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2016年12月の9件の記事

2016年12月31日 (土)

加藤文卓の「圖巧解説」その6

月報1926年6月号

圖巧解説
二峯生述

九番

0009

此局は駒の活動の甚だ複雜なる所に妙味津々たる傑作であります

52桂成、同龍、82龍、同金、74桂、61玉、62歩、
同龍、72銀、52玉、
62桂成、同銀、63銀成、同桂、53馬、同銀、51飛、62玉、71飛成、52玉、
51龍、同玉、41歩成、同玉、32銀生、52玉、43銀成、62玉、51馬、同玉、
52金迄(31手詰)


變化
52同龍の所同玉ならば53馬、同玉、54銀、()62玉、72香成、()同玉、64桂、61玉、34馬、()43桂間、同馬、同金、53桂、62玉、63歩、同桂、同銀成、71玉、72桂成、同銀、同成銀、同玉、64桂、62玉、72金、51玉、41歩成也
62玉の所
(一)64玉ならば84龍、74間、75銀也
(二)52玉ならば64桂、61玉、62歩、同玉、72香成、同金、53銀成、61玉、52成銀、同龍、同桂成、同玉、51飛、同玉、41歩成、同玉、32銀の詰みあり
72玉の所同金ならば
53銀成、61玉、62歩、同金、同成銀、同玉、74桂、72玉、62金、81玉、82桂成也
43桂間の所
(一)43歩間ならば62歩、同玉、53銀成、61玉、43馬、同金、62歩、51玉、41歩成、同玉、52桂成也
(二)43金打ならば同馬、同金、52金、同龍、同桂成以下容易なり

82同金の所72歩間ならば、
74桂、61玉、62歩、()51玉、41歩成、同玉、32銀、同龍、52銀、同龍、31金、同玉、53馬、同龍、32銀也
51玉の所
(一)62同龍ならば同桂成、同銀、72香成、同金、同龍、同玉、82飛、61玉、72金也
(二)62同銀ならば72香成、同金、同龍、同玉、82桂成、61玉、72金、51玉、41歩成、同玉、32銀以下前記ロに合す

62同銀ならば72銀、同金、同香成、同玉、82桂成、61玉、72金、51玉、41歩成、同玉、32銀、同龍、42金也

63同桂の所同銀ならば直ちに51飛と指して詰あり
以下の變化は容易なれば略す

○變化の部に於て72香成の所74桂にても詰あり此手順も亦面白き故參考迄に次に記す
74桂、61玉、71香成、同玉、62桂成、同玉、63銀成、61玉、34馬、()43香間、同馬、同金、62香、71玉、72歩、同金、同成銀、同玉、64桂、62玉、72金、51玉、41歩成、同玉、43龍也
43香間の所43角間ならば
同馬、同金、52角、同龍、同成銀、同玉、64桂、42玉、32飛也

○變化の部に於て74桂又は62歩の所を72香成と指しても詰あれど却つて複雜なれば略す

○此圖に於て詰方35歩玉方45と及21桂の三駒は殆んど不要の駒の如く見えるが之れは皆必要である即ち
○詰方35歩を缺く時は終局近く41歩成の時52玉と指されて逃れとなる
○玉方45とを缺く時は72銀の所に62桂成と指しても詰ある事となり甚だ面白くない即ち72銀の所に直ちに62桂成と指し此時同銀ならば72銀以下本文の手順となり同玉ならば51銀、61玉、62飛、同銀、同銀成、同玉、44馬の詰を生ずる
○玉方21桂を缺く時はハ62同龍の所51玉、41歩成、同玉、32銀、同龍、52銀、同龍、31金、同玉、53馬、21玉の逃を生ずる
但此21桂は歩でも差支はないやうに思ふ

---
 この月から「將棋圖巧解説」でなく、「圖巧解説」になります。
 また、○番になったり第○番になったりしていますが、原文通りです。次の第十番からは必ず「第」が付きます。
 本局の狙いは63銀成(邪魔駒消去)から53馬の連続技でしょう。ちょっとゴチャゴチャしているような気がします。また加藤の指摘通り21桂は21歩でも可。21桂の方が自然ですが。


第十番

0010

本局は金桂を利用して玉を斜に左上隅へと追ふ所に最も妙味ある傑作です

31馬、同玉、32歩、42玉、52と、同銀、43歩、同銀、53銀、32玉、
43金、同玉、44銀打、54玉、45金、同成桂、同龍、同玉、37桂、同龍、
36金、54玉、46桂、同龍、45金、63玉、55桂、同龍、54金、72玉、
64桂、同龍、63金、同龍、73馬、61玉、71銀成、同玉、82と、61玉、
72と、同龍、同馬、同玉、82飛、63玉、62飛成、54玉、64龍、45玉、
55龍、36玉、46龍、同玉、47金、45玉、46金、54玉、55金、63玉、
64金、72玉、73歩、71玉、62銀成、同玉、53銀成、61玉、72歩成、同玉、
63金、71玉、62成銀迄(73手詰)


42玉の所32同玉ならば
44桂、31玉、32歩、42玉、52と、同銀、同桂成、同玉、53銀、61玉、62銀にても容易

52同銀の所同玉ならば
53銀、()61玉、21龍、51間、71銀成、同玉、51龍、71玉、62龍也

61玉の所51玉ならば
21龍、41間、43桂、61玉、41龍也

43同銀の所51玉ならば
21龍()41香間、63桂、()61玉、41龍、同銀、62香、同玉、53銀、72玉、71桂成也

41香間の所41角間ならば
63桂、61玉、41龍、同銀、71銀成、62玉、51角、52玉、42歩成也

61玉の所63同銀ならば
42銀、62玉、53銀成、61玉、41龍にて容易なり

54玉の所32玉ならば
33銀成、同玉、23龍也

37同龍の所54玉ならば
46桂、63玉、55桂、72玉、64桂也

以下の變化は容易なれば略す

○本局の詰手順は甚だ巧妙でありますが變化は皆容易であります
又中盤82飛の所原書には62飛、73玉、82飛成、63玉、62龍と記されてあるが其れでは無意味に二手延びて面白くないから前記の如く改めたのです

○古名人の下された解答に對して吾々弱輩が是非を論ずるなどは潜(ママ)越非禮の極と思ひますが之れも研究の爲に外ならないのでありますから何卒諒として戴きたい、又之れは單に小生の憶測に過ぎないのであるが此大作圖巧は圖式のみが看壽先生の作であつて解答は他の人多分門下の人の發表されたものではなからうか、斯様な疑を抱かしめる局も全篇を通覽するに數局見えるやうである

---
 「夏木立」です。これも将棋評論で命名されたものとか(『詰むや詰まざるや』による)。
 なお、文中「又中盤82飛の所原書には62飛、…其れでは無意味に二手延びて」云々とありますが、これは文政版図巧の手順とのことで、迂回手順です。

2016年12月30日 (金)

加藤文卓の「圖巧解説」その5

月報1926年5月号

將棋圖巧解説
二峯生述

七番

53歩は必要ありや

0007

此局は妙手に富める好局でありますが聊か不審の点がありますから汎く讀者諸賢の御高見を承つて然る後斷案を出したいと思ひます

82銀、同玉、74桂、83玉、94銀、同飛、92銀、同飛、93角成、同飛、
92角、同飛、84金迄(13手詰)


變化
94同飛の所同玉ならば
93角成、同玉、82銀、93玉、92角、同玉、91銀成、83玉、84金也
此變化の手數は本文より二手多きも82銀の所82角にても詰み即ち二様の詰手順ある之れを變化とする方至當ならむかと思ふ
即ち
82銀の所
82角、83玉、84銀、94玉、93銀成、同桂、84金にても詰む

93同飛の所74玉ならば
75金、73玉、84角也

○此局に於ける玉方53歩は不要の駒ではなからうか
註 53歩なき時詰方若し53角ならば62桂間にて詰が見當らぬ

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 駒配置の意味を細かく調べた加藤文卓の面目躍如たる指摘で、53歩は確かに不要駒です。


第八番

「91と」は原書になきも然る時は逃れあるやうなり故に假に之を加ふ

00081

此局は兩度の遠角の妙手により敵龍の活動を制する所に妙味津々たる傑作でありますが原圖の儘ではどうやら逃れがある様に思はれますから假に詰方「91と」を追加して見たのであります

43歩、同玉、33金、同歩、52銀、同馬、32桂成、44桂、同金、同角、
同と、32玉、87角、同龍、43金、同馬、同と、22玉、34桂、同歩、
77角、同龍、92飛成、32角、同と、同金、同龍、同玉、23金、31玉、
22角、21玉、12金、32玉、33香、同桂、23桂成、同玉、13角成、32玉、
22馬迄(41手詰)

