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2017年2月の23件の記事

2017年2月26日 (日)

「短篇詰将棋」の成立 再考

:このあいだの「『短篇詰将棋』の成立」 には納得いかないんですが。
:そうでしょうね。私も同意見です。
:反論しないんですか? ブログが3行で終わってしまいますけど。
:そりゃいかん。では、何が納得いかへんねん! ボケ!
  これでよろしゅうございますか?
:いや、ことばを荒げて欲しいなんて言ってませんので。
  昭和初期の段階でようやく短篇詰将棋が成立したというのは相当な暴論ではないかと思うのです。
:暴論はたいてい相当ですからね。謙虚な暴論とかは普通ないわけでして。
  いいですか。私が主張しているのは短篇詰将棋が1927年頃に初めて現れたということではないのです。
  草創期から存在していたと書いたでしょう。しかし、短篇という分野が定立されたのはその頃なのだと言っているのです。
  「知られていることは知られているからといって認識されていることにはならない」。
:聞いたようなセリフだなあ。
:つまりこういうことです。認識の三項図式で説明しましょう。認識は意識対象、意識内容、意識作用で成立する、ここまではいいですか?
:カビの生えそうな図式ですね。
:そう言いなさんな。分かりやすいのでね。この場合、意識対象は実在する図面(作品集、手順...)、意識内容は知覚として捉えられた像である図面(作品集、手順...)です。意識作用はそこへ意味を付与する心的な働きです。詰将棋であるとか、これはくだらない作品だなとか、余詰があるやんとか。
:手数が長い、短いという意味は付与されないんですか?
:長い短いは当然把握されるでしょう。しかし、明治・大正までは、短篇という概念がないからそれを短篇であるという認識が持てないのです。一人二人の先行する認識はあったかも知れませんが、その認識は共有されていないというわけです。つまり意味付与には極私的な部分(これはこの前発表に先立って見せてもらったなという感想とか…)もありますが、その背後にその時代の歴史的・社会的な了解事項が聳えているのです。
:短篇ということばがまだないので、短篇という概念もないと?
:そうではありません。大作とか小品とかの呼び名はあったと思います。少し時代は下りますが、杉本兼秋は大作品、小作品と呼んでいます。
:私が不満に思うのは、明治・大正のわずか十数例で、この時期は未だ短篇成立せずと言い切るのは検証不十分だという点です。
:まさに私が「同意見」だと言ったのはその点です。明治・大正時代の新聞雑誌にどのような懸賞問題が出題されていたのか、もう少し材料が欲しいのですがね。
:詰パラに「明治詰物考」という連載があったのではありませんか?
:もちろん承知しています。1973年です。明治後半に各新聞で活躍した小松三香という人がいますが、紹介された7題を見ると9、13、9、27、27、25、25手でした。こんにちでいう短篇からははみ出ています。
:現代的な短篇の手数になっていないというだけで、それは既に短篇という認識なのではありませんか?
:なるほどそうかも知れません。こんにちの短篇の手数区分に捕らわれていました。杉本兼秋の「私の古名作鑑賞」を見ると、勇略の69番(25手)、72番(19手)を短篇、図巧74番(21手)を小作品と言い、無双34番(33手)、67番(33手)、91番(31手)、図巧46番(43手)を中篇、玉図62番(61手)を大作と言っています。
さらに、1943年6月号に「名局に觀る」という記事を書いていますが、副題は「圖巧短篇作品鑑賞」。そこで掲げられた作品は21、27、17、23、23、21、21、25、15、13手です。前回の「成立」にもチラッと書きましたが、30手位までは短篇という認識ですね。
:杉本だけでは不十分ですので、例えば加藤文卓や山村兎月はどうですか?
:加藤は駒数の少ない作品にはよく言及していますが、短手数には特に触れていないようです。もっとも、第一部と第二部に分かれる以前の懸賞詰将棋は中長篇主体ですから短い作品はほとんどなく、分離後まもなく解説を降りましたのでね。「圖巧解説」で手数に触れているのは第36番の13手詰に「手數少なき」とあるだけです。山村は『将棋勇略』解説で「僅少なる」15手詰、27手詰、第一部の解説では「僅僅参拾餘手詰」と書いていますので、短篇の範囲はやはり広いです。
また、里見義周ですが、1941年1月号の「新任の辯」の中で、「一部は長篇、二部は中篇、三部に於ては短篇作品を夫々扱ふ」と明確に書いていますが、里見選者時代の三部の最長手数は29手です。これは杉本の「短篇」とほとんど同じです。
:その頃の新聞詰将棋はどうですか?
:戦前の名古屋新聞の詰将棋ならデータがあります。1936年5月から1940年1月に至る出題作を田代邦夫氏が詰パラ誌上で1971年から72年にかけて紹介しています。手数は7手から53手です。全188局の内17手以内が101局、19手以上が87局です。
:それは誰が出題していたのですか?
:一般の投稿を受け付けていたので、特定の出題者がいたわけではありません。といっても、選題を担当していた飯島正郎との縁が深かった山田芳久の出題が多く49局、飯島が37局というところです。
:新聞詰将棋でも戦前の段階では短篇の範囲が広かったということですね。
:そういうことになります。担当者の飯島が月報1937年4月号に「詰將棋創作懸賞募集」という記事を書いていますので、一部紹介しましょう。
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 作品は概して大きいものが集りやすい状勢にある。しかし私はその反對に小さい物を求めてゐる。
 これは重大な点であって、専問(ママ)雜誌に載せる詰將棋と、新聞紙上に載せるものとでは相當範圍に違った点のあることを認識しなくてはならないことだ。
(中略)
 私は長くて二十手、いゝ處は十一、二手位のものと思ってゐる。
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:これは里見、杉本より範囲を狭めていますね。現代の感覚に近いと思いますが、出題作としては「大きいもの」が多くならざるを得なかったのでしょうか。
:募集要項では手数について触れていないのです。ところで第一回の看寿賞の手数区分はどうだったか、知っていますか?
:現在と同じ、17手以内が短篇、49手以内が中篇、ですか?
:短篇は19手以内で、中篇は21手以上49手以内なので、ほんの少し違います。旧パラ1951年3月号に明記してあります。
:ということは短篇30手以内説が、20手以内説に敗れたと。
:勝ち負けの問題ではありませんが、戦後になってそういうところへ収斂したのですね。しかし、同じ時期の詰将棋学校を見ると、手数区分は現在とかなり違います。当時は厳然たる区別はありませんが、小学校19手、中学校27手、高校は55手といった出題もありました。
:要するに、短篇といい、中篇といっても、手数区分は不変のものではないということですね。
:それで、前回から再考した結果ですが、こんにちの手数区分に近い考え方はやはり高橋與三郎の「詰手幼稚園」あたりが嚆矢ではないかと思われます。しかし呼び方は小品であれ短篇であれ、30手位までを「より短い作品」とする認識は明治の時点で成立していた、と言えると思います。

2017年2月25日 (土)

加藤文卓の「圖巧解説」その16

月報1927年7月号

圖巧解説
二峯生

第三十八番

0038

23角、55玉、46銀、同銀、35龍、同銀、56歩、44玉、34角成、53玉、
52馬、44玉、45香、同と、64飛成、33玉、34龍、22玉、23龍、同玉、
34馬、22玉、14桂、21玉、11歩成、同玉、33馬、12玉、22馬迄(29手詰)


變化
46同銀の所
(一)同角成ならば56歩、同馬、35龍、45間、46銀、同馬、同龍、44玉、34角成、53玉、44角、同と、52馬、54玉、63飛成也
(二)同角不成ならば35龍、同角、56歩、44玉、34角成、53玉、52馬、44玉、33銀、同玉、34馬、22玉、14桂、21玉、22香にても詰む

45同との所33玉ならば
34馬、22玉、14桂、21玉、11歩成、同玉、33馬にてよし

○此圖に於て玉方61歩を缺く時は前記34龍の所34馬、42玉、62龍の詰を生ずる

○亦詰方55歩を缺く時は最初46歩、55玉、56歩、同玉、38角、47間、54龍、同香、65飛成の手段を生ず55歩ある時は46歩に對し56玉と逃る故此詰無し
---

 23角、55玉と進むと24龍が打歩詰を招致する邪魔駒になっています。行きがけの駄賃とばかり35龍と銀をぱくつくと同角成と34、45地点に利きが及ぶ馬ができて詰みません。
 そこで46銀と割り込んでみれば同角成なら56歩が打て、同角生なら35龍に同角成と成れないので詰むというわけです。
 これを首猛夫氏は「打診銀出」と呼びました。当時、詰パラで読んだことを覚えています。
 首氏のブログはまだ残っているので、その一文はここで読めます。最初は広告しか出ないかも知れません。そのときは、もう一度表示して下さい。


第三十九番

0039_2

66銀、56玉、57銀、47玉、48銀、38玉、39銀、同と、同龍、47玉、
48龍、56玉、57龍、65玉、66龍、74玉、75龍、83玉、82馬、同玉、
81桂成、同玉、82歩、同玉、73角生、81玉、82歩、72玉、64角生、62玉、
73角生、61玉、62歩、72玉、55角生、62玉、73角生、61玉、62歩、72玉、
46角生、62玉、73角生、61玉、62歩、72玉、37角生、62玉、73角生、61玉、
62歩、72玉、28角生、62玉、73角生、61玉、62歩、72玉、19角成、62玉、
73馬、61玉、64龍、同金、53桂、同香、52桂成迄(67手詰)


本局は駒の配列も面白く殊に其詰手順は巧妙を極めて居りますが原図の儘では餘詰があるやうです假に玉方21桂を加へて見ました

變化
47玉の所67玉ならば68銀、56玉、76龍、47玉、67龍、38玉、58龍也

38玉の所58玉ならば
59銀甲67玉、68銀以下前記の變化に合す
甲67玉の所
(一)49玉ならば27馬、38間、68銀、58玉、59龍、47玉、57龍也
(二)47玉ならば77龍、56玉、66龍、47玉、57龍、38玉、48龍也

39同との所47玉ならば
48銀、58玉、59銀以下變化に合す

81玉の所83玉ならば
84歩、72玉、91角成、62玉、73龍、61玉、62飛也

61玉の所63玉ならば
64歩、72玉、51角成、82玉、73龍、81玉、82香也

64金の所
(一)63金打ならば同龍、同金、52金也
(二)63に金以外の間駒を打てば51馬にて詰む

○此圖に於て玉方21桂を缺く時は次の餘詰があるやうに思ふ即ち前記73角不成の所
73龍、61玉、52桂成、同金、同銀、同玉、62金、42玉、33龍、41玉、51金、同玉、73角成、62歩、53龍、41玉、45香、32玉、42香成、22玉、55馬、12玉、45馬也

變化
52同金の所同香ならば62歩、51玉、33角成也

42玉の所41玉ならば
51金、同玉、33角成、42間、53龍、61玉、62歩、72玉、79香、82玉、73龍、81玉、71龍

附記
桑原君仲著將棋玉圖第六十五番は此圖巧第三十九番の趣向を模倣したるものと思ひます

參考圖將棋玉圖六十五番

27gyokuzu0065

詰手順

17飛、21玉、22歩、同玉、44馬、同歩、13銀成、21玉、22成銀、同玉、
13角生、21玉、22歩、12玉、57角生、22玉、13角生、21玉、22歩、12玉、
68角生、22玉、13角生、21玉、22歩、12玉、79角生、22玉、13角生、21玉、
22歩、12玉、24桂、同歩、同角成、22玉、33歩成、同歩、13飛成、21玉、
22歩、32玉、33龍、41玉、42歩、51玉、31龍、62玉、72金、同玉、
83歩成、62玉、71龍、同玉、82と左、62玉、72と寄、51玉、43桂、同金、
52歩、同玉、64桂、同歩、63桂成、同玉、73と左、52玉、62と迄(69手詰)


---

 21桂を置いた図は加藤文卓の補正図です。63金打なら2手変長になります。


第四十番

0040

45金、56玉、66金、45玉、46歩、同角成、57桂、同馬、55金、46玉、
47歩、同馬、45金、同玉、65飛、同馬、46歩、同玉、55銀、同馬、
47香也(21手詰)


45玉の所
(一)45同香ならば55銀、56玉、66飛、55玉、65金、44玉、54金此時同玉ならば57香にて容易に詰み亦54金に對し33玉ならば43金にて詰
(二)45同玉ならば65飛、56玉、66金、46玉、47香也

45玉の所66同香ならば
55金、46玉、66飛、同角、47香

46同角成の所同角不成ならば
56金、54玉、65金、45玉、57桂、同角成、55金、46玉、66飛、同馬、47香にても詰む

65同馬の所55歩間ならば
同飛、46玉、35馬の詰あり

○本局は46歩、同角成、57桂、同馬と指して打歩詰を避くる所に妙味津々たる作であります
而して圖面の44香が歩であるならば次の餘詰を生じます即ち
45金、56玉、46金、同玉、55銀、同玉、65飛、54玉、57香、55間、63角也

55同玉の所56玉ならば
66飛、同香、同金、45玉、46歩、同角、54銀也

2017年2月22日 (水)

忘れられた論客 その15

 「私の古名作鑑賞」1940年6、7月号より。当ブログで紹介していない三代宗看の作品(ただし余詰作第31番は除く)を紹介します。変化手順の説明は省いて杉本の感想のみ。

第22番

090022

53金、同銀、44桂、同銀、53銀成、同銀、44桂、同歩、32飛成、42銀、
53歩、同玉、62銀打、同龍、64金、同歩、62銀生、同玉、42龍、52桂、
71銀、72玉、73飛、61玉、62銀生、同玉、53龍、61玉、72飛成、同玉、
73桂成、71玉、62龍迄 參拾參手


持駒を巧みに打捨てゝ玉の上部脱出を防ぐ順面白し
最初53金打捨は44桂の時41玉、32飛、53玉を防止せるもの
53金、同銀、44桂、同銀と44の逃跳(ママ)を閉鎖53銀成と33飛の利筋を遮ぎる銀を成捨て44桂、同歩と再び44玉の逃路を閉塞以下再び64金打捨輕手なり
本圖は着想敢へて奇とするに足らざるも持駒の打捨妙味あり


第23番

090023

51桂成、同玉、52香、同玉、16馬、51玉、55飛、同銀、62歩成、イ同角、
42龍、同玉、43金、51玉、15馬、42桂、同馬、同銀、63桂、41玉、
31歩成、同銀、42歩、同銀、32銀成迄 二十五手


七手目55飛輕妙なる犠牲なり本手順には關係なく一見無意味の如くなるもイの變化62歩、同玉、61馬、同玉、63龍、62金の時53桂、同銀にて詰なき爲55同銀として53への利筋を消滅せしものなり
62歩成捨は緊要なる一手にして終盤63桂打を作る爲の用意なり43金打を作る42龍の捨場又巧妙なり
攻方、56歩配置の意は52歩打を防止せる爲にして此の歩無き時は55飛、62歩の二手を經ずして直ちに詰あり


第29番

090029

82銀生、同玉、92香成、73玉、64銀、84玉、73銀生、同玉、62龍、イ84玉、
73龍、同玉、64と、84玉、51馬、同金、95角、94玉、51角成、96銀成、
93金(21手詰)


本作品の創意は95角の通路にある自駒を消滅玉方の駒を移動して次の空王手の時其の駒を手中に得るにあり
第一着手82銀は92香成と前後挾撃の準備
64銀73銀と55銀の消滅を計るはイの場合62同玉、53馬、51玉の時33角成を作る爲なり
以下62龍、73龍、51馬は作者の主圖せる處なり


第43番

090043

66桂、同歩、55香、同と、同歩、同玉、56歩、54玉、45金、同龍、
55歩、同龍、45角、同龍、同馬、43玉、44飛、52玉、64桂、61玉、
72桂成、51玉、62成桂、同玉、63銀、61玉、72銀成、51玉、52歩、同玉、
63馬、同玉、73歩成、同飛成、同成銀、同玉、65桂、62玉、63歩、61玉、
62飛、51玉、42飛上成、同歩、52歩、41玉、61飛成迄 四十七手


最初66桂、同歩と玉の上部進出を防ぐは當然の着手ならん
次55香打にて玉側のと金を交換し45金、同龍の時55歩と突捨てるのが此の作品の重要部分をなすものにして作者構圖の主意は此處にあり即ち此の55歩突捨の一手は十九手64桂に對し51玉と引かれる順に對して備へたものなり
45金の時直ちに45角、同龍にては同金、63玉にて詰無く又45同馬にても51玉の手ありて詰を得ず
55歩突捨含みある妙手なり
以下の手順は變化少くして容易なれど二十七手72銀成を不成とせば歩詰の局面なる爲銀成として63馬、同玉となす處巧妙
終局42飛成又面白し


第59番

090059

66飛、75玉、65飛、76玉、75飛、同玉、48馬、74玉、75馬、同玉、
57馬、74玉、66桂、75玉、74桂、同玉、75金、73玉、84金、82玉、
92歩成、72玉、79香、62玉、73金、51玉、62金、同玉、84馬、61玉、
52銀成、同玉、44桂、41玉、51馬、同玉、52銀、42玉、43銀上成、31玉、
41銀成、同玉、52桂成、31玉、42成桂迄 四十五手


作者の主眼とせるは79香打なり
79香と打つは後に48馬を84へ移動せん爲にして75香にては此の手なし
79の個處を空所にする角桂の捨場面白し
盤上香四枚を配せるは79香に對し77香合の順を防止せるものなり


第67番

090067

58金、78玉、79歩、同と、68金、同玉、48龍、67玉、58龍、77玉、
69桂、同と、87馬、66玉、77馬、同玉、86角生、66玉、78桂、同香成、
67歩、76玉、78龍、85玉、53角成、94玉、95香、同玉、62馬、同龍、
75龍、94玉、84龍迄 參拾參手


最初と金を移動して金の捨場面白し77馬、同香の變化に備へて69桂打捨妙手なり
77馬、86角不成、78桂の輕手に依りて歩詰を打開終局龍の位置變更の62馬又巧手なり
特筆すべき妙手はなけれども局面清新にして中篇佳局ならん


第91番

090091

78銀、同成香、79金、同成香、68金、同玉、58金、69玉、68金、同玉、
57龍、77玉、69桂、同成香、78歩、87玉、99桂、同歩成、76馬、同玉、
98馬、同と、66龍、87玉、77龍、96玉、97歩、同と、76龍、86合、
85銀迄 參拾壹手


最初78銀打面白し直に79金にては59玉にて不詰なり99桂及び98馬絶妙にして此の二手を以つて本作品構圖の主眼となす 99桂打捨てを行はずして直に98馬なれば打歩詰の局面を招致するなり
創作型打歩詰應用作品中玉方の利筋發生の奇に属する好個の中篇なり


第97番

090097

83歩、71玉、72歩、同玉、84桂、83玉、72角、84玉、85銀、同玉、
45飛上、84玉、85飛、同桂、83飛生、94玉、33飛生、84玉、83飛生、94玉、
63飛成、84玉、83角成、95玉、94馬、同玉、86桂、84玉、75金、同歩、
54龍、73玉、74龍、62玉、63銀、53玉、54龍、42玉、43歩、41玉、
51龍、同玉、42角、41玉、31角成、同玉、33香、41玉、32香成、51玉、
42成香迄 五拾壱手


本局は形態は實戰形なるも純然たる創作型構圖なり最初歩及び桂に依りて72角打を作り45飛上ると一歩を得る順面白し
以下打歩詰を打開する飛不成及び94馬、75金妙手なり又75金、同歩の時54龍を作る爲再度83飛不成として63飛成は味ふべき處あり 盤上玉方88歩配置の意は拾七手33飛不成に對し83歩合不詰の順を防止せるものなり 本圖局面は複雜ならざるも他の作品に比して作意の發見が至難なりと思ふなり


 1940年10月号で「私の古名作鑑賞」は終了します。
 末尾に「今號を以つて好評裡に完結致しました。次號より詰棋界の一偉才神戸の今田政一氏の作圖將棋龍光二十五番を連載致します。ご期待下さい。」とあり、次頁に「杉本兼秋氏よりのお便り」という記事があります。
 なお、「將棋龍光」は連載ではなく、「次號」でもなく、1941年1月号に一挙30局掲載されました。

(前略)過日郷里より轉送し來たりし月報誌七月號を拝見しました。前田先生の横槍坤の卷、名槍は益々冴へて來ました。先生の趣味は變らぬ御努力には感謝の外ありません
宮本氏の天野宗歩、幕末の反家元派の棋聖の面影を如實に表現して居ります。
名人決定戰土居八段の一勝せるは意外でした。十三連戰の後とは云へ無敵木村を倒したるは偉とすべき事と思ひます。
自稿古代名局鑑賞は昨年仲秋草稿せしものが尚連載されつゝあるを見て當時を懐しく思ひました。當時の豫定としては古代篇、五十局現代篇五十局を選し、其の他、理論の研究も里見氏分類法に準據して組織篇、評価篇に分類して草稿の豫定でありましたが、古名局の選定に於て宗看及看壽の作品に以外(ママ)の日子を費し時日無き爲遂に現代篇及理論の研究の方は起稿する迄に至りませんでした。現代名局選五十局、の選及び理論研究の細目分類は出來て居りますから又機會あれば連載させて頂く考へであります
古代名局選選定中宗看圖式及看壽圖巧中二三疑問の局に就いては酒井氏分析法で檢討しましたが宗看圖式第二番を研究中不詰の順あるを發見しました。
然し同圖は享保以來貳百有餘年間完全なる圖式として現代に轉はれるもの。自分の發見せし不詰に就いては分析法を用ひました
自分の研究としては第二番不詰と云ふより外ありません山村先生外三代宗看圖式研究家の御研究の程お願ひ致したかと思ひます
七月號發表の第一部三百八十九番は昨年十月上旬の作品です、構成派作品に属するものでありますがストーリに促(ママ)はれ過ぎて中間が平凡になつてしまひました。構成派型作品未發表のものも數局殘つてゐます
---

 酒井氏分析法というのは、月報1928年1月号に丸山正爲が紹介している酒井桂史からの書簡にある方法、
「私は圖式の調査をするに際しては先づ最初の一手につき詰方のあらゆる攻手順を試み次は玉方の逃手に付き全部の筋を考へ又次手詰方の全部と云ふ具合に眞に一手一手全くの無駄手と思ふ手順をも自力の有らん限り調査を遂げます」
という虱潰しの検討をいうのでしょう。

2017年2月21日 (火)

加藤文卓の「圖巧解説」その15

月報1927年6月号

圖巧解説
二峯生述

第三十三番

0033

85飛、94玉、83飛生、95玉、85馬、同桂、93飛生、同香、96歩、94玉、
61角成、84玉、83馬、75玉、65と迄(15手詰)


變化
95玉の所85歩間ならば
同馬、同桂、95歩、同玉、93飛生以下本文に合し此方手數二手延びる故之を以て本文としたいやうに思はれるが之れは後に記す理由により矢張原書に從つて95玉と逃げる方が至當かと思ふ

93同香の所94間ならば
96歩、84玉、73飛成也

94玉の所84玉ならば
76桂、75玉、65角成也

○原書には此變化の部の手順を本文として記してあるが其れでは手數が二手短くなるから前記の如く改めて見たのである

95玉の所85歩間としては何故面白くないかといふに斯く指しては次の餘詰を生ずるからである即ち
83飛生、85歩間、同飛成、同桂、61角成、84玉、83馬、95玉、73馬、84飛間、96歩、94玉、84馬、同玉、76桂、93玉、73飛の手順あり
84飛間の所84金にても殆んど同手順にて可なり
其故此所に85歩間と指すは不可のやうに思ふ


第三十四番

0034

26銀、同金、同金、同玉、38桂、25玉、27龍、14玉、23銀生、同香、
15歩、同飛、25龍、同飛、26桂、24玉、14金(17手詰)


變化
26同金の所
(一)14玉ならば15銀、25玉、37桂、34玉、33角成也
(二)24玉ならば35銀14玉、15金、同玉、16金、同玉、28桂、25玉、27龍、14玉、15歩、同玉、16龍にても詰
14玉の所35同飛ならば同銀、同玉、36飛、24玉、54龍也

26同玉の所24玉ならば
35金、同飛、同金、14玉、26桂、15玉、25飛也

23同香の所同玉ならば
33角成、14玉、25龍、同玉、26金、14玉、15歩、同飛、同金にても詰む

○此變化の部は本文に記した手順より二手多いが終りに手駒を餘す事になって面白くないから之は變化とするを至當と思ふ且つ此のの部には前記33角成の所を13角成と指しても詰がある即ち
13角成、同玉、14歩、同玉、32角、23間、14金、15玉、26龍也


