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2016年8月の4件の記事

2016年8月31日 (水)

二度掲載された酒井桂史作

 「將棋月報」の懸賞出題の結果稿を読んでいるうちに、妙なことが書いてあるのにぶつかりました。
 まず作品を紹介しましょう。

1932年1月 第一部

1136

95と、同玉、87桂、96玉、76飛、87玉、86飛、同玉、76馬、95玉、
96歩、同玉、54馬、76歩、87金、同玉、76馬、96玉、43馬、76歩、
87金、同玉、76馬、96玉、32馬、76歩、87金、同玉、76馬、96玉、
87馬、同玉、21馬、76歩、同馬、96玉、85馬、同玉、87香、86歩、
同飛、74玉、75歩、同玉、76歩、74玉、73成桂、同玉、83歩成、62玉、
73と、52玉、82飛成、41玉、33桂生、31玉、71龍、22玉、21龍、13玉、
14歩、同玉、15歩、同玉、16歩、同玉、17歩、同玉、28龍、同玉、
29香、17玉、18歩、16玉、27銀、15玉、26銀、14玉、25銀、23玉、
24銀、32玉、23銀※143玉、44歩、53玉、54銀、42玉、43歩成、51玉、
41桂成、61玉、52と、同玉、63銀成、41玉、32成銀、同玉、33歩成、41玉、
32と、51玉、62と
まで103手詰

解説 山村兎月


86玉なれば76馬、96玉、85馬、同玉、75と迄也※2
86歩合間なれば同飛、同玉、76馬、96玉、86馬迄也
同歩なれば76馬、96玉、86馬迄也
94玉なれば93成桂、同玉、83歩成、94玉、84と迄也
86飛合の合間なれば87金、95玉、96歩、94玉、93成桂、同玉、83歩成、94玉、84と迄又95玉と引きたる時は96金打ありて同斷
95玉なれば96歩打以下の變化に同じ
チ の變化に同じ
  トの変化に同じ
87玉なれば86飛廻り迄也※3
74玉なれば75歩、同玉、76歩、74玉、73成桂、同玉、23飛成、62玉、53桂成、71玉、21龍、82玉、83歩成迄
73同玉なれば82飛成、74玉、84龍迄
51玉なれば62龍、41玉、33桂以下本手順に準す也※4
32玉なれば21龍、43玉、44歩、52玉、53歩、同玉、54歩、52玉、41龍迄也
19玉なれば28銀、18玉、27銀左、29玉、39金迄又18玉なれば19歩、17玉、26銀、16玉、27銀迄也
18同玉なれば19歩、17玉、26銀、16玉、27銀迄也
42玉なれば41桂成、同玉、32銀成、同玉、33歩成、41玉、32と、51玉、62銀、52玉、53歩、43玉、33と迄也
52玉なれば63銀打、42玉、41桂成、同玉、32銀成、同玉、33歩成、41玉、32と、51玉、62と迄也
52玉なれば63飛成、42玉、41桂成、同玉、以下の變化に同じ
41同玉なれば32銀成、51玉、42金、61玉、52金、71玉、62金迄也※5


評曰 本局は酒井先生一大作物なり盤上三拾四個の駒を配置して其手數の如きは百○參手詰の大作物なり最初敵の右翼より二枚の大駒を以て肉薄攻撃は面白し敵も去(ママ)るもの再三の76歩の捨合にて馬の活動甚だ面白し以下飛香の威力甚だしき爲一度は陣地に戻りて再度入玉は面白く巧妙なる作物なり以下銀歩の攻撃にて再び我陣地にて終局する處は巧妙なる作圖なり本局の變化を詳細に附記する時は七八頁に渉り複雜なれば重(ママ)なる變化のみ附記したり
附記 本局は數年前發表済の課題なる由田代氏より通知あり採点の上課題は取消とす

---

※1 成か不成か明記していないが、その後の記述で不成であることが分かる。成っても同じ。
※2 75と迄ではなく、94玉、96飛まで。
※3 86飛廻りでは詰まない。76馬、96玉、86馬まで。
※4 この手順は作意より長い。62と、42玉、33歩成、31玉、32とまで。
※5 原文はこの通り「金」になっている。