(正図)

變化

43同玉の所31玉ならば
21歩成、同玉、32桂成、同玉、23桂成以下容易なり


33同歩の所
(一)同玉ならば32桂成、同金、24銀、22玉、23歩、11玉、22金、同金、同歩成以下容易
(二)同馬ならば52銀、42玉、43金、同馬、同銀成、同玉、34角、42玉、52桂成、31玉、21歩成、同玉、12角成、同玉、23桂成、同玉、13金、33玉、34香也
43同馬の所31玉ならば21歩成、同玉、32桂成、同馬、同金、同玉、43銀成也
(三)同桂ならば52銀、同馬、32桂成、44歩、同金、同角、同と、32玉、43角、41玉、52角成、同玉、92飛成、82金間、同龍、同龍、53金、61玉、83角、51玉、61金、41玉、33と迄

---
※この順は91とがないと、83角に71玉で逃れ。このため91とが必要と判断したのでしょう。52銀では、34銀、42玉、92飛成、82歩合、43金、41玉、52桂成、同馬、81龍、71歩合、53金、45歩合、52金、同玉、43銀成、同玉、44と、42玉、53角、41玉、71龍、51歩合(桂合は52角)、42歩以下で、91と無しに詰みます。
い82金合は、同龍、同龍、43金、41玉、52金打、同馬、同桂成、同龍、53金、45歩合、52金、同玉、43角、53玉、64金、同玉、65飛、74玉、63角、84玉、85飛、93玉、94香、同玉、61角成、93玉、83馬まで。
82銀合は、同龍、同龍、43金、41玉、52銀、同馬、同桂成、同龍、同玉、82飛、62金合、43銀成、61玉、81飛成、71歩合、83角、72香合、52角、51玉、71龍、61歩合、同角成、同金、52歩以下。
71桂合は、52金、同玉、43銀成、51玉、52成銀、同玉、72龍、62金合、34角、51玉、61角成、同金、41香成、同玉、61龍、51合、52金、31玉、51龍以下。この手順は39手かかります。

43銀合、同香生、同龍、42銀、同龍、同金、同玉、43銀成、同玉、61角、42玉、62飛、41玉、52角成、31玉、61飛成、22玉、23桂也、同玉、21龍、22合、24金まで、この手順も39手。
---


41玉の所22玉ならば
23歩、31玉、21角成、41玉、53と、45歩、32金、51玉、42金打、同馬、同金、61玉、52金、72玉、92飛成也
82金間の所、82銀間ならば53金、61玉、81龍、71間、43角也


44桂間の所44歩間ならば
同金、同角、同と、32玉、43金、同馬、同と、22玉、23歩、11玉、22角、同金、同歩成、同玉、32金、11玉、23桂生でも詰む

87同龍の所
(一)22玉ならば23金、31玉、21角成、42玉、43と、51玉、52と、同玉、82飛成、82間、43馬、62玉、61金、63玉、52角、72玉、71金、62玉、61角成、63玉、52馬引也
---
82間のところ、62金合で不詰。ここは43馬、62玉、92飛成、82歩合、61金、63玉、52角、72玉、71金、62玉、61角成、63玉、52馬引まで35手。
---
(二)42玉ならば43と、51玉、52と、同玉、43角成、62玉、92飛成、82間、61金以下前記(一)の手順に準ず
62玉のところ63玉ならば52角、72玉、92飛成にて容易なり

(三)76桂間ならば43金、同馬、92飛成、42馬、43と、22玉、42龍、32間、同と、同金、同龍、同玉、23角にて詰あり


43同馬のところ22玉ならば33と、同桂、34桂也

77同龍の所同香ならば29飛、11玉、21飛成、同玉、32金、11玉、23桂生也
以下の變化は容易なれば略す

○詰方「91と」無き時はロの変化三の部に於て82金間以下詰手不明なり
○「64」に殊更に成香を置きて盤面に香を四枚並べたるは終局近く92飛成に對し32角間の時若し此所に香の間駒ありては詰無きを以てなり
○本局最初43歩の所直ちに33金と指せば同桂、43歩、41玉にて以下詰なしと思ふ

---
 91と追加については、1926年10月号に「圖巧八番の訂正」として、52銀を34銀に直し、
い82金合、同龍、同龍、43金、41玉、52金打、同馬、同桂成、同龍、53金、45歩合、52金、同玉、82飛以下(これも詰み)の手順が示されています。

此詰ある事は兵庫縣今田政一氏の注意によつて知りましたので斯様に巧妙な詰手順の伏在して居たのを見落し古名人の大作に對し非難がましい事を申しましたのは全く自分の力の足らなかつた爲めで實に汗顔の至りであります


 この角の遠打を簡明に表現したことで知られる作品。

OT松田作 近代将棋1969年10月

Kinsho70850063

86金、94玉、58角、同龍、85金、93玉、57角、66角、94歩、92玉、
22飛成、同角、93角成、91玉、82馬
まで15手詰

2016年12月29日 (木)

加藤文卓の「圖巧解説」その4

月報1926年4月号

將棋圖巧解説
二峯生

第六番

0006

本局は横三筋に歩を並べて打ち其歩を再び成り捨てゝ玉を寄せる處に妙味ある傑作であります

32銀、同玉、43角、同金、同歩成、21玉、32と、同玉、24桂、23玉、
33飛、24玉、23飛成、同玉、24金、32玉、41馬、21玉、31馬、11玉、
22馬、同玉、23歩、32玉、33歩、42玉、43歩、52玉、53歩、62玉、
73歩成、同歩、63歩、71玉、72歩、同玉、84桂、71玉、81龍、同玉、
93桂生、82玉、92金、71玉、81桂成、61玉、72桂成、同玉、82金、61玉、
71成桂、51玉、62歩成、同玉、72金、51玉、61成桂、41玉、52歩成、同玉、
62金、41玉、51成桂、31玉、42歩成、同玉、52金、31玉、41成桂、21玉、
32歩成、同玉、42金、21玉、31成桂、11玉、22歩成、同玉、32金、11玉、
21成桂迄(81手詰)


變化
43玉の處31玉ならば
41馬、同玉、81龍、51間、32金也

21玉の處41同玉ならば
81龍、51桂間、42歩、32玉、33歩、42玉、43歩にて容易なり

 本局に於て玉方55歩は一見無意味の駒の如く見えますが之れなき時は次の早詰を生じます、即ち
32銀、同玉、24桂、23玉、56角、45香間、同角、同と、33飛、24玉、29香、25桂間、36飛成、13玉、24馬、同玉、25龍、33玉、22龍、34玉、24龍也

45香間の處
(一)45金間ならば同角、同と、33飛、24玉、25歩(此時15玉ならば36飛成也)、同玉、52馬、26玉、17金、同玉、37龍也
(二)45銀間ならば前記と同手順を取り終局17金の處に37銀と指して容易に詰む
(三)34間ならば33飛、24玉、34飛成にて容易

25桂間の處25金間ならば同香、同玉、52馬以下イの變化(一)に合す

---
 この月はこの一局のみ。
 「朝霧」という題名は「将棋評論で名付けたものらしい」(古図式全書第六巻・門脇解説)。

 前後は分かりませんが、久留島喜内の『将棋妙案』に次の作品があります。

第16番

24myouan0016

23歩、11玉、21銀成、同玉、32銀成、同玉、44桂、42玉、43歩、51玉、
63桂生、41玉、51桂成、31玉、42歩成、同玉、52香成、31玉、41成桂、21玉、
32桂成、同玉、42成香、21玉、31成桂、11玉、22歩成、同玉、32成香、11玉、
23桂生、同銀、21成桂、12玉、22成桂まで35手詰

2016年12月28日 (水)

加藤文卓の「圖巧解説」その3

月報1926年3月号

將棋圖巧解説
二峯生述

三番

100003

77銀、95玉、96金、94玉、86桂、同飛生、85金、同飛、95歩、同玉、
96歩、94玉、86桂、同飛、95歩、同玉、86銀、同玉、83飛、76玉、
85飛成、66玉、55龍、同玉、56馬、64玉、65馬、73玉、83角成、63玉、
74馬右、54玉、65馬、63玉、74馬左、72玉、73歩、61玉、43馬、同歩、
51と、同玉、41馬、同玉、42金也(※手数表記無し45手詰)