第三十五番

0035

95金、同と、96角、同と、97桂、同と、96飛成、同と、75金、95玉、
84角、94玉、93角成、同玉、84金、92玉、82香成也(17手詰)


變化
95同との所74玉ならば
94飛成、73玉、82角、72玉、71金也

96同との所同玉ならば
86金、97玉、95飛成也

95玉の所
(一)75同玉ならば93角、74玉、84角成也
(二)94玉ならば84銀成、95玉、85成銀、同銀、73角也

○此圖に於て玉方91歩を缺く時は次の餘詰を生ずる即ち
95金、同と、96角、同と、97桂、同と、86金、74玉、94飛成、73玉、95角、72玉、92龍也


第三十六番

0036

25金、同角、36銀、同角、25金、同角、36飛、同銀成、47桂、同成銀、
26金、44玉、33角成也(13手詰)


變化
25同角の所同金ならば
同飛、同玉、26金、14玉、13金也

36同角の所同銀ならば
同飛、同角、26金、44玉、33角成也

25同角の所同金ならば
同飛、34玉、23飛成、同玉、33角成也

本局は手數少なきも手順甚だ巧妙であります殊に敵駒を一つも取らぬ所に作者の趣向も窺はれます

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 26飛と45銀が邪魔駒で、玉方の駒を取らずに原形のまま消すという狙いですが、
25同飛、同金、17角、26歩合、47桂、同と、26角引、46玉、35角、同金、同角、同玉、36金、24玉、25金打、23玉、13金までの余詰があります。
 この余詰は;『詰将棋 トライアスロン』でも触れられています。


第三十七番

0037

84角、同馬、85金、同馬、同飛生、同玉、63角、75玉、74角成、66玉、
67歩、同と、78桂、同と、67歩、76玉、88桂、同と、77歩、86玉、
96馬、75玉、74と迄(23手詰)


變化
84同馬の所同金ならば
85金66玉、78桂、同と、67歩、76玉、88桂、同と、77歩、85玉、84飛成也
66玉の所85同金ならば
同飛成、同玉、95金、75玉、84角也

85同馬の所
(一)66玉ならば78桂、同と、67歩、76玉、88桂、同と、77歩、85玉、84飛成、同金、同と、同玉、74と、85玉、96金也
(二)85同玉ならば84飛成、同金、同と、75玉、74と、66玉、78桂、76玉、85角也

85同玉の所66玉ならば
78桂、同と、67歩、76玉、88桂、同と、77歩、85玉、63角にて詰あり

○本局は打歩詰を避ける爲め84角、同馬、85金と捨てる手段實に巧妙を極めて居ります又67歩の所直ちに78桂なら76玉と寄られて矢張打歩詰となります

2017年2月20日 (月)

忘れられた論客 その14

 1940年1月号から10月号にかけて、杉本は「私の古名作鑑賞」を執筆しています。
 1月号は二代宗印の『将棋勇略』から5局。第39、40、59、68、73番。
 3月号は『将棋勇略』からさらに5局。第72(73)、73(72)、76(77)、84(85)、94、100番。杉本の作品番号は山村兎月に倣っているので表記に誤りがあります。括弧内が正しい番号です。桑原君仲の『将棋玉図』から3局。第9、14、16番。
 5月号は『将棋玉図』から7局。第25、27、28、32、62、76、80番。
 6、7月号は三代宗看15局。6月号、第15、22、23、29、31、34、36、43番。7月号、第48、51、59、60、67、91、97番。
 8、10月号は看寿15局。8月号、第3、8、20、27、32、41、46、48番。10月号、第62、72、73、74、82、95、99番。

 勇略はすべて紹介済みですので、玉図から二三。変化説明は省略して杉本の感想のみ。

第9番

270009

39金、同と、59金、同玉、69飛、同と、26角、48歩、同馬、68玉、
78金打、同桂成、35角、77玉、66馬、同玉、76と、55玉、44角、同桂、
56歩、同桂、64銀、54玉、55歩、同飛、53銀成
まで27手詰

變化は少きも、69飛及び78金と玉の逃路を閉鎖する順は面白し又66馬と捨て玉を後退させる手も妙手なり、唯遺憾なるは35角に對し57歩合の手段ある事なり。此の順徒に手數を長くするのみにて玉方の執るべきにあらずと云へども大矢數の72歩合あるを思へば一考を要す。

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 57歩合、48歩合の繰り返しは歩…だけが増えて原形に戻るので無駄合でしょう。


第27番

27gyokuzu0027

58銀、同玉、59金、同と、49銀、同と、59銀、69玉、36馬、59玉、
58金、69玉、68金、同玉、69金、67玉、58馬、66玉、75銀、65玉、
66歩、同桂、74銀、64玉、75金、同玉、85馬、64玉、63銀成、65玉、
64成銀、同玉、74馬
まで33手詰

本圖に於て參考となるは58銀及び49銀の二手ならん 以下の手順は容易なり形稱惡きの感あるなり



第62番

270062

59角、同金、69馬、57玉、49桂、同香成、46龍、同玉、36馬、57玉、
47飛、68玉、69銀打、同金、48飛、同成香、69馬、57玉、49桂、46玉、
36馬、55玉、46金、54玉、43香生、44玉、26馬、54玉、27馬、44玉、
17馬、54玉、27馬、44玉、26馬、54玉、36馬、44玉、35馬、54玉、
45馬、同桂、55歩、44玉、36桂、33玉、24と、32玉、44桂、31玉、
41香成、同金、同銀成、同玉、42歩、同玉、43歩、同玉、33金、44玉、
34金
まで61手詰

本局は六拾壹手の大作なるも變化は難解なるは無し59角打は78玉を防止せる妙手なり
49桂打巧手なり直ちに46龍にては拾貳手目68玉の時58玉にて次49玉の順ありて詰を得ず以下一歩不足の局面を巧みに成角を移動して17とを得る邊り流石巧妙なり 然し此の圖に於て作者最初の構圖は初盤59角49桂の二手を含む邊に有りと思はる。



 そして問題だったのが、1940年8月号、図巧第27番の紹介でした。

第27番

月報1940年8月号図
27_2
原図0027

52角成、63歩合、65金、同成桂、73金、同玉、65桂左、72玉、62銀成、同香、
61馬、同玉、53桂生、72玉、73歩、同玉、75飛、74歩合、65桂打、72玉、
74飛、同馬、73歩、同馬、同桂成、同玉、74歩、72玉、83角、82玉、
73歩成、同玉、65桂、82玉、74角成、91玉、64馬、同歩、83桂、82玉、
71桂成、同玉、82金
まで43手詰

 左の図は原図ではありません。加藤文卓の補正図でした。

 
1927年2月号「圖巧解説」より
192702_2

 これが正しい図ではないかと加藤が想像したもので、別の版には正しい図があるとは書いていないのですが、誤解させるような書き方ではあります。
 
杉本はこれを受けて、補正図を注釈なしに示した上でこう書きました。

27_3

 西宮彌兵衛版(文化ではなく文政4年)の図には誤りがあるらしいと書いたのは不用意で、これがため将棋世界付録『将棋図巧』(1961年6月)、『古図式全書』第六巻(1964年9月)の図も誤ってしまいました。

将棋世界付録『将棋図巧』
27_4
古図式全書第六巻『象棋奇巧図』
27_5


『詰むや詰まざるや』より
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前記早詰を消した次の補正図が『将棋月報』昭和15年8月号に杉本兼秋氏により発表されているが、「文政版『将棋図巧』には第二十七番誤謬あるものの如し」と註記してあるため、この補正図が杉本氏自身の案なのか、古来伝わるものなのか紛らわしくなってしまった。このため最近までこの補正図が原図と誤り伝えられたが、昭和41年内閣文庫で発見された原書(献上本及び家元刊本)には早詰のある原図が掲載されており、この補正図は加藤文卓氏のものであることが判明した。
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 門脇氏
引用は原文通りでないことがままあります。
 こうして、杉本は名を残してしまうことになりました。

2017年2月19日 (日)

忘れられた論客 その13

 1939年6、7月号

 詰將棋を語る
 桂子

『創作を續けてゐられる様ですが最近いゝ作品が出來ましたか』
『相變らず出來る作品は凡作ばかりです、最近から創作型を作る様努力はしてゐますが、創作型のは構想も困難だしそれに構想が、まとまつても盤上へ遷してみると形の惡いものになつたり以外(ママ)な餘詰が出來たりして思ふ様には作れません。前に實戰型のばかり作つてゐた關係で少なからず勝手が違ふのです、宗看や看壽の用ひてゐる様に優れた構想を案出する事が出來ても、その構想を拾分活かす事が出來るだけの創作力がないと、どうしても出來あがる作品が筋ばかりのものになつて他の部分が平板なものになつてしまふのです。(ママ)
『創作型の今後は期待すべきものがあるでせうか』
『今の處どの程度此作品が發展するかは解りません、それに作品も少ないし……
『創作型の作品では難解とは思はれない様な作品でも以外(ママ)に正解者が少ない様に思はれますが………』
『それは今迄實戰型の作品のみ見てゐたので實戰型のものを解く様な方法では此作品は仲々解けないからです。
實戰型だと其局面を見れば正着がどの邊にあるかと云ふ事が容易に解けるし指將棋の終局面の寄せと同じ様に考へてゐるのですが、創作型となるとその作品を解く上に一番必要な事は第一にその作品の構想が奈邊にあるかを知る事です、作品の趣向が解らなければ解く事が困難と思ひます。
『然しそれは此型の作品が多くなれば自然と解つて來るでせう』
『宗看の作品等此の作品の趣向を探究して其の後で解答を求めれば容易に解ける作品が多い様です。
現代の様に作品を新聞とか雜誌に發表する様になれば解答者の棋力をも考慮しなければならぬから難解なものが餘り迎へられないのです。
然し作品が一時的のものでなく永久に殘るものである以上或程度は作品の價値と云ふ事も考へねばなりません。今迄は難解であれば名作である様考へられてゐましたが、是からは作品を作る時に解答者の棋力の程度を考へなければなりませんから、平易であつて作品の價値のあるものと云ふ事になるのです』
『作る者としては随分困難な事ですね。それでその様な作品を作るには………』
『第一に考へられるのは變化とか、まぎれを少なくするのです。變化とか、まぎれと云ふ作品の表面に現れないものが其多少に依つて其作品を難解にもし又平易にもするのです。變化、まぎれは本手順の半分位の價値をもつてゐるものですから、解答者の棋力が充分であればいくら多くても一向差支へないわけですが………』
『作品を調べて見ると本手順は直ぐ解つても變化が多くある作品は一應變化も調べて見なければならないですから………』
『解説を見て調べる時指將棋と同じ様に本手順だけを盤上で調べて變化は頭の中で讀める程度がいゝと思ひますね。
變化が二十手以上あるもので頭の中で讀み切れなくて盤上で調べなければならぬ様なのは面倒だと思ひますね、詰將棋を研究してゐる人は兎も角一般としては………』
『詰將棋を研究してゐるものでも餘り變化の多い作物になると調べるのが面倒になつて來る事があります。
それで變化を少くして………と云つても程度の問題ですが、餘り變化の少ないのも作品の價値に關係しますから作物の價値を失しない程度に變化を少なくして其替りに形とか手順とを整へて行く事です。
理想を云へば、終局の三手位の僅かな餘詰も無いようにしたいのです。手順が前後するも同一意味であるものが、本手順より變化が長いもの、本手順と同じ手數のもの等も無くして最長手順が本手順である様にしたいものです。
作品の主要部分をなすもの──作品の生命は妙手ですが、變化は此妙手に依つて出來るものです、捨駒──打捨と盤上のと兩方ですが──此捨駒に對する玉方の應妙(ママ)の多い程妙手としての價値があるのですから妙手に依つて出來る變化を少なくする事は妙手價値を少くする事ですから變化は多くても長い變化のあるものを作らない事です
變化が多くても長くなければ調べるにも面倒でないと思ひます。
妙手でない場合に出來る變化、殆んど玉の逃方に依る變化ですが此變化の場合は變化は少くても、無くても作品價値には影響が少ないものですから此の様な變化は出來得る限り少なくして解答が簡單に出來る様に留意して作りたいと思ひます。(續く)
---
(ここから7月号)
『表面に現はれない作品價値に關係しない部分を簡單にして形とか詰上り等を感じのいゝものにする事ですね
然し作者としては變化を少くするち云ふ事は變化を多くすると云ふよりは困難な事ですね變化と云ふものは意識して作るものではなく本手順に附随して現はれて來るものですから──殊更に變化を多くした跡の見える作品もありますが………
變化を少くしやうと思へば創作に當つての努力が大變なものではないでせうか──』
『或程度の困難は伴ふでせうが最初から其の點を考慮して作る事です、途中で變化を少くする爲に駒數を多くしては同じ事ですから………』
『平易であつても作品價値のあるものと云ふのですから作るのも樂ではないわけですね、難解なものを避けるとすれば手數や駒數も或程度を越えない方がいゝと思ひますね、二十枚以内、三十手内程度とする様に──最近には餘り長手順の作品が現はれなくなつた様ですが作者がこの點を考へる様になつたかと思へますね』
『それは將棋専門誌でも餘り長手順のものは其努力に反比例して向(ママ)へられないわけですから、後世に自分の姿を殘すと云ふ考へで作圖に自信が無ければ出來ないわけです、時に名作を發表しても作品の價値を充分理解する者は僅かで、調べるのが面倒だと云ふ者が多いのですから作者としても馬鹿らしくなりでせう』
『然し其の様な事を意とせずにこの時代の作品を後世に殘すと云ふ超然たる作者が是非必要ですね、このまゝでは現代の作品價値は未だ未だ低級なものだと思ひます』
『然し今後の鑑賞法がどの様に變化して行くかゞ問題ですね、現在の様に平易な物を求める様、後世でも………』
『現在でも平易な作品が向(ママ)へられてはゐるが、それは一般的であつて單に懸賞の解答とか新聞とか娯樂雜誌に發表されたものを其の時に調べる者に於てゞあつて詰將棋を専門に研究してゐるものは矢張り宗看、看壽とか多くの有名な古作で調べてゐる様ですが──それに新聞とか娯樂雜誌類に發表されるものは一時的の興味で調べられるもので、詰將棋を研究してゐる者以外の者で古作などを調べる者は稀れの様ですから今後に於ても我々の作品が後世に調べられるとしたらそれは後世の詰將棋研究家於て調べられるものと見るべきでせう。大衆藝術は皆一時的生命で永遠的のものではないから、現在に於て一般を目標として發表した作品を後世の詰將棋研究家に依つて調べられるとすれば我々は損な立場にあると思はれますが──』
『其の點昔の家元の棋士は幸福であつたと云へましょう。専心創作に没頭出來たわけですから………時代の推移と共に詰將棋研究家以外の者の腦裡からは總べての作品が消えて行くが後世の詰將棋研究家には名作凡作の如何にかゝはらず、すべてが検討されるわけであるから長篇でなくても中篇短篇何れを創るともその作品の長短大小に應じて努力しておけば小作品は小作品としての價値は認められるでせう。大衆的作品が平易な物になるのは仕方が無い事で平易であつても、後世の研究家に其の作品の努力の跡を認めて貰へば足りるわけです』
『現在では一年數百局の作品が發表されてゐますが、是等の中での酒井先生とか其の他の人の名作……現今の最高位に位する作品と、享保の看壽とか宗看の作品との比較ですが……是れは今迄もしばしば論じられて來たものですが現代の作品、古作に劣らずと云ふ説や反對の説がありますが、果してどんなものでせうか』
『古今を通じての作品の中一番名作と云へば何と云つても看壽の圖巧九十九番の煙詰でせう、あの作圖に比肩する名作は他に無いと思はれます、あの作圖は、全部が作者の偉大なる構想によつて一貫してゐるのです。藝術の遊技とも云ふべき作品と思ひます。百番の六百十一手のものは古今最長手順として有名ではあるが、價値の上からは九十九番には劣るでせう、現今には是れと比肩するものは見當らない様に思はれます。宗看のは傑出したものは無く一定の水準作が揃つてゐる様ですが、百局あれだけの名作を揃へ様とすれば現在では先づ不可能でせう。
看壽の九十九番、百番を除いたもの、宗看の百番と現在の名作を數からでなく價値から比較すると優劣は如何とも云ひ難いと思はれます、現在と云つても是は大正昭和と云ふべきです、明治以後の詰將棋と云へばそれは殆んど酒井先生の作圖が代表してゐるので、近頃の様に酒井先生其の他今田、田代氏の作圖の發表が無いと詰將棋界は活氣が無いのです』
『酒井先生は創作よりは遠がつて(ママ)ゐられる様ですが、田代、今田氏の作圖に接し無い様ですね、毎月多くの詰將棋は發表されてゐますが、いゝのは殆んど見當らない様です。唯僅かに發表を續けてゐると云ふに過ぎない有様ですね、大衆雜誌や新聞などの讀者はそんな事はないでせうが、専門雜誌は何となく詰將棋の淋しいのを感じますね』
『詰將棋の特輯とか何とか色々やつてはゐますが肝心の作圖が貧弱なのだから外からさわいだ處でどうもしやうが無いですね
實戰型に於ては殆んど新しい妙手が無くなつた様に思はれますね。實戰型は皆同じ様なものばかりです、是の新(ママ)開策として普通詰將棋の定則である、攻めの手掛かりを作るのと反對に主要な詰めの手掛かりとなる龍とか馬をいきなり切つてしまふ類のものが現はれ出した様です、普通の詰將棋と違ふから、最初は玉が廣い方へ逃走してしまふ様で決行し難い様感じますから最初は解くのが困難の様なのですが、是等のものは妙手が基礎で無く相手の意表に出る事に主眼に置いてゐるだけに解説の付いたのを調べたら興味は少ないと思ひます』
『その様な詰圖が現はれ始めた様ですね
妙手が主眼で無いだけに一時的のものでせう。解答者もそれに慣れて來たら興味を失つてしまふでせう(完)
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 検証するまでもなく、杉本兼秋の文章です。

2017年2月18日 (土)

忘れられた論客 その12

 1939年1月号「創作型の研究」

創作型作品に於ける遠打に附いて
杉本兼秋

詰將棋作品には實戰型、創作形の二種類あるがその作品を見るに初期の宗桂宗古時代に實戰型が多く享保年間の詰將棋全盛期に創作型の作圖が多く現今に於ては實戰形創作形共同じ程度に發表されてゐる様である
實戰型は指將棋中に於て取材出來る關係上創作が容易であるが創作型作品は小作圖に於ては創意の表現が至難である故その構成が實戰型に比して困難である。
現今では創作型作品は享保の夫に比較すべくも無いが將來に於て此型の作品が盛んになる事は明らかである
創作圖の双璧たる宗看、看壽の作には、その超人的なる創意の跡、構想の妙が遺憾なく表現されてゐる
現今に於ても酒井、今田、田代等の名手の作圖には此創作品の名作が多く見られる
  ×  ×  ×
創作型の構成の主眼には不成、遠打其他種々あるが古今幾多の作圖に見られる遠打を含むものを研究して見るのも興趣あるものと云へやう
創作形作品の創作に於ては遠打を含むものが最も至難である
現今の作品に遠打の優れた作品が少ないのも是の爲であらう
遠打は飛角香の三種があるが香車の遠打は創作型の作品には甚だ少なく、大部分が實戰型に属する玉の遠出を防ぐ打捨である
飛角の遠打には一枚の遠打と二枚連續の遠打とがある、二枚の遠打の場合は一枚々々別の意味に於て行ふのと二枚連續して始めて効果を發揮するのとある。
以下遠打を含む作品を列記して見やう。

第一番

090010

13銀、同玉、14歩、22玉、13歩成、同玉、19飛、18歩合、14銀、22玉、
29飛、31玉、21飛打、同金、同飛成、同玉、32金、11玉、23桂
まで19手詰


第壹番は宗看圖式の拾番であるが七手目一九飛の遠打が此作の主眼で此の飛を打つ前に一三銀一三歩成の妙手が創業(ママ)されてゐる
此創意は玉方の二一龍の移動であるが一九飛打を一八飛では無意味である
一九飛と二九龍に當てゝ打つ故に次に二九飛と龍を取る順になる、玉方の駒の移動を策する場合の遠打は玉方の或る駒を目標として打つ事が原則である。
---

 原文は図面だけで手順はありません。
18歩合は17桂合が妥当ではないかとどこかで読んだ記憶がありますが…。


第二番

090048

36銀、同玉、46龍、25玉、37桂、15玉、16歩、24玉、26龍、33玉、
45桂、同金、42銀、32玉、33歩、42玉、22龍、51玉、52歩、61玉、
71と、同玉、62歩成、81玉、31龍、92玉、56角、同金、81龍、同玉、
45角、91玉、92銀、同玉、56角、81玉、82金
まで37手詰


第貳番は同じく宗看圖式の四拾八番である
是は二枚角の遠打で初の一枚のみが打捨になつてゐる。此作品は二枚角で玉方の金を得る様になつてゐる。二十七手目に五六角同金と取らせて四五角打で次に五六金を得る順になる。
尚此圖は中盤四五桂跳の妙手がある。


第三番

090051

75銀、同玉、64銀、86玉、26飛、同銀、75銀、同玉、25飛、同馬、
76金、74玉、65金、63玉、54金、52玉、53金、51玉、52金、同玉、
43馬、41玉、33桂、31玉、21馬、42玉、43歩成、51玉、41桂成、同玉、
32馬、51玉、42馬
まで33手詰


第參番も宗看圖式の五拾一番である
本圖は二枚飛の打捨である
此局面では玉方の五八馬の利筋を移動するか又は持駒に銀が無ければ續かない形である。
五手目に二六飛と銀を目標として打捨てるのが妙手である。合駒なら次に二五飛で銀を得る順になる。
二五(ママ)同銀と取らせて又二五飛と再度銀を目標にして打捨てる。同馬にて馬の七六への利筋が消へ(ママ)る順になるのである。


第四番

100008

43歩、同玉、33金、同歩、52銀、同馬、32桂成、44桂、同金、同角、
同と、32玉、87角、同龍、43金、同馬、同と、22玉、34桂、同歩、
77角、同龍、92飛成、32角、同と、同金、同龍、同玉、23金、31玉、
22角、21玉、12金、32玉、33香、同桂、23桂成、同玉、13角成、32玉、
22馬
まで41手詰


第四番は圖巧第八番であも(ママ)。
遠打を扱つた作品としては最も優れてゐるものであらう。本局は玉方の龍の移動にて飛の活躍を計る爲の二枚角の打捨である。
此圖は二枚連續で其効果を發揮するものである十三手目八七角打は妙手である八七角打捨に依つて龍を移動させておく事に依つて次の七七角打捨の場合縦横いづれかの龍の利筋が消えるのである


第五番

100062

17金、同馬、19銀打、29玉、18銀打、同馬、同銀、28玉、22飛、同馬、
23飛、同馬、73角、18玉、19銀、17玉、62角成、27玉、26馬、38玉、
37馬、29玉、28馬
まで23手詰


第五番は圖巧六十二番である
此圖は玉方一一馬の利筋移動の二枚飛車打捨である
最初二二飛打にて同馬と香の利筋を封塞して二三飛同馬で七三角打の順になる


第六番

100025

73銀生、65玉、55金、同玉、66金、54玉、64銀成、同玉、74と、54玉、
64と、同玉、65歩、54玉、58香、同馬右、94飛成、同馬、14飛、53玉、
43桂成、同金直、同と、同金、54飛、42玉、43香成、同玉、34金、42玉、
53飛成、同玉、43金打、54玉、44金
まで35手詰


第六番は圖巧二十五番で香車の遠打である
創作型に於ける香車の遠打を扱つたものは先づ此作品位のものであらう。
本局は十五手目五八香と二枚角の利筋の交叉點に打ち玉方の馬を一方利きにして九一一六何れかの飛の活躍を計る想意である。
本局着想は奇とするに足る


第七番

1214

81と、72玉、82香成、63玉、64歩、52玉、57飛、同金、63歩成、同玉、
45角、同桂、67飛、同金、64歩、52玉、53歩、同銀、同と、同玉、
35馬、42玉、43銀、同玉、44馬、32玉、33銀、23玉、24銀成、12玉、
45馬、11玉、23桂、12玉、31桂成、22玉、23馬、31玉、32銀、42玉、
33馬、53玉、43馬
まで43手詰


