2017年2月22日 (水)

忘れられた論客 その15

 「私の古名作鑑賞」1940年6、7月号より。当ブログで紹介していない三代宗看の作品(ただし余詰作第31番は除く)を紹介します。変化手順の説明は省いて杉本の感想のみ。

第22番

090022

53金、同銀、44桂、同銀、53銀成、同銀、44桂、同歩、32飛成、42銀、
53歩、同玉、62銀打、同龍、64金、同歩、62銀生、同玉、42龍、52桂、
71銀、72玉、73飛、61玉、62銀生、同玉、53龍、61玉、72飛成、同玉、
73桂成、71玉、62龍迄 參拾參手


持駒を巧みに打捨てゝ玉の上部脱出を防ぐ順面白し
最初53金打捨は44桂の時41玉、32飛、53玉を防止せるもの
53金、同銀、44桂、同銀と44の逃跳(ママ)を閉鎖53銀成と33飛の利筋を遮ぎる銀を成捨て44桂、同歩と再び44玉の逃路を閉塞以下再び64金打捨輕手なり
本圖は着想敢へて奇とするに足らざるも持駒の打捨妙味あり


第23番

090023

51桂成、同玉、52香、同玉、16馬、51玉、55飛、同銀、62歩成、イ同角、
42龍、同玉、43金、51玉、15馬、42桂、同馬、同銀、63桂、41玉、
31歩成、同銀、42歩、同銀、32銀成迄 二十五手


七手目55飛輕妙なる犠牲なり本手順には關係なく一見無意味の如くなるもイの變化62歩、同玉、61馬、同玉、63龍、62金の時53桂、同銀にて詰なき爲55同銀として53への利筋を消滅せしものなり
62歩成捨は緊要なる一手にして終盤63桂打を作る爲の用意なり43金打を作る42龍の捨場又巧妙なり
攻方、56歩配置の意は52歩打を防止せる爲にして此の歩無き時は55飛、62歩の二手を經ずして直ちに詰あり


第29番

090029

82銀生、同玉、92香成、73玉、64銀、84玉、73銀生、同玉、62龍、イ84玉、
73龍、同玉、64と、84玉、51馬、同金、95角、94玉、51角成、96銀成、
93金(21手詰)


本作品の創意は95角の通路にある自駒を消滅玉方の駒を移動して次の空王手の時其の駒を手中に得るにあり
第一着手82銀は92香成と前後挾撃の準備
64銀73銀と55銀の消滅を計るはイの場合62同玉、53馬、51玉の時33角成を作る爲なり
以下62龍、73龍、51馬は作者の主圖せる處なり


第43番

090043

66桂、同歩、55香、同と、同歩、同玉、56歩、54玉、45金、同龍、
55歩、同龍、45角、同龍、同馬、43玉、44飛、52玉、64桂、61玉、
72桂成、51玉、62成桂、同玉、63銀、61玉、72銀成、51玉、52歩、同玉、
63馬、同玉、73歩成、同飛成、同成銀、同玉、65桂、62玉、63歩、61玉、
62飛、51玉、42飛上成、同歩、52歩、41玉、61飛成迄 四十七手


最初66桂、同歩と玉の上部進出を防ぐは當然の着手ならん
次55香打にて玉側のと金を交換し45金、同龍の時55歩と突捨てるのが此の作品の重要部分をなすものにして作者構圖の主意は此處にあり即ち此の55歩突捨の一手は十九手64桂に對し51玉と引かれる順に對して備へたものなり
45金の時直ちに45角、同龍にては同金、63玉にて詰無く又45同馬にても51玉の手ありて詰を得ず
55歩突捨含みある妙手なり
以下の手順は變化少くして容易なれど二十七手72銀成を不成とせば歩詰の局面なる爲銀成として63馬、同玉となす處巧妙
終局42飛成又面白し


第59番

090059

66飛、75玉、65飛、76玉、75飛、同玉、48馬、74玉、75馬、同玉、
57馬、74玉、66桂、75玉、74桂、同玉、75金、73玉、84金、82玉、
92歩成、72玉、79香、62玉、73金、51玉、62金、同玉、84馬、61玉、
52銀成、同玉、44桂、41玉、51馬、同玉、52銀、42玉、43銀上成、31玉、
41銀成、同玉、52桂成、31玉、42成桂迄 四十五手


作者の主眼とせるは79香打なり
79香と打つは後に48馬を84へ移動せん爲にして75香にては此の手なし
79の個處を空所にする角桂の捨場面白し
盤上香四枚を配せるは79香に對し77香合の順を防止せるものなり


第67番

090067

58金、78玉、79歩、同と、68金、同玉、48龍、67玉、58龍、77玉、
69桂、同と、87馬、66玉、77馬、同玉、86角生、66玉、78桂、同香成、
67歩、76玉、78龍、85玉、53角成、94玉、95香、同玉、62馬、同龍、
75龍、94玉、84龍迄 參拾參手


最初と金を移動して金の捨場面白し77馬、同香の變化に備へて69桂打捨妙手なり
77馬、86角不成、78桂の輕手に依りて歩詰を打開終局龍の位置變更の62馬又巧手なり
特筆すべき妙手はなけれども局面清新にして中篇佳局ならん


第91番

090091

78銀、同成香、79金、同成香、68金、同玉、58金、69玉、68金、同玉、
57龍、77玉、69桂、同成香、78歩、87玉、99桂、同歩成、76馬、同玉、
98馬、同と、66龍、87玉、77龍、96玉、97歩、同と、76龍、86合、
85銀迄 參拾壹手


最初78銀打面白し直に79金にては59玉にて不詰なり99桂及び98馬絶妙にして此の二手を以つて本作品構圖の主眼となす 99桂打捨てを行はずして直に98馬なれば打歩詰の局面を招致するなり
創作型打歩詰應用作品中玉方の利筋發生の奇に属する好個の中篇なり


