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2016年6月の22件の記事

2016年6月30日 (木)

今田政一研究 その16

作品
番号
指摘者・指摘図 今田対処図 今田対処図
11 指摘なし
初出41年1月=最終図      3212
完全
12 41年2月藤井
余詰      3213
41年2月今田
刊本に同じ      3213_2
余詰      
41年10月今田
最終図     3240
余詰
13 指摘なし
初出39年7月号=最終図 3214
余詰
14 指摘なし
41年1月図      3215
余詰
41年2月今田
刊本同じ、最終図      3215_2
完全
15 指摘なし
初出32年10月=最終図     3216
余詰
16 指摘なし
初出34年1月=最終図か1543_2
余詰
41年1月図

3217
余詰
41年11月
今田「玉方15香16馬詰方27金39金持駒ナシと原圖に改る方面白いと思ふ」

大塚写本では、「訂正記事は意味わからず不可解につき、訂正せず」とありますが単に初出図に戻すという意味?
17 41年2月藤井
41年1月図の手順の誤りを指摘したもので不完全指摘ではない。   3218
完全
18 指摘なし
41年1月図     3219
完全、87香不要
41年2月今田
刊本同じ、最終図      3219_2
完全
19 指摘なし
41年1月=最終図      3220
完全
20 指摘なし
41年1月      3221
??銀が5枚ある
41年2月今田
刊本同じ、最終図      3221_2
完全

つづく

2016年6月29日 (水)

今田政一研究 その15

 41年5月、杉本兼秋の「現代作圖論」に今田の名前が見えます。
---
構成型作圖は享保の昔宗看看壽の天才に依つて既に其の構想を使い儘されたかの感があるがよく沈思考慮する時未だ未だ新分野のある事を發見する。然しこの種の作圖は其の構想が困難であると共に餘詰防止の點での努力は實戰型作圖の比ではない。
此の作圖の創作が一部の作家に限られてゐるのも又創作の困難からと云ふ事は解るが酒井田代今田等の諸代(ママ)の作圖に接し得ない今日殆んど是等構成型作圖を見る期(ママ)會がない。
---
 41年1月28日付の論考。


 41年5月1日、月報読者の集いで、刷り上がったばかりの『將棋龍光』が参加者に配付されたことは既に紹介しました。


今田政一
41年2月「將棋龍光に就て」
---
本集を編むときに玉將を比翼に擬するために、圖式を改變したのが不可なかつた。それも充分檢討すればよかつたのですが、容易な處は手抜きしたため失敗しました。
---

41年9月「將棋龍光の校正」
---
第三十九番と第四十番は訂正案を某君に御調査願つてゐますから正しければ次號に發表さして頂きます
---

41年10月「將棋龍光の校正」
---
看壽圖巧の原本『象戯百番奇功(ママ)圖式』を誌友大手蔵人氏が所持せられてゐる由。
同書第八番に
※1詰方九一とがありますかお伺ひ致します、嘗つて一覧した古寫本に記載されてありました。尤も此駒がなくても詰はあります。それにしても始めて此駒の追加を考案された加藤文卓先生の着眼には敬服の外はありません
根元伊藤宗看の象戯圖式は世上「駒競」として知られてゐますが誤りが多い。拙本は元禄本より寫木(ママ)したもので奈良屋又助といふ人の手に成てゐます、巻頭に夕顔巷叟こと林道春の序文があつて各圖に番號がない順次は駒競と相違した處もあるが誤りとは思はれません或は之が正しいかも知れない本誌に紹介しやうと思つてゐますが拙作集の赤字の穴埋めに手を取られその運びに到りません、然し乍らほぼ完了したらしいから近くお目にかけることが出來るでせう就ては將棋龍光は今のうち御申込の方は前金不要です、氣に入らなければ返送して下さればよろしい、尚ほ配本は本月限りです

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※2『將棋龍光』の広告は41年5月号から43年1月号まで15回掲載されていたのは確認しましたが、小さい広告なので見落としがあるかも知れません。

『将棋図巧』第8番


100008

 
43歩、同玉、33金、同歩、52銀、同馬、32桂成、44桂、同金、同角、
同と、32玉、87角、同龍、43金、同馬、同と、22玉、34桂、同歩、
77角、同龍、92飛成、32角、同と、同金、同龍、同玉、23金、31玉、
22角、21玉、12金、32玉、33香、同桂、23桂成、同玉、13角成、32玉、
22馬
まで41手詰


33同桂、34銀、42玉、92飛成以下、82金合、銀合、歩、桂合その他、どう受けても作意手順より早く詰むので※1攻方91とは不要。

41年11月「將棋龍光の校正」
---
 長時日にわたり綿密に檢討する必要があります。
作圖の修正改訂は頗る困難な作業であります作者は作爲以外は見えず簡單な餘詰早詰は見落し勝のものですから、拙作も此の例に洩れず欠點過失相次ぎ我乍ら呆 然としてゐる次第であります。それで餘暇ある度に補正に苦心して完璧を期してゐます。諸君に於ても妙案あれば御示教あらんことを切望致します。

…拙作も百番にせよと内藤武雄氏の激励あり中巻二十番
を編輯することにしました。先づ一局は有馬氏に送稿致しました※2から誌上登載の節は奮つて御解答を賜はりたい
---
 二十番の発表なし
2 41年11月号作


42年3月「將棋龍光の校正」
---
拙著將棋龍光發表以來誌友諸君の發見されし不備の点其の都度訂正し來る處過日又四日市の廣瀬君
の盡力に依り第二番も完全となり茲に全部落成所謂「定本」としての域に達せしむるに到りました。大に同君の勞を謝します。
---

廣瀬善一


 では、『龍光』に対する個々の指摘とその対応を見ていきます。
 41年2月の指摘、対処は誌上『龍光』に対するもの。41年7月以降の指摘、対処は刊本に対するもの。修正が何度も行われた作品については最初の図と最後の図だけにとどめている場合があります。

作品
番号
指摘者・指摘図 今田対処図 今田対処図
1 41年2月藤井
余詰3202
41年2月
刊本同じ
3232 余詰
41年9月
42年3月最終図
3232_2 余詰
2 指摘者なし
41年1月『龍光』と刊本図同じ

余詰
3203
41年10月


3203_2
余詰
42年3月最終図


3233
余詰
3 41年2月藤井
余詰3204
41年2月
刊本同じ

3234_2余詰
41年9月
42年3月最終図3234_3余詰
4 41年2月新入生
余詰
3205

 
41年2月
刊本同じ

3235_2余詰
41年10月
42年3月最終図

3235_3余詰
5 41年2月新入生
41年2月藤井

余詰3206
41年2月
刊本同じ


3236余詰
42年3月最終図


3236_2余詰
6 41年2月新入生
41年2月藤井

余詰3207
41年2月
42年3月(上記と同じ内容)
刊本同じ、最終図
3237 余詰
7 41年2月新入生
41年2月藤井
余詰
3208
※余詰の指摘だが、実は不詰
4手目82玉で詰まない
41年2月


3208_2やはり4手目82玉で不詰
41年5月
刊本図

3238初手より92銀成、同歩、83歩成、94玉、84金以下の余詰
41年9月
今田「拙作龍光第七番は大に苦心を儘したる曲詰なるが完全とならず閉口して居たものです
處が最近次の案を得ましたから、御檢討を乞ひます。」 
419余詰 
41年10月







4111余詰 
42年3月最終図






3238_2余詰 
8 指摘なし
41年5月刊本=最終図(33年2月初出のまま)
3209余詰
9 41年2月藤井
余詰3210 
41年2月
刊本同じ、最終図

3239 余詰
 
10 指摘なし
刊本=最終図
3211

余詰
初出33年7月は完全

つづく

2016年6月28日 (火)

今田政一研究 その14

 41年2月、藤井朗が「一月號の各稿に就て」で、「新入生」も「作品再檢討」で『龍光』の不具合を指摘します。さらに7月号に「新入生」の「龍光批判」、9月号に佐賀聖一の「將棋龍光再檢討」と続きます。
 これに対し、今田は2月、9月、10月、11月、翌年3月、6月号まで対応を余儀なくされます。

2月号 新入生「作品再檢討」
---
 今田政一氏の作品はわれわれ純創作型フアンの讃仰の的であつたゞけに前號發表の『將棋龍光』中に不審な數局を見出した時には一寸失望した。もとより不肖棋力乏しければ宜しく讀者諸賢の御批判を待つ
---

7月号 新入生「龍光批判」
---
廿世紀棋書出版界における最大の収穫とは云ふまでもなく龍光の刊行であつた。それだけにあの五十番のうちにまだまだ再檢討を要する──つまり不完全な作品があるのを識つて一寸意外な感がした。
で、わたしは、昭和藝術の一異彩としてかかるすぐれた圖式の完璧を期して頂きたいためにおこがましくも再び批判の筆をとつた次第である。もしも今田氏にいま少しの御努力をお願ひできるならば龍光は、眞に愛棋家の崇敬措くあたはざる現代詰將棋の聖典として不滅の光芒を放つであらう。

…最後に附言したいのは、この圖集がたとへ二三の微瑕をもつてゐやうとも、質的に低下してゐる現今の將棋壇にとつて龍光の發表はひとつの驚異であり、痛快事でもある
われわれは今田氏について未開の曠野に鍬を入れよう
そこにのみ絢爛たる黄金時代の再現は約束されるのだから
---

