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2016年9月16日 (金)

酒井桂史をめぐる言説 その7

 1927年2月号
 人氣投票中間発表3回目

192702

 1927年3月号
 「各府縣棋界の情勢及び好棋客二十名」
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◆西宮市と御影町
兵庫縣下は本誌讀者の多い所である東京大阪は別としたら第一位である…
縣下を通じて本社直送の分が約二百部で大阪號も百部以上發送されて居るので人氣投票の最高点者三者共同縣下であるに見ても想像されるであらう
前田酒井兩氏の得點の中三百点位は同縣下から投票されて居る若し縣下協力したならば一萬五千票位あるから人氣投票を左右する事ができたであらう
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 1927年3月号
 「養眞圖式存疑」(六)前田三桂
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私の書き立てる養真圖式存疑の出鱈目が、大分讀者の興味を呼び、注意を引く様になつて來た模様である。詰將棋黨の猛將酒井君や丸山君や高橋君や山村君や其他の諸君から、讃辭や御注意を頂き、御援助下さる事を厚く感謝致します。
新年號に私の寫本には、序文が缺けて居る事を書いたが、温厚篤實な酒井桂史君から早速鄭(ママ)寧に浄書して送付して下さつた。

養眞圖式第56番

080056

24角成、同玉、25金、同玉、15飛、24玉、23金、同玉、13飛成、32玉、
22と、41玉、11龍
まで13手詰

私は色々考へ抜いた結果、終に匙を投げて仕舞つた、而して「詰まない」と引導を渡したのである。
或は又私の寫本に誤脱が有るのではないかと疑つて、私の意見を附記して、酒井君の所持本と照合して貰つたが、誤脱はなかつた。氏は熱心なる研究家である丈けに參考圖として掲記せる様な修正案を立てられたから、氏も詰のない事を承認された様である

參考圖

080056_2

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 1926年10月号から前田三桂の「養眞圖式存疑」が連載されます。三代宗與の悪名高い図式で真剣に見たことがなかったのですが、酒井の名があれば拾わざるを得ません。
 第56番は不詰で、44玉で逃れます。酒井の参考図は完全です。


 1927年3月号
 「讀者の聲」酒井桂史
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◆所感
丸山正爲氏のイロハ字詰は圖巧解説及び養眞図式存疑と共に近來の詰將棋界に於ける最も意義ある収穫の一つでありませう嘗つて拙作を前田三桂氏に批評して頂きました時曲詰として面白からぬものがあつて散々に叱られ且つ曲詰は曲詰臭くなく作る事即ち妙手を多く入れ難解のものたらしむべき事等の御注意を受けた事があります丸山氏作は以上の條件にピツタリと適合するやうに拝見致しますそして趣向の立て方が融通無碍であります私は大いに啓發されたのであります何卒今後共益々勤加精進せられん事をお祈りして已みませぬ全局の發表の終らんとするに當り潜(ママ)越ながら一言所感を申述べました
(桂史生)
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◆御挨拶
拝啓今度は私の我儘と並びに病弱の故を以て強ひて詰將棋選定の大任を辭退させて頂きました是に就いて深く感謝する次第であります又在任中玉稿を寄せられました寄稿家諸氏に對して厚く御禮申上げます右簡單乍ら一言御挨拶迄草々
(酒井桂史)
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 1927年5月号
 「何にやかや」丸山正爲
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木見先生の修正圖や酒井氏の考案になれる圖も二三見へ(ママ)ますが是もホンの一部分らしく元來此事たるや容易ならざる難事業であらうが…詰將棋を生命とする本誌には幸い(ママ)加藤先生を將神に頂いて酒井氏、山村氏、瀧谷氏等の猛將相次ぐの賢實な陣容、養眞圖式の赤子の如きを料理するは朝飯前は愚か目醒めの欠伸より容易であらう
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 1927年5月号
 「雪ふる日」櫻井三桂
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將棋の友を發刊しておつた頃先生から手數五六十手以上の頗る變化に富める詰將棋一局を送稿されたことがあつたが中途に餘詰ありて遂に掲載せなかつたが惜しい傑作であるから更に訂正して誌上へ發表されたいものである
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 1927年6月号
 「素人棋客人氣投票の結果」
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 編輯部員が最も嚴正なる査定を經たものであることを明言します從つて何時其筋の調査に接するとも差支なきやう總ての投票を一ヶ年間保存して置きます
…兵庫縣は本誌購讀者の最大多數を占めて居り、其地の讀者が用紙を有効に使用せられた爲と思ひますがそれには佐々木 前田 酒井氏の如き人氣ある棋友の存在するも一因となつてゐるやうです
 前田 酒井兩氏の得票一兵庫縣に止まらず殆んど全國から來て居ます。
…〆切近くになつて二百三百と小包郵便で送つた人さえあつて其熱心さに驚きました