第七番は酒井先生の名作である
攻方の角馬の利筋を通す爲の金を目標としての二枚飛車の打捨てである

---
 初出は月報1932年6月号です。


第八番

2604

12銀生、同玉、13歩、11玉、12香、同角、同歩成、同玉、24桂、11玉、
23桂、同馬、12歩、同馬、同桂成、同玉、45角、同金、13歩、11玉、
21歩成、同玉、54角、同香、12歩成、同玉、42飛成、同龍、13歩、21玉、
12金、同龍、同歩成、同玉、13飛、21玉、22歩、同銀、同銀成、同玉、
33飛成、21玉、22銀、12玉、13龍
まで45手詰


第八番は拙作
二八(ママ)飛の利筋を通す爲の五四金を目標としての四五、五四二枚角の打捨である
此外玉方の合駒と交換する場合の遠打がある、代表的名作としては宗看圖式の八十一番の二九角打。一部集の五十八番、酒井先生作の六八角打(
)等がある、此場合の遠打はその遠打の順に至る迄に妙手と云ふ事は出來ない。
玉の脱出を防ぐ遠打捨の作品もあるが是は部分的なもので實戰型作品に属するものである。此場合の作品には名作に乏しい。
未だ遠打を扱つた作品は玉圖其他にも見受けられるが、何れも着想は大同小異故省略致します。(完)
  ×  ×  ×
拙作集成「白翠選(ママ)五十番」の選定に當つては餘詰其他の點に付いて可成詳しく調査致しましたが未だ不完全の箇所ある事と思ひます。不完全圖發見の節は本社、或は小生に御一報の程お願ひ申上ます。
尚本書は五十題を上巻として單行本に調製いたしました。御希望の方へは實費送料共金參拾錢にて頒布致します部數は僅少であります。小生宛に御申込下さい
岡山縣上道郡平島村南古都 杉本兼秋
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 第八番の初出は月報1938年12月号です。遠打というには距離不足。限定打ですね。
 
月報1931年5月号の酒井桂史作を指す。

Sakai1030

47桂、同歩成、25金、36玉、35金、同玉、36歩、24玉、94飛、64角、
同飛、同と引、54龍、同と上、68角、46銀、同角、同と、25銀、15玉、
18香、同と、16銀、24玉、15銀、同歩、25歩、14玉、13と、同玉、
24金、22玉、21馬
まで33手詰


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 本局は遠打というより、玉方銀先銀歩(第一号局)が狙いでしょう。

2017年2月17日 (金)

忘れられた論客 その11

 1939年1月号に杉本の作品集「白翠選圖集」上巻50局と第25番の途中までの解説が掲載されています。2月号にはその続きから第50番まで。

Photo_8     


 上巻とありますが、下巻はありません。
 作品集出版を前提にした個展のようなもので、それまでにも月報では詰將棋第三部集や第一部集などの誌上発表はありましたが、古典ではない個人の作品集が掲載されたのはこれが初めてでした。
 2月号に「本書は本社では販賣いたしません御入用の方は」として岡山県上道郡平島村(現在、岡山市)の杉本の住所が記されています。
 まえがきを紹介します。

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杉本兼秋著
白翠選圖集
集録の作品に就て

此の五拾局は九年より現在迄數ヶ年の間に各誌に發表した作品の内より選んだものであります。
集成の作品に對する自信は更にありませんが貧弱ではあるが兎に角是だけまとめる事の出來た僅かな喜びを感じてゐます。
始めは百局集録の考へで居りましたが創作に入つて未だ日の淺い私としては百局の作品がその殆んど全部であるので百局選ぶには意に滿たない作品も入れねばならず。其内の數拾手以上の作品は發表するには餘りにも價値無きものばかりと思ひ遂五拾局集成する事に決めました。
純創作型作品の創作が年來の私の宿望でありますが創作型を作るには今尚其創作力が餘りにも非力である事を考へました。
藝術的價値無き創作型作品程其存在の無意味なるは無いと思ひます。
集録の作品中殆んど實戰型であるのも此の意味であります。集録の作品は皆懸賞課題として創作したもの故解説を見て調べる作品として興趣少きものかも知れません。
作品に附せる解説は冗漫なる個所多くある事と思ひますが是から詰將棋を研究せられんとする方の爲此作品を調べるのが少しでも容易なればと思
て附記したるものであります。
集録の作品は本誌へ發表せる以外のものが過半あり其作品を未知の方に調べて頂かうと思
たのが此作品集成の目的なのであります、作品中貳參變化手順の長いものがありますが御寛恕の程お願ひ致します。
前記各點を御諒承の上此初期作集成を御笑覧下されば幸甚と思ひます。
一九三八年仲秋 著者
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 選圖集の50局を並べてみましたが、手数は9手から91手まで。短篇(~17手)18局、中篇(19手~49手)31局、長篇1局です。
 まえがきにもある通り、いわゆる実戦型が過半数(
「殆んど」ではない)を占めています。不完全作は19局あります。手順前後や24桂と打つところ44桂でも良いといた非限定を大目に見れば15局。
 このうち、いくつか紹介します。
 初出は調べてみましたが、月報以外はほとんど分かりません。
 手順は漢字を半角数字に変え、74金打などの「打」(当時は攻方持駒の着手にはすべて「打」を付けていた)は省略しました。

第六番(初出は月報1935年11月号)

2617

82角成、84玉、93角、同桂、74金、同龍、93馬、同玉、94香、同龍、
82銀、92玉、93歩、同龍、同銀成、同玉、99香、94桂、同香、同玉、
95飛、84玉、76桂、74玉、86桂、同香、75飛
まで27手詰


【解説】82角成、84玉、93角、同桂迄は當然の順であらう。此時93馬と取ると同玉、94香、84玉と上られて74玉の順があるから續かない。74玉の順を防ぐ74金の妙手を發見出來やう。同玉でも同歩でも73馬であるから同龍の一手である。此74金を93角と打たずに行ふと同玉で桂の利きがあるから失敗する。
93馬、同玉、94香、同龍、82銀、92玉、93歩、同龍、同銀成、同玉、95香、94桂合此合は桂が最善で歩では同香、同玉、95歩で何れへ逃げても飛打の詰である。
同香、同玉、95飛、84玉、76桂、74玉、86桂と飛車の筋を通して75飛迄である。
---

86桂、同香、95飛が成立します。


第拾九番(「將棋時代」1933年10月号)

2630

24桂、同桂、12飛成、同香、33金、同玉、11角、32玉、22角成
まで9手詰


【解説】本局を一見して解るのは玉を33より44へ脱出させては絶對に詰まないと云ふ事である。此想定で22金、21角等は無い事になる。先づ浮んで來るのが33金、同玉、22角の順であるが32玉と引かれても24玉と上られても詰まない
12飛成と桂を取
ても同香、33金、同玉、11角、24玉と上られて桂二枚では詰まない
11角の時24玉と上ることが出來ないと假定したら、24の逃路が玉方の駒で閉鎖されてゐるとしたら32玉、22角成の詰である。
最初24桂と打つ、是は玉方の逃路44、24を44のみに限定させる輕手で33玉は22角、24玉、15金迄。同歩は22金迄である。24同桂直ちに33金では同玉、22角、32玉で詰まないとすれば12飛成と捨てる順は容易に浮んで來ると思ふ。
33金、同玉、11角、24が桂で閉鎖されてゐるから32玉の一手、22角成迄で成功である。
---


 まえがきに「九年より」とありますが、本局は昭和8年の発表作です。


第貳拾壹番(初出不明)

2632

22金、同銀、13歩、同銀、24桂、同銀、22金、同玉、31角、32玉、
43金、同玉、41飛成、33玉、42龍、34玉、45龍、33玉、34歩、32玉、
42龍
まで21手詰


【解説】本局は最初の着手が可成多い。21飛成でも詰の如く見えるが打歩詰になる。又52飛成、13歩、24桂等の手段もあるが33銀の守備が強いから僅かの處で殘る事になる。本局の主眼は此33銀を移動させて31角を狙ふ處にある。
第一着手、22金(同玉なら31角、12玉、24桂、同銀、52飛成迄である)、22同銀、13歩(同玉なら24金、同歩、同金、12玉、13歩、同銀、34角、22玉、23角成迄)、24金の時12玉なら23金左、同銀、13歩、同桂、21角、22玉、52飛成、32歩、23金、同玉、32龍迄である。
13同銀、24桂、同銀、22金、同玉、31角、32玉、43金以下容易な詰である。
---

 一回転させたかったですね。


第貳拾參番(十の字)(「將棋世界」1939年1月号)

2634

12香、同玉、24桂、同銀、13歩成、同銀、24桂、同銀、23銀、13玉、
14銀成、12玉、23成銀、11玉、22金、同香、12歩、21玉、32角成
まで19手詰


【解説】一見して最初の着手が持駒に依る事は明らかであるが第一、23桂、第二、12銀、第三、22銀、第四、12香の四手段がある、
先づ23桂と打
て見る玉方同香と應ずれば12香、同玉、23角成、11玉、12銀迄で詰むが輕く12玉と上られると13歩成、同玉と上邊に脱出せられて詰まない。
12銀と打つと同玉、13歩、同玉、19香、24玉で詰まない。
後は22銀と12香であるが、22銀は玉方22同銀と取れば12香、同玉、24桂、11玉、22金、同玉、32角成、11玉、12銀迄で詰であるが22同香と取られると12香、同玉、22金、同玉で詰まず13歩成でも同玉、14銀、24玉とな
て詰まない。
以上の三手段が失敗だとすると正着は後に殘
た12香と云ふ事になる。
12香、同玉、此處で13歩成、23銀、24桂の三様の手段があるが13歩成、同玉が上部へ脱出の形であり23銀は11玉と逃げられると後續が無い。24桂、玉方同香は13歩成、同玉、23角成故同銀と取る。攻方23銀と打
ても11玉と逃げられ後の手掛りが無い形であるが此の時14歩が無いと假定すれば22金、同香、12歩、21玉、32角成の詰が出來てゐる。
24桂、同銀の時13歩成と捨てるのが輕手で玉方同銀と應ずる、直ちに23銀は11玉、22金の時、玉方の銀が13へ下
てゐる爲同銀で打歩詰の局面となる。此22同銀を消す爲に再度24桂と打て同銀と移動させておけば以下23銀、13玉、14銀成、12玉、23成銀、11玉、22金と打歩詰を打開して、同香、12歩、21玉、32角成で成功する。

---
 この作品は紹介済みです。選圖集も1月なので「將棋世界」に発表したのと同時に月報にも掲載されたことになります。
 左は月報、右は將棋世界の図。月報は33金ですが、こちらはと金です。
 

193901_3 193904_2



第44番(月報1938年11月号)


2655

31角、12玉、24桂、同金、23桂成、同金、24桂、同金、13歩、同桂、
21銀、23玉、22角成、同玉、32馬まで15手詰

【解説】持駒に金が無いから13玉と上らしては絶体に詰の無い形。
第一着手が31角は當然であらう。同玉なれば42銀、22玉、33銀成、同桂、32金、13玉、23桂成、同玉、33馬、13玉、25桂、12玉、22金迄の詰。
12玉直ちに23桂成では同玉で上邊脱出は防げない24桂と打つのが好手である。
同歩は23銀、同金、同桂成、同玉、35桂、12玉、23金迄。同金、同玉()では24玉が無いから32銀、12玉、21銀、23玉、22角成、同玉、32馬迄である。
此時13歩では同金と寄られ同角成では同玉で駒が不足の形である。
又34馬と引いても23金と合をせられて續かない。13金を消す爲再度24桂と打捨てる同金、13歩、同桂、21銀、23玉、22角成と捨て34玉の順を防いで32馬で詰となる。
---

 44番と48番も紹介済みです。
 24桂、同金、23桂成、同玉の手順を指しているのだとしたら、32銀、12玉、21銀生、23
玉、22角成、同玉、32馬では、13玉で逃れ。ただし、22角成のところ35桂、同金、32銀生、24玉、42角成で詰みます。


第48番(初出不明)

2659

25桂、同龍、24銀、同龍、25桂、同龍、35角、22玉、33金、同香、
11飛成、同玉、13香、21玉、12香成、31玉、13角成、41玉、23馬左、32歩、
31馬、同玉、22成香、41玉、51銀成、同玉、33馬、61玉、51馬、同玉、
63桂、61玉、71桂成、同玉、62金、81玉、83香、91玉、82香成
まで39手詰


【解説】此局面では23金、同龍、同馬、同玉と交換しては詰が無い。持駒の桂と17角の配置を見れば此活用に依
て龍の利き筋を遮斷する順を發見出來やう。
第一着手として角の活動を阻害してゐる35銀を捨てる順が考へられるが直ちに24銀では同銀で下邊に龍の利きがあるから詰まない。
25桂、同龍、24銀、同龍再び25桂と打
て35角を狙ふ。
22玉なら31飛成、同玉、42と、同玉、53角成、32玉、33香、同龍、同桂、同玉、23金迄
又42との時22玉なら23香、同龍、同馬、同玉、33飛、24玉、35飛成、23玉、33龍、12玉、13龍、21玉、33桂迄である
25同龍、35角、22玉、31飛成は52桂の守備の爲に詰が無い。
33金、同玉なら31飛成、32銀、43と、同玉、53角成、33玉、42馬迄
33同香、11飛成、同玉、13香、21玉、12香成、32玉なら43と、同玉、53角成、32玉、43銀、41玉、42馬迄
31玉、13角成、32玉なら22成香、同龍、同馬、同玉、12飛、21玉、13桂、31玉、42と迄
41玉、23馬、32金合なら同馬、同玉、31金、32銀合なら31馬、同玉、22成香、41玉、32馬、同銀、42銀迄。又32桂合なら直ちに51銀、同玉、33馬で本手順より四手早い
32歩合が最善の應手。
直ちに51銀成では同玉、33馬、同歩、63桂、41玉、42香、32玉で飛車を交換しても詰は無い
31馬、同玉と取らして22成香と寄
て置くのが良い41玉、51銀成、同玉、33馬、同歩なら63桂で二手早く詰む
61玉、51馬、同玉、63桂、61玉、71桂成以下本手順の詰である。
---

2017年2月16日 (木)

加藤文卓の「圖巧解説」その14

月報1927年5月号

圖巧解説
二峯生述

第三十番

0030

23飛成、同玉、13角成、
34玉、35金、同馬、44金、同馬、33龍、同玉、
23金、42玉、31馬、同玉、41成香、同玉、32金打也(17手詰)


變化

34玉の所13同玉ならば
33龍、14玉、24金、15玉、13龍也


44同馬の所同玉ならば
22馬、54玉、55金也

○本局は駒數少なく變化も簡單であるが35金、44金、33龍、31馬等妙手に富める好局である又此圖に於て31角22飛の二駒は共に成駒であつても差支はないのであるが42龍53馬の二駒は生(ナマ)であつてはいかぬのである若し53馬が角ならば前記35金の所に33金、44玉、43金、55玉、53龍と指しても詰となる


第三十一番

0031

此局も流石に妙作であるが變化が可成複雜して居るやうに思ふ

83香成、同玉、84飛、72玉、63桂成、同角、73飛、81玉、71銀成、同金、
92金、同玉、74馬、同角、94飛、81玉、92飛成、同玉、84桂、81玉、
71飛成、同玉、72金也(23手詰)


變化
72玉の所
(一)93玉ならば85桂、92玉、94飛、81玉、71歩成、同金、92金、72玉、63桂成、同玉、64飛、52玉、63飛成、同玉、53銀成、72玉、73飛、61玉、71飛成、同玉、62金にても詰む
63飛成の所53飛と指しても容易に詰む
81玉の所()83玉ならば
93飛成、72玉、63桂成、同角、73桂成、81玉、71銀成、同金、92金にても詰む
83玉の所93歩間ならば
同桂成、同飛、同馬、81玉、71歩成、同金、92馬、72玉、73金也

(二)92玉ならば74馬、83歩、94飛、82玉、71銀生、同金、92金、72玉、63桂成、同角、73飛、61玉、63飛成
此時62金ならば同龍、同玉、63金にて詰となり又62へ間駒を打てば43角にて容易に詰む
83歩の所に種々手あれど何れも容易に詰む

63同角の所同玉ならば
64飛、52玉、53飛、42玉、44飛、32玉、41飛成、22玉、66馬也
52玉の所72玉ならば
73飛、81玉、71銀成、同金、同飛成、同玉、62金、81玉、73桂の詰あり

81玉の所62玉ならば
63飛成、同玉、64飛、()52玉、54飛、43玉、53馬、()33玉、25桂、23玉、32角、同玉、34飛、23玉、33飛成、14玉、13桂成、15玉、16歩、同玉、36龍也
52玉の所
一 72玉ならば54角、83玉、95桂、92玉、94飛也
二 53玉ならば45桂、43玉、34角、32玉、65馬、22玉、33桂成、同玉、43角成、23玉、32馬、12玉、56馬也
33桂成の所55馬、31玉(此時13玉ならば63飛成也)、32歩、41玉、61飛成、同金、42金、同玉、33馬、41玉、53桂生の詰あり
33玉の所32玉ならば
43角、()23玉、15桂、12玉、13歩、同玉、31馬、22金間(此所22歩間ならば23桂成、仝玉、32角成也)、仝馬、同玉、23金、11玉、14飛也
23玉の所22玉ならば
14桂、23玉(此所12玉ならば21角成、同玉、24飛也)、34角成、32玉、43馬寄、31玉、22桂成、同玉、33馬上、13玉、14歩、12玉、21馬、同玉、24飛也

74同角の所83銀間ならば
94飛、81玉、63馬、72間、同飛成、同金、73桂、71玉、91飛成也

前記73銀間及81玉の所に種々變化あれど容易なれば略す


第三十二番


0032

26銀、同飛、27桂打、同飛成、同桂、26玉、17金、同玉、18歩、同玉、
28金、19玉、59飛、同と、18金、同玉、19金、27玉、28金、26玉、
37馬、25玉、34銀左、24玉、15馬、同玉、14銀成、同玉、23銀打、24玉、
25金、13玉、14金也(33手詰)


變化
26同飛の所同玉ならば
27金、15玉、26金打、()同飛、同金、同玉、27飛、15玉、37馬、26歩、同馬、24玉、34銀成、13玉、35馬、24歩、同馬、22玉、33馬の詰あり
26同飛の所24玉ならば
34銀成、13玉、25桂、同銀、23金、14玉、24金也

27同飛の所
一 25玉ならば34銀引生、24玉、33銀生、()同玉、55馬、24玉、34金、13玉、24金打、同飛、同金、同玉、34飛、25玉、35飛、24玉、34飛にて詰あり
33同玉の所13玉ならば
24金、同飛、同銀、同玉、34飛の手順にてよし

二 24玉ならば34銀成、13玉、24金、同飛、同成銀、同玉、34飛、25玉、35飛、24玉、34飛の詰あり

59同との所39銀間ならば
38金、73歩間、同馬、同龍、39飛にて詰となる

○前記15銀の所原書には23銀、24玉、25金、13玉、14金と記されてあるがそれでは手數が二手延びる丈けだから改めたのである

◆三月號に掲載した拙稿圖巧解説の終りに
「此二十八番と二十九番は玉の位置を相對的にしたばかりでなく駒數及持駒を同じにしてある所に作者の趣向が窺はれるやうに思ふ」と書く筈のをうつかり脱落しました(二蜂(ママ)生より)

2017年2月15日 (水)

忘れられた論客 その10

 1938年1、2月の「古今名作觀賞」は無双の2、3、12、15、17、22、34、43、51、60、67、79、80、97番、図巧の2、8、14、20、28、60、76、82、92、95番について解説しています。
 2箇月でこれだけ解説するからには相当な頁を費やしたように見えますが、
---
第拾貳番(圖面解説省略)
本局は攻方の配置駒なき特異の作品にて六十餘手の大作なるも妙手に稍乏しく形惡きの感あるなり但し創作は偉とすべきなり
---

 というような図も手順もない手抜きが8局もあり、その図を知らない読者にとっては全く意味がなかったのではないでしょうか。

 その中から、杉本らしい感想が述べてある解説を2局紹介します。

無双第34番

090034

24金、同歩、12飛成、同飛、23銀、同玉、12銀生、14玉、13飛、同玉、
25桂、14玉、23銀生、同玉、32馬、同玉、33金、31玉、53角成、同金、
23桂、21玉、13桂打、12玉、11桂成、同玉、21桂成、同玉、23香、31玉、
22香成
まで31手詰


【觀賞】最初の着手24金は妙手なり
一定の構想による妙手でなく、部分的妙手は(妙手の大部分は捨駒)その妙手に對する玉方の手順多き程妙手の価値は高し、この24金に對しても同銀同玉同歩の三手段あり。13飛25桂32馬皆巧妙なる捨駒なり
最後に二枚桂を打ち成捨てゝ香打の場所を作るも面白し
此の作も中編の好圖と思ふなり。
手數、駒數、妙手各々甚だ好しと思ふ


図巧第2番

100002

27金、15玉、16金、同と、27桂、同と、16歩、同玉、25角、同玉、
36角成、15玉、16歩、同玉、27龍、15玉、25馬、同と、16歩、同と、
24龍
まで21手詰


【觀賞】本局の主眼は歩詰廻避の捨駒なり、16金捨面白く、25二枚角の捨場巧妙なり、小作品の好局なり。然れども34との配置は形態上肯定出來ず
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 1938年12月号に「蒼門寺喬」という人の「偶感雜記」という一文がありますが、これも種々の特徴から見て杉本兼秋の手によるものと思います。以前、一部を紹介したことがあります。

偶感雜記
蒼門寺喬

 詰將棋作品の今昔の比較にては現今は享保の夫に比して劣るとされてゐる。
是には色々の方面から觀ての云分であらうが詰將棋全盛期享保年間の作圖としての現今に傳はる物は宗看、看壽の外數百局に過ぎない。
 現今は新聞雜誌類の發達で作品の發表が容易である爲か新作圖として發表されるものが少くとも一ケ月數拾局は降らないであらう。
 大正末期より現在迄。拾數年間に各新聞雜誌に發表されたものを合せれば數十局の多きに達してゐるであらう。
 是等多くの作品の大部分が専問棋士や素人の作品で有名な作圖家の作品は何拾分の一も含まれてゐない。
 是等の作品の平均した。作圖の價値と享保年間を代表した作家の作品を比較論評したのでは現代の作圖が昔にをとつてゐる事は言ふ迄もないだらう。
享保年間の作圖も現在に殘れる數百局が決して其全部ではないと思ふ。
 民間の作圖家にも、參拾局五拾局を作つたも多くあると思ふが者其發表が困難であつた爲に現在ではそれを見る事が出來無いのであらうと思はれる。享保年間を代表する宗看、看壽の作と現在一流の作家の作品を比較したら現在の作品が享保の夫に比して劣つてゐるとは決して思はれない。
難解な點に於ては享保の美に幾分か劣るかも知れないが、藝術的觀點からは現代の作家の作品は慥(たし)かに洗練されてゐる。
幕府時代は圖式献上の習に慣よつて創作されて來た故、一般の愛棋家の都合など考へてゐなかつたであらうが現在の様に一個の問題として作るには或程度の愛棋家の棋力をも考慮せねばならぬ故、無暗に難解なものは作れない事になる。
享保年間の作品には、長手順の作品が多いが是等は合駒の關係では手順を繰返すもので、手數に比して作品の價値は少ないものが澤山ある。看壽の六百拾壹手の作品も終局餘詰があるのを其まゝにしてあり。又大矢數の様な手數を多くする爲に無意味な歩合を拾數回も繰返へし其歩拾數枚が皆殘ると云ふ様な馬鹿々々しい作品もある。是等作品は現在の詰將棋創作規定では作品としては成立すべくもない。
難解と、作品價値は同一のものでないから難解なる作品必らずしも名作であるとは云へない。當時の名作には其創意のすぐれたのが多い。
現在の一般作品は一貫した創意が無くて部分的輕手による追詰作品が多い。
現在の作圖家が作品の構想に今一歩留意したなら未だ未だ優れた作品が作られるであらう。
當時の作品に飛角の遠打が多く見られるが現在の作品には遠打が殆んど見られない。
遠打は部分的妙手でなく其作圖の構想の中心をなすものである故是からの作圖に遠打の妙手を含む作品が現はれ出したら、作圖は幾らか進歩したと見て良いだらう。
  ×  ×  ×
土居市太郎氏の新著、初心詰將棋讀本及び近代詰將棋讀本が博文舘より出版された。
自分が想像してゐたものよりは幾分優れてゐる様に思へた。
酒井、今田の名手の作と比較論評するには其差が大き過ぎるが土居氏の作としては此集成は先づ成功であると思へる。
君仲の改作や大道棋の改作も數局見受けられ、たゞ本誌上に於て指摘された餘詰早詰のある圖だけは訂正して發表願ひたかつたと思ふ。
  ×  ×  ×
前號の前田氏の酒井先生訪問記は結構であつた。酒井先生の近況を知る事が出來て大變嬉しく思つた。
酒井先生の作圖集が出る事は詰棋愛好家の喜び大なるものがある。
酒井圖式の出版の一日も早からん事を祈る次第である。
酒井先生の名作が集成發刊されたなら詰將棋愛好家の現代詰將棋觀は可成變つて來る事だらう。
現代詰將棋界の双璧たる。今田、酒井圖式の完成も近き將來に實現すると信ずる。夫と同時に詰將棋の今昔比較論評は消ゆるであらう。
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 いつも通り誤字脱字はそのまま、原文通りです。
 「數十局」は「數百局」(數千局か)、
作つたも多くあると思ふが者作つたも多くあると思ふが、「習に慣よつて」は「習慣によつて」でしょう。
 杉本の文章である根拠は
1.「現今」ということばの多用。

