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2017年6月 5日 (月)

西鶴と詰将棋

 前回は芭蕉の将棋の句に触れたので、今回は西鶴。
 芭蕉と西鶴は同時代人で生まれは西鶴が二年早く、没年も西鶴が一年早い。
 西鶴には『懐硯』(1687年)という短篇集があり、その中に「後家に成ぞこなひ」という作品がある。
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…かくて年月かさなりある時甚九郎つれづれなる雨の日淋しく。日比(ころ)將棊好にてむつかしきつめものの圖を案じける程に。朝の四つより七つ半まで詠(なが)め入。さても今合点(がつてん)が往(い)たこれでつむものをと。吐息つきながらうめきける音したるに。何事と女房かけ付て見れば。はや目を見つめて寒汗(ひへあせ)瀧のごとく。…
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(『定本西鶴全集』第三巻 1955年 中央公論社)

 朝の四つより七つ半は、午前10時から午後5時まで。詰将棋を長時間考えて、解けたと思った途端絶命するのである。実に詰キストの鑑ではないか。(笑)
 亡くなって直ちに、弟二人と女房がそれぞれに欲心を起こして財産を狙うが、絶命と思ったのが実は仮死状態で、息を吹き返したあと三人は勘当、離縁とさんざんな目に遭う。
 詰将棋の部分は話の発端に過ぎないのだが、詰物とは何かといった説明は全くなく、こういう風景が読者にも特に違和感なく受け入れられていたと思われることに注目したい。
 この当時、刊行されていた(詰)将棋書は「新増書籍目録」(1681年 山田喜兵衛刊)によると
 將碁教 宗固
 同大本 宗桂
 同首書 宗閑
 同鈔
 同仲古 久須見
 同鏡 同
 同作物 宗閑
 同中象戯

となる。宗固は宗古、宗閑は宗看であることは言うまでもない。
將碁教は將棊(新板將棊經 二代宗古 1654年 本屋甚左衛門刊)か。五代宗桂の『圖式 象戯手鑑 指南抄』(1669年 柏原屋清右衛門刊)などもあったはずだが。
 西鶴が実際に将棋を嗜んでいたかどうかは分からない。芭蕉の書簡は二百通以上遺っているので年譜はかなり克明だが、西鶴は十通も遺っていないので、動静がよく分からないのである。

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