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2016年9月20日 (火)

酒井桂史をめぐる言説 その10

「桂詰」解答募集中です。締切9月25日。


 1931年の発表作は16局(既発表作の9月号特別懸賞を除く)、32年は7局(既発表2局除く)、33年は1局、34年は6局、35年は2局。35年1月号作は「將棋新誌」1925年8月号作に序奏をつけたもの、2月号作はあぶり出し曲詰「ム」で、これは『王玉篇』にあった作品を山村兎月が誤って掲載してしまったものと思われます。
 これ以後の酒井自身による発表作はありませんが、43年に有馬康晴によって紹介された2局があります。


 1934年1月号
 「詰將棋三部集百番」

 「本書は月報詰將棋第三部開始以來五ケ年、此の期間中三十一名より寄稿された、貳百數拾題より佳作と認めるもの百題を選み登載したものである」とあります。巻頭を飾る第一番は酒井作49手詰(1931年9月号)です。これも含めて、酒井作は3局入っていいます。

Photo_4  

 1935年8月号
 「初めて月報を見て」蒐集狂生
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A作家としては酒井先生が第一だね
B酒井先生は前に將棋の國や新誌を借讀した時作圖を見たが妙局が多いと思ふたよ
B難解其の他の点からして第三位か第四位は降るまいと思ふね、最近の作家では右に出るものはないね、聞けば僕等と同年輩位だそ(ママ)うではないか、前田先生の様にどしどし書いてくれると良いんだが儘ならんものだね
Aこれは僕一人の考へだが第一宗看圖式第二圖巧第三酒井圖式第四九代宗桂圖式……等の順位を附けたいね
B最近では酒井先生の天馬空行、奥坂先生の豊秋等妙作があるね
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 冒頭に「僕が月報を讀み初めたのは本年一月からです」とありますが、かなり知識のある人です。誰なのでしょうか。1936年8月号から九代宗桂図式の紹介を始めています。
 1943年3月号から将棋妙案の解説を始めた蒐集生と名乗る人がいますが、こちらは「月報を師友とし得てから十六年」とあるので、別人のようです。
 11頁にわたる対話形式の記事ですが、関係のある所だけ。蒐集狂生の投稿文全体は何と35頁もあるのです。後半24頁分には「僕の所持する古局ですが好局と思ふのも澤さんあるのですが殘念な事に作者不詳なのです 月報の隅にでも登載させて戴いて作者名の御示教御願致したいのです」として『象戯綱目』から47局掲載されています。


 1936年2月
 「何や彼や」詰棋狂
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田代、里見、田邊、津田、吉田、日下、杉本等々諸氏の作圖が目に附く、淋しいのは酒井御大の出題が不足な事だ。十一年度一題、十三年度二題(十年、十二年は多いから書かぬ方が自分には便利だ)なんと淋しいではないか兒童が教師にあたゑ(ママ)る様に自分の我儘を許してくれるならば一ヶ年五題以上出題して下さい(少し我儘の度が過ぎるかな)
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 十一年度とは1933年のこと。月報の初年度を1923年と見ての表記ですが、これは正しいと思われます。(「詰棋めいと」第23号11頁中段・湯村光造「『将棋月報』で辿る戦前の詰棋界(一)」)
 ちなみにこの人は月報評に続いて、1926年1月から1935年12月までの発表数(第一部~第三部に限る)による「作圖家番附」(不完全作数も併記)や同期間の「解答者二十傑表」を披露しています。統計魔のようです。酒井桂史は「作圖家番附」の行司になっていて、38局発表、不完全作7となっています。
 私の調べたところでは、この期間の月報発表作は44局です。当然ながら条件に合わない佳作集1局、特別懸賞1局は外していますが、発見した取消不明作3局は数に入れています。



 1936年6月号
 「詰棋漫談」棋遊閑人
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詰圖出題者に酒井桂史氏の名の見られないのは言ひ得ない寂寥を感じます、獨得の趣向を取り入れ新鮮味躍動する同氏の名局は詰將棋黨の渇仰するものであらうと思ひます、毎月の出題は聞き入れて貰へないまでも未發表のものあらば逐次出題願ひ度くこれは自分一人の希望ではなく、詰棋黨全体の聲と思ひますから社の方でも是非之が實現に御努力を御願ひしたいと思います…
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 1936年7月号
 「思ひ出すまゝ」蘇月生
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大正十五年金八段が雜誌を創刊するに際し私は編輯人として金八段宅に寄寓する事になり「將棋の友」の發展に努力したが一年と續かず遂に廃刊して棋界に大なる貢献を寄與するに至らざりしも前田三桂氏と酒井桂史氏とを世に紹介し得たるを今でも誇りとしてゐる、或る時桂史氏から一封の書状到着披見すると十圓の爲替券同封しあり社の經費として使用して貰ひたいとの御厚志であつたが堅く誌上へ書く事を御斷りの言葉が添へてあつたので、當時御禮状のみ差上げて今日に及んだが今茲に發表したとて氏の御叱りも蒙るまいと思ひ、當時の御厚情を改めて感謝致します…
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 1937年1月2月号
 「詰將棋第一部集(上巻)」

