2017年6月25日 (日)

江戸文芸に見る「将棋」その3

 こういう意味のないことに時間を取られるのは実に楽しい。(笑)

 今回は中川喜雲『しかたはなし』(1659年刊ヵ)。『假名草子集成』
第33巻(2003年3月 東京堂出版)。

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先祖の年忌に、僧俗よびあつめ、斎(とき)の調菜(てうさい)に、しるにもふ、にものにも、ふ、さしミにも、ふ、さかなにも、ふを出したれハ、俗の中より、いふやうハ
 僧衆の御経を、とらやとらや、と、よませらるゝゆへ、ふか、たくさんな
と、いふ
僧の、いはく
 いや、さやうてハない、わうしやうも、ふのもの也
と、いはれし

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 巻一第48話。
 引用した『假名草子集成』は、現在も未翻刻の仮名草子を翻刻・出版中だが、語義の注釈などは一切ないので困る。括弧内は原文にあるルビ。
 「ふ」は麩である。「とらや」は禅宗系で読まれる「大悲心陀羅尼」をさしているのだろうか。
 「わうしゃうも、ふのもの」は「王将も歩のもの」と「往生も麩のもの」を掛けているのだろう。それにしても「とらや」ゆえに「ふ」、という意味が分からない。
 虎の斑の意か。そうすると将棋には関係がなかったかも。

※「王将も歩のもの」という諺?があることを知らなかった。
「方策が尽き運命が窮まっては、勇将もあえなく敵の一兵に倒される。王将も最も弱いこまの歩のえじきとなる。強者も場合によっては、弱者に打ち負かされることのたとえ。一説に「往生もふのもの」の誤りともいう」(『日本国語大辞典』)

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むかしむかし、きやうげんの番くミに、いぐゐと有を見て
 これハ、中将棊(ちうしやうぎ)の事を、きやうけんに、するか
と、いふ
 いかに
と、いへハ
 中しやうぎに、獅子(しゝ)のいくひ
といふ

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 巻二第2話。
 『しかたはなし』は全5巻197話を収めるが、読んでただちに面白さが分かる咄とそうでない咄がある。この咄は分かりやすいが結末が想像できる分、つまらない。
 狂言の「いぐゐ」とは「居杭」という演目。透明人間化した者のいたずらの話。
 中将棋の駒である獅子は玉と同じ利きを持つが一手で二回動けるので、利きの範囲の敵駒を取って元に戻ることもできる。これを居食いという。

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かくをわつらふ者有
友たち、見まひにきたりける時
 いしやハ、なにと、いはるゝそ
と、とひけれハ、膈(かく)と、いふ事を、わすれて
飛車(ひしや)と、いふ煩(わつらひ)じや、と、いはれた

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 巻四第15話。
 膈は、飲食物が胸につまるように感じる病症であるらしい。

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かふきの子共をあつめ、将棊さし侍る者あり
何とやらん名を、いひし、かふき子、そはに見物してゐけるに、まだ手あきの人々おほけれハ、かつ手より今一めん、盤(ばん)を持て出ぬるに、かの見物のかふき子、心のうちに、食を、まちかねける、と見えし色、外にあらハれたり
持出る、しやうぎのばんを、しりめにかけ「膳(ぜん)か出る」と思ひ、人のさしてゐる、しやうぎを、そはから、くつし
 膳かでた まづ、しやうきを、くつしたか、よい
と、いふて、上座に、なをりけるに、そハへ持来るを見れは、しやうきの盤にてそ有し
是ほと、そつしのいたり、せうしなる事て、あつた

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 巻四第16話。
 「かふき」は「傾奇」で、ここでは不良少年といった意味か。
 「かつ手」は勝手。「そつし」は卒爾で、軽率の意。「せうし」は笑止。
 食事の時は、指し掛けた将棋を崩す慣習でもあったのだろうか。

2017年6月11日 (日)

江戸文芸に見る「将棋」その2

 くどいようだが「将棋」を探しているのではなく、知りたいのは別の語句なのであるが。

『新撰犬筑波集』(山崎宗鑑 1524年以降)
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碁うち双六しやうぎさすなり
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『犬子集』(松江重頼編 1633年)
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さか馬にいられて後はつめにくし 貞徳
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 えのこしゅうと読む。
 『新撰犬筑波集』だの、『古今犬著聞集』だのと「犬」が付くのはそれぞれ本家『新撰菟玖波集』や『古今著聞集』に対する卑称である。
 『犬子集』の本家は何かといえば、序文に「犬子集といふ事、犬筑波をしたひて書(かき)たる」とある。


『塵塚誹諧集』(斎藤徳元 1633年)
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将碁さすかたへにうてる碁寸五六(すごろく)
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 管見の範囲では、碁や双六は将棋より出現度合いが高い。特に「碁」は一音ですむので、17音という限られた文字数しかない俳句では重宝されるのである。


『新増犬筑波集』(松永貞徳 1643年刊)
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まけかたの馬はかひなし中将碁
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 中将棋を詠んだ句は珍しいのではないだろうか。


『正章千句』(安原正章 1647年)
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様々の手ある将棊のこまかさよ
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『崑山集』(鶏冠井(かえでい)令徳編 1651年刊)
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将棊さしの上手(じやうず)にみせな金銀花 
喜多正友
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 金銀花は漢方薬らしい。


『紅梅千句』(有馬友仙編 1653年ヵ)
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天道よかたせてたまへ此将棊 可頓

まけさうに成ても強き中將棊 友仙
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『懐子』(松江重頼編 1660年刊)
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自慢めきさせる将棊ハ位詰め 宗立
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 ふところご。国会図書館のデジタルライブラリーを眺めていて見つけた。
 影印本は「近世文學資料類従」にあるらしいが、翻刻はされていないようだ。上記は合っていると思うが自信はない。
 ところで「くらいづめ」は将棋用語ではなく、「敵を身動きできないようにすること」(『日本国語大辞典』)。
 名前を見て、五代宗桂との棋譜が遺っている森田宗立かと思ったが、別の誹諧集に大坂之住 川崎宗立とあるらしく(『貞門談林俳人大観』 1989年 中央大学出版部)、別人なのだろう。
 森田宗立は『京羽二重』(1685年刊)の「諸師諸藝」の「將棊」の部に鎰(かぎ)屋重兵衛として登場し、『象戯綱目』(1707年 赤縣敦庵編 竹村新兵衛刊)では「江戸 森田宗立 鎰屋十兵衛事」と掲載されている。


『宗因千句』(西山宗因 1673年刊)
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将棊をもさす月影のさやかにて
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 指すと射すを掛けている。

 このほか、歩三兵にやられたという句もあったが、メモを取らなかったので思い出せない。『
誹風柳多留』ならありそうだが、初期誹諧集で見たのである。
 歩三兵とは上手方盤上玉一枚で持駒歩三枚。24歩、同歩、23歩で角を取られるというアレ。

2017年6月 5日 (月)

