« 実戦型と創作型 | トップページ | 忘れられた論客 その2 »

2017年2月 1日 (水)

忘れられた論客

 「將棋月報」を代表する論客といえば前田三桂で、「将棊養眞圖式」の研究など詰将棋にも功績がありますが、何といっても「へたの横槍」の印象が強く、また将棋界の時事的な問題にも積極的な発言をした人です。
 また、里見義周はもっぱら詰将棋作品に立ち入って基礎付けを試みた人で、戦後も旧パラに拠ってそれを継続したことで知られています。
 詰将棋に関して、もう一人挙げなければならないと思うのは杉本兼秋です。杉本が月報に書いた詰将棋関連の記事は次の通りです。

1936/03 詰將棋二題
1936/04 詰將棋講話
1936/04 詰將棋創作室漫談
1936/04 燒直しを廢せよ
1936/05 現代詰將棋論
1936/06 詰將棋の規定に就て
1936/06 詰將棋の藝術價値
1936/07 随想録
1936/08 藝術作品の進路
1937/08 詰將棋、其他
1937/11.12 秀峰随筆
1937/12 詰將棋小品創作に付いて
1937/12 現想と現實
1937/12 今思つてゐる事
1938/01 古今名作觀賞
1938/02 古今名作觀賞
1938/02 類似作品の場合
1938/03 (詰將棋對話)
1938/12 (偶感雜記)
1939/01 創作型の研究
1939/01.02 白翠選圖集(上)
1939/02 詰將棋斷片
1939/06 詰將棋漫筆
1939/06.07 (詰將棋を語る)
1939/07 詰將棋が出來る迄
1940/01 私の古名作鑑賞
1940/03 私の古名作鑑賞
1940/05 私の古名作鑑賞
1940/06 私の古名作鑑賞
1940/07 私の古名作鑑賞
1940/08 私の古名作鑑賞
1940/10 私の古名作鑑賞
1941/06 現代作圖論
1941/07 追憶の記
1943/01 名局に觀る
1943/06 詰將棋問答
1943/06 名局に觀る
1943/06 將棋新選
1943/07 將棋新選
1943/08 將棋新選
1943/09 將棋新選
1943/11 噫 酒井桂史先生