 藤井、佐賀は前文なく、いきなり指摘から入っています。5月に刊本(50局)が上梓されたため、これ以降は第31番以下も検討の対象になります。

 以下に、新入生、
藤井、佐賀の指摘と、今田の対応を表にしました。手順の誤りの訂正は記していません。

作品番号 41年2月 2月 7月 9月 9月 10月 11月 42年3月 6月
1 藤井 今田 今田 今田
2 今田 今田
3 藤井 今田 新入生 今田 今田 今田
4 新入生 今田 今田 今田
5 新入生・藤井 今田 今田 今田
6 新入生・藤井 今田 今田
7 新入生・藤井 今田 新入生 今田 今田 今田
8
9 藤井 今田
10
11
12 藤井 今田 今田
13
14 今田
15
16 今田
17 藤井
18 今田
19
20 今田
21
22
23
24
25 今田
26
27
28
29
30
31
32
33
34 佐賀
35 新入生 佐賀 今田
36
37
38 今田
39 新入生 今田 今田
40 新入生 今田
41 新入生 今田
42 佐賀 今田 今田
43 今田
44
45
46 今田 今田
47 今田 今田
48 佐賀 今田
49 新入生 今田 今田
50

訂正記事を一覧にした大塚写本の表では脱落していますが、第49番も訂正されています。ただし大塚写本の最終図は正しい。

 指摘者の話題に上らなかったのは、2、8、10、11、13~16、18~33、36~38、43~47、50番の33局でした。その中にも不完全作があります。
 指摘がなく、問わず語りに今田が直した作品もあります。

 41年2月号の「編輯後記」に「將棋龍光は再檢討完全を期するため少々遅れますが三月中旬には發行することが出來ると存じます」とあります。


つづく


2016年6月26日 (日)

今田政一研究 その13

 41年1月、月報誌上に『將棋龍光』30局が掲載されます。

Photo

 古図式を除く個人の月報誌上作品集としては、既に39年3月の『將棋朗作選』(里見義周)、同年7月の『將棋習作集』(大橋香月)、40年6~12月の『詰圖揺籃集』(田邊重信)、40年10・11月の『自作詰將棋集』(藤井朗)、同年11月の『自作詰圖集』(川邊告次)がありました。

 
表題を含めて総頁28頁。この裏面に詰將棋『將棋龍光』に就いてという「本社同人」の序文があり、次葉から「將棋龍光詰様」として図面と手順、変化説明が続きます。ところどころに短評もあります。山村兎月の「評曰」は「山村二段曰」。ただし、作者自身による主題の説明などはありません。
 「詰様」とは見慣れない言葉ですが、今田はここでも使っています。詰め方とか詰手順とかの意味なのでしょう。従って、『將棋龍光』は、別に『將棋龍光詰様』の名称もある、というような理解は誤りです。


 「編輯後記」では「今田氏の詰棋三十題は矜(ほこ)りある吾等の雑誌、月報の凱歌」であると大見得を切っています。

作品番号 主題 手数 初出 完全性 備考
1 斜め夏木立 41 40年2月 余詰 改作
2 横追い、香打香合反復 43 余詰
3 遠飛二回 39 40年6月 余詰、作意不詰 改作
4 27 余詰
5 45 余詰
6 往復銀斜め追い 49 余詰
7 曲詰・市松 37 37年6月 不詰
8 邪魔駒消去 35 33年2月 余詰
9 馬追い 31 33年3月 余詰(初出図は完全) 改作
10 成銀追い 59 33年7月 余詰(初出図は完全) 改作
11 曲詰・大菱 39
12 曲詰・引違い 33 39年3月 余詰 改作
13 往復馬鋸 61 39年7月 余詰
14 二枚銀追い 41
15 曲詰・市松 37 32年10月 余詰
16 桂打換え 43 34年1月 不詰 改作
17 曲詰・三角形 23
18 27 33年8月
19 馬二回転追い 57 32年6月
20 角連取り 55 34年10月 改作
21 曲詰・市松 31 35年7月 改作
22 往復龍鋸 77 37年2月 余詰
23 桂・馬追い+龍追い 55 33年5月 余詰(初出図は完全) 改作
24 打歩物(不利逃避?) 35 36年5月
25 金横追い 41 余詰
26 打歩物 29 33年12月 余詰(初出図は完全) 改作
27 曲詰・市松 29 ◯(かなり非限定)
28 歩知恵輪 53 余詰
29 角追い 37 余詰
30 45 32年11月

※この表は、刊本の『龍光』について触れたものではありません。
※初出の○は、41年1月号の『龍光』で初めて発表された作品。初出誌はすべて將棋月報。
※先行する初出図がある場合、「完全性」はその図に対してではなく、『龍光』所収の作品に対するものです。手順前後、迂回手順程度は○にしています。
※「改作」は、初出図が『龍光』に至るまでに修正、改作されたことを示します。

 しかし、この作品集は検討不足のため、九仞の功を一簣に虧く結果を招いてしまいました。
 この後、今田は修正に追われることになります。

つづく

2016年6月25日 (土)

今田政一研究 その12

 40年は2局です。

40年2月

Geppo2927

75銀、76玉、67金、同桂成、同銀、75玉、77龍、同と、97馬、74玉、
66桂、同歩、84金、63玉、55桂、同金、73金、52玉、44桂、同成銀、
62金、41玉、33桂、同歩、42歩、31玉、32歩、同角成、41歩成、同玉、
32と、同玉、23角、43玉、44と、同玉、53銀、54玉、64馬、43玉、
32角成、同玉、42銀成
まで43手詰

84金、63玉、73金、52玉、62金、41玉、32と、同玉、23香成、41玉、33桂、同成銀、42歩、31玉、32歩、同成銀、41歩成、同玉、32成香、同玉、24桂、33玉、34と、22玉、23歩以下。

評曰 本局は中盤迄の變化の複雜なるには閉口しました中盤四枚桂の打捨にて打歩詰を防ぐ處面白き好局と思ふ

 『龍光』第1番原図です。夏木立趣向。『龍光』では改作して左右反転し、序奏が簡潔になりましたが余詰。刊本でも直らず。



40年6月

Geppo2979 Geppo2979_2

42歩成、同銀、63銀、同飛、同歩成、同玉、72銀生、同香、64歩、52玉、
56飛、同馬、63歩成、同玉、66飛、同馬、36角、52玉、25角、63玉、
64歩、73玉、72桂成、同玉、36角、71玉、73香、同金、81角成、同玉、
92歩成、同玉、82金、93玉、94銀、同玉、85と、93玉、94香
まで39手詰

63歩成、同玉、72銀生、52玉、63銀成、同玉、64歩、52玉、42歩成、同銀、63銀、同飛、25角、34歩合、63歩成、同玉、43飛、53歩合、64歩、52玉、42飛成、同玉、43と、31玉、32飛以下。

25角、34歩合、63銀、同飛、同歩成、同玉、43飛、53歩合、64歩、52玉、42飛成、同玉、43と、31玉、32飛以下。

65香合、36角、45飛合、同角、同馬、65飛、52玉で不詰。

8月号解説 山村兎月
第一部三百九十二番は作者今田政一氏からの訂正文六十七頁に掲載しました。よつて本圖の解説は省きます

今田政一
本局は拙著「將棋龍光」第三番なり早詰あるを出題後漸く氣付きしは汗顔の至りなり
選者並びに讀者にお詫申上ます(作者)

 作者のコメントは8月号67ページに掲載された「六月號詰將棋の訂正圖」に付いていたものです。
 遠打というには微妙な距離ですが、二回の
飛車打捨て。
 左が6月号初出図、右が8月号修正図。いずれも余詰です。
 『龍光』第3番原図。刊本でさらに改作。刊行後42年3月号まで修正していますが、完全作にはなりませんでした。
 それはともかく、ここで初めて「將棋龍光」の書名が登場します。



 10月号、「次號より詰棋界の一偉彩神戸の今田政一氏の作圖將棋龍光二十五番を連載致します」とあります。
 当初の予定では25局だったのです。

 11月号に「お断り」として「前號で予告しました今田政一氏著將棋龍光五十番連載は詰棋輻輳にて來一月號に一括特輯付録として掲載します。御期待下さい」。
 今度は50番になりました。実際には誌上に掲載されたのは30局で、刊本で50局になります。

 12月号には「將棋龍光に就て」という今田の一文があります。
---
詰將棋の自作集を世に出さうと考へてから三年経ちます。積んでは崩し八方苦心の末脱稿しました。が尚ほも不可の点があり追訂々々で、散々御手數を掛けやつと完成しました。固より一素人の作品ですから誤謬があると思ひますから、若しも御不審の箇所を御發見の方は何卒御示教下さい
尚ほ本集は單行本として製本し希望者に實費に頒布する豫定であります。(今田生)
神戸市兵庫區… 今田政一
---

つづく

2016年6月24日 (金)

今田政一研究 その11

 39年は3局発表。

39年3月

Geppo2730

35銀、13玉、14歩、同玉、17香、同金、15香、同玉、26金、14玉、
25金、同玉、28香、同金、34馬、36玉、47銀、同成香、37歩、同成香、
45馬、同玉、46金、54玉、66桂、53玉、44銀、63玉、64歩、73玉、
82飛成
まで31手詰

