉、61飛、同金、74と、同玉、96角、同と、
64龍、85玉、75龍、94玉、95歩、同と、74龍、84歩、83銀不成まで19手

86香合なら、同角、63玉、61飛成、同金、74と、同玉、75歩、63玉、76角、
64玉、44龍、63玉、64香、52玉、43桂成以下2手長駒余り
又、66桂合なら、同角、63玉、61飛成、同金、55桂、54玉、63角以下。
 鶴田氏の“手数は僅か19手だし、配置もかなり大げさであるが”以下は、私には蛇足としか思えない。
護堂浩之-角二枚の遠打で打歩詰解消の構想。この形、この手数で創りあげるのは流石。
 護堂氏の批評こそ的を射た批評であろう。
 十人十色、蓼食う虫も好き好きで作者はたまらないよね。作者は作図に命を賭ける。解者も批評に命を賭けてもらいたいものである。
 実をいうと、F図はまだまだかもしれないと思っている。推敲不足、或いは構想を練り直すべきかもしれないと思っている。だが、一方ではこれはこれでよしとするかという思いもなくもない。変長がらみの作図のときはいつも心が揺れ動く。
 変長やむなしと決断する。それは作図と心中するということである。F図は“死体”なのかもしれぬ。
 ところで“情死”にも美はあるのだろうか。

※ 注記
は原文では○囲み。検討者を示す。

C図、51玉のところ63歩合で逃れ。…その60で作者自ら触れる。
ただし、初手より
44角、63玉、61飛成、同金、74と、52玉、53角成、同金、43桂成、51玉、
42成桂、62玉、73と、同玉、83銀成、63玉、75桂、74玉、84と、65玉、
74角、64玉、63桂成、同金、65歩、53玉、43龍、62玉、63角成、71玉、
81金までの余詰がある。

F図、初手より
44角、63玉、61飛成、同金、74と、52玉、63と、41玉、32角、同金、
33角成、44歩、32馬、同玉、33歩、同玉、23金、42玉、44龍、51玉、
43桂生以下余詰。

-----つづく-----

2013年12月15日 (日)

完本『詰将棋 トライアスロン』その57

1994年8月号
夢芝居

 私は持駒が多いのは嫌いである。だが、多くても好きなのが一つだけある。それは「歩18」である。その歩18枚を割り切れる枚数は好きである。「歩9」「歩6」「歩3」「歩2」「歩1」は好きである。
 飛2枚を割り切れる「飛2」「飛1」は好きである。角も同様である。
 金4枚を割り切れる「金4」「金2」「金1」は好きである。銀・桂・香も同様である。
 要するに割り切れることが好きなわけで、変化・紛れについても同様である。
 変化長手順にも割り切れるのと割り切れないのがあり、割り切れるのは余り気にならず、それが芝居が終わってからのは全然気にならない。
 変化長手順ということは不完全ということではない。気になるか気にならないかだけのことである。気になる人は点を辛くすればいいし、気にならない人は点を甘くすればいい。ただそれだけのことである。
 ところで日刊スポーツに──。
 和解に金銭なし、紳士協定
 長渕歌詞「無断使用」で相田さん遺族
 シンガー・ソングライター長渕剛(37)が、昨年9月に発売したシングル「RUN」の中で書家・詩人の故相田みつをさんのオリジナルを無断使用していた件で26日、相田さんの著作権を管理する而今(にこん)社にマスコミ各社からの問い合わせが相次いだ。昨年12月に事情説明を求める内容証明を送り今年4月に長渕サイドと和解したことに関しての金銭的合意についてがほとんどだった。
 相田さんの長男で同社の代表である相田一人さん(38)は「和解に金銭が動いたことはありません。無断引用という問題があったことは否めませんが、父の作品のファンだったという長渕さんの熱心な説明にこちらも納得して不問にしました。いわば紳士協定です」と語っている。
 一人さんによれば、内容証明を送った時点で長渕サイドから「相田さんの作品の使用権料を支払うことで問題を解決したい」との申し出があった。一人さんは「もし使用権料をもらうと父の作品と長渕さんの曲の合作を認めてしまうことになる。父は言葉に命をかけてきた男ですので、あえて金銭解決でなく話し合いによって和解しました」という。
平成6年5月27日(金曜日)
 フーン、一番得したのは長渕剛であり、一番損したのは相田みつをである。ということになるのではないかしらん。
 それはともかく、してみると、私の場合も合作というわけにはいかないのかもしれぬ。
 私の場合とは──。
 A図は無双37番。

【A図】
57a

 作意
75桂、93玉、84金、82玉、72と、同金、同香成、92玉、93歩、同飛、
83桂成、同飛、93歩、同飛、83金、同飛、84桂打、同飛、同桂、
93玉、
73飛、83桂、92金、84玉、75金、同桂、同飛成、83玉、73龍、92玉、
84桂、91玉、92歩、同馬、同桂成、同玉、83角、91玉、81成香、同龍、
92香、同龍、同角成、同玉、82飛、91玉、71龍まで47手
 門脇芳雄著「詰むや詰まざるや」によれば、
 解説
 本局は不詰作品で、最近まで作意さえ判らなかった「謎の作品」である。内閣文庫で献上本が発見され、掲載のみごとな作意が判明したが、作者が二箇所も逃れ手順を見落としたらしく、不詰である。(中略)実に巧妙な作品だが、作意が巧妙なだけに不詰順の修正は困難である。
 不詰手順

の所83同桂、84桂打、91玉、92歩、同飛、同桂成、同玉、84桂、93玉、91飛、84玉、75金打、同桂、同金、83玉以下不詰
の所84同香、82飛、93玉、92金、同馬、同飛成、同玉、93歩、83玉以下不詰
 参考手順
 従来は次の手順が作意でないかと云われてきた。しかしこの詰手順でも不詰である。
75桂、93玉、84金、82玉、72と、同金、同香成、92玉、93歩、同飛、
83金、同飛、同桂成、同馬、84桂打、93玉、92金、同馬、同桂成、同玉、
93歩、同玉、73飛、92玉、84桂、同香、93飛成、同玉、82角、92玉、
93歩、83玉、73成香まで33手
 フーンてなもんですよ。古図式の補正については賛否両論がある。「する派」と「しない派」があるわけで、私は「しない派」だった。ところが“作意が巧妙なだけに不詰順の修正は困難である”という見方もあり、すると「しない派」は修正する能力がないからかとも見られかねない。
 修正するっきゃないか。ただし「無双」と「図巧」の不完全部分だけ。あたしゃ古図式の補正マニアではないのでね。
 さらに前掲書には、
 B図は無双88番。

【B図】
57b

 作意
49金、同玉、48金、
同銀成、59馬、39玉、48馬、28玉、37角、27玉、
16銀、同玉、38馬、
25玉、26歩、同龍、24銀成、36玉、66龍、45玉、
27馬、同龍、46龍、54玉、55歩、53玉、44龍、同玉、34成銀、45玉、
46金まで31手

の所39玉なら、49金、同玉、69馬以下本手順と同じになる(変化2手長駒余らず)。
又、同銀不成なら、58馬、同玉、68龍、47玉、48龍、36玉、37龍、25玉、24銀成以下(この変化のための27歩配置)

の所27龍、66龍、25玉、47馬、36歩合以下不詰
 不詰手順
 前記妙手順で47金を消去しても本局は詰まない。47金がなくなると、前記27金合の代わりにこんどは27龍引の妙防がある。こんどは同馬としても同玉以下詰まない。結局本局は不詰作品。作意を活かした修正は困難で、惜しい作品である。
 ともあって、ますます私の闘争本能を刺激したのであった。
 修正部分としては、
 無双37番は

