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2017年7月の6件の記事

2017年7月25日 (火)

江戸文芸に見る「将棋」その7

近松門左衛門「山崎与治兵衛寿門松」(やまざきよじべえみぎはのかどまつ)より
中の巻

…昨日の駒動かせず置きました.サアござれござれ.しからば勝つても負けてもこれ一番.昨夜から盤の上とつくと見定め.工夫した相手とさすはこはもの.お手はこなたか、サア遊ばせ.まづ飛車先の歩を突きませう.ヤこの成金してやらうでの.かう寄りませう.浄閑頭を叩いて.ハアゝ南無三.この馬落ちた、深田に馬を駈け落し.引けども上がらず、打てども行かぬ望月の.駒の頭も見えばこそ、むつかしゆなつたと、案じける.
 おきく盤のそばにより、これ父様.あちらの方が落ちればこちらも落ちる.両方の睨み合うていつまでも埒明かぬ.迷惑する駒はたつた一枚.浄閑様のお手には金銀がたんとある.欲を離れて金銀さへお打ちなさるれば.これ、この父様のむかふの、浄閑様のこの馬は助かる.どうぞ手にある金銀を打ち出させますやうに.思案してみしやんせ.合点か合点かと袖を引けば、治部右衛門うち頷き、オゝオゝオゝ、よう知恵つけた、呑み込んだと.言へども、浄閑気もつかず.親ぢやと思ふて助言言ふまい言ふまい.またちょつこりと歩で合いたそ.ムゝ、シテお手に何々.浄閑が手には金三枚、銀三枚.歩もござる.この歩で回したら、まだ金銀がふえましよ.いかい銀持(かねもち)羨ましいか.銀持とは、この角が睨んでゐる.かう寄つたらば金銀出して打たずばなるまいぞ.でも金銀は放さぬ.桂馬を上がろ.治部右衛門堪(こた)へかね.ハテいかい吝(しは)ん坊、沢山な金銀握りしめて何になさるゝ.来世へ持つて行かるゝか.これご覧なされ.この飛車をかう引けば、天にも地にもたつた一枚のこなたのこの玉が.片隅へ座敷牢のごとくおつ籠められ.今の間に落ちるが、金でも銀でも打ち散らして.囲うてみる気はござらぬか.我らが吝いは知れたこと.座敷牢へ入らうが、都詰にならうが.金銀は手放さぬ.歩あしらひで見知らせう.こなたも歩をもつて、ぶに首を提げらる(
※1)が、悔みはないか.構わぬ構わぬ.まづ逃げてゐませう.コレそのうちに香車の鑓をもつて鑓玉に上げらるが.それでも金銀出すまいか.勿体ないこと.鑓玉に上げられうが.獄門に上がらうが.手前の金銀は放さぬ放さぬと.両馬強き欲の皮、そばでおきくは気を揉みて.つゝむ涙も手見せ禁(※2)、命手詰め(※3)と見えにけり.…

---
(『
新編日本古典文学全集74 近松門左衛門集①』1997年3月 小学館)
※1 夫に首あげらる 戦場で雑兵に首を取られる意の諺
※2 手見せ禁 待ったなしの意
※3 手詰め 手段に窮する

 1718(享保3)年1月2日、竹本座初演。
 漫然と将棋を指しているのではなく、与治兵衛の妻おきくは、助言に見せて、浄閑(与治兵衛の父)にお金を使って与治兵衛を助けるように訴えているのである。治部右衛門はおきくの実父。

2017年7月22日 (土)

江戸文芸に見る「将棋」その6

 いささか、看板に偽りがあることになるが、室町時代の俳諧書に「将棋」を見つけた。

『竹馬狂吟集』(作者不明 序文は1499年の日付 写本であり孤本 天理図書館蔵)
巻第九

馬の上にて稚児と契れり
山寺の将棋の盤をかり枕

---
(『新潮日本古典集成 第七七回 竹馬狂吟集 新撰犬筑波集』1988年1月 新潮社)

