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2017年3月 2日 (木)

忘れられた論客 その16

 1939年2月号「詰將棋斷片」

 詰將棋を解く規定として
「玉方は最も手數長くなる様逃げる事」
「攻方は最も手數短い手順で詰める事」
是は誰でも知つてゐる事であるが詰將棋を作るには是の規定にて作品の本手順を得られる様に作らねばならぬ
攻方云々の規定は本手順より長い手順にて詰む順がある場合に於て必要とするので。
例へば圖巧百番の六百十一手詰は六百参拾餘手にて詰める順もあるが是の規定に依つて六百十一手を本手順とする
もし本手順より早く詰む順があれば同規定に依つて其作品は作品としての價値は認められない
同規定に依れば餘詰ある作品は現在では作品としての價値は認められてゐる
餘詰によつては作品としての價値を甚だしく低下するものであるが、同規定を抹消すれば玉方が最長手順なる様逃げた場合は攻方の詰手順は唯一つのみでなければならぬ様になり終局三手、五手の餘詰ある作品でも作品として成立せず、現在の作品では過半が此餘詰を有してゐる以上同規定の抹消が創作上困難を伴ふ事は明らかである
餘詰の程度に依り作品の正否を區分する事は各作品に依りて手順の中途より發生せるもの、終局に於いて出來るもの等多岐に渡り困難である、餘詰は作品正否に關係せずとすべきか?
  ×  ×  ×
詰將棋の本手順を選定する場合玉方が最長手順なる様逃げたら平凡なる手順である場合手數は短くとも最も興味ある様に逃げる事が玉方は最長云々の規定がある以上解答者はそんな事を斟酌する必要は毫も無い事である
作者が解答者に夫を要求するのが始から無理であつて作者が創作する時その本手順より長い手順を消してをけば作者の創意である本手順が必然的に玉方は最長手順云々の規定と一致する事になるのである
  ×  ×  ×
三月號には里見氏の作品五拾番が登載される由、里見氏の作品は貳百局近くある事と思ふ故自分としては是非百局集成を希望する、それから田代氏の百局、吉田俊三郎氏の五拾局乃至百局も是非集成を拝見したい酒井桂史先生の作品の大集成は近く實理する由であるが現代詰將棋壇を代表する作品だけに我々の期待は大きい。
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 1941年6月号「現代作圖論」

