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2016年9月19日 (月)

酒井桂史をめぐる言説 その9

「桂詰」解答募集中です。締切9月25日。


 1931年4月号 懸賞詰将棋解説欄
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酒井先生御宅へ目下大病人ある由、先生作圖は今月號に限り一回丈け休載致します悪からず諒されよ
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 この年は3月号の後4月号が抜けただけで、12月号まで毎月発表しています。


 1931年9月号 清水清
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…尚詰棋界の權威酒井桂史氏の毎號の御出題月報に取つて此の上もない喜ばしいことゝ思ひます
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 1931年9月号 第三部

1094

41桂成、同玉、49香、51玉、42香成、61玉、52成香、71玉、62成香、81玉、
72銀、91玉、81金、同金、同銀成、同玉、72成香、同玉、83歩成、61玉、
72と、51玉、62と、41玉、52と、31玉、42と、21玉、32銀、11玉、
21金、同金、同銀成、同玉、32と、同玉、23歩成、41玉、32と、51玉、
42と、61玉、52と、71玉、62と、同玉、63金、51玉、52金打
まで49手詰


 解説10月号 丸山明歩(正爲)

本局は酒井先生の妙作駒配置の面白きのみならず居城を出で兩雪隠を廻り居城で詰むの趣向興味湧くが如くであります

田中氏曰く 桂成に依て香打を作り成香とと金の活躍にて玉を時計の振子の如く左右に振廻し結局元の鞘に納まり終る處面白し
駒數少なきに手數五十手に近く作者酒井先生獨特の妙棋と敬服の外ありません

鶴田氏曰く 珍らしき駒配置玄妙なる手順全く棋の境地に遊ぶの感がありました、巧妙なる名作只々敬服の外ありません

宮坂氏曰く 本局は四一桂成にて捨にて玉頭を開き香打にて兩方共袖下迄玉を追込み火花を散らしての終局は角力の大關にでも勝つたやうな氣持が致しました

木村氏曰く 成香とと金で王將を往復させる邊、將に千兩只々妙作との一言につきる

佐々布氏曰く 三部始まつて以來の最長手數確かに二部程度の難局です、曲詰としても斯様に五筋を中心に同様な詰方が二通りあるも一面興味津々たるを覺へ(ママ)ます

花木氏曰く 作者の苦心を感服の外ありません

河野氏曰く 酒井先生の御作の由是でも詰手があるかと思ひました、實に面白いものです金銀を懐中にして成香とと金の膝栗毛一幅の名畫のやうです
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 出題図には作者名がないのに解答者がなぜ酒井作と知っているかというと、9月号に丸山明歩が「選者より 本圖及び第五十二番は詰棋界の權威酒井先生が本欄の爲め特に御創作を願ひしもの毎號出題します」。さらに、「六十番は酒井先生の妙作必ず妙味津々たるを盤上に味はれる事と期待して居ます」と書いていたからです。
 しかし、7月2局、8月2局、9月号に本局、10月号(取消不明作)に発表しただけで、その後は第三部への登場はありませんでした。


 1933年8月号
 詰將棋大全集
 「ことば」酒井桂史
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初代宗桂作「將棋力草」より「將棋玄奥」に至る全二十一巻の上梓---これが詰將棋大全集刊行のプランださうである。誠に近來の快擧といふの外なく、我々詰將棋黨は其完成の一日も速かならん事を希ふのみである。
從來此種の企ての試みられた事は二三に止まらなかつたがいつも龍頭蛇尾に終るを常とした。これは此種書籍の讀者數が或少數範圍内に限定せられ、利得よりも損失の機會が多く加ふるに起畫者に利益を度外視する程の氣魄が欠けてゐたに因るものと推定する。然るに今回は然らず、岩木氏等の目的が斯界に貢献せん一念に在り、利損を無視し、如何なる障礙をも打破して通る底(ママ)の熱心さを持たるゝのであるから、此の難事業も案外易々と爲しとげらるゝのではないかと私かに思つてゐる次第である。
詰將棋圖式上梓には技術上特種の熟練を要し、而も校正の嚴密を必要とする事、他に其比を見ない一歩の脱落、一香の逆倒すらも圖式の生命を全然無にして了ふ。かゝる誤脱は作者に對する大なる非禮であり、併せて讀者に對する大なる非禮でもある。詰棋に造詣深き岩木氏等はこんな事は一日も二日もズント御承知であるから、萬に一つの誤も無き事と確信する。從來發行の詰棋書を見る毎に覺ゆる不快感から。(ママ)今度こそは完全に解放して頂き度いと呉々も希望するものである。
以上ほんの一言管見を記述した。
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「諸名家の言葉」として前田三桂、酒井、高橋與三郎、熊田藏之(岩木・小林氏の友人?)、丸山明歩の順に推薦の言葉が並んでいます。
 この試みは、「百部以上を刷らなければ算盤が取れ」ないところ、「我々は最少三十の時には後の部數は負擔しても宜しいと思つて居た」が申込者「十名内外」に終わり、大欠損のため断念せざるを得ない結果となり、第一回の『將棋妙案』を配本したのみでした。第二回は『將棋舞玉』が予定されていました。
 この『將棋妙案』は100部くらい刷ったのか、1934年5月号と6月号、9月号に広告が掲載されていました。

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