第97番

090097

83歩、71玉、72歩、同玉、84桂、83玉、72角、84玉、85銀、同玉、
45飛上、84玉、85飛、同桂、83飛生、94玉、33飛生、84玉、83飛生、94玉、
63飛成、84玉、83角成、95玉、94馬、同玉、86桂、84玉、75金、同歩、
54龍、73玉、74龍、62玉、63銀、53玉、54龍、42玉、43歩、41玉、
51龍、同玉、42角、41玉、31角成、同玉、33香、41玉、32香成、51玉、
42成香迄 五拾壱手


本局は形態は實戰形なるも純然たる創作型構圖なり最初歩及び桂に依りて72角打を作り45飛上ると一歩を得る順面白し
以下打歩詰を打開する飛不成及び94馬、75金妙手なり又75金、同歩の時54龍を作る爲再度83飛不成として63飛成は味ふべき處あり 盤上玉方88歩配置の意は拾七手33飛不成に對し83歩合不詰の順を防止せるものなり 本圖局面は複雜ならざるも他の作品に比して作意の發見が至難なりと思ふなり


 1940年10月号で「私の古名作鑑賞」は終了します。
 末尾に「今號を以つて好評裡に完結致しました。次號より詰棋界の一偉才神戸の今田政一氏の作圖將棋龍光二十五番を連載致します。ご期待下さい。」とあり、次頁に「杉本兼秋氏よりのお便り」という記事があります。
 なお、「將棋龍光」は連載ではなく、「次號」でもなく、1941年1月号に一挙30局掲載されました。

(前略)過日郷里より轉送し來たりし月報誌七月號を拝見しました。前田先生の横槍坤の卷、名槍は益々冴へて來ました。先生の趣味は變らぬ御努力には感謝の外ありません
宮本氏の天野宗歩、幕末の反家元派の棋聖の面影を如實に表現して居ります。
名人決定戰土居八段の一勝せるは意外でした。十三連戰の後とは云へ無敵木村を倒したるは偉とすべき事と思ひます。
自稿古代名局鑑賞は昨年仲秋草稿せしものが尚連載されつゝあるを見て當時を懐しく思ひました。當時の豫定としては古代篇、五十局現代篇五十局を選し、其の他、理論の研究も里見氏分類法に準據して組織篇、評価篇に分類して草稿の豫定でありましたが、古名局の選定に於て宗看及看壽の作品に以外(ママ)の日子を費し時日無き爲遂に現代篇及理論の研究の方は起稿する迄に至りませんでした。現代名局選五十局、の選及び理論研究の細目分類は出來て居りますから又機會あれば連載させて頂く考へであります
古代名局選選定中宗看圖式及看壽圖巧中二三疑問の局に就いては酒井氏分析法で檢討しましたが宗看圖式第二番を研究中不詰の順あるを發見しました。
然し同圖は享保以來貳百有餘年間完全なる圖式として現代に轉はれるもの。自分の發見せし不詰に就いては分析法を用ひました
自分の研究としては第二番不詰と云ふより外ありません山村先生外三代宗看圖式研究家の御研究の程お願ひ致したかと思ひます
七月號發表の第一部三百八十九番は昨年十月上旬の作品です、構成派作品に属するものでありますがストーリに促(ママ)はれ過ぎて中間が平凡になつてしまひました。構成派型作品未發表のものも數局殘つてゐます
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 酒井氏分析法というのは、月報1928年1月号に丸山正爲が紹介している酒井桂史からの書簡にある方法、
「私は圖式の調査をするに際しては先づ最初の一手につき詰方のあらゆる攻手順を試み次は玉方の逃手に付き全部の筋を考へ又次手詰方の全部と云ふ具合に眞に一手一手全くの無駄手と思ふ手順をも自力の有らん限り調査を遂げます」
という虱潰しの検討をいうのでしょう。

2017年2月21日 (火)

加藤文卓の「圖巧解説」その15

第三十三番

0033

85飛、94玉、83飛生、95玉、85馬、同桂、93飛生、同香、96歩、94玉、
61角成、84玉、83馬、75玉、65と迄(15手詰)


變化
95玉の所85歩間ならば
同馬、同桂、95歩、同玉、93飛生以下本文に合し此方手數二手延びる故之を以て本文としたいやうに思はれるが之れは後に記す理由により矢張原書に從つて95玉と逃げる方が至當かと思ふ

93同香の所94間ならば
96歩、84玉、73飛成也

94玉の所84玉ならば
76桂、75玉、65角成也

○原書には此變化の部の手順を本文として記してあるが其れでは手數が二手短くなるから前記の如く改めて見たのである

95玉の所85歩間としては何故面白くないかといふに斯く指しては次の餘詰を生ずるからである即ち
83飛生、85歩間、同飛成、同桂、61角成、84玉、83馬、95玉、73馬、84飛間、96歩、94玉、84馬、同玉、76桂、93玉、73飛の手順あり
84飛間の所84金にても殆んど同手順にて可なり
其故此所に85歩間と指すは不可のやうに思ふ


第三十四番

0034

26銀、同金、同金、同玉、38桂、25玉、27龍、14玉、23銀生、同香、
15歩、同飛、25龍、同飛、26桂、24玉、14金(17手詰)


變化
26同金の所
(一)14玉ならば15銀、25玉、37桂、34玉、33角成也
(二)24玉ならば35銀14玉、15金、同玉、16金、同玉、28桂、25玉、27龍、14玉、15歩、同玉、16龍にても詰
14玉の所35同飛ならば同銀、同玉、36飛、24玉、54龍也

26同玉の所24玉ならば
35金、同飛、同金、14玉、26桂、15玉、25飛也

23同香の所同玉ならば
33角成、14玉、25龍、同玉、26金、14玉、15歩、同飛、同金にても詰む

○此變化の部は本文に記した手順より二手多いが終りに手駒を餘す事になって面白くないから之は變化とするを至當と思ふ且つ此のの部には前記33角成の所を13角成と指しても詰がある即ち
13角成、同玉、14歩、同玉、32角、23間、14金、15玉、26龍也