 捨合入り馬の連取り。
 何とも細かい変化説明です。
 の変化がありませんが、原文のままです。原文には句読点がなく読みづらいので、手順には適宜読点を入れました。
 
52と、同玉、63銀生、53玉、54と、42玉、41桂成、同玉、32銀成、同玉、33歩成以下の余詰があります。

 さて、問題は「田代氏より通知あり」です。月報に懸賞出題された酒井桂史作の結果稿のコピーはすべて持っているつもりなのですが、この作品は見当たりません。他の雑誌に掲載された作かとも思いましたが、この図の初出は懸賞出題ではなかった
月報の酒井作なのでした。

左は『現代棋客詰將棋佳作集』(1928年8月)第二番

2

 上記佳作集は8月号が図面のみ100局。9、10月号が解答篇になっていて、150部出版の予定と記してあり、ご丁寧に刊記まで綴じ込まれているので出版されたものと思っていた人が多かったようです。

Photo_2

 実際、本文とは別のノンブルになっていて、3カ月分繋がっているので、すぐに印刷できるように準備していたのでしょう。しかしながら、「中に不完全なものがあり、又作者からの變更申出などあり」(『詰將棋第一部集』
(上卷)發行の言葉・月報1937年1月号)、結局出版されませんでした。
 「發行の言葉」には「恰度田代武雄氏が多年本誌圖式に就て深く研究されてゐたので、氏に委嘱して、佳品二百題近い中から、百番を精選して編んだもの」とあり、田代は酒井作を覚えていたのでしょう。

 では『現代棋客詰將棋佳作集』第二番は、どういう経過で懸賞出題を経ずにいきなり掲載されたのか。同集に酒井作は15局もありますが、他の酒井作
の解説には月報結果稿の引用などがあるのに、この作だけは作意手順のみで終わっています。佳作集は刊記に山村兎月解説とあるので、山村を主に編集したものでしょうか。九九生(加藤文卓)の解説の引用にはいちいち(九九生)と書いていますが、山村の解説には何もないところからしてもそうなのでしょう。佳作集用に、山村が酒井に対して作品提供を依頼したことは充分考えられることですが、その後、酒井作は掲載済みなのを忘れてしまって、再び載せたと。
 ちなみに、佳作集には月報掲載作から選んだとは書かれていないので「文藝倶楽部」掲載作があっても良いのですが、第一部集に「將棋新誌」掲載作が混じっているのは、看板に偽りあり。(笑)

2016年8月29日 (月)

酒井桂史作発見

 「將棋月報」には作者不明の作品がたくさんあります。
 これは、出題時には作者名を伏せ、不完全作であったことが判明した場合、そのまま作者名を明示しなかったためで、今となっては誰の作品か分からなくなっているのです。
 そこで、作者不明作を調べているうちに、これまで初出が明らかでなかった酒井桂史作を二三見つけましたので紹介します。


1931年3月 第一部

1011

88銀、同玉、97飛成、79玉、89金、同金、77龍、78銀成、13馬、69玉、
14馬、79玉、24馬、69玉、25馬、79玉、35馬、69玉、36馬、59玉、
57龍、49玉、58馬、39玉、48龍、29玉、47馬、19玉、39龍、18玉、
29龍、17玉、16と、同玉、18龍、26玉、37銀、35玉、15龍、44玉、
24龍、55玉、64龍、同玉、65金、73玉、74金、82玉、83金、81玉、
91歩成、同玉、93香、81玉、92香成、同飛、同金、72玉、82金、61玉、
25馬、52香、同馬、同玉、51飛、同玉、41歩成、同玉、43香、31玉、
23桂、21玉、11桂成、同玉、22金
まで75手詰

13馬、78玉、23馬、68玉、57龍、79玉、77龍の手順前後あり。
19龍、18歩合、16と以下、一歩があるので82歩と打って同龍、同金、同玉、84飛以下61手詰。

解説 山村兎月
前號五十六番に就て
詰方15とは原稿轉寫の際誤記したものか早詰を生じました。右15とは26との誤りであるかも知れません目下作者へ照會中であります御注意下されし山本三尾清水大手高須の諸氏へ深謝します

 15とを26とにすれば、
の余詰はなくなります。
 山村兎月編『將棋王玉編』(1938年頃)第58番及び清水孝晏編『酒井桂史作品集』(1976年4月・野口益雄)第96番の初出です。




