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2015年5月 7日 (木)

詰将棋クラブ発足に当り

詰将棋クラブ発足に当り 土屋健

 智的スポーツとして最高級の詰将棋は戦後将棋そのものの急速な敷衍(
※1)と共に素人間に広く興味を持たれる様になりました。一時は多数の将棋雑誌が刊行され詰将棋を発表観賞する機会に恵まれ、特に詰将棋パラダイスの出現は詰将棋専門誌として詰将棋ファンを充分堪能させてくれました。が端倪を許さざる経済界の変動は出版事情の困難を招来して将棋雑誌も廃刊の不止得(※2)に至るもの二、三に止まらず、再び我々詰将棋ファン発表観賞の門は閉され髀肉の嘆をかこつ状況になり誠に遺憾な次第でありました。
 この時清水孝晏・村山隆治の両君が詰将棋同好者を糾合して詰将棋クラブを結成しファン相互の親睦を計り、創作発表の機会を提供し、詰将棋の研究展開を企画した事は最も時宜に適した有意義な事業と謂うべきでしょう。戦前素人作家協会を結成すべく努力した事も再三ありましたが未だ成功した事実は一度もありませんでした。これは全然報酬を目的としない素人作家を対象とするので○○上の利害関係を度外視し唯詰将棋が好きだと謂う情熱を持った人が多大の時間と労力を犠牲にして主催せねばならなかったからです。この点今回は初めて求むる人を得たので発足の運びになりました。このクラブを運営発展させるのは、一つに会員の詰将棋に対する情熱だけであります。切に会員相互の努力に依り盛大に展開するよう祈って止まざる次第です。
 会報も最初は隔月であり、謄写版刷であるとの事ですが、できれば毎月活版刷りにして発行したいものです。将棋雑誌では、最近よくなりつつありますが、素人作家の作品は、単にネームバックがないだけの理由で常に軽くあつかわれ、棋力の低い素人作家の努力の結晶である作品を、如何にも載せてやろうという様な状態で心外に耐えない次第でありました。
 それでも自己の作品が発表になった時の嬉しさはいじらしい程です。それも発表機関の減少により、初心者の作品では掲載される機会に恵まれません。詰将棋クラブの結成により、かかる多数の初心者の作品も会報上に発表され、研究の対象となる事は、発表意欲を満足させると共に引いては創作欲を刺激して優秀な作品を生ずる機縁となるであろう事は信じて疑わざる処であります。
 願わくば会員相互の緊密な連絡により、詰将棋に関する研究を発表研鑽しあい、詰将棋クラブを益々隆盛ならしめる様祈る次第であります。

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詰棋界 1951年4月 第1巻第1号
(非売品)本会々員のみに供与 本会々費一ヶ年100円とあります。

 不鮮明なコピーのため、ところどころ判読できません。
※1)は敷衍としか見えません。
※2)は止むを得ず、と読ませたいのでしょうか。

 このときの編集同人は
清水孝晏
石田武男
鈴木賢(尚歩)
金田秀信
北村研一
村山隆治
顧問 土屋健

になっています。

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