35馬、23玉、45馬、34歩合、24歩、13玉、14歩、24玉、34銀、同歩、同馬、同玉、27桂、25玉、26金打、34玉、35金、23玉、24歩、12玉、13歩成、同玉、17香以下。

 兎月の「評曰」はありません。
 引違い。『龍光』第12番で改作、刊本でさらに改作。いずれも余詰。



39年7月

Geppo2792

75銀、63玉、54金上、同桂、同馬、73玉、55馬、63玉、45馬、73玉、
46馬、63玉、36馬、73玉、37馬、63玉、27馬、73玉、28馬、63玉、
18角、同と、同馬、73玉、28馬、63玉、27馬、73玉、37馬、63玉、
36馬、73玉、46馬、63玉、45馬、73玉、55馬、63玉、54馬、73玉、
65桂、同飛生、83香成、同歩、74歩、82玉、92銀成、同玉、93香、81玉、
82歩、同玉、73歩成、同玉、85桂、82玉、92香成、同玉、93歩成、81玉、
73桂生
まで61手詰


64歩、73玉、65桂、同飛生、83香成、同玉、65馬、94玉、93飛、同玉、92馬、94玉、86桂、85玉、74馬以下。

評曰 本局は馬の追撃巧妙なり中盤以下の寄手は至極巧みたり

 馬鋸です。『龍光』第13番。刊本まで変更ありませんが、余詰作です。



 6月、7月号に桂子という筆名で「詰將棋を語る」という対話形式の論考が掲載されています。書きぶりから杉本兼秋ではないかと思うのですが。
 7月号より
---
「…明治以後の詰將棋と云へばそれは殆んど酒井先生の作圖が代表してゐるので、近頃の様に酒井先生其の他今田、田代氏の作圖の發表が無いと詰將棋界は活気が無いのです」
「酒井先生は作圖から遠がつて(ママ)ゐられる様ですが、田代、今田氏の作圖に接し無い様ですね…」
---


39年10月

Geppo2832

74金、同桂、
84歩、同玉、94飛成、75玉、85龍、同桂、64銀、同玉、
53銀、同玉、42銀、同玉、31銀、同玉、22と、同玉、23金、31玉、
21角成、42玉、32馬、51玉、43桂、同香、41金
まで27手詰

84銀、同玉、94飛成、75玉、85龍、同桂、64銀、同玉、65金、53玉、54金、42玉、43銀以下。

76角成、64玉、73銀、55玉、44銀、同玉、36桂、55玉、64銀打、同香、同銀生、同玉、54金、同香、65香、53玉、75馬以下。
76金、84玉、93銀、83玉、82銀成、同龍、同と、同玉、93銀、同玉、91飛、92飛合、同飛、同玉、84桂、83玉、92銀、73玉、64銀、同玉、65金以下。

評曰 本局は變化に富みたる好作物なり一歩を犠牲にして玉將を釣り出し四枚銀の打捨興味津々たり

 刊本第45番原図。『龍光』(「今田政一研究 その4」で断ったように単に『龍光』と書く場合は1941年1月号の月報誌上に発表された30局の図を指します)には、この図はありません。刊本は攻方37歩あり。それも余詰。


 1930年代はこれで終了です。

つづく

2016年6月23日 (木)

今田政一研究 その10

 38年の発表作はありません。

 既に紹介した3月号の「まぼろし」名義の「詰將棋對話」に次のようなくだりがあります。
---
酒井先生のあの精彩に富んだ流麗高雅の作品は君仲の上位に位すべき作品、否、宗看、看壽と共に並び稱されるべき名品であらうと僕は信ずる。其の他、田代、田邊、今田等の諸氏の作品も、君仲と優劣を競ふ作品ばかりだよ。他に未だ未だ十指に餘る名作を創る作者がゐる
---

 さらに11月号、前田三桂の「酒井先生訪問記」(38年10月10日訪問)に「今は創作は廃して居られるが、月報は時々披見せられると見へて今田君の作など激賞されて居ました」とあります。


 同じ11月号、松井雪山の「精觀中巻のページ」に今田の名前があります。
 『將棋精觀』中巻は38年8月に棋研會から出版された本で、広告(月報39年3月号)によれば、「上巻發行以來刻苦精勵二箇年にして愈々絢爛の本書成る。夫れ第一部新研究集成諸篇中より『飛車落桂跳違』一章を採つて見るも初めて完全茲に信頼し得る事を知る。第貳部『三代宗看圖式極め』に至つては、正に斯界二百年來の疑義解決の新紀元を劃し其業績不滅の光彩を放つものであらう。實賈部數僅少壹百卅部限定出版。速かに購められて將棋道の神髄を玩味把握亦以て子孫の爲にも人智の最高一記録を示す發奮の資として一冊を傳へられんことを。」
 相当な鼻息です。ちなみに『將棋精觀』上巻(1936年)は指将棋の本のようですが、上巻、中巻とも未見です。
 その11月号では『将棋無双』の第8番(余詰局)について、今田が57とを56ととする補正を行ったことが記されています。

三代宗看『将棋無双』第8番

090008

41金、同玉、44香、31玉、53馬、同香、42角、22玉、12香成、23玉、
22成香、同玉、31角生、33玉、22角生、24玉、25歩、23玉、13飛成、同桂、
32飛成、同玉、33金、21玉、31角成、同玉、42香成、21玉、32成香、12玉、
22成香
まで31手詰

53角、42歩合、同香成、同金、同角成、同玉、43歩、33玉、44金、23玉、34金、同玉、35飛、43玉、45飛、54玉、44馬、64玉、94龍、74歩合、66香以下。玉方56となら66香と打つ手はない。

 門脇芳雄の『詰むや詰まざるや』には今田補正案とともに山村兎月補正案(36金を36と金に)も紹介されています。


 さらに第37番(不詰局)、今田は玉方86歩が脱落しているのではないかと述べたようですが、それでは作意が成立せず、凡庸な手順の駒余りになります。
 12月号の「精觀中巻のページ」では松井雪山が前田三桂と今田の名を挙げて、補正協力に対するお礼を述べています。


 これも12月号、蒼門寺喬なる筆名の「偶感雜記」で、土居市太郎の新刊書『初心詰將棋讀本』『近代詰將棋讀本』(いずれも38年8月、博文舘)について、「酒井、今田の名手の作と比較論評するには其差が多き過ぎるが土居氏の作としては此の集成は先づ成功であると思へる」とあります。

 今田の名を挙げる人が次第に増えていきます。

つづく

2016年6月22日 (水)

今田政一研究 その9

 1937年1月(作品)、2月(解答)、月報誌上に田代武雄編による『詰將棋第一部集』(上巻)が掲載されます。

 36年11月号「編輯後記」より
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詰將棋第一部に今まで掲載した數百題の中から佳作を選んで、不備な点は補訂し完全にしたもの百題を、第一輯として新年號に登載することにした。これは本社が嘗て佳作集百番として選定したが、不完全な爲まだ發行するに至らなかつたものを、田代武雄君が數年来研究、調査の結果、漸く發行の運びになつたものである…
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Photo_5    
※これは刊本でなく、月報誌上に発表された第一部集の表紙です。

 ここに作者別収録数を記載していますが、今田は酒井桂史に次いで8局収録されました。ここまで発表作は14局なので、大変な採用率です。『龍光』の作品番号でいうと、33、8、10、16、30、23、26、50(改作前の201手詰)番の順です。それまでも山村兎月の「評曰」では高く評価していましたが、ここに至って今田の実力は広く認められることになったのです。


 37年2月

Geppo2364

38角、27歩、同角、同玉、29香、16玉、15金、同香、25銀、17玉、
28金、26玉、38金、27歩、同金、25玉、26金、24玉、35金、14玉、
34飛成、13玉、43龍、14玉、54龍、13玉、63龍、14玉、74龍、13玉、
83龍、14玉、94龍、13玉、83龍、14玉、74龍、13玉、63龍、14玉、
54龍、13玉、43龍、14玉、34龍、13玉、25桂、同香、14歩、22玉、
25香、23歩、13歩成、同玉、14香、22玉、12香成、同金、23龍、同金、
同香成、同玉、24銀、22玉、23歩、11玉、22金、同飛、同歩成、同玉、
23飛、11玉、12歩、同玉、13銀成、11玉、22飛成
まで77手詰

24金、同香、14歩、同玉、26桂、13玉、14歩、22玉、24龍、23金合、34桂、32玉、42と、同金、同桂成、同玉、43香、同玉、44龍以下。

評曰 本局は非常に面白き好作なり龍の活躍巧みなり終局の寄せ手と巧妙なる好局と思ふ

友岡氏曰く 本局は頗る巧妙殊に龍の活躍九四桂を捕り亦玉に接近迄其間合駒にて逆戻りせぬ様配置せる作者の苦心の程察しられます

 『龍光』第22番。刊本同じ。
 一往復の龍鋸です。不完全作。

護堂浩之「木挽唄集(一)」(「詰棋めいと」20号1996年5月)
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軌跡も長いし、龍ノコの基本型の一つの形を使用しているあたり、現代の龍ノコの原形は、案外この作に求められるような気もしてくる。
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 37年6月