1931年10月 第三部

1107

46と、同桂、同金、同角、68桂、同馬、47銀、57玉、59飛、同馬、
69桂、同馬、49桂
まで13手詰

解説 丸山明歩
本局は右の如き巧妙な手順でありますのに左記早詰を生じていたのは惜しい極みで何れ訂正の上再掲の豫定で居ります
甲 68桂、同馬、48桂、同と、47銀、57玉、48金迄
乙 46と、同桂、同金、同角、同飛、同玉、13角
採点は作意早詰共に致して置きました尤も本文手順を發見されて併記せられたお方は田中實氏のみでありました
鶴田氏曰く 本局は色々苦心して變化等調べて見ましたが非力ではどうしても作意と思はれる順が發見出來ずしかし乍得る處も大分ありました
田中實氏曰く 本局は輕手に富み非常な好局ですが殘念乍早詰がありました初め早詰手順に依り駒餘り不思議に思ひ考慮中本文十三手詰を發見同時に餘りに惜しい感が致します何とか出來ないでせうか


---
 この作品は、「詰棋界」第1巻第3号(1951年8月)に「酒井桂史作品集より」として出題され、1952年新年臨時号に結果が掲載されています。
 以下、清水孝晏の解説。

 本局は誤図でした。写し誤りのようです。実はこの作品検討の際種々な詰手順があり、作意が判明しませんので皆さんの協力を頂いた次第です。悪しからずご了承の程を。
 作意らしきもの
46と、同桂、同金、同角、68桂、同馬、47銀、57玉、59飛、同馬、
49桂、同馬、69桂
まで13手詰

 誤図ではなく、月報の図通りでした。この手順は49桂と69桂の順番が入れ替わっていますが、元々非限定ですので。
 さらに清水は「一応修正図を考えて見ました。作意が成立すると存じますが……」として次の図を掲げています。

0084

 初手46との他、68桂も成立します。かなり痛い手順前後と思います。
 前記『將棋王玉編』第97番です。


1934年5月 第一部

1618

33成香、12玉、13歩、21玉、65馬、54歩、12歩成、同玉、56馬、同成香、
17龍、21玉、31金、同龍、
22歩、同龍、同成香、同玉、12飛、21玉、
11飛成、32玉、37龍、42玉、33龍、52玉、22龍右、32歩合、同龍右、61玉、
62歩、71玉、41龍、82玉、81龍、同玉、92香成、71玉、83桂、同金左、
81成香、同玉、31龍、71香合、92銀、82玉、91銀生、81玉、82歩、同金、
同銀成、同玉、93金、81玉、92金
まで55手詰

11龍、同玉、23桂、12玉、13歩、21玉、31桂成、同玉、32飛以下。

解説 山村兎月
評曰 本局は手數の割合に變化の少き局面なれ共32歩の捨合は巧妙なる一手なり殊に終局の寄せは申分無き巧妙なり
附記 本局は遺憾ながら15手目の22歩打の時11龍にて早詰ありたり麁漏(そろう)を謝すと共に採点の上本局は取消とす


 
71香合は作意。
 『將棋王玉編』第8番です。

2016年8月28日 (日)

「詰棋界」 その52

 第4巻第2号(通巻第19号)のつづきです。全体のページ構成はこちら

名作探訪(1)
酒中独歩

 戦后将棋界の復興がめざましく、その中にあって素人作家の詰棋界への進出は全く素晴らしい。数多くの傑出せる作家達が好作を発表、各誌において縦横に活躍した。
 この間、趣向詰の進展が最も輝かしいものであろう。そしてその彩に隠れてヤヤ短篇は精彩を欠き、しばしば類似作の暗い汚名をあびていた。
 その短篇の中からあえて好局を選んで"短篇必ずしも衰えず"の力強い歩みを示したいと思い、筆をとった次第である。
 本作は二対二の簡潔な構図の入玉図である。第一手37龍は絶対のようだが、29玉と逃げられ38銀、39玉で17(ママ)角のききが強くたとえ17角でも28歩で48銀の開き王手も29玉ともぐられて始末に困る。
 ここに来て初めて17角捨てが正解だとわかる。同玉は絶対で29桂、28玉、39銀、18玉、16竜と流れるように詰む。
 初手がわかれば、それまでともいえるが、適当な紛れとリズミックな手順、洗練された詰上りなど文句なしの傑作だと思う。