第三十五番

0035

95金、同と、96角、同と、97桂、同と、96飛成、同と、75金、95玉、
84角、94玉、93角成、同玉、84金、92玉、82香成也(17手詰)


變化
95同との所74玉ならば
94飛成、73玉、82角、72玉、71金也

96同との所同玉ならば
86金、97玉、95飛成也

95玉の所
(一)75同玉ならば93角、74玉、84角成也
(二)94玉ならば84銀成、95玉、85成銀、同銀、73角也

○此圖に於て玉方91歩を缺く時は次の餘詰を生ずる即ち
95金、同と、96角、同と、97桂、同と、86金、74玉、94飛成、73玉、95角、72玉、92龍也


第三十六番

0036

25金、同角、36銀、同角、25金、同角、36飛、同銀成、47桂、同成銀、
26金、44玉、33角成也(13手詰)


變化
25同角の所同金ならば
同飛、同玉、26金、14玉、13金也

36同角の所同銀ならば
同飛、同角、26金、44玉、33角成也

25同角の所同金ならば
同飛、34玉、23飛成、同玉、33角成也

本局は手數少なきも手順甚だ巧妙であります殊に敵駒を一つも取らぬ所に作者の趣向も窺はれます

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 26飛と45銀が邪魔駒で、玉方の駒を取らずに原形のまま消すという狙いですが、
25同飛、同金、17角、26歩合、47桂、同と、26角引、46玉、35角、同金、同角、同玉、36金、24玉、25金打、23玉、13金までの余詰があります。
 この余詰は;『詰将棋 トライアスロン』でも触れられています。


第三十七番

0037

84角、同馬、85金、同馬、同飛生、同玉、63角、75玉、74角成、66玉、
67歩、同と、78桂、同と、67歩、76玉、88桂、同と、77歩、86玉、
96馬、75玉、74と迄(23手詰)


變化
84同馬の所同金ならば
85金66玉、78桂、同と、67歩、76玉、88桂、同と、77歩、85玉、84飛成也
66玉の所85同金ならば
同飛成、同玉、95金、75玉、84角也

85同馬の所
(一)66玉ならば78桂、同と、67歩、76玉、88桂、同と、77歩、85玉、84飛成、同金、同と、同玉、74と、85玉、96金也
(二)85同玉ならば84飛成、同金、同と、75玉、74と、66玉、78桂、76玉、85角也

85同玉の所66玉ならば
78桂、同と、67歩、76玉、88桂、同と、77歩、85玉、63角にて詰あり

○本局は打歩詰を避ける爲め84角、同馬、85金と捨てる手段實に巧妙を極めて居ります又67歩の所直ちに78桂なら76玉と寄られて矢張打歩詰となります

2017年2月20日 (月)

忘れられた論客 その14

 1940年1月号から10月号にかけて、杉本は「私の古名作鑑賞」を執筆しています。
 1月号は二代宗印の『将棋勇略』から5局。第39、40、59、68、73番。
 3月号は『将棋勇略』からさらに5局。第72(73)、73(72)、76(77)、84(85)、94、100番。杉本の作品番号は山村兎月に倣っているので表記に誤りがあります。括弧内が正しい番号です。桑原君仲の『将棋玉図』から3局。第9、14、16番。
 5月号は『将棋玉図』から7局。第25、27、28、32、62、76、80番。
 6、7月号は三代宗看15局。6月号、第15、22、23、29、31、34、36、43番。7月号、第48、51、59、60、67、91、97番。
 8、10月号は看寿15局。8月号、第3、8、20、27、32、41、46、48番。10月号、第62、72、73、74、82、95、99番。

 勇略はすべて紹介済みですので、玉図から二三。変化説明は省略して杉本の感想のみ。

第9番

270009

39金、同と、59金、同玉、69飛、同と、26角、48歩、同馬、68玉、
78金打、同桂成、35角、77玉、66馬、同玉、76と、55玉、44角、同桂、
56歩、同桂、64銀、54玉、55歩、同飛、53銀成
まで27手詰

變化は少きも、69飛及び78金と玉の逃路を閉鎖する順は面白し又66馬と捨て玉を後退させる手も妙手なり、唯遺憾なるは35角に對し57歩合の手段ある事なり。此の順徒に手數を長くするのみにて玉方の執るべきにあらずと云へども大矢數の72歩合あるを思へば一考を要す。

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 57歩合、48歩合の繰り返しは歩…だけが増えて原形に戻るので無駄合でしょう。


第27番

27gyokuzu0027

58銀、同玉、59金、同と、49銀、同と、59銀、69玉、36馬、59玉、
58金、69玉、68金、同玉、69金、67玉、58馬、66玉、75銀、65玉、
66歩、同桂、74銀、64玉、75金、同玉、85馬、64玉、63銀成、65玉、
64成銀、同玉、74馬
まで33手詰

本圖に於て參考となるは58銀及び49銀の二手ならん 以下の手順は容易なり形稱惡きの感あるなり



第62番

270062

59角、同金、69馬、57玉、49桂、同香成、46龍、同玉、36馬、57玉、
47飛、68玉、69銀打、同金、48飛、同成香、69馬、57玉、49桂、46玉、
36馬、55玉、46金、54玉、43香生、44玉、26馬、54玉、27馬、44玉、
17馬、54玉、27馬、44玉、26馬、54玉、36馬、44玉、35馬、54玉、
45馬、同桂、55歩、44玉、36桂、33玉、24と、32玉、44桂、31玉、
41香成、同金、同銀成、同玉、42歩、同玉、43歩、同玉、33金、44玉、
34金
まで61手詰

本局は六拾壹手の大作なるも變化は難解なるは無し59角打は78玉を防止せる妙手なり
49桂打巧手なり直ちに46龍にては拾貳手目68玉の時58玉にて次49玉の順ありて詰を得ず以下一歩不足の局面を巧みに成角を移動して17とを得る邊り流石巧妙なり 然し此の圖に於て作者最初の構圖は初盤59角49桂の二手を含む邊に有りと思はる。