西鶴と詰将棋

 前回は芭蕉の将棋の句に触れたので、今回は西鶴。
 芭蕉と西鶴は同時代人で生まれは西鶴が二年早く、没年も西鶴が一年早い。
 西鶴には『懐硯』(1687年)という短篇集があり、その中に「後家に成ぞこなひ」という作品がある。
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…かくて年月かさなりある時甚九郎つれづれなる雨の日淋しく。日比(ころ)將棊好にてむつかしきつめものの圖を案じける程に。朝の四つより七つ半まで詠(なが)め入。さても今合点(がつてん)が往(い)たこれでつむものをと。吐息つきながらうめきける音したるに。何事と女房かけ付て見れば。はや目を見つめて寒汗(ひへあせ)瀧のごとく。…
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(『定本西鶴全集』第三巻 1955年 中央公論社)

 朝の四つより七つ半は、午前10時から午後5時まで。詰将棋を長時間考えて、解けたと思った途端絶命するのである。実に詰キストの鑑ではないか。(笑)
 亡くなって直ちに、弟二人と女房がそれぞれに欲心を起こして財産を狙うが、絶命と思ったのが実は仮死状態で、息を吹き返したあと三人は勘当、離縁とさんざんな目に遭う。
 詰将棋の部分は話の発端に過ぎないのだが、詰物とは何かといった説明は全くなく、こういう風景が読者にも特に違和感なく受け入れられていたと思われることに注目したい。
 この当時、刊行されていた(詰)将棋書は「新増書籍目録」(1681年 山田喜兵衛刊)によると
 將碁教 宗固
 同大本 宗桂
 同首書 宗閑
 同鈔
 同仲古 久須見
 同鏡 同
 同作物 宗閑
 同中象戯

となる。宗固は宗古、宗閑は宗看であることは言うまでもない。
將碁教は將棊(新板將棊經 二代宗古 1654年 本屋甚左衛門刊)か。五代宗桂の『圖式 象戯手鑑 指南抄』(1669年 柏原屋清右衛門刊)などもあったはずだが。
 西鶴が実際に将棋を嗜んでいたかどうかは分からない。芭蕉の書簡は二百通以上遺っているので年譜はかなり克明だが、西鶴は十通も遺っていないので、動静がよく分からないのである。

2017年6月 4日 (日)

洗濯と大矢数

 洗濯というと、坂本龍馬の姉宛書簡(1863年6月)にある「日本を今一度せんたくいたし申候」を思い浮かべる向きもあると思うが、ここでの主題はもちろん詰将棋である。

 『象戯洗濯作物集』(1706年 周詠編 風月荘左衛門刊)という詰将棋撰集があるが、いかにも奇妙な書名である。清水孝晏は「近代将棋」1970年5月号の「知られざる詰将棋」に本書を採りあげ、「題名が変っているだけでなく、内容も従来の詰将棋書とは異っている。(……)発行人が風月荘左衛門といういかにも人を喰った名前で、今日でいう海賊版ではなかろうか」と書いているが、風月堂は京師書林の老舗なのである。京都観光案内である『京羽二重』(1685年)にも「書物屋」10軒の中に名前がある。名古屋にも出店があったようで、芭蕉『笈の小文』途次の、「書林風月と聞きしその名もやさしく覚えて、しばし立ち寄りて休らふほどに、雪の降り出でければ いざ出でむ雪見にころぶ所まで 丁卯臘月(
1687年12月)初、夕道何某に贈る」という真蹟懐紙が現存する。夕道は京都の風月堂で修業した長谷川孫助の俳号。
 「詰棋めいと」第3号(1985年8月)に掲載された田代達生の論考によると、氏は『将棊詰方指南』と書名を変えた再版本(1854年以降・河内屋新次郎刊)を所持していた由。野田市立図書館電子資料室の
『象戯洗濯作物集』と「詰棋めいと」の『将棊詰方指南』は同じ板木のように見える。彫り直したのではなく、求板である。後の板元が書名を変えたのは、「洗濯」の語は似つかわしくないと思ったからなのだろう。
 ところで、「日本古典籍総合目録データベース」で検索したところ、江戸時代に「洗濯」を書名に含む本が、これに先立って一件だけあった。『俳諧洗濯作物』という俳諧の6巻本で寛文六年(1666年)の序文があるが、実際に刊行されたのは寛文十年以降にまで下るらしい。各地に零本があるが、6巻すべて所持していたのは正岡子規で、法政大の子規文庫にある。題簽の剥落もないらしい。編者は椋梨一雪という京出身の貞門派の俳諧師である。当時そこそこの実力者であったらしく、あちこちの撰集に入集している。序文を書いたのは加藤磐斎。貞門派は中世文学の知識の要求が厳しく、一派からは源氏物語や
枕草子の注釈書を著した北村季吟が出ているが、磐斎も実作より伊勢物語や方丈記の注釈書で知られている。初めて刊行された将棋の実戦集である『仲古將棊記』(1653年 久須見九左衛門刊)の序文を書いた加藤盤斎と同一人物であろう(盤はおそらく誤り)。

 さて、いかなる理由で「洗濯」と称したのか。
 その前に、今さら聞くまでもないと思われるかもしれないが「洗濯」の語義を明らかにしておこう。
 大漢和辞典に、「洗ひすすぐ。衣服に限らず、汚穢を去ること」として『後漢書』礼儀志上「是月上巳、官民皆潔於東流水上、曰洗濯祓除」を例示してある。是月は三月を指していて、「三月上巳の日、官民こぞって東へ流れる川のほとりで禊をするが、これを洗濯祓除という」ほどの意味だろう。三月上巳の日は後に三月三日に固定され、桃の節句となる。
 『俳諧洗濯作物』の跋文に一雪がいう。
 「釘の頭の出過ぎたるに、きぬの袖のかゝりかましく、もめん布このえり垢深くよこれたる心をすゝかましく、やがて洗濯物すなる盥の底の浅く敷、ミつから灰汁(あく)桶のたれたれの句数年月ため置しかと」云々。灰汁は文字通り灰を溶かした水の上澄みで、当時の洗剤である。
 また、磐斎が序文にいう。
 「洗濯物ハ、人びとの手をへてひねり出せる、思ひの糸のすゝけぬるにて、手織にしける言葉の花の錦のきれぎれをあらひすすぎて、色よきをえらびあつめてはたバりひろき一まきとつゞりたる、針手のきゝたるしわざなるべし」。「はたバり」は端張りで、幅を広くすること。灰汁は藁灰が良いとされるが、
斎はわざわざ「いかなる水にてあらへるや。わらの灰汁に非ず。……是ハこれ雪げの水なり」と雪解けの水として一雪に掛け、編者としての手腕を持ち上げている。
(引用は『俳諧洗濯物 俳諧碪』1995年「古典文庫」581より)

 一方
『象戯洗濯作物集』の序文は次のようにいう。
 「有る人が問ひて云く、此の作物象戯洗濯と名付くること、家の撰集其の外素人の作の粗誤を見出して抄に顕はせり。剰(あまつさ)へ先図を借るのみにあらず、我が侭に洗ひ濯ぐと云ふ事は、其の家の衆にさも似たり。如何と。答ふらく。分浄水を以て之を洗ふが故に洗濯と号す。譬へば並家の衣を洗ふが如し。後者も極清水を以て余が垢穢を濯ぎたまへと」
(田代氏読み下し文のまま)
 『俳諧洗濯作物』の書名、序跋文が
『象戯洗濯作物集』に何らかの影響を与えたかどうかは分からない。余談だが、「洗濯」は当時「せんだく」と読んでいたと思われる。1603年刊の『日葡辞書』にXendacuとあり、Qirumonouo xendacu suru.(着る物を洗濯する)と例文がある。『俳諧洗濯作物』については『誹家大系図』(1838年 生川春明)の一雪の項に著書として「せんだくもの」と記す。