市川靖雄氏作

Para1491
「正解」
17角、同玉、29桂、28玉、39銀、18玉、16龍、29玉、19龍、同玉、
73角、29玉、28角成
まで13手詰

---
 酒中独歩は小西寛の筆名。17角のききが強く、は当然19角のききが強く、です。
 本局は旧パラ1951年5月号の発表作。当時の結果稿(旧パラ1951年7月・小学校)を紹介しておきます。担当は田代達生。

手順の示すように何のわだかまりもなく、詰上げてからも爽快味の残る一局。形も簡潔だし、17角の好手や、37龍のまぎれなど適当な綾を含み、仲々の好小品と云えるでしょう。主な誤解手順としては37龍、29玉、38銀、39玉、47銀以下ですが之は37角成と龍を抜かれるのをうっかりしたもの。又47銀の前に17角、28歩、47銀だと、今度は29玉と逃げられます。
○鈴木茂生「駒捌きよし。之も煙詰の一種か」
○橋本恒二「2対2の図柄が面白い」


ジュニア 第四巻第一号
金田秀信

第五十番 爪手美奈斉氏

0850

16香、24玉、43銀生、25玉、34銀生、24玉、23銀成、同玉、24歩、33玉、
43と
まで11手詰

▼再度の銀不成は打歩詰の常套手段の打開策と異なり、邪魔駒の消去は好局と思う。 -原口芳実氏評

本局は打歩詰回避の手段に新味を出した。が、初手16香が、とりようによっては主眼といえる。17あるいは19香では、三手目43銀不成の時、34桂合で詰まない。この16香うんぬんと感想を寄せたのは岡田敏、渡部正裕の両氏のみだった。なお、前記変化34桂合で角合は、以下同銀成、25玉、35成銀、同玉、36歩、25玉、43角の作意と同手数の駒余りと詰となる。右の手順中、35成銀を24成銀とし、変化長手順ゆえキズとした評も見られた。


第五十二番 田中一男氏

0852

14桂、同歩、23香、12玉、13銀、同桂、21角、23玉、33桂成、同玉、
32角成
まで11手詰

▼よく駒がさばけて詰上がり見事 -高沢甫氏評
▼毎度なれど33桂成は胸がすく -桜井敏夫氏評
▼難解ではないが手順にすきがなく詰上がりの型も良く好感の持てる作品 -桶屋文雄氏評

 今回のトップ作品。手順、棋形ともに洗練された好局で田中氏のものとして私の知る限り一番よいように思った。"変化も又おもしろし"とは渡部氏も云っているが初手14桂に12玉なら以下23銀、同玉、32角、12玉、21角成、同玉、23香、31玉、22香成まで11手駒余り詰となる。

---
 4局ありましたが、2局のみ紹介。


Cクラス 第四号(ママ)第一号
野口益雄

2 藤井国夫氏作

0765

13飛成、32玉、43龍、21玉、24香、22歩、同香成、同玉、23と、21玉、
22歩、11玉、12と、同玉、23龍、11玉、13龍、12合、23桂生
まで19手詰

 作者藤井氏は近代将棋の必死鑑賞室の御常連。まだ五、六題の発表だが必死の天分では当代一ではないかとさえ私は思っている。詰将棋の方でもなかなかの腕前でこの作は今月中一番好きだ。24香、22歩、同香、同玉の次ぎに桂馬で行ったのではダメで、と金が入る点も良い。11飛は33飛と置く法もある。33飛は紛れがある。つまり23飛成、11玉、13竜、12角合で詰まない。もっとも33飛では余詰があるから駒をひとつふやさねばならない。とするとやはり11飛の方が良いかな?