 そして問題だったのが、1940年8月号、図巧第27番の紹介でした。

第27番

月報1940年8月号図
27_2
原図0027

52角成、63歩合、65金、同成桂、73金、同玉、65桂左、72玉、62銀成、同香、
61馬、同玉、53桂生、72玉、73歩、同玉、75飛、74歩合、65桂打、72玉、
74飛、同馬、73歩、同馬、同桂成、同玉、74歩、72玉、83角、82玉、
73歩成、同玉、65桂、82玉、74角成、91玉、64馬、同歩、83桂、82玉、
71桂成、同玉、82金
まで43手詰

 左の図は原図ではありません。加藤文卓の補正図でした。

 
1927年2月号「圖巧解説」より
192702_2

 これが正しい図ではないかと加藤が想像したもので、別の版には正しい図があるとは書いていないのですが、誤解させるような書き方ではあります。
 
杉本はこれを受けて、補正図を注釈なしに示した上でこう書きました。

27_3

 西宮彌兵衛版(文化ではなく文政4年)の図には誤りがあるらしいと書いたのは不用意で、これがため将棋世界付録『将棋図巧』(1961年6月)、『古図式全書』第六巻(1964年9月)の図も誤ってしまいました。

将棋世界付録『将棋図巧』
27_4
古図式全書第六巻『象棋奇巧図』
27_5


『詰むや詰まざるや』より
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前記早詰を消した次の補正図が『将棋月報』昭和15年8月号に杉本兼秋氏により発表されているが、「文政版『将棋図巧』には第二十七番誤謬あるものの如し」と註記してあるため、この補正図が杉本氏自身の案なのか、古来伝わるものなのか紛らわしくなってしまった。このため最近までこの補正図が原図と誤り伝えられたが、昭和41年内閣文庫で発見された原書(献上本及び家元刊本)には早詰のある原図が掲載されており、この補正図は加藤文卓氏のものであることが判明した。
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 門脇氏
引用は原文通りでないことがままあります。
 こうして、杉本は名を残してしまうことになりました。

2017年2月19日 (日)