の所83同桂以下不詰
の所84同香以下不詰
に二つ、
 無双88番は

の所39玉以下の変化2手長駒余らずと、48同銀不成以下のための27歩配置
の所27龍以下不詰
に三つ、
である。
 早速修正して詰棋めいと第5号に発表。
 C図は無双37番の修正案。

【C図】
57c

75桂、93玉、84金、82玉、72と、同金、同香成、92玉、83桂成、同飛、
93歩、同飛、83金、
同飛、84桂打、同飛、同桂、同香、82飛、93玉、
84飛成、同玉、75と、95玉、96歩、同玉、97歩、同成銀、同銀、同玉、
79角、88歩、同角、同玉、89歩、77玉、79香、87玉、78銀、86玉、
76と、同玉、77銀、75玉、76銀、74玉、75銀、63玉、62金、同龍、
同成香、同玉、63銀、同玉、64銀、同玉、67香、66歩、同香、55玉、
45飛、66玉、67歩、同玉、47飛、同金、12角、66玉、56角成、同玉、
47と、同玉、48金、56玉、57金、55玉、45金、65玉、66歩、64玉
54とまで81手
 57角・66とが配置の妙。このため、まず
83桂成が成立。
83桂成、同馬、93歩、同馬、同金、同玉、65と、57龍、84金、92玉、
93歩、同飛、74角、83歩合、同金、同桂、84桂打、91玉、92歩、同飛、
同桂成、同玉、83角成、同香、84桂打、同香、82飛以下
 
83桂成が成立するということは93歩、同飛の一歩を使わないで済むということであり、それはすなわち、一歩不足のためのの所の不詰が消滅するということである。
の所83同桂なら、84桂打、91玉、92歩、同飛、同桂成、同玉、93歩以下
の所
甲93玉なら、73飛、83桂、92金、84玉、76と、57龍、85歩、同成銀、同と、同玉、76飛成以下
乙84同香なら、82飛以下本手順
原図とは甲と乙が逆になっている。
 というわけで、57角・66とこそまさに修正のキーであった。
 D図は無双88番の修正案。

【D図】
57d

49金、同玉、48金、
同銀成、59馬、39玉、48馬、28玉、37角、27玉、
16銀、同玉、38馬、
27龍、66龍、25玉、26香、15玉、24銀不成、16玉、
25香、同玉、16龍、同龍、同馬、24玉、15角、13玉、14飛、22玉、
12金、32玉、42角成、同玉、44飛、43歩合、同飛成、同銀、同馬、同玉、
54銀、44玉、45金、33玉、34金、32玉、43金、41玉、42歩、51玉、
62香成、同玉、53銀成、62玉、52金まで55手

の所39玉なら、49金、同玉、44龍、38玉、49金、27玉、24龍以下(24金配置のため、変化2手長駒余らず消滅)
又、同銀不成なら、58馬、同玉、68龍、47玉、48龍、36玉、37龍、25玉、24銀成以下(24金配置のため、27歩配置不要)

の所
甲25玉なら、24銀成、同玉、44龍、13玉、14香以下
乙27龍なら、66龍以下本手順
原図とは甲と乙が逆になっている。
 修正のキーは24金配置と持駒の歩を香にしたところであろう。
 A図とB図は構想そのものが崩れているので、作意不変という修正は不可能である。それで、せめて玉位置。持駒不変としたかったのだが……。
 さて、C図とD図を詰棋めいと第5号に発表したとき、私は合作という言葉を使った。明らかに修正の域を越えていたのでね。C図を「夢芝居」と題したりして。そのココロは“宗看と競演”、まさに夢だよね。
 だが、合作とは問題だったか。質的量的には五分五分としても、宗看の承認を得られないという厳然たる事実。こればかりは如何ともし難いのでね。
 諦めるしかないか。合作とするのは諦めるしかないか。宗看に「あんためめしか」と言われる前に。
 やはり改作とするしかないか。改作として作品集に加えることとするか。宗看に「あんたすかん」と言われるかもしれないけれど。
某評論家-C図とD図、これはもはや修正図とは言い難い。この両題は、従来通り「修正困難」としておきたいと思います。
 私としては“修正困難”と言われているものをいつ迄もその儘にしておくわけにはいかなかっただけのこと。後世、昭和時代の作図力を軽んじられないようにね。

※ 注記
無双37番の修正案
62金のところ64銀、同玉、67香、66金合(
66桂合は、65歩、同玉、75金、56玉、
47と、 同玉、 48金、 56玉、45角、55玉、56銀まで63手)
、同香、65飛合、
同香、同馬、73銀、55玉、45飛、
66玉、67歩、同玉、77金以下65手の余詰がある。
『ゆめまぼろし百番』では攻方37とが38とに修正されているので、67香に66歩合、65歩、同馬で不詰となっている。

無双88番の修正案
原文は57手とあるが、55手が正しい。

-----つづく-----

2013年12月14日 (土)

完本『詰将棋 トライアスロン』その56

1994年7月号
癖即作風(へきそくさくふう)

 5月4日の全詰連東京大会に私は行かなかった。私との出会いを楽しみにしていた人たちには悪いことをした。
 私と詰将棋を語り合うと楽しいよ。そりゃそうだよね。いにしえの宗看・看寿と語り合うようなものなのでね。詰将棋の奥の奥へ、私は夢先案内人である。
 ところで、前号の「女舞」の修正図、ん? てなもんですよ。ミスだった。気付いたのは印刷の段階。辛うじて「余詰」のテロップを流してもらった。
 その余詰とは47手目65歩以下。すなわち65歩、73玉、55角、64香合、同角、同歩、62馬、82玉、73金、93玉、94香までである。
 紛れ変じて余詰というわけで、修正の際、作意だけでなく変化・紛れも改めて調べなければならないという鉄則を私は忘れていた。

【A図】
56a

 A図は再修正図。
 玉位置・作意・持駒不変。
 紛れと変化がかなり変わっているので、それを少々。
 紛れ
○3手目45龍は、53玉、42飛成、64玉、65銀、75玉、76銀、同玉、85龍、77玉、47龍、68玉、67角成、79玉以下不詰
○17手目55馬は、53玉、54歩、62玉、22龍、52銀合、同龍、同玉、53銀、71玉、71香成、同金以下不詰
○47手目65歩は73玉、55角、64香合、同角、同歩、62馬、82玉、73金、92玉、83金、同玉、84と、92玉以下不詰
 変化
○8手目66香合なら、同角、31玉、35龍、34銀打合、33香、42玉(22玉なら、32香成以下)、44龍以下
○8手目66桂合なら、同角、31玉、32角成、同玉、22角成、42玉、45龍、43銀合、54桂、53玉、31馬、52玉、42馬、61玉、71香成、同玉(同金なら、62銀、同金、43馬、52歩合、62桂成、同玉、52馬、同玉、54龍以下)、62銀、82玉、73銀成、同玉、51馬、82玉、73金、92玉、83金、同玉、84と、92玉、93と、同玉、95龍以下
○18手目75玉なら、91角成、76玉、65龍、同玉、55馬引、75玉、76歩、同玉、66馬、86玉、77馬、75玉、76歩、65玉、55馬引まで
○26手目52銀合なら、53歩成、同玉、86角、62玉、52龍、同玉、42銀成、61玉、71香成、同金、52銀、72玉、63銀成、81玉、82金、同金、同馬、同玉、64角以下
 しかし何だよね、修正すればするほどよくなるよね。修正図より再修正図のほうが遙かによくなっている。再修正図も不完全であれなんて願ったりして。
 前号といえば、北原義治氏作(B図)
 これは打歩モノだよね。

