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2016年11月28日 (月)

類作という言葉

 私の辞書に「類作」という言葉はありません。
 「広辞苑」第6版、「大言海」にも「大辞林」にもない。せいぜい「類似」がある程度です。
 詰将棋では「類作」はごく普通の言葉ですが、否定的な意味を持つ詰将棋用語なのだろうと思っていました。
 ところがある所にはあるもので、『日本国語大辞典』第2版(小学館・
第13巻第5刷2006年4月)に「類作」がありました。

【類作】表現や発想が似た作品。同じような作。

 出典として芭蕉の書簡が示してあったので、該当する書簡を探してみました。

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東藤・桐葉宛【貞享三年三月十四日付】

一、御俳諧よくぞおもひ切て長々敷物を点被仰越候(てんおおせこされそうろう)。乍去余(さりながらあまりに)感心、見るも面白く、判詞、不覚(おぼえず)手の舞足の踏事をしらず候。ケ程(かほど)上達存(ぞんじ)もよらず、凡(およそ)天下の俳諧にて御坐候間、随分御敬(つつしみ)候て御はげみ可被成候(なさるべくそうろう)。
(中略)
句評之事、点は相違有物(あるもの)にて御座候。其段常のことながら、其元(そこもと)に而(て)俤(おもかげ)ある事、爰元(ここもと)にては新敷(あたらしく)、其地にて珍しき句、此地に而は
類作有様(あるよう)の事も御坐候物に御座候へば、句評は心にたがふ事も可有御座候(ござあるべくそうろう)。
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 東藤、桐葉の二人で巻いた歌仙について、芭蕉に、どこが良くどこが悪いかの教え〈点を付ける〉を請うたことに対する返事です。
 歌仙とは、最初は五七五、次に七七、また五七五…と続けて36句になる形式。三十六歌仙にちなんで、歌仙。江戸時代の俳諧はこの形式が多く、現在の俳句は最初の五七五(発句)が独立したものです。俳諧は座の文芸であり、俳句は孤の文芸。芭蕉は俳諧の宗匠であって、こんにちのような俳句作者ではありませんでした。「発句は門人の中、予におとらぬ句する人多し。俳諧においては老翁が骨髄、と申されける事、毎度也」と弟子の森川許六が書き留めています。
 俳諧には例外的に独吟もありますが、大抵は数人で行います。
蕉風俳諧の傑作と呼ばれる「猿蓑」は芭蕉の監修の下、野沢凡兆、向井去来がまとめたものです。芭蕉は全体の流れを見極めつつ、個々に的確な指示を出す大指揮者でした。
 句評之事に続く文は、評価は間違いのあるものだ、愛知県熱田(東藤、桐葉は熱田の俳人)のあたりでは先行作が知られていても江戸では知られていないために新しいとして評価されることもありその逆もある、というようなことを述べているのでしょう。
 江戸時代の日本は広かったのですね。
 そこで有名な一句「寒波急日本は細くなりしまま」(阿波野青畝)。意味が違いますが。

 さて、ここに「類作」がありました。辞典に引いてあるということはこれが初出なのかも知れません。
 類作? そんな言葉は聞いたことがないな、どうせ詰将棋だけでしか通用しない用語でしょ、と言われたときは、330年前に芭蕉が俳句に関して使ってるよ、と答えておきましょう。
 貞享(1684~1688)といえば、五代宗桂の『将棋手鑑』(1669年)、二代宗印の『将棋勇略』(1700年)の間ということになります。
 この時代の詰将棋作家に類作についての意識はあったのでしょうか…。

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