忘れられた論客 その13

 1939年6、7月号

 詰將棋を語る
 桂子

『創作を續けてゐられる様ですが最近いゝ作品が出來ましたか』
『相變らず出來る作品は凡作ばかりです、最近から創作型を作る様努力はしてゐますが、創作型のは構想も困難だしそれに構想が、まとまつても盤上へ遷してみると形の惡いものになつたり以外(ママ)な餘詰が出來たりして思ふ様には作れません。前に實戰型のばかり作つてゐた關係で少なからず勝手が違ふのです、宗看や看壽の用ひてゐる様に優れた構想を案出する事が出來ても、その構想を拾分活かす事が出來るだけの創作力がないと、どうしても出來あがる作品が筋ばかりのものになつて他の部分が平板なものになつてしまふのです。(ママ)
『創作型の今後は期待すべきものがあるでせうか』
『今の處どの程度此作品が發展するかは解りません、それに作品も少ないし……
『創作型の作品では難解とは思はれない様な作品でも以外(ママ)に正解者が少ない様に思はれますが………』
『それは今迄實戰型の作品のみ見てゐたので實戰型のものを解く様な方法では此作品は仲々解けないからです。
實戰型だと其局面を見れば正着がどの邊にあるかと云ふ事が容易に解けるし指將棋の終局面の寄せと同じ様に考へてゐるのですが、創作型となるとその作品を解く上に一番必要な事は第一にその作品の構想が奈邊にあるかを知る事です、作品の趣向が解らなければ解く事が困難と思ひます。
『然しそれは此型の作品が多くなれば自然と解つて來るでせう』
『宗看の作品等此の作品の趣向を探究して其の後で解答を求めれば容易に解ける作品が多い様です。
現代の様に作品を新聞とか雜誌に發表する様になれば解答者の棋力をも考慮しなければならぬから難解なものが餘り迎へられないのです。
然し作品が一時的のものでなく永久に殘るものである以上或程度は作品の價値と云ふ事も考へねばなりません。今迄は難解であれば名作である様考へられてゐましたが、是からは作品を作る時に解答者の棋力の程度を考へなければなりませんから、平易であつて作品の價値のあるものと云ふ事になるのです』
『作る者としては随分困難な事ですね。それでその様な作品を作るには………』
『第一に考へられるのは變化とか、まぎれを少なくするのです。變化とか、まぎれと云ふ作品の表面に現れないものが其多少に依つて其作品を難解にもし又平易にもするのです。變化、まぎれは本手順の半分位の價値をもつてゐるものですから、解答者の棋力が充分であればいくら多くても一向差支へないわけですが………』
『作品を調べて見ると本手順は直ぐ解つても變化が多くある作品は一應變化も調べて見なければならないですから………』
『解説を見て調べる時指將棋と同じ様に本手順だけを盤上で調べて變化は頭の中で讀める程度がいゝと思ひますね。
變化が二十手以上あるもので頭の中で讀み切れなくて盤上で調べなければならぬ様なのは面倒だと思ひますね、詰將棋を研究してゐる人は兎も角一般としては………』
『詰將棋を研究してゐるものでも餘り變化の多い作物になると調べるのが面倒になつて來る事があります。
それで變化を少くして………と云つても程度の問題ですが、餘り變化の少ないのも作品の價値に關係しますから作物の價値を失しない程度に變化を少なくして其替りに形とか手順とを整へて行く事です。
理想を云へば、終局の三手位の僅かな餘詰も無いようにしたいのです。手順が前後するも同一意味であるものが、本手順より變化が長いもの、本手順と同じ手數のもの等も無くして最長手順が本手順である様にしたいものです。
作品の主要部分をなすもの──作品の生命は妙手ですが、變化は此妙手に依つて出來るものです、捨駒──打捨と盤上のと兩方ですが──此捨駒に對する玉方の應妙(ママ)の多い程妙手としての價値があるのですから妙手に依つて出來る變化を少なくする事は妙手價値を少くする事ですから變化は多くても長い變化のあるものを作らない事です
變化が多くても長くなければ調べるにも面倒でないと思ひます。
妙手でない場合に出來る變化、殆んど玉の逃方に依る變化ですが此變化の場合は變化は少くても、無くても作品價値には影響が少ないものですから此の様な變化は出來得る限り少なくして解答が簡單に出來る様に留意して作りたいと思ひます。(續く)
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(ここから7月号)
『表面に現はれない作品價値に關係しない部分を簡單にして形とか詰上り等を感じのいゝものにする事ですね
然し作者としては變化を少くするち云ふ事は變化を多くすると云ふよりは困難な事ですね變化と云ふものは意識して作るものではなく本手順に附随して現はれて來るものですから──殊更に變化を多くした跡の見える作品もありますが………
變化を少くしやうと思へば創作に當つての努力が大變なものではないでせうか──』
『或程度の困難は伴ふでせうが最初から其の點を考慮して作る事です、途中で變化を少くする爲に駒數を多くしては同じ事ですから………』
『平易であつても作品價値のあるものと云ふのですから作るのも樂ではないわけですね、難解なものを避けるとすれば手數や駒數も或程度を越えない方がいゝと思ひますね、二十枚以内、三十手内程度とする様に──最近には餘り長手順の作品が現はれなくなつた様ですが作者がこの點を考へる様になつたかと思へますね』
『それは將棋専門誌でも餘り長手順のものは其努力に反比例して向(ママ)へられないわけですから、後世に自分の姿を殘すと云ふ考へで作圖に自信が無ければ出來ないわけです、時に名作を發表しても作品の價値を充分理解する者は僅かで、調べるのが面倒だと云ふ者が多いのですから作者としても馬鹿らしくなりでせう』
『然し其の様な事を意とせずにこの時代の作品を後世に殘すと云ふ超然たる作者が是非必要ですね、このまゝでは現代の作品價値は未だ未だ低級なものだと思ひます』
『然し今後の鑑賞法がどの様に變化して行くかゞ問題ですね、現在の様に平易な物を求める様、後世でも………』
『現在でも平易な作品が向(ママ)へられてはゐるが、それは一般的であつて單に懸賞の解答とか新聞とか娯樂雜誌に發表されたものを其の時に調べる者に於てゞあつて詰將棋を専門に研究してゐるものは矢張り宗看、看壽とか多くの有名な古作で調べてゐる様ですが──それに新聞とか娯樂雜誌類に發表されるものは一時的の興味で調べられるもので、詰將棋を研究してゐる者以外の者で古作などを調べる者は稀れの様ですから今後に於ても我々の作品が後世に調べられるとしたらそれは後世の詰將棋研究家於て調べられるものと見るべきでせう。大衆藝術は皆一時的生命で永遠的のものではないから、現在に於て一般を目標として發表した作品を後世の詰將棋研究家に依つて調べられるとすれば我々は損な立場にあると思はれますが──』
『其の點昔の家元の棋士は幸福であつたと云へましょう。専心創作に没頭出來たわけですから………時代の推移と共に詰將棋研究家以外の者の腦裡からは總べての作品が消えて行くが後世の詰將棋研究家には名作凡作の如何にかゝはらず、すべてが検討されるわけであるから長篇でなくても中篇短篇何れを創るともその作品の長短大小に應じて努力しておけば小作品は小作品としての價値は認められるでせう。大衆的作品が平易な物になるのは仕方が無い事で平易であつても、後世の研究家に其の作品の努力の跡を認めて貰へば足りるわけです』
『現在では一年數百局の作品が發表されてゐますが、是等の中での酒井先生とか其の他の人の名作……現今の最高位に位する作品と、享保の看壽とか宗看の作品との比較ですが……是れは今迄もしばしば論じられて來たものですが現代の作品、古作に劣らずと云ふ説や反對の説がありますが、果してどんなものでせうか』
『古今を通じての作品の中一番名作と云へば何と云つても看壽の圖巧九十九番の煙詰でせう、あの作圖に比肩する名作は他に無いと思はれます、あの作圖は、全部が作者の偉大なる構想によつて一貫してゐるのです。藝術の遊技とも云ふべき作品と思ひます。百番の六百十一手のものは古今最長手順として有名ではあるが、價値の上からは九十九番には劣るでせう、現今には是れと比肩するものは見當らない様に思はれます。宗看のは傑出したものは無く一定の水準作が揃つてゐる様ですが、百局あれだけの名作を揃へ様とすれば現在では先づ不可能でせう。
看壽の九十九番、百番を除いたもの、宗看の百番と現在の名作を數からでなく價値から比較すると優劣は如何とも云ひ難いと思はれます、現在と云つても是は大正昭和と云ふべきです、明治以後の詰將棋と云へばそれは殆んど酒井先生の作圖が代表してゐるので、近頃の様に酒井先生其の他今田、田代氏の作圖の發表が無いと詰將棋界は活氣が無いのです』
『酒井先生は創作よりは遠がつて(ママ)ゐられる様ですが、田代、今田氏の作圖に接し無い様ですね、毎月多くの詰將棋は發表されてゐますが、いゝのは殆んど見當らない様です。唯僅かに發表を續けてゐると云ふに過ぎない有様ですね、大衆雜誌や新聞などの讀者はそんな事はないでせうが、専門雜誌は何となく詰將棋の淋しいのを感じますね』
『詰將棋の特輯とか何とか色々やつてはゐますが肝心の作圖が貧弱なのだから外からさわいだ處でどうもしやうが無いですね
實戰型に於ては殆んど新しい妙手が無くなつた様に思はれますね。實戰型は皆同じ様なものばかりです、是の新(ママ)開策として普通詰將棋の定則である、攻めの手掛かりを作るのと反對に主要な詰めの手掛かりとなる龍とか馬をいきなり切つてしまふ類のものが現はれ出した様です、普通の詰將棋と違ふから、最初は玉が廣い方へ逃走してしまふ様で決行し難い様感じますから最初は解くのが困難の様なのですが、是等のものは妙手が基礎で無く相手の意表に出る事に主眼に置いてゐるだけに解説の付いたのを調べたら興味は少ないと思ひます』
『その様な詰圖が現はれ始めた様ですね
妙手が主眼で無いだけに一時的のものでせう。解答者もそれに慣れて來たら興味を失つてしまふでせう(完)
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 検証するまでもなく、杉本兼秋の文章です。

