『将棋駒競』考 番外その2
龍谷大本は元々西本願寺の「写字台文庫」に収められていたもので、同文庫には絶板になった『象戯勇士鑑』もあります。
ここの『駒競』は、清水孝晏ワープロ版の説明では献上本系の扱いとなっているのですが、中身を見るとかなり異図があります。
(2015.12.23記 当初13図異なるとしていましたが、15図でした)
上記龍谷大本の15図のうち、11図は古図鑑版と同じなのです。すなわち、25、42、44、49、61、71、75、83、84、85、96番です。47番と93番は、清水本と古図鑑版は一致していますが、龍谷大本はかなり違います。27番、98番は清水本とも古図鑑版とも違います。
龍谷大本は、清水孝晏が言うような献上本系なのでしょうか? 確かに林羅山の序、宗看の跋と印影は、清水本と同じです。大きさは、27.5㎝×20㎝くらいと思われます。これは清水孝晏が「献上本」と呼んでいる29㎝×21㎝より小さく、内閣文庫本(旧・昌平坂学問所蔵書)の26.5㎝×19.5㎝より大きいです。
作品配列は清水本と同じだが、個々の作品の配置は古図鑑版に類似しているものが多いのです。
古図鑑版には「種本は主に、横田幸歩編纂昭和四年一月將棋月報社発行書である」と明記してありますが、その月報社版の原本は「寫本」で誤りが多いものの、正誤表により訂正すると古図鑑版に近い姿になります。そしてその写本の底本は元禄7年版の流れだろうと思います。
というわけで、龍谷大本は献上本系の配列でありながら、個々の駒配置、持駒はむしろ元禄版系に近いという不思議な本なのです。
作品配列は清水本と同じだが、個々の作品の配置は古図鑑版に類似しているものが多いのです。
古図鑑版には「種本は主に、横田幸歩編纂昭和四年一月將棋月報社発行書である」と明記してありますが、その月報社版の原本は「寫本」で誤りが多いものの、正誤表により訂正すると古図鑑版に近い姿になります。そしてその写本の底本は元禄7年版の流れだろうと思います。
というわけで、龍谷大本は献上本系の配列でありながら、個々の駒配置、持駒はむしろ元禄版系に近いという不思議な本なのです。
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