【B図】
56b

 作意
 24歩、12玉、34馬、23歩合、同馬、同馬、13歩、同馬、11銀成まで9手
 5手目同馬が打歩打開の手で、これは新手ではないのか。先例の有無について触れてもらいたかったが、それは解説の範囲を超えているのだろうね。
 作者としては、5手目同馬もさることながら、「玉方32馬」を見てもらいたかったのではないか。万斛の思いをこの配置に託したのではないか。
 4手目角合で不詰。その角合をさせないというのが32馬だが、ならば32角でも同じかというと、そこが面白いところで32角では4手目歩合で打歩不可避。32馬は絶対の配置で、これを龍・飛・角・金・銀・桂・香にすると不詰、歩にすると余詰である。
 見所は二つあるわけだが、解説者も触れていたように、シンプル過ぎるのかもしれない。もう少し手数を延ばすべきかもしれない。作風の違いやら何やらがあって、そこらあたりは何とも言えないところではあるけれど。
 詰将棋生活50年になんなんとすると、詰将棋というものがおぼろげながら見えてきたような気がする。十代では見えなかったものが二十代で見えるようになり、三十代では見えなかったものが四十代で見えるようになり……ということは詰将棋に限ったことではないけれどね。それは年季ということではないだろうか。年季のはいったものを作りたい。作品集を出すのはそれからだ。
 以前に私は百番で勝負すると言った。それは百番で自分のすべてを表現するということである。図巧百番がそうだよね。看寿のすべてを表現してますよ。その点無双百番は5年間で百局というハンデ付きだったので、宗看のすべてというわけにはいかなかった。まあまあといったところか。
 百番で自分のすべてを表現できないようでは、それはヘボだということである。私はそう思っている。いよいよ勝負の最後の段階、それは今年か来年か。とにかく結論を出さなければと思っている今日このごろである。
 C図は私の数年前の年賀戯作である。「金銀財宝ザックザク」と言葉を添えて。これは喜ばれた。

【C図】
56c

 作意
56金、64玉、65銀、75玉、76金、84玉、74金、95玉、86金打、94玉、85金まで11手
 変化

54玉なら、55銀、43玉、44金、32玉、33金打、21玉、22金打まで9手
 銀はいつ打つのか。作意の65銀、変化の55銀、これがあるので、一応詰将棋にはなっている。例のD図のように、教材としては絶好かもしれぬ。

【D図】
56d

【E図】 
56e

E図は私の中学時代の作。まさに習作である。これを年賀戯作として使ったこともある。
 作意
33銀、同玉、43飛、22玉、23飛成、同玉、24歩、33玉、22角、同銀、43金まで11手
 紛れ

①21角は、22玉、33銀、12玉(同玉なら43飛以下、同桂なら、21飛以下)、21馬、同玉以下不詰
②12飛は、同香、33銀、同桂(同玉なら11角、32玉、43金まで)、54角、22玉、21金、13玉で不詰

同桂なら、54角、22玉、21飛、12玉、23飛成又は11飛成以下
 中学時代の作はほとんど散逸。詰将棋から足を洗った時期もあったりしてね。それでも記憶の片隅に引っ掛かっていたのが何作かあって、その中の一作が本作であった。
 幼稚さは覆うべくもないが。とにもかくにも実戦型である。今と違ってその頃は結構新鮮味があった。
 易しいながらも少し気に入っているのは、作意、変化、紛れが各々自己を主張していること。そしてすっきりと割り切れていることである。これも教材として使えるのではないかしらん。
 F図も中学時代の作。いや、少し手直しした。余詰やら何やらがあったのでね。

【F図】
56f

 作意
42歩成、
同玉、52と、31玉、42角、同馬、32銀、同玉、44桂、31玉、42と、同玉、31角、同飛、52桂成、32玉、23飛成まで17手
 紛れ

23銀は、33玉以下不詰
52飛成は、33玉以下不詰
①42銀は、同馬、同と、同玉以下不詰
②32銀は、同玉、44桂(43角は、33玉以下不詰)、22玉以下不詰
③41とは、同玉、52角、31玉、32銀、同玉、43角成、同銀、同飛成、22玉以下不詰

同とは、同玉以下不詰
52桂成は、32玉、①41角、同飛、23飛成、31玉、41成桂(43桂不成は、同飛で不詰)、同玉、51飛、42玉、43桂成、同銀、41飛成、53玉以下不詰、②23角、22玉、12角成、同歩、23桂成(24香は、11玉、21香成、同玉、41飛、31歩合、同飛成、同玉、33飛成、21玉で不詰)、11玉、12成桂、同玉、14香、22玉、13飛成(13歩成は、11玉で不詰)、32玉で不詰
 変化

同馬なら、23銀、31玉、22角、41玉、52と、同馬、32銀成、同玉、44桂以下
同馬なら、41と、同馬、33飛成、32馬、43桂打以下
 42角、同馬、32銀、同馬、41とという手順を得たのは中学一年の夏。私の場合、はじめに手順ありきである。まず手順が浮かぶ。それからどう進めるかという作り方である。手順はすぐ浮かぶときもあればなかなか浮かばないときもある。それは集中の度合いによるのかもしれぬ。駒をあちこちに動かしてそこから手順を得るというのが一般的な作り方だが、してみると私のは異質なのかもしれぬ。そのことはA・C・E・F図を一見すれば、練達の士にはお分かりいただけると思う。
 さてF図、ここまで書いた途端、テレビから完全試合の声あり。巨人の誰やらが広島戦で完全試合を達成したとかしなかったとか。面白くないねえ。あたしゃ巨人は嫌いだ。大橋巨泉も嫌いだ。卵焼きも嫌いだ。(古いっての)
 改めてF図、42角、同馬、32銀、同馬、41とという“一行”の手順を得て、これを何行かにしなければならない。短編は“歌詩”であろう。長編は小説であろう。
 F図としたのはどうだったか。その頃既に紛れ好きが顔を出していたのには驚く。癖というものはいつまで経っても変わらないものなのだろうか。
 色即是空、癖即作風、ホンジャマ、ホンジャマ。そういえばホンジャマカという変なの出てきたよね。スーパーのチラシに「ホンジャマカ来たる!」なんて出ていて。
 空即是色。

※ 注記
再修正図(A図)でも余詰は消えていない。作意19手目77角のところ、88角以下97桂を抜かれる。

-----つづく-----

2013年12月13日 (金)

完本『詰将棋 トライアスロン』その55

1994年6月号
遠角

 何処か遠くへ角を打ちたい。見知らぬ土地を歩いてみたい。そして赤提灯で一杯。
 「お客さん、東京のお人?」
 「錦糸町の育ちよ」
 私は遠角が大好きで、かなり作った。
11玉に対する99角打の“七歩連合”と99玉に対する11角打の“七種遠打”との最遠打をはじめ、“遠角・角合”を何回か繰り返す「夢の掛橋」と「ゼロの焦点」とか、“複式遠角”の「心理試験」と「春雷」とか、“不利交換”の遠角とか、遠角に対する“四香連合”とかさまざま。
 残念だったのが、本誌S41年6月号の発表の作で、序盤早々つぶれ。つぶれるときはそんなもの。順算式のときは序盤で、逆算式のときは終盤で。要するに作りはじめがいちばん危ないということ。
 その作だが、構想としては普通の女の子であった。それが化けた。髪型を変え、化粧を施すと原節子ですよ。いや、山本富士子ですよ。どちらも古いか。題して「女舞」。A図はその不完全部分を最近修正したもの。
 A図を詰めたら何段の力があるのだろうか。「無双」の17番と36番と46番は「これを詰めたら初段の力あり」といわれている。A図のほうがよっぽど難しい。未見の方は是非力試しをしていただきたい。

