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2015年1月30日 (金)

嫦娥に寄せて

 「詰将棋パラダイス」1964年2月号にこんな記事もありました。
 原文のまま。
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嫦娥に寄せて
-煙詰創作の諸価値-

山田修司

 今年(38年)の春、上京の際に門脇芳雄氏の好意により東京近辺の同好者と一堂に会し楽しい一日を過した。
 その席上私は、門脇氏から我が耳を疑うようなことを聞いた。黒川一郎氏が小駒の煙詰を作ったというのだ。すぐに私は聞き直した。途中合駒で大駒が出てくるのでしょうね-と。ところが氏は違うという……。信じられぬ。どう考えても信じられぬ。私は貧血をおこしたときのような軽いめまいを感じた。目の前が暗くなった…。
 「小駒の煙詰-不可能と思う。小駒ばかりでどうして駒が消えるに従い広くなる盤面上の玉をとらえられるか、考える余地なし。」(パラ74号より)煙の鬼才田中氏の言葉だが氏の不明を笑うなかれ。氏だけじゃない。おそらく詰棋作家なら誰もがこう考えていたことであろう。恥かしいが私も小駒煙は絶対不可能と信じていた。今だから告白するが、僅かに、途中合駒によって大駒を入手する準小駒図に可能性を見出し、将来の看寿賞用のアイデアに……不逞の野望をもやしていたのであった。だから門脇氏に聞き直した。先手を打たれちまったか! と思ったのだ。……
 しかし半信半疑で見せてもらった一局はまぎれもない小駒だけの煙り詰だった。小さな駒々が織りなす怪しい色彩。カラコロと消えてゆく駒の背後にロマンチスト黒川氏の顔が見える。
 古今の詰棋を乱読し大抵の詰物には不感症になっていた私だがこの時いいようのない感動におそわれた。一種の戦慄感さえも。それは若かりし頃あこがれの図巧を入手し、それをひもといた時の感激の再現であった。誰もが不可能と思いかえりみなかったことが実現した。奇蹟が目の前にある-図巧99番(煙詰)を史上第一位の傑作というなら嫦娥は史上第二位の傑作と称しても過言でないだろう。
 詰棋史上不滅の金字塔をうちたてた黒川氏に無条件脱帽し、心からお祝いの言葉を贈りたい。黒川さんおめでとう……と。

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-世は正に煙詰ブームだ。煙詰に非ざれば長篇に非ずといった感さえあるね。ところが最近煙詰の希少価値がなくなったせいか煙詰に疑問の声もでてきている。今日は煙詰の価値について君の忌憚のない考えをうけたまわりたいね。
-確かに希少価値はなくなった。現在迄発表された煙詰は完不完とりまぜ二十数局に及んでいる。そのうち発表時に不完全だったのは五~六局かな。数に於ては裸玉、周辺巡り、双方不成、七種合、など一寸思いつくだけでも希少価値の上のものがいくらもある。しかし煙詰の場合は希少性だけですべてを論ずる訳にはいかんね。
-それはそうだ。煙詰は詰棋作家の一つの目標でもあるからな。でもこう乱造され誰でも作れる事が実証されたんじゃひと頃の様に「煙詰」現わる!ともてはやされる事はなくなった感じもある。もっとも今回の小駒煙などは別だがね。

-簡単に作れそうな事をいっちゃいかん。乱作された事は事実だがその裏には日夜「煙の壁」にいどんだ諸作家の精進と努力がある。ぼくはそれをこよなく尊いと思うしそこに現代の煙詰価値を見出すね。
-ところで今迄発表された煙詰の最高傑作はどれかな。
-愚問だねえ。普通の煙り詰ではなんといっても図巧99番にとどめを指す。
-しかし最近のは還元玉とか遠角とか不成とか長手数とか色々あるぜ。
-盛たくさんな事は認める。だがなんといってもオリジナルは看寿のだ。現在ならともかく享保の昔、可能かどうかさえわからなかった煙詰を作ったということは大変なことだ。そこには熱と意気がある。偉大な創意がある。看寿はひとのやった事は決してしなかったからね。詰棋を芸術というならば看寿こそは真の芸術家だ。またこんな観点を抜きにして作品そのものの比較でも看寿のは優れている。中原に玉を追いじりじり包囲網をせばめていくあたりは正に圧巻だね。この作からは君にはわからんだろうが一種の香気を感ずる。棋品高き傑作だね。
-そう馬鹿にするな。僕だってこの作の良さはわかる。ともかく考えようによっては現代の煙詰は看寿のやった事を手をかえ品をかえをかえてるに過ぎんかも知れん。創意がないことは否めない。看寿の煙詰という目標があったからこそかくも大量に煙詰が生産された-ともいえるね。
-草柳氏が田中氏の煙詰のとき黒川氏の諸作により大きい価値があるといったのは一つにこの観点からだと思う。他の芸術にもいえることだが詰棋の場合最も重要なのは創意-独創-だからな。もちろん黒川氏の諸作には詰棋の新らしいジャンル「ロマンス」を発展させたというもっと重要な意義もある。
-看寿のが一位は異議ないとして二位はどれかね。
-君はやけに順位をつけたがるね。作品の良し悪し抜きで看寿以降の諸作-普通の煙詰-のうち最も意義のあるのはやはり黒川氏の「落花」だろう。これは煙詰第二号だがなかば神様のように思われていた看寿以外の人間でも煙詰を作れる事が立証されたからね。煙詰諸作のうちではこの作に限り今回の「嫦娥」同様黒川氏の偉大な創意を感ずるね。人間が最初に音の壁-マッハ1-をこえたときに似た感じだ。また作品そのものの評価では田中氏の「アトラス」あたりが優れているといえる。
-そんなとこかな。話はかわるが現代の煙詰は自陣成駒がやけに多いねえ。君の口調を借りると-そこには煙詰という制約に甘えきった作家の安易な妥協がある。逃避がある。ということになりそうだ。
-これはきびしいことをいうね。確かに昭和の煙詰は自陣成駒を無視して作られているような感がある。その点でも看寿のは格調が高い。成駒が目立たないからね。しかし君がいうように妥協もあるだろうが自陣成駒によって煙詰の可能性が拡大されたという意義も認めねばならんだろう。
-長手数煙はどうかね。
-これも一つの記録だね。しかし記録はいつかは破られる。現に田中氏が百二十七手の煙詰を発表し「この手数をこす煙詰は今後できまいと確信している」といってから半年もたたぬうちに今回の「金烏」だ。百三十手を越すということは大変なことだが価値の点では「嫦娥」とは比較すべくもない。
-次は誰がこの記録を破るか-まさに、興味しんしんといったところだね……

引用者注記
※O、Yの名前以外の太字は、原文では傍点付き。

※「金烏」は不完全作だったので、完全作の記録としては「初雪」→「初夢」(131手詰)→「妖精」(添川公司作「近代将棋」1983年3月、発表図183手詰)ということになると思います。

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