 田代武雄による編集。酒井作は14局あります。「現代棋客詰將棋佳作集」との重複はありません。今田政一作は8局。
 酒井作の2局は左右反転されています。
 「終りに一言したいのは圖中なるべく王を對照(例第一圖一一玉第二圖九九玉)するので、圖式に幾分修正を加へたり、或は初手の數手を改作せし局二三あり、謹んで作者にお詫いたすと共に御寛恕の程を願上げます」というわけで、左右ひっくり返っているようです。感心しませんが。


 1937年1月号
 「現代名家圖譜考檢(新題)」

2248

71飛、72龍、同飛成、67玉、76龍、同玉、71飛、72飛、87金、67玉、
56銀、同玉、51飛生、同金、48桂、同と、45角、同玉、46金、34玉、
23銀生、同玉、22桂成、同飛、13角成、同玉、15香、24玉、35銀、23玉、
13香成、32玉、22成香、41玉、31飛、52玉、53歩、62玉、51飛成、同玉、
52金
まで41手詰


田邊重治
先頃發刊を見たる月報第一部集に於ても師の作に成るすべてこれ妙算也。宜しく模してわれらが範とすべきのみ。
本局七一飛打に對する七二龍、正に剽悍決死なり、次手直に八七金とせば後來一三角成同龍となりて不詰となる。

蒐集生曰 横綱の圖はやはり横綱であると思ふ(今月の出題中)然し氏の作品としてはさして難解ではないと思ふ。山とも云ふべきは七二(ママ)龍七二飛合の處と思ふ。
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 これは「將棋新誌」1926年8月号の傑作。ここにもあります。
 「現代名家圖譜考檢」は田邊重信の出題ですが、そもそもの趣旨はというと月報1936年4月号の記事

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…今日新聞雜誌に發表された所謂現代棋客の詰物を見たいものであると云ふ話が出た自分もかねがね然りといふ考へであつたので、早速誌友諸兄と共に之が研究をしてみる氣になつた譯である中にも既發表の圖を今更研究した所が仕方がないと云ふ方もあると思ふ、亦中には自分の家では東日より取つてないので土居八段の詰物は觀られるが他紙の物は一向にわからぬ、他のものも古くてもよいからみるだけもみたいものであると云ふ誌友も確にある事と思ふ
自分も此の後者の方々と共に研究してみたいと思つて居る次第である、自分として果してどこ迄やつてゆけるか今の所見通しも自信もない、成績は懸つて諸兄の御解答いかんにあるわけであるからして成可く多くの方より御同情ある答解(ママ)をよせられん事を御願ひする次第です
自分の出題竝に御解答下さるとの要用としては
一、諸紙に何某出題とあるも、總て何某作とみなして本誌に發表
一、餘詰早詰等の發見いかんに關せず正解は一題一点
一、發表圖式にして古作物の引用等なりし時之を誤指摘下さつた方には増点一点
一、一ヶ年の總得点最高の方には「氏名入り優勝カツプ」を私より贈呈します
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というものでした。1937年12月号までに全部で90題の出題があったそうですが、同氏の『私と将棋』には50題が抜粋されています。「棋界の大御所土居八段は人も知る軽妙の指手。然るを以てが亦よく古圖を剽窃するに軽妙也。切に同八段の覺醒を待つや切なり」とは手厳しい。
 こと本来の趣旨と違って、詰将棋版の下手の横槍の様相を呈したのですが、なぜ酒井作を圖譜考檢に出したのか不思議です。


 1937年3月号
 「思ひ出すまゝ」蘇月生
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…酒井君より寄贈された五十番の自作詰將棋筆寫本を更に調べ直してみたいと思ひながら本箱に秘藏したまゝである、氏の作品を看ると四十の駒悉く盤上に活躍し龍狂って雨を呼び虎吼えて風を生ずる變化極まり無き其傑作を鑑賞すれば其奇手妙計に思はず感嘆の聲を放つ時あり、詰め得たる後の快感は杖を頼りに喘ぎ苦しみ山の頂上に登り得たる時の愉快にも比すべし、猶氏の作品は最初の一手を選ぶに當り容易に手を下すこと能はず素人が鰻を捕へるにも似て摑んだと思へば逃げられるが如く其第一着手の發見に頗る苦心するが、詰物は總て最初の一手が容易く解るやうでは興味が薄く又詰物として此れは缺く可からざる必須の條件ではあるまいかと思ふ、猶その一小品を試みても數手に妙想湧くが如きもの尠なからず、恰も巧みに作られたる盆景を眺むるが如き面白さあり、氏の如きは實に我詰棋界の至寳と謂ふべきである…

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