5 棋村迷人氏作

0768

46角成、同玉、66飛、同と、73角、36玉、37角成、45玉、35と
まで9手詰

 46角成、同玉、44飛の攻めがある。これは45桂、同飛、36玉で詰みがなくなる。なかなかの妙防だ。棋村氏、詰棋歴は比較的長いが、今まではそれ程のことがなかった。この二三ヵ月、急に巧くなったように思える。脱皮と呼ぶべきか。

---
 6局ありましたが、こちらも2局だけの紹介です。
 野口益雄は読ませますね。

2016年8月25日 (木)

「詰棋界」 その51

 第4巻第2号(通巻第19号)のつづきです。全体のページ構成はこちら

將棋萬象(2)
會津正歩

第十三番

370013

11歩成、同玉、13飛成、同銀、12歩、22玉、32桂成、12玉、23銀、11玉、
21成桂、同玉、32銀生、11玉、12歩、同玉、23銀成、11玉、12歩、21玉、
13成銀、25と、11歩成、同玉、12銀
まで25手詰

 絶対手の連続であるが、21成桂から23の銀を成銀にかえて13銀を取る手順がおもしろいと思う。類型中では好作と思う。

---

 『將棋萬象』は松本朋雅(知義)の作品集。上は1905年10月刊、30局。中は1906年8月刊、30局。下は1907年5月刊、40局。合わせて100局。この回は第11番から第20番までの紹介です。
 會津正歩は渡部正裕の筆名。


私はこう思う
恒川純吉

 新年号所載の金田氏の意見に対して私は少々異なった見解を持っておりますので述べさせていただきます。
 と申しますのは金田氏の意見は余りに機械的、公式的なものでして、私はもっと詰将棋の分野は広く、開放的なものであっても良いと思うのです。一般的に芸術(詰将棋が芸術かどうかは問題にしませんが)の分野においてそんなに厳しい制限が存在するでしょうか? 例えば形式的な和歌、俳句の如きものでも、三十一字、十七字のワクは無いも同様ではありませんか。華道でも草月流の如き従来の常識を逸脱したものが現れております。詰将棋の分野は広いようでも狭いもので早晩行きづまることを予想せざるを得ません(短篇作ではすでにその徴候を示しています)。この際極端な事を申せば将棋の駒数の制限をなくして飛三枚桂五枚の詰将棋が出ても良いと思えるほどです。詰将棋が指将棋から独立している以上このような事も近い将来問題になると確信します。
 現実の問題に帰って私としては「不完全作は早詰、余詰に限定する」ことを主張します。つまり攻方の手順を変えることによって別の詰め方が存在しなければ良いと云うことです。(手順前後は例外)尾別れとか手順前後とか変化長手順とかであっても結構。小キズではあっても立派な詰将棋と認めたいのです。
 ただそのような作品は鑑賞の際にはハンデキャップをもって評価されるのは当然です。このハンデを打ち消す様な傑作でありさえすれば良いのです。看寿の煙詰の如き手順前後というハンデに係わらず名作の名をほしいままにしているではありませんか。
 詰将棋欄を担当していられる金田氏が懸賞問題などの立場からあのような意見を持たれるのは不明確さを避けるために当然かも知れません。しかし「尾岐れや変化長手順はいずれの解答も正解とする」ことにすれば大して問題にならないと思います。


マド
◆新春号を読んで
 「浪漫派より見たる趣向詰」は浪漫派の意見を示し面白い。「詰将棋便り」"カニ"詰、初手57香とすると合駒余りとなる故、37銀を47とにしては如何? さすれば盤面 詰上り曲詰第三号? となる。"創作規定について"の考え方は少し厳しすぎるように思う。短篇の行詰りを云々される現在もう少しノンビリ考えては如何?
北原義治
---
 北原氏の改作案。完全作。