2.同じ主張がある。
享保年間を代表する宗看、看壽の作と現在一流の作家の作品を比較したら現在の作品が享保の夫に比して劣つてゐるとは決して思はれない。(「偶感雜記」)

それに作品の上から見ても享保の作品に比して決して劣つてはゐない。(「詰將棋講話」1936年4月)

3.土居八段作に対し一貫して厳しい。

4.遠打の重視。
遠打は部分的妙手でなく其作圖の構想の中心をなすものである故是からの作圖に遠打の妙手を含む作品が現はれ出したら、作圖は幾らか進歩したと見て良いだらう。(「偶感雜記」)

創作形作品の創作に於ては遠打を含むものが最も至難である
現今の作品に遠打の優れた作品が少ないのも是の爲であらう(「創作型の研究」1939年1月)

というわけです。

2017年2月14日 (火)

加藤文卓の「圖巧解説」その13

月報1927年3月号

圖巧解説
二峯生述

第二十八番

0028

33銀生、同歩、13角、23玉、24飛、同と、22角成、同玉、12飛成、31玉、
21金、41玉、31金、同玉、43桂、41玉、51桂成、同玉、63桂、61玉、
71桂成、同玉、83桂、81玉、91桂成、71玉、81成桂、同玉、83香、71玉、
82香成、61玉、72成香、51玉、62成香、41玉、52成香、31玉、42成香迄(39手詰)


變化
33同歩の所
(一)15玉ならば16飛、25玉、43角、35玉、47桂、45玉、57桂也
(二)23玉ならば12角、33玉、34角成、42玉、41飛也
(三)13玉ならば12飛、23玉、32飛成也
(四)33同玉ならば34飛、43玉、61角、52間、55桂、42玉、32飛成也
43玉の所42玉ならば32飛成、51玉、41と、61玉、83角也

23玉の所13同玉ならば
12飛、23玉、14飛成、22玉、21金也

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 易しい趣向のせいか、そのことには何も触れていません。桂またぎです。


第二十九番

0029

96馬、73玉、65桂、同飛生、85桂、74玉、93桂生、73玉、84龍、同玉、
73角、同玉、74歩、84玉、76桂也(15手詰)


變化
73玉の所
(一)87香間ならば76桂、73玉、85桂、74玉、56角、65間、86桂也
(二)87桂成ならば同龍、75玉、74馬、同玉、76龍、75間、85角、84玉、96桂、95玉、87桂也

65同飛生のところ
(一)同飛成ならば74歩、同龍、同馬、同玉、85角、65玉、55飛、66玉、86龍也
65玉の所84玉ならば
63角成、87間、85飛にて容易なり
(二)65同香ならば64角、62玉、53角成、73玉、64金

74玉の所84玉ならば
76桂、74玉、93桂也、73玉、84角にて詰む

84同玉の所同歩ならば
74歩、83玉、94角、93玉、72角成也

○原書には前記74玉の所を84玉と記してあるが其れでは變化の部に記したやうな早詰があるから改めたのである
---

 このあとに、「附記」として
「此圖巧第二十九番の燒き直しが昨年四月號の新棋戰と仝年九月號の將棋新誌とに掲載されて月報の聲欄に問題となつたのである
而して兩圖とも盤面の模様を變へる爲二三の凡手を追加して徒らに駒數を増加し原圖の金を鉛と化したものであるから兩雜誌に對して誠に御氣の毒の次第であるが此所に圖面を掲げて簡單に解説を試みやうと思ふ」として以下2題とも余詰であることが指摘されています。

                         
將棋新誌二巻九號所載
2929bod_2
新棋戰二巻四號所載
2429bod


 作意はいずれも

44金、同玉、45金、33玉、34金、同玉、16馬、33玉、25桂、34玉、
13桂生、33玉、24龍、同玉、33角、同玉、34歩、24玉、36桂
まで19手詰

「○斯様な圖面が僅かの間に新誌新棋戰の兩雜誌に現はれた事は遺憾の至りであります
本紙に御寄稿下さる諸君は斯様な事は絶對にないとは信じますが萬が一にも燒き直しなどを自作然と御投稿下さる如き事之れなきやうお願ひ申します」

 「新棋戰」は1923年2月~1928年12月まで発行。発行人は大崎熊雄七段。

2017年2月13日 (月)

忘れられた論客 その9

 以前紹介した1938年3月号の「まぼろし」名義の「詰將棋對話」ですが、これは杉本兼秋の書いた記事だと睨んでいます。再掲します。

詰將棋對話
まぼろし

『如何です。相変わらず詰將棋の創作をやつてゐられますか』
『はあ、餘暇を作つては研究を續けています』
『時には駄作も出來ますか』
『君は云ふ事が反對ですね、時には名作が出來ますかと云ふべきでせう』
『いや君は始終名作ばかり作つてゐられるから少しは駄作も出來るかと聞いたのです』
『僕の作品が名作?君は何を對照にして僕の作品を名作だと言つてゐられるのですか』
『宗看、看壽の作品……』
『さう言つて頂ければ嬉しいですが、未だ未だ私如き凡人には宗看の域に達するには前途尚遠きの感ありです、否々一生掛つても宗看の様な名局は作れないでせう。僕は何時でも斷言できます』
『變な斷言もあるものですね。要するに君は君が詰將棋作家としては一個の平凡なる存在である事を自分で認めてゐるわけですね』
『さうです。僕は詰將棋創作に於ての自分の非力をつくづく感じてゐます』
『大變悲觀してゐる様ですね、僕も君が詰將棋の作者としては甚だつまらないものだと云ふ事は君が言はなくてもよく知つてゐます』
『君の惡舌も相當なものですね。僕を前に置いてそれだけ云へれば惡舌家としては一人前ですね』
『少し怒つた様ですね』
『いや怒りはしません。僕は君の云はれる様に詰將棋家としては誠につまらない存在です。君が當然の事を云はれたのですから』
『これは全く困りましたね、謹んで前言を取消します』
『いや取消す必要はありません。然し無暗に人を上げ下げする事は良くない事です。名局を作るとか詰將棋作家としてはつまらぬ存在だとか云つて』
『人を上げ下げする事は、一向に惡い事はないです。現に毎日人を上げ下げして暮してゐる者があります』
『そんな馬鹿な事が……』
『エレベーターガールを御覧なさい。毎日幾百人幾千人の人を上げ下げして居ます』
『君の云ふ事は落語ですね、僕は眞面目に話してゐるのです』
『では眞面目に話をします。前に云つた、君の作品が名局と云ふのは其の對象は宗看や看壽の作品を云つたのではないのです、宗看、看壽の作品と云つた時君が僕が未だ言はうとしてゐたのを途中で取つてしまつたのです』
『では宗古、宗桂の作品を對象としてですか?僕は宗古や宗桂の作品に比して僕の作品は優れてゐるとは思つてゐません』
『その通り君の作品は宗古や宗桂の作品と大差ないものでせう。唯現代の専門棋士の作品に比したら君の駄作も幾分か見られるでせう』
『君、言葉に注意し給へ、そんな事を専門棋士の人達が聞いたら怒るよ、専門棋士の人達の作品にもいゝのが澤山ある』
『これは失禮、前言取消、將棋大成會直属の棋士と比したらと訂正します。地方の有段者の方には君の作品より優れたのを作る人が澤山居られますからね』
『益々惡い。謹んで全言を取消しなさい』
『なあに一向かまはんです。花田八段の他には皆駄作中の駄作ばかりの作品です。花田八段の外の大成會棋士に比してと再度訂正して、處で君は將棋世界の三月號を讀んだかね』
『未だ讀んで居ません』
『その將棋世界三月號の別冊附録古今名局詳解と云ふ土居八段著の書物の中の三十頁に土居八段の名言が出てゐる、君達詰將棋作家には為になる事故今其の項を朗讀するから聞き給へ』
『謹んで聞かう』
『では朗讀する、良く聞き給へ……
近來將棋の流行につれて素人で詰將棋に熱心な人があり對局の實力は初段に遠きも自ら詰將棋を作るを得意とする處より詰將棋だけの段位を與へては如何と主張するものすらあるが若し詰將棋に段級を與へるとすると差詰名人を贈らなくてはなるまいと思ふのは彼の桑原君仲である……と』
『詰將棋作家に段位を與へるとすれば君仲は名人を與へても不思議はないだらう。然し詰將棋に段級は變だね。指將棋とは違つて詰將棋は一個の創作藝術だからね段級よりは別の名稱を冠すべきだね』
『次を讀むよ、……然るに此の君仲の著として有名な詰將棋が今日迄二百番迄も遺されて有る。殊に後の百番『將棋極妙』と題した中の八卦圖その他曲詰などの佳作も有り當時の家元大橋宗桂も、是等を稱賛してゐる程の卓越した詰將棋の天才である……と』
『異議ないね、君仲の詰將棋創作の天才は我々の十分認めてゐる處だ、唯遺憾なのは彼君仲の作品、極妙は曲詰だから別として玉圖は姿が惡い。彼君仲が形と云ふ點に注意して作つてゐたら未だ未だ有名になつてゐると思ふ』
『僕は詰將棋の姿だとか形とか云ふ事は良く解らないが……では次を讀む、君は良く怒る性だが我慢して聞き給へ……現代の素人が數局の凡作に誇り詰將棋の段級を要求するものとは雲泥の差がある…』
『?』
『解らないかね、つまり、君仲の作品と君達の作品を比べる時君仲の作品を雲としたら、君達のはすつぽん程の差がある。如何に君達の作品がつまらぬものであるかと云ふ事を云つてゐるのだよ』
『何程今後は努力して作るよ』
『處で君達の作品と君仲の作品に於てはそれだけの差があるかね』
『それはある、詰將棋の、天才と、一平凡人の作との對照だから、止むを得ない。だが一言云はして貰ひたいのは、一般の素人と君仲の作品を、對照せず我々の先輩作家とも對照してもらひたい事です。現代詰將棋界の名匠、酒井桂史先生。先生の高名は詰將棋を作る者誰しも知つてゐる筈』
『其の通り』
『酒井先生のあの精彩に富んだ流麗高雅の作品は君仲の上位に位すべき作品、否、宗看、看壽と共に並び稱されるべき名品であらうと僕は信ずる。其の他、田代、田邊、今田等の諸氏の作品も、君仲と優劣を競ふ作品ばかりだよ。他に未だ未だ十指に餘る名作を創る作者がゐる』
『待つて呉れ給へ君は詰將棋の事になると夢中になつてしまふので困るよ、僕は土居八段の言が間違つてゐるのを今發見したんだよ』
『土居八段の言が何處が違つてゐるのかね』
『僕が今讀んだ……現代の素人が數局の凡作に誇り詰將棋の段級を要求するものとは雲泥の差がある……云々の言葉だよ土居八段としては自分達の作品と素人の作品を比べると雲泥の差があると書きたかつたのだらう、だが土居八段たるもの、自分の作品を月報の圖譜考檢では皆に棚下しをされる、新聞へ發表すれば横槍を喰ふで自分の作圖を對照するの自信は更に無いので君仲の作圖で君達への敵討ちをしたんだらうと思ふ。桑原君仲氏さぞ今頃草葉の蔭でくはばらくはばらと云つてゐられると思ふよ』
『又落語かい、君其の本を見せ給へ……是は君仲と備中の平次郎の對局の詳解ではないか。だから君仲の詰將棋の事を書いてあるのも、當然ではないかね』
『それは僕も知つてゐる、だから現代の素人が云々の言葉は、……現代の我々専門棋士の作圖と、君仲の作圖を比較する時、我々専門棋士として誠に汗顔の至りである……と書くべきだと思ふよ。土居八段も心中さう感じてゐただらうと思ふよ、其の通り書いて於けば無事だつたのだが其處が土居八段の老獪なる處で君仲の作圖を使つて巧みに君達に仕返しをしたのだよ、然し此の反撃たるや將に天下一品の底抜けだね將棋界の大御所と云ふのを君聞いたことがあるだらう』
『土居八段の事を云ふだらう。土居八段の棋界に盡した功績は實に大きい』
『いやそれだつたら將棋界の大御所とは當然關根十三世名人を云はなければならないと思ふ。大御所の本元徳川家康の事を狸と言ふだらう。是は家康の顔が狸に似てゐたからではない。家康が狸の様に老獪であつたからである。◯◯を◯◯の大御所と言ふだらう又××を×××の大御所と言ふだらう皆同じだよ、將棋の大御所たる土居八段も狸の本領を發揮したわけだよ』
『君々、惡口も、いゝ加減にし給へ、君のは惡口と言ふより毒舌だね』
『これは失禮、前言取消。處で本誌の方に土居八段が將棋随想と題して詰將棋の事を書いて居るが其の中に……今や將棋隆盛期に這入つて居る關係上で詰將棋も、昔に比較にならない程澤山世に出て居るが昔の名作に比すべきものは滅多に見られない……と書いてあるが君の意見は』
『將に其の通り、大体に於て昔の作圖の方が優れて居る。然し是は作圖の平均しての對照であつて優秀な作圖のみを、對照したらそんな事は先づ無いと思ふね』
『何分現今のやうに棋界が多事となつては暇にあかして作る事が出來なくなつたのである……とね、然し小作圖を作るにしても未だ作り方があると言ふものだね。もう少し手極は良く』
『専門棋士の小作圖にはいゝのがあるよ』
『……次を讀むよ……それが証據には指將棋の盛んな都會より田舎の方が詰將棋に没頭して居る人が多い一体詰將棋は獨りで楽しめるものだけにさうした傾向に自づとなるのであらう……とまあ君達何等努力して名作を作つた處で天下の大新聞は此の人達の迷作が滿載されて居るんだから發表出來る事はないね、君も其の考へでせいぜい名局を作り給へ』
『僕は新聞へ作圖を出さうなんて野望はないね月報へ發表して本當に詰將棋を調べると言ふ方に見て貰つて居るんだから』
『塚田七段が宗看の不詰の局を研究して發表して居るよ』
『是非見たいね』
『月報の山村先生か岩木氏の研究より一歩も出たものではないよ、あれをそのまゝのせたと言つた方が至當だね、詰ま無いものを詰ありの解説を附けたりして居る以て玄人萬能の迷夢さまされん事を……で松井先生の横槍頂戴だよ』
『此の間木村新名人の名人就位記念の詰將棋を見たよ、大毎でね、中々凝つたものだつたよ』
『なあにあんなのは月報にはザラにあるよ』
『然しあの様に色々の條件を附けた作圖は作る事が難しいと思ふ』
『専門家の作圖を發表して居る將棋雜誌では素人の餘り優れた作圖は發表をさける様だね、將棋時代なんかでも一般の作圖は好いのを載せなかつた、それで月報に轉向した作家もある。月報へ載せ出してから名局が増したよ。これは創作力が上つたのではなくて別に名作を送つても發表しなかつたのだ、僕の知つて居る作家に此の様なのが二三人ゐる』
『將棋世界には塚田七段の發表だけに名作が多いだらうね』
『讀者作圖と同じ様なものだね、塚田六段の作圖の特長は本手順より變化の長い事だね、そんなのが二三あつた、それで同誌上に讀者の質問があつて建部六段が答へてゐるが相當面倒な問題だ塚田七段創作に當つて今少し注意すべきだね、解答者は迷ふよ。處で君先に言つた詰將棋の段位だねあれをもし君にやるとしたら君は貰ふかね』
『其の免状は誰が出すのだい』
『勿論八段や名人だよ』
『餘り有り難くないね段位なんか詰將棋には變だし指將棋と一緒になる、別な名稱の方が好い、もしだすとしたら詰將棋なら酒井先生か田代先生から出る筈だよ、それだつたら僕は喜んで貰ふよ、今日は君も随分惡口を言つたね、専門家の人達が迷惑するのだよ』
『うん暗殺されない様氣を附けるよ』
---

 誤字、誤植もそのままです。
 杉本兼秋の文章だと思う理由ですが、

1.同じ主張がある。
然し小作圖を作るにしても未だ作り方があると言ふものだね。もう少し手極は良く(「詰將棋對話」)
今一歩手際よく作れそうなものである(「詰將棋講話」1936年4月)

塚田六段の作圖の特長は本手順より變化の長い事だね(「詰將棋對話」)
唯遺憾なのは氏の作品には本手順より餘詰手順の方が長い作品のある事である(「燒直しを廢せよ」1936年4月)

2.プロ棋士、特に土居八段の詰将棋に対して厳しい
「詰將棋對話」、「詰將棋講話」

3.田代武雄、田邊重信に対する評価が高い
田代、田邊、今田等の諸氏の作品も…(「詰將棋對話」)
此の稿に對し里見、田邊、田代諸氏の御感想が伺へれば幸と思ひます(「現想と現實」1937年12月)
田代、田邊、里見、諸兄の詰將棋の御意見も伺ひたいと思つてゐます(「今思つてゐる事」1937年12月)

4.「」ではなく、『』で括るクセがある。
 『詰將棋は衰微した』
 『創作詰將棋の價値が減少した』
 『難解なる詰將棋が無くなつた』(「現代詰將棋論」1936年5月)

5.「其の本」「其處」など、其を多用する。「ゐられる」も特徴的な言い回し。
いや君は始終名作ばかり作つてゐられる(「詰將棋對話」)
然し氏は何か勘違ひをしてゐられるのでは無からうか(「詰將棋の規定に就て」1936年6月)
飯島先生が六月號に云つてゐられる通り(「詰將棋、其他」1937年8月)

というわけです。

 文中に触れられている「塚田七(ママ)段が宗看の不詰の局を研究して發表して居る」というのは「將棋世界」1937年12月号、38年1月号の「疑問の局に就いて」を指しています。
 この中では順に
73番(不詰)
26番(余詰)
62番(余詰)
88番(不詰とされているが詰む)
37番(不詰)
57番(余詰)
74番(不詰)

 括弧内は塚田六段の判定です。
 塚田六段は「この『詰物百番』には六局の缺陥があり、中三題は不詰である」と総括しています(88番は問題なしとの判断)。
 このうち、26番は塚田所持本では玉方12桂が脱落していて、実際は完全作です。また88番は移動合の見逃しがあり、不詰が正しいです。

 ちなみに「月報の山村先生か岩木氏の研究より一歩も出たものではないよ」と塚田六段の研究を評価していませんが、山村兎月は1933年8月号で「三代宗看圖式不詰五局に就て」という研究を発表しています。
 37番(不詰)
 62番(余詰があるが図面に誤りありか?疑問局)
 73番(不詰)
 74番(研究では詰むが、どこかに逃れ順がありそう)
 88番(不詰)

 括弧内は山村の判定。
 62番は不詰作ではなく、余詰あり。37、73、74、88は不詰です。

 塚田六段による第88番解と山村兎月の第74番解を紹介します。

「將棋世界」1937年12月号

第88番

090088

 本局は從來不詰との定評があつたものだが、私の研究によると詰みが有る。詰手順左の通り。

49金、同玉、48金、同銀生、58馬、38玉、48馬、28玉、37角、27玉、
16銀、同玉、38馬(參考圖)、25玉、26歩、同龍、24銀成、同玉、44龍、13玉、
14歩、22玉、42龍、32歩、55角、21玉、22金迄(27手詰)

(參考圖)

Photo

 少し詰上りが不味いと考へるが、詰手順は中々難解である。就中16銀と打捨て38馬等(參考圖參照)又參考圖25玉の場合26歩等其の例が指摘できる。
 最初47金を捨てず右の順を行ふと參考圖の場合27金合で不詰となる。參考圖の場合27金は66龍、25玉、47馬迄である。
 尚變化として、6手目38玉の處同玉の順を記すと、
68龍、47玉、48龍、36玉、37龍、45玉、36銀、54玉、44銀成、同玉、
46龍、33玉、24角、同玉、44龍、13玉、14歩、22玉、42龍、32歩、
33金、11玉、31龍迄
---

 31龍で終わっているのは変ですが、何が間違っているかというと、参考図で25玉のところ27龍と移動合されて詰みません。

 次に山村の第74番解。

090074_2

27角、28玉、29香、同成香、37龍、同玉、46龍、同玉、55銀、同玉、
66角、同と、54銀成、56玉、47金(15手詰)
---

 山村の図は攻方15とがないので、2手目17玉で詰みません。

2017年2月12日 (日)

忘れられた論客 その8

 「忘れられた論客」では、杉本兼秋の言説を紹介しています。
 1937年12月号「現想と現實」。

 理想と現實
 
將來の詰將棋創作分野に附いて

 名月や蟲の音利きつ詰棋かな 秀峰
今日は十月五日、いつしか夏も過ぎ、朝夕は涼感を覺ゆる中秋になつてゐる。
今日も朝から雨である、
徒然のまゝ立上がつて書架より調べ古された宗看圖式を一冊抜いて來た。
綺麗に磨かれた柘植の駒が盤上に心地よい音を立てる時其の盤上にたゞよふ神韻、超人的なる構想の妙、
今更ながら鬼才宗看の絶技に感歎久しうあるのみ。天才が時代を生むか、時代が天才を生むか──聞き慣れた言葉ではあるが、將に宗看こそ時代によつて生れ然してより偉大なる時代を拓いた天才とも云ふべきであらう。宗看の後世に殘した定跡は弟看壽の夫と共に實に大きい。夫は我々後進の驚異であり尊敬であると共に我々に與へられたる奮起であり努力でもある。
今草場に眠れる宗看、看壽の遺業を偲ぶ時我々と後進は自と頭の下る感あるなり
偉大なる哉宗看!偉大なる哉看壽!