一、作品評價に附いて

古名作鑑賞が完結したのは昨年の十月だがあの原稿は一昨年の仲秋に草稿したもので實際月報誌上へは一箇年以上寄稿してゐないのである。
題して現代作圖論と云ふだけのものが書けるかどうか解らないが現代の作品に對する希望其の他を述べて見たいと思ふ。
古名局鑑賞の稿を起す際現代名局も同じく五十局選定する考へで作品を調査したのであるが現代作品の方は作圖家其の他作品が複雜多岐に渡り遂に日子關係で起稿の運びに至らなかつた。
古代名局の選定に當つては初代大橋宗桂から幕末の將棋新選圖式に至る一通りの作○
を調査したが宗桂宗古時代の作品は詰將棋初期の作品に見受けられる手餘りの作品が其の殆んどで作品評價の水準以下のもののみにして一通り調査をしたものゝ實際に五十局中に選定したのは二代伊藤宗印の勇略精妙圖式の五百局中からである。
宗印の勇略は名作が多く見受けられるが實戰型作品より構成派作品への轉換期の作品の事として不完全な處が少からずあり、君仲の玉圖は構成派全盛期以後の作品ではあるが形態其の他構圖等の點に於て迄か(ママ)宗看兄弟の作品より遜色あり五十局中に選定せられたのは宗看圖式と看壽圖巧が其の過半を占めてゐた。
同一の作品評價水準を以つて選定した場合それが特異な作品評價法でない限り宗看看壽の作品のみが選定されるのは止むを得ない事であらうかと思ふ。
自分はあの古名局選で君仲の極妙と添田宗太夫の秘曲集を除外した、これはこれら形象型作品は普通の作品評價法で構成派作品と同様に妙手變化を評價する時は極めて低級な作品となるからである。
普通作品評價法に於ては形態も作品評價の一部分を占むるものであるが、象形象型作品に於ては形態と云ふ點に作品評價の主題を置かなければならぬ。
此の意味に於いて作品評價の統一上形象型作品のみ名局鑑賞より除外する事にしたのである、古名局鑑賞に於て其の選定法はかつて里見氏が講述された詰將棋講座の作品評價篇に準據して是を行つた。
作品評價の主要なるものとして揚げられるのは大体次の事項である。
第一、作品の構成(是は構成型作品に於てゞあつて他の作品には餘り關係はない)妙手。
第二、變化、紛れ
第三、形態(形象型作品以外の作品評價法に於ける)
尚此の外に作品減價事項として駒餘の本手順より長い變化手順を有するもの、輕度の餘詰を有するもの等が掲げられる
第三の形態に於てはそれが減價事項となる場合がある。
第一の妙手、構成型に於ける作品構成は作品を形成する第一要素で第一項の妙手を有しない作品は如何に他の事項が優れてゐるとも作品とは云ひ難い。
作品の價値増減の主要部分をなすものが即ち妙手であるが、その妙手を大體その妙手の性質に依つて次の如く分類する事が出來る。
實戰型作品に於いて單妙手、復(ママ)妙手。構成型作品に於ける構成型妙手。
實戰型作品に於ける單妙手とは玉の逃路閉塞に於ける飛角打或は敵駒の利筋消滅を計る桂打等一つの意味を有する妙手で。(ママ)妙手としての價値の最も低いものである。
普通妙手と稱さず輕手等の稱で呼んでゐる
實戰型復(ママ)妙手とは最も作品に用ひられる妙手で玉方の應手で二つ以上の意味を持つ妙手である、もし玉方の應手で二様にあれば二元妙手であり、三様の應手があれば三元妙手である(此の名稱は不適當であるかもしれない。)
此の次元が多い程妙手價値は大きいわけである實戰型に於ては五元妙手を限度としそれ以上を作る事は不可能である。
普通作品に最もよく見るのが二元乃至三元妙手である。
構成型妙手は構成型作品中にのみ見られるものにしてその作品の構成主要部に一手或は二手位見られるもので、その作品の中心をなすものである。構成型妙手はその性質上前記實戰型妙手と同一に評價出來ない。
構成型妙手が現はれだしたのは二代伊藤宗印以降で享保の伊藤宗看看壽の出現に依つて全盛を極めたが其の後彼等に次ぐ天才の出現を見る期(ママ)會なく此の種の作品が多大の天分を必要とする爲其の発表の數を減じつゝあるは嘆はしい事である。第二の變化及び紛れも第一の妙手に次ぐ作圖構成の重要素である。
變化は復(ママ)妙手の價値と關聯しその變化中に含める妙手は作圖妙手の半分の價値を有するものである變化手順は本手順に於ける妙手を中心として發生せるものに限られ他の場合は作圖價値に關係しない。
變化紛れは或程度作圖價値増大をなすものではあるが餘り無味に復(ママ)雜に過ぎる場合殊に本手順より長い場合は減價事項となる。
第三の作圖の形態は構成型作品に於ても重要視せられるものである。
作圖の駒數と手數は形の輕重に關聯して其の作圖の形態價値を増減するものである。
普通駒數と手數の比を一對一とし、それより駒數の多き場合は減價事項による。又壁駒不動駒を有する場合も減價の原因となる
餘詰防止の爲或は變化手順等の爲本手順に關係なき駒の配置も減價の誘因となる事がある。駒餘り餘詰等は現在の作圖評値では作圖として取扱はれない場合が多い。