Para54602777_2


創作規定について
門脇芳雄

 詰棋界新春号に金田氏が「創作規定について」と題し「尾岐れ作(変化と本手順が同じ長さのもの)や、合駒によって手数の伸びる(同時に駒が余る)作品は玉方最長の原則に反するから不完全と見なしたい」旨を述べている。
 又、金田氏は以前に近将に「詰将棋に余詰があっても詰方最短の原則にふれないから不完全ではない。且つ自分は『詰方最短、玉方最長』を信念とする」という事を述べ、詰将棋パラダイス誌でも同様の事を主張していたが、小生はこの二つの説を並べてどうも金田氏の「常識」に疑問を抱かざるを得ません。小生の思う所では「余詰は不完全、尾岐れはキズ(準不完全)である」というのが常識だからである。誤った見解を自分一人で信じておるなら差支えないが、天下の詰棋界にこれを発表されたからには小生もこれに反対論を唱えて見たいと思う。
 金田氏の説は「詰方最短、玉方最長の原則」を論拠としており、この説の欠点は詰将棋の規約を只一つの原則で論じようとした事である。
 さて小生の説は、詰将棋の規約は「詰方最短、玉方最長」のみではない。この原則は単なる必要條件で十分條件ではない。むしろこの原則などは規約のごく一部分的なものであって「詰方最短」などというのはほとんど意味を持っていない。この他の規約というのは「手余りの禁」「不詰の禁」「余詰の禁」などで、これらの條件は[詰将棋の創作規定(成立條件)にとって-(この点については後に述べる)]「玉方最長、攻方最短」より重要な絶体的なものである。したがって、これら詰将棋の諸條件、特に「余詰の禁」をさておいて、解答規約たる「玉方最長云々」をもって詰将棋の完全不完全を論じたのは金田氏の誤りであると思う。
 小生は以上の三條件にふれる作品を(程度にもよるが)不完全とし、三條件にはふれないが「玉方最長」の原則(詰方最短はほとんど意味ないから無視する)にひっかかるもの(これにも程度あり)を準完全と信ずるものである。尾岐れ作品を完全とするか不完全とするかはいささか主観的な問題であるが小生はこれを完全と見たい。一の「解答」手順が得られない、又は金田氏の神経にさわるという理由でこれを不完全也とするのは余りに見解が狭い。解答が尾岐れによっていく通りできたって何も差支えないではないか。又、合駒をすれば駒余りになる時、又は長手順の変化に駒の余る時には駒の余らぬ順を選ぶのは今日ほとんど常識になっている。これに対し敢て神経質に「玉方最長」でないとかどうのこうのという必要はないように思う。小さな部分的欠点を取り上げてどうのこうのいうのは詰将棋の末期的症状である。
 そうでなくても行詰りを云々されている詰将棋にわざわざ狭いワクを作るのは小さな家を建てゝ頭をぶっつけるにひとしい。
 次に「玉方最長」について述べてみたい。「攻方最短」の方は色々議論されているし小生もこの原則にギモンを感ずるので無視する。金田氏は「玉方最長」を絶対的なより所として議論を進められているようだが、小生いささか、この原則の絶対性にギモンを感ずる。
 この原則の特徴は(1)歴史的に見てはっきりした起源を持たない事 (2)解答規約である事 (3)成文化されていない事 などである。
 (1)の歴史的な点については古作物は総てその手順は妙手説によっている事からして少なくも江戸時代には「玉方最長」など全然考えもしなかったか、又はごく軽く見られていたと思う。それは詰将棋の目的が妙手の探求であって長手順を追う事が目的でない事、及び当時は創作が「主」で解答を募集する事がなかったので、本手順は創作者が自由に決定したせいであろう。
 昭和の将棋月報すら妙手説を採っていた形跡があるがとにかく「玉方最長」というのは「解答者」なる者が生まれ、これに大体の詰手順決定方針を与えるために大ざっぱに「玉方最長、詰方最短」などといいはじめたのだと思う。
 即ちこれは、(2)の解答規約なのである。しかし、これは別に成文化した法律でも何でもなく、只便宜上解答方針(大ざっぱの……)として「昔からあった……」とか「「常識である」とかいって皆で守っていただけのものである。一方創作者に対しては「余詰の禁」といい、又「手余りの禁」なる規約がある。
 これも別に成文化された法律でも何でもない。しかしこの方は「將棋駒競」以后二、三の例外を除いては不文律として絶対的に守って来たもので「玉方最長」などよりはるかに大きな意味がある。しかるに最近の一般詰将棋指導書でなぜ「玉方最長」を取り上げ「余詰」を取り上げぬかといえば、理由は簡単で前者は「解答規約」であり後者は「創作規約」であるからだ。故に初心者の詰棋指導書に書いてないという理由で「余詰の禁」を無視する理由はどこにもない。要するに創作は解答と連結しているから創作に当る者は創作規約を守ると同時に解答規約を満足する作品を作らねばならない。しかし詰将棋を論ずるに当り創作規約をさておいて解答規約をもってこれを云々する(特に余詰について)のは大きな誤りである。
 以上が小生の結論であります。高木には風当り強し。
 金田氏の御寛容をお願いする次第。
(一九五四.一.八 記)

---
 すべて原文のまま。

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