2017年2月18日 (土)

忘れられた論客 その12

 1939年1月号「創作型の研究」

創作型作品に於ける遠打に附いて
杉本兼秋

詰將棋作品には實戰型、創作形の二種類あるがその作品を見るに初期の宗桂宗古時代に實戰型が多く享保年間の詰將棋全盛期に創作型の作圖が多く現今に於ては實戰形創作形共同じ程度に發表されてゐる様である
實戰型は指將棋中に於て取材出來る關係上創作が容易であるが創作型作品は小作圖に於ては創意の表現が至難である故その構成が實戰型に比して困難である。
現今では創作型作品は享保の夫に比較すべくも無いが將來に於て此型の作品が盛んになる事は明らかである
創作圖の双璧たる宗看、看壽の作には、その超人的なる創意の跡、構想の妙が遺憾なく表現されてゐる
現今に於ても酒井、今田、田代等の名手の作圖には此創作品の名作が多く見られる
  ×  ×  ×
創作型の構成の主眼には不成、遠打其他種々あるが古今幾多の作圖に見られる遠打を含むものを研究して見るのも興趣あるものと云へやう
創作形作品の創作に於ては遠打を含むものが最も至難である
現今の作品に遠打の優れた作品が少ないのも是の爲であらう
遠打は飛角香の三種があるが香車の遠打は創作型の作品には甚だ少なく、大部分が實戰型に属する玉の遠出を防ぐ打捨である
飛角の遠打には一枚の遠打と二枚連續の遠打とがある、二枚の遠打の場合は一枚々々別の意味に於て行ふのと二枚連續して始めて効果を發揮するのとある。
以下遠打を含む作品を列記して見やう。

第一番

090010

13銀、同玉、14歩、22玉、13歩成、同玉、19飛、18歩合、14銀、22玉、
29飛、31玉、21飛打、同金、同飛成、同玉、32金、11玉、23桂
まで19手詰


第壹番は宗看圖式の拾番であるが七手目一九飛の遠打が此作の主眼で此の飛を打つ前に一三銀一三歩成の妙手が創業(ママ)されてゐる
此創意は玉方の二一龍の移動であるが一九飛打を一八飛では無意味である
一九飛と二九龍に當てゝ打つ故に次に二九飛と龍を取る順になる、玉方の駒の移動を策する場合の遠打は玉方の或る駒を目標として打つ事が原則である。
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 原文は図面だけで手順はありません。
18歩合は17桂合が妥当ではないかとどこかで読んだ記憶がありますが…。


第二番

090048

36銀、同玉、46龍、25玉、37桂、15玉、16歩、24玉、26龍、33玉、
45桂、同金、42銀、32玉、33歩、42玉、22龍、51玉、52歩、61玉、
71と、同玉、62歩成、81玉、31龍、92玉、56角、同金、81龍、同玉、
45角、91玉、92銀、同玉、56角、81玉、82金
まで37手詰


第貳番は同じく宗看圖式の四拾八番である
是は二枚角の遠打で初の一枚のみが打捨になつてゐる。此作品は二枚角で玉方の金を得る様になつてゐる。二十七手目に五六角同金と取らせて四五角打で次に五六金を得る順になる。
尚此圖は中盤四五桂跳の妙手がある。


第三番

090051

75銀、同玉、64銀、86玉、26飛、同銀、75銀、同玉、25飛、同馬、
76金、74玉、65金、63玉、54金、52玉、53金、51玉、52金、同玉、
43馬、41玉、33桂、31玉、21馬、42玉、43歩成、51玉、41桂成、同玉、
32馬、51玉、42馬
まで33手詰


第參番も宗看圖式の五拾一番である
本圖は二枚飛の打捨である
此局面では玉方の五八馬の利筋を移動するか又は持駒に銀が無ければ續かない形である。
五手目に二六飛と銀を目標として打捨てるのが妙手である。合駒なら次に二五飛で銀を得る順になる。
二五(ママ)同銀と取らせて又二五飛と再度銀を目標にして打捨てる。同馬にて馬の七六への利筋が消へ(ママ)る順になるのである。


第四番

100008

43歩、同玉、33金、同歩、52銀、同馬、32桂成、44桂、同金、同角、
同と、32玉、87角、同龍、43金、同馬、同と、22玉、34桂、同歩、
77角、同龍、92飛成、32角、同と、同金、同龍、同玉、23金、31玉、
22角、21玉、12金、32玉、33香、同桂、23桂成、同玉、13角成、32玉、
22馬
まで41手詰


第四番は圖巧第八番であも(ママ)。
遠打を扱つた作品としては最も優れてゐるものであらう。本局は玉方の龍の移動にて飛の活躍を計る爲の二枚角の打捨である。
此圖は二枚連續で其効果を發揮するものである十三手目八七角打は妙手である八七角打捨に依つて龍を移動させておく事に依つて次の七七角打捨の場合縦横いづれかの龍の利筋が消えるのである


第五番

100062

17金、同馬、19銀打、29玉、18銀打、同馬、同銀、28玉、22飛、同馬、
23飛、同馬、73角、18玉、19銀、17玉、62角成、27玉、26馬、38玉、
37馬、29玉、28馬
まで23手詰


