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2017年6月 4日 (日)

洗濯と大矢数

 洗濯というと、坂本龍馬の姉宛書簡(1863年6月)にある「日本を今一度せんたくいたし申候」を思い浮かべる向きもあると思うが、ここでの主題はもちろん詰将棋である。

 『象戯洗濯作物集』(1706年 周詠編 風月荘左衛門刊)という詰将棋撰集があるが、いかにも奇妙な書名である。清水孝晏は「近代将棋」1970年5月号の「知られざる詰将棋」に本書を採りあげ、「題名が変っているだけでなく、内容も従来の詰将棋書とは異っている。(……)発行人が風月荘左衛門といういかにも人を喰った名前で、今日でいう海賊版ではなかろうか」と書いているが、風月堂は京師書林の老舗なのである。京都観光案内である『京羽二重』(1685年)にも「書物屋」10軒の中に名前がある。名古屋にも出店があったようで、芭蕉『笈の小文』途次の、「書林風月と聞きしその名もやさしく覚えて、しばし立ち寄りて休らふほどに、雪の降り出でければ いざ出でむ雪見にころぶ所まで 丁卯臘月(
1687年12月)初、夕道何某に贈る」という真蹟懐紙が現存する。夕道は京都の風月堂で修業した長谷川孫助の俳号。
 「詰棋めいと」第3号(1985年8月)に掲載された田代達生の論考によると、氏は『将棊詰方指南』と書名を変えた再版本(1854年以降・河内屋新次郎刊)を所持していた由。野田市立図書館電子資料室の
『象戯洗濯作物集』と「詰棋めいと」の『将棊詰方指南』は同じ板木のように見える。彫り直したのではなく、求板である。後の板元が書名を変えたのは、「洗濯」の語は似つかわしくないと思ったからなのだろう。
 ところで、「日本古典籍総合目録データベース」で検索したところ、江戸時代に「洗濯」を書名に含む本が、これに先立って一件だけあった。『俳諧洗濯作物』という俳諧の6巻本で寛文六年(1666年)の序文があるが、実際に刊行されたのは寛文十年以降にまで下るらしい。各地に零本があるが、6巻すべて所持していたのは正岡子規で、法政大の子規文庫にある。題簽の剥落もないらしい。編者は椋梨一雪という京出身の貞門派の俳諧師である。当時そこそこの実力者であったらしく、あちこちの撰集に入集している。序文を書いたのは加藤磐斎。貞門派は中世文学の知識の要求が厳しく、一派からは源氏物語や
枕草子の注釈書を著した北村季吟が出ているが、磐斎も実作より伊勢物語や方丈記の注釈書で知られている。初めて刊行された将棋の実戦集である『仲古將棊記』(1653年 久須見九左衛門刊)の序文を書いた加藤盤斎と同一人物であろう(盤はおそらく誤り)。

 さて、いかなる理由で「洗濯」と称したのか。
 その前に、今さら聞くまでもないと思われるかもしれないが「洗濯」の語義を明らかにしておこう。
 大漢和辞典に、「洗ひすすぐ。衣服に限らず、汚穢を去ること」として『後漢書』礼儀志上「是月上巳、官民皆潔於東流水上、曰洗濯祓除」を例示してある。是月は三月を指していて、「三月上巳の日、官民こぞって東へ流れる川のほとりで禊をするが、これを洗濯祓除という」ほどの意味だろう。三月上巳の日は後に三月三日に固定され、桃の節句となる。
 『俳諧洗濯作物』の跋文に一雪がいう。
 「釘の頭の出過ぎたるに、きぬの袖のかゝりかましく、もめん布このえり垢深くよこれたる心をすゝかましく、やがて洗濯物すなる盥の底の浅く敷、ミつから灰汁(あく)桶のたれたれの句数年月ため置しかと」云々。灰汁は文字通り灰を溶かした水の上澄みで、当時の洗剤である。
 また、磐斎が序文にいう。
 「洗濯物ハ、人びとの手をへてひねり出せる、思ひの糸のすゝけぬるにて、手織にしける言葉の花の錦のきれぎれをあらひすすぎて、色よきをえらびあつめてはたバりひろき一まきとつゞりたる、針手のきゝたるしわざなるべし」。「はたバり」は端張りで、幅を広くすること。灰汁は藁灰が良いとされるが、
斎はわざわざ「いかなる水にてあらへるや。わらの灰汁に非ず。……是ハこれ雪げの水なり」と雪解けの水として一雪に掛け、編者としての手腕を持ち上げている。
(引用は『俳諧洗濯物 俳諧碪』1995年「古典文庫」581より)