 このほか、「將棋世界」に次の記事があります。

1939/05 詰將棋の作り方

 まず1936/03「詰將棋二題」は大道棋についての記事です。
 次の1936/04「詰將棋講話」を紹介します。<専問>などの誤字もそのままで採録します。

---
詰將棋講話
杉本兼秋

詰將棋創作室より

詰將棋の作圖數は古今を通じて約五千局と云はれてゐるが、其の一局々々は各作家の苦心の結晶とも云ふべきものである。
今自分の作圖は八十局内外であるが其の内の四十局は未發表である。
既に發表した作品を再び見る時に其の當時の苦心も思ひ出されて其の一局々々に對してなつかしさを感ずる。
  ×  ×  ×
詰將棋の作圖は大作小作に限らず苦心の要るものである。しかし其の替りに出來上つた時には何とも言ひ様の無い愉快を思へる。
これは恐らく作圖家の誰をもが持つ共通の心理であらう。
  ×  ×  ×
自分は是から詰將棋の創作に附いて書く事にする。
詰將棋の作圖は可成技術が進まないと、作らうと思ふ時に即座に作れるものではないのである。始めの一年餘りの間に作つた作圖は皆、不完全で妙作と云ふべきものは作れない。
これは詰將棋に對する智識が薄弱なのと經驗が無いのによるのである。
然し詰將棋にも作圖様式と云ふものがあるから其の正道を進めば上達も早いわけである。詰將棋の作り方にも色々あるが誰にも出來るのは實戰に現はれた奇抜な手筋を補修する事である。これは比較的勞少くして功の多いものである。しかし注意しなければならぬ事は實戰型は概して平凡に終り易い事である。實戦は駒數の多いものであるが詰將棋としては妙手手筋を損ぜぬ限りは出來得る限り駒數を少くする事である。殊に初學詰として駒數の多いのは惡作とされてゐる。
駒數が少くて駒の統整がとれてゐなければならぬのである。三部程度の圖は實戰を引用したまゝで手軽るに作る事が出來るが少くとも二部以上になると作家の技巧も入るわけである。此處がよく平凡な作圖で終らんとする處である。故に勉めて妙手を盛る様にしなければならぬ。是には古今の名局を研究して其の筋をよく憶へて置くと言ふ事も大切である。
第二は種々の駒を漠然と置いて考へて見る事である、時には面白い作品も出來るが大抵は勞して功なしの終る事が多い。
此の作り方は初心者には不向であると云はねばならぬ。一定の作圖力を持つもののみに限られてゐるのである。
第三は中とか小とか豫じめ形をきめて置いて作るのである。是は始格好のよい様に駒を並べてをいて其の範圍内にて色々と駒を置替へて造るのである。初めの内は随分其の形外へ駒を置きたくなつたり駒のあるのが邪魔になるものであるが、邪魔にならぬ迄も何の意味もないのに形の爲に漠然と置いた遊び駒のあるのは上作とは云はれない。
此の作り方は主に郎士的に作るのであるから良い作品を作る上からは餘りに推奨したくない作り方である。
第四は趣向を立てゝ作るのである、たとへば玉方の駒不成とか詰上りが何になるとか、形象隅より出でて都で詰むとかの類である。
是等の作品は初めより趣向を立てゝ作る物で偶然には殆んど出來ないものである。
此の種の作品の作り方は一般のより困難とされてゐる。
第五は例外であるが、人に駒を握らせて即座に作るのである。即ち一握り詰の作物である。これらは素より座興的に行ふもので勿論よい作品は出來ない。然し此の方法も詰將棋の作圖を研究する上は行つて見るべきであると思ふ。尤も玉は始に取つて置くのである。一握りと云つても歩ばかり五ツ握つたり又全部の駒を鷲攫みにしたりするのは困らせで問題にならぬ。是の場合は多くとも十枚以内とされてゐる。時にはよい作品も出來るものである。
以上五ツの作り方は何れも玉の位置を初めに定めて置くのが普通となつてゐる。
又形象作圖外の作品は作の中途駒を右左に置變へて作ると意外に良い作品の出來るものである。
  ×  ×  ×
以上今迄述べて來たのは二部、三部程度の小作品であるから今度は參考までに大作品の作り方に附いて書く事にする。
大作品となれば手數も長くなり間時に變化も多くなるので小作品よりは遙かに作る事が困難になる事は言ふ迄もない。
大作品の作り方は大別すると先づ二つに分れるのである。第一は原形に手を加へて次第に大きく作り出して行くのである。
解り易く云へば洋舘建築の様に始め土臺を築いて置いて後上部を次々と組立てゝ行く様に手數を長くして行くのである。
此の場合、注意すべき事は此の種の作り方は唯手數のみ長くて間然とした作品になる場合が多い。此の作品は駒全部の連絡を取る様に勉めて作る事である、又完成して全體を見て修正する事である。此の作り方に於ける作圖は最長手順百手とされてゐる。
第二は一番至難なる作り方とされてゐる方法である。それは圖を作る前に如何に作るかと云ふ事に就いて豫じめ構想を立てゝ置いてから作圖に掛かるのである。此の作圖には手順の長いものが多く、看壽の六百十一手詰大矢數の四百一手詰等がある。
  ×  ×  ×
詰將棋作圖に就いて注意すべき事は餘詰早詰である。注意に注意を重ねても生じ易いものであつて折角の苦心もこれによつて水泡に帰す事になるのである。要するに詰將棋のみに専心する結果に外ならぬのである。
初心の者は詰圖を作つた場合、斯道の權威に調べて頂く様にする事が必要である。
  ×  ×  ×
二三部程度の作品は別に詰將棋の専問的素養が無くても作れるものであるが少くとも一部程度の大作品を作らうとする人は詰將棋に對する専門的智識が必要である。
此の場合の研究材料は三代宗看圖式及び看壽圖巧を調べるのが近道である。
しかし是等は統べて難解であるから先づ順序として初代宗桂より二代宗古の順に進まれるのも一策であらうと信ずる。又自分の作品に對しては絶へず斯道の權位より添削を受ける事も必要である。
  ×  ×  ×
是は自分の經驗からの作り方を述べたのであるが、これから詰圖を作らんとする方に聊かなりとも研究史料になれば幸である。
又例外ではあるが第一の作り方の場合に於ては指將棋を調べるのも一策である。
  ×  ×  ×
私の一ヶ月に作る作圖數は多く作る月で八局位少い時には五局位のものである。
三部程度の作品なれば一日に十局は作る自信はある。此の割に書いて來ると一年に百局は作れさうな割合であるが、然し實際は一年に五十局程度のものである。
小作品をも入れゝば今迄作つて來たのが二百局位はあるが一部程度の作品は五十局程度である。
  ×  ×  ×
詰將棋盛衰史

