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2017年5月31日 (水)

江戸文芸に見る「将棋」

 古典詰将棋作品集について調べたいことがあり、このところ俳書を中心に元禄時代あたりまでの文芸書を読んでいるのだが、いくつか「将棋」を見かけたので記しておく。「将棋」を探しているわけではないのだが。


『尤之双紙』(もっとものそうし)下(斎藤徳元 1632年 恩阿斎刊ヵ)
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廿 おもしろき物の品々

…相手によりて、碁将棋もおもしろし。…
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 『尤之双紙』は全編「物尽くし」で、上巻は「長き物」「短き物」「高き物」など40題を並べ、下巻は「引く物」「さす物」など40題。
 序文に『枕草子』、『犬枕』(慶長年間)に書き漏らしてあることを集めたとある。
 上記『犬枕』(秦宗巴 1606年頃刊)には「○ 咄にしまぬ(話が進行しない)物」として「一 碁・雙六・將棋」とする。
 この「おもしろき物」尽くしの段は「葦毛馬は、頭もしろし、おもしろし」とたわいない駄洒落で終わる。


『清水物語』(きよみずものがたり)(意林庵 1638年 敦賀屋久兵衛刊)
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…大勇の人には大将をさせ、血気の勇者には、無理に破るべき所に用候へば、皆用に立つ事候べし。将棊の馬を使ふが如し。…
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 問答形式による教訓説話集。
 『仮名草子集』(1991年 岩波書店「新 日本古典文学大系74」)の注には「馬」を「将棋の駒で桂又は成角の龍」とあるが、馬=駒の意ではないだろうか。


『毛吹草』(1638年序 松江重頼編 1645年刊)
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一連歌付誹諧付差別の事
 てにをはをもちゐて付侍るには、指と有に、小櫛 盞 舟を付るは連哥付、將棊 蜂 箱細工 此等誹諧付也。又、打と有に碁 碪(きぬた) 畑などは連哥付、礫(つぶて) 双六 賀留多あそびははいかい付なり。
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 俳論書。
 連歌と俳諧は一見したところ区別はない。貞門俳諧の祖 松永貞徳は「俳言」を使うのが俳諧であると言っている。上記の「將棊 蜂 箱細工」が俳言である。


『是楽物語』(ぜらくものがたり)(作者不詳 1655~1661までの成立)
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…名所旧跡など尋ねしも、後にはしやう事なくて、端の歩をつく将碁にも指し草臥(くたび)れ…
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 仮名草子。悲恋譚だが、旅行記でもあり、楊貴妃の講釈あり、町人生活の活写ありで非常に面白い。
 「端の歩をつく」は『誹風柳多留』(1765-1840年)三篇に「本能寺端の歩をつくひまはなし」とあり、注に「明智光秀の夜襲。事急にして本能寺方は応戦に暇ないさまを将棋の用語を用いて表現したもの。「手のない時には端歩をつけ」などといって、端歩をつくのは持久戦模様」とある。(『川柳 狂歌集』(1958年 岩波書店「日本古典文学大系57」)


『ゆめみ草』(休安編 1656年 安田十兵衛刊)
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 将棊をさしける折から発句所望有ければ
将棊よりつめたきものや指のさき 
天満 奇任
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 冷と詰を掛けている。
 談林俳諧の先駆となる撰集。


『続山井』(湖春編 1667年)
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将棋ならで立(たつ)年と日もたいば哉 
丹波柏原 季成
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 「たいば」は対馬(たいま)=互角の意だろうか。
 湖春は北村季吟の息子。


『詼諧番匠童』(和及編 1685年 新井弥兵衛刊)
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○前句付の事
古流中比(ころ)当流の付心のさかい一句の前句にて付わけぬ
是になぞらへて他を知るべし
  
前句
   萩の露ちる馬持の家

付句
 月にしも二人将棊をさしむかひ
   是古代の付様也前の馬を将棊の馬にして付る也
   又中比宗因風の時は
 其方のお手はととへは松の風
   是も将棊の馬にして付たれとも将棊にいわて噂にて付萩の露ちるといふに松の風を余情にあしらひたり
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 前者は作意にあらわし、後者は変化に隠したというところか。
 古流、古代とは貞門流を指す。



『きれぎれ』(白雪編 1701年序 井筒屋庄兵衛刊)
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さか駒に入て仕廻(ま)ふや下手師走 桃先
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 「さか駒」は入玉。
 芭蕉の白雪宛書簡(真蹟写し)が現存する。桃先は白雪の息子。



『其角十七回』(淡々編 1723年成立)
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一、晋子常にいへるは、「初心のうちよりよき句せんと案(あんず)る事有まじ。只達者に句はやくすべし」とぞ。
 器用さとけいことすきと三つのうち
  好きこそものゝ上手なりけれ
と口ずさみせられけるが、将碁の宗匠宗桂もこの狂哥を折ふしず(誦)しられけるとぞ。共に二本榎上行寺の塵下苔露の友とはなり給ひぬ。
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 宝井其角十七回忌追善撰集。晋子は其角の別号。
 上行寺はこの当時江戸にあったが、現在は神奈川県伊勢原市。三代大橋宗桂以降、十二代大橋宗金までの大橋本家当主全員が眠っている。其角の墓もある。
 ここでいわれている宗桂が其角(1661~1707年)の同時代人とすれば、五代宗桂(1636~1713年)あたりか。(上行寺と大橋宗桂の墓については磯田征一氏のご教示による)
 ところで上記の「狂哥」、これを利休百首の一つとする解説を見たが「上手にはすきと器用と功積むと此の三つそろふ人ぞよく知る」というのが利休の歌であるから正しくない。また「菅原伝授手習鑑」の筆法伝授の段に「上根と稽古、好きの三つのうち、好きこそ物の上手」とある
(上根は優れた素質)が、そもそも1746年初演なので年代が合わない。初出不明である。

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コメント

『其角十七回』のことは、当方のサイトでもふれているので、よろしければごらんください。

天野宗歩と大橋宗桂の逸話 https://sites.google.com/site/2hyakka/shogi/soho-sokei

おかもとさま

ご案内ありがとうございました。
「好きこそものの上手なりけれ」これが初出とは。

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