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2017年3月 3日 (金)

忘れられた論客 その17

 1941年7月号「追憶の記」

創作を始めたのが昭和八年の秋、最初の處女作が發表されたのが當時の將棋時代の拾月號誌上である。
それから既に八年の日月は過ぎてゐる。然し作品は未だ百局程に過ぎない。
貳拾局位創れた年もあつたし又數局しか創れない年もあつた。
月報誌上へ發表したのが昭和九年の二月本當に創り出したのは此の年からである。此の年は可成創作したにもかゝはらず完全な作品として發表の運びに至つたものは僅かであつた、當時日下明正氏吉田正直氏が連月中篇作の好局を發表してゐられた。此の年には未だ酒井桂史先生の作品も二三見る事が出來た。酒井先生が作品を發表せられたのは此の年が最後と思ふ。當時の自分に作品を見ると作品として不完全な處も見受けられるし、形とか手順とかに随分無關心だつたものである。
當時は唯創りたい、發表したいと云ふ氣持で一杯だつた。當時は古名局の研究もしてゐなかつたし、どんな名作があるのか全然解らなかつた。里見氏が詰將棋理論の研究を發表せられたのが翌昭和十年詰將棋創作に於ける定則が如何なものであるかと云ふ事が判つたのも同誌の研究を讀んで以後だつた。
此の年には作品は數局しか創つてゐない。
上古名局の研究、主として三代宗看と伊藤看壽の作品の研究を始めたのが此の年の秋宗看看壽の作品は心ゆく迄調べた、創作圖式に構成型なるものがある事を知つたのも此の年今迄に於て朧げ乍ら構成型作品の存在することは知つてゐたが其の作品の性貿(ママ)が判然としたのは矢張り彼等宗看看壽の作品を研究してからである。
昭和十一年及十二年は共に貳拾局位の作品を殘してゐる。最初の作品より幾分かは整つて來た様には思ふが作品構成の點では進歩した跡が見られない。自作品の集成、白翠選の草稿に掛つたのが昭和十三年の仲秋草稿を完了したのが同年の暮、此の作品選定中に創つた作品が數局、構成派作品へ轉向の最初である。
翌十四年は宿望の構成派作品の創作に専念してゐる。
然し創つた作品は僅か拾局程度、
古名局鑑賞の稿を起したのが此の年の初秋それから約三箇月を作品の調査に費した。
宗看圖式の二番は當然名局選中に加へられる名作だが研究中不詰を發見した。此の局は何れ後日詳しく發表したいと思つてゐる
同十四年の暮より現代迄約一箇年餘創作より離れてゐる。
構成派の創作を始めてから僅か一箇年で創作を中絶したのであるから未だ同派の作品創作が如何なるものであるか判(ママ)きり解つてゐない。今後再び創るとしてもどの程度の作品が創れるか全く自信がない。
然し創作から離れてゐると云ふものゝ時々餘暇があれば事短篇作を創つてはゐる、以下拾數局は今迄に創つて來た作品である。
作品と云へる程のものではない。殊に餘詰の檢討も全然してないから不完全な作品があると思ふ。兎に角、陣中作として御笑覽を願へれば幸甚である。又再び故國に歸る日あらば創作に進みたいとは考へてゐる。
 氷雪覆ふ北滿の曠野にて二月十一日記す
 滿洲國
  横井隊 杉本兼秋
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 このあとに「陣中作」10局が解答とともに掲載されていますが9局は余詰。残る一局も凡庸でした。
 無双第2番は不詰とありますが、根拠は示されていません。
 月報1941年12月号、松井雪山「三代宗看圖式補正完成章(一)」に今田政一の調査により詰ありとして「杉本氏の異説は再び謂ふ何等の錯覺ではないでせうか」とあります。完全作です。

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