 
『象戯洗濯作物集』は、福岡瀬平という人が古今の作品集についての評価や誤りを記して所持していたものを周詠が抜き書きして紹介するという体裁を取っている。瀬平は、蒐集した好作を記した本も持っていたと序文にあるが、こちらは「是記すに及ばず」とそっけない。『象戯洗濯作物集』は福岡瀬平が欠陥のある作品を指摘した問題作集という側面と周詠が集めた好作集という面を合わせ持った撰集なのである。
 福岡瀬平も周詠も他の文献に名を見ることが出来ない謎の人物であるが、序文中に「上方咄」について触れた部分があることから、周詠は京・大坂に関わりがある人物かもしれない。その「上方咄」だが、芭蕉の曲水宛1692年9月の書簡に「昨夜五つ前上方咄」とあり、そこでは膳所の珍碩が午後8時前に深川の芭蕉庵に着き、上方の俳人仲間の土産話をしたという意味に取れるので、
『象戯洗濯作物集』の序文の「上方咄」が上方落語に限定されることはないと思われる。

 田代は詰パラ1980年11月号の「無住仙良と宥鏡」のなかで、「洗濯作物集も亦、同一人物によるものではないかと推定している」と書いている。無住仙良=宥鏡=周詠という説であるが、正鵠を射ていると思う。
 宥鏡『象戯大矢數』(1697年)の「大矢數」も俳諧の書名から来たのかもしれない。大矢数は、京都の三十三間堂で日暮れから翌日の日暮れまで24時間に何本の矢を射通すことができるかという競争で、記録を破るため次々に挑戦者が現れ、世間の耳目を集めたらしい。『遠碧軒記』(1675年 黒川道祐)には最初の記録51から当時の記録8000まで、記録の変遷が細かく記されている。最終的に1686年の8133本が記録となった。これをめざとく誹諧の興行にしたのが井原西鶴で、一昼夜に1600句を吐き
1677年西鶴俳諧大句數」と題して出版した。初めて「大矢数」の題簽を持った「誹諧大矢数 千八百韵」(1678年 中村七兵衛刊)を著し西鶴の記録を塗り替えたのは月松軒紀子である。もっとも、証人不在で極めて疑わしいと西鶴は難じている。西鶴は1684年に宝井其角を後見として23500句という気の遠くなるような記録を打ちたて、競争にピリオドを打った。
 『象戯大矢數』は言うまでもなく「番外」の391手詰を大矢数に見立てたのだろうが、正編でなく番外作を念頭に書名としたのは不思議ではある。

170001

72馬、91玉、73馬、81玉、63馬、91玉、64馬、81玉、54馬、91玉、
55馬、81玉、45馬、91玉、46馬、81玉、36馬、72歩、同馬、91玉、
73馬、81玉、63馬、91玉、64馬、81玉、54馬、91玉、55馬、81玉、
45馬、91玉、46馬、81玉、36馬、72歩、同馬、91玉、73馬、81玉、
63馬、91玉、64馬、81玉、54馬、91玉、55馬、81玉、45馬、91玉、
46馬、81玉、36馬、72歩、同馬、91玉、73馬、81玉、63馬、91玉、
64馬、81玉、54馬、91玉、55馬、81玉、45馬、91玉、46馬、81玉、
36馬、72歩、同馬、91玉、73馬、81玉、63馬、91玉、64馬、81玉、
54馬、91玉、55馬、81玉、45馬、91玉、46馬、81玉、36馬、72歩、
同馬、91玉、73馬、81玉、63馬、91玉、64馬、81玉、54馬、91玉、
55馬、81玉、45馬、91玉、46馬、81玉、36馬、72歩、同馬、91玉、
73馬、81玉、63馬、91玉、64馬、81玉、54馬、91玉、55馬、81玉、
45馬、91玉、46馬、81玉、36馬、72歩、同馬、91玉、73馬、81玉、
63馬、91玉、64馬、81玉、54馬、91玉、55馬、81玉、45馬、91玉、
46馬、81玉、36馬、72歩、同馬、91玉、73馬、81玉、63馬、91玉、
64馬、81玉、54馬、91玉、55馬、81玉、45馬、91玉、46馬、81玉、
36馬、72歩、同馬、91玉、73馬、81玉、63馬、91玉、64馬、81玉、
54馬、91玉、55馬、81玉、45馬、91玉、46馬、81玉、36馬、72歩、
同馬、91玉、73馬、81玉、63馬、91玉、64馬、81玉、54馬、91玉、
55馬、81玉、45馬、91玉、46馬、81玉、36馬、72歩、同馬、91玉、
73馬、81玉、63馬、91玉、64馬、81玉、54馬、91玉、55馬、81玉、
45馬、91玉、46馬、81玉、36馬、72歩、同馬、91玉、73馬、81玉、
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46馬、81玉、36馬、72歩、同馬、91玉、73馬、81玉、63馬、91玉、
64馬、81玉、54馬、91玉、55馬、81玉、45馬、91玉、46馬、81玉、
36馬、72歩、同馬、91玉、73馬、81玉、63馬、91玉、64馬、81玉、
54馬、91玉、55馬、81玉、45馬、91玉、46馬、81玉、36馬、72歩、
同馬、91玉、73馬、81玉、63馬、91玉、64馬、81玉、54馬、91玉、
55馬、81玉、45馬、91玉、46馬、81玉、36馬、72歩、同馬、91玉、
73馬、81玉、63馬、91玉、64馬、81玉、54馬、91玉、55馬、81玉、
45馬、91玉、46馬、81玉、36馬、72歩、同馬、91玉、73馬、81玉、
63馬、91玉、64馬、81玉、54馬、91玉、55馬、81玉、45馬、91玉、
46馬、81玉、36馬、91玉、37馬、81玉、27馬、91玉、37馬、81玉、
36馬、91玉、46馬、81玉、45馬、91玉、55馬、81玉、54馬、91玉、
64馬、81玉、63馬、91玉、73馬、81玉、72銀生、92玉、84桂打、同龍、
同桂、同金、91飛、同龍、同馬、同玉、71飛、82玉、81飛成、73玉、
75香、64玉、61龍、55玉、46金、同玉、66龍、45玉、46歩、54玉、
57龍、55角、53成香、64玉、63成香、75玉、55龍、86玉、66龍、97玉、
96龍、88玉、77銀、同玉、33角、78玉、98龍、79玉、88龍、69玉、
68龍
まで391手詰


 歩が17枚余る。『象戯大矢數』の番外頭書に「凡四百度」とあり、これが作意なのだろうが、ここまで駒が余るのは解せない。72歩合を省略すれば駒の余らない85手詰となる。当時の長手数記録は67手(『近來 象戯記大全』
(1695年)第3番  田代市左衛門作)なので、85手でも新記録である。
※神無七郎氏より、377手詰が成立することを教えていただきました。コメント欄を参照して下さい。