Geppo2422

92銀成、同歩、94金、同玉、83銀、93玉、92と、84玉、85香、同と、
94金、73玉、63歩成、同歩、74歩、62玉、54桂、同歩、61飛成、同金、
73角成、53玉、63馬、42玉、32香成、同歩、34桂、33玉、45桂、23玉、
13歩成、同馬、同香成、同玉、14歩、23玉、12角
まで37手詰

32銀成、同金、45桂、23玉、13歩成、同馬、同香成、同玉、22角、12玉、13歩、23玉、33角成、14歩、12玉、22桂成、同金、同角成、同玉、33桂成、同玉、35飛以下。

評曰 本局は詰上り千鳥曲詰にして變化等は別に難解の處もき(ママ)に依り省略したり最初より殆んど追詰の如し

 『龍光』第7番原図。『龍光』での修正、さらに刊本での再修正も余詰。


つづく

2016年6月21日 (火)

今田政一研究 その8

 この◯は? その2 解答発表。
 1926年6月から33年11月まで、変わっていたものは「懸賞詰將棋」の駒の書体なのでした。この期間は明朝、他はゴシック。ヒントを出しておいたんですが。

 またも正解者無し。今回当たった人には特別サービスで『千早城』と『詰将棋工学母艦』をオマケに付けようと思っていたんですけど(←終わってからなら何とでも言える)。笑
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 1935年は一局のみです。

1935年7月

1878

57と、同香成、同銀、67玉、58金、78玉、79香、同と、68金、87玉、
88歩、76玉、75と、同玉、95龍、同と、66銀打、84玉、75銀打、93玉、
82角成、同馬、84金、92玉、82と、同歩、93歩、81玉、73桂、71玉、
62角
まで31手詰

87玉は、88歩以下作意同様で29手。

評曰 本局は盤上半面の曲詰(千鳥型)なり面白き好作なり

 『龍光』第21番の原図。完全作です。
 『龍光』=刊本では改作し、初手を省いた29手詰ですが、余詰。



 35年8月号、蒐集狂生の「初めて月報を見て」に、「…山村、高橋、今田、田代等の諸先生の作品は僕らの力には少し遠い様だ…」とあります。
高橋は高橋與三郎を指しているようです。
 蒐集狂生は「第一宗看圖式第二圖巧第三酒井圖式第四九代宗桂圖式」と順位を付けています。酒井はいうまでもなく酒井桂史です。


 36年1月、「古棋書に就て 今田政一」
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先頃月報社より絶版書を所持してゐるなら其の書名を知らせとの事であつたが、何分之が蒐集に身を入れた事がないので算へる程も所持してゐない、併しながら折角であるから稀書と思はれるもの(ママ)解説を記して諸君の參考に供しやうと思ふ
 ◆元和版『象戯圖式』宗桂
本書は表紙と初葉及び十四丁の後半が佚脱してゐる、内容は勿論無解の八十番圖式と馬法六番よりなり、巻尾に宗桂の奥書がある、體裁は縦八寸五分横五分(ママ)一分の大形本で、上邊から一寸二分の處より縦五寸七分横五寸の盤面圖があり、其の下に持駒が列記されてゐる
本書を前田氏が詳解せられた松浦本の圖
※1と對照したる處、各々誤脱あることが推知された、今其の一例を述べやう
  ◇八十番は拙本に於ては玉方54銀が倒置され詰方の駒となつて居る
此の誤りは西澤貞陣の『象戯力草』も受けつぎ、而して之より生じた左の早詰を以て正解として居る
八二銀、同金、八三金、同金、九二金、同玉、八二金、同金、同桂成、同玉、八三歩、七二玉、八一飛、六二玉、七三銀、同玉、八二龍、六四玉、六五金迄
序であるから前田氏の解説に就て一言したい、氏は本文八四金の時同玉と取るを手順とせられたが六二玉、七二金、玉二玉(ママ、五二玉)、六一龍、四二玉、三四桂、三二玉、五二龍、二一玉、二二龍の方が二手長い或は之が作意ではあるまいか
   ◆寛永版 象戯圖式 宗古
本書は表紙序文はないが、治式三ヶ條圖
※2は存して居る、中形本で解説はないから或は小杉氏藏本※3と同版かと思ふ
前田氏が評註せられた圖は、終の六番より見て居ないので、全部に就て比較し得ないが遺憾である、兎も角
   第九十九番に玉方二六香が脱落して居るを御傳へしておく
本社本を所持の方は之を補つて完全にされたい、従つて本文二十四手目以下は一三桂合、二三龍、一五玉、二六金、同桂、一七香打、一六合、一四金打と改むべきであらうと思ふ
   ◆元禄版 象戯作物 三代目宗桂
本書は圖式は百番揃つて居て、巻末に宗桂の奥書があり、栗山宇兵衛開板と記載されてある『書賈集覽』
※4には栗山氏は元禄寶永の人と記されてゐたと思ふ、其れ故本書の刊行年次が上記の如くに推定される、詰様が假名交りで圖上に記されて居て、之を山村氏の解説と對照すると聊か相違する處もある、委細は後日に發表したいと思ふ
本誌六月號第三番の圖
※5の詰方八七歩は「八六歩」の誤りで斯くの如く御訂正せられたい、従つて玉方七二香の追加は要しない、つまり七五玉の時七四龍なら八六に行かれるからである
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 ◆◇の字下げの位置は原文通りです。

※1 月報29年7月号から30年1月号まで前田三桂は「初代名人 大橋宗桂圖式詳解」を掲載しますが、底本とした「私の寫本は丹後峰山町の藏書家松浦大六氏所藏の無解の古圖を轉寫したものである、當時嚴密に校合せなんだので、一二の疑点を存せしは遺憾である」と述べています。
 1931年刊の「京都圖書館和漢圖書分類目録 美術工藝之部」(1930年10月末時点)には確かに初代宗桂の寫本の『象戯圖式』がありますが、松浦寄贈本をそっくり移管したはずの京都府立総合資料館にはありません。(「松浦大六寄贈本の現状」を参照)

※2 「行き所のない駒禁、二歩・打歩禁、王手の千日手禁・千日手は仕掛けた方から手を変える」

※3 月報34年11月号に「大橋家初代二代の『象戯圖式』に就て」という小杉次郎の論考があり、この中で所持していた寛永版『象戯圖式』について述べています。

※4
正確には『慶長以來書賈集覽』です。井上和雄編・1916年彙文堂書店。限定50部。江戸時代の書肆及び出版物の調査の先鞭を付けた名著です。その後の復刻版や増訂版もあります。この中に栗山宇兵衛は元禄から宝永にかけて出版活動を行ったことが明記してあります。

※5 『将棋衆妙』第3番。

36年4月

2074

37香、同飛成、同銀、同玉、47飛、36玉、45銀、25玉、37桂、同飛生、
36銀、同飛成、37桂、同龍、45飛、34玉、43飛成、25玉、45龍、同銀、
47角、34玉、44角成、23玉、14角、13玉、12と、14玉、15歩、25玉、
35金、26玉、36金、同玉、35馬
まで35手詰

評曰 本局を研究したるに興味津々たる妙作なり一手々々に含みある近頃に無き好局なり御研究ありたし

棋遊閑人曰 本局は稀に見る好局と感服の外なし再度の桂打に依つて三六銀と捨て四五飛と再度犠牲にして遊軍の感ある角を四七へ呼び大局を制する遠謀全く感嘆の外ありません
(※棋遊閑人は奥坂正美。三重県の人、奥坂金次郎の息子。1937年5月死去)

蒐集狂生氏曰 本局の如きを妙作と思ふ

 『龍光』第24番、刊本同じ。完全作。これは良い作品ですね。



つづく

2016年6月19日 (日)

今田政一研究 その7

 この◯は? その2 解答募集中です。


1934年1月

Geppo1543

16金、同玉、38角、27桂、同角、25玉、16角、同香、27飛、15玉、
25飛、同玉、24と、同玉、23桂成、同玉、33と、同玉、42銀生、44玉、
33銀生、同玉、45桂、44玉、55龍、43玉、44歩、32玉、52龍、23玉、
33桂成、同玉、25桂、44玉、55龍、43玉、44歩、32玉、52龍、21玉、
12龍、同玉、13角成、21玉、31馬、11玉、12歩、同玉、13桂成、11玉、
22馬
まで51手詰

55龍、43玉、35桂、同銀、33銀成、同玉、35龍、34角合、45桂、43玉、42と、同玉、44龍、43金合、24角、31玉、34龍、同金、42銀、21玉、43角、32香合、同角成、12玉、22馬、同玉、33角成以下。

評曰 本局は最初より中盤迄は非常に複雜なる難局なり亦巧妙なる作物なり

 第16番の原図です。
『龍光』と刊本は同じ改作図で不詰。


 この1月号第一部には酒井桂史作も掲載されています。ともに51手詰。二人の新作が同じ月に登場したのは二回だけでした。

Photo_2

酒井桂史作

1542

88龍、同金、同銀、68玉、79銀、59玉、68銀、48玉、59銀、38玉、
47角、28玉、29金、37玉、38金、26玉、24飛、35玉、25飛、34玉、
52馬、同香、35香、45玉、44銀成、同玉、43桂成、同玉、23飛成、42玉、
33龍、51玉、31龍、62玉、61龍、73玉、71龍、84玉、75龍、93玉、
84金、82玉、73龍、81玉、36角、54香打、同角、同香、83香、92玉、
82香成
まで51手詰