曾つて本誌上に小生が『詰方は最短手數を以つて詰める事』と云ふ詰將棋規定の不必要を論じたのに附いて次號に於て里見氏が例證を掲げて其の必要性を述べられたが、其の時自分は單なる考へで自分の主張が正しいと信じ再三里見氏に反撃した。
然し其の後、數多の作品を調べて其の過半が此の規定を必要としてゐるのに驚いた。
詰圖の終局に於て後三手で詰むのを別の指手にて五手以上にて詰め得る場合は餘詰ある作品と云ふ事になるが後一手にて詰む場合外の指手にてそれ以上の手數を要して詰める手段ある場合、同規定にて此の餘詰は唯單に手數を長くするのみで攻方の執るべき手段ではない事になる。
然し或る反面より觀ると此の様な作品が藝術的價値を減ずると云ふ事にはならない迄も此の様な手順(餘詰と云ふべきでない餘詰)を有さない作品に比較して幾分か劣ると云ふ事は否めない事実であらう
又此の様な順ある詰圖の中には調べて不快の感ある圖も僅少であるが存在するを見る(自分のみの考へかも知れぬ)
然し是等の作品を(故人作或は既發表のもの)不完全作とする事は絶對に許されず、又これから創作する作圖家としても此の種作品を創作する事が出來得ないとすれば其創作範圍は著しく狹められる事になる、將來は兎も角現在は里見氏論の如く此の種作品は先づ完全なる圖として觀るが至當であらう。

 『玉方は最長手數なる様應酬する事』
是も詰將棋の規定であるが、里見氏は本紙昨年六月號誌上にて次の様に論述されてゐる『最長手數なるが如き玉方の應酬によりて生ずべき手順が當然變化手順なりと思惟せらるが如き場合はたとひ手數は最長ならずとも當然本手順なりと看做さるゝ手順の方を本手順とすべきである』と
此の規定を必要とする圖は宗看、看壽の作品に多く可成強度のものも含まれてゐる。
現今に於ては玉方の最長手順なる様應酬すれば持駒が餘る場合に限られてゐる様である。例外として最も妙手多き手順を本手順としてゐる場合もあるが、此の場合は本手順より長い手數の變化は消すべきである。
是等の作品は玉方は最長手數云々の規定に反すると見らるべきであるから里見氏も云つて居られる様に是種の作品を作る事は出來得る限り極力忌避すべきで、近き將來には之は詰將棋の規定中に加へられるべきである、
  ×  ×  ×
又詰將棋に於ては攻方の手順が前後しても同じ意味のものがある。

春圖

Photo

春圖は自分の例圖として創つたものであるが、正着は34桂、同歩、33銀、同桂、12金と着手すべきだが直に12金にても其の結果に於ては變りはない。此の種の圖も又不完全作と看做さるゝ時代が來るであらう。
  ×  ×  ×
詰將棋は今後創作に於て尚無限の新境地を開いて行く事が出來得るか或は又前途に行き詰りを感じてゐるか、是は最近本誌上に於て論議されてゐる處であるが是を確實に論ずる事は一見簡單の如く見えるが今迄に創作されてゐる詰將棋を調べて此の問題の複雜で甚だ面倒なえう事が判る。
是は自分が前に書いた様に探偵小説と同様の事が云へると思ふ。本格探偵小説が或程度行詰まつており變格探偵小説が尚無限の境地を持つてゐる。
詰將棋も是に或る程度の共通性を持つてゐるなれば次の様な事が云へるのではないだらうか。
『詰將棋に於ける作品全部としての新しい趣向を持つてゐるものを創作するのが或程度其の創作に行き詰りを感じており、詰手順に於ける新しい趣向──一個の作品に部分的に幾等かの新しい趣向(妙手)を持つてゐるもの所謂追詰作品に於ては未だ無限の創作新境地を持つてゐる』と
然し作品に於ては二つ共含有してゐる圖も多数あり其の分類は判然しないが此の論が正確に近いのではないかと思はれます。
言を變へて言へば實戰型作品に於ては創作新境地を持つてゐるが、創作型作品の一部分に於ては行詰りを感じてゐるとも云へやう。
作品全体の趣向を持つてゐる作品を掲げて見ると例へば宗看作十五番、看壽作六十二番等即ち夫であります。

宗看作圖第十五番

090015

93歩、83玉、86香、84飛、同馬、82玉、92歩成、同香、93馬、同玉、
95飛、94歩、同飛、同玉、85金、93玉、84金、82玉、73金、同玉、
83飛、64玉、65歩、54玉、44角成、同香、55歩、同玉、53飛成、54金、
44龍、同金、56香
まで33手詰

宗看作十五番は持駒飛にて詰なく歩にて詰ありと云ふ局面を創作したもので、持駒飛を歩に變へる爲の巧妙な93馬の妙手が生じるのであります。此の點宗看の着想が如何に優れてゐるかが判ります。

第六十二番看壽作圖巧

100062

17金、同馬、19銀打、29玉、18銀打、同馬、同銀、28玉、22飛、同馬、
23飛、同馬、73角、18玉、19銀、17玉、62角成、27玉、26馬、38玉、
37馬、29玉、28馬
まで23手詰

看壽作六十二番は飛飛角にて詰なく一個の成角にて詰ありの局面で22飛、23飛の二枚飛車の打捨の妙手にて成角が作れるのであります。此の様な作品としての趣向は宗看看壽の作品に於て殆ど用ひ盡されたかの感がないでもありません。
一局々々作品としての新しい境地を開拓して行くのは偉とする處で宗看看壽の作品が他の何れより優れてゐるのは此處にあると思ひます。
指將棋より分離し現今では一個の創作藝術と進んだ詰將棋は指將棋に捉はれず指將棋の終盤には絶對に現はれざる型の詰將棋創作をに向つて飛躍すべきである。
今迄の本誌に於ては一部の圖式創作者を除いては我々は比較的此の方面の開拓を等閑に附して來たかの感があります。最も此の種の創作が至難の爲であつたからと思ひます。
月報の詰將棋が餘り行き詰りと云ふ如き感がないのもこの爲と思ひます。
或程度の行き詰りを感じてゐる此の方面に於て何處かに『作品としての趣向』の未だ用ひられてゐない部分を發見し新分野を開拓して行く事が今後の詰將棋界を盛大ならしめる事になると思ひます。又それは我々圖式創作者に與へられた使命であると思ひます。
詰將棋の水準を或程度下げて一般解答者にも容易に解答出來る様にすると共に又一面程度の高い作品を作る様努力しなければならぬと思ひます。
後世に殘るのは解答者の多少、作品を觀賞する者の如何でなく唯其の時代に於ける作品の優劣のみと思ひます。
宗看看壽の作品を見る時我々が果して此の角度に向つて幾許の新生面を開拓し得るかを考へれば聊か憂鬱にならざるを得ないが自分の創作力を思ふ時理想の現實の一致し得ない苦惱。
思へば一局々々に歡喜を持つたあの頃が懐しい。
ふと眼を窓外に向ければ外暗に雨蕭條。
 秋雨や憂鬱になる詰棋かな 秀峰
兎もあれ我々は理想に向つて最善の努力をなすべきときである。(十月五日)
 此の稿に對し里見、田邊、田代諸氏の御感想が伺へれば幸と思ひます。
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 原文は図面だけで手順の記載はありません。
 春圖は手順前後の例題とされていますが、33銀のところ12金は成立しません。
 いつもながら回りくどくて分かりにくい文章です。特に「實戰型作品に於ては創作新境地を持つてゐるが、創作型作品の一部分に於ては行詰りを感じてゐる」というのはどういうことなのでしょうか。
 実戦型は新しさなど無用だからいくらでも再生産できるが、創作型は新しさが命だから創作が難しいということを言いたいのでしょうか。


 1937年12月号「今思つてゐる事」。

將棋大矢數の作者無住仙逸なる人は岩木氏の書かれた様に戰國時代の人の様に思つてゐたが最近求めた本で其の序詞に著者は五代宗桂以後の人の様に書かれているが其の時代の人ならば既に駒餘りの禁ぜられてゐたであらうと思ふ、當時に於て巻頭番外三百九十餘手の大作品が駒餘りであるのは不思議な感がある。
此の作品が現今迄に於て看壽の百番煙に次ぐ大作ではあるが、千日手模様を應用して手數を長くするのに歩の合駒を用ひる爲盤上に一歩配したのみで皆玉方の合駒に用ひた點作後で取つた十七枚の歩が全部駒餘りになるなど唯手數を長くするに止まる見えすいた構想が何となく私に不滿なものを與へた。同じ作品でも手數は短いが看壽の霞や、宗看の追龍の作品の方が着想の點では遙かに優れてゐると思ふ。
此の大矢數の様な作品は急がしいこれからは次第に忘れられて行くのではないだらうか。故人に對して甚だ失禮と思ふが──

詰將棋の作品を作つても、唯々發表するだけでは淋しいものです。
詰將棋を作つてゐる人達の間にて作品に對する意見や感想を交換し合ひたいものと思つてゐます。詰將棋の作品を互に研究する研究會の様なものゝ出現を望んでゐます。
田代、田邊、里見、諸兄の詰將棋の御意見も伺ひたいと思つてゐます。
現代詰將棋界の至寳酒井桂史先生の作品に接しないのは淋しい感がします。
あの高雅な香を持つ酒井先生の作品を殆んど全部の人が望んでゐる事と思ひます。
又た先生の詰將棋に對する御高見をも是非我々後進の爲に承はらせて頂きたいものです。(終)
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 「看壽の百番煙」は誤りですが、第百番を煙と呼んでいたのは杉本だけではなく、前田三桂も1926年4月号の「良藥口にニガし」で「看壽の第百番は煙の圖と稱せらるゝ六百數拾手に亘る大作である」と勘違いしています。
 「霞」は第83番ではなく、第99番を指しているのでしょう。

2017年2月11日 (土)

加藤文卓の「圖巧解説」その12

月報1927年2月号

圖巧解説
二峯生述

第二十七番

0027

此図に對する小生の研究は未だ甚だ不完全なのでありますが兎に角之を誌上に發表して汎く讀者諸君の御高見を御うかがいしたいと思ひます
先づ原書記載の詰手順に就いて變化を解説しませう

52角成、63歩合、65金、同成桂、73金、同玉、65桂左、72玉、62銀成、同香、
61馬、同玉、53桂生、72玉、73歩、同玉、75飛、74歩合、65桂打、72玉、
74飛、同馬、73歩、同馬、同桂成、同玉、74歩、72玉、83角、82玉、
73歩成、同玉、65桂、82玉、74角成、91玉、64馬、同歩、83桂、82玉、
71桂成、同玉、82金也(43手詰)


變化
63歩間の所
(一)63香打ならば前記本文の手順及後に記す餘詰の順を參照すべし
(二)63香ならば65金、同成桂、73金、同玉、65桂、72玉、62銀成、同金、同馬、同玉、42飛成以下容易に詰む
(三)63金間ならば65金、同成桂、63馬、同玉、73金、同玉、65桂左、63玉、73金、54玉、66桂にても容易なり
(四)63飛間ならば前記三に準ず
(五)63銀間ならば
65金、同成桂、73金、同玉、65桂左、72玉、63馬、()同玉、54銀、()同玉、66桂、63玉、53桂成、()72玉、73歩、同玉、75飛、74歩、65桂、72玉、74飛、同馬、73歩、同馬、同桂成、同玉、62角、同金、同銀生、同香、83金
63同玉の所63同香ならば
73銀、61玉、53桂生、51玉、41飛成也
54同玉の所72玉ならば
42飛成()62角間、同銀成、同香、83角、82玉、92角成、同玉、62龍、82間、93香、81玉、73桂生の詰あり
72玉の所53同玉ならば
54歩、63玉、43飛成の詰あり
62角間の所に種々變化あれど難解ならず

62同香の所同金ならば同馬、同香、73桂成、61玉、41飛成、51間、53桂生にても容易なり

61同玉の所同金ならば
73桂成、同玉、75飛、74間、65桂、72玉、73歩、71玉、81歩成也

74歩間の所74角間ならば
65桂打、72玉、74飛、同馬、73歩、同馬、同桂成、同玉、84角、72玉、83角、82玉、92角成、同玉、93歩成、91玉、73角成也

73同玉の所91玉ならば
92角成、同玉、93歩成、同玉、83と、94玉、84と也

○本局は前記の如く巧妙なる傑作でありますが局中最も妙味ある62銀成、同香、61馬の所に餘詰があるやうに思はれます
即ち62同香に對し61馬と指さずに同馬と指す時は次の詰手順があるやうです
62銀成、同香、同馬、同玉、42飛成、52香合、53桂成、73玉、74歩、同馬、
65桂打、72玉、73香、同馬、同桂成、同玉、65桂、74玉、83角也

變化
62同玉の所同金ならば
73香、同金、同桂成、同玉、65桂、62玉、42飛成、52香間、73金、61玉、53桂生にても詰む
73同金の所61玉ならば
41飛成、51香間、71香成、同玉、51龍、72玉、81龍也

73玉の所72玉ならば
52龍以下容易に詰む

○此圖の解説は此所に止めたい充分の自信なくして之れ以上に深入りする事は無謀極まる事と思ひますが只之れ丈けではあまりに物足らぬ感がある、かつは讀者諸君の御研究を乞ふ爲めにも一寸愚見を發表して置く方が好都合かとも思はれますので次に記載する事に致しました

○此圖には玉方31銀が脱落し詰方72金は成銀の誤植はないでせうか
斯くすれば本文の詰手順は前記の73金の所が73成銀と改まる丈けにて他は全く同一であります
又變化は
63歩間の所
(一)63香打なら本文に合す
(二)63香ならば65金、同成桂、73成銀、同玉、65桂、72玉、62銀成、同金、同馬、同玉、53桂成、同玉、65桂、52玉、53歩、62玉、54桂の詰あり
(三)63金間ならば65金、同成桂、63馬、同玉、73成銀、同玉、65桂左、63玉、53桂成、同玉、65桂打、52玉、42金、63玉、43飛成也
(四)63飛間ならば65金、同成桂、63馬、同玉、73成銀、同玉、65桂左、63玉、73飛、52玉、53飛成也

62同香の所同金ならば同馬、同玉、53桂成、同玉、65桂、52玉、此時53金にても53歩にても容易に詰む

の變化は前記の手順に合す

○此圖に於て62銀成、同香、61馬、同玉、53桂生の順は實に妙味津々たるものがあります若し62銀成る所に73桂成、同玉、75飛と指せば74桂間と指されて逃れとなります
---

 加藤文卓補正図

Photo

 『詰むや詰まざるや』では、62同馬、同玉、42飛成以下の余詰の指摘者は島村俊雄六段となっていますが、これは1953年7月の「風ぐるま」誌上での指摘なので、加藤文卓の方が早いです。

 ところでこの図は、あえて銀、馬を捨てて、桂馬を渡さないという面白い狙いです。
 73桂成、同玉、75飛には74桂合と応じられて、65桂打、72玉、74飛、同馬に73歩と打つ歩がないというわけです。桂を捨てると桂合ができるので、62銀成で退路を塞いでおいて61馬で打歩詰を回避しながら桂を53に跳び込んで取らせないというしくみ。
 同じ狙いを端的に図化した作品を紹介します。

武島宏明作 解答選手権2014 チャンピオン戦6(2014/03)

201403takesima

43香、同角、31金、51玉、43桂生、42玉、41金、同玉、31桂成、51玉、
42角、同玉、54桂、43玉、63龍、同馬、44銀
まで17手詰

54桂は、43玉(桂を取られた)、63龍、53桂合(逆王手)で失敗。
桂を取られないように31金を捨てて31成桂に替え、渡さないのがミソです。

2017年2月10日 (金)

加藤文卓の「圖巧解説」その11

月報1927年1月号

圖巧解説
二峯生述

第二十四番

0024

45金、同銀、同銀、同玉、46歩、同成桂、54銀、44玉、45歩、同成桂、
43銀成、同金、同飛成、同玉、53金、32玉、42金、23玉、22銀成、同玉、
21飛生、13玉、14歩、12玉、34馬、同歩、13歩成、同玉、23金、14玉、
24金、15玉、25金、16玉、26金、17玉、27金、18玉、28金、19玉、
18金、同玉、28飛成也(43手詰)


變化
45同銀の所同成桂ならば
43銀成、同金、同飛成、同玉、44歩、32玉、22銀成、同玉、21飛成也

46同成桂の所同玉ならば
66飛成、同と、73角、55歩間、同飛成、37玉、35龍、27玉、28角成也
66同との所37玉ならば
28銀、38玉、47角、49金、16馬也

43玉の所55玉ならば
65銀、51金、65飛成、45玉、54龍也
以下の變化は容易なれば略す

○此圖に於て玉方「67と」を缺く時は如何といふに此場合本文の手順に從つて45金、同銀、同銀、同玉、46歩、同成桂、54銀と指し此時56玉と逃げても66飛成、同玉、61飛成以下以下詰があるから此「と」を缺いても本文の手順に逃れを生ずる恐れはないが此「と」を缺く時は次の餘詰を生ずるのである即ち
53飛引成、()同金、同銀、45玉、46歩、同成桂、35金、同金、44金、同馬、同銀成、同玉、53角也

變化
53同金の所55玉ならば
64龍右、46玉、47歩、同銀、66龍、37玉、28金也
他は容易なれば略す

○聊か脱線の氣味がありますが前記61飛成以下の詰手順を略記します即ち66飛成、同玉、61飛成、以下次の手順となります
61飛成、77玉、68角、88玉、89歩、99玉、77角、88歩合、同角、98玉、91龍也

77玉の所
(一)75玉ならば65龍、86玉、87玉、69馬、98玉、99歩、同玉、66角、88間、同角、同玉、68龍也
87玉の所77玉ならば66角以下容易なり
(二)76玉ならば65龍、87玉、76角以下容易なり

99玉の所89同玉ならば81龍、78玉、77金、68玉、88龍也


第二十五番

0025

73銀生、65玉、55金、同玉、66金、54玉、64銀成、同玉、74と、54玉、
64と、同玉、65歩、54玉、58香、同馬右、94飛成、同馬、14飛、53玉、
43桂成、同金直、同と、同金、54飛、42玉、43香成、同玉、34金、42玉、
53飛成、31玉、33龍、32間、42金打也(35手詰)


變化
65玉の所
(一)75玉ならば95飛成、85歩間、74と、同玉、84龍、65玉、64龍也
(二)53玉ならば51飛成、52歩間、62龍、44玉、45金、33玉、13飛成、23間、44金迄
52歩間の所52金ならば62銀生、64玉、74と、65玉、55金、同桂、66金也

55同玉の所同桂ならば
66金、54玉、55金、同玉、57香、65玉、77桂、75玉、95飛成也

54玉の所53玉ならば
51飛成、52桂間、43と、同金、同桂成、同金、64金也

54玉の所73玉ならば
93飛成、72玉、74香、61玉、91龍也

58同馬右の所55桂ならば
同金、63玉、64金、72玉、84桂、83玉、74金、82玉、92飛成、71玉、72龍也

31玉の所53同玉ならば
43金、54玉、44金也
---

 馬が94と14に利いているので、これを重複させるために58香と焦点に打つ遠打が狙いでしょう。
 
53同玉の方が作意だと思います。


第二十六番

0026

35金、同玉、45飛、34玉、25角、同金、35飛、23玉、25飛、32玉、
24桂、33玉、32金、34玉、35金、23玉、12桂成、32玉、22飛成、41玉、
52銀成、同歩、42歩、51玉、31龍迄(25手詰)


變化
35同玉の所33玉ならば
24金、42玉、33金打、同飛、同金、同玉、24角の詰あり

25同金の所23玉ならば43飛成、33間、同龍、同玉、43香成、22玉、32金、23玉、33金也

32玉の所
(一)33玉ならば35飛、42玉、32金、53玉、54金也
(二)24香間ならば同飛、32玉、35香、33香間、43香成、同玉、54金、32玉、43金打の詰あり
33香間の所34間ならば
同香、33間、43香成、同玉、54金の手順あり
(三)24桂間ならば同飛、32玉、22金、42玉、34桂にても容易なり

33玉の所23玉ならば
22金、同玉、12桂成、33玉、22飛成、34玉、25金也
---

 24桂は飛頭桂ですね。

2017年2月 9日 (木)

加藤文卓の「圖巧解説」その10

月報1926年10月号

圖巧解説
二峯生述

第十九番

0019

84歩、92玉、83歩成、同玉、82桂成、同馬、94銀、74玉、75歩、同玉、
85飛、74玉、65龍、73玉、75飛、84玉、73飛成、同玉、74歩、84玉、
85龍也(21手詰)


變化

83同玉の所81玉ならば
82歩にても82桂成にても容易に詰む

82同馬の所同玉ならば
94銀、92玉、83飛成、91玉、71龍也

74玉の所
(一)92玉ならば82飛成、同玉、73歩成也
(二)94同玉ならば95歩、同玉、65龍、96玉、85龍也


73同玉の所94玉ならば
74龍、95玉、84龍、96玉、85龍右、97玉、87龍也

◯此變化
の部は本文より手數多きも詰上り歩一つ殘る
◯84歩、92玉、83歩成と指して詰方92歩を取らせるのは前記變化
(二)に記せる95歩の順を作らむ爲である
---

 
94玉は、駒余り4手変長となります。


第二十番

0020

本局は55桂と跳んで明き王手なすとき78馬と寄る間手の妙手を主眼とする傑作であります

23歩成、43玉、44銀、34玉、55桂、
78馬、24と、同玉、79馬、同馬、
23成香、34玉、35歩、同馬、33銀成、同龍、同成香、同玉、43桂成、同桂、
23飛、42玉、43香成、
51玉、52歩成、同金、同成香、同玉、64桂、62玉、
52金、71玉、73飛成、81玉、72桂成、92玉、82龍迄(37手詰)


變化

78馬の所78歩間ならば
35歩、同馬、33銀成、同龍、同と、同玉、23成香、34玉、33飛也

79同馬の所
68間ならば
同馬、同馬、23成香、34玉、35歩以下本文に準ず

51玉の所31玉ならば
33飛成、21玉、31龍、同玉、23桂、21玉、11桂成、同玉、12飛也
他は容易なれば略す

◯此圖に於て玉方37とを缺く時は次の餘詰を生ずる即ち23歩成、43玉、44銀、34玉、55桂、78馬、同馬、56歩合、33と、同龍、23角、24玉、33銀生、35玉、45角成、26玉、28飛、37玉、46馬也

---
 35地点の利きを外す78馬の移動中合に対して、これを取らずに79馬と捨ててあくまで玉方馬を取歩駒に引き戻すのが絶妙の構想です。
 これは文政版図巧の解だそうですが、『詰むや詰まざるや』では31玉以下35手詰になっています。作意としては飛車の邪魔駒消去が入る35手でしょうが、正解は何かといえば37手詰でしょう。
 将棋世界付録『将棋図巧』(上)(1961/06清水孝晏解説)、古図式全書版『象棋奇巧図式』(1964/09門脇芳雄解説)でも37手になっています。
 なお、22成香は22とでも同じです。


第二十一番

0021

本局は駒の運用複雜せる所に妙味ある好局であります

62龍、同香、83金、
64玉、65歩、同龍、75銀、同銀、76桂、同銀、
75金、同龍、54金、65玉、57桂、同と、55金、同銀、43角、64玉、
54角成也(21手詰)


變化

64玉の所
(一)83同玉ならば72角にて容易に詰む
(二)83同香ならば91角
82銀間、同角成、同玉、71銀、73玉、62銀生、同玉、63銀、73玉、65桂、64玉、54金、65玉、55金、同と、74銀生、同玉、66桂、同と、75飛、64玉、73銀也
此變化本文より手數多きも持駒餘り又55金以下種々の手順あり

82銀間の所82香間ならば同角成、同玉、72金、93玉、94歩、同玉、95香、同龍、同金、同玉、86銀也

62同玉の所
(一)82玉ならば94桂、93玉、82銀、94玉、93金也
(二)64玉ならば63金、65玉、76銀也

64玉の所
(一)65同とならば72銀成、74玉、73金也
(二)82玉ならば72銀成、93玉、94歩、同玉、95香也

65同龍の所
(一)65同玉ならば76角、64玉、54金也
(二)65同とならば73角、74玉、84角成、64玉、73馬
(三)65同桂ならば42角、53間、76桂也

75同銀の所同龍ならば
54金、65玉、57桂、同と、55金、同銀、43角也

75同龍の所同玉ならば
86角、85玉、95金也

◯此局に於て玉方48とを缺く時は次の餘詰を生ずる
62龍、同香、72金、64玉、65歩、同龍、76桂、同龍、54金、65玉、
55金、同と、76金、
同玉、86飛、75玉、87桂、64玉、66飛、同と、
73銀、同と、75銀、65玉、43角也

變化

76同玉の所64玉ならば
56桂、同と、54飛、63玉、41角、52間、72銀也

75玉の所
(一)77玉ならば59角、68間、69桂也
(二)65玉ならば66飛、同と、43角、75玉、86銀也

◯48とある時は前記59角の手無き故此余詰消ゆ
◯此局に於て前記75銀の所76桂、同龍、54金、65玉、55金、同と、43角にて詰ある如く見ゆるも此時54飛間と指されて逃れとなる
---

 
の変化の記入がありませんが、原文通りです。
76同銀で同龍なら54金、55玉、57桂、同と、55金、同銀、43角以下19手。
 75銀を省いて76桂なら54飛合で逃れるあたり冴えています。
 加藤記載の83同香、91角、82銀合の変化は6手変長ですが、74銀成、同玉、66桂以下駒余り4手変長です。この時代は変長を許容していたと言われていますが、変長でない作品と全く同等だとは思っていなかったはずで、なぜ完全に仕上げなかったのかなと思います。