 「洗濯」、「大矢数」という書名が、ともに俳書に由来するというのは私の推察なのだが、宥鏡=周詠であればおかしくはない。『諸國象戯作物集』(1700年 宥鏡編 永田調兵衛刊)には俳句が四句紹介されている。このうち二句は芭蕉作とされていて、京作から招来されたものと書かれている。京作は『諸國象戯作物集』に詰将棋が二局採録されている人物である。「京作は盤上の工夫のみならず風雅の心さしもうとからぬにや」と評しているが、
宥鏡=周詠も風雅に疎からぬ人であったのだろう。蕉門では風雅は俳諧を指す言葉だった。

やま櫻將棊の盤も片荷かな
夏の夜や下手の將棊の一二番

 引用された芭蕉作とされる句は田代が「詰棋めいと」に書いた通り岩波文庫の『芭蕉俳句集』
(1970年)では存疑扱いになっているが、その後出版された『芭蕉句集』(1982年 新潮日本古典集成)では「やま櫻」の句は存疑に残り「夏の夜や」は消えている。「やま櫻」は宝暦年間に成立したと言われる『俳諧百歌仙』(小栗旨原編)にも若干字句を変えて収録されていることが物を言ったのだろう。さらに『芭蕉全句集』(2010年 角川ソフィア文庫)には存疑の部がなく、二句とも見られない。
 『諸國象戯作物集』に「是ノ百有余條ハ京江戸大坂備後長崎美濃尾張伊勢三河加賀越中信濃奥州其外在在所所ヨリ集作物」とある。「百有余條」は正確には102局である。ここに掲げられた地名におおむね共通するのは俳諧が盛んだったことである。
宥鏡=周詠は各地の俳人と文通しながら、その地の詰将棋作品も蒐集していたのではないかと想像するのである。

2017年6月 2日 (金)

加藤文卓の「圖巧解説」その25

月報1929年1月号

圖巧解説
二峯生

第七拾貳番

0072

48銀、同龍、79龍、69銀、58金、同龍、68龍、同玉、77馬、57玉、
47と、同龍、48金、同玉、39金、同玉、66馬、38玉、39金、27玉、
17成香、36玉、26成香、46玉、38桂、同香成、45成香、同玉、35と、46玉、
36と、同龍、56馬(33手詰)


變化
48同龍の所
(一)同玉ならば49金、57玉、56と也
(二)69玉ならば79金以下容易也

69銀間の所69馬ならば
同龍、同玉、79金、58玉、68金打也

58同龍の所同玉ならば
68金、59玉、58金打、同龍、同金、同玉、49金、57玉、56とにても詰む

68同玉の所同歩ナルならば
49金、同龍、同馬也

48同玉の所同龍ならば
66馬同玉、56金、75玉、87桂、同馬、85金也
66同玉の所68玉ならば
79金、59玉、48馬、同玉、49金、57玉、56飛也

39同玉の所57玉ならば
49桂、同龍、56金、58玉、49金也


第七拾參番

本局は原圖の儘では詰がない様に思はれるので假に「玉方28と」を追加して見たのである

0073

58金、同金、48銀打、同金、58銀、同玉、57金、同玉、56馬、58玉、
57金、68玉、67金、79玉、57馬、78玉、69龍、87玉、77金、同玉、
67龍、86玉、68馬、85玉、87龍、94玉、95馬、同玉、84銀、94玉、
96龍、84玉、85香、74玉、94龍也(35手詰)


變化
48同金の所
(一)48同とならば58銀()39と右、49金也
39との所58同玉ならば
57金、同玉、56馬、58玉、57金、68玉、78金也
(二)48同馬ならば58銀()39馬、69馬、48玉、59金、37玉、17龍()27間、26銀、46玉、47飛、同金、56金、36玉、47銀也
39馬の所49馬にて同手順にて可なり
27間の所46玉ならば43飛にて詰み又36玉ならば33飛にて容易に詰む
39馬の所に58同玉ならば
69馬、57玉、67金、同金、56金也

○此圖に於て28とを缺く時は前記
の變化の場合即58金、同金、48銀打、同馬、58銀、39馬と指るる時は以下詰手不明となる

---
 門脇芳雄編『詰むや詰まざるや』ではこの図を採用している。


第七拾四番

0074

57馬、59玉、48銀、同龍、49飛、同龍、86角、68歩、同馬、48玉、
57馬、37玉、59角、同龍、36金、同玉、46馬、25玉、35馬、16玉、
27金、同歩成、17銀、15玉、26銀、同と、16歩、同と、25馬也(29手詰)


變化
59玉の所
(一)49玉ならば58銀、同龍、48飛、39玉、58飛、29玉、19飛にても詰む
(二)69玉ならば58銀、同龍、79飛


第七拾五番

此局は本手順と思はるゝものより變化の手順と思はるゝものの方却つて手數が多い

0075

57金、同玉、
59香、同馬、77飛、同馬、55飛、同馬、58金、56玉、
47馬迄(11手詰)

之れは原書記載の解答で龍馬が37より59、77、55と玉將の周圍を一週(ママ)する手順甚だ巧妙であり之を以て本詰の手順と見做すが作者の意であらうと推察される


變化
57同玉の所49玉ならば
19飛()29金間、58馬、38玉、49金、28玉、18飛打、27玉、17飛、26玉、27香、同馬、同飛、同玉、38角以下容易
29金間の所
(一)19同馬ならば59飛、38玉、16馬、27銀間、39金、37玉、38香の手順あり
(二)39銀間ならば58馬、38玉、29金、27玉、17飛
、26玉、16飛、27玉、17飛也
(三)39金間ならば58馬、38玉、49金、27玉、17飛
、26玉、27香、同馬、同飛、同玉、38角、同金、同金、同玉、47馬にて詰む
(四)29銀間ならば同飛、39金間(銀間にても同様)16馬、27間、58銀、38玉、39飛、同玉、49飛なり

59同馬の所
(一)58間ならば同馬、56玉、54飛、同銀、66金也
(二)67玉ならば58馬、77玉、86銀、88玉、98飛、同玉、93飛也

77同馬の所
(一)67間ならば58飛、同馬、35馬也
(二)56玉ならば54飛、同銀、66金

○本局に於て「玉方51香」の意味を一考する必要があらう、此香を缺く時は次の餘詰を生ずる即ち
57金、同玉、58飛、67玉、68金、76玉、77飛、85玉、52馬、イ94玉、
97飛、83玉、84香、72玉、92飛成、82香、83香成、71玉、53馬、62金、
63桂也

94玉の所74桂間ならば
同馬、同銀、同銀94玉、85銀打、93玉、53飛成、73間、94香、82玉、73銀也
94玉の所95玉ならば
96香、同玉、85銀打、95玉、97飛也

故に此51香は必要な駒であり又此香を配置してある所から推察するに作者の意は57金、同玉の手順を本詰と見做す積りと思はれる

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 この図には
58金の余詰があるが、駒場和男の補正図がある。