變化
76玉の所75玉ならば
85飛成、66玉、55龍、同玉、56馬、54玉、65馬也

◆本局詰手順は甚だ巧妙でありますが變化は皆容易であります
終局近く74馬行の所53歩成、同玉、54金、52玉、43金と指したい形も見えますが此時41玉と引かれて逃れとなります

---
 三代宗看と看寿、並び称されていますが、月報の時代は三代宗看の無双の評価の方が高かったように思います。例えば1929年1月・2月の月報に「三代名人伊藤宗看圖式」の図面だけが九九生(=加藤文卓)解説予定で掲載されたことは「加藤文卓の『圖巧解説』」に書きましたが、その紹介として次のような一文がありました。曰く「本書は詰將棋圖式中の最も傑れたもので彼の有名な圖巧以上の名著であることは斯界先輩の普(あまね)く認める所であります」。また「難解の名著」という文言もあります。
 さらに1930年2月、前田三桂の「棋美談語」にも「詰將棋にも數々の書物はあるが、三代伊藤宗看の詰物が其随一である」。1935年8月蒐集狂生「初めて月報を見て」に「第一宗看圖式第二圖巧第三酒井圖式第四九代宗桂圖式」とあり、酒井桂史作は「難解其他の点からして」という観点で高い評価を与えています。
 
三代宗看は無双を知らなかったが、看寿は無双を知っていたから出発点が違うので、並列に論じることはできませんが現代はどうでしょうか。駒場和男のように無双を上位に見る人もありますが、大方は図巧に軍配を上げているのではないでしょうか。
 本局などを見て思うのは、着地がピタリと決まっていて、これが無双との最大の違いではないかと思います。難解さより完成度へという流れで、構想力に差があるとは思われません。おそらく、戦後は看寿の方向性を良しとする詰棋観へ変化したということなのだろうと。例えば次のような表明はこれを端的に示しているのではないでしょうか。
「後に重点を置く思想の裏側は、尻すぼみを嫌うことである。この点では私は初めからはっきりしていて、後半がダレきった長篇というものがどうにも我慢できず、自作にそれが出来てしまうと非常にいやであった」(巨椋鴻之介『禁じられた遊び』)。


四番

100004

35金、同金、46桂打、44玉、35角、同玉、17角、26歩、同角、24玉、
15角、35玉、24角、同飛、25龍、同玉、26金、14玉、15歩、13玉、
22銀生、12玉、11銀成、13玉、14香、同飛、同歩、同玉、15飛、24玉、
25金、33玉、34金、32玉、12飛成、41玉、31と、同銀、52龍迄(※「迄」と「也」が混在している。手数表記無し39手詰)


變化
35同金の所43玉ならば
65角、53玉、42馬、62玉、73銀、同玉、79龍、62玉、52馬、同玉、72龍、62歩間、64桂、53玉、42銀生、同玉、62龍、33玉、32龍也

35同玉の所33玉ならば
42銀生、同玉、51角にても容易なり

26歩間の所26角間ならば
同角、24玉、34金、25玉、35金、16玉、27角也

35玉の所15同玉ならば
16歩、同玉、26金、17玉、27龍也

25同玉の所44玉ならば
54金、33玉、34歩、32玉、22と、41玉、42銀、同玉、43銀也

---
 これにも評言はありません。寂しいので、『象棋奇巧図式』(「古図式全書第六巻」1964年9月・全日本詰将棋連盟・門脇芳雄解説)より。

詰将棋の魅力は色々あるが、やはり捨駒に出て捨駒に還ると云うか、捨駒の妙手の味は何時見ても良いものである。図巧の作品は趣向や構想型の作品で他の作品集に比べてズバ抜けて居るが、本作の様に絢爛たる捨駒妙手の作品も優れている。
17角は主眼の第一着で、26歩合を見込んで一歩持駒を増やす為の渋い妙手。15角から24角と飛香の焦点に飛込み、25龍の飛込みには思わず唸らされる。大駒の連続捨てで実に豪快だ。26金以下は容易な攻めとなる。
構想として深みのある作品とは云えないが、捨駒の技巧を発揮した魅力ある中篇であろう。

 『詰むや詰まざるや』の図巧第四番解説と違い、雄弁ですね。
 「一歩持駒を増やす為」とありますが、これは角を歩に換えるためですね。


五番

0005

63角、84玉、93飛成、同玉、92飛生、83玉、84歩、同玉、85歩、83玉、
82馬、同銀、74角成、同玉、94飛成、73玉、62銀生、同銀、74龍、同玉、
84金也(※手数表記無し21手詰)


變化皆容易なれば略す
筆術者所持の將棋新報社發行の將棋圖巧には此圖の91桂を脱落している
然る時は前記82馬の所74角成、同玉、94飛成、84間、92馬の早詰を生ずる

2016年12月27日 (火)

加藤文卓の「圖巧解説」その2

「将棋月報」(以下同じ)1926年2月号

手順記載についてのお断り
原文は七八角などと漢数字を用いていますが、半角数字に変えています。
「ナル」は「成」に変えています。
当時は駒を打った場合「打」を付けていますが、省略します。
「間」は現在なら「合」ですが、そのままにしています。
原文の変化手順には読点がありませんが、読みにくいので読点を付けています。
なお原文に句点はほとんどありません。そのままです。

將棋圖巧解説
二峯生述

古来詰將棋の作物多き中に三代伊藤宗看の象戯圖式と其弟看壽の將棋圖巧とは今尚今古の傑作として嘆稱されて居ります
前者は從來秘書として世に公にされて居らなかつたのを近年に至つて我月報紙上に連載せらるゝに至り妙手湧くが如き鬼宗看苦心の大作は月を追つて本誌上に詳解發表せられてあります
後者は既に汎く世に刊行されて居りますが其解答たるや只一通りの手順を示すに止まり充分其妙所を味ひ難い憾みが少なくありません
殊に此頃出版せられて居る圖巧の中には圖面及解答の誤と思はれるもの二三にして止まらないやうです
本誌に於て三代宗看の圖式を發表すると共に之が姉妹篇ともいふべき大作圖巧の解説を掲載する事も亦敢て無用の事ではなからうと思ひます

第一番

100001


54銀、75玉、87桂、86玉、66龍、同龍、95角成、76玉、77歩、同龍、
同馬、85玉、15飛、25飛間、同飛、同角、95馬、76玉、26飛、36飛間、
同飛、同角、77馬、85玉、35飛、45飛間、同飛、同角、95馬、76玉、
46飛、56飛間、同飛、同角、77馬、85玉、84飛、同玉、95馬、83玉、
82金、同歩、75桂、同香、84歩、92玉、81銀、91玉、82と、同玉、
72金、91玉、92歩、同角、同銀成、同玉、74角、91玉、82金、同玉、
83歩成、71玉、62馬、同玉、63銀成、61玉、72と、51玉、52成銀、
迄69手



