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2015年1月 9日 (金)

田中鵬看著『詰将棋集』 その2

 以前紹介したことのある田中鵬看著『詰将棋集』の続きです。
 まずは序文。原文のまま。
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序文

 田中鵬看(輝和)氏の詰将棋作品集-これは愛棋家の夢ではないかと思います。
 田中さんは「煙詰」で彗星のごとく登場した稀代の天才です。
 昭和35年に「近代将棋」にいきなり4局の「煙詰」を投稿してこられた時の私たちの驚きと感動は今でも忘れることはできません。
 「煙詰」は看寿がつくつて以来、もつとも創作しがたい神秘的な詰将棋とされていました。それが田中さんの手にかかると、あたかもシンコ細工のように出来上がつてしまうのです。この人に棋神が乗り移つているとしか、私には考えようがありません。
 こんどの作品集は巻末に「煙詰」の神品が何局か収録されていますが、ほとんどが、従来あまり田中さんが見せなかつた短篇です。これも面白いし、手数の短いものにも鬼才田中さんの片鱗がうかがわれて素晴しいと思います。
 この詰将棋集によつて、詰将棋の深さや芸術性をより認識していただければ、田中さんとしても作者冥利につきるのではないでしょうか。

 昭和46年2月 近代将棋社社長 永井英明
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序にかえて 詰将棋黄金時代

 詰将棋の元祖は「大橋宗桂」とされている。彼は弘治元年(1555年)京都に生まれた町人であつたといわれる。碁の本因坊算砂(この人は将棋も強かつた)の推挙により、将棋の上手として織田信長に仕えた。前名は宗慶、宗桂は信長より賜わつたという。信長の死後は豊臣秀吉に、そして豊臣家没落後は徳川家に使えた。徳川家康は碁・将棋を好み、碁打ち・将棋指しに俸禄を与え、碁所(ところ)将棋所の制を設けて保護した。その制度が出来たのが慶長年間、慶長5年(1600年)が関ケ原の合戦、豊家滅亡の大坂夏の陣が元和元年(1615年)であるから、大体その頃であり、350余年前の事である。
 「大橋宗桂」は初代名人として将棋所の司となり、詰将棋50題を収めた「象戯図式」を幕府に献上した。これが現在に伝わる最も古い将棋の本で又、最古の詰将棋の書とされている。この原書は大版と中版とあり、中版は西村英二氏(全日本詰将棋連盟関西支部長)が所持しておられます。
 以来350年。その間といつても明治までの江戸時代と、明治期、大正期、昭和に入つて45年を経て今日に到つた。
 極めて大ざつぱにいつて、詰将棋の歴史は江戸時代に絢爛たる花を咲かせて終つた(黄金時代を樹立して了つた)と断言してよい。
 特に
※三代伊藤宗看(七世名人)の"詰むや詰まざるや百番"こと「無双百番」
※贈名人伊藤看寿の"象戯奇巧図式"こと「将棋図巧」(百番)の二書は詰将棋書の二大聖典といわれ、今日までもとより、日本に詰将棋というものの存在が認められる限りは、永久に価値不変の宝典として敬仰されてゆくべき書である。
 江戸時代には、右の外に数多くの詰将棋作品集が作られ、その殆どは今日も残つており、我々はそれを入手する事は可能であるがそれらすべてのものは、前記の二書の前に並べる時は恰も太陽の前の月(?)のように色あせたものというのも過言ではない。
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 江戸時代が終り明治に入り、大正に移つたが、詰将棋不毛の時代というべきである。僅かに大正末期より信州松本に於て発行の「将棋月報」という雑誌に於て生色を取り戻し、一応の華は咲かせたものの、戦争により昭和19年その燈も消え、そして敗戦。
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 昭和20年4月、私の手に依つて名古屋から「詰将棋パラダイス」が発刊、幾多の曲折はあつたものの旧新通じて通巻200号を超えて、毎月発行している。いま発行中の「近代将棋」も野党誌として奇くも同年同月に創刊せられ、詰パラと並んで詰将棋の発展に寄与してきた。
 今回、本書を刊行された田中氏は近代将棋誌上に一挙数局の"煙詰"を携えて彗星のごとく登場した異才である。
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 序文としては異例の長さとなつたが、私は決して詰将棋の歴史を述べようとして筆を費しているのではない。
 江戸時代に黄金時代を現出した詰将棋界が明治、大正、昭和(戦争)を経て、遂に第二の黄金時代を迎えたことをいいたかつたのである。これは決してオーバーないいかたではない。
 いま詰将棋界で活躍している人達を挙げれば、本書の田中氏をはじめとして、北原義治(東京)山田修司(札幌)田中至(北海道)岡田敏(川崎)小西逸生(別府)山中竜雄(広島)植田尚宏(愛知)藤井国夫(東京)柏川悦夫(浦和)門脇芳桂(東京)その他数え上げたらキリのない位の有力現役作家がひしめいている。
 ここで各位は、将棋指しの名前が出て来ぬのを不思議に思われるかも知れぬが、右に挙げた諸氏に比肩し得る将棋指しとしては塚田九段、二上八段、内藤八段、清野七段くらいのものであつて他の人達は名前を挙げるのを躊躇する。そのことは将棋指し自身がよく知つている筈であり、将棋指しは指将棋が生命であるから決して恥ではない。
 かくの如き百花繚乱を指して第二の黄金時代と申し上げるのである。
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 田中鵬看氏の実力の全貌を本書が余す所なく伝えているかということになれば、それは一寸ためらわれる。しかし本書が同氏の持つ詰将棋力の底知れぬ深さと芸の重みをうかがうには決して材料不足とはいえない。
 こうした作品集は本書の外にも、二、三にとどまらないが、すべての実力作家(前記各氏)の珠玉のような作品集が続々上梓されることが望ましい。本書がそうであるように、昭和詰将棋黄金時代の精華を刻みおく記念塔として。

