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2017年3月26日 (日)

編輯後記

 月報の「編輯後記」は毎月掲載されていたわけではないが、当時の社会と月報をめぐる環境が窺われて興味深い。
 1925年3月号などはその最たるものである。

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□二月は余りに淋しいことの多い月でありました、それもこれも不景氣の影響とはいひながら斯うも物質が人間の精神を左右するものかと思ふて底知れぬ悲しみに打たれました、現代の社會にマルクスの思想が延蔓(ママ)しつゝあることは不思議の現象ではありませぬ。
□本誌の經営は非常に困難で毎月多大の欠損をしてゐることは屢々申上げたことでございますが一向に御同情下さる方が少く僅か一ヶ月二十錢や廿五錢の誌代さへも拂込んで下さらぬ方の澤山あるには閉口です。
□一年も二年も送本してゐるのに一錢の送金もせず集金郵便を百出せば八十迄は不拂で戻つて來る有様です、この儘で行けば當然破綻の悲運を見るより外ありませぬ、愚痴ぽい話ですが申さずに居られない状態を御推察下さい。
□私(露秋)が甲府に行つたとき要件の序に誌代を集金したことがあります、その節×××××といふ人は幾らにマケルかといふやうな事を申しました、商人といふものはそんなこと位いふのは普通のことでせうけれ共、愚直な私には腹が立つて涙さへ出るやうな思ひでした。
□三月、四月といへば大抵の國は花の咲く氣候です、陰鬱な冬を過ごして華やかな春を迎へるやうに本誌も現在の窮境を脱して軈(やが)て華やかな盛況の時代に到達することもありませう、それは偏へに讀者諸君の御力です。
□今月號は聊か頁數は少いやうですけれども内容は充實してゐると思ひます。(露)
讀者の中には不徳義な人があります、一昨年五月から送本して居るのに無料だと思ふて居たが有料ならお斷りだとか三十錢を拂込んで二ヶ年餘の誌代を拂はぬ人は足利市の××××や宮崎縣の×××××群馬縣の×××××など本月定まつたのが二百幾人八ヶ月以上の只讀したのは東京府下の×××××や山形縣の者で百幾十人もありました。
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 月報にマルクスが出てきたのは驚いた。
 この当時の誌代は25銭である。×××××は実名だが、差し障りがあるかも知れないので伏せ字にした。
 「余りに淋しいこと」が何をさしたものか判然としない。露秋は阿部露秋で、主筆という役職であったらしい(1925年1月号の名刺広告による)。阿部主幹とは別人。
 これに先立つ1924年12月号の「訪問旅行記」(編輯後記ではない)には「一昨年より昨年にかけ毎月百圓以上の欠損」があったと記されている。

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