 ところで、今日の朝日新聞の投書欄に─。
 「細川政権が誕生した時、国民の大多数は過去に例がないほど政治に大きな夢を抱いた。腐れきった土壌の中で、何一つ前進しないままの政治に絶望していた国民は、政治の刷新と改革の実現に期待し興奮したのである。
 成立から八ヵ月の間、細川政権は野党はもちろん、連立与党内部の造反を何度も受けた。選挙制度改革を結果的に骨抜きにした社会党左派、国民福祉税を強行させようとした小沢氏。、自分たちの大悪を棚に上げて古傷を暴こうとする自民党、失政をあげつらうばかりで功績を評価しなかったマスコミ・評論家たち……。彼らは国民が細川氏に何を託そうとしていたのかを、まったく理解していなかったとしか思えない。
 細川氏は有能な独裁型政治家ではなく、政策刷新のイメージシンボルに過ぎなかった。そのことは多くの国民がちゃんと知っていた。細川氏が何をやるか─ではなく、細川氏を旗印に、政治家たちが結束して日本を生まれ変わらせることに夢を託したのだ。
 その夢を、最後は細川氏自らを含む政治家が寄ってたかって踏みつぶした。悲しい結末である。この次、国民が日本の政治や政治家に夢を抱くのはいつのことになるだろう。
長野県 内田康夫(作家 59歳)」
 「夢をつぶしたかなしい結末」である。
 著名な推理小説家の投書である。よほどの思いだったにちがいない。ふと発見。同世代だった。
 推理小説と詰将棋は似ているのか、似ていないのか。似ているとする人もあれば、似ていないとする人もある。それは作品によるのではないだろうか。推理小説にもいろいろな作品があるし、詰将棋にもいろいろな作品がある。その中には似ているものもあるし、似ていないのもあるということだろう。私の場合でいうと、推理小説風のも作るし、純文学風のも作る。意識して作ることによって、何やらそれらしくなってくる。詰将棋とはそういうものなのである。
 もう一つ、次の日の産経新聞に─。
 「マスコミをはじめとして細川護煕首相の功罪についてかしましいが、私は積極的に首相の業績を評価したい。曲折はあったにしても、なしとげた政治改革、緊急事態とはいえコメの輸入、結果としてできなかったが一歩踏み込んだ消費税率アップ、さらには行政改革…。どれを取ってみても、自民党政権が達成できなかったばかりか、場合によっては政権の一つぐらいは飛んでしまう問題ばかりである。
 また、今回の借金疑惑などの問題にしても首相の対応はいかにもつたないが、かといって、かつての自民党宰相の中で疑惑のなかった首相がいただろうか。海部氏を除いて否である。
 存立基盤のアヤフヤな連立与党を率いての苦労は余りある。今度の退陣にしても、言い逃れに終始するのではなく、一抹の疑惑でもあれば速やかに退陣することが今後の政治家の取るべき道として、先べんをつけたものと理解したい。
 それだけに本紙九日付の産経抄は納得しかねる。日ごろよりその問題意識の確かさ、批判精神のおう盛さに引かれ、愛読していた一人であるが、皮肉、非難も度を過ぎると品がない。『史上まれなる軽さの宰相』とは失礼千万である。私は心からご苦労さまでしたと申し上げたい。
福島県 佐藤克彦(会社員 48歳)」
 コラムなどを受け持つと、誰しもえらそうなことを言いたくなるようである。
 私もたぶんえらそうなことを言っているのだろうね。ただ、悪口だけは言わないことにしている。人をけなしたこともなければ、人の作品をけなしたこともない。
 それはともかく、首相に心から「ご苦労さま」と国民の大多数は思っているにちがいない。

 さて、A図についてだが、あれは28年前、ふとB図を得た。99角打と、それをサポートする23角というわけで、いうなれば、“混合遠打”である。
 99角打に対し、玉方の手は幾通りもある。33歩合・33銀合・55歩合・66香合・66桂合など。31玉もあるし。ハテ、どれを作意としたものか。B図はまだまだ海とも山とも知れず。
 ところが、それがA図に変身。絶世の美女に変貌したのである。イモねえちゃんのときにコナをかけておけばよかったと後悔したりして。

【A図】
55a

【B図】
55b

 A図より
 43銀成、同玉(途中1図)
 序盤早々つぶれとは、途中1図からであった。途中1図から、45龍、53玉、42飛成、64玉、65銀、75玉、76銀、64玉、65龍、73玉、74龍、同玉、56角成、64玉、65馬、73玉、74歩以下。76銀を見落としていた。72に配置の香を歩として修正。

【途中1図】
551

 途中1図より
 52飛成、33玉、22龍、同玉、99角、55歩合、45角成、31玉、22銀、42玉、33銀不成、53玉、44馬、64玉(途中2図)
55歩合の所
①31玉なら、32角成、同玉、22龍、43玉、33龍、54玉、44龍、65玉、55龍、76玉、66龍、87玉、77龍、98玉、88龍まで
②33歩合なら、34角成、31玉、22龍、同玉、33馬、31玉、32歩、41玉、51香成まで
③33銀合なら、45角成、23金打合(24金打合なら、同龍、同金、33角成、同玉、44銀、22玉、12金、31玉、22銀、42玉、33銀引成、41玉、63馬以下)、33角成、同玉、35龍、34歩合(34桂合なら、44馬、32玉、34龍、33歩合、43馬、22玉、14桂、同金直、31銀以下)、44馬、32玉、34龍、33歩合(34同金なら、43銀、21玉、22銀、12玉、11銀成、23玉、34馬以下)、43馬、22玉、31銀、12玉、21銀、11玉、12歩以下
④66香合なら、同角、31玉、32角成、同玉、22角成、42玉、45龍、43銀合、51銀、53玉、31馬、52玉、42馬、61玉、71歩成(同金なら、43馬、72玉、61銀、82玉、72金、同金、同銀成、同玉、61馬以下)、同玉、53馬、82玉、92金、同金、同歩成、同玉、93金、同玉、71馬以下
⑤66桂合なら、、同角、31玉、32角成、同玉、22角成、42玉、45龍、43銀合、54桂、53玉、31馬、52玉、42馬、61玉、71歩成、同玉(同金なら、62銀、同金、43馬、52歩合、62桂成、同玉、52馬、同玉、54龍、53金合、43金、61玉、62金以下)、53馬、82玉、73銀、同玉、62馬、82玉、73金、93玉、83金、同桂、84と、92玉、83と、同玉、85龍以下