變化
75玉のところ76玉ならば
 67龍、86玉、87龍、75玉、84角成也
86玉のところ76玉ならば
 77歩、86玉、95角成也
25飛間の所
(一)84玉ならば95馬、83玉、82金、同歩、85飛也
(二)75飛間ならば95馬、76玉、16飛、66間、85角、同飛、77馬也
(三)75香ならば95馬、74玉、96馬()85香間、66桂、83玉、82金、同歩、75桂、同銀、73と、同玉、75飛の手順あり
85香間の所()85金間ならば
同馬、同玉、95金、74玉、66桂、83玉、82金、同歩、75桂、同銀、73と、同玉、75飛也
85金間の所85飛間ならば
同馬、同玉、95飛、74玉、75飛右、同銀、同飛以下容易なり
(四)55香間ならば95馬、76玉、16飛、()56歩間、77馬、85玉、76角、同香、95馬、74玉、96馬()85角間、66桂、83玉、82金、同歩、84歩、92玉、81銀、91玉、82と、同玉、12飛成、52桂間、同龍、同角、72金、91玉、83桂也
56歩間の所56香打ならば
同飛、同香、77馬、85玉、76角、同香、95馬、74玉、96馬()85香間、66桂、83玉、82金、同歩、84歩、同玉、95馬の詰あり
85香間の所85金間(飛間にても殆んど同様)ならば
同馬、同玉、95金、74玉、66桂、83玉、82金、同歩、84香也
85角間の所()85香間ならば66桂、83玉、82金、同歩、84歩、92玉、81銀、91玉、82と、同玉、12飛成也
85香間の所85金間(飛間にても難解ならず)ならば
同馬、同玉、95金、74玉、66桂、83玉、82金、同歩、75桂、同銀、13飛成、92玉、81銀、91玉、93龍也
(五)55飛間ならば同飛、同銀、84飛、同玉、95馬、83玉、82金、同歩、73馬也
(六)25香間ならば
95馬、76玉、16飛、26歩、77馬、85玉、76角()同香、95馬、74玉、96馬()85角間、66桂、83玉、82金、同歩、13飛成()73歩間、84歩、92玉、81銀、91玉、82と、同玉、74桂、同角、72銀成、92玉、74馬也
76同香のところ84玉ならば
95馬、83玉、82金、同歩、13飛成、92玉、81銀、91玉、93龍也
85角間の所85飛間(金間にても難解ならず)ならば
同馬、同玉、95飛、74玉、75歩、83玉、82金、同歩、74銀也
73歩間の所53歩間ならば
84歩、92玉、81銀、91玉、82と、同玉、22龍、52桂間、同龍、同角、72金、91玉、83桂也
73歩間の所に難解とならず故に略す
36飛間の所
(一)66飛間ならば77馬、85玉、25飛()65飛、95馬、76玉、26飛、66間、85角、同飛、77馬也
95馬の所65同飛にても容易に詰む
65飛の所75香ならば
95馬、74玉、63角、83玉、82と、同歩、84歩也
(二)36歩間ならば
77馬、85玉、25飛、()75香、76角、74玉、65角、同銀、同銀、63玉、23飛成、52玉、53銀、41玉、43龍、31玉、42龍、21玉、22馬也
75香の所()65香ならば76角、同香、95馬、74玉、75歩、83玉、82金、同歩、23飛成の詰あり
65香の所「55」へ歩香桂の間駒をせば76角、同香、95馬、74玉、96馬以下の變化(四)及(六)の條下を參照せば容易に知らるべし
以下の變化は難解の所なき故略す
本局は圖巧中屈指の好局で遠飛の妙手を以て敵角を56に導き歩詰を避くる手段絶妙といふ外はありません

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 二峯生の前文中、三代宗看作を「近年に至つて我月報紙上に連載せらるゝ」というのは月報の懸賞出題として毎号掲載されていたことを指します。これは加藤文卓の所持本によるものでした。図巧について「既に汎く世に刊行されて居ります」というのは、無双が江戸時代にはおそらく市販されなかったことに対して、図巧は市販の刊本があり、明治以降もこのときまでに20年代の吉川半七版、34年(1901年)博文舘版などいくつかあることを指していると思います。(『古今 詰将棋書総目録』参照)

 図巧第一番の変化をこれだけ詳細に記したものは初めて見ました。
 そのわりに評言はあっさりしていますが、江戸時代の詰将棋書に変化を記したものは管見の範囲ではほとんどなく、作者のコメントも評言もありません。
 第一番は名作といわれていますが、私の記憶に残っているのは
「隊長 『初形図で1六角がないと詰まない、という事実には驚きます』」(『詰将棋探検隊』角建逸)
「図巧1番は『図巧』中3位か4位の作である。それが古今の1位作である筈がない」(「詰将棋トライアスロン」駒場和男)
くらいです。


第二番

100002


27金、15玉、16金、同と、27桂、同と、16歩、同玉、25角、同玉、
36角成、15玉、16歩、同玉、27龍、15玉、25馬、同と、16歩、同と、
24龍
まで21手
(※手数記載無し)


變化
16同との所同玉ならば
38角、15玉、16歩、同と、27桂、同と、16歩、25玉、27龍、26桂、36角成也

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 第二番はこれだけです。
 若島正氏の「夢想の研究②」(詰パラ2015年11月号)に本局のすばらしい分析があるので、読んでみて下さい。

2016年12月25日 (日)

將棋の比喩

 「將棋月報」1940年10月号に、「將棋の比喩」と題してソシュールの『一般言語学講義』が紹介されていたのには驚きました。大哲巳太郎という人の記事ですが、何者なのでしょうか。
 かつて大流行した構造主義を後追いでとりあえず知っておこうと思って入門書の類を買った記憶がありますが、さっぱり分かりませんでした。(笑)
 大哲は1939年5月「詰將棋拾遺」(詰棋欄出題作に対する山村兎月解説の誤りを衝いたもの)で月報に初登場。何度か記事を書いている論客で、作品は発表していないようです。蒐集家だったと見えて、1940年1月号の「昭和十四年度詰將棋界回顧」では前年に発行された新聞、雑誌に掲載された詰将棋作品数を細かく調べ上げています。これによると月報は88局、「將棋日本」は35局、「將棋世界」は32局(いずれも愛棋家作品の数)となっています。

 最近必要に迫られて一讀したものにソシユール原著、小林英夫氏譯『言語學原論』(昭和十五年三月岩波書店發行)がある。
 原著者フエルヂナン・ド・ソシユールは一八五七年ジユーネーヴに生れ、一九一三年にその比較的短い生涯を終るまで、郷里の大學に於て、比較言語學及び梵語學を講じて居た。没後その講義の草案と學生の筆記とを照合して編纂されたのが本書である
 本書は譯者の序に「一般入門書の如く常識の涵養を目差したものではなくして、著者が生涯をあげての沈潜熟思の結晶なのであるから、不用意な通讀によつて理解されうる如き書物ではない。と斷つてある様に、深遠難解を以て解せられ、精緻な理解力を用意してとりかからねばならぬ程、暗示的なまた象徴的な表現をとつて居るものであるが、併し、随所に剴切な比喩形容を挿入して讀者の理解力を援助して呉れるので、知らず知らずに讀まされてしまふ。就中、得意な比喩は將棋の駒の形容であるが、將棋に關する比喩を數個所に見受けたので、次に書きとめて置くことにする。

 『言語學原論』とありますが、これが最初の邦訳書名(1928年岡書院、原書は1916年)で、世界で初めての外国語訳でした。岩波は岡書院から版権を取得したのですが、現在の岩波版は1972年の改訳です。ソシュールと言えば、時枝誠記による批判を思い出しますが、時枝と小林は京城帝国大学の同僚でした。
 出版されたものは、編者によって恣意的に配列が変えられたり意見が差し挟まれたりして、実際の講義に忠実ではなかったことが明らかになっています。