24銀成、44玉、34成銀、同玉、52馬以下作意と同じ手順。53手。

評曰 本局は最初龍を犠牲にして銀の捌きは面白く以下二枚の大駒犠牲は好局なり
本局は昨冬酒井先生へ新年號を飾る原稿をと御願ひしたる處御多忙中にも拘はらず御投稿を蒙りましたるもの諸君御研究あれ
本局に對する解答早詰との解答殆どなれ共玉將の退路惡しき爲めなり充分御研究あれ
早詰等は決してありません



 32年10月、松井雪山の発案で、誌友の対局譜に対して指名された人が遠慮なく批評するという「互勵會」なる企画が始まりました。34年3月号は18回目。指名された5人の中に今田政一の名前があり、翌4月号にその講評が「第十八題を見て 初段 今田生」として掲載されています。


34年10月

Geppo1703

48龍、同と、47金、同と右、35角、56玉、67金、同玉、69飛、56玉、
67角、66玉、85角、56玉、67角、66玉、94角、56玉、67角、66玉、
58角、56玉、67角、66玉、85角、56玉、66飛、同銀、68桂、55玉、
56歩、54玉、63銀生、53玉、62銀生、同香、63と寄、同香、同と、54玉、
55香、同銀、同歩、同玉、64銀、54玉、66桂、同金、53と、64玉、
63角成、75玉、84銀生、86玉、96馬
まで55手詰

評曰 本局は素人の作物とは思はれざる妙局なれば盲評は見合たり
附記 作意は右の手順なり但し僅か二十餘手の早詰の解答を寄せられし有力解答者二三あり事實早詰なるや否哉は本局の如き大作物は一朝一夕には調査困難なれば作者へも照會の上後日發表する事もあるべし

 角による連取り。『龍光』第20番の原図。完全作です。改作図は初手に手順前後があります。


つづく

2016年6月18日 (土)

今田政一研究 その6

 この◯は? その2 解答募集中です。


1933年のつづき

33年7月

Geppo1377

23角成、15玉、25金、同桂、14馬、同玉、13飛成、同玉、23香成、同玉、
56馬、14玉、23馬、同玉、24飛、33玉、22銀生、32玉、42と、同歩、
33歩、41玉、31銀成、51玉、41成銀、61玉、51成銀、71玉、61成銀、81玉、
71成銀、91玉、81成銀、同玉、72歩成、同玉、74香、61玉、21飛成、51桂、
71香成、同玉、51龍、72玉、62龍、83玉、73龍、94玉、93桂成、同歩、
86桂、95玉、75龍、96玉、85銀、95玉、84銀、96玉、95龍
まで59手詰

本局大駒の犠牲玉を降(ママ)退成銀の追撃面白し

 『龍光』第10番原図。完全作ですが、改作により『龍光』では余詰を生じました。



33年8月

Geppo1391

56金、同玉、66飛、同玉、58桂、56玉、67銀、45玉、56銀、同玉、
67角、65玉、76角、56玉、65角、45玉、54角、56玉、74馬、65歩、
同角、45玉、54角、同飛、46歩、55玉、65馬
まで27手詰

評曰 本局は最初手駒の打捨面白し中盤以下は追詰の作物なり
吉田俊三郎氏曰く 本局は左記の手順にて早詰あり 56金、同玉、66飛、同玉、58桂、56玉、57銀、同玉、84馬、56玉、66馬、45玉、72角成、54合、37桂打迄 桂一枚殘る15手詰

 本局は「私家版『詰将棋第二部集』」で紹介しました。唯一の第二部発表作です。
 『龍光』第18番(完全)の原図です。



33年12月

Geppo1440

57と、48玉、47と、同玉、59桂、同香成、57金、48玉、47金、同玉、
57飛、48玉、47飛、58玉、48飛、同香生、67角、47玉、58角、同成香、
65馬、同香、36銀、56玉、54飛、46玉、55銀、56玉、66銀、46玉、
56飛、同玉、65銀、55玉、67桂、44玉、33銀生、53玉、64銀、43玉、
44歩、54玉、55歩、64玉、66香、65歩、同金、63玉、64金、62玉、
54金、51玉、61香成、同玉、62歩、同玉、63歩、51玉、62金、41玉、
32と
まで61手詰

評曰 本局は最初の駒捌き複雜なるに驚きました其爲め變化等も附記したるもの以外に記入したきも三手亦は五手位のものなれば省略したり兎に角53玉と引く迄の手順の(ママ)讀切るは頗る難解であります讀者諸君味ひありたし

 『龍光』第26番の原図です。完全作。
 『龍光』と刊本は同じ改作図で、棋形がコンパクトになり収束を短く切りつめましたが、余詰。


つづく

2016年6月17日 (金)

今田政一研究 その5

 この◯は? その2 解答募集中です。


 1933年、この年の活躍は目覚ましく、6局も発表しています。

33年2月号

Geppo1318

43歩成、同歩、44金、同歩、23桂成、同玉、
32銀生、24玉、23銀成、同玉、
41角成、24玉、23馬、同玉、73飛成、24玉、23龍、同玉、34金、22玉、
23歩、31玉、43金、36飛、32歩、41玉、53桂、同龍、31歩成、同飛、
同香成、同玉、33飛、41玉、32飛成
まで35手詰


25飛、12玉、24桂、23玉、32銀生、22玉、12桂成以下。

評曰 本局は僅々参拾餘手詰作物なれ共變化を詳細に記入する時は非常に複雜に渉り殊に講義に等しく相成事故唯一通りの變化のみ記入したり惡からず諒せられたし最初味方の妨害なる駒の捌きは興味湧くが如き妙局なり中盤三六飛合等の一手は含みあり味ひありたし
岩木氏曰く 本局は随分と念入りに調べ馬鹿々々しいと思え(ママ)る順までやりましたがどうしても詰順はありませんでした七三金が質駒のやうには思え(ママ)るのですが

 『龍光』第8番。余詰作です。



33年3月

Geppo1326

92金、同玉、81龍、同玉、71歩成、92玉、82歩成、93玉、83と、同玉、
73と、同玉、72角成、64玉、54馬、75玉、78香、同馬、66金、同玉、
76馬、57玉、58馬、46玉、57銀、35玉、36馬、44玉、54馬、33玉、
22銀生、42玉、32馬、同銀、52飛、43玉、54飛成、42玉、52龍
まで39手詰

評曰 本局は變化に富みたる局面なり最初盤上の金龍を犠牲にして一週(ママ)の追廻は面白き好局なれ共唯遺憾に思ふは駒數の多きに比し其手順の短きはアツケなし
岩木氏曰く 本局拾七手目の七八香打捨は面白く尚ほ最後の馬の捨場も味ふべき妙手

 わずか一枚(2ページ)の新聞のような体裁の臨時号に掲載されたもの。通常発行の翌4月号に再掲されています。
 これは完全作ですが、『龍光』第9番に収録の際、玉位置を左右対称に整えるための改作で潰れました。



33年5月

Geppo1350

88金、96玉、97金、同玉、64角、87玉、88歩、同玉、97角、同玉、
89桂、86玉、84飛、同歩、77馬、75玉、67桂、64玉、55馬、53玉、
45桂、42玉、33馬、31玉、23桂、21玉、11馬、32玉、33馬、21玉、
22歩、同飛、43馬、32飛、同馬、同玉、31飛、22玉、11飛成、32玉、
31龍、43玉、33龍、54玉、53龍、65玉、55龍、76玉、75龍、87玉、
77龍、96玉、97龍
まで53手詰

評曰 本局は最初金角を犠牲にして四枚桂の攻撃面白し以下味方の飛の妨害なるを八四飛と捨場巧妙なり以下四枚桂の追撃にて馬の協力甚だしき爲め敵の左翼へ肉薄して飛馬の交換となりて龍にての寄手巧妙なる作物なり
附記 本局の變化を詳細に記入すれば二頁以上に渉り複雜なれば重(ママ)なる變化のみ記入したり

 『龍光』第23番原図。完全作です。本局も『龍光』収録の際、玉位置を変える改作で潰れました。


つづく

2016年6月16日 (木)

今田政一研究 その4

 この◯は? その2 解答募集中です。


 1930年代に入って、今田は誌上での旺盛な活動を開始します。

 32年5月号には1月号から解答募集が始まった「二代名人伊藤宗印圖式」
の第9番と第11番(32年4月号)に今田が誤図である旨を指摘したことを兎月が述べています。第9番は69桂脱落、第11番は玉方94歩脱落との指摘で、その通りでした。
 また第4番の手順解説が誤りであることも、今田により「御注告」があったと記されています。

なぜか出題時は一貫して「二代名人伊藤宗印圖式」、解答発表時の表題は「二代名人伊藤宗印圖式」だったり「二代伊藤宗印圖式」になったりでした。いうまでもなく、伊藤家の当主としては二代目ですが、名人としては初代宗桂、二代宗古、初代宗看、五代宗桂に次ぐ五世名人です。

32年6月号
193206_2
左は酒井桂史作です。
初の揃い踏み。

1213

64と、同玉、62龍、同銀、74馬、55玉、56馬、44玉、34馬、53玉、
52馬、64玉、74馬、55玉、56馬、44玉、55銀、同香、34馬、53玉、
52馬、64玉、65歩、同玉、74馬、同玉、84飛成、63玉、54龍、73玉、
83と、同玉、94龍、73玉、84龍、63玉、65香、53玉、54龍、42玉、
52と、33玉、34龍、22玉、24龍、23歩、34桂、11玉、12歩成、同玉、
13香、21玉、11香成、同玉、13龍、21玉、22龍
まで57手詰