【途中2図】
552

 途中2図より
 55角、
65玉、77角、64玉、55馬、53玉、54歩、62玉、22龍、 32歩合、同龍、52歩合、53歩成、同玉、42銀不成、62玉、51銀不成、72玉、52龍、62桂合、同銀成、同金、同龍、同玉、54桂、52玉、53歩、同玉、44馬、64玉、55角、76玉、66馬、87玉、88金まで59手
65玉の所75玉なら、91角成、76玉、65龍、同玉、55馬引、75玉、67桂、86玉、77馬、97玉、88馬、86玉、77馬引まで
64玉の所56玉なら、36龍、67玉、66馬、78玉、38龍以下
32歩合の所
①52歩合なら、53歩成、同玉、44銀成、62玉、53成銀、同玉、13龍、43歩合、54金、62玉、63金、同玉、43龍、53香合(53銀合なら、54馬、62玉、53龍、同歩、63銀、51玉、33角成、42歩合、52歩以下)、54馬、62玉、63歩、73玉、55角以下
②52銀合なら、53歩成、同玉、86角、62玉、52龍、同玉、42銀成、61玉、71歩成、同金、52銀、72玉、63銀成以下
○途中2図から55馬は、53玉、54歩、62玉、22龍、52銀合、同龍、同玉、53銀、61玉、71歩成、同金以下不詰
32歩合のとき53歩成は、同玉、44銀成、62玉、53成銀、同玉、13龍、33桂合、同龍(44馬は、64玉以下不詰)、同歩、44馬、52玉以下不詰
 55歩合を作意とすれば、99角と23角が連係しそうである。遠打作品らしくなってしまうけれど、それも亦よしかもしれぬ。というわけで、作図の方針決定である。
 空間を見切る。それが私の作風である。だから、余詰消し、不詰消しだけの駒はまず置かない。そのために失敗したことも何度かあったけどね。
 本作の場合はどうか。これも空間を見切ったつもり。が、なにせ紛れ、変化が膨大である。そしてそれは盤面のほぼ全域に達する。何度検討しても、検討不足かもしれぬ。見落としの一つや二つ、当然かもしれぬ。と、実をいうと開き直っているかもしれぬ。
 本作については、かつて森敏宏氏が次のように─。
 「さて、99角に55歩合の中合で局面は難解な方向へ急カーブ。解く方はクタクタになってしまう。しかしただ、はん雑というだけではない。22銀打から33銀~42銀~51銀と不成の軌跡、99角を77へ置きかえる変化伏線(これは
の変化に出てくる86角出を可能にする)、さらに32歩合の中合など、ヴォリュームのある手順はやっかいな変化とからみ合って驚異と言うほかはない。並の胃袋では消化しきれないしろものである。」
(A図47手目、65歩以下余詰-作者)

-----つづく-----

2013年12月12日 (木)

完本『詰将棋 トライアスロン』その54

1994年5月号
一歩のアジ

 最近詰パラで次のようなことがあった。若島正氏作(A図)について。

【A図】
54a

A氏-本作3手目すぐに45金とすると44馬で打歩詰の局面に陥る。これをいかに打開するのか? なんのことはない。後に打歩詰となる25歩を先に打てばいいのだ。この先に打っておけばいいというのが、打歩打開の新手筋なのである。
 はっきりいって、こういう見方をしたのは私だけだったようだ。誠に残念である。この新手筋を私は勝手に、先打打歩の手筋と呼ぶことにする。
 たぶん華麗な逃げ筋や、ピタリ決まった収束に呑まれてしまったのだろうが、本作の狙いの一手はズバリ25歩に違いない。
B氏-打歩打開とは、歩が打てる状態を作り出す事である。つまり、あの作品の打歩は26龍によって打開されたと見るのがあたりまえではないだろうか。(さらに言えば、6手目の局面に於いてもし攻方が歩を持っていても25歩は依然打てない。つまり打歩が打開されてはいないのである)(詰パラH5・6)
C氏-おもしろい歩詰作品としてA図をマークしていたところ、6月号の大学結果稿の末尾(87ページ)に担当のB氏が本作品について意見を述べられているので私見を述べてみます。
 本作のねらいは紛れの取歩駒移動による打歩詰誘致と、それをさせないための25歩にあり、中学校担当のA氏は、これを先打打歩手筋と名付け、打歩打開の新手筋であるといっておられます。(3月号74ページ)これに対してB氏は26龍で打開されているし、6手目の局面で若し持駒に歩があったとしても打てないので、25歩は打開手筋ではないのではないかと疑問を投げかけています。確かに26龍は囲い駒消去法による打開手筋です。
 それでは25歩は打開手筋といえるのでしょうか。拙稿の「歩詰手筋総まくり」(詰棋めいと第13号7ページ参照)では打歩詰回避(打開)手筋の定義として、「その手筋を経ないと打歩詰になるが、その手筋を経ると打歩が打てる手筋」としています。(その他の場合もあります)この定義に従えば「25歩を打たないと紛れで打歩詰になるが、25歩を打っておけば25歩が打てて打歩詰が打開される」のであれば25歩は打開手筋といえます。
 しかし、これはどうも変です。「25歩を打つことにより25歩が打てた」というのは当たり前で手段が目的になっています。私見では25歩は局面打開手筋ではあるが打歩詰打開手筋ではないと思います。
 つまり、25歩の目的は変化における玉の退路ふさぎであり、結果として紛れがなくなるのは事実ですがそれは紛れを予防しているのではなく、単に別の局面に展開したと見るべきでしょう。
 ただ誤解のないように申し上げれば、25歩を打歩詰打開手筋と呼んではいけないというつもりはありません。小生の定義ではそういえないという事で、定義を変えれば又違ってくるでしょう。しかしその変更は仲々難しいと思います。A氏が先打打歩手筋と名付けた気持はよく分かります。この点については是非、作者若島氏の御意見を伺いたいものです。(詰パラH5・6)
 作意
26龍、同角成、25歩、同馬、45金、34馬、同龍、同香、33角、同玉、
23とまで11手
 それは途中図の25歩打についての三氏の見解であった。
 その25歩打、常識外の手である。常識外の手が定義づけられるはずはない。と、いささか詭弁を弄したくなったのは、おそらく今宵の月が痩せていたからであろう。
 A図についてちょっとだけいうと、
①33金は、54桂、23金、34玉、35香、同角で不詰。23金の所25歩は33玉、23と、42玉で不詰。
②34金は同桂で不詰。同桂の所同香なら25歩以下なのだが。
③43金は34桂で不詰。34桂の所54桂なら25歩、34玉、33金、同玉、23と以下なのだが。
④45金は、54桂、26龍、同角不成で不詰。同角不成の所同角成なら25歩、同馬、23銀成までなのだが。
 というわけで、さすがというしかない。

 さて、針路をぐるりと。
 ホンジャマ、ホンジャマ、一度は行きたい女風呂、というのがあったよね。死んでも行きたい女風呂、というのがあったよね。
 煙詰がまさにそれ。一度は作りたいんだよね。誰にもそんな時代があったはず、あるはず。
 オリンピックにいろいろな種目がある。煙詰という種目は大会の花形である。ばかりか、いちばん進歩している種目といってもいい。そりゃそうだよね。死んでも作りたいという一念というか、執念というか、その産物である。半端じゃないよね。鬼気せまるものでなければ嘘である。
 数年前、私は何度目かの煙詰を作った。題して「駅馬車」。これがなぜか詰パラに出ていて、ヘボ選考委員の刺身のつまにされていたのには腹が立ったけれど、唯一の救いは平田正氏の評であった。
「序が難解で出題時には全く手が出なかったが、結果稿を見て感動。若島先生風にいえば、物語がある」
 もっともこれは佐々木聡氏の解説に負うところ大だけれどね。
 佐々木氏といえば、煙詰の凄いのを作っていて、題して「般若」。