 上掲書は現行の漢字に直しているので、「将棋」は原本では違っているはずである。「將棊」かと予想して影印本(「天理図書館善本叢書」第二十二巻『古俳諧集』1974年11月 八木書店)を見てみると、

    むまのうへにてちこと契れり
山てらのしやうきのはんをかり枕

と読め、「將棊」ではなかった。


『醒睡笑』(安楽庵策伝 1628年成立ヵ)

巻之一
謂被謂物之由来(いへはいはるゝものゝゆらい)

一 信長公、諸大名をよせ給ひ、馬ぞろへあそはし、おもひおもひの出立、はなやかなりし風情にて、きらをみかき、あたりをかゝやかせば、いにしへも、ためしまれなる事と、沙汰しあえり、即、主上も簾中より叡覧なされし
 金銀をつかひすてたる馬そろへ将棋に似たる王の見物


巻之二
名津希親方

一 又東堂にむかひ、それかし、若年より心にかけ、碁、将棋、連歌、弓法の道を心得て候まゝ、その旨を工夫ありて、斎名(さいみん)をあたへたまへとこふ、僧ほめて、人に一徳ある事まれなり、それならは、唯、四徳斎といはん
 
いやな斎名の

---
 なぜ「いやな斎名」なのか、四五日考えた。

佐保姫の春立ちながら尿(しと)をして 『犬筑波集』
蚤虱馬の尿する枕もと 『おくの細道』

 四徳斎=尿(しと)臭いである。「しとく さい」と読んでいたために「しと くさい」になかなか思い至らなかったのである。


巻之三
不文字

一 京都四条の河原にて、将棋の馬をひろひたる者あり、何ともしらで、主に見せたれば、是はすごろくの碁いしといふ物也


巻之四
そてない合点

一 上手の碁が、今朝、めし過より八つさかりになるが、いまだ二番はてぬと、いふをきゝて、それは逆馬になつた物であらう、はてまいぞ、雄長老、

---
 いずれも『假名草子集成』第四十三卷(2008年4月 東京堂出版)。
 単に「将棋」の文字が出てくるというだけで、面白味はなかった。


『新増犬筑波集』(松永貞徳編 1643年刊)

   一二一二ともじぞみえける
おりはうつさいに将棋の馬をして

---
(『古典俳文学大系」1 貞門俳諧集一』(1970年11月 集英社)

 「おりはうつ」が何なのか知らないと難しい。盤双六とは別に、折羽双六というものがあって、双方12枚の駒を置き、竹筒に入れた賽を振って、出た目の数で相手の駒を早く取るきることを競うのだそうである。
 俳諧に出てくる双六はほとんど一対一の勝負である盤双六で、絵双六ではないようだ。


『時勢粧』(いまようすがた)(松江重頼編 1672年刊)

        螺鈿の軸も猶古草紙 維舟
碁将棋も向ふ徒然のひぐらしに
---
(『古典俳文学大系2 貞門俳諧集二』(1971年3月 集英社)


『大阪獨吟集』(1675年刊)

夕日影ゆびさす事もなるまいぞ 三昌
    雲のはたてにはづす両馬

---
(『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(1991年5月 岩波書店)

 上掲書の註に
「ゆびさす」を指でさす意に取成し、飛車・角行の両馬外しの将棋を付けた
とある。
 相手がヘボなので、二枚落ちにしたのである。

2017年7月16日 (日)

「詰棋界」 その54

 第4巻第3号(通巻第20号)のつづきです。全体のページ構成はこちら


目次の頁にある「おわび」と「20号を迎えて」

おわび

編集責任者である私が、病いのためペンを取ることが出来ず、心ならずも「詰棋界」の発行が遅くなってしまった。
まことに申訳けありませんでした。深くお詫び申上げる次第です。
清水孝晏

20号を迎えて

 創刊号4ページという姿で発足した詰棋界も号を重ねて本号で第20号となりました。
 これもひとえに会員諸兄の御協力とご支援があったればこそと、深く感謝いたしております。
 さて盛夏も、すぐそこに来ています。次号は特大号として40頁で発行しますから、作品玉篇をドシドシお寄せ下さい。