192706
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 1927年8月号
 「讀者の聲」酒井桂史
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◆兩先生へ
前田三桂先生、櫻井三桂兩先生へ申上度毎度御厚情忝く致し感銘罷在候兩先生が陰に陽に小生を鞭撻奨勵下され候は感謝の外御座なく候
小生は此の御期待に副ひ度きもの常に心掛け居候へども菲才鈍骨の悲しさ之を得ず兩先生に對し申譯なき次第と存居候。兩先生には今後共に破邪顯正の麗筆をお振ひ下されん事を切望に堪えず候
七月號にて御挨拶申上度く投書仕候へども締切日に遅れ申候間茲に改めて御挨拶申上候時下殘暑さ(ママ)の砌御自愛専一にと祈上候
八月一日 酒井桂史
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 1927年8月号
 酒井桂史
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拝啓此度計らずも第三位に當選致候は偏に讀者諸君の御芳情による所と深く感謝仕候小生の將棋は全く獨学獨習にて自然人様に御聞かせするに足る棋歴などは一向に御座なく候趣味として詰將棋の製作に没頭致居候へ共何時迄も低所に低回致居る有様に御座候此の菲才にも拘はらず從來陰に陽に鞭撻奨勵下されし前田三桂。加藤文卓櫻井三桂の諸先生方に對しては小生は常に感銘深く能はざる處に御座候
先は右略儀乍ら御挨拶申上候敬具
 七月六日 酒井桂史
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 1927年9月号
 「養眞圖式存疑」(十一)前田三桂
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酒井君は非常に温厚な、懇切なる方である。私は同君と頻繁に文書の往復はするが、實はまだ一面識もない。夫にも拘はらず、私の存疑に深き興味を持たれ、養眞圖式百番の同圖を丁寧に浄書して送與せられた。氏が陰に私の此企てた(ママ)援助を惜しまれざる好意に對して深く感激しました
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 1927年9月号
 「讀者の聲」
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◆文藝倶楽部に酒井先生の出題
文藝倶楽部十月號は九月一日發行になつた、編輯たよりに當月は花田八段が二百圓懸賞詰將棋に出題して居るが何れ詰將棋創作家として名人酒井桂史先生が出題する云々とあつたので其の實現を楽しんで居たに早くも十一月號に登載することになつたのは斯界の爲大に喜ばしい事で定めし十一月號は一層研究解答者が多數であらうと信ずる、酒井先生の巧妙なる作物の登載は一般棋客に興味を與ふるは勿論であるが又職業棋士への覚醒ともなり優劣比較研究するも亦一興であらう(東京川島生)
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 1927年9月号
 「◆文藝倶楽部の懸賞詰將棋」

Photo

0337

13飛、同飛、同と、同香、54飛、15玉、55飛、14玉、54飛、15玉、
16歩、同馬、同金、同玉、18香、同と、38角、15玉、55飛、25歩、
同飛、14玉、15飛、同玉、16歩、14玉、47角、25歩、同角、24玉、
43角成、35玉、36歩、45玉、46歩、56玉、65馬左、67玉、76馬、78玉、
87馬、89玉、98馬、78玉、87馬右、67玉、76馬、56玉、89馬、55玉、
45馬、64玉、86馬、65玉、77桂、74玉、85馬、83玉、94馬、82玉、
83歩、92玉、84桂、91玉、82歩成、同金、92歩、同金、81馬、同玉、
72馬、91玉、92桂成、同玉、83金、91玉、82馬
まで77手詰


 この図は紹介済みです。
 第1回土居八段、以下金八段、花田八段と続いて第4回目が酒井でした。丸山正爲は翌年3月号に掲載されたようです。(月報1928年2月号の丸山正爲「詰手數に就て」に依る)


 1927年12月
 「詰手幼稚園」高橋與三郎
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先年酒井桂史君の餘詰調査をされし折に此等二三題は簡單にして容易なりとの評なりしに因り今後再版の時には考査して五六題挿し換ふる積りのものです
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 1927年12月
 「未發表の詰物」高橋與三郎
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酒井桂史君の書信中に小生昨年夏以來兎角健康勝れず殊に最近はその爲め好める將棋の駒を持つことさえ至つて稀なる程に御座候の一節あり
…同氏詰物の巧妙なるは今更云ふ迄もなく畜(ママ)積百五十局以上に達したりと云ふも未だ出版發表されず…
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