« 酒井桂史をめぐる言説 その10 | トップページ | 「詰棋界」 その53 »

2016年9月21日 (水)

酒井桂史をめぐる言説 その11

「桂詰」解答募集中です。締切9月25日。


 1938年3月号
 「詰將棋對話」まぼろし
---
「現代詰將棋界の名匠、酒井桂史先生。先生の高名。(ママ)は詰將棋を作る者誰しも知つてゐる筈」
「其の通り」
「酒井先生のあの精彩に富んだ流麗高雅の作品は君仲の上位に位すべき、作品、否、宗看、看壽と共に並び稱されるべき名品であらうと僕は信ずる…」
---
 これは以前2回に分けて全文紹介しました。


 1938年11月号
 「酒井先生訪問記」前田三桂
---
十月十日空には一點の雲影なく、風は暖かにして、太陽は燦として輝き、絶好の秋日和であつた。午前十時半頃久方振りに雲雀丘の丘上、風光明媚なる酒井先生の邸を訪問した私が以前に訪問したのは今から十年も前の事であるから、本當に久闊である。
酒井先生の動静は誌友諸君が常に關心をもたれ、齋(ひと)しく聞知すべく熱望せらるゝ所である。私が先生を訪問した動機といふのは先生が病身のため、久しき以前から將棋と絶縁され、爾來先生の高作に接する機會を失ふに至つたのみならず、今まで作爲された幾多の名作や傑作が散佚して漂滅に歸せん事を惜しみ、之を取り纏めて一冊の書物となし月報誌上に登載して、諸君と樂みを偕にしつゝ長く後世に傳へたいといふ考へから、酒井先生と相談すべく俄に訪問したのである。
…近時誌友の間に氏の妙作を要望する聲が頻發するので、私の貯藏する所の圖を整理編輯して公開しやうと思つて、籠から取り出して調べて見ると百数十局もあつた。君は温厚な紳士で、名聞を厭ふ質の謙遜家であるから、私が獨斷で世上に發表するのは君の意志ではないかも知れぬので豫め其承諾を求めて置く必要があるから、同意を求めに行つたのであるが、容易に承諾を與へられない。
…以前は君も得意の作圖百局を選する積りであつたらしい、五十番を集めて王玉編と稱した自筆の作圖を送られた事があつた。夫れにはイロハ詰形象圖が半分程載つて居る後の半分は、龍馬篇を作つて送つて下さるつもりであつたのが、不幸病の爲に中絶したものである。
…取り出して來られた桐の箱には、自作の作品がギツシリ詰つてあるのに私は吃驚しました。無慮三四百もあるかと思はれた。
…今日の會談の結果は不成功であつたが、併し絶望ではない一縷の望みはつながれて居る。遠からず渾然玉の如き先生の傑作を江湖に示す事が出來るであらうと信じて居る…
---
 雲雀丘は川辺郡西谷村にあります。以前は武庫郡住吉村にいたので、引っ越したのでしょう。前田三桂は川辺郡長尾村です。現在は旧西谷村も旧長尾村も宝塚市です。
 「王玉編」はおそらく「王玉篇」の誤りでしょう。


 1938年12月号
 「偶感雜記」蒼門寺喬
---
前號の前田氏の酒井先生訪問記は結構であつた。酒井先生の近況を知る事が出來て大變嬉しく思つた。
酒井先生の作圖集が出る事は詰棋愛好家の喜び大なるものがある。
酒井圖式の出版の一日も早からん事を祈る次第である。
酒井先生の名作が集成發刊されたなら詰將棋愛好家の現代詰將棋觀は可成變つて來る事だらう。
---


 1939年6月号
 「詰將棋を語る」桂子
---
「現在では一年數百局の作品が發表されてゐますが、是等の中での酒井先生とか其の他の人の名作……現今の最高位に位する作品と、享保の看壽とか宗看の作品との比較ですが……是れは今迄もしばしば論じられて來たものですが現代の作品、古作に劣らずと云ふ説や反對の説がありますが、果してどんなものでせうか」
「古今を通じての作品の中一番名作と云へば何と云つても看壽の圖巧九十九番の煙詰でせう、あの作圖に比肩する名作は他に無いと思はれます、あの作圖は、全部が作者の偉大なる構想によつて一貫してゐるのです。藝術の遊技とも云ふべき作品と思ひます。百番の六百十一手のものは古今最長手順として有名ではあるが、價値の上からは九十九番には劣るでせう、現今には是れと比肩するものは見當らない様に思はれます。宗看のは傑出したものは無く一定の水準作が揃つてゐる様ですが、百局あれだけの名作を揃へ様とすれば現在では先づ不可能でせう。
看壽の九十九番、百番を除いたもの、宗看の百番と現在の名作を數からでなく價値から比較すると優劣は如何とも云ひ難いと思はれます、現在と云つても是は大正昭和と云ふべきです、明治以後の詰將棋と云へばそれは殆んど酒井先生の作圖が代表してゐるので、近頃の様に酒井先生其の他今田、田代氏の作圖の發表が無いと詰將棋界は活氣が無いのです」
酒井先生は創作よりは遠がつて(ママ)ゐられる様ですが…」
---


 1941年6月号
 「現代作圖論」杉本兼秋
---
構成型作圖は享保の昔宗看看壽の天才に依つて既に其の構想を使ひ盡くされたの感があるがよく沈思考慮する時未だ未だ新分野のある事を發見する。然し此の種の作圖は其の構想が困難であると共に餘詰防止の點での努力は實戰型作圖の比でない。
この作圖の創作が一部の作家に限られてゐるのも又創作の困難からと云ふ事は解るが酒井田代今田等の諸代(ママ)の作圖に接し得ない今日殆んど是等構成型作圖を見る期(ママ)會がない。
---