名作探訪(2) 柴田昭彦

 前回の酒井(※1)独歩氏の後をうけ不肖小生が筆を執る事になりました。
 戦後は、看寿の享保時代に次ぐ第二期詰将棋隆盛期に当り、アマ作家の活躍は著しいものがあります。特に短篇は玄人の作品に劣らない立派なものが沢山あります。
 しかし短篇は新しい手筋が発見されない限り行き詰まり状態にあるといわれています。又、類似作も多く、詰上りでの論争は後を絶え(ママ)ないようです。(私も風ぐるま誌において類似作の指摘をうけた)前置きはこのくらいにして

荻野修次氏作(※2)

Ogino

 本作は形こそ余り良くありませんが、それぞれの駒の性能を十二分に活用した、いわゆる筋の良い作と思います。攻方の飛二枚に囲まれた玉ですが、馬が上下に効いていますから、うまく攻めないと失敗します。初手23竜(ママ)は絶対、これは同玉の一手。ここで詰棋に手慣れた人なら、すぐに12飛成の手が浮びましょう。以下の23竜、14角は溜息が出る。
 短篇は、だいたい形を主眼とするものと、手順を主眼とするものと二通りありますが、本作は後者の方で小生も形にとらわれぬ作の方を好みます。
 なお、蛇足のようですが、本作品とよく似た左図が、本局と同じ昭和26年の将棋評論新年号に発表されていますが、発表の月日が同じですから、これは確実な偶然の一致でしょう。


市川六段作(※3)

Photo

==荻野氏作意==
23銀、同玉、12飛成、14玉、23竜、25玉、14角、同歩、34竜、同馬、26金まで

---
※1 酒井は誤記。酒中が正しい。本名、小西寛。
※2 旧パラ1951年1月号別冊付録「百人一局集」掲載
※3 DBにこの図はない…

 荻野作は好形作で、これで形が良くないというのだから、現代の順位戦の作などは論外であろう。


新会員です どうぞよろしく

岡山 平田好孝
大阪 小林譲
兵庫 伊賀井清一
兵庫 森田正司
山梨 三枝文男
島根 岡田富行

 25名のうち、見たことのある名前だけ。三枝文男は文夫?

2017年7月11日 (火)

象戯

 江戸時代の文芸書で、「象戯」や「象棋」と書いてあるものに今のところ出合わない。「將棊」もしくは「將棋」であり、「將棊」の例が多い。「江戸文芸に見る『将棋』」に示した通りである。
 最近は原文通りの漢字ではなく通行字体に書き直して「将棊」「将棋」となっている翻刻が多いが、原文は「將棊」「將棋」なのだろうと思う。この点、『定本西鶴全集』は凡例に「活字印刷の技術の可能な範圍に於て、原本を忠実に翻刻する」とあり、これが望ましい態度であるのは言うまでもない。
 こういうことを書き始めたのは、田代達生の次の一文が心に留まっていたためである。
---
題簽の「将棊詰方指南」の将棊の文字についても若干考えさせられる。江戸時代の前半にあたるこの頃までの棋書では、例外は皆無ではないが、殆ど象戯の文字が使用されている。従ってこの本は、宝永の版をそのまま使用し、題名には読者のためにわかり易い「将棊詰方指南」と付け直した後世(おそらく江戸末期)の出版ではないかと考えられるのである。
---
(「詰棋めいと」第3号 1985年8月「
宝永三年版『象戯洗濯作物集の研究」より)