 昭和46年2月 全日本詰将棋連盟幹事
   同連盟機関誌「詰将棋パラダイス」
   編集主幹 鶴田諸兄
   (〒457 名古屋市南区呼続町1
         文勝ビル 402号)
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まえがき

 詰将棋は実に華やかである。その中には必ず一つ以上の盲点が隠されていて、凡手の連続に終始せぬはずだ。玉の意表を衝く、好手妙手の連発で玉を射止める爽快さは、詰将棋を知る者のみわかる醍醐味といえよう。
 詰将棋においては、難解な作品が必ずしもよいとは限らない。本編に取りまとめた150曲の作品中、佳作傑作と自負できる作品は数少ない。初心者の方にも正しく理解して楽しんでいただくためにも、あえて大衆を主眼に、手頃な作品を選んでみた。初心者には三手詰の問題でもその必要性は十分にある。何事も基礎が大切である。基本をおろそかにしては、棋力上達の妨げとなるのは当然のことである。
 詰将棋に強くなれる秘訣。それは詰手筋を数多く、会得することが先決問題だ。安易だからといつて甘く考えず、難解だからといつて避けるようでは、詰将棋に強くなるには失格だ。ジツクリ時間をかけ、根気よく、自分の頭で消化できるまで考慮してもらいたい。くれぐれも駒を動かさず、できるだけ解答を見ずに解くことをおすすめする。努力なくして上達の見込みはない。解答を知つてしまつたのでは、コロンブスの卵同様、巧妙窮まる好手妙手も、ただの凡手としか映らぬからだ。頭で読むよう心掛けてもらいたい。さすれば自然に"考える習慣"も身につき、詰将棋の真髄に触れることもできよう。
 詰将棋特有の技術をマスターして、実戦における終盤に応用すれば、いかほどの利点があるかはかりしれぬ。何事も締めくくりが肝要だ。終盤まで必勝の将棋を、詰めが甘いばかりに負けた苦い経験は、諸賢も数知れずあろう。実戦の詰めは、詰将棋より遙かに易しい。詰将棋に強くなれば、難解窮まる終盤戦に突入しても、何ら臆することなく、勝利に導くことができよう。
 本書によつて終盤の実力を養成し、実戦に臨んで好敵手をアツといわせてもらいたいもの。詰将棋即ち、"寄せ"の実力を身につけることこそ、実戦に強くなる秘訣と信ずる。詰手筋をかみしめながら、ゆつくりと楽しんでいただきたい。
 なお巻尾を飾る大作五題は、実戦とは縁遠きものにて、詰将棋の真髄ともいうべき作品である。鵬看の魔術とでもいうところか。よろしく御鑑賞、お楽しみの程を願いたい。
 末文になつたが、本書の出版にあたり、東洋印刷(株)社長上林棟一氏に大いなる激励と支援を得、また増田義雄氏のご協力がなかつたら世に出ることがなかつた。深く感謝の意を表する。

 昭和46年2月 田中鵬看
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つづく

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