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2016年9月 8日 (木)

酒井桂史をめぐる言説 その2

 昨日の滑稽詰將棋の解答です。

192504

12飛、21玉、11横香まで3手
横向き香は基本手筋なので覚えておきましょう(笑)

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 月報社版『八世宗桂圖式』についての酒井の感想は紹介しましたが、不具合の指摘もしていたのでした。
 月報1925年5月号に加藤文卓が
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◆八世宗桂圖式第五十四圖に早詰ある事兵庫縣酒井新十郎氏より通知がありました即ち
三七桂、一五玉、二四銀不成、同玉、二五歩、同馬、三三角ナル、三五玉、三六歩、同馬、三四馬迄如何にも見事なる早詰であります編者は輕卒にも之を見落したのです此早詰を消失させる爲めに二三に詰方の歩を加へたいと思ひます
◆同書第五圖の解答中變化の部に逃れある事矢張り同氏より通知がありますが調査して次號に發表致します
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と書いています。


『将棋大綱』第54番

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37桂、15玉、24銀生、同玉、33角生、34玉、35歩、43玉、42飛成、54玉、
44龍、65玉、55龍、76玉、66龍、87玉、77龍、98玉、89銀、同香成、
99歩、同玉、97龍
まで23手詰




 攻方23歩配置で完全です。


『将棋大綱』第5番

110005


44金、同玉、49香、53玉、23龍、62玉、53龍、同香、52金、同玉、
64桂、61玉、62歩、同玉、71角生、61玉、72香成、51玉、62角成、同馬、
52歩、同馬、同桂成、同玉、43角、42玉、21角成、43桂合、同香生、51玉、
52歩、同玉、44桂、51玉、41香成、同玉、42歩、同玉、43歩、51玉、
52歩、41玉、32馬
まで43手詰

 6月号に解説がありました。月報社版『八世宗桂圖式』はもちろん持ち合わせていませんが、察するところ加藤文卓が持駒と変化手順を誤っていたようです。

誤った変化
44金、同玉、49香、53玉、23龍、62玉、53龍、同香、52金、同玉、
64桂、61玉、62歩、同玉、71角生、61玉、72香成、51玉、62角成、同馬、
52歩、同馬、同桂成、同玉、43角、42玉、21角成、51玉、52歩、同玉、
44桂、51玉、41香成、同玉、42歩、同玉、43歩、51玉、52歩、41玉、
32馬
まで

43桂合、同香生、51玉、52歩、同玉、44桂、51玉、41香成、同玉、32馬、51玉、33馬、42飛合で逃れ。

 持駒香歩3の歩が1枚不要として加藤が香歩2に変えたために、43桂合で詰まないと酒井が指摘したのです。しかしこの変化は早詰があり、72香成のところ72桂成、51玉、52歩、同玉、53角成、同玉、54歩、同玉、65銀、同玉、53玉、54香まで。
 酒井からはさらに続報があり、玉方27とを37とにすれば香歩3が必要となる(ただし作意は49香でなく46香になる)ことを喝破しています。その場合でも、72桂成の余詰があります。




大綱第2番

110002

45金、同角、47桂、44玉、45歩、同玉、37桂、同香成、54角、34玉、
25龍、33玉、35龍、34桂、44龍、32玉、43角成、41玉、42馬、同龍、
同龍、同玉、43歩、同玉、41飛、42歩、44銀、52玉、61角、62玉、
72角成、同玉、83金、62玉、51銀、71玉、42銀成、61歩、72歩、62玉、
51飛成
まで41手詰

 さらに第2番について、月報社版では32歩を加藤が追加していたらしく、酒井が32歩は不要で、玉方11歩追加でどうかと加藤宛の私信で提案したとのことで、
加藤は「玉方一一歩は誠に見事な追加で之れにて此図は完成されたものと思ひます。同氏の技倆の非凡なる唯驚嘆の外ありません」と感心しています。
 第2番はいろいろな図が伝わっているのですが『八世宗桂圖式』がこの図だとしたら11歩追加で23龍、同玉、45角、34桂合、同角、同玉、35金、33玉、11角とする早詰はなくなります。ただし、
71飛合で変長のままですが、当時はまったく気にしなかったと思います。
 『木葉 附将棋大綱』(1970年7月・詰将棋パラダイス編集部)には加藤文卓案として「玉方11歩及び32歩を追加する」とありますが、これは誤りで、32歩追加を加藤は撤回しており、11歩は酒井が追加した、というのが正しいです。



大綱第24番

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25桂、同玉、24飛、同玉、15角、同と、25歩、同玉、37桂、24玉、
25歩、同と、14金、33玉、23角成、同飛、25桂、同飛、34歩、同桂、
42銀生、22玉、13金、21玉、12金
まで25手詰

 続いて7月号。「八世宗桂圖式第二十四番の解答中一三玉の時二四角と指さずに二五桂と打ちて早詰あり故に一五角に對し同とと取る方が本手順ならんと注意を兵庫縣酒井氏より寄せられました」とあり、作意手順の記載が誤っていたことが分かります。即ち13玉、24角、同玉、25歩以下の作意になっていたのでしょうが、24角でなく、25桂、同と、42角成、15歩合、同香、同と、同香、14歩合、25桂、同飛、12金まで。



 同年10月号、高橋與三郎「將(ママ)眞田に就て」より。
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今回解答されました諸君に差上げました將棋眞田中一番、五番、十番は酒井桂史氏の注告により訂正したるものです
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とあります。前月9月号で5局出題中3局以上の正解者には先着30名に限り1冊ずつ『將棋眞田』進呈とあった文を受けたものです。


 同年11月号、高橋與三郎「將棋眞田の校正」より。
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幸に月報誌上を以て諸君に照會したる縁故を以て主として當今詰將棋界の名手とも稱すべき酒井桂史君に依頼して研究を乞ひしに豈圖からんや綿密なる調査月餘に亘り多數の而も困難なる余(ママ)詰手餘り詰まず手を發見して一々丁寧に解説を送られたるには一驚も二驚もしました(以下略)
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 同年12月号、高橋與三郎「將棋眞田の再校正と詰物に就きての感想」より。
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誌友酒井桂史君指將棋の力量はいざ知らず詰物構成の智慮に富めること希世の天才と謂ふも過稱にあらざるべし聞く所によれば詰上がり片假名文字形態に構成したる詰手既に二十六局も成案ありしといふ早晩之を完成し發行されたらんには如何に天下の同好者に歡迎さるゝか又いかに編者の快感深かるべきか想像するに餘りあり桑原君仲以來の手腕家として余輩の敬仰する詰將棋界の名手なり
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 『詰手百番 將棋眞田』は1925年刊。その修正再版は1930年刊。
 月報1925年6月号「新刊詰手披露」によると、高橋與三郎は福島県で小学校の教員をしていた1903年頃地元紙に作品の一部を掲載、それが井上義雄八段の目にとまり出版を勧められたそうです。1906年に官吏になり1908年岐阜県に転任、1924年に退官と自身が記しています。
 文中に酒井があぶり出し曲詰26局を完成しているという記載があります。山村兎月編『將棋王玉編』には26局のイロハ字詰がありますが、その出典は酒井自筆の『王玉篇』(所在不明)であると言われています。

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