 一方
『象戯洗濯作物集』の序文は次のようにいう。
 「有る人が問ひて云く、此の作物象戯洗濯と名付くること、家の撰集其の外素人の作の粗誤を見出して抄に顕はせり。剰(あまつさ)へ先図を借るのみにあらず、我が侭に洗ひ濯ぐと云ふ事は、其の家の衆にさも似たり。如何と。答ふらく。分浄水を以て之を洗ふが故に洗濯と号す。譬へば並家の衣を洗ふが如し。後者も極清水を以て余が垢穢を濯ぎたまへと」
(田代氏読み下し文のまま)
 『俳諧洗濯作物』の書名、序跋文が
『象戯洗濯作物集』に何らかの影響を与えたかどうかは分からない。余談だが、「洗濯」は当時「せんだく」と読んでいたと思われる。1603年刊の『日葡辞書』にXendacuとあり、Qirumonouo xendacu suru.(着る物を洗濯する)と例文がある。『俳諧洗濯作物』については『誹家大系図』(1838年 生川春明)の一雪の項に著書として「せんだくもの」と記す。

 
『象戯洗濯作物集』は、福岡瀬平という人が古今の作品集についての評価や誤りを記して所持していたものを周詠が抜き書きして紹介するという体裁を取っている。瀬平は、蒐集した好作を記した本も持っていたと序文にあるが、こちらは「是記すに及ばず」とそっけない。『象戯洗濯作物集』は福岡瀬平が欠陥のある作品を指摘した問題作集という側面と周詠が集めた好作集という面を合わせ持った撰集なのである。
 福岡瀬平も周詠も他の文献に名を見ることが出来ない謎の人物であるが、序文中に「上方咄」について触れた部分があることから、周詠は京・大坂に関わりがある人物かもしれない。その「上方咄」だが、芭蕉の曲水宛1692年9月の書簡に「昨夜五つ前上方咄」とあり、そこでは膳所の珍碩が午後8時前に深川の芭蕉庵に着き、上方の俳人仲間の土産話をしたという意味に取れるので、
『象戯洗濯作物集』の序文の「上方咄」が上方落語に限定されることはないと思われる。

 田代は詰パラ1980年11月号の「無住仙良と宥鏡」のなかで、「洗濯作物集も亦、同一人物によるものではないかと推定している」と書いている。無住仙良=宥鏡=周詠という説であるが、正鵠を射ていると思う。
 宥鏡『象戯大矢數』(1697年)の「大矢數」も俳諧の書名から来たのかもしれない。大矢数は、京都の三十三間堂で日暮れから翌日の日暮れまで24時間に何本の矢を射通すことができるかという競争で、記録を破るため次々に挑戦者が現れ、世間の耳目を集めたらしい。『遠碧軒記』(1675年 黒川道祐)には最初の記録51から当時の記録8000まで、記録の変遷が細かく記されている。最終的に1686年の8133本が記録となった。これをめざとく誹諧の興行にしたのが井原西鶴で、一昼夜に1600句を吐き
1677年西鶴俳諧大句數」と題して出版した。初めて「大矢数」の題簽を持った「誹諧大矢数 千八百韵」(1678年 中村七兵衛刊)を著し西鶴の記録を塗り替えたのは月松軒紀子である。もっとも、証人不在で極めて疑わしいと西鶴は難じている。西鶴は1684年に宝井其角を後見として23500句という気の遠くなるような記録を打ちたて、競争にピリオドを打った。
 『象戯大矢數』は言うまでもなく「番外」の391手詰を大矢数に見立てたのだろうが、正編でなく番外作を念頭に書名としたのは不思議ではある。

170001

72馬、91玉、73馬、81玉、63馬、91玉、64馬、81玉、54馬、91玉、
55馬、81玉、45馬、91玉、46馬、81玉、36馬、72歩、同馬、91玉、
73馬、81玉、63馬、91玉、64馬、81玉、54馬、91玉、55馬、81玉、
45馬、91玉、46馬、81玉、36馬、72歩、同馬、91玉、73馬、81玉、
63馬、91玉、64馬、81玉、54馬、91玉、55馬、81玉、45馬、91玉、
46馬、81玉、36馬、72歩、同馬、91玉、73馬、81玉、63馬、91玉、
64馬、81玉、54馬、91玉、55馬、81玉、45馬、91玉、46馬、81玉、
36馬、72歩、同馬、91玉、73馬、81玉、63馬、91玉、64馬、81玉、
54馬、91玉、55馬、81玉、45馬、91玉、46馬、81玉、36馬、72歩、
同馬、91玉、73馬、81玉、63馬、91玉、64馬、81玉、54馬、91玉、
55馬、81玉、45馬、91玉、46馬、81玉、36馬、72歩、同馬、91玉、
73馬、81玉、63馬、91玉、64馬、81玉、54馬、91玉、55馬、81玉、
45馬、91玉、46馬、81玉、36馬、72歩、同馬、91玉、73馬、81玉、
63馬、91玉、64馬、81玉、54馬、91玉、55馬、81玉、45馬、91玉、
46馬、81玉、36馬、72歩、同馬、91玉、73馬、81玉、63馬、91玉、
64馬、81玉、54馬、91玉、55馬、81玉、45馬、91玉、46馬、81玉、
36馬、72歩、同馬、91玉、73馬、81玉、63馬、91玉、64馬、81玉、
54馬、91玉、55馬、81玉、45馬、91玉、46馬、81玉、36馬、72歩、
同馬、91玉、73馬、81玉、63馬、91玉、64馬、81玉、54馬、91玉、
55馬、81玉、45馬、91玉、46馬、81玉、36馬、72歩、同馬、91玉、
73馬、81玉、63馬、91玉、64馬、81玉、54馬、91玉、55馬、81玉、
45馬、91玉、46馬、81玉、36馬、72歩、同馬、91玉、73馬、81玉、
63馬、91玉、64馬、81玉、54馬、91玉、55馬、81玉、45馬、91玉、
46馬、81玉、36馬、72歩、同馬、91玉、73馬、81玉、63馬、91玉、
64馬、81玉、54馬、91玉、55馬、81玉、45馬、91玉、46馬、81玉、
36馬、72歩、同馬、91玉、73馬、81玉、63馬、91玉、64馬、81玉、
54馬、91玉、55馬、81玉、45馬、91玉、46馬、81玉、36馬、72歩、
同馬、91玉、73馬、81玉、63馬、91玉、64馬、81玉、54馬、91玉、
55馬、81玉、45馬、91玉、46馬、81玉、36馬、72歩、同馬、91玉、
73馬、81玉、63馬、91玉、64馬、81玉、54馬、91玉、55馬、81玉、
45馬、91玉、46馬、81玉、36馬、72歩、同馬、91玉、73馬、81玉、
63馬、91玉、64馬、81玉、54馬、91玉、55馬、81玉、45馬、91玉、
46馬、81玉、36馬、91玉、37馬、81玉、27馬、91玉、37馬、81玉、
36馬、91玉、46馬、81玉、45馬、91玉、55馬、81玉、54馬、91玉、
64馬、81玉、63馬、91玉、73馬、81玉、72銀生、92玉、84桂打、同龍、
同桂、同金、91飛、同龍、同馬、同玉、71飛、82玉、81飛成、73玉、
75香、64玉、61龍、55玉、46金、同玉、66龍、45玉、46歩、54玉、
57龍、55角、53成香、64玉、63成香、75玉、55龍、86玉、66龍、97玉、
96龍、88玉、77銀、同玉、33角、78玉、98龍、79玉、88龍、69玉、
68龍
まで391手詰