第五番は圖巧六十二番である
此圖は玉方一一馬の利筋移動の二枚飛車打捨である
最初二二飛打にて同馬と香の利筋を封塞して二三飛同馬で七三角打の順になる


第六番

100025

73銀生、65玉、55金、同玉、66金、54玉、64銀成、同玉、74と、54玉、
64と、同玉、65歩、54玉、58香、同馬右、94飛成、同馬、14飛、53玉、
43桂成、同金直、同と、同金、54飛、42玉、43香成、同玉、34金、42玉、
53飛成、同玉、43金打、54玉、44金
まで35手詰


第六番は圖巧二十五番で香車の遠打である
創作型に於ける香車の遠打を扱つたものは先づ此作品位のものであらう。
本局は十五手目五八香と二枚角の利筋の交叉點に打ち玉方の馬を一方利きにして九一一六何れかの飛の活躍を計る想意である。
本局着想は奇とするに足る


第七番

1214

81と、72玉、82香成、63玉、64歩、52玉、57飛、同金、63歩成、同玉、
45角、同桂、67飛、同金、64歩、52玉、53歩、同銀、同と、同玉、
35馬、42玉、43銀、同玉、44馬、32玉、33銀、23玉、24銀成、12玉、
45馬、11玉、23桂、12玉、31桂成、22玉、23馬、31玉、32銀、42玉、
33馬、53玉、43馬
まで43手詰


第七番は酒井先生の名作である
攻方の角馬の利筋を通す爲の金を目標としての二枚飛車の打捨てである

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 初出は月報1932年6月号です。


第八番

2604

12銀生、同玉、13歩、11玉、12香、同角、同歩成、同玉、24桂、11玉、
23桂、同馬、12歩、同馬、同桂成、同玉、45角、同金、13歩、11玉、
21歩成、同玉、54角、同香、12歩成、同玉、42飛成、同龍、13歩、21玉、
12金、同龍、同歩成、同玉、13飛、21玉、22歩、同銀、同銀成、同玉、
33飛成、21玉、22銀、12玉、13龍
まで45手詰


第八番は拙作
二八(ママ)飛の利筋を通す爲の五四金を目標としての四五、五四二枚角の打捨である
此外玉方の合駒と交換する場合の遠打がある、代表的名作としては宗看圖式の八十一番の二九角打。一部集の五十八番、酒井先生作の六八角打(
)等がある、此場合の遠打はその遠打の順に至る迄に妙手と云ふ事は出來ない。
玉の脱出を防ぐ遠打捨の作品もあるが是は部分的なもので實戰型作品に属するものである。此場合の作品には名作に乏しい。
未だ遠打を扱つた作品は玉圖其他にも見受けられるが、何れも着想は大同小異故省略致します。(完)
  ×  ×  ×
拙作集成「白翠選(ママ)五十番」の選定に當つては餘詰其他の點に付いて可成詳しく調査致しましたが未だ不完全の箇所ある事と思ひます。不完全圖發見の節は本社、或は小生に御一報の程お願ひ申上ます。
尚本書は五十題を上巻として單行本に調製いたしました。御希望の方へは實費送料共金參拾錢にて頒布致します部數は僅少であります。小生宛に御申込下さい
岡山縣上道郡平島村南古都 杉本兼秋
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 第八番の初出は月報1938年12月号です。遠打というには距離不足。限定打ですね。
 
月報1931年5月号の酒井桂史作を指す。

Sakai1030

47桂、同歩成、25金、36玉、35金、同玉、36歩、24玉、94飛、64角、
同飛、同と引、54龍、同と上、68角、46銀、同角、同と、25銀、15玉、
18香、同と、16銀、24玉、15銀、同歩、25歩、14玉、13と、同玉、
24金、22玉、21馬
まで33手詰


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 本局は遠打というより、玉方銀先銀歩(第一号局)が狙いでしょう。

2017年2月17日 (金)

忘れられた論客 その11

 1939年1月号に杉本の作品集「白翠選圖集」上巻50局と第25番の途中までの解説が掲載されています。2月号にはその続きから第50番まで。

Photo_8     


 上巻とありますが、下巻はありません。
 作品集出版を前提にした個展のようなもので、それまでにも月報では詰將棋第三部集や第一部集などの誌上発表はありましたが、古典ではない個人の作品集が掲載されたのはこれが初めてでした。
 2月号に「本書は本社では販賣いたしません御入用の方は」として岡山県上道郡平島村(現在、岡山市)の杉本の住所が記されています。
 まえがきを紹介します。

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杉本兼秋著
白翠選圖集
集録の作品に就て

此の五拾局は九年より現在迄數ヶ年の間に各誌に發表した作品の内より選んだものであります。
集成の作品に對する自信は更にありませんが貧弱ではあるが兎に角是だけまとめる事の出來た僅かな喜びを感じてゐます。
始めは百局集録の考へで居りましたが創作に入つて未だ日の淺い私としては百局の作品がその殆んど全部であるので百局選ぶには意に滿たない作品も入れねばならず。其内の數拾手以上の作品は發表するには餘りにも價値無きものばかりと思ひ遂五拾局集成する事に決めました。
純創作型作品の創作が年來の私の宿望でありますが創作型を作るには今尚其創作力が餘りにも非力である事を考へました。
藝術的價値無き創作型作品程其存在の無意味なるは無いと思ひます。
集録の作品中殆んど實戰型であるのも此の意味であります。集録の作品は皆懸賞課題として創作したもの故解説を見て調べる作品として興趣少きものかも知れません。
作品に附せる解説は冗漫なる個所多くある事と思ひますが是から詰將棋を研究せられんとする方の爲此作品を調べるのが少しでも容易なればと思
て附記したるものであります。
集録の作品は本誌へ發表せる以外のものが過半あり其作品を未知の方に調べて頂かうと思
たのが此作品集成の目的なのであります、作品中貳參變化手順の長いものがありますが御寛恕の程お願ひ致します。
前記各點を御諒承の上此初期作集成を御笑覧下されば幸甚と思ひます。
一九三八年仲秋 著者
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 選圖集の50局を並べてみましたが、手数は9手から91手まで。短篇(~17手)18局、中篇(19手~49手)31局、長篇1局です。
 まえがきにもある通り、いわゆる実戦型が過半数(
「殆んど」ではない)を占めています。不完全作は19局あります。手順前後や24桂と打つところ44桂でも良いといた非限定を大目に見れば15局。
 このうち、いくつか紹介します。
 初出は調べてみましたが、月報以外はほとんど分かりません。
 手順は漢字を半角数字に変え、74金打などの「打」(当時は攻方持駒の着手にはすべて「打」を付けていた)は省略しました。