 図巧解説は第75番で終わっている。加藤文卓はこの年11月に亡くなった。
(了)

2017年5月31日 (水)

江戸文芸に見る「将棋」

 古典詰将棋作品集について調べたいことがあり、このところ俳書を中心に元禄時代あたりまでの文芸書を読んでいるのだが、いくつか「将棋」を見かけたので記しておく。「将棋」を探しているわけではないのだが。


『尤之双紙』(もっとものそうし)下(斎藤徳元 1632年 恩阿斎刊ヵ)
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廿 おもしろき物の品々

…相手によりて、碁将棋もおもしろし。…
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 『尤之双紙』は全編「物尽くし」で、上巻は「長き物」「短き物」「高き物」など40題を並べ、下巻は「引く物」「さす物」など40題。
 序文に『枕草子』、『犬枕』(慶長年間)に書き漏らしてあることを集めたとある。
 上記『犬枕』(秦宗巴 1606年頃刊)には「○ 咄にしまぬ(話が進行しない)物」として「一 碁・雙六・將棋」とする。
 この「おもしろき物」尽くしの段は「葦毛馬は、頭もしろし、おもしろし」とたわいない駄洒落で終わる。


『清水物語』(きよみずものがたり)(意林庵 1638年 敦賀屋久兵衛刊)
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…大勇の人には大将をさせ、血気の勇者には、無理に破るべき所に用候へば、皆用に立つ事候べし。将棊の馬を使ふが如し。…
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 問答形式による教訓説話集。
 『仮名草子集』(1991年 岩波書店「新 日本古典文学大系74」)の注には「馬」を「将棋の駒で桂又は成角の龍」とあるが、馬=駒の意ではないだろうか。


『毛吹草』(1638年序 松江重頼編 1645年刊)
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一連歌付誹諧付差別の事
 てにをはをもちゐて付侍るには、指と有に、小櫛 盞 舟を付るは連哥付、將棊 蜂 箱細工 此等誹諧付也。又、打と有に碁 碪(きぬた) 畑などは連哥付、礫(つぶて) 双六 賀留多あそびははいかい付なり。
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 俳論書。
 連歌と俳諧は一見したところ区別はない。貞門俳諧の祖 松永貞徳は「俳言」を使うのが俳諧であると言っている。上記の「將棊 蜂 箱細工」が俳言である。


『是楽物語』(ぜらくものがたり)(作者不詳 1655~1661までの成立)
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…名所旧跡など尋ねしも、後にはしやう事なくて、端の歩をつく将碁にも指し草臥(くたび)れ…
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 仮名草子。悲恋譚だが、旅行記でもあり、楊貴妃の講釈あり、町人生活の活写ありで非常に面白い。
 「端の歩をつく」は『誹風柳多留』(1765-1840年)三篇に「本能寺端の歩をつくひまはなし」とあり、注に「明智光秀の夜襲。事急にして本能寺方は応戦に暇ないさまを将棋の用語を用いて表現したもの。「手のない時には端歩をつけ」などといって、端歩をつくのは持久戦模様」とある。(『川柳 狂歌集』(1958年 岩波書店「日本古典文学大系57」)


『ゆめみ草』(休安編 1656年 安田十兵衛刊)
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 将棊をさしける折から発句所望有ければ
将棊よりつめたきものや指のさき 
天満 奇任
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 冷と詰を掛けている。
 談林俳諧の先駆となる撰集。


『続山井』(湖春編 1667年)
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将棋ならで立(たつ)年と日もたいば哉 
丹波柏原 季成
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 「たいば」は対馬(たいま)=互角の意だろうか。
 湖春は北村季吟の息子。


『詼諧番匠童』(和及編 1685年 新井弥兵衛刊)
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○前句付の事
古流中比(ころ)当流の付心のさかい一句の前句にて付わけぬ
是になぞらへて他を知るべし
  
前句
   萩の露ちる馬持の家

付句
 月にしも二人将棊をさしむかひ
   是古代の付様也前の馬を将棊の馬にして付る也
   又中比宗因風の時は
 其方のお手はととへは松の風
   是も将棊の馬にして付たれとも将棊にいわて噂にて付萩の露ちるといふに松の風を余情にあしらひたり
---
 前者は作意にあらわし、後者は変化に隠したというところか。
 古流、古代とは貞門流を指す。



『きれぎれ』(白雪編 1701年序 井筒屋庄兵衛刊)
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さか駒に入て仕廻(ま)ふや下手師走 桃先
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 「さか駒」は入玉。
 芭蕉の白雪宛書簡(真蹟写し)が現存する。桃先は白雪の息子。



『其角十七回』(淡々編 1723年成立)
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一、晋子常にいへるは、「初心のうちよりよき句せんと案(あんず)る事有まじ。只達者に句はやくすべし」とぞ。
 器用さとけいことすきと三つのうち
  好きこそものゝ上手なりけれ
と口ずさみせられけるが、将碁の宗匠宗桂もこの狂哥を折ふしず(誦)しられけるとぞ。共に二本榎上行寺の塵下苔露の友とはなり給ひぬ。
---
 宝井其角十七回忌追善撰集。晋子は其角の別号。
 上行寺はこの当時江戸にあったが、現在は神奈川県伊勢原市。三代大橋宗桂以降、十二代大橋宗金までの大橋本家当主全員が眠っている。其角の墓もある。
 ここでいわれている宗桂が其角(1661~1707年)の同時代人とすれば、五代宗桂(1636~1713年)あたりか。(上行寺と大橋宗桂の墓については磯田征一氏のご教示による)
 ところで上記の「狂哥」、これを利休百首の一つとする解説を見たが「上手にはすきと器用と功積むと此の三つそろふ人ぞよく知る」というのが利休の歌であるから正しくない。また「菅原伝授手習鑑」の筆法伝授の段に「上根と稽古、好きの三つのうち、好きこそ物の上手」とある
(上根は優れた素質)が、そもそも1746年初演なので年代が合わない。初出不明である。

2017年4月 2日 (日)

忘れられた論客 その20

 杉本兼秋は1943年6月号から9月号まで「福泉藤吉撰 將棋新選圖式」を解説している(第40番まで)。いったん5月号で有馬康晴が第10番まで解説したのだが、6月号に「都合により本號より杉本氏の解説として改めて發表致します一部故岡田秋葭君の協力によって完成された物である事を記しておきます ありま」とある。

 月報1944年1月号に「日本詰將棋作家協會設立要項」が発表された。
 杉本兼秋の功績の一つであろう。

第一條 本會設立ノ目的ハ發表圖ノ統合ト其ノ配給網ヲ確立シ斯道ノ向上普及ヲ圖ルニアリ

に始まり第三十條まである。その中で

第十四條 現在一ケ年ヲ通ジ一作品以上ノ詰圖ヲ創作シアルモノニシテ入會申込或ハ理事長並理事ノ推薦ニ依リ會長之ヲ認メタル場合本會會員トナス
新會員ノ氏名ハ其ノ都度發表ス