大橋宗桂が慶長年間織田信長に召出され以後豊臣徳川三代に仕へ初めて將棋所を興し詰將棋圖式八十番を作り是を柳営に献じて推賞せられてより歴代名人は將棋所を繼ぐと圖式百番を創作し柳営に献上するを習慣として來た、それ以前にも詰將棋の作圖は多少あつたが、一定數にまとめられて作られる様になつたのは事實上宗桂以後と云ふのが適切である。圖式献上の制度が決められ民間よりも、詰將棋作家の輩出を見た。
當時の作家には別所素庵萩生眞甫一四屋宗安等がある。
今初期の作品を通覽すれば初期作品は全体が實戰型である。當時は詰將棋の創作的技術も幼稚で洗練された、美しさもなく妙作と云ふべき作品はない。
初代宗桂同じく二代宗古、それらの作品は何れも實戰型で詰上りも駒が餘り詰將棋としては餘り感心出來ない作品である。
當時の作品には芸術的價値は勿論認められないのである。それでどうして價値のないものが存在性を保つて來たか、先づ考へるべき事は是である。然し當時は一般に於ての詰將棋普及の範圍も狭く、同時に詰將棋の觀賞眼も低くかつたのである。現今では當時の様な作品では世に出る事は難しいだらうと思ふ。物は總べて一定の處に停つてはゐない。
詰將棋も宗桂宗古より三代宗桂五代宗桂と順次精錬されて來た。
享保八年伊藤家二代宗印が没し其の子宗看が將棋所を繼ぐに至つた。
當時大橋本家は既に絶え伊藤宗印は是を歎き實子宗銀を養子に使はして大橋本家を繼がしめた。大橋分家には實力者なく事實上實力者は伊藤家のみに集つた。
此の時は伊藤家の全盛とも云ふべき時で、家元の名人爭ひ等もなく好敵手に窮したる諸棋客は此詰將棋のみに専心する事が出來たのである。當時家元は幕府より五十人扶持を給され生活上何等の不安も無く此の好條件の許に各棋客は文字通り詰將棋のみに専心する事が出來たのである。
今迄一歩々々進んでゐた詰將棋は此處に於て急速の進歩をとげた。三代宗看圖式百番看壽圖巧百番共に後世不朽の名作である。
詰將棋の隆盛は一般の民間棋客にも影響し桑原君仲、添田宗太夫等の民間諸作家の輩出をもみるに至つた。
實に享保時代は詰將棋の全盛期であつた。
だが此の詰將棋全盛期も長くは續かなかつた。それは何か?即ち大橋宗英の現出である。宗英の現出によりて指將棋殊に定跡の研究は目ざましい發展をした。しかし家元の習慣たる圖式献上の献上の制失はれ、詰將棋は偉材宗看の現出を最後として一歩々々衰退の道をたどつて行つたのである。
後棋聖天野宗歩出でしと言へども彼は詰將棋を得意とせず、徳川幕府の崩壊によりて生活の安定を失つた棋客は各々自活の道を立てねばならぬ事になり詰將棋は當然閑却せられた。
後新聞社の將棋掲載により指將棋は昔以上の發展はしたが詰將棋のみは遂に發展の機會を与へられずして今日に及んだのである。
(主流)
  ×  ×  ×
以上が詰將棋の盛衰史の概略である。