 著者は、『言語の内的要素と外的要素』の一節に於て「言語に關する我々の定義は、我々が凡そ言語の組織、体系に關係なきもの、一言にしていへば『外的言語學の名稱をもつて示しうるものを惡(ママ=悉の誤字)く斥けることを豫定してゐる。と述べて併しこの外的言語を重要な事物を扱ふものであつて、言語活動の研究に著(ママ=着の誤字)手するに當り先づ想到するものは主として之であるとして、外的言語學に於ては、言語學が民族學や政治史に接觸する方面を考へるものであることに言及した後、「内的言語學にあつては、之と全く事情を異にする。それはいかなる手加減をも許さない。言語はその固有の秩序しか知らぬ体系である。」として、更に兩者の區別を明瞭に理解させるために、將棋を引用して居る。
 即ち將棋に於ては、「外的なものと内的なものとを見分けることが、比較的容易である、ペルシヤからヨーロツパに渡つたといふことは、外的事實である、之に反して体系及び規則に關することはすべて内的事實である。いま私が木製の駒を象牙の駒に変へたとしても、体系には毫末の變化も與へない(これは外的方面に就いての比喩である。)然るに駒の數を増減するときは、將棋の『文法』を根底から覆へすであらう(これは内的方面に就いての比喩である。)」(本書三六頁=38頁。尚ほ括弧内は筆者補足)と説明して呉れる。
 更に、斯様に將棋を説明の用に供して、讀者の行きづまりを展開させ、緊張した氣持をほご(ママ)せて居る個所を拾つてみやう。
 科學の對象となる領域の多くでは、例へば、動物學では動物といふものが始めから提供されて居る様に、單位の問題はおよそ問題にさへならず、一擧に與へられて居るのである。或る科學が直ちに認識出來る具體的單位を示さぬときは、それがそこに於て本質的でない證據であつて、例へば歴史にあつてはそれは個人か時代か國民が知らず知る必要ありやの点を明らかにせずとも史書を編むことが出來るのである。「然るに將棋の要領が全く諸種の駒の組合せにあると同じ」(本書一四二頁=150頁)様に、言語は完全にその具體的單位の對立を土臺とするものであつて、人はそれ等を知らずに濟ますわけにはいかず、それ等を手掛りとせずしては一歩も踏み出すことは出來ぬのであると述べて居る。
 又、言語の如く要素が一定の法則に從ひ互に均衡を保つところの記號學的體系に於ては、同一性の概念は價値の概念と本質的に異るものではなく、互に融合するものであつて、これを將棋と比較してみれば納得が行くものと思ふとして、此の場合にも將棋の例を引用している。即ち「桂馬をとつてみる。それは單獨で競技の要素であるか。確かにさうでない。それはその置かれた番の目やその他の競技條件から外に出てその純粋の資料性においてある時は、指手にとつては何んらの意味をもたらさず、それが實在的、具體的要素となるには、苟もその價値を身につけ、それと一体にならねばならぬ。いま勝負の最中に此の駒を割つたとか紛失したとか、したとする。その時は他の等價の駒と代へることができやうか。差支ない。もう一つの桂馬でよいのみか、同じ價値をもたせさへすればそれと似ても似つかぬ恰好のものでも同じものと看做されやう。」(本書一四六頁=154頁
 因に、勿論これは自明のことで、特にお斷りする必要はないかも知れないが、原著者の比喩に好んで提供される將棋は、西洋將棋即ちチエスの場合をさすのであつてこれは日本將棋と少しく趣きを異にする。両者の差異はこまかい点を擧げれば種々あるが、原則として敵から奪取した駒を味方のそれとして使用することのない點が西洋將棋の著しい特徴であらう。又、西洋將棋に使用せられる駒は、日本將棋のそれが平面的であるのに對して、立体的にしてなかなか贅澤なものが多く、象牙に緻密な彫刻を施した美術的なものもある。
 前掲に、著者が「駒を割つたとか紛失したとか」場合に「同じ價値をもたせさへすればそれと似ても似つかぬ恰好のものでも同じものと看做されやう。」と述べて居る個所に就いては、たまたま紛失した『歩』の駒の代用として、燐寸軸或は煙草の箱の一片を急場の間に合せて勝負を争ふのを普通として何人も疑はぬ。かの縁臺將棋の如き光景が想ひ浮ぶであらう。
(中略)
 一九世紀の思想全体を風靡した進化論は、直接間接に言語學にも影響して、ただ發生的角度からのみ言語學を考察し、言語の生の進化法則を見出すこと以外に、何等なすところがなかつたが、著者は、言語の機構そのものは、時間の作用を一應無視し、各辭項の相互依存の關係を直視することに依つて、始めて認識せられるものであり、言語は、その詰(ママ=話ヵ)手にとつては史的事實である前に先づ意識事實であつて、この兩者の秩序を支配する法則は、その性質を異にするが故に、これまた相異る二學科を要請せねばならぬとして、從來の史的言語學即ち著者の所謂『通時言語學』に對して、言語機構の認識たる『共時言語學』の存在を力説して居る。
(中略)
 共時論的なものと通時論的なものとの自律性と相互依存とを同時に示さうと思ふならば……著者は、最も適切なる比喩は、言語の働きと將棋の勝負とのそれであり、いづれの場合にも、人は價値体系に當面し、價値の變更に参加するが、將棋の勝負はいはば言語が自然的形式の下に示すものの人工的實現であるとして詳細な將棋の比喩を示して居る。この部分が、本書中最も將棋の比喩を巧妙に提供して居るから、少し長くなるが、そのまま御紹介して置かう。
 「第一に、競技の一状態は、言語の一状態に該當する。駒のそれぞれの價値は盤上におけるそれらの位置に依存する、同じく言語にあつても各の辭項の價値は、爾餘のすべての辭項との對立によつて定まる
 第二に体系は決して瞬間以上に持ちこたへない、それは場面ごとに變化する。尤も價値はまた主に不易の制約、即ち勝負の始まらぬ前から存在し、指しても指しても存續するところの、競技規則に依存してをりはする。このやうな永久に動かない規則は恒常的原理がそれである。
 最後に、一の均衡状態から他のそれへ、又は ─ 我々の用語法に從へば ─ 一の共時態から他のそれへ移るには、駒を一つずらせばよい、家中の引越騒ぎは起らない。そこに通時論的事實と微細に互(ママ=亘の誤字)つて異るところの對照物がある。詳言すれば
(イ)将棋の一手は唯一つの駒を動かすに過ぎない、同じく、言語にあつても變化は單獨要素の上にしか行はれぬ。
(ロ)それにも拘らず、その一手は体系全体にひびくものである、その効果の限界を精密に豫見することは、指手といへども不可能である。それから生ずる價値の變化はその場次第で、無に等しかつたり甚だ重大であつたり、或はその中間であつたりしやう。某の手が勝負全体の形勢を一變せしめ、それまで死んでゐた駒を俄かに生かすこともある。言語にあつても、之と同然なことは、既に見た通りである。
(ハ)駒の移動は、以前の均衡状態とも以後の均衡状態とも全然別個の事實である。生じた變化はこれら二つの状態のいづれにも属しない。ところで、重要なのは、状態のみである。
 將棋の勝負では、與へられた随意の場面は、それに先立つ場面から解放されてゐるといふ、妙な性質がある。そこへどの道を通つて達しやうが、全然かまはない。勝負を始まりから觀てきた者も、危急の情勢を覗きにきた野次馬に比し、いささかの特典も有しない。その時の場面を記述するには、十秒まへに起つたことを想浮べる必要は毛頭ない。このことはそつくり言語にも當嵌まり、通時論的なものと共時論的なものとの根本的區別を裏書するものである。言は一つの言語状態にしか作用せず、状態と状態との間に入來る變化は言の中に入りこむすきまはない。
 比較が當を得ない場合は、ただ一つある。將棋の指手は初から意圖を抱いて駒の移動を行ひ、体系の上に働きかけやうとする。然るに言語には、前後の考へがない、言語の駒が位置を変へ──否、むしろ變更するのは、自生的であり偶生的である。…將棋の勝負があらゆる点で言語の働きに似るためには、無意識の、又は無知の指手を想定せねばならぬであらう。」(本書一一七頁 ─ 一一九頁=124~125頁

 さて、これまで將棋を引用して説明されたものには數多く接して居るが、學術的な著論中に而もこれ程巧妙に用ひられた例を知らぬし、又本書の如きは、一般の方々にはおよそ縁遠いことと思はれるので、僭越乍ら、以上の如く御紹介させて戴いた次第である。(後略)

 果たして、この記事をどれだけの月報読者が読んだでしょうか?(笑)
 文中、點と点、體と体が混在していますが、原文通りです。太字は現在の岩波版の該当頁です。
 ソシュールはチェスが好きだったようで、「ホイットニー追悼」という公表されなかった原稿(1894年)にもチェスの比喩がありますが、腕前のほどは分かりません。
 『明治事物起原』(1993年1月・日本評論社=1944年改訂増補版の復刻本)によると1860年の遣米使節が持ち帰った物品の中にチェスの本が3冊あり、1868年には『西洋將棋指南』と題するチェス本が出版されたそうですが、「三將棋書に何等か關係が有りさうに思はる」と慎重な書き方をしています。また「將棋の名人小野五平、曾て書生をして西洋將棋法を翻譯せしめ、其差し方を了解し、以來如何なる人と對局するも遂に負けたることなし。依て門前標して日本西洋將棋指南所といふ。惜むらくは、翁の生前、その時代を尋ねざりし」とあります。

2016年12月23日 (金)