 ここで「将棊」とあるのは題簽通りで「將棊」ではない。『大漢和辞典』によれば「将」は「將」の略字であって、俗字ではない。以下、正字、俗字等の区別は同辞典に基づく。
 「例外は皆無ではない」というのは『將棊記』(1653年)や『新刊將棊經鈔』(1654年)などが念頭にあったのだろう。『新刊將棊經鈔』は二代宗古の図式集だが、献上本の書名は『象戯作物』である。献上本に「將棊」「將棋」は一例もない。
要するに「象戯」はハレで、「將棊」「將棋」はケなのだ。
 「棊」と「棋」の関係は、棋は「棊に同じ」とある。同字ということになる。
 一般的には棋書の「象戯」が例外で、「將棊」「將棋」と書くのが普通だったのではないかと思われる。
 棋書以外で「象戯」と書いた例は林鷲峰『國史館日録』1668年10月23日付けの「伊藤宗看來、是當時象戯無雙」及び1669年2月16日付け、「伊藤宗看來、其子宗桂同至、宗看是當時象戯無雙上手也」にある。これは鷲峰の息子、春常(鳳岡)に、初代宗看が息子五代宗桂の『象戯作物』(象戯手鑑)の序文を乞うた話なので「象戯」である方が自然である。
 他には
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御晩年にいだ(ママ)りて。閑暇の御遊戯には。常に象棋をなされけり。その業の者にては伊藤宗印宗鑑。大橋印壽をめして對手とせらる。…後には詰ものといふ書をさへあらはし給へり。…其書なりて。名をば成島忠八郎和鼎に命ぜられしかば。象棋攷格として奉れり。
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「浚明院殿御實紀」附録巻三(『
新訂増補國史大系』第四十七卷「德川實紀」第十篇 1999年6月 新装版第一刷 吉川弘文館)
 「伊藤宗印宗鑑。大橋印壽」は五代宗印(七段)、六代宗看(名人)、九代宗桂(名人)。
 「德川實紀」は、言うまでもなく江戸幕府の公式記録である。「浚明院殿御
紀」は、そのうちの十代将軍徳川家治の治績について記したもの。よく見ると「象棋」の象は
Photo_16 である。この字は象の俗字である。
 また「戯」は「
」が正字で戯は俗字である。天理図書館にある『象戲手段草』の題簽は正字の「戲」になっている。
 戲でも戯でもPhoto_17 (これも俗字)でもない妙な字があって、PCでは漢字変換できない。
Photo_12  これは土佐山内文庫の『象戯圖式』(将棋舞玉)の題簽の字。序文には
「象戯」の文字は4箇所ある。この字が2、下の題簽と同じ戯が2。混在している。

 伊達文庫の『象戯作物』(将棋勇略)の題簽はこうである。
Photo_10 (hiroさん提供)

 勇略の序文に「象戯」の文字は7箇所あるが「象戯圖式序」という内題序だけが「戯」で、あとは上記題簽と同じ文字である。

2017年7月 5日 (水)

江戸文芸に見る「将棋」その5

 井原西鶴特集。

『獨吟一日千句』(1675年刊)『定本西鶴全集』第十巻(1954年 中央公論社)より
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片手では思ひもよらぬ將棊盤
なくさみかへて發句あそはせ

---
 上掲書の註に「力競べに将棋盤を片手にてさし上げる」とある。


『西鶴俳諧大句數』(1677年刊ヵ)
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適の御出に豆腐さへなし
是からは將棊をやめて秀句つめ

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 註に「適-タマ」。また「秀句つめ-秀句詰。秀句に言ひ勝ちたるもの豆腐の田楽を取る咄あり」とある。「秀句」はこの場合、地口、軽口の類であって必ずしも俳句とは限らない。この豆腐田楽の咄は広本系写本『醒睡笑』巻之六の「児の噂」にある。

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豆腐二、三でうを田楽にせしか、人おほなり、いさ、むつかしき三字はねたる事を言ひて、くはんと義せり、雲林院、根元丹、せんさんびん、さまざま言ひつゝとりて、みなになるまゝ、小児たへかねて、茶(ちや)うすんといひさまに、二つ三つとり事は
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(『假名草子集成』第四十三巻 2008年 東京堂出版)
 「せんさんびん」は陶器製の水差しで「仙盞瓶」と書くそうな。
 「三字はねたる事」なので「ん」が三つ入っていなければならないのに、「茶うすん」は一つしか入っていない。それにしても「茶うすん」とは何だろうか。茶臼に「ん」を付けただけなのか、さらに意味があるのだろうか。