という規定が目を惹いた。
 作家協会といっても、著作権を守るというような団体ではなく、月報への作品発表がスムーズに行われることに主眼がある。いわば月報内組織である。このため「作圖選定部」「
作圖檢討部」「作圖發表部」「作圖指導部」を設置するとなっている。
 また、付則として「褒賞規定」「解答規定」「作品應募規定」がある。
 これに続いて

---
日本詰將棋作家協會第一期役員

名譽會長 阿部吉藏
會  長  有馬康晴
理 事 長  杉本兼秋
理  事  岩木錦太郎
       大橋虚士
       吉田一歩
       内藤武雄
       小林豊
       佐賀聖一
       澤田和佐(イロハ順)
顧  問  前田三桂、松井雪山
       櫻井蘇月、宮本弓彦

各部擔當
選定部 杉本兼秋
檢討部 當分の間理事兼任
發表部 一部 小林豊   二部 佐賀聖一
       三部 吉田一歩 四部 岩木錦太郎
       五部 澤田和佐
指導部 有馬康晴(但し病氣中理事長兼任)

役員新任の辭

名譽會長 阿部吉藏
今回杉本氏の御骨折により前記の如く萬全なる内容は詰將棋界に一新機軸を齎らす誘因であります。その勞を謝すと共に私の兎角役員諸氏に及ばぬものを痛感し、今後の努力發展に努めますれば讀者諸彦の一層の御協力と御鞭撻とを願ひ詰將棋の發達を祈るものです。

會長 有馬康晴
病氣中

理事長 杉本兼秋
大東亞戰第三年目の新春を迎ふるにあたり昨春以來懸案の日本詰將棋作家協會が愈設立の運びとなりました事は御同慶の至りに存じます 諸氏の御推薦により不肖若輩の身を以つて非力をも顧みず理事長と云ふ重責をお引受け致しましたが淺學菲才果して此の重責を全ふ(ママ)出來るか否か甚だ疑問でありますが有馬會長はじめ理事諸氏會員各位の御指導御鞭撻を幾重にもお願ひ申上げ諸氏の御期待に副ひ得る様努力を續ける覺悟で御座ゐます
詰協發足に當り一言御挨拶申上げます

理事 岩木錦太郎
 有馬杉本兩大家の御努力に依つて詰協も愈々其の第一歩を踏み出すに至つた。邦家の爲め誠に祝福すべき事である。
 昇る陽は大きい。──流石に杉本兄が御骨折だけあつて、會長以下一騎當千實力所の網羅。我等をして、これなら詰協も不朽不易、先づ先づ今後の發展疑ひ無しの感を大いに懐かせる。
 詰將棋が決戰下の娯樂として最も愼ましやかなものである事は今更論ずるまでも無いが、我々は生産戰に勝ち抜く爲、而して其の原動力を蓄へる爲め、大いに詰將棋を利用していいと思ふ。
 幸ひ同好諸氏の御援助に依り、一日も早く、詰協が確固不動の礎を築かん事を希ふと共に、微力乍ら私も何かと御役に立ち度いと思つてゐる。

理事 吉田一歩
帝國が歴史上かつて未だ他にその類を見ざる超大戰爭の真つ只中に有つて
戰支那事變七度目大東亞戰三度目の新年を迎え(ママ)られたる事は何んと云ふ幸せ誠に感謝に堪えません此れに過る喜びは有りません誌友皆様と共に心から御祝申上ます 此の事實と並んで日本作家協會が誕生致しましたるは詰棋界にとり近頃の大快事で有ります
設立に御奮闘下さつた先輩諸兄に厚く御禮申上ると共に誌友諸兄に手前淺學非力にて厚顔乍ら三部を受持ち努力致しますれば何卒御教示御後援の程を切に御願ひ申上ます

不鮮明なため判読し難いが「聖」か

理事 小林豊
 此の度杉本兼秋氏のお骨折に依り茲に多年懸案の「詰將棋協會」設立の運びと相成り私も同人の一人として微力を盡す事となりました
 顧みれば昨年十月本誌月例詰棋欄の擔當者たる里見義舜先生が突然御退陣致され月報名物の詰棋欄も遂に後任者なきため終熄を告ぐるかと思はれました、主幹初め有馬康晴氏も此の傳統と光輝ある詰棋欄の消滅を憂へ巳むなく「詰協」同人にて之が繼續を引受ける事となりました「詰協」の微力が些かにても本誌詰棋欄の進歩發展に寄與する事を得ば私達同人望外の喜びとする所です
 「詰協」發足に當り一言御挨拶を申上げ、切に讀者誌友の御指導と御協力をお願ひする次第です

理事 佐賀聖一
待望の詰將棋作家協會が設立され、私も其の役員の一人に選ばれましたがはたして若輩者の私に其の資格が有るかと云ふ事は甚だ疑問です。が、例の如き圖々しさを以てとにかくお引受致しました。どうかよろしくお願ひします。

理事 澤田和佐
 決戰下第三年目の新春に當り待望の詰將棋作家協會が結成されました事は我等詰將棋人として此の上無き喜びであります。此詰棋隣組に於ける第五部と言ふ一世帶主として不肖小生が選ばれましたる事は何よりの名譽な事であり、又一方果して鈍骨良く一家を背負つて家長としての責任を全う出來るかと不安にも思ひます 併し一度お引受けしたからには粉骨碎身懸命の努力を盡して家族たる第五部黨の誌友諸兄の御期待に應へん覺悟であります
 何卒がつちりと手を組んで第五部發展へ邁進出來ます様御後援御指導を切にお願ひ申し上げます
(イロハ順)
---

 第五部は1943年2月新設。当初の担当は南出岩樹。9月号に選者交代の記事がある。南出による紹介文には「氏は眞に詰將棋に對する熱深く所謂名實共の大家であります」とある。澤田和佐は回文になっていることから筆名かもしれないが、正体不明である。
 岩木錦太郎の文章が最も熱がこもっているように思えるが、岩木は「詰將棋作家協會」設立について何度か書いていたのである。
 2月号で月報は廃刊し、この設立はまぼろしに終わることになる。
(了)

2017年4月 1日 (土)

加藤文卓の「圖巧解説」その24

月報1928年12月号

圖巧解説
二峰生

前號九九生としたのは二峰生の誤りでしたから茲に訂正します

第六十五番

0065

93飛成、89玉、98龍、79玉、78金、69玉、68金、59玉、58金左、49玉、
48金、同馬、58銀、39玉、49金、同馬、38金、同玉、49銀、37玉、
38銀、同と、49桂、同と、38龍、同玉、83角、48玉、47角成、59玉、
58馬也(31手詰)


變化
48同馬の所同桂成ならば
58銀、39玉、49金打、同成桂、38金、同玉、47銀迄

38同との所同龍ならば
同龍、同玉、83角、49玉、39飛也


第六十六番

0066

38銀、18玉、19香、同玉、82角、同歩、29飛、18玉、81馬、27歩、
19歩、17玉、27馬、同桂成、同飛、16玉、28桂、15玉、17飛、24玉、
14飛、同玉、25金、13玉、12と、同玉、22歩成、同銀、23金、同銀、
同銀成、同玉、24歩、33玉、43金、22玉、32と、11玉、22銀、12玉、
23歩成、同玉、33金、12玉、11銀成、13玉、12成銀、同玉、22と、13玉、
23金也(51手詰)