【般若】
54

12歩成、同玉、23歩成、同桂、同香成、同玉、34と、同金、24歩、12玉、
13歩、同玉、25桂、同金、14歩、12玉、23歩成、同玉、24銀、同金、
同角成、同玉、35と左、14玉、24金、15玉、25金、16玉、26金、同龍、
同と、同玉、21飛、35玉、36歩、同桂、同香、同玉、27金、同と、
48桂、47玉、27飛成、48玉、37龍、49玉、58龍、同玉、59歩、49玉、
58銀、59玉、39龍、58玉、59香(途中図)

【途中図】
54_2

 途中図より
67玉、37龍、68玉、48龍、77玉、78龍、86玉、85と、同玉、96角、
94玉、74龍、84歩、85角、93玉、94歩、92玉、82金、同金、同歩成、
同銀、93金、同銀、同歩成、同玉、94銀、92玉、83銀成、91玉、82成銀、
同玉、84龍、83飛、72香成、91玉、92歩、同玉、83龍、同玉、81飛、
72玉、63角成、同玉、83飛成、52玉、42桂成、61玉、52成桂、同玉、53龍、
同玉、54と、52玉、53と、51玉、52とまで111手

【終了図】
54_3

 作図の動機ははっきりしている。この終了図の煙詰を作りたかったのである。この時期このことを知っていたら、私は諫言つかまつっていたかもしれない。まだまだ勝ち筋はいくらでもござる。ことさらにこのような難しい変化に飛び込むことはござるまいに。なんてね。だけど、説得というわけにはいかなかったにちがいない。なぜなら、この終了図は佐々木氏にとって“女風呂”であったにちがいないのだから。そしてこの終了図との出会いこそまさに“一期一会”であった。雲が龍を呼び、龍が雲を呼ぶ。「般若」はグッドタイミングによって誕生したのである。
 本作の素晴らしさはその一としては、なんといっても形が美しいことであろう。自陣成駒なし、銀桂香の成駒なしである。“妥協せず”を貫いたわけで、さすがである。
 その二としては、初図11玉、終図51玉であること。これが遠回りして辿り着くというのが面白い。
 その三としては、途中図の59香打。いよいよ事件の全貌が明るみに出るといった感じだが、59香打を見よ。この少ない駒で59香打が成立してしまうというのが、あたしゃ不思議で仕方がない。
 その四としては、21飛打と81飛打が対称位置であること。のほうは遠打、
のほうは近打といっていいのではないか。これも対称的である。
 その五としては、もちろん終了図である。非常に困難な作図であったはず。よくぞ完成し得たと驚きを通り越して、あたしゃ呆れてしまったよ。
 変化を少し。
 14手目25同金の所12玉なら、23歩成、同玉、33角成、同金、同桂成、同玉、44と、22玉、
23歩、同玉、34と、同玉、24金、44玉、45と右、53玉、65桂、64玉、
55と上、63玉、62桂成、同金、62銀成、同玉、53桂成、同玉、44と左、62玉、
53と、同玉、58龍以下
 66手目94玉の所96同玉なら、76龍、86歩合、87金、95玉、86金、84玉、85金、93玉、
96龍、83玉、94龍、73玉、84龍、63玉、62桂成、同金、64龍以下
 68手目84歩合の所93玉なら、94歩、92玉、82金、同金、同歩成、同銀、93金、同銀、
同歩成、同玉、94銀、92玉、83銀成、91玉、94龍以下

【参考図】
54_4

 技術的なことでは一つだけ。
 参考図をごらんいただきたい。途中図と77歩の有無の違いである。
 途中図から、67玉、37龍、68玉、48龍、77玉…
 参考図から、68玉、48龍、77玉…
 77歩配置の意味おわかりと思う。こんな所で一歩消去するなんざ、只者ではないよね。

-----つづく-----

2013年12月11日 (水)

完本『詰将棋 トライアスロン』その53

1994年4月号
あれこれ決めるべからず

 レター二通。本欄に関するものなので、まずは大橋健司氏からのを。
 「私は駒場さんほど詰将棋のパワーがありませんので、古今の作品の研究、鑑賞に振り向けるエネルギーの余力がほとんど無く、辛うじて宗看、看寿、宗桂の作品だけは何とか自力で解こうとした時代があったのが現在を支えているのだと思います。駒場さんが私の作品から享保の香りを感じとられたのは、身に余る光栄であり、さすがの隻眼と思いました。
 駒場さんは『詰将棋を作るとは余詰作を作る事だ』と喝破されていましたが、私も常々、余詰の為に作品を作っているとしか思えない自分の姿に呆れていましたので、正に我が意を得たりと思いました。」
 パワーということではないでしょう。私のほうがいくらか詰将棋生活が長いというだけのことでしょう。
 大橋氏は今が“旬”なのではないか。脂がのりにのっている感じである。作風も確立されつつあるようだし、“享保の香り”というのがそれで、これは宗看・看寿の流れを汲むといっていいのではないか。
 宗看・看寿の作品は盤面駒が多く、持駒が少ない。宗看作は平均盤面駒19枚、平均持駒2.7枚である。看寿作は平均盤面駒19枚、平均持駒2.9枚である。盤面駒が多く、持駒が少ないということはどういうことかというと、捨駒にしても盤面駒のほうが多いということである。盤面駒の捨駒だからこそ、あの宗看・看寿の濃密な妙手感が得られるのである。現代の作品は概して盤面駒が少なく、持駒が多い。持駒の捨駒では妙手感半減である。まして持駒が多いときの、その捨駒は味気ないこと砂をかむがごとし。
「詰将棋を作るとは余詰作を作る事だ」
 そんなことを言いましたか。多分名作を作るのは容易ではないということを言いたかったのでしょう。
 名作といえば、大橋氏の入玉形中編、愚痴じゃなけれど世が世であれば、だよね。船頭多くして何とやら、その選考方法何とかならんかね。

 次は鳩成平氏からのを。
 「前略、詰将棋用の年賀状が一枚余ったので、誰に出そうかと思ひましたが、貴氏に決めました。市川で一度お目に掛かった侭ですが、お元気ですか。全国大会に出席すれば良いのですが、日直、宿直続きで創棋会の例会にも仲々出られません。仕事があってもなくても出勤せんならんのだから忙しい。日直なんか只の電話番なので詰将棋をやれば、幾らでも出来るのですが、最近は美人の女医さんから戴いたオセロゲームに熱を上げてしまひ、ズーッとそればかりやっています。詰将棋の方も表紙の言葉にもある通り、馬鹿詰、対面馬鹿詰、背面馬鹿詰、天竺馬鹿詰に凝ってしまひ、普通の詰将棋は長い間やっていません。呆けの防止にヤング詰を解いて解答を出す程度です。
 同封の年賀状の犬詰は手順前後のキズがあり、新年号の表紙を飾る筈が青木みどりに取って代わられてしまいひました。
 近将のトライアスロン、毎月読ませて戴いておりますが、秘蔵図式を持ち出すようでは余程ネタに困っているのだナ。今月限りで休載かな?と心配していたら、翌月も載っていて安心しました。(要らぬ鳥越九郎するな!=和男)亡父の死因は、秘密ですが母親の鳥越マリと……腹上死してしまひました。(夫婦別姓と云うのは良く有るが、親子別姓と云うのは珍しいな=和男)他人には漏らさないで下さいね。息子に刺し殺されたのだろうと云う人もありますが、小生は投稿拒否なんかした事がありません。
 では本日はこの辺で失礼させて戴きます。
  平成六年一月二十三日(日曜日)」
 一月二十五日頃賀状到着。それもその筈、一月二十三日頃投函ではねえ。新暦のやら、旧暦のやら。
 その氏とは、
“市川で一度お目に掛かった侭ですが、お元気ですか”
 実はそうなのです。あれはかれこれ30年前、夜もだいぶ更けたころ、ゆきつけの将棋クラブに氏が現れたのでした。
 そのとき私はたしか未発表の「父帰る」をお見せしたはず。何度か不完全に泣き、漸くそのころ完全図を得たので、その経緯もお話ししたかもしれない。
 短い時間だったけれど、しゃべったのはほとんど私。氏はときどき相づちを打つだけでした。
 最近は美人の女医さんに熱を上げているのですか。いや、美人の女医さんから戴いたオセロゲームに熱を上げているのでしたね。どちらにしても、美人の女医さんと一緒にいられるというのは羨ましい限り。
 犬詰は、ハハ、確かに「犬」ですね。というより「仔犬」ですかね。

