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2016年4月15日 (金)

清水清好作集

 清水清はいつ亡くなったのかハッキリしません。
 盟友千葉勝美による「思ひ出集」(初回の題名は「八丁堀便り」)は月報1942年3月号から廃刊記念号(1944年2月)まで掲載されました。これは既発表作を懸賞出題したもので、清水作と千葉作があります。肝心の思い出を綴った文章は最初の2回分だけしかありません。「八丁堀便り」は「月報誌上にも随分御無沙汰致してしまひました。もうかれこれ十二、三年位に成るでせうね。小生も好敵手清水清君を亡くしてからは…」という書き出しで始まります。実際、千葉は1931年11月号を最後に1942年2月号まで月報への発表作がありません。
 『三百人一局集』の篠原昇氏によれば「彼の名は『将棋月報』昭和八年迄見えるが、それ以後は見当たらないので、没年はこの頃と思われる」。1928年1月時点で16歳だったとのことなので、1933年は21、2歳ですが。
 月報1929年6月号の丸山正爲による「各地訪問記」では、京橋区八丁堀の「十八間幅の新道路に面して」千葉印刷所があり、「直ぐ前の理髪店に居られる清水清氏が來られた」とあります。さらに「實に昨年頃の將棋新誌上の活躍は目覺ましいもので」云々と。「將棋新誌」は1928年12月を以て終刊。「將棋春秋」は1929年1月創刊、1931年12月終刊。「思ひ出集」の作品で、初出が月報に見えない作品は「將棋新誌」「將棋春秋」に掲載されたものかも知れません。篠原氏によると全体では約70局あるそうですが、上記二誌の作品は承知しておりません。

 1928年 1月時点では八丁堀仲町の理髪店勤務、16歳(『三百人一局集』)
 1929年 6月号月報に丸山正爲の訪問記事
 1930、31年頃 麻雀に熱中する(千葉勝美1942年5月号月報「思ひ出の記」による)
 ? 徴兵検査乙種第一合格(「思ひ出の記」)
 ? 徴兵検査の「その翌年理髪師の試驗に合格」(「思ひ出の記」)
 1931年 9月号月報に、美容術試験に合格したことの報告とともに懸賞出題。本郷区駒込神明町で「営業」
 1932年 「本郷区本富士町に店を持ち」(「思ひ出の記」)結婚する
 1933年 1月号月報に投稿記事「詰將棋諸々私見」
 同 年 1月初旬、櫻井三桂所持の原図を書写した川合新之助より「不成百番」の寄贈を受ける
 同 年 1月25日、櫻井三桂宅に遊びに行き、伊藤勝喜等と対局(「思ひ出の記」)
 同 年 3月号月報に最後の作品
 同 年 3、4月号月報に「二代目伊藤宗印 不成百番解説」掲載(20局ずつ第40番で終わる)

 分かったのはこの程度です。1928年1月に16歳という前提で考えると、千葉の「思ひ出の記」の記述は正確ではありません。というのもこの当時、徴兵検査は満20歳以後ですから最速で1931年に徴兵検査、1932年に美容術試験となりますが、清水自身が1931年の月報に美容術試験に合格したと書いているからです。
 また、千葉は「理髪師の試驗」、清水は「美容術試驗」と書いていますが、これは同じもので、呼称としてはもちろん清水が正しいのです。
 櫻井三桂、川合新之助、伊藤勝喜はいずれも月報に発表作があります。
 田代武雄編『詰將棋第一部集』(1937年1、2月)の登場作家で、「故」が付いているのは瀧谷正鄕と川合新之助の二人。清水は故人とされていません。その死は知られていなかったのでしょう。

1928/09 將棋月報(以下も同じ)

0567

78角、同と、58銀、68玉、57龍、79玉、69金、89玉、88金、同と、
79金、同玉、77龍、78と、88銀、89玉、98馬、同玉、97龍、89玉、
99龍
まで21手詰

 
同玉は、88金、69玉、58銀以下。
 
 図巧第88番と線対称の位置にある石垣模様作品。88金と捨ててから79金と押す(同とは87龍)のが好手順です。ただし本局は形を整えるために飾り駒があります。次の図でも手順は変わりません。