 歩が17枚余る。『象戯大矢數』の番外頭書に「凡四百度」とあり、これが作意なのだろうが、ここまで駒が余るのは解せない。72歩合を省略すれば駒の余らない85手詰となる。当時の長手数記録は67手(『近來 象戯記大全』
(1695年)第3番  田代市左衛門作)なので、85手でも新記録である。
※神無七郎氏より、377手詰が成立することを教えていただきました。コメント欄を参照して下さい。

 「洗濯」、「大矢数」という書名が、ともに俳書に由来するというのは私の推察なのだが、宥鏡=周詠であればおかしくはない。『諸國象戯作物集』(1700年 宥鏡編 永田調兵衛刊)には俳句が四句紹介されている。このうち二句は芭蕉作とされていて、京作から招来されたものと書かれている。京作は『諸國象戯作物集』に詰将棋が二局採録されている人物である。「京作は盤上の工夫のみならず風雅の心さしもうとからぬにや」と評しているが、
宥鏡=周詠も風雅に疎からぬ人であったのだろう。蕉門では風雅は俳諧を指す言葉だった。

やま櫻將棊の盤も片荷かな
夏の夜や下手の將棊の一二番

 引用された芭蕉作とされる句は田代が「詰棋めいと」に書いた通り岩波文庫の『芭蕉俳句集』
(1970年)では存疑扱いになっているが、その後出版された『芭蕉句集』(1982年 新潮日本古典集成)では「やま櫻」の句は存疑に残り「夏の夜や」は消えている。「やま櫻」は宝暦年間に成立したと言われる『俳諧百歌仙』(小栗旨原編)にも若干字句を変えて収録されていることが物を言ったのだろう。さらに『芭蕉全句集』(2010年 角川ソフィア文庫)には存疑の部がなく、二句とも見られない。
 『諸國象戯作物集』に「是ノ百有余條ハ京江戸大坂備後長崎美濃尾張伊勢三河加賀越中信濃奥州其外在在所所ヨリ集作物」とある。「百有余條」は正確には102局である。ここに掲げられた地名におおむね共通するのは俳諧が盛んだったことである。
宥鏡=周詠は各地の俳人と文通しながら、その地の詰将棋作品も蒐集していたのではないかと想像するのである。

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コメント

『象戯大矢數』の番外作は従来391手詰とされていましたが、実際は377手で詰みます。
手順についてはWFP77号(http://www.dokidoki.ne.jp/home2/takuji/WFP77.pdf )の3ページをご覧ください。
これが見落としによるものか、作意なのかは分かりません。

また、個人的な見解としては、この図で72歩合を省略する手順が作意であるとは思えません。
盤上の歩の配置を極力減らした構図は、歩をできるだけ多く合駒させることが目的だと考えるのが自然だと思います。

神無七郎さま

コメントありがとうございます。
WFPは全部保存しているのに、見逃しておりました。
377手詰があるとは。
捨合する場合の最短手数でしょう。捨合が作者の意図だと思いますが、『象戯大矢數』の
頭書「凡四百度」のほか『象戯洗濯作物集』の序文には「凡四百十余手」とあるので、こ
の早詰は見落としではないでしょうか。

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