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2016年9月 9日 (金)

酒井桂史をめぐる言説 その3

 下は1925年10月号に掲載された解答成績表です。
192510_2

 そして1926年1月号の解答成績表。
 山村兎月と佐々木香雪は当時の解答王。佐々木は1926年あたりから解答者欄から消えますが、1927年2月号の「各府縣棋界の情勢及び好棋客二十名」の伊丹町の項で横綱となっています。「会社經營資産數百萬圓の富豪」とあります。「資産數百萬圓」はこの当時の名士録の常套句ですが、「毎會夥數景品寄贈」するなど「我等棋友連の尤(ママ)も深く敬愛する處の大家なり」と。
 また、1932年に月報に掲載された「二代伊藤宗印圖式」では、あらかじめ山村兎月が解答強豪に解図を依頼したこと、佐々木に対しては16局(他は8局)依頼し、全題解答したのは佐々木と山本東城、高橋與三郎のみで「他の諸君は断念中止の報に接した」という記事があります。
192601_2
 真ん中の列に注目。酒井桂史が行司に加わっています。

 続いて1926年7月号。
192607_4

 1926年10月号。累進して最上位に。
192610_2

 月報では毎年新年号に名刺広告を出していましたが、この年の一部です。
 酒井桂史は喪中であったことが分かります。
1926_2


 1926年1月号
 「詰將棋解答者列傳」
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丸山正爲君

從來詰將棋の秀才は都會には少く現在斯界の大家は何れも邊土に多い、越後に於ける加藤先生、門司市の山村、兵庫縣の酒井、青森の三井、四國の加藤温水、伊勢の奥坂、滿洲の佐田の諸氏は殊に著名である。
…前記大家は山村と酒井兩氏の外は五段四段で…
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 1926年1月号
 櫻井三桂「奥戸村より」
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將棋の友社を起して僅か半歳あらゆる苦闘も遂にその甲斐なく遂に解散の運命に陥りしは世の不影(ママ)氣が原因か將又(はたまた)自分の非才の為す處か(中略)私の企ても萬更徒爾に終らなかつた事だけは自覺してをります、殊に詰將棋の天才酒井桂史君及び斯道に造詣深き前田三桂君を棋界に紹介したことは頗る私の快心事とするところであります
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徒爾=無意味

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