【犬歳年頭戯作「犬」詰】
53

 犬詰作意
73歩成、同銀、72金、同玉、71金、82玉(A図)、74桂、同銀、62飛成、91玉、
81金、同玉、73桂、91玉、71龍まで15手

【A図】
53a

 A図から
81金、72玉、71金、82玉(B図)、74桂、同銀、62飛成、91玉、81金、同玉、
73桂、91玉、71龍まで19手

【B図】
53b

 B図から
81金、72玉、71金、82玉、74桂、同銀、62飛成、91玉、81金、同玉、
73桂、91玉、71龍まで23手
 作意、A図からの手順、B図からの手順、どれも同じことではないのかな。このような場合は一番短い手数の15手詰作意とすべしと規約にはちゃんとありまっせ。
 秘蔵図式殺人事件、氏も取り調べられたとは知らなんだ。“登校拒否”を取り調べられたわけですね。
 母親が鳥越マリとはまた愛欲図絵か。地獄図絵か。まだまだ一件落着というわけにはいかないようですね。

 3月号の選考回答。
谷口均-9月号湯村光造氏作は、明快な構想作ではあるが、収束26手目の合駒が非限定である。現代の詰棋界ではキズであり、変化同手数駒余らずと同列の欠陥である。祭りの後とは言え、構想にも関連しているし、解説でも指摘して欲しかった。
伊藤果-それを上回る出来が湯村氏作の“新手筋”で、中編の世界を久方に堪能でき満足です。
 変化同手数駒余らずを、A氏は欠陥と見なし、B氏は欠陥と見なさない、ということはよくある。それと同列かどうかはともかく、湯村氏作の合駒非限定を谷口氏は欠陥と見なし、伊藤氏は欠陥と見なさなかったわけである。

【C図】
53c

 C図がその合駒非限定の局面。湯村氏作の26手目23香合まで。
 ここ、作意は23歩合だが、確かにどちらでも同じことである。以下、23同馬、同銀、15歩又は香、同角、25銀までなのでね。
 このケースはしょっちゅう見かける。これを欠陥作とすると、例えばD図・E図も欠陥作とせざるを得なくなる。D図は山田修司氏の代表作「禁じられた遊び」の38手目38香合までであり、E図は岡田敏氏の代表作「大菱」の34手目68香合までである。

【D図】
53d

【E図】
53e

 D図の場合、作意は38歩合である。どちらでも同じことで、以下、38同飛、同龍、34歩又は香、同龍、22銀不成、同玉、31馬、同龍、23金、21玉、31と、同玉、33飛、41玉、32飛成まで53手詰である。
 E図の場合、作意は68歩合である。これもどちらでも同じことで、以下、68同龍、同桂成、62歩又は香、52玉、51飛成、同玉、42金まで41手詰である。
 この名作二題が合駒非限定ということで欠陥作とされていいものだろうか。
 このごろ思う。規約とは保険なのではないかと。詰将棋の奥の奥に歩を進めると、生か然らずんば死かという場面に遭遇する。やり繰り算段するしかないが、どうやっても変長だの変同だの、合駒非限定だの打駒非限定だのになってしまう。詰将棋の奥の奥とはそういうものである。そのときのために保険を掛けておく。変長・変同許容、合駒・打駒非限定許容という保険である。いや、規約である。規約は作図のためにある。だからこそD図・E図も完全作として、代表作として歴史に遺るのである。
 ところで、飯田岳一氏の「曲詰の疑問点」の“収束の絶対性”に対して、岡田敏氏が詰パラ1月号で次のように-。
「次に“収束の絶対性”の件ですが、これは氏の言う通り、“創る人の創作レベルの問題”であるのは間違いありません。ただ、私はあまり高踏的になりすぎると、あぶり出しの普及発展に水をさすことになると思い、あの様な提案をしただけの話です。この件については氏の論は正論だと思いますが、反対意見をお持ちの方もいらっしゃる様です。要は見解の相違でしょう。」
 見解の相違というのはその通りである。詰将棋界には古代から現代まで見解の相違が渦巻いている。それは決して収斂し得ない。詰将棋というものが収斂し得ないものだからだ。
 詰将棋にはどうでもいいという部分がある。いくつもある。それをあれこれ決めるべからず、というのがそもそもの不文律であった。先人の智恵であった。規約を厳しくすると詰将棋は亡びる。そのことを先人は知っていたのである。
 君には君の規約があり、僕には僕の規約がある。それは短編には短編の規約があり、長編には長編の規約があるということでもある。
 さらにはケースバイケースということも──。

※ 注記
「秘蔵図式」は「秘戯図式」のはずなのだが(その49参照)、原文では2箇所とも「秘蔵」になっている。

-----つづく-----

2013年12月10日 (火)

完本『詰将棋 トライアスロン』その52

1994年3月号
古図式の余詰と誤図

 門脇芳雄氏が、「詰棋めいと」第15号に、「すでに全国の各新聞や詰パラなどにも報じられたように、コンピュータで詰将棋を解く素晴らしいプログラムが誕生し、数多くの古図式の大作を解いたばかりか、『図巧』や『無双』にまで、従来知られていなかった余早詰を発見したり、119手詰の作品を2分間で解いたり、信じられぬような活躍をしている。
 プログラム誕生のきっかけはCSA(コンピュータ将棋協会)で詰将棋を解くプログラムの研究を取り上げたからで、詰将棋プログラムが学問的に研究されるようになり、数々のプログラムが発表された。中でも電気通信大学野下浩平教授のプログラム(本稿では『野下』と呼ぶ)と、NTTソフトウェア研究所伊藤琢巳研究員のプログラム(本稿では『伊藤』と呼ぶ)は目を見張るような性能を持っており、遂に古図式にも挑戦するようになったのである。
 両氏は、私の旧著『詰むや詰まざるや』と『続・詰むや詰まざるや』の中の作品をコンピュータに解かせ、難問集として知られる両書の数多くの問題を解いたばかりか、数十題の不完全作まで発見された。この中にはこれまで『名作』とか『誰々の代表作』とか言われてきた歴史的な名品も少なくない。これは古図式研究の立場からも見過ごせぬ大事件である。両氏から研究成果のコピーを頂いたので、ここにその全貌をご紹介する。」
 というわけで、「コンピュータが見付けた古図式の早詰」である。
 “その全貌”というのが凄まじい。
①二代伊藤宗印作「将棋勇略」76番
②二代伊藤宗印作「将棋勇略」96番
③望月仙閣「将棋記大全」3番
④伊野辺看斎作「象戯手段草」10番
⑤久留島喜内作「将棋妙案」54番・59番・61番・76番・70番
⑤久留島喜内作「橘仙貼壁」100番・119番・2番・118番
⑦八代大橋宗桂作「将棋大綱」89番・36番・49番・100番
⑧九代大橋宗桂作「将棋舞玉」72番・19番・51番
⑨作者不詳「神局図式」39番
⑩松本朋雅翁「将棋万象」8番
⑪今田政一作「将棋龍光」23番
 以上の23局、悉く不完全だったとは。
 さらに、
「これで本稿を終わる筈のところ、全稿を書き終えたところでビッグニュース! 詰将棋の聖典『将棋図巧』に、もう一題、早詰が見付かったのである(これまでは『伊藤』の発見で、第三十六番に3手目25同飛以下の余詰が指摘されていた。詳細は詰パラ本年2月号に紹介済み)。
 問題は図巧第六十六番である。本題は遠角の名作で、本手順の5手目、持駒の角を選りにも選って82角と、玉方歩頭に限定打する奇想天外な構想である。この作品に簡単な早詰があったというのである。