現代詰將棋觀

現今の詰將棋は享保の作品に比して劣つてゐると云ふのが一般の觀方である。
事實享保年間の詰將棋作圖に比して劣つてゐると云ふ事は事實である。
然しそれは如何なる意味に於て劣つてゐると云ふのであるか?
先づ享保年間の詰將棋に比較して研究する事にする。
享保年間の作圖は宗看看壽の二百局外有名無名作家の作圖をも合せて七百局前後である。現今の作圖數は一定數にまとまつたもので、高橋、酒井、丸山の諸氏の各百局外月報各人の五十局内外で優に一千局はある。それに詰將棋作家の數に於ては宗桂以來類を見ない程多數に上つてゐる。
世に認められてゐる月報關係の十數氏の外に詰將棋作品としては如何はしいのを作る職業棋士や數局の作家を加へれば優に二百名はあるのである。
それに作品の上から見ても享保の作品に比して決して劣つてはゐない。此處に例を擧げてもよいが重複するので略す事にする。
それに大正の中葉期より大道棋なるものが生れて現今では完全なる一個の藝術作品として其價値を認められやうとしてゐる。
然るに一般詰將棋愛好家は享保の作品に比して尚劣つてゐると云ふ。それは何故か?
最もこれは表面をのみ見た言分であるが、自分は圖そのものが劣つてゐるのではなく詰將棋と言ふ全體のものが劣つてゐるのだと思ふ。享保年間は家元時の名人宗看、同じく看壽等詰將棋の作家は將棋所の主流である。言ひ換えれば權位者である。
現今は詰將棋の中心は職業棋士より趣味家にある現代高段棋客の詰將棋を觀ると、それは如何なるものであるか。

高段棋士の詰將棋に對する認識

昭和三年廢刊雜誌文藝倶楽部が詰將棋の懸賞募集を行ひ其の出題を當時の棋界の權位に請ふた懸賞金も一千圓と云ふ大きなもので、當時の將棋フアンの人氣は非常なものであつた。だが作品の方を見ると如何であらう、毎月の解答發表を見ると早詰餘詰の盛觀で、呆然としてしまつたものである。今一歩手際よく作れそうなものである。
それは當時詰將棋觀賞眼を持つてゐる人達の必ず思つた事であらう。全く當時の詰將棋は不完全なものであつた。現今でもそうだが、中に創作力のない八段は古作物や大道將棋を引出して掲載するのや古作品を燒直して發表するのやで折角の此の催も何の意味も無かつた。
中でも第一題は懸賞金貳百圓と云ふので編輯部でも可成難解なのを望んでゐた。
然乍何れも大作品など作つた事のない八段ばかりでどうにもならず、土居、花田八段の兩氏のみで終り後は小作品のみ發表したのである。
大作品の内でも土居市太郎氏のは古今類例のない重い手順の作品で、駒數三十に對しては手數は三十五手詰と云ふ大作品とは名ばかりで妙手等は全然なく決して本などへ發表する作ではなかつた。
然るに土居八段は、實はあの作品は二日をつひやして作つたもので自分でも可成難しいと思つてゐたと感想にのべて一人で悦に入つてゐたものである。
此の催は花田八段の作品三局を殘して後は各八段面目玉をふみつぶして終つたのである。又現在でも諸種の雜誌に詰將棋の作品を發表してゐるが何れも高段と云ふ名に恥しいものばかりである。
或人が私にかう云つて尋ねた事がある。
「雜誌などよく七八段諸先生の作品が載つてゐますが、あれは門弟の人が作るのでせうね」と。
事情を知らない人はさう思ふのは當然である、現代職業棋士の詰將棋創作力の低いのは甚だしいものである。
(中略)
或高段棋士の如きは自己生命の何んであるかも忘れ詰物は餘技であり存在價値は絶無であると云ひ研究價値は全然ないと云つて後進の肯定を誘つてゐる。
(後略)
  ×  ×  ×
詰將棋作家の協立
(……)
職業棋士は聯盟會なるものを結成して専ら自己利益の爲に勉めてゐる。
だから昇段問題等自利益に反する事であると色々と論議が出る。
例の神田辰之助氏の八段昇段問題でも、聯盟に於ては氏を八段に昇段さしては直接自己の利益に關して來るので反對を唱へた。
其の結果が花田金子八段の聯盟脱退となつたのである。
詰將棋には自己利益の爲に會を組織してゐない。しかし斯道發展の爲には詰棋作家協會の設立が最も必要であると思ふ。
詰棋作家協會の設立…
出來得れば早く實現させたい。
識者の批判を待つ。
  ×  ×  ×
詰將棋の藝術的存在價値