0567_2



1928/11


0581

91歩成、同玉、97飛、同と、55馬、73桂合、82角、81玉、71角成、同玉、
61と、同玉、62銀、52玉、42歩成、同歩、53銀成、同金、44桂、63玉、
73と、同銀、53飛成、同玉、65桂、43玉、33金、同銀、同香成、同玉、
23歩成、34玉、24と、35玉、25と、36玉、37銀打、同桂成、同銀、27玉、
28金、同成桂、同銀、36玉、27銀、同玉、28と、16玉、17と、同玉、
29桂、16玉、28桂、27玉、37馬
まで55手詰


55同金は、82角、81玉、71角成、同玉、61と、同玉、62銀、52玉、42歩成、同玉、53銀成、31玉、43桂まで。

 97飛は邪魔駒消去。55馬は54金の利きを53から外すためです。なかなか豪快な手順です。



1929/09

0714

13龍、12歩合、23桂打、21玉、22龍、同玉、14桂、21玉、13桂生、同歩、
22歩、12玉、11桂成、同玉、12歩、同玉、23銀成、11玉、21歩成、同龍、
12歩、同龍、同成銀、同玉、22飛、11玉、23桂生
まで27手詰

 12歩合は当然の合駒ですが限定です。23桂と重ねて打つのが巧手。跳ねてしまうと、あとで23銀のとき支える駒がありません。
 61龍は離れ過ぎのようで実は最善。51龍だと3手目23桂跳、21玉、
33桂打、同馬(同歩は22歩、32玉、44桂、41玉、33桂生、同馬、31桂成、同玉、33龍以下)22歩、同馬、同龍、33角、同歩、同銀成、21玉、13桂生、同歩、22歩、12玉、24桂までです。
 合駒で生じた歩が12のときは打歩を招来する有効な駒、13へ進んで一転、退路の邪魔になっているのは面白い。
 61龍でなく、61飛ならもちろん詰みません。




1930/06

0877_2

89馬、同玉、79金、99玉、89金、同玉、78銀上、88玉、89銀、同玉、
78銀、88玉、89銀、同玉、56馬、67桂、同馬、99玉、69龍、98玉、
89龍、97玉、96と、同玉、78馬、95玉、77馬、94玉、76馬、93玉、
75馬、92玉、98龍、81玉、73桂、72玉、92龍、82角、84桂、73玉、
64銀、62玉、82龍、51玉、52龍、同玉、53銀成、51玉、62角、41玉、
31歩成、同玉、43成銀、21玉、23香、12玉、22香成、同玉、33成銀、同玉、
22銀、24玉、57馬、15玉、25金、同玉、35馬、15玉、26馬、24玉、
51角成、34玉、33馬、45玉、44馬上、56玉、66馬、47玉、48金左、46玉、
55馬左、35玉、44馬左、25玉、34馬引、15玉、16歩、同龍、同馬、同玉、
17歩、15玉、16飛、24玉、33銀生、13玉、35馬、23玉、24馬、12玉、
14飛、21玉、22歩、31玉、11飛成
まで105手詰


99龍も可。

43馬寄も可。

田代武雄(『詰將棋第一部集』解説より)
「本局は大作なり清水氏苦心の結晶にして本書中の難局と思ふ」

 清水の最長手数作。邪魔な駒を次々に捌いて、56馬に67桂合が好防。単に99玉なら、あとで74馬と飛び出す手があり早詰になります。
 途中から双馬追いになるのが面白く、いくつか非限定はありますが、まずは好作でしょう。



1931/01

1488_2  

83桂生、92玉、91桂成、同玉、64馬、73歩合、同馬、82歩合、同馬、同玉、
83歩、92玉、93歩、同玉、94歩、92玉、72龍、91玉、82歩成
まで19手詰

 本局は、月報初出時の作者名は不明でしたが、『詰將棋第三部集』で清水作であることが明らかにされています。
 73歩合は攻駒をダブらせる中合。
 無駄なくできていて、好感が持てます。



1932/06


1216

37角、同龍、24銀、同玉、46角、25玉、24金、26玉、37飛成、17玉、
27龍、同玉、28飛、36玉、37銀、45玉、34銀生、44玉、43銀成、同玉、
33金、44玉、
36桂、33玉、23飛成、42玉、24角、41玉、43龍、同銀、
51角成
まで31手詰

24飛、45玉、25飛、44玉、36桂の迂回手順有り。

 角の打捨て二発。最初は質駒化、二発目は利き外しです。金の活用の味が良く、収束も決まっています。


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