 当ブログの「『将棋龍光』全作品」と重複しますが、改めて掲示します。初出のままです。
 『將棋龍光』(以下、『龍光』と称。特に断らない限り、刊本でなく月報誌上に掲載されたものを指します)第19番。刊本との違いは51とと51金。

評曰 本局は一大作物なり六拾手近くの作物にして最初龍を犠牲にして馬の運用を計るは面白し以下馬の追撃にて玉將の回轉面白き趣向なり尚銀を犠牲として退路を閉塞して敵の左右一巡退路(ママ)して終局するは巧妙なる作物なり

 評曰は選者・山村兎月の感想です。「左右一巡退路して」は「左右一巡して」が正しく、『龍光』では直っています。


酒井桂史作

1214

81と、72玉、82香成、63玉、64歩、52玉、57飛、同金、63歩成、同玉、
45角、同桂、67飛、同金、64歩、52玉、53歩、同銀、同と、同玉、
35馬、42玉、43銀、同玉、44馬、32玉、33銀、23玉、24銀成、12玉、
45馬、11玉、23桂、12玉、31桂成、22玉、23馬、31玉、32銀、42玉、
33馬、53玉、43馬
まで43手詰

評曰 本局は最初と金の威力にて玉將の位置を替へ五七飛六七飛と再度の遠飛打興味津々たり以下最后の寄手としても申分なし
流石は酒井先生獨特の妙作なり



32年10月号

1261

74金、同と、同銀成、同玉、75飛、84玉、85歩、83玉、72飛成、同玉、
73銀打、83玉、95桂、同と、84歩、74玉、75歩、63玉、53香成、同香、
64歩、52玉、43と、同桂、同馬、同玉、44香、32玉、22歩成、同歩、
31と、23玉、15桂、同金、13と、同玉、24金
まで37手詰


51と、同玉、41金、52玉、43馬、同玉、44香、52玉、51金、同玉、41歩成、61玉、71銀成、同玉、83桂以下。
63歩成、同玉、64香、52玉、51と、42玉、52と、同玉、62香成、41玉、52成香、同玉、43馬、同玉、44香以下。

 『龍光』第15番。あぶり出し市松です。

評曰 本局は詰揚り千鳥型の配列となりたる曲詰なり別に妙手等は無きも詰揚り面白き作物なり


 つづいて11月号では、「二代伊藤宗印圖式」第13番から第32番までの優秀解答者として、第一位・田代武雄、第二位・今田政一、第三位・手塚清作とあります。賞品は「該書の寫本」でした。


32年11月

1274

67桂、同成香、37角、46桂、同角、56玉、35角、55玉、44角、54玉、
56飛、同銀、46桂、同馬、55歩、同馬、64銀成、同馬、53と、同馬、
46桂、64玉、53角成、同玉、31角、42桂、同角成、62玉、63歩、同玉、
55桂、同桂、64馬、同玉、34龍、53玉、54龍、62玉、51龍、63玉、
64歩、同玉、54龍、75玉、84龍
まで45手詰

評曰 本局は至極巧妙なる作物なり最初合駒の無き所に六七桂と犠牲にして合駒を渡して成香の位置を變更して玉將の通路を閉塞する所に妙味湧くが如し本局を詳細に變化を記入すれば三四頁に渉り復(ママ)雜なれば省略したる故に御研究の上味ひありたし
本局詰方四九金落脱(ママ)せり追加す

 『龍光』第30番。49金脱落は月報の誤植。補っています。「本局は處女作也」と『龍光』にあります。
 初手37角は46金合、82角は73金合で詰みません。



つづく

2016年6月15日 (水)

今田政一研究 その3

 この◯は? その2 解答募集中です。


 今田の解答は26年頃まで確認できます。曖昧な書き方ですが、毎月の結果発表ではなく、三箇月分まとめての成績発表という形式に変わったため、最終的に解答を送ったのが何月までかハッキリしないためです。
 最高位は1927年1月号の成績(7~9月号分)で、西の大関でした。塚田銀波(塚田正夫)の名前が見えます。また山村亀鶴は山村兎月の甥ですが、水雷艇友鶴の転覆事故により34年3月亡くなっています。
 全解者は5名ですが、大関と小結の違いは何だったのでしょうか。

Photo_3

 また26年4月に募集が始まった「優秀素人棋友人氣投票」では3点を獲得して9月号に初登場。10月号では15点に伸ばしましたが、最終的(1927年6月発表)にはそのままの得票でした。大作を発表したとはいえ、発表作はこの時点で一局だけでした。

 27年1月号から3月号まで、「各府縣棋界の情勢及び好棋客二十名」という記事があり、各府県(東京都はこのときは東京府)の強豪が20名ずつ紹介されていますが、27年3月号の神戸市の項に今田の名前が見えます。最上位は大関で今田は前頭三枚目です。当時熱心な解答者で「今田政一研究」で紹介した競技会で今田と同じく全勝した野田長次は前頭四枚目。14歳の少年棋士という月報の紹介記事(24年7月号)を見たことがありますので、このとき16、7歳というところでしょうか。


 28年3月号の松井雪山「古今將棋諸書評論に就て」に、今田より指摘を受けたことが書いてあります。


 28年8月号には、今田生の名で「名人詰將棋百番」という投稿があります。
---
名人詰將棋百番に登載されてゐる二代宗古作圖式に誤謬あるを指摘し併せて將棋教圖式を発表し同好諸氏の御參考に供したいと思ひます。同書の解答は次の如き手順であります

二代宗古圖式第一番

1

22銀、42玉、43銀、53玉、64金、62玉、35馬、51玉、42銀成、同玉、
53金、51玉、61角成、41玉、52馬、32玉、42馬、23玉、33馬、14玉、
25馬也

所が盤面の圖に誤脱がある爲か早詰が生じて居ます。即ち最初の22銀42玉の時64馬と行く妙手があつて以下51玉41角61玉52馬71玉62銀81玉91金迄で詰むのであります。所で將棋教圖式に前圖と大同小異のがありますから左に掲げます。或は此圖が名人宗古の眞意であると思はれます。

將棋教第十番

10

42銀、同玉、64馬、同歩、43銀、33玉、34銀成、22玉、23成銀、同玉、
35桂、22玉、29香、31玉、41金、32玉、23香成なり
---

おかもとさんから『名人詰將棋』では87歩でなく87龍であるとのご教示をいただきました。
右辺の配置は正しいです。

 ちなみに『象戯図式』の正図は次のようです。

第13番

020013

42銀、同玉、64馬、同歩、43銀、33玉、34銀成、22玉、23成銀、同玉、
35桂、22玉、24香、31玉、41金、32玉、43桂成
まで17手詰

 名人詰將棋百番は『古今 詰将棋書総目録』によれば1913年將棋新報社編輯部編・大野萬歳館刊。正式には『詰將棋百番』で、名人~は題簽による呼称のようです。
 將棋教はちょっと見当がつきません。

 なお30年4月号から前田三桂による「名人大橋宗古圖式詳解」が始まりますが、前田は余詰を避けるためとして、正図に玉方21桂と攻方28歩を加えています。それも余詰。

 28年8月号には「現代棋客詰將棋佳作集」100局が掲載されました。今田作はもちろん一局のみで201手詰。第21番です。9月号、10月号は解答篇。菊地と丸山の短評がそのまま掲載されています。
 この作品集は単行本として発行される予定で、29年9月号まで近刊予告が出ていましたが、結局出版されていません。

Photo_4
※29年9月号裏表紙

 同じく28年8月号。「有段者」の欄に「最近關根名人より免状を授與された好棋客は左の人々です」として23人の名前がありますが、その中に「神戸市 初段 今田政一」とあります。

 1920年代はこれで終了です。

つづく

2016年6月14日 (火)

今田政一研究 その2

 この◯は? その2 解答募集中です。


 この年、今田は精力的に解答し、10月号に掲載された7月~9月分の成績表では小結になっています。この頃の解答の正誤判定は明確ではなく、7月号にこんな記事がありました。
---
解答者諸君に告
九九生

◆詰將棋の正解か誤解かを決定するに時として非常に困難を感ずる事があります之も其の一例であつて非は寧ろ小生の方にあらうかと思はれるのですが兎に角解答者諸君多數の御意見を伺ひして見たいと思ひ此所に掲載する次第であります、之れによつて小生の正誤(詰、解答の)を決定する標準の上に多大の參考にならうと思ひますから……
◆問題の起りは前々號の本誌に掲げられた詰將棋第九の解答に就いて某氏から「…自分は第九を正解した積りであるのに誤解となつて居るのは其の意を得ない…」といふ意味を戴いたからであります同氏の解を再調しましたに第廿手41玉以下次の如く記してあり升41玉、52銀、31玉、32馬、同玉、43桂成、31玉、41銀成、同玉、52桂成、31玉、42成桂、同角、22香成、同香、32歩、41玉、52香成也
變化は簡に付略し候也
◆此局は既記の如く32馬の所に21とと指す順もありましたが此解答の如く32馬と指しても其れを以て誤解とは決して申しませんが22香成に對し同香は確かに缺点である此所は是非共同玉と取り12と、同玉、13歩打、11玉、12銀打、22玉、23銀成、31玉、32成銀と指すべきである
唯此所に問題となるのは此第九の解答に於て此程度の缺点は誤解の部へ入るべきか正解の部へ入るべきかといふ一点にある之れについて解答者諸君の御意見を汎く御伺ひしたいと思ひます
-----
※原文は四一玉…のように漢字表記だが、半角数字に変更。以下同じ。