※省略

  ×  ×  ×
詰將棋は一定の技量が無いと觀賞が出來ない。詰將棋を研究する者の少いのは此の理由である。如何にすぐれたものであらうとも、それを觀賞する者のない場合は發達しない。
職業棋士が詰圖を作らないのも詰將棋フアンが少ないのによるのである。
然し將棋には初中終盤共に研究の必要はある。専問棋士の詰に對する認識不足は當然指將棋の上に現はれて來る。
即詰のあるのを見逃して勝敗を轉倒せしめた棋譜の現はれて來る事である。
此の棋譜は初盤中盤が如何によく出來てゐても其の棋譜としての存在價値は皆無である。數年前は此の様な棋譜が多かつた。
前田三桂氏の横槍で各棋士も反省する様になり現今は一部分を除いては詰抜棋譜は其の姿を消した。
──が詰將棋の創作力に至つては今尚二三の棋士を除く外總べてが幼稚である。
それは何故か?、詰將棋愛好者が少い。
將棋のみで生活を立てゝゐる職業棋士としては詰將棋のみに専心してゐては生活が出來ない。定跡の研究に精進するのである。
専門棋士に詰將棋を作る者がないから詰將棋愛好家がない。
詰將棋を研究觀賞する者が少ないから職業棋士が詰將棋を作らない。當然詰將棋は不振になるのである。しかし現今は棋士の生活は安定してゐるのだ。新聞將棋の指料は法外に高く取つてゐる。今一歩詰將棋に精進して頂きたい。
職業棋士が詰將棋書を著してゐるが悉くが古代詰將棋の集録である。
今一歩努力せねばならぬ。
(中略)
現今は實戰型でも駒の餘るのは少い、月報などには全然無い、選者が發表しないのである。娯樂雜誌等に職業棋士が發表して居るのは駒が餘るのが多いが見て餘り好感の持てぬ作品である。
---

 感想二三。
 杉本兼秋がのちに書いたところによれば、創作を始めたのは1933年秋、雑誌初登場は1933年10月号の「將棋時代」だったそうで、まだ3年と経っていません。
 詰将棋のつくり方について述べた部分がありますが、ここでいう「實戰型」がどういうものなのか、実はよく分かりません。実戦の終盤に取材した図といっても、大した説明にはなっていないからです。
 第二はよく分かります。適当に駒を置いて詰めてみるというわけですが、私の経験ではかなり不毛な方法です。(笑)
 第三は初形曲詰について述べています。第四は「玉方の不成」と「詰上りが何になるか」を「趣向」ということばで括っていますが、整理ができていない感じです。
 これらは小作品のつくり方で、大作品は別だという立論も分かりかねますが、その第二の方法「それは圖を作る前に如何に作るかと云ふ事に就いて豫じめ構想を立てゝ置いてから作圖に掛かる」、ここでいわれていることは図巧第百番に限った話ではなく、ごく当たり前のことを述べているのではないでしょうか。
 「詰將棋盛衰史」の部分は全体に不正確です。別所素庵、萩生眞甫、十四屋宗安は前田三桂編『名人大橋宗古圖式詳解』(將棋月報社1934/08)に詰将棋が各一局ずつあるそうです。ただし萩生は萩野の誤りでしょう。吉村眞甫が正しいという説もあります。
 月報では1931年11月号に松井雪山がこの三局を図面のみ紹介していますが、いずれも『諸國象戯作物集』に収められている作品です。

« 実戦型と創作型 | トップページ | 忘れられた論客 その2 »

忘れられた論客」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1793064/69426968

この記事へのトラックバック一覧です: 忘れられた論客:

« 実戦型と創作型 | トップページ | 忘れられた論客 その2 »

サイト内全文検索

2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
無料ブログはココログ