 1942年3月号
 「銀ずらし問答」有馬
---
前號發表の自作に對し内藤、富川兩氏より御高評を頂いたので次に掲載しました。

自作「銀千鳥」修正圖

3524

15銀打、25玉、26銀打、16玉、17銀打、27玉、28銀、16玉、17銀引、25玉、
26銀引、14玉、15銀引、23玉、24銀、14玉、15銀上、25玉、26銀上、16玉、
17銀上、27玉、29飛、同成桂、28歩、同成桂、同銀、16玉、17銀上、27玉、
39桂、同飛生、28銀、16玉、17銀引、25玉、26銀引、14玉、15銀引、23玉、
24歩、32玉、42歩成、同香、54角、43歩、23歩成、同玉、24銀、14玉、
15銀上、25玉、26銀上、16玉、27銀
まで55手詰

内藤氏曰く「…本局は酒井氏、今田氏に次ぐ名作にして氏としては近來の大作でした…」
宮「兎月氏の編みし作集(ママ)九十七番に桂史作千鳥銀とありたり」
作「田代武雄(内藤)氏編、第一部集百番第九十七番の酒井桂史氏作の兎月先生の評に『本局初盤千鳥銀捨てと行く處妙味津々たり……』とあるけれど。之は作品の名前ではなく又内容も銀ズラシとは全然關係のないものですから内藤氏の云はれる酒井氏の作は他にある筈です」
内藤氏「お尋ねの酒井氏の作と云ふ意味は酒井氏級の作であると云ふ意味で内容の感ぢ(ママ)が似てゐると云ふ意味です」
作「其の後色々酒井氏の圖式を物色しましたが今田氏のと形の似たのは一つ有りましたが手筋は全然違つたもので遂に見出すことが出來ませんでした…」
---
※原文に詰手順無し。動く将棋盤はここにあります。

 富川は富川甚七郎、宮本弓彦の筆名です。途中で「宮」になっています。「宮」の「兎月氏の編みし作集九十七番に桂史作千鳥銀とありたり」は「現代棋客詰將棋佳作集」と混同しているようで、これは第一部集(月報1937年2月号)です。

97


 1942年4月号
 「誌友前田三桂君を訪ふ」宮本弓彦
---
兵庫縣川邊郡には酒井、前田の兩氏が住むとかねて承はつてゐる。
面白やいろとりどりの花椿。酒井新十郎詰手王酒井桂史氏が、面白やいろとりどりの花椿と十七文字で讀後感を述べておられる。櫻井蘇月二段の將棋随筆をまだお讀みでない方は是非お讀み下さい…
川邊郡の酒井、前田の兩君を訪ねやうと思つて、棋友上杉敏夫氏の先導をお希ひし雲雀ヶ丘の一つ確か手前で降りて…
…私に酒井桂史氏と會ふ紹介の勞をとつてくださつたのは外ならぬ前田三桂氏です「東京から宮本弓彦といふ將棋の好きな人が來たからお會ひになつたらどうです」と私の眼前で酒井桂史さんに通じてくれたのである。
---
 このあとは前田三桂の話ばかりで、酒井桂史に会ったのかどうかも分かりません。
 櫻井二段の將棋随筆とは櫻井蘇月の『寺の庭を掃きつつ』(1941年9月・山田將棋所)を指しています。


 1942年8月号
 「月報主幹の顯彰を提唱す」田邊重信
---
 實際、一箇の月報誌が存在致しましたが爲に果して如何なる貢献が具体化されたでありませうか、先年前田三桂先生に依り連月誌上に説破されましたる棋士の後段制の提案にして、遂に將棋大成會の採擇する處となりましたる如き、今田政一氏を、いだして「將棋龍光」をのこし、丸山正爲氏を助けて「イロハ字詰」の梓を起しましたるが如き、松井雪山氏、山村金五郎氏、酒井桂史氏等々あまたの偉材をして天下にあまねくその存在を明かならしめたるが如きはその極く一少部分でありませう。
---




 1942年10月号
 「前田三桂先生訪問記」片山正敏
---
酒井桂史氏の「王玉篇」は、五十局詰將棋が載つて居たが、圖面は一々ペンで引いてあつたが、判と間違ふ位美しかつた。三桂先生が「酒井さんは作つたら私の所へ送つて來るが、今度快心の作六十局送つて來たが、私もわからんのがチヨイチヨイありますよ」。あの人は難しいのを作られるからねと言はれた。
---
 60局?! それはどこに行ったのでしょうか。


 1942年11月号
 「詰將棋ひと昔」岩木錦太郎
---
 扨て次は詰將棋方面だが、名人酒井先生は其の頃盛んに名作を寄せられ、我等をして三昧境に遊ばしたものだ。
---


 1943年2月号
 「廻覽版」柴田龍彦
---
酒井先生快心作六十局誌上御發表御願ひ致します
---

 同感!

« 酒井桂史をめぐる言説 その10 | トップページ | 「詰棋界」 その53 »

酒井桂史をめぐる言説」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 酒井桂史をめぐる言説 その11:

« 酒井桂史をめぐる言説 その10 | トップページ | 「詰棋界」 その53 »

サイト内全文検索

酒井桂史『琇玉篇』解題

無料ブログはココログ