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2016年9月14日 (水)

酒井桂史をめぐる言説 その5

 「詰棋めいと」酒井桂史特集号にある文章は紹介不要と思っていましたが、「詰棋めいと」がそれほど出回っているとも思えないし、その中にある「盤前漫筆」は冒頭に句を掲げたり、行替えや句読点を補ったりといった編集がなされているので、原文そのままを掲示しておくことも意味があるかなと思います。
 もっとも、原文は縦書きなのに、横書きはけしからんといわれれば一言もありませんが。

 1926年8月号
 「盤前漫筆」酒井桂史

将棋図巧第83番

100083

43飛成、同龍、55歩、53玉、43金、同玉、42飛、34玉、44飛成、25玉、
24龍、36玉、26龍、47玉、37龍、58玉、67龍、49玉、69龍、38玉、
39龍、47玉、48龍、36玉、37龍、25玉、26龍、34玉、24龍、43玉、
33龍、52玉、42龍、61玉、51龍、72玉、71龍、83玉、82龍、74玉、
85龍、73玉、74歩、72玉、82龍、61玉、71龍、52玉、51龍、43玉、
42龍、34玉、33龍、25玉、24龍、36玉、26龍、47玉、37龍、58玉、
67龍、49玉、69龍、38玉、39龍、47玉、48龍、36玉、37龍、25玉、
26龍、34玉、24龍、43玉、33龍、52玉、42龍、61玉、31龍、72玉、
71龍、83玉、82龍、74玉、85龍、73玉、74歩、72玉、82龍、61玉、
71龍、52玉、51龍、43玉、42龍、34玉、33龍、25玉、24龍、36玉、
26龍、47玉、37龍、58玉、67龍、49玉、69龍、38玉、39龍、47玉、
48龍、36玉、37龍、25玉、26龍、34玉、24龍、43玉、33龍、52玉、
22龍、61玉、31龍、72玉、71龍、83玉、82龍、74玉、85龍、73玉、
74歩、72玉、82龍、61玉、71龍、52玉、51龍、43玉、42龍、34玉、
33龍、25玉、24龍、36玉、26龍、47玉、37龍、58玉、67龍、49玉、
69龍、38玉、39龍、47玉、48龍、36玉、37龍、25玉、26龍、34玉、
24龍、43玉、23龍、52玉、12龍、61玉、21龍、72玉、71龍、83玉、
82龍、74玉、85龍、73玉、74歩、72玉、82龍、61玉、71龍、52玉、
51龍、43玉、42龍、34玉、33龍、25玉、24龍、36玉、26龍、47玉、
37龍、58玉、67龍、49玉、69龍、38玉、39龍、47玉、48龍、36玉、
37龍、25玉、26龍、34玉、24龍、43玉、13龍、52玉、22龍、61玉、
31龍、72玉、71龍、83玉、82龍、74玉、85龍、73玉、65桂、72玉、
82龍、61玉、71龍、52玉、51龍、43玉、42龍、34玉、33龍、25玉、
24龍、36玉、26龍、47玉、37龍、58玉、67龍、49玉、69龍、38玉、
39龍、47玉、48龍、36玉、37龍、25玉、26龍、34玉、24龍、43玉、
23龍、52玉、53桂成、61玉、62成桂、同玉、51角成、同玉、53龍、61玉、
62金
まで261手詰

