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2016年12月23日 (金)

加藤文卓の「圖巧解説」

 加藤文卓は「將棋月報」1926年2月号から1929年1月号まで将棋図巧の解説を掲載しました。
 毎号数局ずつで第75番までで終了しました。1926年8月号には「加藤先生病後静養の為め當分解答の調査等繁雑なる事務に當分の間遠ざかることになりました」とあり、詰棋欄の担当は酒井桂史からすぐ山村兎月に移りました。
 その後、加藤文卓は図巧解説のみ、月報に発表しています。
 1929年1月号には「本社では曩(さき)に『八世宗桂圖式』を編纂して天下の詰黨から稱讃の聲を浴せられた九九生氏に乞ふて全部の解説を戴き當月より連載する事になつたのであります」として三代宗看の将棋無双が第48番まで、2月号には第96番まで図面のみ掲載されていますが、解説はないままでした。
 加藤は1929年11月に亡くなっています。42歳でした。
 湯村光造氏が国会図書館に寄贈された月報は、現地に行かなくてもデジタル送信サービスで見ることができ大変ありがたいのですが、その一番古い号は「道樂世界第九十二号將棋月報」(1924年3月)となっています。月報の創刊号は1924年10月号とされていますが、3月号から12月号まで表紙を飾ったのは棋界の名士等の写真です。加藤文卓の写真は10月号表紙にあります。このときは写真が二葉あり、右に「大阪號主幹八段木見金治郎氏」左に「本誌顧問加藤文卓氏」。月報では分かりづらいのですが、眼鏡をかけています。私は一緒に写っているご子息から某氏に提供された鮮明な写真を譲り受けたので分かるのです。写真の公開について某氏に確認しましたが、ご子息の了解がなければ不可でしょうとのことでしたので、やめておきます。
 加藤は開業医でした。1929年1月現在の「新潟縣醫師會會員名簿」に「眼、耳、鼻、咽」「新發田町…」「加藤文卓」とあります。これに遡る1915年6月の北蒲原郡の医師会名簿には加藤文卓とともに加藤文英の名がありますが、これは文卓の父君です。
 月報1924年10月号には、2頁を使って加藤文卓の自己紹介が掲載されています。それによれば、「小學校時代から將棋が好き」だったこと、一時無縁だったが「明治四十一年京都へ出てから再び棋に親しむ事と」なったとあります。約10年間の京都生活の間にいろいろな強豪と対局したことが書かれていますが、詰将棋については何も触れてありません。大正三年、一時帰省、五年再び京都へ。六年大津へ。七年宇和島へ。八年京都へ。九年帰郷。淡々と綴られています。
 京都に来たのは京大医学部に入学したためです。大津では赤十字病院勤務、宇和島では町立病院勤務。将棋のほか、俳句も趣味だったそうで俳句雑誌「ホトトギス」に投句していたとのこと。
 先日、丸一日かけて京都府立図書館で「ホトトギス」のバックナンバーを捲っていたのですが、加藤文卓の名前(俳号は別)は雑詠欄では見つけることができませんでした。雑詠欄は「ホトトギス」のメイン(ほかにテーマに従って投句するコーナーもある)で、俳句界の最有力誌だった同誌雑詠欄の巻頭を飾るのが当時の俳句を志す人たちの目標でした。巻頭は五句、その他大勢は一句です。「ホトトギス」の四Sと呼ばれ、後の俳句界に大きな影響を与えた水原秋桜子、高野素十、山口誓子、阿波野青畝はいずれも巻頭を取って注目を集め、頭角を現しました。巻頭を占めるということは詰パラでいうと、半期賞くらいですかね。
 実は「ホトトギス」を調べたのはもう一つ理由があって、酒井桂史もたびたび俳句をつくっていたようなので、ひょっとしたら酒井も投句していたのではないかと思ったからなのでしたが、桂史の名前はなく俳号が別にあったとしたらお手上げで、こちらも空振りに終わりました。ただし、京都府立図書館にはバックナンバーがすべて揃ってはいないので、欠号に掲載されていた可能性もあります。青畝の代表作「葛城の山懐に寝釈迦かな」とか秋桜子の「梨咲くと葛飾の野はとの曇り」など、愛唱句の初出を見たので個人的には満足でしたが。
 加藤の自己紹介に戻りますが、文中に「大正八年には三度び京都へ出て當時六段早川隆教先生と最初の香落を對局しましたが其れは私の敗戰に終りました」とあります。以前当ブログの「今田政一研究」で「各府縣棋界の情勢 好棋客二十名」という月報の記事に触れましたが、京都の横綱は早川
隆教七段になっています(1927年2月号)。若島正氏の『盤上のパラダイス』(1988年12月・三一書房)に「近所に早川という将棋道場があり」とありますが、この早川と関わりがあるかも知れません。
 1924年12月の月報には「棋狂生」名で10月「十八日新發田町に加藤文卓先生を訪問する」とあり「關根名人より贈つた四段の免状を謹呈し、好意を受けて一泊した」とあります。指将棋の強豪だったようです。

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