長井善吉作1925/05

0069

41銀成、同玉、42金、同金、31飛、52玉、64桂、62玉、61飛成、同玉、
72角、51玉、42龍、同玉、43金、31玉、32金、同玉、54角成、41玉、
52銀、31玉、
32馬、同玉、43桂成、31玉、41銀成、同玉、52桂成、31玉、
42成桂左、同角、22香成、同玉、12と、同玉、13歩、11玉、12銀、22玉、
23銀上成、31玉、32成銀
まで43手詰

21と、同銀、34香、33歩合、43桂、32玉、51桂成以下。
53馬、42歩合、同馬、同玉、43桂成、31玉、41銀成、同玉、52香成、31玉、42成香、同角、32歩以下。

 九九生は加藤文卓。1924年10月号に「本社詰將棋顧問」として紹介され、加藤自身が書いたプロフィールが掲載されていますが、指将棋に関することだけで詰将棋にかかわる話は一行もありません。もっとも、これは月報から棋歴を書けとの要請だったようで、肩すかしでした。
 さて、九九生の依頼に対して、8月号で「御高見を寄せられた方が六七名ありましたが、皆々厳選を御希望のやうに思はれます。即ち前號掲載の第九の答案は誤解とすべきが當然であるとの御意見であります」とあり、丸山正爲、今田政一他の意見が紹介されています。
 「厳選」は厳しく採点するという意味でしょう。

---
手數は長くとも其手段が容易な平凡な俗詰に終るものは手數短くとも妙手ある方を正解と致しますが問題の解答は玉將の逃げ得る餘地を見落したものと思ふべきであります、其れ故誤解の部へ入れるのが當然であります
今田政一氏
---

 一名だけ、「全局を見るに難問を通過し何れに進むも容易に詰みに至るべき域に達し居れば」と擁護する意見がありました。
 ところで今田の意見前段の部分は妙手説であり、加藤は「かかる場合には是非共其長短兩様の手順を共に御明記を願ひたい」と締め括っています。

 明くる26年3月号、今田は懸賞詰将棋欄に初登場。4月号の結果稿に「本局に早詰ある事丸山正爲氏の解答を見て漸く氣がつきました、詰方13歩は「12」へ置くべきものと思ひます。此局は今田氏苦心の大作でありますから本號に再出する事に致しました。輕卒にも早詰を發見せずに掲載し解答者諸君に御迷惑をかけた事は幾重にも御詫申します」とあります。これを読むと、誤植ではなく今田の見落としによるもののようです。
 そして4月号、修正201手詰。非限定や迂回はありますが、当時は問題なく完全作です。現在でも完全作扱いでしょう。

0146

28角左、18玉、64角、27玉、77飛、同と、28龍、36玉、37龍、45玉、
46龍、54玉、53金、同桂、55龍、63玉、53龍、74玉、73龍、85玉、
75龍、96玉、97歩、同玉、77龍、96玉、97歩、95玉、96歩、同玉、
97龍、85玉、86龍、74玉、75龍、63玉、73龍、54玉、53龍、45玉、
55龍、36玉、46龍、27玉、16龍、38玉、36龍、29玉、39龍、18玉、
19龍、27玉、28龍、36玉、37龍、45玉、46龍、54玉、55龍、63玉、
53龍、74玉、73龍、85玉、75龍、96玉、97歩、同玉、95龍、88玉、
97龍、89玉、78銀、同玉、77龍、69玉、79龍、58玉、59龍、47玉、
57龍、38玉、37龍、29玉、39龍、18玉、19龍、27玉、28龍、36玉、
37龍、45玉、46龍、54玉、55龍、63玉、53龍、72玉、73龍、61玉、
71金、51玉、53龍、52飛、63桂、41玉、52龍、同玉、42飛、63玉、
43飛成、74玉、73龍、85玉、75龍、96玉、97香、同玉、77龍、96玉、
97龍、85玉、86龍、74玉、75龍、63玉、73龍、54玉、53龍、45玉、
44龍、36玉、46龍、27玉、16龍、38玉、36龍、29玉、39龍、18玉、
19龍、27玉、28龍、36玉、37龍、45玉、46龍、54玉、44龍、63玉、
33龍、74玉、73龍、85玉、75龍、96玉、97歩、同玉、77龍、96玉、
97龍、85玉、86歩、74玉、77龍、63玉、73龍、54玉、53龍、45玉、
44龍、36玉、46龍、27玉、16龍、38玉、36龍、48玉、37龍、58玉、
67龍、48玉、57龍、38玉、37龍、29玉、39龍、18玉、19龍、27玉、
28龍、36玉、37龍、45玉、46龍、54玉、44龍、63玉、53龍、74玉、
73龍
まで201手詰


 短評は二名。このうち菊地桂秋のものは湯村光造氏の「『將棋月報』で辿る戦前の詰棋界」に引用されていますが「古作物を模倣したるものにもせよ二百一手の大作にて処女作としては上出來なり」。
 もうひとり丸山正爲は「本局は實に今田氏の大作と敬服の外なし終局八六歩打亦輕手にして妙味津々たり」と褒めています。

 ところで前回の誤解者が多かった問題の作者は、三代宗看。『将棋無双』第60番でした。
湯村氏「これは現在では考えられないことだが、当時は三代伊藤宗看図式(将棋無双、但し当時はこの呼び名はなかった)の解説本はなく」「自分達が三代宗看図式を解明するのだという使命感があったのに違いない」(「『將棋月報』で辿る戦前の詰棋界」)

つづく

2016年6月12日 (日)

今田政一研究

 この◯は? その2 解答募集中です。


 今田政一は酒井桂史、岡田秋葭、里見義周などと共に「將棋月報」を代表する作家です。
 酒井や岡田は謎の作家ですが、今田政一も負けず劣らず謎が多い作家です。酒井、岡田は生没年や家族の一部(酒井は父母、娘の名、岡田は父の名)は分かっていますが、今田はそれすら不明なのですから。
 もっとも、作品が分かっていれば、作家の属性についての知識は不要というのが私の考えですから別に困るわけではありませんが、作家の周辺を探るのも一興です。
 というわけで、「將棋月報」(以下、月報と称)に見る今田政一の足跡を辿ってみました。

 今田政一の名が初めて月報に登場するのは1925年2月号の「前號解答者」欄です。前月の懸賞詰将棋を一題誤解しています。全題正解でなかった人の多くがその出題で躓いています。

Muso60

57桂、同馬、37桂、44玉、45歩、同金、33龍、35玉、36歩、同金、
24龍、44玉、33龍、35玉、27桂、同金、24龍、44玉、35龍、同玉、
36歩、44玉、45歩、33玉、43馬、24玉、26飛、同金、25歩、同金、
33馬、同玉、25桂、42玉、33金、31玉、21と、同玉、12歩成、同銀、
同香成、同玉、13銀、21玉、22銀成
まで45手詰


 さて誰の作品でしょうか?

 同じ号の「ハガキ集」に「愛讀者諸兄の中に將棋新選圖式を御所持の方で其寫しと初代伊藤宗看著圖式百番將棋駒くらべ(嘉永二年再版)の寫しを御交換下さる方はありませんでせふ(ママ)かありましたら下記まで御一報下さい(神戸市・・・今田政一)」
 『將棋駒くらべ』を所持し、『
將棋新選圖式』(象戯手段草)を求めていたことが分かります。

 さらに同じ号の「各地通信」に木見八段主催の「初競技會」(1925年1月11日、東区平野町・魚廣楼)の結果が載っており、「一等賞 將棋盤一面 全勝 神戸市 今田政一」とあります。四勝すれば全勝なのですが、何名か全勝者がおり抽選の結果、今田が一等賞。指将棋も強かったようです。

つづく

2016年6月11日 (土)

この○は? その2

 それでは、「この○は?」の正解発表です。
 正解は「読者の投書欄」でした。詰パラの「読者サロン」のページに当たるもので、似たようなことを書いてあれば正解にしようと思ったのですが、
難しすぎたのか正解者はありませんでした。
 1924年4~6月号は「ハガキ便り」、7月号から1925年7月号まで「ハガキ集」、8月号から「讀者の聲」、1935年11月は「ポスト」、1942年6月号から「回覽板」と
名称を変えます。
 「讀者の聲」に変わったのは、十八庵を名乗る秋田県の読者の「本誌に對する私の希望」(1925年8月号)と題する一文がきっかけでした。
-----
…「ハガキ集」も極めて必要に思ひますが寧ろ之を「讀者の聲」又は「讀者倶樂部」等と改稱する方が讀者本位の大方針を表示する上に好都合かとも思はれますが…
-----
 読者本位を標榜していた月報に、読者の投書欄が無い時期が多いのは意外ですが、投稿と思われるやや長めの記事はたくさんあります。ただし、短文の感想や要望をまとめたコーナーが常時設置されていたわけではありませんでした。