第二十二番

0022

本局は二枚角と桂の活用甚だ興味ある傑作であります

35桂、
33玉、34香、44玉、43桂成、同玉、55桂、44玉、43桂成、同玉、
42と、
44玉、76桂、54玉、66桂、44玉、43と、同玉、64桂、54歩合、
44歩、同玉、54桂、99龍、45歩、43玉、42桂成、同玉、52歩成、同金、
同桂成、同玉、43角成、62玉、72金、51玉、61金、41玉、31歩成、同銀、
同香成、同玉、42銀、22玉、33銀生、13玉、24金、12玉、21馬、同玉、
22金也(51手詰)


變化

33玉の所44玉ならば
45香、33玉、43香成也

44玉の所42同玉ならば
52歩成、同金、同香成、同玉、53金、41玉、31歩成、同銀、42歩、同銀、同金、同玉、43銀、41玉、32香也、同金、同銀、52玉、53金也

54玉の所99龍ならば
45歩、54玉、66桂也

54歩間の所44玉ならば
54桂99龍、45歩、43玉、42桂也以下本文に合す
原書には此手順を本文としてあるが54歩間と指す方二手長くなるから前記の如く改めて見たのである

99龍の所43玉ならば
42桂成、同玉、43歩、41玉、52歩成、同金、同桂成、同玉、53金の手順を生ずる
---

 盤上の四桂が跳ねては消え、跳ねては消える趣向。
 『詰むや詰まざるや』では
44玉とする49手詰になっていますが、この手順が正しく51手詰です。


第二十三番

0023

本局は駒數少き割合に變化に富める好局でありますが何れの手順を以て本詰とするが至當なるかに就ては議論の分るゝ所と思ひます此所には假に原書記載の手順を以て本文と看做す事に致します

74角、
同銀引、65龍、同銀右、85角、74香、75桂、72玉、83桂成、61玉、
72銀、同金、同成桂、同玉、94角、
同龍、73金、61玉、71銀成、同玉、
82香成、61玉、72成香迄(23手詰)


變化

74同銀引の所
(一)同銀上ならば65龍、同銀右、85角、74香、75桂、72玉、64桂、61玉、72銀、同金、51と、同玉、52金也
(二)同香ならば65龍、()同銀、45角、()54桂間、64銀、72玉、83香也、(
)同龍、73銀打、61玉、62銀成、同玉、73銀行、同龍、同銀、同玉、85桂、()82玉、73金、91玉、93飛、92桂間、同飛成、同玉、84桂、91玉、83桂、81玉、93桂生迄
この變化は本文に記せしものより八手多く之を以て本詰としても差支ないやうに思はれる

65同銀の所72玉ならば
73銀打、同金、同銀成、同玉、85桂、72玉、73金、71玉、62角、81玉、93桂生の詰あり

54桂間の所
(一)54角間又は54銀ならば前記の手順に準ず
(二)54歩ならば64銀、72玉、83香也、同龍、73銀打、同金、同銀成、同龍、同銀成、同玉、85桂、62玉(此時82玉ならば前記の手順に合す)73金、61玉、34角、71玉、72飛、81玉、82飛成也

83同龍の所同玉ならば
93銀成、同玉、85桂、82玉、83銀、71玉(此所83同玉ならば73銀成、同金、93飛也)、72飛、同金、同銀成、同玉、73銀成也


82玉の所62玉ならば
82飛、72間、73金、61玉、72金迄

61玉の所83同龍ならば
同香成、同龍、同角成
、同玉、73金、94玉、84飛也
他は容易なれば略す
◯此局に於て玉方95歩を缺く時は逃れがある即ち
74角、同香、65龍、同銀、45角、54桂間、64銀、72玉、83香成、同玉、93銀成、同玉以下詰が見當らぬ

但前記54桂間の所他の間をすれば詰となる例へば
45角、54歩、64銀、72玉、83香也、同玉、93銀成、同玉、84銀、92玉、93飛、81玉、54角、同銀、73桂、同金、82歩の詰を生ずる
---

 
の部分は誤り。ここは同香成、同玉、84飛、72玉、94角、63玉、64銀まで。
 原形のまま邪魔な飛車を消去する狙いですが、加藤の書いた通り駒余り8手変長です。
 この次の頁では、「圖巧八番の訂正」として第8番は攻方91とを置かなくても今田政一の指摘通り詰むという説明が掲載されていました。

2017年2月 8日 (水)

忘れられた論客 その7

 1937年11、12月号、杉本生の「秀峰随筆」。

秀峰随筆
 
此の一文を田邊兄に捧ぐ

詰將棋の事など

 詰將棋の本格的興味
 詰將棋創作の眞使命

今日も朝から雨、昨夜詰將棋の創作に更かしたので頭がはつきり洗へない。
投げ込まれた大毎に目を通す。以前は將棋は朝刊に載せてゐたのだが事變の速報を期す爲第二朝刊が發行される様になつてから第二朝刊に掲載されてゐる。前の木村金子戰も最後の日迄勝敗の見分けが付かぬ様な接戰で金子勝と思つたが金子八段即詰を見落して木村八段の勝、又今度の花田金戰も中盤花田八段の見落で銀一枚の唯取りとなり金八段に玉營迄切り込まれ花田八段不利の局面であつたが終盤又金八段の見落か花田八段の八三桂の名手があつて花田八段の勝となる。名人戰は木村一位花田二位其の差は極く僅かの様で(七八段戰の成績も入るのださうだが)規定の六番決戰も見られる様である。
(中略)
  ×     ×
最近迄詰將棋創作の行きづまりなどと云ふ事は考へたものではなかつたが宮本弓彦氏が本誌に此の事を書かれてから急に心配になりだしたものだ。
未だ々々新しく作る事が出來るとは云へ、一局創られる度に眼には見えぬが少しづゝ創作分野が狹められてゐるのは爭はれない事実であらう。
創作分野の狹少されて來て何時しか全然行き詰つた時詰將棋作家は其の間にはさまつて皆ペチヤンコに押し潰されるのではないだらうかと云ふ様な馬鹿な事を考へたりする事もある。
天才の出現に依つて新しい分野が開かれたとしても模倣を許されない、詰將棋界では我々の様に天分を持たぬ作家は悲しき存在だ。
  ×     ×
博文舘より將棋世界が發刊せられた。創刊號には將棋圖巧を、次號には君仲の玉圖を附録として添附してある。
見慣れた本だが、かうした現代の發達した技術に依つて印刷されたのを見ると昔のものを見るのとは又變つた趣がある。
君仲の玉圖は久しく調べて見なかつたのでどんな作品が收録されてゐたか忘れてゐた位である。かうした又變つた本で調べるのも嬉しいものだ。興の向くまゝに數十局ばかり調べて見たが月報へ發表せられた作品にもよく似た作品があつたりして一寸いやな氣持になつたが詰將棋を創る時は古作を燒き直すと云ふ様な考へは無くても古曲を調べてゐるのでそれが何時の間にか頭の裡に浮び上つて來て其の様な作品が出來上つてしまふのだらう。又全然、新しいと思ふ作品の中にも、幾部分か古作に用ひられた手順が現はれてゐるのも否めない事だらう。
新局の妙手を一手々々分析して古局に用ひられてゐる妙手と對照したとしたら果して其處にどれだけ嶄新なものが作られてゐるだらう。
詰將棋の妙手と云ふものはさう矢鱈にあるものではなく同じ妙手でも妙手を構成させてゐる局面が異つてゐるのみで一見新しい様に見えても意味に於ては同じものが多い
玉の逃路閉塞手段の飛打か角香の打捨も多くの作品に用ひられており、桂の打捨等も多く見られるが、是等大部分が同じ意味のもので唯異つた形に於て用ひる事は許されるべきもので平凡な作品は是等の妙手を使つたのが多い。是等の妙手は妙手と云ふべきものではなく輕手とでも云ふのだらう此の變つた形に於て許される妙手を用ひて唯異つた形のものを創作をする場合に於ては詰將棋は容易に行き詰るべきものではないと思ふ。
然し夫では詰將棋の新使命は生れて來ず詰將棋の前途に期待は持てないと思ふ。宗看や看壽の作品の有名なのも先人の用ひてゐない新しい手段を用ひてゐるからであつて、宗看、看壽の作品に見られる妙手所謂一大妙手とも云ふべきものは實戰の終局等に於て到底見られるべきものではなく又不要意に漫然と創作にかゝつた場合作り得べき妙手ではない。
漫然と創作に着手した時妙手の構成に苦しんで前記の變つた形に於て許される妙手を用ひるのは我々のよく經驗してゐる處である、宗看や看壽の作品を燒直したのを見ると直ぐ判るのも、此の種類の作品は異つた形の上に置いては應用する事の出來ない事に依るので此の妙手を用ひやうとすれば、その妙手を構成してゐる部分を其のまゝ失敬してしまはねば出來ない事に依るのである
又是等の凡人では到底考へ得ない様な妙手を構成してゐる部分は非常に微妙なもので僅かの差で平凡な手順では詰まないので下手に燒直すと餘詰や早詰が出來るものである。
圖譜考檢に於て宗看作の燒直しはいゝ實例とも云ふべきものだと思ふ。
宗看、看壽の作品を完全に燒直す事が出來たら詰將棋は一人前と云へると思ふ。
是の燒直すと云ふ事は作品の一部分を變へるのでなくその用ひられてゐる構想を別の型の上に於て活かす事を云ふのである。是は燒直しと云ふより翻案と云ふ方が適切であると思ふ。
或は此の方面の大家には宗看、看壽等の作品に用ひられている筋を翻案して宗看看壽以上の作品を作つていられるのを知つてゐる。是は我々凡人には出來ない事であつて其の筋を自分のものとしてしまつた時始めて成し得るのであると思ふ。
此の某大家の作品には翻案の作品が多く見られるので我々は此の型の作品所謂新しい妙手を持つ作品が或程度創作の前途が狹少されたのではないかと考へる事もある。
詰將棋に於て其の一部分が古作に類似してゐるとしても變つた形に於て許されるべきものは敢て指摘する程の事もなく殊にその先作の作者の名前の判然してゐないもの等は尚更だと思ふ。
詰將棋作家は絶へず新しいものを從來にないものを創らうと努力してゐるものであるが然し全然新しい趣向のものを創る事は至難な事で其の中に幾等か先人の用ひた手段が現はれるのは止むを得ない事で是を強いて指摘する時は間接的に詰將棋の衰微の誘因を來すのではないかと考へてゐる。作品の中には先人の作に於て用ひられ盡した手段を配列した作品もあるが夫が燒直しでなくても作品の中の新味のないものは救はれないと思ふ。
  ×     ×
今後の詰將棋は構想を建てゝから創作に着手すべきで夫も實戰より素材を得る事は稀で自己の創案に依る外ないのである。
先人の用ひてゐない嶄新な作品を創作するには部分的な妙手を持つ作品を作る事に於ては最早不可能で作品全体の構成によつて生づる妙手でなければ創れないのである。
作品全体の構成によつて新しい妙手を作らうとするには手數や駒數が少くては出來ないと思ふ。出來ても興味の少ないものになるであらう。(續く)

---ここから12月号---

小作品は幾等か形が變つてゐると云ふ程度で満足すべきであらう。新しい構想を現はす部分も少ない。此の頃詰將棋の創作には家外に出て芝生の上で溪流を聞きながら頭裡に畫く事にしてゐる、盤面に向つて考へるよりいゝ様に思へる
(中略)
詰將棋創作の前途は至難なりとも其處に新しきものを求めやうと努力するのが創作家の使命である。
僅か一年餘の間に自分の考へがすつかり變つてしまつたのを不思議と思つております。(完)

---

 妙手ということばが頻繁に出てきますが、ある箇所では構想、また別の箇所では手筋などと言い換えた方が良さそうに思います。
 手筋の使い回しは許されるが、それでは前途はないと言っていますね。

2017年2月 7日 (火)

忘れられた論客 その6

 1937年8月「詰將棋、其他」です。

初夏である。海岸にはビーチパラソルが流行の海水着が現はれ始めた
初夏である。海に山に若人の血は躍る、心ははづむ、我々にも又懐かしい縁臺棋が訪れた。
月報へ長い間原稿を送らなかつた。
十二月末、江戸時代の將棋數局を寫して送つてそれきりである。詰將棋も昨年末山村先生の許に數局御送りして今年になつては未だ一局もお送りしてゐない、その原稿を今山村先生が一局づゝ發表して下すつてゐる様である。(此の原稿は月報社へ送附したのを社より山村氏に轉送された)のではないかと考へる。
月報へ近いうち何か送つて見たいと考へてゐたが以前詰將棋の原稿を送つて失敗した事があるし、指將棋の原稿は書けないし、そんな事があつたから詰將棋の感想を書いても送る氣になれなかつた、一月の上旬名古屋新聞に詰將棋の原稿を送附し飯島先生から發表決定の御手紙を頂いた、其文中に月報へ何か書く様にとのお言葉であつたが其の後仕事の方が忙しくて書く餘暇が無く遂に今日迄延びてしまつた、前日月報六月の飯島先生の詰ぎは一束を拝見して又急に書いて見る氣持になつた。

本年一月からの詰將棋を見ると、今迄の様な難解な詰將棋が其の姿を消し、是に替つて平易なそれで詰將棋としての感じを失はない作品が現れだした。時代に投流する詰將棋は矢張りかうした種類の作品でなくてはならぬ。以前本誌に於て自分が提供した詰將棋が現れだしたのは限りなく嬉しい。
然し將棋が盛んになつて來たとは云へ現在の指將棋に比較すると實に微々たるものである。
飯島先生が六月號に云つてゐられる通り詰將棋作家と名乗る作家階級がない現今では専門棋士の作る作品より幾分かは優つてゐるとは言へ段位と云ふものを極端に尊重する現今に於ては新聞社が七段八段と言ふ肩書の附いてゐる作品を採るに極つてゐる、一寸考へて甚だ不都合な話ではあるが一般の詰將棋フアンの大部分が未だ専門棋士の作品に絶對の信頼をおいてゐるのだから仕方がない。──と私は思ふ。
指將棋とは實力の伴はない詰將棋迄に七段八段と言ふ段位をかつぎ出すと云ふ事は──然しそれで否應なしに通つて行くのだから──
月報作家が此の点に留意し詰將棋作家として天下に名乗れる程の作品を發表しなければならない。(飯島先生の言と重複して來ました)
あらゆる創作藝術に於て此作家協會或は研究會等を設立して其發表を計つてゐる現今である。我々も詰將棋を隆盛たらしめ様とするには『詰將棋作家協會』を設立して、作家の團結を計る事が必要ではないだらうか。私は何時も此の事を痛切に感じ、その実現する事を望んでゐるものであります。
五月號にも、詰將棋座談會の開催の事が發表してあつたが、よい事だと思ひます。
幸にして作家諸兄の御賛同を得て、此の計畫が実現するに至れば幸甚と思ひます。
私も是れに對する希望や計畫等も少なからず持つております。

宮本氏が五月號に於て詰將棋は現在の作品より古作物の方が優れたものがある、現代の作家が作圖能力を持たないのではなくて面白い手段が既に用ひられつくしたので、ともすると模倣に陥入りやすいのであると言はれてゐます。是は肯定できます。
現代の大衆小説を讀んでも其の感が多分にあります然し小説なぞは各摘寫の異つてゐる點に於て何等かは讀んで行く事が出來ます。又探偵小説の方に於て某誌にて本格探偵小説界の第一人者甲賀三郎氏が次の様な事を言つてゐられます。『變格探偵小説は未だ無限の境地を持つてゐるがストーリーを主体とする本格探偵小説は、行きづまりを感じてゐる。それは本格探偵小説の重要々素であるトリツクが既に使ひつくされてゐる』と
詰將棋に於ても同じでせう。
然し又次の様に言はれてゐます
『現在のまゝでは行きづまりであるが此のトリツクを逆にして使ふ事、或は二つ以上一緒に使ふ事によつて未だ少なからず作り得る境地がある』と
詰將棋に於ても是と同じ事が言へるのではないでせうか。指將棋が新定跡の研究によつて一局々々と新なる分野が開いて行くからには、それより分離した詰將棋もまだまだ新境地を求めて行く事が出來るのではないでせうか。偉大なる天才の出現によれば──
田邊氏圖譜考檢によると高段棋客の作圖に模倣作圖が可成ある様ですが、一部分作者は古局を多數調べてゐる關係から知らず知らずの内に先入感から模倣せずともそれに類似の作圖が出來てしまふのでせうか。
もし良心的棋士心理から作圖發表を遠慮されるとしたら詰將棋は衰微あるのみです。
私は努力すれば此の憂慮は一蹴されるものと信じます。大道棋等も行きづまりを感じてゐましたが岩木氏の新作發表によつて、新生面が開けました。私も未だ々々新しい型の作圖が作られると考へて居ります。
然し月報の作圖では、詰將棋行づまりと云ふ感じは興りませんが──

先きに津田氏を失つた我が月報詰棋壇は又奥坂正美氏を失つた。共に我が詰棋壇にとつて大なる損失と云はねばならぬ。
奥坂氏の作圖には二三局しか接してゐないが棋道閑人としかつて自分の草稿の御注意を頂いた事もあり當時を省み感慨無量です。津田氏の作圖には多數接してゐる、津田氏は天才と言つた方が至當であらう。
津田氏の作圖には優れた傑作は無いが調べて得る處が少くない、津田氏逝いて十ヶ月尚此の作圖を誌上に見るに於ては只々氏の生前の努力には驚歎あるのみ、氏の大道棋研鑽の遺業の大なりしを、氏逝いてよりつくづく感ず。

月報詰將棋作家は毎月決つてゐる様である
吉田氏田邊氏それに新人上野氏と毎月傑作を寄せられてゐた里見氏も専門棋士となられてからは作圖に接しない、吉田、田邊氏は毎月大作圖を寄せられてゐられるが自分など多忙の爲もあるが此の様な大作品は毎月はとても作る事が出來ない、今年作つて來た作圖は皆二十手内外のものである。
吉田氏の今月の作圖は傑作だつた。
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 文中に触れられた飯島正郎の「詰ぎは一束」の一部を紹介します。
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 …詰將棋作家とまで名乗る、詰將棋作者階級がないのにも由ると思ふが──おや、これはちょつと月報讀者に失禮かも知れない──が、本當のところ、私は現在餘技程度にやつてゐる指將棋家連中が、七段だの八段だのといふ肩書だけで、都下の大新聞の詰將棋まで、全部我が手に握つてゐることの出來る、不都合さ──これは七八段連中にちと失禮かも知れない、が結局は指將棋は指將棋だけ──詰將棋は詰將棋だけと、自ら分野が定つてゐなければならないものだと思つてゐる。
 指將棋を本業とする現在の職業棋士が、餘技としてゐる詰將棋でもつて、詰將棋を本業だと云ひたい位の人々と、どつちつかずな作品を作つてゐたのでは、新聞社側ではどちらかといへば、天下に有名な、七段八段の肩書づきの方を選び取る──に決つてゐるやうな氣がする。

 月報の詰將棋作者もこの点に留意し、自ら天下に名乗れる程の詰將棋作家をもつて名乗り得る者があるなら、月々その作品を發表して、彼等の作を完全にノツクアウトする勇氣がなくては到底駄目である。
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 飯島正郎は高村徳次郎七段門下で四段だったと思います。この頃は名古屋新聞の詰将棋欄の選者をしていました。出題図は1971年から72年にかけて詰パラ誌上で田代邦夫氏により紹介されています。
 津田氏は津田國松。鬱蒼とした図に古風な龍追い回しが多いので、好作集に採りあげる気がしませんでした。吉田氏は吉田俊三郎。6月号掲載の図を評しているのだとしたら余詰作です。新人上野氏は上野新一。奥坂正美は奥坂金次郎の子息です。7月号に訃報が掲載されていました。
 「五月號にも、詰將棋座談會の開催の事」は、ここに紹介しています。

2017年2月 6日 (月)

忘れられた論客 その5

 1936年当時、月報誌上では里見凸歩と杉本兼秋が精力的に記事を書いていますが、二人とも18~19歳というところです。杉本がプロ棋士に対して厳しいのは「へたの横槍」の影響が多分にあると思います。「今田政一研究 その11」で、1939年6、7月号に掲載された「桂子」の「詰將棋を語る」という記事の一部を紹介しました。その際、「書きぶりから杉本兼秋ではないか」と書きましたが、これは間違いないと確信しています。
 杉本の年齢については、1934年4月号に「杉本秀月」の名で「新春」と題する記事があり「自分も十六歳の春を迎えた」と書いていますので、そこからの判断です。秀月=兼秋であることは、月報に同一図があるので別人ではないと思います。他に「秀峰」の筆名もあります。

 今回は1936年6月号「詰將棋の規定に就て」。

前號に於て里見氏は私の書いた『創作室漫談』中の「攻方は最短手順にて詰める事」と云ふ規定の不必要を説いたに對して果してその必要性を指摘して反駁せられた。
氏の文を讀んで見ると私は甚だしい勘違ひをしてゐたらしいのである。處で早速讀み直して見た、その結果漸く私は安心する事を得た。氏は言はれる──かゝる大ざつぱな不正確な定義を以つて直に此の規定の不必要を論ずるのはいさゝか早計ではないか──と。
然し氏は何か勘違ひをしてゐられるのでは無からうか、私は何も詰將棋の攻方は云々規定を不必要だと斷定してしまつたわけでは決してない、千日手模様の作品に於て必要だと言つてゐるのである。
今一歩詰將棋が進んで餘詰の無い作品が現れる様になつても、此の定義は千日手模様を扱つた作品の消滅しない限り絶對に不必要にはならないのである。
唯千日手を取入れた作品以外の作品に此の定義を必要とする場合は、云ふ迄もなく其の作品が不完全なのである。
氏の言つてゐられる如くそれ等の作品を不完全作品として捨てるのは無理かも知れない。然し詰將棋の藝術的價値に付いて兎角の論ある今日是等の作品を存在さす事にどうかと自分は考へる。處で私の思つてゐる事を言つて見れば大体に於て作圖を二分する事である。即ち藝術的作品と實戰型作品と、勿論藝術的作品は完全なる作品でなければならぬ、實戰型作品と言ふのは此處で云ふのは不完全作品を意味してゐるのである。
現在には駒餘りの作品は少ない様であるが時には見受ける事もある。手餘りでもその作品に妙手があるとか又は實戰に引用出來得られる様な場合のものは捨てゝしまふにはあたらない。
不完全圖式として存在せしめる事である。
現代迄に於ける詰將棋の作圖數はあらゆる物を入れても萬とは無い。此の中から不完全圖式を除いたらその作圖數は極めて少ないものである、況んや現代職業棋士の作品など一として存在する物はないのである。
唯私は單行本として後世に殘す場合は第一の場合だけを集めて發行したいと思つてゐる。職業棋士の發表してゐる詰將棋の單行本など此の点甚だ×××と云ふ點が多い。
これは私の思つて居るまゝを言つた迄である。
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 この一文は里見凸歩の「私の研究室」(月報1936年5月号)に対するものです。里見の意見は次の通り。
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二、「攻方は最短手順にて詰むを要す」なる規定に果して不必要か」

 詰將棋には勿論絶對に餘詰早詰があってはならない、餘詰(以下すべて早詰をも包含した意味に用ひる、早詰と餘詰は本質的には何等の差異がないのであるから)のあるやうなものは如何に妙手に富んでゐた所でその作品としての價値はゼロである、否作品とは既に云ひ得ないのである、たゞそこで問題となるのは如何なるものを指して餘詰といふかといふ問題である。即ち餘詰の解釋である、杉本氏は「攻方の手順によって生ずる種々なる指し方を餘詰といふ」と云はれてゐるが、この定義は極く大ざっぱな意味に於て正しい、一般にはこの様に定義しても差支ないのであらう、併しかゝる大ざつぱな不正確な定義を以つて直「攻方は最短手順にて詰むを要す」なる規定の不必要を論ずるが如きは些か早計ではないだらうか。
 氏は餘詰の意味を餘りに嚴格に考へ過ぎてゐる、といふのはたとひ攻方の手順によって生ずる種々なる指し方でもその性質、程度の如何によってはまだ、餘詰なりとは云ひ得ないものがあるからである。次に實例を引いて見やう。