變化
18玉の所39玉ならば
48角、同玉、47馬、59玉、69飛也

82同歩の所
(一)同飛ならば同馬、同歩、29飛、18玉、19飛打也
(二)46歩間ならば29飛、18玉、81馬、27歩間、19歩、17玉、27馬以下本文に合す
---

19歩、17玉、18香、同桂成、同歩、同玉、16飛、17歩合、29銀、27玉、38角、37玉、47馬まで。
 攻方16桂を追加することによりこの余詰はなくなります(駒場和男氏補正案)。


第六十七番

0067

78銀、同金、88金、同金、同飛、同玉、66馬、同金、89歩、同玉、
98銀、同玉、76角、同金、78龍、97玉、96金、同玉、76龍、95玉、
94金、同玉、74龍、93玉、92金、同玉、72龍、93玉、73龍、94玉、
74龍、95玉、75龍、96玉、76龍、97玉、77龍、98玉、78龍、97玉、
88銀、86玉、87香、95玉、75龍、94玉、84龍也(47手詰)


變化
78同金の所98玉ならば99歩にて容易に詰あり

66同金の所
(一)77歩間ならば78金()98玉、76角、同金、同馬にても容易に詰む
98玉の所97玉ならば
88銀、96玉、76龍、同金、97香
(二)77に他の間駒を打つも殆んど同手順にて詰む、例へば77金ならば78金、97玉、88銀、96玉、76龍、同金、97香、86玉、77金、同金、96金等の手順あり

76金の所89玉ならば
69龍、79銀間、99金、同玉、79龍也

以下の變化は容易なれば略す
---

 98銀も可。


第六十八番

0068

48銀、29玉、28金打、同馬、同金、同玉、19角、同歩成、29歩、同と、
18飛、27玉、28歩、同と、17飛、同成銀、36馬、同玉、25龍、46玉、
47歩、同桂成、55龍、36玉、26金、同玉、25龍也(27手詰)


變化
19同歩の所
(一)同玉ならば18飛、29玉、19飛、28玉、29歩、27玉、17飛上、同成銀、36馬、同玉、25龍以下本文に合す
(二)29玉ならば26龍、27歩、同飛、同桂、同龍、19玉、28銀、29玉、39銀也
此局終りに近く26金の所は25龍と直ちに廻りても詰にて多少遺憾の點あれども19角の妙手を以て歩詰を避くる所は甚だ面白し
---

 25龍、46玉、56金もある。


第六十九番

0069

78金打、同角成、同金、同馬、89金、同馬、88銀、同馬、77龍、同馬、
68角、同馬、89金也(13手詰)


變化
78同角成の所は78同馬、同金、同角成にても同様なり

89同馬の所ならば68玉ならば
78金()58玉、67角、同龍、同龍、49玉、59飛、同玉、68龍、49玉、27角にても詰む
58玉の所59玉ならば
77角、同龍、69金也

88同馬の所同歩成ならば
77龍、78間、57角、同龍、69金也


第七十番

0070

59金打、38玉、49銀、同龍、同金、同飛生、39歩、同飛成、49角、同龍、
28飛、39玉、29飛、38玉、39歩、37玉、28銀、同金、同馬、26玉、
37馬、同玉、38金、同龍、同歩、同玉、39飛打也(27手詰)


變化
49同龍の所37玉ならば
48角にて詰む

同飛不成の所
(一)同玉ならば59飛、38玉、39歩、37玉、28角、同金、同銀、同飛成、38金、同龍、同歩、同玉、39飛迄
(二)同飛成ならば28飛()37玉、38歩、同龍、同飛、同玉、39飛也
37玉の所39玉ならば
29飛、38玉、39歩、37玉、28角也

39同飛成の所同飛不成ならば
28飛、49玉、16馬、38間、59金の詰あり

49同龍の所37玉ならば
27飛、同金、同馬にて詰む


第七十一番

0071

此局はどの手順を以て正解本文と看做すべきかの取捨に迷ふのであるが、此所には次の如く記して置く。但原書記載の手順は誤りと思ふ

67龍、68銀間、59金、同成桂、58銀、同成桂、59金、同成桂、47角、58香間、
同龍、同成桂、同馬、78玉、56角、87玉、76馬、同玉、86飛、75玉、
67桂、64玉、84飛、63玉、55桂、52玉、34角、51玉、41歩成、同玉、
44飛、51玉、42飛成、同玉、43桂成、41玉、42香、51玉、52成桂也(39手詰)


變化
68銀間の所68香間にても全く本文と一致す

58香間の所
(一)58成桂ならば同龍、78玉、56角、87玉、65角、78玉、67馬にて詰む
(二)58銀間ならば同龍、同成桂、同馬以下本文に準じ終局に至り詰早し

87玉の所67桂間ならば
同馬()69玉、47角、58間、59飛、同玉、58馬也
※1
69玉の所87玉ならば
76馬、同玉、86飛にて本文に合す

※1この順は誤り。59飛、同銀成で詰まない。

52玉の所72玉ならば
83角成、81玉、82香、91玉、94飛

51玉の所43歩間ならば
同桂成、63玉、45角()54桂間、同角、同歩、67香()73玉、74歩、72玉、64桂、63玉、83飛成也
54桂間の所他の間駒にても難解とならず例へば、54香間ならば
同角、同歩、64歩、72玉、76香()61玉、71香成、同玉、76香、72間、82金、61玉、72金、51玉、81飛成
61玉の所73歩間ならば
同香不成、同玉、76香、74歩、同飛、83玉、73飛成、92玉、93歩の手順あり
73玉の所
(一)64間ならば83飛成、73間、75桂也
(二)72玉ならば64桂、63玉、83飛成、73間、52桂成、64間、53成桂迄

○變化の部は却つて本文より手數多く之を以て本文としたい様にも思はれるが前記54間に對し同角の所に53成桂と寄つても詰があるので此手順を本文とは看做し難い。
※2 此53成桂以下の詰手順は冗長を避ける爲め省きたいのであるが之を全然省いてしまつては變化ホの部を本文として取らないといふ理由を説かない事になるので次に簡單に其手順を記す

45角、54桂間、53成桂、同玉、54飛、イ63玉、75桂、72玉、74飛、61玉、
71飛成、52玉、62飛、43玉、34金、32玉、41歩成以下詰あり

※2 54香合のときは53成桂では詰まない。

變化
63玉の所
(一)43玉ならば35桂以下詰あり
(二)42玉ならば43歩、32玉、35香此時33間ならば52飛成にて詰み34間ならば同飛にて詰み43玉ならば55桂にて詰む

○此詰圖に對し原書には次の如く解答されてある
67龍、68銀間、59金、同成桂、58銀、同成桂、59金、同成桂、47角、58成桂、
同龍、78玉、56角、87玉、76馬、同玉、86飛、75玉、67桂、64玉、
84飛、63玉、55桂、52玉、34角、51玉、41歩成、同玉、44飛、42歩、
同飛、同玉、43桂成、41玉、42歩、51玉、52成桂也(37手詰)