 「回覽板」は
櫻井蘇月の「讀者欄を」との提案を実行したもの。時局を反映した名称で、大政翼賛会の末端の組織である隣組の連絡手段として位置づけられていたものです。

とんとんとんからりと 隣組
格子を開ければ 顔なじみ
廻して頂戴 回覽板
知らせられたり 知らせたり
(作詞・岡本一平「隣組」)

 あらためて問題です。 賞品は継続。
 表内の○は1926年5月号以前及び1933年12月号以後の「将棋月報」とはあることが変わっていた期間を示しています。12月号以後は元に戻ります。
 さて、この期間は何が変わっていたのでしょう。
 これはさらに難問かも知れません。

 答えはコメント欄またはtwitterのメッセージを
@_karineko へどうぞ。メッセージ以外のつぶやきは応募とはみなしません。
 個々に返事は差し上げません。(期限6月20日、翌日にブログで答えと当選者を発表)
 コメント欄はこの件の答えに関しては非表示にします。表示希望の方はその旨も書いてください。
 住所の記入はとりあえず不要です。正解者にはこちらから連絡します。
 応募は一度限りとしますが、当選者が本当に現れないときは、さらに手だてを考えるかも。ww

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1941
1942
1943
1944 廃刊

黄色のマスは臨時号のみ(通常号と同じ月に臨時号がある場合は着色せず)
緑色のマスは国会図書館に無い号

黒色のマスは休刊

2016年6月10日 (金)

智慧くらべ 正解発表

 智慧くらべ正解発表。借り猫解です。

1

 他にも答えはあると思いますが、香を一段上げるとか金を一段下げる(32金→33金、34金→35金...)とか、91飛を99飛にするとかは同工異曲。
 丸山生は「次號に拙解申上ることにします」と書いていますが、次號にも次々號にもさらにその先にも拙解は見当たりませんでした。

2016年6月 9日 (木)

智慧くらべ

 同じく、月報1927年1月号、丸山生。

-----
智慧くらべ(


先頃或る老人より左記の問題を出されまして私は最初馬鹿氣た詰位に思つて居りました所愈々やつて見ると中々容易に詰まず又詰を随分苦心漸く手順を發見致しました
お正月の座興迄に如何でせう

Photo

◯即ち圖面以下左の規定に依る
詰方 一度打ちたる駒は絶對に動かすを得ず
玉方 敵駒を取る事又間駒は不可なり

其の爲盤面縦横無儘意の如く逃ぐる事を得る
-----
原文は「智慧らくべ」と誤植

 51玉は、玉の動き方ではなく、どこにでも動ける駒ということですね。
 要するに持駒で盤上すべてをカバーするような置き方をせよという問題です。
 簡単ですね。

2016年6月 8日 (水)

我儘勝手詰將棋 正解発表

 この◯は? 解答募集中です。


 我儘勝手詰將棋の正解発表。借り猫解です。

Photo_2 
 ①62歩、52玉、61歩成、42金、51金まで。
 
62歩、42金、61歩成、52玉、51金まで。
 この順は54銀に何の意味もありません。

 63銀生、52金、同銀生、62玉、63金まで。
 53銀生、62銀、同銀生、52玉、53銀打まで。

 53銀生、62金、同銀生、52玉、53金まで。
 今度は銀の顔は立ちましたが、持駒が不要でさらに一歩余る。

 というわけで、不完全作。完全作かどうかを尋ねているわけではないので、これでも良いのでしょうが。

 ②ばか詰として詰めると、52歩、同玉、63銀生、51玉、52歩、同金、同銀生、62玉、63金まで9手詰。これは52同金が右でも左でも良いので応手非限定。

2016年6月 6日 (月)

我儘勝手詰將棋

 この◯は? 解答募集中です。


 「将棋月報」1927年1月号より。
 筆者は丸山生とあるので丸山正爲(明歩)だと思われます。

-----
我儘勝手詰將棋

持駒歩一つで五手詰だと昔々或る名人が詰め得たと言ひます。

Photo_2

果して詰むでせうか。詰んだら出題者横田幸歩氏から賞金一人前金百圓を呈するさうです。
但し左の規定は嚴守する事
玉方は詰方の命令は絶對に服從する事 然し玉の頭へ歩を打つて其處動くな、金で歩を取るなと命令したのでは興味がありません
例へば六二歩と打ち玉は四二へ行けとか六二へ金上がれとか勝手な命令を下し五手を以て絶對に玉の逃道のないやうに詰めるのです
-----

 ①王手の連続では5手では詰みませんが、そうでなければ5手で詰みますね。
 ②王手の連続(ばか詰)なら何手で詰むでしょうか。
 正解は6月8日に。懸賞ではありません。

2016年6月 5日 (日)

盤前漫筆

 この○は? 解答募集中です。


 酒井桂史には「盤前漫筆」と題した一文が二つあります。
 このうち、「将棋月報」1926年8月号のものは「詰棋めいと」第10号(1990年3月)に全文掲載されているので、知られているのではないかと思いますが、その前月、1926年7月号にも「盤前漫筆」があります。こちらは寡聞にして紹介されたものを見たことがありません。

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本誌六月號で前田三桂氏から詰將棋創作の苦心談でも書けと云ふ御勸めを受けましたが(
※1)、實に恐縮の至であります。斯道に指を染めてから未だ年月の淺い私の事苦心談と云ふやうなものを公にするにはまだ餘りに經驗に乏し過ぎます。
先年櫻井先生
※2からも同様の御勸めを受けた事がありましたが、同じ理由の下に辭退したのであります。今度も辭退の外はないのであります。惡しからず御思召を願ひます
   ×   ×   ×
本誌の表紙の「將棋月報」と云ふ題字は今少し何とかならないでせうか(
※3)、勿論關根名人の書を兎や角申すのでは毛頭ありません、印刷の仕方を變へて欲しいのであります、あの網目版を止めて凸版といふのか何といふのか知りませんが將棋新誌※4あたりに見るやうなのにして頂きたいのです。さうすれば今より一段と見栄ゑがすると思はれます
   ×   ×   ×
今度、前田三桂氏の提案を納れて
※5本誌の詰將棋欄を二部に分たれましたのは結構な事で是に依つて世に定評ある詰將棋欄が更に其の特色を倍加した事になりました。名案があればどしどし採用される本誌の宏量を愉快に存じます。
   ×   ×   ×
各將棋雑誌で毎號待ち兼ねて見るものには、大崎八段の古人今人の名局、木村八段の香落定跡講義、前田三桂氏の論説、二峯生先生
の圖巧解説などがあります、古人今人の名局は棋譜の解説をしながら人を説き時代を語り感想を叙せられるあたり興味の儘きざるものがあります、棋譜の講評と云へば殆んど無味乾燥なもの許りでありますが、尤も文章の性質上己むを得ない事ではありませうが、あれだけは醍醐味を有して居るやうに存ぜられます、木村八段の香落講義は今更その優秀明快さを云ふだけ野暮でせう、前田三桂氏の論説は毎號何等かの題目を捉え來つて縦横無儘に論議せらるゝ有様は痛快至極です、圖巧解説は微に入り細に亘り欠陥ある局には補修を施し、駒存在の意味を闡明(せんめい)し時には或駒を不要なりと斷定せらるゝなど、痒い所に手の届くやうな御解説振りには全く頭が下がります
今回は是れにて御免を蒙ります
次回には何にか書く積りで居ります
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原文のまま

※1
 1926年6月号で前田三桂が「忌憚なき希望」と題して月報に対する長文の感想や要望を述べていますが、そのなかで「酒井桂史君は、私とは頻繁に文書を往復し、互に討論するのであるが、氏は詰將棋を作る手腕は、専門家も徒跣(はだし)である。詰將棋製作上の注意や苦心談でも聞く事が出來れば、後学を裨益する事少なくはないと思ふ」と書いたことを受けています。


※2
 櫻井蘇月。櫻井三桂と同一人物。1889年生まれ、1945年3月東京大空襲により、訪れていた阿部主幹と共に犠牲となる。

※3

 この当時の題字
192407

 背景に網がかかっています。この題字は1928年7月まで使用されました。
 8月から
192808_3

 上記の題字は長く続かず、1928年12月から
192812
に変わりました。1932年1月まで。その後も細かく変わります。

※4
 「將棋新誌」は1925年1月創刊、1928年12月号まで48号発行されました。
Photo_3

越智信義『将棋の博物誌』(1995・10三一書房)より

※5
 1926年5月号に月歩の筆名で
「忌憚なき希望」という一文があります。次月には前田三桂による同一の題名の寄稿があるので、これも前田三桂なのでしょう。その中に「初心者の爲に同じく五題位の駒数の少い興味ある詰將棋を掲載されることは強ち無意義のものではなからうと信ずるのである」とあり、これを指しているのだと思われます。

月歩は前田三桂ではなく、岡村月歩という別人でした。福岡県門司市の人。
2016年9月12日記

1926年5月号

192605_8


1926年6月号 第一部、第二部に分かれる

1926062_3 1926061_3

 2題のみ易しいですが、「毎號出題」とあるも10月で終了。以後は初心者向きとは言えず、普通に難しいです。(笑)
 こののち、第三部、第四部、第五部と新設されていった背景には、読者、解答者からの難しすぎるという不満があったのではないかと思います。

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