加藤文卓の「圖巧解説」

 加藤文卓は「將棋月報」1926年2月号から1929年1月号まで将棋図巧の解説を掲載しました。
 毎号数局ずつで第75番までで終了しました。1926年8月号には「加藤先生病後静養の為め當分解答の調査等繁雑なる事務に當分の間遠ざかることになりました」とあり、詰棋欄の担当は酒井桂史からすぐ山村兎月に移りました。
 その後、加藤文卓は図巧解説のみ、月報に発表しています。
 1929年1月号には「本社では曩(さき)に『八世宗桂圖式』を編纂して天下の詰黨から稱讃の聲を浴せられた九九生氏に乞ふて全部の解説を戴き當月より連載する事になつたのであります」として三代宗看の将棋無双が第48番まで、2月号には第96番まで図面のみ掲載されていますが、解説はないままでした。
 加藤は1929年11月に亡くなっています。42歳でした。
 湯村光造氏が国会図書館に寄贈された月報は、現地に行かなくてもデジタル送信サービスで見ることができ大変ありがたいのですが、その一番古い号は「道樂世界第九十二号將棋月報」(1924年3月)となっています。月報の創刊号は1924年10月号とされていますが、3月号から12月号まで表紙を飾ったのは棋界の名士等の写真です。加藤文卓の写真は10月号表紙にあります。このときは写真が二葉あり、右に「大阪號主幹八段木見金治郎氏」左に「本誌顧問加藤文卓氏」。月報では分かりづらいのですが、眼鏡をかけています。私は一緒に写っているご子息から某氏に提供された鮮明な写真を譲り受けたので分かるのです。写真の公開について某氏に確認しましたが、ご子息の了解がなければ不可でしょうとのことでしたので、やめておきます。
 加藤は開業医でした。1929年1月現在の「新潟縣醫師會會員名簿」に「眼、耳、鼻、咽」「新發田町…」「加藤文卓」とあります。これに遡る1915年6月の北蒲原郡の医師会名簿には加藤文卓とともに加藤文英の名がありますが、これは文卓の父君です。
 月報1924年10月号には、2頁を使って加藤文卓の自己紹介が掲載されています。それによれば、「小學校時代から將棋が好き」だったこと、一時無縁だったが「明治四十一年京都へ出てから再び棋に親しむ事と」なったとあります。約10年間の京都生活の間にいろいろな強豪と対局したことが書かれていますが、詰将棋については何も触れてありません。大正三年、一時帰省、五年再び京都へ。六年大津へ。七年宇和島へ。八年京都へ。九年帰郷。淡々と綴られています。
 京都に来たのは京大医学部に入学したためです。大津では赤十字病院勤務、宇和島では町立病院勤務。将棋のほか、俳句も趣味だったそうで俳句雑誌「ホトトギス」に投句していたとのこと。
 先日、丸一日かけて京都府立図書館で「ホトトギス」のバックナンバーを捲っていたのですが、加藤文卓の名前(俳号は別)は雑詠欄では見つけることができませんでした。雑詠欄は「ホトトギス」のメイン(ほかにテーマに従って投句するコーナーもある)で、俳句界の最有力誌だった同誌雑詠欄の巻頭を飾るのが当時の俳句を志す人たちの目標でした。巻頭は五句、その他大勢は一句です。「ホトトギス」の四Sと呼ばれ、後の俳句界に大きな影響を与えた水原秋桜子、高野素十、山口誓子、阿波野青畝はいずれも巻頭を取って注目を集め、頭角を現しました。巻頭を占めるということは詰パラでいうと、半期賞くらいですかね。
 実は「ホトトギス」を調べたのはもう一つ理由があって、酒井桂史もたびたび俳句をつくっていたようなので、ひょっとしたら酒井も投句していたのではないかと思ったからなのでしたが、桂史の名前はなく俳号が別にあったとしたらお手上げで、こちらも空振りに終わりました。ただし、京都府立図書館にはバックナンバーがすべて揃ってはいないので、欠号に掲載されていた可能性もあります。青畝の代表作「葛城の山懐に寝釈迦かな」とか秋桜子の「梨咲くと葛飾の野はとの曇り」など、愛唱句の初出を見たので個人的には満足でしたが。
 加藤の自己紹介に戻りますが、文中に「大正八年には三度び京都へ出て當時六段早川隆教先生と最初の香落を對局しましたが其れは私の敗戰に終りました」とあります。以前当ブログの「今田政一研究」で「各府縣棋界の情勢 好棋客二十名」という月報の記事に触れましたが、京都の横綱は早川
隆教七段になっています(1927年2月号)。若島正氏の『盤上のパラダイス』(1988年12月・三一書房)に「近所に早川という将棋道場があり」とありますが、この早川と関わりがあるかも知れません。
 1924年12月の月報には「棋狂生」名で10月「十八日新發田町に加藤文卓先生を訪問する」とあり「關根名人より贈つた四段の免状を謹呈し、好意を受けて一泊した」とあります。指将棋の強豪だったようです。

2016年12月18日 (日)

詰将棋作品の解説について


◇中24 入選18回
東京都 山本民雄氏作
☆45・7・24再投稿

Para66705156
27角、同馬、99飛、38玉、57銀、37玉、48銀、38玉、37銀、同玉、
97飛迄11手
(首位)

☆4月号に出題された時も大量の誤解者を出したが、その意味を考えた解者はなかったのであろうか。又しても半数以上の大量誤答である。6月号の解説再掲──
近藤郷─凄!
南倫夫─構想絶妙。今月のナンバーワンでしょう。
☆本手順を答えた方は僅かに18名だけで正解者には例外なく絶賛だった。それ程に斬新な名局であったが…………。──
☆26香を置いての修正である。3手目59飛では57銀に対して58歩合で不詰。
秋元竜司─99飛とはうまい手を考えたもの。そのテーマだけでなく一貫して手順がダレていない。
E氏─前の出題の時の「絶妙の構想」とは銀の動きですか?
☆ちがうんですよ。99飛。この一手……。
柿久桂古─99飛の限定がよい。詰上りも新鮮な感じ。
☆こうなると解者を責めるべきではないのだろう。本作はあまりにも斬新な名局なのだ。平均点三・八二。
山田修司─作意99飛を見て肌に粟を生ずる感。傑作です
北川邦男─すばらしい作品です。この遠打の意味は新しい。看寿賞短篇はこれに決定。
吉田健─脱帽!

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 詰パラ1971年1月号より。1970年11月号の結果稿です。このときの解答者は51名。A20B3C1誤解26無解1得点195。
 あまりにも有名な山本民雄作です。☆は担当者(近藤郷氏)。
 初出は1970年4月号で、玉方26香無しの図。初手59飛、38玉、16角、同馬、39銀、29玉、38銀、18玉、29銀、17玉、28銀、18玉、19飛までの余詰を生じました。26香があれば、手順中の29銀に17玉で堪えています。

 発表されてから50年近く経ったわけですが、この作品はどのように解説されてきたかというのが本稿の主題です。結果稿以外は単行本に限定していますが、見落としがあるかも知れません。
 解説とは、「物事をわかりやすく説明すること。また、その説明」(『日本国語大辞典』
2006年4月第十三巻第五刷・小学館)。「『解』はばらばらに解き分けるという意味を持つ」。「『兌』のグループは外側のものをはぎ取る、または、中身を抜き取るというイメージがある。…説○とく。解き明かす。「兌(はぎとる、抜き取る)+言(ことば)」(『漢字の成立ち辞典』1998年7月東京堂出版)。
 やまと言葉で「解く」とは、「①結んであるもの、縫ってあるものなどをほどく。」を初めとして、「⑨疑問や問題に対する答えを出す。」とあります。(『日本国語大辞典』)。詰将棋で「解く」といえば、この意味ですね。同様に「説く」は「物の道理をことばをついやして相手にわかるように言い聞かせる。理をわけて話す。…」とあります。
 つまり、「解」は作品に対する行為であり、「説」は読者に対する行為です。その点からすると上記の解説は、なぜ99飛であって、59飛や79飛ではないのかという
問いに対する丁寧な「説」が欠けているように思います。もっとも、詰パラの読者は詰将棋愛好者であるから、手順さえ示しておけば狙いは自分で探せるはずという信頼の下に書かれたのかも知れません。それはともかく、ここでは「斬新な名局」と評価しています。
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◇第168番 山本民雄作(11手詰)

(図面省略)

2七角、同馬、9九飛、3八玉、5七銀、()3七玉、4八銀、3八玉、3七銀、同玉、9七飛迄。

例えば7九飛は()7八歩合で逃れ。
 君知るや9九飛。あの山田修司氏をもって「肌に粟を生ずる感」と叫ばせ、詰棋界を揺がした白眉の中の白眉である。角捨と千鳥銀と鋭い9七飛を配して、この9九飛が切さ琢磨されたのである。超越した何かがある。感動を覚えさせずにおけぬ何かがある。半期賞受賞作、嗚呼、君知るや9九飛。

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 「古今短編詰将棋名作選」(詰パラ1976年11月号、1977年2月単行本化)原敏彦氏の解説。
 これは解説というより<ほめうた>です。優れた<うた>が何度でも再生され人口に膾炙するように、原氏の「君知るや」は山本作とともに記憶されました。
 詰将棋界では「君」の一字だけで山本作を思い出すのがマニアらしい。「君」で「君恋し」(フランク永井)とか「君たちがいて僕がいた」(舟木一夫)を思い出してはならないのです。
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(図面省略)