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 仮に圖の様な終局を有する詰將棋がありとする、この場合攻方に23銀打と指さずに13歩成、同玉、14銀打、12玉、23銀成迄の迂遠な手段を採っても矢張り詰であるが之を果して餘詰と言ひ得るだらうか、之でも確に攻方の手順によって生ずる種々なる指方には相違ない、もし氏がかゝる圖をもすべて不完全圖式なりと言はれるならば世には如何に不完全圖式の多い事か、こゝに擧げたのは極端な例ではあるが之に類するものは決して少くはないであらう、言ふ迄もなく少くとも今日に於てはかゝるものをも不完全圖式の仲間入りをさせるのは少しく酷くである、元來詰將棋に餘詰の禁の如き規定が設けられた理由は一に藝術美表現の助成にあるのではあるが、即ち餘詰の存在が藝術美を甚だしく害するからであるが前圖の様な場合の餘詰(極く嚴格に言った場合の)が果してどれだけ藝術美の表現を阻害するであらうか、將來詰將棋の規定が非常に嚴格になって、かゝるものをも餘詰なりと認める時代が來ないとは限らないし少くとも現在にあってはこの様なものを餘詰とは言ひ難く從つて之を有する圖は立派な完全圖式であると思はれる。
 要するに前述の如き意味合に於て「攻方は最短手順にて詰むを要す」なる規定は立派にその存在意義を有するのである。
註 詰將棋に於て手順なる言葉の意味には次の二つがある様に思われる、一は大きな意味に用ひた場合であつて謂はゞ一つの方針をいふのである、或は之を手段と云つてもよい、今一つは小さな意味に用ひた場合で大きな意味の手段の中に包含されてゐるものである、一般には手順をこの意味に解する事が多い様である、杉本氏は何れの意味に手順なる語を用ひられたのか知らないが、自分にはどうも小さな意味にとられたものと思はれたので以上反駁してみたのである、もし大きな意味にとられたのなら氏の説は確に正しい、此の如き見地からすれば最短手順なる言葉を用ひるのは些か不適當乃至は曖昧であつて最短手數と云へば文句はないであらう、即ち「攻方は最短手數にて詰める事」といふ規定ならば誤解される事はないであらう。
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 杉本の1936年8月「藝術作品の進路」。
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里見氏へ

私が四月號に書いた『詰將棋創作室漫談』中攻方は最短手順云々の規定の章に附いて早速里見氏かが御意見を寄せられた事を深謝します。實際の處あの稿は表題にも出した通り漫談として極く輕い氣持で書いたもので前號では氏の質問に對してあの時と同じ感じで同様の意味の事を發表したに過ぎなかつた、里見氏があれを讀まれて極く要領を得ぬ文だと思はれたに違いないと感ずる
前號にも書いた如く今頃私の神經は少し鋭角的に成り過ぎているかの感があるのでなるべく論争はさけたいと思つてゐたが、詰將棋理論家として有名な里見氏の御質問であり又氏も此事に附いては可成力を入れて下さつてゐるので再び里見氏の御質問に御答へする事にした。
前號とは多少意見の變つてゐる處があるかもしれないが是が現在の自分の本當の氣持である故よろしく御寛容を願つてをきます。
千日手模様を入れた作品に對する『攻方は最短手順にて詰むる事』なる規定の必要如何。千日手模様の作品とは里見氏の云つてゐられるのと同じく攻方は何度やり直しても同じと云ふ作品で氏の云はれる如く『同じ事を二回以上繰返す事は無意味だから攻方は當然一回で止めて置くべきである、何も例の最短手順云々の規定を出す必要は無い』──もしかくの如くなれば詰將棋は指將棋の如く勝敗と云ふ事がない故是の規定を不必要としても何等不便は無いわけ。私としても別に反對を唱へるわけではありません。
次に千日手以外の作品に『攻方は最短手順云々』の規定の必要如何──
是は一般詰將棋には(總べて詰將棋と名の附く物全部)絶對必要である。
然し私は純藝術作品(もし分類されるとしたなれば)には必要でないと云ひたい。
之は里見氏の言つてゐられる如く見解の相違故いくら論争しても同じであると思ふ。
詰將棋に『攻方は最短手順──』の規定を要する場合はその詰將棋に攻方に二ツ以上の指方の有る場合で(里見氏講座減價項參照)その場合その幾等かの指手の内最も短い手順を意味するのであつて五月號里見氏の實例も此の「攻方の二つの指方のある作品」の内には入る譯である、前號で私は是等の作品を不完全作品として取扱つたが是は無理かもしれない故普通作品と云つて置く。
要するに其間の差は(里見氏實例の作品と私の論ずる作品の差)僅である。
純藝術作品と普通詰將棋と確然と區分されてゐない今は別に私とても是に對して確信を持つてゐるものではない故あくまで里見氏の論に反對を唱へ様と云ふのではありません。
現今職業棋士の殆んど全部が詰將棋の藝術價値を無視し甚だしきは又詰將棋をも念頭に置いてゐない時、我々が藝術作品の價値を論ずるも又緊要な事である。
里見氏の今一層の健闘を祈る次第である。
私も出來得る限り努力する考へです。
最近×××八段が×××に詰將棋の藝術價値絶無に附いて論じてゐた。
近日中是に對して反問したいと思つてゐる。
彼等が詰將棋の藝術價値絶無を論ずるのは即ち彼等が間接に彼等の名譽を保護する爲ではないかと私は考へる。
(七月二十一日夜記す)
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 腰砕けになっていますが。
 ×××は原文のままです。
 
「實戰型作品と言ふのは此處で云ふのは不完全作品を意味してゐるのである」は、どうかと思います。また藝術的作品と普通作品とはどう違うのかも明らかではありません。
 里見が示しているのは最終手余詰作で、これを救済するには攻方最短が必要との立場ですが、私は最終手余詰は余詰の例外扱いでかまわないと思っているので、攻方最短は不要と考えます。

2017年2月 4日 (土)

忘れられた論客 その4

 「現代詰將棋論」(月報1936年5月)です。

一、現代の創作詰將棋價値及び現代詰將棋作家

 古代より現今迄の詰將棋を調査しようと思ふと可成な困難と複雜性を伴ふ。
 將棋所初代大橋宗桂以前の詰將棋史上には小原大介等の作品も見受けられるが、その當時としては詰將棋作家極僅少であつてその時代の詰將棋史を研究するのは困難な割に研究價値が無く、詰將棋史の實際的研究は初代宗桂より現代に至るを普通としてゐる、其の間に於ける詰將棋の全盛期は今更言ふ迄もなく享保年間──三代伊藤宗看及び看壽の輩出した──である。
 『詰將棋は衰微した』
 『創作詰將棋の價値が減少した』
 『難解なる詰將棋が無くなつた』
等の言葉を我々は屢々聞く處である。
 『詰將棋は衰微した』と云ふ言葉は何に比較して言つてゐる言葉であるか──
それは古今を通じて最もレベルの高い作品の出現した時代とされてゐる享保年間(少し變な表現ですが)と對比しての言葉である。
詰將棋が盛んになるには優秀作圖の出現が必要である、私はこんなことを考へた──
現在に於て、詰將棋全盛時代の現出を望むには何が必要か
 A最も芸術的價値のある、詰將棋作圖家の出現
 B最も難解なる詰將棋作家の出現
 C娯樂的に(娯樂としての)價値ある詰將棋作家の出現
二、多數の詰將棋作家の出現
三、一般将棋雜誌社の及び新聞社の斯道發展の爲の努力
先づこの中の何れかゞ詰將棋發展の一大要素となるわけである、果して此の中で何れが詰將棋發展の爲に重大な役割を持つているだらうか。
是から私の思つてゐる事を發表して見様と思ふ。
總べての藝術と言ふもの──演劇小説繪畫等、作家のみあつたのでは其の道は發展しない、詰將棋に於ても唯作圖家だけあつて如何に難解なる詰圖を作つたとしても、それを觀賞するもの(或はそれを觀賞し得る力のある者)がなくてはその詰圖は實際的に價値は無いと言はねばならぬ、(前號詰將棋講話と重複してゐる點も多々あると思ふが諒されたし)
月報などの詰將棋作圖を見ても、作圖家諸氏は良い作品を作るよりも難解なる作品を作る事に努力してゐる様に思へる、詰將棋は難解なれば難解なる程其の圖式の價値は増すのである、日本詰將棋界の雄の群集してゐる月報に於いては如何なる難解なる詰圖であらうとかまはないと云へばそれまでである。又如何に難解な詰將棋でもよい。然し妙手によつて生ずる難解ならよいが、駒の複雜な配置によつて生ずる難解なのは詰將棋發展の爲に(大衆的な)遅延を來たすのではあるまいか──
世は猛スピード化して來るのだ。
詰將棋の研究家なら兎に角一般詰將棋フアンが難解な詰將棋に多大の時間と努力を費してそれを解くだらうか?
詰將棋の單行本が出版される──
しかし其の結果は何時も失敗である、未だ詰將棋の單行本が一千部も賣れた事は殆んどない、それは何故か──それは一流大家は別として、一般フアンは詰將棋を解くと云ふ事に興味を感じてゐるからである、詰將棋を研究すると言ふ考へで單行本なんか買ふものは極く少數である、詰將棋發展の上から悲しむべき現象だが事實だから致方が無い。
指將棋の方面はアマチユア將棋選手権大會等の催があつて一時非常に流行した
指將棋には勝敗と言ふ事があるから極初心者でも興味を感ずるが一方月報などで發表してゐる詰將棋は一般向でないもつともつとレベルを下げて一般向にしなければならぬ。
大衆雜誌に發表の詰將棋に於て殊に然り。
一般向の詰將棋と言ふと唯價値のない詰將棋極く平易な詰將棋としての感じの無いものと誤解せられる方もあるかもしれないが決してそんな意味ではない、妙手等はあつてもそれが難解でない圖式──解いて好感の持てる圖式を言ふのである。月報の作家の内には娯樂雜誌に作図を發表してゐられる方もあるがその様な方には特にお願ひ致したい。
先づ發展可能性のある圖としては娯樂的に價値のある圖が必要として此の章を終る──
難解な圖式を作らなければ、必ずしも難解でなければならぬと思つてゐられる作家に云つてをく、詰將棋は難解なのが名作ではないと ─
詰將棋作家の輩出──多數詰將棋作家の輩出も必要だが名作を作る作家の出現の方がよい、新聞社雜誌社等に今一歩の努力を希望する、詰將棋作圖競技會の開催も必要である、月報の作圖が価値が下つた様である
數名の大家を除いた外は職業棋士の作る詰將棋と大差ない作品だ、自重を望む
  ×  ×  ×
詰將棋の規定と云ふものが決つてゐる様で決つてゐない、此の規定を定めるには世の詰將棋作家の協力が必要、作家協會の出現を待つ。
  ×  ×  ×
二、懸賞詰將棋の影響と職業棋士が詰將棋界に流す害毒

近頃各種大衆雜誌で詰將棋、詰碁詰聯珠等の懸賞が行はれてゐる、出題に八段とか七段とか云ふ肩書の先生が名(迷)作を出題せられる、この懸賞詰將棋たるもの──これは賞金を目的に解答するものが大部分である、これでは賭將棋と違はない──
懸賞詰將棋は難解にして於いても賞金を取る為に努力するだらう──賞金を取る爲に努力する事は詰將棋を解く爲に努力する事になる──九年九月自稿賭將棋の眞髄参照
然るに懸賞詰將棋の場合は極く平易な圖が多い、一考を要する。
懸賞詰將棋の場合は本手順のみの記載だけで變化の記載は必要としない(職業棋士出題大衆雜誌發表の場合)
職業棋士出題の作圖は本手順より變化の方に妙手のあるのが多い
詰將棋の規則は最も長い手順が本手順であるが職業棋士の作圖の場合變化の方を正解とする事がある、一考を要する事である
職業棋士は詰將棋の創作力がない、然し雜誌の詰將棋を受け持つてゐると、どうしても出題しなければならぬ、處でまゝよとばかり古今の名局を出題して知らぬ顔をしてゐる、(……)
詰將棋界に流す害毒は非常なものだ、私が職業棋士の詰將棋全廢を叫ぶのもこの爲だ
  詰將棋作家協力せよ!
  職業棋士の詰圖出題を全廢せよ!
私は詰將棋界發展の爲に斯く叫ぶ(完)
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 感想。
 「焼き直しを廢せよ」と重なる部分が多いですが、過激化しています。(笑)
 論旨が首尾一貫していない印象を受けます。
 
詰将棋発展のために何が必要かとして「ABC二三」までの選択肢を掲げ、月報にはもっと一般向きの作品を、大衆誌には質が良く難解でない作品を、と言いたいのかなと思えば、職業棋士の詰將棋全廃をというゲキを飛ばす結論になっているのですから。

2017年2月 3日 (金)

忘れられた論客 その3

 今回は「燒直しを廢せよ」(月報1936年4月)です。「伊藤宗看、壽」などを含めてすべて原文のまま。
 この一文は、元々は「詰將棋講話」の後半部分で、一体であったものを「月報社で製本の關係上あの原稿を二分して發表してしまった」上に「『燒直しを廢せよ』と云ふ題は月報社で勝手に附け」たのだそうです(杉本生「随想録」月報1936年7月号)。

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曾つて岩木錦太郎氏が月報誌上に詰將棋外科手術と題する文を寄せられたが、是は職業棋士の燒直しをする者が多いかを憂慮せられたからである
現今の諸新聞雜誌至る處に燒直し詰將棋を見る、それに伊藤宗看、壽のを引用したのが多い、宗看、看壽等の作品は何れも大作品でその一部分を切取る事によつて完全に一個の作品が出來上るのである
燒直しを見破るには詰將棋研究の深い者でなければわからぬ、だから職業棋士は平氣で燒直しを發表して居るのである
是は原作家に對して非禮此の上もない事である、非奴い八段などは月報邊りの作品を燒直して發表してゐる
(中略)
初代宗桂二代宗古の作品はそれを整形する事によつて燒直しが出來る
是は惡い事ではないが、此の場合は例へば大橋宗桂作××××改作として發表したい
現在の作圖の場合は豫じめ原作者の諒承を得る事である
前田三桂氏は二代宗古圖式の冒頭に、余が此の書を解するに徒に詰の順ををふに止まらず盤上の駒の意義を詮索し或は増補し或は添削し悉く其の誤謬を訂正す、世上或は余を以て僭越となすものあらん、然れども棋法の原則より達觀すれば些たる毀譽褒貶の如きは毫も意とするに足らず、と述べられてゐるが實に至言である

現代に適應せる詰將棋の作り方と今後の詰將棋の發展性

現代は詰將棋不振の時代である、が詰將棋の發展性はあるだらう?如何にすれば發達するだらうか
先づ娯樂雜誌の詰將棋出題の改善である、職業棋士の今日の様な不完全な作品では詰將棋の發展は先づ望めない、高段棋客の詰に薄力なのは一般のよく知る處であるが、まだまだ高段棋客を信じてゐる者も可成にある、是等の者の誤信を改めなければ詰將棋は發達しない、又最も發行部數の多い娯樂雜誌の詰將棋出題を改めなければならぬ
高段棋客の詰に自覺するのを待つか、それとも職業棋士の出題を全廢するか、前者は望めない事である、此の際職業棋士の詰將棋出題を全廢する事である
今迄不完全な出題を續けて來たのは雜誌社に斯道に關する智識の無かつた事と徒らに職業棋士のみを信じてゐた事によるのである、月報に詰將棋界の權威は殆んど集つてゐるが、詰將棋の發展を望む上は是等の人が集結して斯道發展に勉める事である
詰將棋作家協會の設立それは最も緊要な事である
  ×  ×  ×
それに詰將棋の作り方も改める必要がある
それは萬人向の詰將棋を作る事である、其の圖を見たら誰でも詰將棋を知つてゐるものなれば調べて見ると云ふ様な氣になる作品でなければならぬ、それにはどんな作り方が必要か
餘り重い様な圖は禁物である、全体の調和のとれた氣持のよい作品でなければならぬ
一見して感じのよいと云ふ様な作品を作る必要がある、圖も餘り難解なのではなく二三度考へた位で解ける程度のがよいと言つても餘り平易に走り過ぎて詰將棋と云ふ感じを失ふ様な物は考へ物である
職業棋士の作る七手詰や五手詰の作品は困り物である、先づ駒數十五枚内外手數二十五手内外が適當であらう、勿論力のある者には直ぐ解けるだらう、直ぐ解けても良い作品だと云ふ感じを與へるものなればよいと思ふ
和田氏の作品などは是に適應してゐると思ふ、是等は娯樂雜誌に發表する作品について述べたのである、出來得れば大家數名によつて出題する事である
  ×  ×  ×
月報の如き専問雜誌などになれば解答者にも有力な人がゐるから妙作なれば如何に難解でもよい
今田、田代、酒井諸氏の作品は可成難解ではあるが駒の調整が取れてゐて調べて見て感じがよい、近頃新人作家が無暗に大作品を作らうとしてゐる傾向が見えるが是は甚だよくないと思ふ、だらだらと手數のみ多くてもう切上げてもよいと思はれる様な作品が多い、詰將棋は手數の多いと云ふ事は一つの條件ではあるが、何の意味もないのに唯手數のみ長くしたのでは何にもならない、此等の作家諸氏は小作品でもよい好感の持てる作品を作る事である
良い作品になると二度も三度も調べて見るものである、唯一度並べて見ただけでウンザリしてしまふ様な作品は考へ物である
そんな作品は作らぬ事である
塚田正夫氏の作品には大作品はないが皆好感の持てる作品である、唯遺憾なのは氏の作品には本手順より餘詰手順の方が長い作品のある事である、單行本として出す場合は殊に此の事に留意すべきである
最後に詰將棋研究會の權威岩木氏の御努力を深謝して止まない
  ×  ×  ×
大道棋

以前は大道詰將棋は大道棋士の生活の糧として其の藝術價値もなく一般より無視されてゐたが、詰手順も判然として來たので本格の詰將棋として扱はれる様になつた
大道詰將棋が一般に無視されてゐたのは何故か、それは決つた手順もなく中には不詰の作品も随分多く在つたからである
それに大道詰將棋の全部が同一の原形に手を加へて作つた物だけに(大道詰將棋の原形となるべきものは四種である)詰將棋的感興も少く、研究すべき價値も無かつたのである、大道棋が此の様な形のまゝで存在して來たのは大道作品を作る作家が少なかつた事によるのである
同一の作家によつて作られる作品は當然類似形になるわけである、それに從來の詰將棋作家は作圖に力の入れ方も少なかつた様である、此のまゝでは大道棋は行き詰まりである、その新道を開いたのが岩木氏である、岩木氏の作品は從來の古則に拘はれぬ新型の作品であつた
大道詰將棋は岩木氏の作品を以つて始めて其の藝術價値を世に認めさせた
西澤氏も大道棋を正型する事に勉められてゐる様である、是は詰將棋界の爲に喜ぶべき事である
近き將來に於て今迄の原形を離れた作品は數多く出て來るだらう
   詰將棋の名稱
詰將棋と云へば詰將棋と名の附くもの總べてであるがそれを大別すると本格詰將棋と變格詰將棋に分類出來る
                 ┌1實戰型詰將棋
                 │2作圖型詰將棋
本格詰將棋 │3形象型詰將棋
                 │4趣向型詰將棋
                 └5防趣型詰將棋(大道棋)
此の中では12の詰將棋の作圖數が最も多いとされてゐる、變格詰將棋──小林東伯齋等の作品である
   作家の特長
詰將棋上には各作家の特長がよく現はれてゐる、宗看の作品より受ける雄大豪放と云った様な感じ、看壽の作品より受ける微細な神經質な感じ、是は代表的なものであるが皆其の作圖には各人の風格と言った様なものが現はれてゐる
盤面即ち人生なり
實に至言である、各作家にはそれぞれ變つた作風がある、是を知る事は解答者として是非必要な事である
   分析研究
初の間は詰將棋を解く時一寸見當の附かぬものである、此の時は攻め方のあらゆる手段を調べて見る事である
此の方法によれば必ず正解を發見出來るものである、關根名人著の將棋上達法には是の方法が説いてあり、又木村八段著の將棋大觀にも一局詰圖を貳拾數頁に渡って書いてあるが同じ方法である
解説する場合は二部以上になれば複雜になるし又其の必要もないが、初心詰には此の方法も一つである、あらゆる物が細胞組織で出來てゐる様に詰將棋も細胞組織の集結である、是を分析する事によって正解手順を得るのである、詰將棋の餘詰を發見するのも一つの分析研究である
  ×  ×  ×
一定の腹案も無しに漫然と書いて來たので随分重複した點や不完全な點もあると思ふ
諒承を乞ふ
(昭和拾年拾貳月早走記)
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 感想二三。
 娯楽雑誌に掲載する作品について、手数25手内外が適当とありますが、25手詰を解ける人はあまりいないのではないでしょうか。杉本は短篇(小作品)を25手内外と考えていたのでしょう。
 また、「詰將棋は手數の多いと云ふ事は一つの條件」として大作品は小作品に優るという素朴な立場を表明していますが、里見義周も「詰將棋作品の價値に就いて」(月報1935年6月号)の中で「詰手數 長い事も作品價値増大の一要素である」と述べています。
 「詰將棋講話」にもありましたが、詰将棋作家協会設立は杉本が提唱したもので、1944年1月号の月報には「日本詰將棋作家協會設立要項」が発表され杉本が理事長に就任する予定でした。しかし翌2月号で月報は廃刊してしまい、実現することはありませんでした。これはこれで意義のある提起だったと思います。が、作家中心主義なのが気になるところです。里見も「詰將棋と指將棋」(月報1936年4月号)に「詰將棋を作る事は藝術であるが詰將棋を詰める事は藝術ではない。詰將棋の重要なる部分は之を作る事にあるのである」と書いていますが、これも同様の立場と言えるでしょう。
 もちろん解答者、鑑賞者なしには詰将棋は成立しないことは杉本も分かっていて、翌5月号の「現代詰將棋論」では、このあたりのことにも少し触れています。
 なお文中「和田氏」とありますが、これは和田兼水を指すものと思います。
 ここに和田作品が7局あります。

2017年2月 2日 (木)

忘れられた論客 その2

 今回は杉本兼秋の「詰將棋創作室漫談」(月報1936年4月)です。「攻め方」「攻方」など表記が揺れていますが原文通り(手順表記を除く)。

一、詰將棋の規定

詰將棋の規定は玉方は最長手順たる様に逃げ攻方は最も手數短く詰めると云ふのが條件であるが、「攻め方は最短手順を以て詰める云々」の意味が最近迄解らなかつた
玉方最長手順になる様(即ち作意手順)に逃げた場合、攻め方は作意手順として決められた手順を攻める一手であつて、それより手數を長くして詰ますことは絶對と出來ない、もし故意に手順を長くして詰まさうとしたなれば不詰になるに決つてゐる
では詰將棋の規定である「攻め方は最短手順と思ふ順云々」は全然無意味の事ではないだらうか
玉方の逃げる手順によつて生ずる種々の指し方が變化手順であり、玉方は最長手順になる様に逃げる云々の規定は即ちその變化手順の最も長いと思はれる手順を採ると云ふ意味である
攻め方の手順によつて生ずる變化(前に云つた如く玉方は最長手順に逃げた場合は絶對に攻方の手順は一つよりないのである)を餘詰又は早詰と云ふのである
變化手順と云ふよりは種々の指し方と云ふ方が適切であるかもしれない
攻め方は最短手順云々、の規定はその餘詰早詰の中の最も手數の短い順を採ると云ふ事を云つてゐるのである
もし餘詰早詰等ある圖式は其の内の最短手順を正解とし他は誤解となるわけである
  ×  ×  ×
完全圖式の場合は凡そ攻め方は最短手順云々の規定は不用なわけである
唯、玉方は最長手順となる様逃げる事と、云ふのみにて足るのではないだらうか
或は詰將棋に餘詰早詰は附き物として其の場合を考慮して設けられて居るのだらうか
もしそうだつたら、餘詰早詰の圖式を作るべきである、但し是は冗談だが……
此處で小生今一度考へ直して見た
無住仙逸の大矢數一番、伊藤看壽の圖巧百番等千日手模様の作品に於て是等の規定は採用されるのではないだらうか