但前記76馬の所變化の(二)に記した通り65角と指せば容易に詰む、又終局に於て51玉の所は43歩間にて詰無く42歩の所は51玉にて詰が無い

○將棋新報社編「名人詰將棋百番」の中小野名人の作として次の詰圖が掲載されてゐる之は明かに此圖巧七十一番の改作である

Photo

解答は前記を參照すれば容易なり、略す

2017年3月26日 (日)

編輯後記

 月報の「編輯後記」は毎月掲載されていたわけではないが、当時の社会と月報をめぐる環境が窺われて興味深い。
 1925年3月号などはその最たるものである。

---
□二月は余りに淋しいことの多い月でありました、それもこれも不景氣の影響とはいひながら斯うも物質が人間の精神を左右するものかと思ふて底知れぬ悲しみに打たれました、現代の社會にマルクスの思想が延蔓(ママ)しつゝあることは不思議の現象ではありませぬ。
□本誌の經営は非常に困難で毎月多大の欠損をしてゐることは屢々申上げたことでございますが一向に御同情下さる方が少く僅か一ヶ月二十錢や廿五錢の誌代さへも拂込んで下さらぬ方の澤山あるには閉口です。
□一年も二年も送本してゐるのに一錢の送金もせず集金郵便を百出せば八十迄は不拂で戻つて來る有様です、この儘で行けば當然破綻の悲運を見るより外ありませぬ、愚痴ぽい話ですが申さずに居られない状態を御推察下さい。
□私(露秋)が甲府に行つたとき要件の序に誌代を集金したことがあります、その節×××××といふ人は幾らにマケルかといふやうな事を申しました、商人といふものはそんなこと位いふのは普通のことでせうけれ共、愚直な私には腹が立つて涙さへ出るやうな思ひでした。
□三月、四月といへば大抵の國は花の咲く氣候です、陰鬱な冬を過ごして華やかな春を迎へるやうに本誌も現在の窮境を脱して軈(やが)て華やかな盛況の時代に到達することもありませう、それは偏へに讀者諸君の御力です。
□今月號は聊か頁數は少いやうですけれども内容は充實してゐると思ひます。(露)
讀者の中には不徳義な人があります、一昨年五月から送本して居るのに無料だと思ふて居たが有料ならお斷りだとか三十錢を拂込んで二ヶ年餘の誌代を拂はぬ人は足利市の××××や宮崎縣の×××××群馬縣の×××××など本月定まつたのが二百幾人八ヶ月以上の只讀したのは東京府下の×××××や山形縣の者で百幾十人もありました。
---



 月報にマルクスが出てきたのは驚いた。
 この当時の誌代は25銭である。×××××は実名だが、差し障りがあるかも知れないので伏せ字にした。
 「余りに淋しいこと」が何をさしたものか判然としない。露秋は阿部露秋で、主筆という役職であったらしい(1925年1月号の名刺広告による)。阿部主幹とは別人。
 これに先立つ1924年12月号の「訪問旅行記」(編輯後記ではない)には「一昨年より昨年にかけ毎月百圓以上の欠損」があったと記されている。

2017年3月23日 (木)

加藤文卓の「圖巧解説」その23

月報1928年11月号

圖巧解説
九九生述

第六十一番

0061

79金、99玉、88金、同玉、97銀、同と、89銀、99玉、98銀、同玉、
76角、同銀、99銀、87玉、89龍、88桂成、98銀、同と、79桂、96玉、
98龍、同成桂、88桂、同成桂、97歩、85玉、94飛成、同玉、84と也(29手詰)


變化
99玉の所87玉ならば
82飛成、85間、同龍、同銀、57銀、57龍也

97同との所
(一)78玉ならば、79銀、87玉、76角、同玉、67銀、同玉、68銀、76玉、79龍、85玉、84と迄
(二)87玉ならば76角、同龍、99桂、同と、96銀()88玉、79銀、98玉、87銀打、同銀、同銀、89玉、68銀、88玉、77銀上、87玉、82飛成也
88玉の所98玉ならば直ちに87銀にて前記の手順を參照せば容易に詰め得べし

以下の手順は巧妙なれども變化は皆容易なれば略す


第六十二番

0062

17金、同馬、19銀打、29玉、18銀打、同馬、同銀、28玉、22飛、同馬、
23飛、
同馬、73角、18玉、19銀、17玉、62角成、27玉、26馬、38玉、
37馬、29玉、28馬也(23手詰)


變化
17同馬の所29玉ならば
19飛、38玉、37飛打、28玉、19金

28玉の所38玉ならば
37金、28玉、27飛、同香、同金、18玉、17飛、29玉、18角、38玉、37金、28玉、19銀、同玉、63角成也

22同馬の所に變化種々あれど皆容易なり例へば25桂間とせば73角、38玉、37飛、28玉、27飛にて容易に詰む


第六十三番

0063

97金、同玉、86龍、98玉、97龍、同玉、99香、同と、87金打、98玉、
88金、同玉、58飛成、77玉、78龍、86玉、87龍、75玉、85龍、64玉、
55銀、同馬、74龍、53玉、44銀、同馬、63龍、42玉、33銀、同馬、
52龍、31玉、22銀、同馬、41龍也(35手詰)


變化
97同玉の所99玉ならば
98金打、同成銀、同金、同玉、87角、同香成、93飛成、88玉、87龍にて詰む

98玉の所87同成銀ならば
同金、98玉、58飛成、88間、同金、同馬、87銀、89玉、78銀打也

55玉の所73玉ならば
74龍、62玉、63銀、51玉、52銀成、同玉、63龍、42玉、33銀にても容易に詰む

44同馬の所62玉ならば
63銀、51玉、52銀成、同玉、72龍にてよし

---
『象棊攻格』第87番(天明年間)

Koukaku087

28銀、同玉、37龍、同玉、39龍、46玉、36龍、55玉、66銀、同馬、
45龍、64玉、75銀、同馬、54龍、73玉、84銀、同馬、63龍、82玉、
81と、92玉、93香、同馬、91と、82玉、72龍、91玉、81龍
まで29手詰


 同一趣向です。
---


第六十四番

0064

18金、同玉、17金、19玉、18金、同玉、15飛、17桂、同飛、同玉、
27金、18玉、28金、19玉、18金、同玉、19歩、17玉、39馬、同銀成、
29桂、16玉、28桂、15玉、27桂、14玉、26桂、23玉、34金、12玉、
22銀成、同玉、23歩、11玉、22銀、12玉、21銀生、11玉、22歩成、同玉、
32歩成、11玉、12銀成、同玉、23金、同玉、33香成、24玉、34成香、25玉、
35成香、26玉、36成香、27玉、37成香、28玉、39銀、19玉、28銀打、18玉、
27銀、19玉、28銀、同玉、38成香、29玉、39成香、同玉、38馬也(69手詰)


變化
18玉の所29玉ならば
39馬、18玉、28馬、同玉、27金、18玉、19歩、同玉、73馬にても詰む

18同玉の所29玉ならば
前記の變化に合す

39同銀成の所同銀不成ならば
29桂(或は18歩にてもよし)16玉、38馬、15玉、37馬、14玉、26桂以下容易に詰む

以下の變化皆容易なれば略す

«合

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