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2017年7月11日 (火)

象戯

 江戸時代の文芸書で、「象戯」や「象棋」と書いてあるものに今のところ出合わない。「將棊」もしくは「將棋」であり、「將棊」の例が多い。「江戸文芸に見る『将棋』」に示した通りである。
 最近は原文通りの漢字ではなく通行字体に書き直して「将棊」「将棋」となっている翻刻が多いが、原文は「將棊」「將棋」なのだろうと思う。この点、『定本西鶴全集』は凡例に「活字印刷の技術の可能な範圍に於て、原本を忠実に翻刻する」とあり、これが望ましい態度であるのは言うまでもない。
 こういうことを書き始めたのは、田代達生の次の一文が心に留まっていたためである。
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題簽の「将棊詰方指南」の将棊の文字についても若干考えさせられる。江戸時代の前半にあたるこの頃までの棋書では、例外は皆無ではないが、殆ど象戯の文字が使用されている。従ってこの本は、宝永の版をそのまま使用し、題名には読者のためにわかり易い「将棊詰方指南」と付け直した後世(おそらく江戸末期)の出版ではないかと考えられるのである。
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(「詰棋めいと」第3号 1985年8月「
宝永三年版『象戯洗濯作物集の研究」より)

 ここで「将棊」とあるのは題簽通りで「將棊」ではない。『大漢和辞典』によれば「将」は「將」の略字であって、俗字ではない。以下、正字、俗字等の区別は同辞典に基づく。
 「例外は皆無ではない」というのは『將棊記』(1653年)や『新刊將棊經鈔』(1654年)などが念頭にあったのだろう。『新刊將棊經鈔』は二代宗古の図式集だが、献上本の書名は『象戯作物』である。献上本に「將棊」「將棋」は一例もない。
要するに「象戯」はハレで、「將棊」「將棋」はケなのだ。
 「棊」と「棋」の関係は、棋は「棊に同じ」とある。同字ということになる。
 一般的には棋書の「象戯」が例外で、「將棊」「將棋」と書くのが普通だったのではないかと思われる。
 棋書以外で「象戯」と書いた例は林鷲峰『國史館日録』1668年10月23日付けの「伊藤宗看來、是當時象戯無雙」及び1669年2月16日付け、「伊藤宗看來、其子宗桂同至、宗看是當時象戯無雙上手也」にある。これは鷲峰の息子、春常(鳳岡)に、初代宗看が息子五代宗桂の『象戯作物』(象戯手鑑)の序文を乞うた話なので「象戯」である方が自然である。
 他には
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御晩年にいだ(ママ)りて。閑暇の御遊戯には。常に象棋をなされけり。その業の者にては伊藤宗印宗鑑。大橋印壽をめして對手とせらる。…後には詰ものといふ書をさへあらはし給へり。…其書なりて。名をば成島忠八郎和鼎に命ぜられしかば。象棋攷格として奉れり。
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「浚明院殿御實紀」附録巻三(『
新訂増補國史大系』第四十七卷「德川實紀」第十篇 1999年6月 新装版第一刷 吉川弘文館)
 「伊藤宗印宗鑑。大橋印壽」は五代宗印(七段)、六代宗看(名人)、九代宗桂(名人)。
 「德川實紀」は、言うまでもなく江戸幕府の公式記録である。「浚明院殿御
紀」は、そのうちの十代将軍徳川家治の治績について記したもの。よく見ると「象棋」の象は
Photo_16 である。この字は象の俗字である。
 また「戯」は「
」が正字で戯は俗字である。天理図書館にある『象戲手段草』の題簽は正字の「戲」になっている。
 戲でも戯でもPhoto_17 (これも俗字)でもない妙な字があって、PCでは漢字変換できない。
Photo_12  これは土佐山内文庫の『象戯圖式』(将棋舞玉)の題簽の字。序文には
「象戯」の文字は4箇所ある。この字が2、下の題簽と同じ戯が2。混在している。

 伊達文庫の『象戯作物』(将棋勇略)の題簽はこうである。
Photo_10 (hiroさん提供)

 勇略の序文に「象戯」の文字は7箇所あるが「象戯圖式序」という内題序だけが「戯」で、あとは上記題簽と同じ文字である。

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