二、餘詰、早詰

兎に角詰將棋に餘詰、早詰は附き物らしく餘詰早詰のある圖式は古今を通じて可成あります
此の餘詰、早詰があると如何に名局でも全然其の價値が無くなるのですから全くたまりません、小生は此の餘詰早詰の出來るのは作者技量の如何と云ふ事もありませうが又一つは精神修養の出來て居ないと云ふ事もあるのではないかと考へて居ります
餘詰早詰は何れも簡單に消すわけには行きません
大体に於て餘詰の出來る場合は次の三つがあります
一、作意手順のみに専念し餘詰の生じて居るを全然知らざりし場合
二、妙手手筋が無理筋である場合
凡そ宗看、看壽を始めとして幾多作家によつて作られた詰將棋には奇想天外の妙手がありますが何れもそれは棋の原理に(里見氏詰將棋講座に詳しく書かれてあります)適合した手であります
三、作意手順が迂遠なる方法を採つて居た場合
  ×  ×  ×
第一の場合は可成簡單に餘詰を消す事が出來ますが、第二、第三は詰手順を一部分變更しない限り絶對餘詰は無くなりません
二、三の場合は早詰が餘詰より多い様です
又一般の場合も第三の場合が多いようです

三、詰將棋餘詰の實例(第三の場合)

第一圖
1940


第一圖は九月號二部へ發表した小生の作圖である
作意手順は、
13銀、同桂、21銀、同玉、23龍、22馬、13桂生、31玉、42銀、同玉、
34桂、51玉、52歩成、同玉、63龍、41玉、43龍、51玉、42桂成、61玉、
52成桂、71玉、73龍、81玉、82歩、91玉、93龍、92歩、83桂
の29手詰であつた。小生は此の手順だけだらうと思つて居たのである、然しながら解答發表を見ると餘詰ありて面白くなしである
餘詰手順は
13銀、同桂、21銀、同玉、23龍、22馬、13桂生、31玉、32歩、同馬、
21桂成、同馬、42銀、同玉、34桂、51玉、52歩成、同玉、63桂成、61玉、
21龍、51歩、83角、71玉、72角成
迄25手詰、本手順よりは4手早く詰む、小生此の圖式を不完全圖式として廢てゝしまいたくなかつたので、何とかして完全にしたいと思つた、然し餘詰を消すと同時に本手順も消えてしまつて不詰になる、小生全く悲觀してしまつたが、元氣を出して餘詰の原因を調べて見た
餘詰は32歩打に始まつて居る、然しよく考へて見ると此の手順が果して本手順ではないだらうかと思つた
小生考へ直して此の手順を本詰として改作する事にした、本手順の方は83桂跳びを無くすれば消えるわけだから「84と」を追加した
手順
13銀、同桂、21銀、同玉、23龍、22馬、13桂生、31玉、32歩、同馬、
21桂成、同馬、42銀、同玉、34桂、51玉、52歩成、同玉、63桂成、61玉、
21龍、51歩、72角、71玉、51龍、82玉、81龍、93玉、94歩、同と、
83龍
まで31手
小生とうとう餘詰を本詰にしてしまつた
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 感想二三。
 攻方最短に関する杉本説ですが、解答募集形式の場合、詰む手順を要求しているのであって作意手順のみを正解とするわけではありません。作意であろうが余詰であろうが詰めばいいので玉方最長だけで良いというのは正論だと思います。
 そこでなお攻方最短とはどういう意味かと杉本は問うて、この規定は馬鋸のような場合の同一手順の繰り返しを禁じる意味があるのだろうと言っているわけですね。
 翌月号に里見凸歩(義周)が反論を書いていますが、そこで例として出されているのは最終手余詰の図で1手で詰むところ5手でも詰む、攻方最短と言わなければ余詰になるではないかと。
 最終手余詰は、余詰の例外規定として扱って差し支えないというのが私の考えです。

 「二、餘詰、早詰」の項で、余詰早詰は作者の力量不足のほか、精神修養の不足も考えられる、というのは戦争に向かっていくこの時代ならではの発想ではないでしょうか。
 前回紹介した「詰將棋講話」の前頁には次のような記事がありました。
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第一報
宮本弓彦

二月二十八日!
『武装した海軍兵士──鐵かぶと、銃を背にして、──を乗せた自動車が疾走する。
要所々々には、戒嚴司令官香椎浩平閣下の命によって告諭が掲示されてゐる平静なれど抜劍した陸軍兵士が固めてゐる市民の緊張は極度に達する既に機関銃も据へつけられた!
此處麹町三年町の關根名人邸は、問題の首相官邸と新議事堂の中間に僅かに二町を離れて近接してゐる』その朝同じく三年町の革新協會事務所へ急いでゐた私は、路上はたと樋口四段に出會った、聞けば危險は刻々に迫り名人御家族も愈避難せらるゝとのこと 樋口四段、荒木初段の兩氏が夜前より名人邸に詰めて變に備へてゐるとの──。
兩君の美しい心情を聞いて私もその儘名人邸に馳付けた譯だ。
(二月二十八日夜記)
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 1935年11月、神田辰之助七段の八段昇格問題で日本将棋連盟を脱退した花田、金子八段が設立したのが日本将棋革新協会です。翌36年6月に和解して将棋大成会が結成されます。二二六事件は分裂の最中の出来事だったのですね。

2017年2月 1日 (水)

忘れられた論客

 「將棋月報」を代表する論客といえば前田三桂で、「将棊養眞圖式」の研究など詰将棋にも功績がありますが、何といっても「へたの横槍」の印象が強く、また将棋界の時事的な問題にも積極的な発言をした人です。
 また、里見義周はもっぱら詰将棋作品に立ち入って基礎付けを試みた人で、戦後も旧パラに拠ってそれを継続したことで知られています。
 詰将棋に関して、もう一人挙げなければならないと思うのは杉本兼秋です。杉本が月報に書いた詰将棋関連の記事は次の通りです。

1936/03 詰將棋二題
1936/04 詰將棋講話
1936/04 詰將棋創作室漫談
1936/04 燒直しを廢せよ
1936/05 現代詰將棋論
1936/06 詰將棋の規定に就て
1936/06 詰將棋の藝術價値
1936/07 随想録
1936/08 藝術作品の進路
1937/08 詰將棋、其他
1937/11.12 秀峰随筆
1937/12 詰將棋小品創作に付いて
1937/12 現想と現實
1937/12 今思つてゐる事
1938/01 古今名作觀賞
1938/02 古今名作觀賞
1938/02 類似作品の場合
1938/03 (詰將棋對話)
1938/12 (偶感雜記)
1939/01 創作型の研究
1939/01.02 白翠選圖集(上)
1939/02 詰將棋斷片
1939/06 詰將棋漫筆
1939/06.07 (詰將棋を語る)
1939/07 詰將棋が出來る迄
1940/01 私の古名作鑑賞
1940/03 私の古名作鑑賞
1940/05 私の古名作鑑賞
1940/06 私の古名作鑑賞
1940/07 私の古名作鑑賞
1940/08 私の古名作鑑賞
1940/10 私の古名作鑑賞
1941/06 現代作圖論
1941/07 追憶の記
1943/01 名局に觀る
1943/06 詰將棋問答
1943/06 名局に觀る
1943/06 將棋新選
1943/07 將棋新選
1943/08 將棋新選
1943/09 將棋新選
1943/11 噫 酒井桂史先生

 このほか、「將棋世界」に次の記事があります。

1939/05 詰將棋の作り方

 まず1936/03「詰將棋二題」は大道棋についての記事です。
 次の1936/04「詰將棋講話」を紹介します。<専問>などの誤字もそのままで採録します。

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詰將棋講話
杉本兼秋

詰將棋創作室より

詰將棋の作圖數は古今を通じて約五千局と云はれてゐるが、其の一局々々は各作家の苦心の結晶とも云ふべきものである。
今自分の作圖は八十局内外であるが其の内の四十局は未發表である。
既に發表した作品を再び見る時に其の當時の苦心も思ひ出されて其の一局々々に對してなつかしさを感ずる。
  ×  ×  ×
詰將棋の作圖は大作小作に限らず苦心の要るものである。しかし其の替りに出來上つた時には何とも言ひ様の無い愉快を思へる。
これは恐らく作圖家の誰をもが持つ共通の心理であらう。
  ×  ×  ×
自分は是から詰將棋の創作に附いて書く事にする。
詰將棋の作圖は可成技術が進まないと、作らうと思ふ時に即座に作れるものではないのである。始めの一年餘りの間に作つた作圖は皆、不完全で妙作と云ふべきものは作れない。
これは詰將棋に對する智識が薄弱なのと經驗が無いのによるのである。
然し詰將棋にも作圖様式と云ふものがあるから其の正道を進めば上達も早いわけである。詰將棋の作り方にも色々あるが誰にも出來るのは實戰に現はれた奇抜な手筋を補修する事である。これは比較的勞少くして功の多いものである。しかし注意しなければならぬ事は實戰型は概して平凡に終り易い事である。實戦は駒數の多いものであるが詰將棋としては妙手手筋を損ぜぬ限りは出來得る限り駒數を少くする事である。殊に初學詰として駒數の多いのは惡作とされてゐる。
駒數が少くて駒の統整がとれてゐなければならぬのである。三部程度の圖は實戰を引用したまゝで手軽るに作る事が出來るが少くとも二部以上になると作家の技巧も入るわけである。此處がよく平凡な作圖で終らんとする處である。故に勉めて妙手を盛る様にしなければならぬ。是には古今の名局を研究して其の筋をよく憶へて置くと言ふ事も大切である。
第二は種々の駒を漠然と置いて考へて見る事である、時には面白い作品も出來るが大抵は勞して功なしの終る事が多い。
此の作り方は初心者には不向であると云はねばならぬ。一定の作圖力を持つもののみに限られてゐるのである。
第三は中とか小とか豫じめ形をきめて置いて作るのである。是は始格好のよい様に駒を並べてをいて其の範圍内にて色々と駒を置替へて造るのである。初めの内は随分其の形外へ駒を置きたくなつたり駒のあるのが邪魔になるものであるが、邪魔にならぬ迄も何の意味もないのに形の爲に漠然と置いた遊び駒のあるのは上作とは云はれない。
此の作り方は主に郎士的に作るのであるから良い作品を作る上からは餘りに推奨したくない作り方である。
第四は趣向を立てゝ作るのである、たとへば玉方の駒不成とか詰上りが何になるとか、形象隅より出でて都で詰むとかの類である。
是等の作品は初めより趣向を立てゝ作る物で偶然には殆んど出來ないものである。
此の種の作品の作り方は一般のより困難とされてゐる。
第五は例外であるが、人に駒を握らせて即座に作るのである。即ち一握り詰の作物である。これらは素より座興的に行ふもので勿論よい作品は出來ない。然し此の方法も詰將棋の作圖を研究する上は行つて見るべきであると思ふ。尤も玉は始に取つて置くのである。一握りと云つても歩ばかり五ツ握つたり又全部の駒を鷲攫みにしたりするのは困らせで問題にならぬ。是の場合は多くとも十枚以内とされてゐる。時にはよい作品も出來るものである。
以上五ツの作り方は何れも玉の位置を初めに定めて置くのが普通となつてゐる。
又形象作圖外の作品は作の中途駒を右左に置變へて作ると意外に良い作品の出來るものである。
  ×  ×  ×
以上今迄述べて來たのは二部、三部程度の小作品であるから今度は參考までに大作品の作り方に附いて書く事にする。
大作品となれば手數も長くなり間時に變化も多くなるので小作品よりは遙かに作る事が困難になる事は言ふ迄もない。
大作品の作り方は大別すると先づ二つに分れるのである。第一は原形に手を加へて次第に大きく作り出して行くのである。
解り易く云へば洋舘建築の様に始め土臺を築いて置いて後上部を次々と組立てゝ行く様に手數を長くして行くのである。
此の場合、注意すべき事は此の種の作り方は唯手數のみ長くて間然とした作品になる場合が多い。此の作品は駒全部の連絡を取る様に勉めて作る事である、又完成して全體を見て修正する事である。此の作り方に於ける作圖は最長手順百手とされてゐる。
第二は一番至難なる作り方とされてゐる方法である。それは圖を作る前に如何に作るかと云ふ事に就いて豫じめ構想を立てゝ置いてから作圖に掛かるのである。此の作圖には手順の長いものが多く、看壽の六百十一手詰大矢數の四百一手詰等がある。
  ×  ×  ×
詰將棋作圖に就いて注意すべき事は餘詰早詰である。注意に注意を重ねても生じ易いものであつて折角の苦心もこれによつて水泡に帰す事になるのである。要するに詰將棋のみに専心する結果に外ならぬのである。
初心の者は詰圖を作つた場合、斯道の權威に調べて頂く様にする事が必要である。
  ×  ×  ×
二三部程度の作品は別に詰將棋の専問的素養が無くても作れるものであるが少くとも一部程度の大作品を作らうとする人は詰將棋に對する専門的智識が必要である。
此の場合の研究材料は三代宗看圖式及び看壽圖巧を調べるのが近道である。
しかし是等は統べて難解であるから先づ順序として初代宗桂より二代宗古の順に進まれるのも一策であらうと信ずる。又自分の作品に對しては絶へず斯道の權位より添削を受ける事も必要である。
  ×  ×  ×
是は自分の經驗からの作り方を述べたのであるが、これから詰圖を作らんとする方に聊かなりとも研究史料になれば幸である。
又例外ではあるが第一の作り方の場合に於ては指將棋を調べるのも一策である。
  ×  ×  ×
私の一ヶ月に作る作圖數は多く作る月で八局位少い時には五局位のものである。
三部程度の作品なれば一日に十局は作る自信はある。此の割に書いて來ると一年に百局は作れさうな割合であるが、然し實際は一年に五十局程度のものである。
小作品をも入れゝば今迄作つて來たのが二百局位はあるが一部程度の作品は五十局程度である。
  ×  ×  ×
詰將棋盛衰史

大橋宗桂が慶長年間織田信長に召出され以後豊臣徳川三代に仕へ初めて將棋所を興し詰將棋圖式八十番を作り是を柳営に献じて推賞せられてより歴代名人は將棋所を繼ぐと圖式百番を創作し柳営に献上するを習慣として來た、それ以前にも詰將棋の作圖は多少あつたが、一定數にまとめられて作られる様になつたのは事實上宗桂以後と云ふのが適切である。圖式献上の制度が決められ民間よりも、詰將棋作家の輩出を見た。
當時の作家には別所素庵萩生眞甫一四屋宗安等がある。
今初期の作品を通覽すれば初期作品は全体が實戰型である。當時は詰將棋の創作的技術も幼稚で洗練された、美しさもなく妙作と云ふべき作品はない。
初代宗桂同じく二代宗古、それらの作品は何れも實戰型で詰上りも駒が餘り詰將棋としては餘り感心出來ない作品である。
當時の作品には芸術的價値は勿論認められないのである。それでどうして價値のないものが存在性を保つて來たか、先づ考へるべき事は是である。然し當時は一般に於ての詰將棋普及の範圍も狭く、同時に詰將棋の觀賞眼も低くかつたのである。現今では當時の様な作品では世に出る事は難しいだらうと思ふ。物は總べて一定の處に停つてはゐない。
詰將棋も宗桂宗古より三代宗桂五代宗桂と順次精錬されて來た。
享保八年伊藤家二代宗印が没し其の子宗看が將棋所を繼ぐに至つた。
當時大橋本家は既に絶え伊藤宗印は是を歎き實子宗銀を養子に使はして大橋本家を繼がしめた。大橋分家には實力者なく事實上實力者は伊藤家のみに集つた。
此の時は伊藤家の全盛とも云ふべき時で、家元の名人爭ひ等もなく好敵手に窮したる諸棋客は此詰將棋のみに専心する事が出來たのである。當時家元は幕府より五十人扶持を給され生活上何等の不安も無く此の好條件の許に各棋客は文字通り詰將棋のみに専心する事が出來たのである。
今迄一歩々々進んでゐた詰將棋は此處に於て急速の進歩をとげた。三代宗看圖式百番看壽圖巧百番共に後世不朽の名作である。
詰將棋の隆盛は一般の民間棋客にも影響し桑原君仲、添田宗太夫等の民間諸作家の輩出をもみるに至つた。
實に享保時代は詰將棋の全盛期であつた。
だが此の詰將棋全盛期も長くは續かなかつた。それは何か?即ち大橋宗英の現出である。宗英の現出によりて指將棋殊に定跡の研究は目ざましい發展をした。しかし家元の習慣たる圖式献上の献上の制失はれ、詰將棋は偉材宗看の現出を最後として一歩々々衰退の道をたどつて行つたのである。
後棋聖天野宗歩出でしと言へども彼は詰將棋を得意とせず、徳川幕府の崩壊によりて生活の安定を失つた棋客は各々自活の道を立てねばならぬ事になり詰將棋は當然閑却せられた。
後新聞社の將棋掲載により指將棋は昔以上の發展はしたが詰將棋のみは遂に發展の機會を与へられずして今日に及んだのである。
(主流)
  ×  ×  ×
以上が詰將棋の盛衰史の概略である。

現代詰將棋觀

現今の詰將棋は享保の作品に比して劣つてゐると云ふのが一般の觀方である。
事實享保年間の詰將棋作圖に比して劣つてゐると云ふ事は事實である。
然しそれは如何なる意味に於て劣つてゐると云ふのであるか?
先づ享保年間の詰將棋に比較して研究する事にする。
享保年間の作圖は宗看看壽の二百局外有名無名作家の作圖をも合せて七百局前後である。現今の作圖數は一定數にまとまつたもので、高橋、酒井、丸山の諸氏の各百局外月報各人の五十局内外で優に一千局はある。それに詰將棋作家の數に於ては宗桂以來類を見ない程多數に上つてゐる。
世に認められてゐる月報關係の十數氏の外に詰將棋作品としては如何はしいのを作る職業棋士や數局の作家を加へれば優に二百名はあるのである。
それに作品の上から見ても享保の作品に比して決して劣つてはゐない。此處に例を擧げてもよいが重複するので略す事にする。
それに大正の中葉期より大道棋なるものが生れて現今では完全なる一個の藝術作品として其價値を認められやうとしてゐる。
然るに一般詰將棋愛好家は享保の作品に比して尚劣つてゐると云ふ。それは何故か?
最もこれは表面をのみ見た言分であるが、自分は圖そのものが劣つてゐるのではなく詰將棋と言ふ全體のものが劣つてゐるのだと思ふ。享保年間は家元時の名人宗看、同じく看壽等詰將棋の作家は將棋所の主流である。言ひ換えれば權位者である。
現今は詰將棋の中心は職業棋士より趣味家にある現代高段棋客の詰將棋を觀ると、それは如何なるものであるか。

高段棋士の詰將棋に對する認識

昭和三年廢刊雜誌文藝倶楽部が詰將棋の懸賞募集を行ひ其の出題を當時の棋界の權位に請ふた懸賞金も一千圓と云ふ大きなもので、當時の將棋フアンの人氣は非常なものであつた。だが作品の方を見ると如何であらう、毎月の解答發表を見ると早詰餘詰の盛觀で、呆然としてしまつたものである。今一歩手際よく作れそうなものである。
それは當時詰將棋觀賞眼を持つてゐる人達の必ず思つた事であらう。全く當時の詰將棋は不完全なものであつた。現今でもそうだが、中に創作力のない八段は古作物や大道將棋を引出して掲載するのや古作品を燒直して發表するのやで折角の此の催も何の意味も無かつた。
中でも第一題は懸賞金貳百圓と云ふので編輯部でも可成難解なのを望んでゐた。
然乍何れも大作品など作つた事のない八段ばかりでどうにもならず、土居、花田八段の兩氏のみで終り後は小作品のみ發表したのである。
大作品の内でも土居市太郎氏のは古今類例のない重い手順の作品で、駒數三十に對しては手數は三十五手詰と云ふ大作品とは名ばかりで妙手等は全然なく決して本などへ發表する作ではなかつた。
然るに土居八段は、實はあの作品は二日をつひやして作つたもので自分でも可成難しいと思つてゐたと感想にのべて一人で悦に入つてゐたものである。
此の催は花田八段の作品三局を殘して後は各八段面目玉をふみつぶして終つたのである。又現在でも諸種の雜誌に詰將棋の作品を發表してゐるが何れも高段と云ふ名に恥しいものばかりである。
或人が私にかう云つて尋ねた事がある。
「雜誌などよく七八段諸先生の作品が載つてゐますが、あれは門弟の人が作るのでせうね」と。
事情を知らない人はさう思ふのは當然である、現代職業棋士の詰將棋創作力の低いのは甚だしいものである。
(中略)
或高段棋士の如きは自己生命の何んであるかも忘れ詰物は餘技であり存在價値は絶無であると云ひ研究價値は全然ないと云つて後進の肯定を誘つてゐる。
(後略)
  ×  ×  ×
詰將棋作家の協立
(……)
職業棋士は聯盟會なるものを結成して専ら自己利益の爲に勉めてゐる。
だから昇段問題等自利益に反する事であると色々と論議が出る。
例の神田辰之助氏の八段昇段問題でも、聯盟に於ては氏を八段に昇段さしては直接自己の利益に關して來るので反對を唱へた。
其の結果が花田金子八段の聯盟脱退となつたのである。
詰將棋には自己利益の爲に會を組織してゐない。しかし斯道發展の爲には詰棋作家協會の設立が最も必要であると思ふ。
詰棋作家協會の設立…
出來得れば早く實現させたい。
識者の批判を待つ。
  ×  ×  ×
詰將棋の藝術的存在價値

※省略

  ×  ×  ×
詰將棋は一定の技量が無いと觀賞が出來ない。詰將棋を研究する者の少いのは此の理由である。如何にすぐれたものであらうとも、それを觀賞する者のない場合は發達しない。
職業棋士が詰圖を作らないのも詰將棋フアンが少ないのによるのである。
然し將棋には初中終盤共に研究の必要はある。専問棋士の詰に對する認識不足は當然指將棋の上に現はれて來る。
即詰のあるのを見逃して勝敗を轉倒せしめた棋譜の現はれて來る事である。
此の棋譜は初盤中盤が如何によく出來てゐても其の棋譜としての存在價値は皆無である。數年前は此の様な棋譜が多かつた。
前田三桂氏の横槍で各棋士も反省する様になり現今は一部分を除いては詰抜棋譜は其の姿を消した。
──が詰將棋の創作力に至つては今尚二三の棋士を除く外總べてが幼稚である。
それは何故か?、詰將棋愛好者が少い。
將棋のみで生活を立てゝゐる職業棋士としては詰將棋のみに専心してゐては生活が出來ない。定跡の研究に精進するのである。
専門棋士に詰將棋を作る者がないから詰將棋愛好家がない。
詰將棋を研究觀賞する者が少ないから職業棋士が詰將棋を作らない。當然詰將棋は不振になるのである。しかし現今は棋士の生活は安定してゐるのだ。新聞將棋の指料は法外に高く取つてゐる。今一歩詰將棋に精進して頂きたい。
職業棋士が詰將棋書を著してゐるが悉くが古代詰將棋の集録である。
今一歩努力せねばならぬ。
(中略)
現今は實戰型でも駒の餘るのは少い、月報などには全然無い、選者が發表しないのである。娯樂雜誌等に職業棋士が發表して居るのは駒が餘るのが多いが見て餘り好感の持てぬ作品である。
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 感想二三。
 杉本兼秋がのちに書いたところによれば、創作を始めたのは1933年秋、雑誌初登場は1933年10月号の「將棋時代」だったそうで、まだ3年と経っていません。
 詰将棋のつくり方について述べた部分がありますが、ここでいう「實戰型」がどういうものなのか、実はよく分かりません。実戦の終盤に取材した図といっても、大した説明にはなっていないからです。
 第二はよく分かります。適当に駒を置いて詰めてみるというわけですが、私の経験ではかなり不毛な方法です。(笑)
 第三は初形曲詰について述べています。第四は「玉方の不成」と「詰上りが何になるか」を「趣向」ということばで括っていますが、整理ができていない感じです。
 これらは小作品のつくり方で、大作品は別だという立論も分かりかねますが、その第二の方法「それは圖を作る前に如何に作るかと云ふ事に就いて豫じめ構想を立てゝ置いてから作圖に掛かる」、ここでいわれていることは図巧第百番に限った話ではなく、ごく当たり前のことを述べているのではないでしょうか。
 「詰將棋盛衰史」の部分は全体に不正確です。別所素庵、萩生眞甫、十四屋宗安は前田三桂編『名人大橋宗古圖式詳解』(將棋月報社1934/08)に詰将棋が各一局ずつあるそうです。ただし萩生は萩野の誤りでしょう。吉村眞甫が正しいという説もあります。
 月報では1931年11月号に松井雪山がこの三局を図面のみ紹介していますが、いずれも『諸國象戯作物集』に収められている作品です。

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