★「君知るや9九飛。あの山田修司氏をもって「肌に粟を生ずる感」と叫ばせ、詰棋界を揺がした白眉の中の白眉である。角捨と千鳥銀と鋭い9七飛を配して、この9九飛が切さ琢磨されたのである。超越した何かがある。感動を覚えさせずにおけぬ何かがある。半期賞受賞作、嗚呼、君知るや9九飛。」
 詰将棋短編名作選の中で、原敏彦氏がこの局に寄せて書いた懐かしい文章である。いかにも原クンらしい熱気に満ち満ちた文章で、面白いのでここにそのまま載せてみる事にした。
(中略)
 本局は、焦点中合による逃れ順を遠打ちによって未然に回避するという斬新な構想作である。簡潔なまとめ方だがさすがに一分の隙も窺うことが出来ない。看寿賞選考会で圧倒的な票を集めながら修正再出題の作であるというくだらない理由で受賞見送りとなった悲運の名作である。

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 「三百人一局集」(詰パラ1981年2月、単行本化も同月)服部敦氏の解説。
 中略部分は、作家について述べています。
 ここでは、99飛の意味付けが正確に語られています。さらに看寿賞に関わる後日談も。ただし「くだらない理由」云々は私憤ともいうべきもので、書く場所としてどうだったか。服部氏の評価は「斬新な構想作」。ここでも「斬新」ということばが現れました。
 「斬新」とは。
 「物事の風情や趣向がきわだって新しいさま。目新しいさま。」(『日本国語大辞典』)
 「はなはだあたらしい。唐代の方言。斬はきはだつて甚だしい意。」この後に杜甫の「斬新」を含む詩が引用してあります。(『大漢和辞典』修訂第二版第六刷2001年10月・大修館書店)
 斬新という評価は、斬新でない作品群を知っているということです。何が新しく、何が古いかを知っていなければならないのです。
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第55番 山本 民雄
『詰将棋パラダイス』(昭和45・11)

(図面省略)

隊長 本作は短編ですが、過去にはない、新しい手筋の遠打ちを見せてくれました。

27角、同馬、③99飛、38玉、57銀、37玉、48銀、38玉、37銀、同玉、
97飛まで11手詰め

隊員A 邪魔駒の3七桂を消去して飛車浮きまで。いかにも短編らしいですね。
隊員B ③79飛でも同じになりそうだけど、なぜ9九に打つんだろう?
隊長 ③79飛だと⑥78歩合とされ、7筋に飛車が重複して最終手ができません。③69飛は⑥68歩合、③59飛も⑥58歩合で同じです。
隊員C 89歩合が利けば、詰まないのにね。
隊長 焦点への中合いを回避するための遠打ち──。以後の作品にも影響を与えました。

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 『詰将棋探検隊』(角建逸1995年12月・毎日コミュニケーションズ)より。
 ③は3手目であること、⑥は6手目であることを示します。
 ここでは、やや不明瞭さが残る「斬新」ではなく、「過去にはない、新しい手筋の遠打ち」と明確に書かれています。遠打そのものは古くからある手筋です。山本作は過去になかった意味付けを遠打に加えた点で新手筋といえるのです。
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第23番 昭和45年度短編奨励賞 山本民雄作
(詰将棋パラダイス 昭和45年11月号)

(初形図、手順省略)

紛れ図 7八歩合まで
16dec18a

 『古今短編詰将棋名作選』(昭和52年詰パラ刊)の解説原敏彦氏の「君知るや9九飛」の名文句で世に知れ渡った飛車遠打の傑作である。
 では何故3手目9九飛でなければいけないのだろうか。例えば7九飛なら5七銀に対して7八歩中合(紛れ図)の妙手があり同飛寄なら飛車が重複して最終手の飛車上がりが出来ないのだ。同様に6九飛には6八歩合、5九飛には5八歩合で不詰となる。つまり9九飛は焦点の中合を事前に回避するための飛車遠打なのだ。
 修正再出題にもかかわらず約半数の解答者が飛車の打ち場所を間違えて誤解となった。9九飛は当時にあっては衝撃的な新手であり、その後多くの作品に影響を与えた一手である。
(中略)
秋元龍司「99飛とはうまい手を考えたもの。そのテーマだけでなく一貫して手順がダレていない」
山田修司「作意99飛を見て肌に粟を生ずる感。傑作です」

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 『看寿賞作品集』(柳田明作品解説1999年10月・毎日コミュニケーションズ)より。
 中略の部分は作家についての紹介です。
 秋元氏の名前が正字になっています。この一文は、それまでの解説を総合したような感があります。
 中合を回避するのに遠打を以てするというのは一見逆説的なのです。遠くから打つから中合を喫するので、近くから打つのが普通だからです。
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(28)
詰将棋パラダイス 1970.11

(図面省略)

27角、①同馬、99飛、38玉、57銀、37玉、48銀、38玉、37銀、同玉、
97飛まで11手詰

①同とは59飛、38玉、39銀、29玉、28銀、18玉、19飛まで
79飛は38玉、57銀、37玉、48銀、38玉、37銀、78歩合で逃れ

 山本民雄の短篇代表作。
 初手の27角は退路をふさぐ意味で、同と(同香成)は59飛、38玉、39銀以下銀ノコで追って詰む。27同馬の応手に同様に追うと、28銀と開王手した時に49銀合をされて詰まない。そこで59飛、38玉、57銀と手を変えて、以下37玉、48銀、38玉、37銀、同玉、57飛まで11手(?)とした解答は誤解である。というのも、37銀と開王手した瞬間に58歩と中合する妙手があり、これを同飛寄と取ると最終57飛が詰みにならないのだ(58歩中合のタイミングは、57銀と開王手した直後であっても構わない)。それでは3手目を69飛と打ったらどうか? 同じように今度は68歩の中合をされて逃れ。3手目79飛なら78歩合というように、2枚飛車の焦点に中合されると詰まない。
 正解は99飛!の遠打。88飛より外側に打っておけば、上記の中合を食らって同じ筋に飛を束ねられることはないという構想だ。99飛に中合をして近づけておく手段は、9段目で高い合駒しかできないために簡単に詰むことにも注目。入玉型の舞台設定も作者の卓越した発想なのである。
 今でこそ、重複を避けるための遠打(あるいは最遠移動)の作例はいくつもあるが、本作がこの構想のオリジナルである。機能的な初形や趣向的な銀の動きなど、これぞ名作というべき作品。蛇足だが、10手目48歩合、同飛、37玉、48金の変化は、合駒がらみの軽微な変長である。

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 『この詰将棋がすごい! 2012年度版』(編集代表者:若島 正2012年7月・日本チェス・プロブレム協会)小林敏樹氏解説より。
 個人的には、小林氏が「開王手」と送り仮名を省略していることや「短編」でなく「短篇」と表記しているところに興味を持ちました。私も「短篇」派です。
 山本作解説の到達点です。従来、付属的なものとして省略されてきた感がある2手目の変化や、入玉型への言及など新しい視点が加わっています。中でも、変長に関するくだりは、これ以前にも詰パラでは見たような気がしますが、単行本としては初めての指摘でしょう。これが「軽微」かどうかは見る人によって大きく変わってくる気がします。
 最初に戻って、結果稿でB3C1という評点がありました。再出題だから辛くなったのか、変長だからAを付けなかったのか、その辺は不明ですが、あるいは解答者の評価に影響したかも知れません。
 上記6解説には名作評価が3名、傑作評価が1名。原氏は「白眉の中の白眉」でこれは名作と同義でしょう。角氏は「
過去にはない、新しい手筋の遠打ち」としか書いていませんが、『詰将棋探検隊』はそもそも厳選百局の名作選なので、あえて名作とは言わずもがなというところでしょう。
 紙幅の関係で、担当者として十全な解説ができなかったものもあると思います。以上の解説紹介は、どれが優れているかを問うためではなく(それぞれが解説者にとっては真実であると思っています)歴史的な経過をみるために紹介したのです。わずか50年ではなく、100年とか200年とかの長いスパンで解説を見ることができる古典の作品があれば良かったのですが、江戸時代の作品評価(解説ではない)は『象戯洗濯作物集』(1706年)くらいしかなく、そこに掲げられた作品の近年の解説については不勉強で詳しくないので。

2016年12月 5日 (月)

開き王手?

つみしょうぎ?