【図巧66番】
5266

 図巧第六十六番作意
38銀、18玉(途中図)、19香、同玉、82角、同歩、29飛、18玉、81馬、27歩、
19歩、17玉、27馬、同桂、同飛、16玉、28桂、15玉、17飛、24玉、
14飛、同玉、25金、13玉、12と、同玉、22歩成、同銀、23金、同銀、
同銀、同玉、24歩、33玉、43金、22玉、32と、11玉、22銀、12玉、
23歩成、同玉、33金、12玉、11銀成、13玉、12成銀、同玉、22と、13玉、
23金まで51手

【途中図】
52

 指摘は途中図の箇所。ここで本手順は19香とし、同玉、82角と主題の遠角を打つのだが、19香でなく『19歩』以下、簡単な早詰が発見された。
19歩、17玉、18香、同桂成、同歩、同玉、16飛、17歩、29銀、27玉、
38角、同飛成、同馬まで15手
☆指摘=『野下』『伊藤』
『アッ』と驚く早詰! コンピュータの大金星である。しかし、普通ならこの局面では誰でもこの19歩から考える筈。そして19歩と打てば、以下は詰パラの中学校程度の解答力があれば読み切れる一本道の早詰である。それに比べて本手順の19香、同玉、82角…なんて凄い手はとても凡人に読める手ではない。とすると、江戸時代から『詰将棋の神様(看寿)の威光』に目が眩んで、誰一人本題を自力で解いた人が居なかったのかしら?
 私もあまりのことに驚いて、図面が間違っていないか、数種類の『将棋図巧』を調べてみたが、図面は間違っていなかった。」
 こりゃもうコンピュータの軍門に降るしかないか。
 ところで、“江戸時代から『詰将棋の神様(看寿)の威光』に目が眩んで、誰一人本題を自力で解いた人が居なかったのかしら?”というのはもっともな疑問だよね。19香以下の作意より19歩以下の早詰のほうが数倍発見容易なのでね。私の場合はどうだったかというと、思い出しました。こどもの頃、一応目を通しました。1番から100番まで。解けたのもあるし、解けなかったのもある。解けなかったのはカンニングしたりして。
 例えばA図。

【A図】
52a

 私は次のように解いた。
63角、84玉、93飛成、同玉、92飛不成、83玉、84歩、同玉、85歩、83玉、
74角成、同玉、94飛成、84合駒、92馬まで15手
 ところが、作意は次の如し。
63角、84玉、93飛成、同玉、92飛不成、83玉、84歩、同玉、85歩、83玉、
82馬、同銀、74角成、同玉、94飛成、73玉、62銀不成、同銀、74龍、同玉、
84金まで21手
 
の所から、私の解は74角成以下だったが、作意は82馬だった。
 このことを黒川一郎氏に話した。忘れもしない、それは昭和三十年頃のことだった。それというのも、その頃黒川氏から次のような返信を貰い、それが縁で何度か遊びに行っていたのでね。
「前略、お手紙拝見。煙詰盤に並べて鑑賞しました。煙詰創作は至難の業で、天才奥薗君も失敗しています。私が看寿に次ぐ第二回目の完全作を出して以来、植田君の第三号が出て、それっきりの棋界です。才智溢るる実力者北原君も創作途中投げています。貴作は第四号ですね。実に敬服しました。その苦労察するに余りあり。その構想は看寿99番に源を発し、と金消去角龍コンビのプロットも、その真髄は同じですが、これに銀の消去を加えた為に僅かに模倣の位置から逃れています。併し人に依っては真似だと喝破されるでしょう。若し私が解説を書くなら、その然らざる所以を強調するのですが、果たして私が書くか? というのは身辺多事な為に担当を今月限りで辞退しているからで。従って選題もしていません。修正図以前の図を私は見ていませんので、風ぐるまヘンシウ部へ至急訂正の通知を出して下さい。」
 A図の早詰のことを黒川氏に話したとき、いや驚いたの何のって、図面が間違っていたのである。
 A図とは図巧5番である。それは大森書房発行の図面であった。「昭和四年一月二十五日印刷・昭和四年一月三十日発行・編者溝呂木光治・発行者島田銀之助」という堂々たる本(『将棋図巧◇秘曲集』詰将棋精選第一巻・定価金壱円)の図面である。この図面が間違っていたなんて、まさかまさか、初恋の彼女に裏切られた思いであった。
 黒川氏が盤の上にさらさらと並べたのはB図であった。Aの所から、74角成、同玉、94飛成、84合駒、92馬、83合駒、それを同馬と取ろうとして、ん? 取れないではないか。いつの間にか「玉方91桂」が……。

【B図】
52b

 してみるとB図が図巧5番の正図なのであろう。私の解はまぼろしだったわけで、かくて雲散霧消。
 さて、図巧66番だが、もしかして図面が間違っているということはないだろうか。たとえばC図ならば19歩以下の早詰は成立しないよね。「詰方16桂」の脱落ということはないのだろうか。

【C図】
52c

 図巧66番の図面は間違いないとして、しかし19歩以下の解者とすれば図面がおかしいと思うのではないだろうか。門脇氏が言われたように、“普通ならこの局面では誰でもこの19歩から考える筈。そして19歩と打てば、以下は詰パラの中学校程度の解答力があれば読み切れる一本道の早詰”なのでね。
 図巧5番の図面がいくつかある。「玉方91桂」のあるのとないのと。それと同じように図巧66番の図面もいくつかあるのではないだろうか。「詰方16桂」のある図面もなかったとは言い切れないのではないだろうか。
 いやいや、そんなことはあり得ないとは思う。脱落とか誤植とかがあってたまるか。普通の作品集ならいざ知らず、詰将棋の聖典「将棋図巧」だぞっての。だが、それでもなおかつ間違いの生じるのが詰将棋というものだよね。

【D図】
52d

 図巧66番の作図過程としては、まずD図。D図を得た時点で看寿は安心してしまったかもしれない。D図から「38銀、18玉、19香、同玉」の4手、この逆算手順には余り緊張が感じられない。19香の所19歩の検討を看寿はしただろうか。もししていれば「詰方16桂」を置いた筈である。置くつもりでいて、献上の際、うっかり失念ということもなかったとは限らないか。
 とにかく御し難いよね、詰将棋ってのは。私の作品の場合でいうと、完成までにいつも何図経ることか。困るのは、その“途中図”を後世に伝えられること。「図巧」は不完全率一割である。その約十局の不完全作を看寿自身が修正していたかもしれない。我々の修正を、とんでもない修正だと怒っているかもしれない。

-----つづく-----

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