『物種集』(1678年刊 井原西鶴編)。
付合集。秀逸な付句を蒐集し、編纂したもの。
---
取(とり)ずてにする浦の貝がら
   中将棊和歌吹上にさし懸り 
仏眼寺喜祭

ついて出る鑓と云より香車かゝ
   大手の木戸の鑰腰につけ 
梶山保友

---
 「取ずて」から中将棋を連想したもの。中将棋では持駒はなく、取り捨てになる。
 和歌吹上は和歌の浦の吹上の浜、即ち佳境の意味だろう。

 「香車かか」は既にあったようにやり手婆のこと。「かか」は「嚊」。
 註に、「鑰腰につけ」は「遣手の風俗。腰に鍵を提ぐ」とある。


『西鶴大矢數』(1681年刊)『定本西鶴全集』第十一巻下(1975年 中央公論社)より
---
始末して居喰に暮す山の秋
隙ならさそう獅子の勢い

將棊の金銀こかね山吹
玉川の蛙も隙に相手とり

---

 前句の居喰を獅子の動きに見立てた付である。
 註に言う。「居喰」は無為徒食。「隙ならさそう」はひまなら将棋を指そうの意。

 玉川…歌枕である井手の玉川(京都府)を指すのであろう。
 蛙なく井手の山ぶきちりにけり花のさかりに逢はましものを 
読人しらず
(『新日本古典文学大系5 古今和歌集 巻第二』 125 1989年 岩波書店)
 山吹から玉川を連想したのだろう。

2017年7月 2日 (日)

江戸文芸に見る「将棋」その4

『江戸談林三百韵』(1676年 松意・正友)。『談林俳諧篇』(1948年6月 養德社)より。
---
なり上り家中に人もなき様に 松意
     桂馬飛して大小金鍔 正友

---
 三百韵の第二。今一つ意味が分からないが、成り上がり者だからまっとうに昇進したのではなく、トリッキーにうだつを上げたことを「桂馬飛」と見立てたか。
 大小金鍔は刀と脇差しを金(または鍍金)の鍔でけばけばしく飾っている風体。


『俳諧三部抄』(1677年 岡西惟中編)上掲書より。
---
     宮古のうちハ水をふすかせ 
佐々木重賢
將棊の盤よハき馬をハ下手に立て 同

鎗つかふ跡は都へかよふらし 惟中
    香車へたつる遠山の雲 同

---
 「宮古」は都。「水をふすかせ」は水を伏す(押さえつける)風か。
 「馬」は角の成駒でなく、駒であろう。

 「香車へたつる」は香車隔つるだと思うが、「鎗(やり)」からの連想だろう。しかし意味は分からない。


『二葉集』(1679年 杉村西治編)。『古典俳文学大系3 談林誹諧集一』(1971年 集英社)より。
---
盛(さかり)には花見の庭もつまりけり 水田西吟
        王手飛車手にかゝる藤浪 
梶山保友

つなげ馬あとより恋の責(せめ)くれば 
前川由平
        しのび宿には香車一まい 
立花

---
 「藤浪」は藤の花が波のように揺れるさま。「つまり(詰まり)」から「王手飛車」への流れか。

 「あとより恋の責くれば」は上掲書に典拠あり。…「枕よりあとより恋のせめくればせむかたなみぞ床中にをる」(『古今和歌集』巻十九 1023 『新編日本古典文学全集』1994年 小学館 より引用)。歌の意味、枕元からも足もとからも恋が私に迫ってくるので、どうにもこうにもしかたがなくて、寝床のちょうど中ごろで小さくなっているのだ」(上掲 全集より)。
 「香車一まい」…あとで西鶴の句にも出てくるが、おそらく、やり手婆の意。


『西鶴大矢數』(1681年 井原西鶴編)
---
わるくるひ唯山姥が業なれや
     夫上臈に香車うらめし

---
 一昼夜独吟4000句の内。「それじょうろうに」云々の「香車」は「遊女を監督する遣手」と『定本西鶴全集 第十一巻下』(1975年 中央公論社)の註にある。

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