 詰将棋を
なぜ「つみしょうぎ」と読まないか?
 最大の収録語数を誇る『日本国語大辞典』第二版で調べてみました。
 「詰み」は動詞「詰む」[自マ五(四)]の連用形の名詞化したものであり、「詰め」は動詞「詰める」[自マ下一(下二)]の連用形の名詞化したものです。[自マ五(四)]は自動詞、マ行五段活用、文語では四段活用という意味です。

 【詰】ではじまり「つみ…」と読む語は一つだけ。【詰合】「つみあわせ」ですが、「つめあわせ」に同じとあります。出典も明示してあるので、つみあわせと読む例があるのは確かなのでしょうが、原典の誤用か誤字のような気がします。あとはすべて「つめ」です。
 「詰合」「詰碁」「詰請」「詰声」「詰事」「詰込」「詰込主義」「詰小屋」「詰殺」「詰座」「詰催促」「詰酒盛」「詰衆」「詰衆並」「詰所」「詰城」「詰将棋」「詰切羽」「詰袖」「詰茶」「詰切」「詰手」「詰手順」「詰徳利」「詰鳴」「詰並」「詰人形」「詰抜場」「詰登」「詰腹」「詰番」「詰紐」「詰開」「詰夫」「詰吹」「詰船」「詰奉公」「詰細」「詰本番」「詰間」「詰米」「詰町」「詰物」「詰問答」「詰役」「詰遣」「詰行」「詰用心」「詰寄」「詰」(つめろ)「詰牢」「詰論」「詰論議」これらはすべて「つめ」と読み始める名詞です。このうち、将棋と関係があるのは「詰将棋」の他は「詰手」「詰手順」「詰」(つめろ)だけです。
 要するに【詰】ではじまり「つみ…」と訓読みする複合名詞
は基本的にないということで。(適当
 なお、同辞典では見出しに続く漢字表記の「送り仮名は一切省略」(凡例より)してあります。

 次に表記の問題にも触れておきましょう。新聞や雑誌では、詰将棋を「詰め将棋」と書いているほうが多数派だと思いますが、送り仮名の本則に基づいているのでしょうから間違いとは言いません。
 「走り高跳び」は日本陸連の正規表記では「走高跳」です。鄕に入れば郷に従えということが言いたいわけですが。


開き王手?

 今更言うまでもないことですが、詰将棋は王手の連続で詰めます。
 王手のかけ方は二態様あります。
①打った駒あるいは動いた駒がそれ自体で王手をかける場合
②動かない駒が王手をかける場合
 後者をアキ王手(ヒラキ王手)と呼びます。ヒラキ王手とも呼ぶという記載を何かの書物で見た記憶があります。

栗原寿郎作(旧パラ1952/02)

16dec03a 16dec03a2

 これがアキ王手です。王手をかける香は動いていません。

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開き王手(あきおうて)
飛車、角、香車などのいわゆる飛び道具と相手の玉の間に何か自分の駒が挟まっている時に、その駒を移動させて王手をかけること。場合によっては、「開き王手」が「両王手」になるパターンがある。
『日本将棋用語事典』(2004/12東京堂出版)
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 「などの」は龍、馬を指すのでしょう。
 アキとはどういう状態でしょうか。
 アキはアクの名詞形なので、まずアク、アキについて。『日本国語大辞典』で調べてみました。

あ・く【明・開・空】[自カ五(四)]
①隔てや覆いなどが、とり除かれる。閉じていたものが開く。
②そこを占めていたものがなくなる。

 ③以降もあるのですが、代表的なものだけ。

あ・ける【明・開・空】[他カ下一(下二)]。文語形はやはりあ・くです。
①へだてやおおいなど、ふさいであるものを除く。
②そこをしめているものを取り除く。

あき【明・空】『名』〈動詞「あく(明)の連用形の名詞化〉
①物が詰まっていないで、空間のできているところ。あいた所。すきま。空白。
語義としては6種挙げられているのですが、その最初の部分です。
 「あける」は、「あき」が自動詞「あく」の名詞化である以上、外すべきなのですが、あとで関わりがあるので掲げています。

 次にヒラキ、ヒラク。これも動詞形から。

ひら・く【開・披・拓】[他カ五(四)]
一 閉じふさがったものを押し広げる。まとまっているものをほぐして広げる。
①あけひろげる。解放する。

ひらき【開】『名』〈動詞「ひらく(開)の連用形の名詞化〉
閉じ、ふさがっている状態を、あけ広げること。また、そのもの。

 「あく」は、動詞では【明・開・空】なのに名詞では【明・空】になっています。つまり「開き王手」と書く限り、「あきおうて」とは読めず「ひらきおうて」と読むしかありません。従って、「あきおうて」と呼ぶ場合、読みに忠実な表記は「明き王手」または「空き王手」です。「あく」は「開く」と書けるが、名詞「あき」は「開き」と書けないのはヘンですが辞書ではそうなのです。

 『近代日本語における用字法の変遷 -尾崎紅葉を中心に-』(近藤瑞子・翰林書房2001年11月)によれば、他動詞の「あく」は「戸をあける」のような文では、井原西鶴(1642~1693)は「明」を使用し、滝沢馬琴(1767~1848)の『南総里見八犬伝』では「開」を使用しています。同書は尾崎紅葉を中心にしながら明治20年代、30年代の他の作家の用字法にも触れていますが、「あける・ひらく」については鷗外、漱石とも明、開を併用しているようです。
 明治21年の『言海』の「あく」の項には「明」「開」の順で「明」が先に示してあり、当時の他の辞書でも同様とのことです。
 いずれにせよ「空」を「あける」に使用するようになったのは比較的最近のことなのでしょう。

 「あける」と「ひらく」の違いについて明快に説明する本に出会いました。
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あける
「戸を開く。」と言う場合は開き戸のように、中央から前後に開閉するものを指す。「カーテンを開く。」も、左右(両側)に押し開く場合を言う。〈開ける〉は、引き戸やカーテンを一方に開ける場合に使う。
『表現類語辞典』(2009/07東京堂出版)
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 アキ王手が一手で左右に開くことはあり得ず、一方にあけるのです。従って、ヒラキ王手はあり得ず、アキ王手「明き王手」「空き王手」が正しい? ただし、このような使い分けが有効なものとして現在意識されているかどうかは怪しいです。私が見た限りでは、辞典でない辞書にこのような説明をしたものはありませんでした。

次は『基礎日本語1』(森田良行1977/10角川書店)より
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あける〔明ける、開ける、空ける〕他動 自動
隔て、仕切り、内容物などによってその部分が占められている場合、それを取り除いて空白にし、向こう側と通じ、また見通せるような状態に変える。

ひらく
「開く/閉じる」は、「あける/しめる/塞ぐ」と違って、仕切りの向こう側に空間や事物の存在を特に考えない。傷口が開いても別段向こう側と通じるわけではない。…
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 事態としては「ひらく」より「あける」の方が正しそうですが、

 何より気になるのは、「ひらき」が「ひらく」(他動詞)の名詞化であるのに対して、「あき」は「あく」(自動詞)の名詞化だということ。「ひらく」と同列に論じるには「あける」でなければなりませんが、その名詞化+王手は「アケ王手」であって「アキ王手」にはならない。ヒラキ王手もアキ王手も間違いで、アケ王手が正しいのでしょうか?
 
『日本国語大辞典』には「明方」「明暮」「明荷」「明迎」「明六」(あけむつ)など「あけ」で始まる名詞が見えますが、いずれも「する」を付けることができません。王手は動作名詞なので「する」と言うことができ、明らかに違います。空き部屋と空き王手は名詞の性格が違うのです。「明迎」(あけむかい=遊里などで夜明けに茶屋や駕籠屋などから客を迎えに来ること)には「する」を付けることができますが、この場合の「あけ」は明け方のことですから行為としての「あけ」ではありません。
 もっとも、「男もすなる日記」がおかしいように(日記をするとは通常言わない)王手をするも本当は王手をかけると言うべきですけどね。

 なぜ自動詞連用形名詞+名詞の「アキ王手」が気に入らないか。
 詰将棋において王手は大前提であって、攻方が王手をかけずに他の手を考える余地は無い。ということは、つくる場合も解く場合も「あく」こと(王手)ではなく「あける」こと(ふさがっている駒の移動)こそが重要なのだということです。どこに「あける」か、移動のさせ方、させた行き先が大事なのです。他動詞「ひらく」にはその感触がありますが、自動詞「あく」にはそれがない。「ひらき王手」の主体は人間(ここは微妙で、駒かも知れないし、柿木将棋かも知れない<笑>)ですが、自動詞由来の「アキ王手」はあいた状態の記述であって、主体が不在のような頼りなさが残るのは私だけでしょうか。

 ちなみに山田修司氏は「あき王手」(『夢の華』63頁)、巨椋鴻之介氏は「アキ王手」(『禁じられた遊び』134頁)、上田吉一氏は「開き王手」(『極光21』160頁)、若島正氏は「空き王手」(『盤上のファンタジア』61頁)です。これだけで作風の比較までできそうですね。(できるかっ)

 それで今後どうするかですが、今まで通り私は「空き王手」を使いますが、何か?(笑)

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酒井桂史『琇玉篇』解題

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