二、現代は如何なる作圖を要求してゐるか。

以上の作圖評價法に依つて古局五百局中より五拾局を選定したが宗印の作圖は構成に不備な點を多く見られ、君仲の玉圖は稍形態に無關心だつた跡が見受られ殊に妙手價値の點では他の作圖に遜色があつた。
宗看の作圖は變化稍復(ママ)雜に過ぎ殊に本手順より長い變化手順を有するものが多くあつた。
右の評價法に最も適合したのが看壽の圖巧である。看壽の二元乃至三元妙手を含む輕快な中篇作は現代に於ても最も要求してゐる處であると思ふ。
手數參拾手内外で二元乃至三元妙手を含む中篇作は現代で最も要求されてゐるにもかゝはらず此の種の作圖の發表は稀れで發表される作圖の大部分が四拾手以上の長篇作圖でありその作圖中の妙手が殆んど單妙手のみであるのは如何なるわけか。二元以上の妙手の有するものを作る事は外の作圖を作るのに比して困難な理由もあるだらうが主な原因は是等中篇の好局を發表してゐた中堅作家が作圖を發表しない事に依るとも云へるのである。
現代の月報作圖壇の作圖は殆んど新人の作と變つてゐるが、數年前本誌上に中篇名局を發表してゐられた作家の作圖の再び誌上に現はれる事を望むで止まない。
以上の中篇作圖と同時に後世に殘すべき其の時代の代表的作圖も必要である。
今後の長篇作圖は構成型に最も大きな期待が掛けられてゐる。
構成型作圖は享保の昔宗看看壽の天才に依つて既に其の構想を使ひ盡されたかの感があるがよく沈思考慮する時未だ未だ新分野のある事を發見する。然し此の種の作圖は其の構想が困難であると共に餘詰防止の點での努力は實戰型作圖の比でない。
此の作圖の創作が一部の作家に限られてゐるのも又創作の困難からと云ふ事は解るが酒井田代今田等の諸代(ママ)の作圖に接し得ない今日殆んど是等構成型作圖を見る機會がない。新人諸氏の構成型作圖創作を希望すると同時に再び諸先輩の名作に接する日の近き事を望んで止まない。

三、圖式創作に附いて

かつて將棋世界誌上に宮本弓彦君の希望で圖式創作に附いて書いた事がある。
前號に田代氏が同じく書いてゐられたと思ふ、あの時自分が書いたのは今日誌が無くて判然しないが實戰型構想の創り方だつたと思ふ。實戰型は構成型作品に比して其の創作は實に容易である。
實戰の終局面から二元妙手を有する所謂構想になりそうな局面を得たとすると、それに僅かな修正を行つたのみで一個の作品が完成する場合も少くない。
又漫然と盤上に駒を配置して作る方法に於ても同誌上に述べた如く時には好局を得る事がある。
構成型作品の創作は實戰型の夫に比して復(ママ)雜である。先づ角打に依る玉の逃路打開に依る打歩詰消滅を計る構想を得たとする場合、先づ其の構想の正當であるか否かを點檢しなければならぬ。その構想に不備の點がありとすれば必然的に餘詰を有する作品となつて現れ、その餘詰は構想が不完全である限りその消滅は不可能である。
愈其の構想が完全であると解つた場合その構想を盤上に遷すのであるが、構想を中心として序盤終盤の手順を追加し更に此の種の作品に於いて往々陥り易い構想部分以外が平易になるのを防ぎ形態に修正を加へて完成するのであるが、實戰型の創作に比し一駒の移動が眞に構想に影響する場合もあり、殊に構想を盤上に遷す場合は愼重な(ママ)考慮する必要がある。それは構想に關聯せる駒の配置は後に至つてその大部分が不可能であるからである。
白翠選五十局に集録の此型の作品は僅に數局夫から約一ヶ年創る處の作品は二拾局内外、此の種の作品創作の經驗は誠に少ない
殊に此の一年間は創作にも全然離れてゐる
今迄書いたのはその僅かな創作に於ける感想に過ぎない。
然し何はともあれこれからの作品への期待が此の型の作品にかけられてゐる以上夫に向つて進むべきであらう。夫に創作に専念する時間を與へられてゐない。再び創作に進む日が來たら構想派作品の創作に精進したいと考へてゐる。
題名の如きものは何も書き得なかつたが一年振りの草稿である。參考となるなにもないので思ふまゝを書き綴つた。まとまつてゐないと思ふが御諒承を願ふ次第である。
約一ヶ年創作より離れてゐる。然し作品だけは一通り見てゐるから創作への情熱は失つてゐない。又再び創作に歸る日あらば誌上に發表させて頂く考へである。
 北滿の一隅にて 一月二十八日
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実際には後手番の将棋の駒の形。「品」と思われる。

 よく理解できない箇所が多々あります。

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