53桂成、同金、23龍、51玉、51角成以下。

※原文には図面も手順も無し。


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將棋圖巧第八十三番は二百五十手の大作であつて其の趣向は例の角の利き道を辿つて詰方の龍が王をあちこち追廻は(ママ)のでありますが盤面の或
る箇處で玉方の歩を捕獲し途中で其の歩を使用しつゝ盤面をぐるりと一週(ママ)し、再び歩を手に入れてくるりと一週(ママ)し數度これを繰返へして、どゞ、桂を捕獲し此を使用して巧みに詰の手順に導く趣向であるは云ふまでもありません、斯の如く龍が面倒な手順を繰返へして盤面をぐるぐる轉廻するのは此の場合詰の都合上龍玉の活動にのみ視點を置く事にします
其の目的が桂を捕獲するに在ります。此の事は、丁度、勤め人が其の勤務先と自宅との間を寒暑晴雨に拘はらず毎日毎日時計の振子の如く往復し、其の往復する目的が月給を得るに在ると見て見られなくはないのと趣きを等しくして居ます。詰將棋を單に詰將棋として味はふ許りでなく更に是を人世百般の事務に當箝めて味はつて見ますと、其所に一種珍妙な面白味を感得する事が出來、此の世の種々相が盤面に彷彿するを覺へるでありませう、そこでやゝ誇張に失する譯ですけれど「詰將棋即浮世」と云つて見度いのであります
    ×    ×    ×
   三代宗看圖式禮讃
 大空の果てなきに聴く秋の聲
   圖巧禮讃
 月光の身にしむ思ひうなだるゝ
    ×    ×    ×
私の知つてゐる範囲内では將棋創成期時代の作圖には入玉模様の作圖は少く時代が進むに連れて追々と多くなり、三代宗看々壽時代になると圖式の約三分の一迄はそれのやうです何故創成期時代に入玉模様の作圖が少いかと云へば私の考へでは此の時代の作圖は主として實戰より轉化したもの、若しくは實戰に現はれるやうな形を睨めて作爲したものが多い所以で、實戰に於ては入玉模様となる事は餘り多くないのですから、自然圖式にも其の現はれ方が少ないのではないでせうか。それが時代が進むに連れて棋界一般の技術も進歩し實戰といふ事よりも趣向といふ事に重きを置くやうになり、前人の餘り指を染めなかつた入玉模様のものに追々と其の開拓の鍬を進めて行つた爲め、自然圖式にも其の結果が現はれて來たといふ事になりはしないでせうか。斯く觀來れば今後詰將棋創作界の進むべき道が那邊にあるかが自ら暗示されてゐるやうに思はれるのであります
一體、入玉模様の詰將棋は詰方にとつて少々厄介で大抵の場合、桂以下の少(ママ)駒よりも銀以上の大駒に其の活動を期待する事が多く、且つ玉方の駒が一寸でも動けば直ちに「ナル」といふ脅威があつて其所には可なりなハンデイキヤツプが附せられてある譯であります。
從つて入玉模様の作圖を創作するに當つては然らざるものを創作するに比し、多分の苦心が必要となります。併しそれだけ作者の手腕を發輝(ママ)するの餘地があると云ふものです
    ×    ×    ×
詰將棋に詰上りが形象をなすものがあるのは申す迄もありません。現に本誌に秘曲集と丸山正爲氏作のイロハ字詰とが掲載されてゐます、因に私もイロハ字詰を製作しましたがこれは私の獨案になるものと許り思つてゐました處、丸山氏にも其の創作がありますかく詰上りに形象を爲さしむるといふ趣向をもう一歩進めて初めも終りも然かせしめる、例へば最初盤面に並らべた形がの字になつてゐるそれが詰の最後に於ての字の形になり、二字合して「春」といふ意味を爲すなどゝ云ふ様なものは出來ないものか知らぬと私は常々空想して居るのであります。これは非常な難物でありませう。が必ず出來ると保證し得ないと同時に。又必ず出來ないと保證する事も出來ないと思ひます。現今より棋界の技術が遙に發達した曉には天才が出現して或は作出さないものでもあるまいと思ふのであります。
    ×    ×    ×
棋界に對する希望を申述べたいと思ひます
一、現在の高段名手殊に關根名人花田、木村兩八段の創作せられた詰將棋を盛んに發表して頂き度いと思ひます、私共は渇時に清水を望む思ひに居るのであります、此の望みが達せられたならば我々平凡作者は稗(ママ)益を受ける事も定めし多いでせうし又非常な鞭撻ともなりませう
一(ママ)、右香落の復活、現今右香落を指さないのは別に大した理由がある譯ではなく、左香落に比較して興味が少ないからだといふ事ですが、其の理由が何であらうと獨り右香落のみを繼子扱ひにするのは將棋道より見て何となく面白くないやうに思はれます
三、將棋古書の覆刻近頃何々全集などゝ銘を打つて古昔の書籍が盛に覆刻されるやうですが獨り我が將棋古書に關しては何等かゝる企ての行はるゝを聞及ばないのを遺憾に思ひます、此際月報社に於て他に率せんして此の種の事を實行せられては如何ですか、さしづめ八世宗桂圖式出版の意義を延長し九世宗桂圖式の出版を企圖せられては如何
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1941年9月刊の櫻井蘇月『寺の庭を掃きつつ』に収録されている「盤前漫筆(其二)」では二百五十手になっています。

原文は縦書きなので、「ぐる」の後ろは「ぐる」でなく、"くの字点"です。「く」の字を細長くしたような記号。

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