第六番(初出は月報1935年11月号)

2617

82角成、84玉、93角、同桂、74金、同龍、93馬、同玉、94香、同龍、
82銀、92玉、93歩、同龍、同銀成、同玉、99香、94桂、同香、同玉、
95飛、84玉、76桂、74玉、86桂、同香、75飛
まで27手詰


【解説】82角成、84玉、93角、同桂迄は當然の順であらう。此時93馬と取ると同玉、94香、84玉と上られて74玉の順があるから續かない。74玉の順を防ぐ74金の妙手を發見出來やう。同玉でも同歩でも73馬であるから同龍の一手である。此74金を93角と打たずに行ふと同玉で桂の利きがあるから失敗する。
93馬、同玉、94香、同龍、82銀、92玉、93歩、同龍、同銀成、同玉、95香、94桂合此合は桂が最善で歩では同香、同玉、95歩で何れへ逃げても飛打の詰である。
同香、同玉、95飛、84玉、76桂、74玉、86桂と飛車の筋を通して75飛迄である。
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86桂、同香、95飛が成立します。


第拾九番(「將棋時代」1933年10月号)

2630

24桂、同桂、12飛成、同香、33金、同玉、11角、32玉、22角成
まで9手詰


【解説】本局を一見して解るのは玉を33より44へ脱出させては絶對に詰まないと云ふ事である。此想定で22金、21角等は無い事になる。先づ浮んで來るのが33金、同玉、22角の順であるが32玉と引かれても24玉と上られても詰まない
12飛成と桂を取
ても同香、33金、同玉、11角、24玉と上られて桂二枚では詰まない
11角の時24玉と上ることが出來ないと假定したら、24の逃路が玉方の駒で閉鎖されてゐるとしたら32玉、22角成の詰である。
最初24桂と打つ、是は玉方の逃路44、24を44のみに限定させる輕手で33玉は22角、24玉、15金迄。同歩は22金迄である。24同桂直ちに33金では同玉、22角、32玉で詰まないとすれば12飛成と捨てる順は容易に浮んで來ると思ふ。
33金、同玉、11角、24が桂で閉鎖されてゐるから32玉の一手、22角成迄で成功である。
---


 まえがきに「九年より」とありますが、本局は昭和8年の発表作です。


第貳拾壹番(初出不明)

2632

22金、同銀、13歩、同銀、24桂、同銀、22金、同玉、31角、32玉、
43金、同玉、41飛成、33玉、42龍、34玉、45龍、33玉、34歩、32玉、
42龍
まで21手詰


【解説】本局は最初の着手が可成多い。21飛成でも詰の如く見えるが打歩詰になる。又52飛成、13歩、24桂等の手段もあるが33銀の守備が強いから僅かの處で殘る事になる。本局の主眼は此33銀を移動させて31角を狙ふ處にある。
第一着手、22金(同玉なら31角、12玉、24桂、同銀、52飛成迄である)、22同銀、13歩(同玉なら24金、同歩、同金、12玉、13歩、同銀、34角、22玉、23角成迄)、24金の時12玉なら23金左、同銀、13歩、同桂、21角、22玉、52飛成、32歩、23金、同玉、32龍迄である。
13同銀、24桂、同銀、22金、同玉、31角、32玉、43金以下容易な詰である。
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 一回転させたかったですね。


第貳拾參番(十の字)(「將棋世界」1939年1月号)

2634

12香、同玉、24桂、同銀、13歩成、同銀、24桂、同銀、23銀、13玉、
14銀成、12玉、23成銀、11玉、22金、同香、12歩、21玉、32角成
まで19手詰


【解説】一見して最初の着手が持駒に依る事は明らかであるが第一、23桂、第二、12銀、第三、22銀、第四、12香の四手段がある、
先づ23桂と打
て見る玉方同香と應ずれば12香、同玉、23角成、11玉、12銀迄で詰むが輕く12玉と上られると13歩成、同玉と上邊に脱出せられて詰まない。
12銀と打つと同玉、13歩、同玉、19香、24玉で詰まない。
後は22銀と12香であるが、22銀は玉方22同銀と取れば12香、同玉、24桂、11玉、22金、同玉、32角成、11玉、12銀迄で詰であるが22同香と取られると12香、同玉、22金、同玉で詰まず13歩成でも同玉、14銀、24玉とな
て詰まない。
以上の三手段が失敗だとすると正着は後に殘
た12香と云ふ事になる。
12香、同玉、此處で13歩成、23銀、24桂の三様の手段があるが13歩成、同玉が上部へ脱出の形であり23銀は11玉と逃げられると後續が無い。24桂、玉方同香は13歩成、同玉、23角成故同銀と取る。攻方23銀と打
ても11玉と逃げられ後の手掛りが無い形であるが此の時14歩が無いと假定すれば22金、同香、12歩、21玉、32角成の詰が出來てゐる。
24桂、同銀の時13歩成と捨てるのが輕手で玉方同銀と應ずる、直ちに23銀は11玉、22金の時、玉方の銀が13へ下
てゐる爲同銀で打歩詰の局面となる。此22同銀を消す爲に再度24桂と打て同銀と移動させておけば以下23銀、13玉、14銀成、12玉、23成銀、11玉、22金と打歩詰を打開して、同香、12歩、21玉、32角成で成功する。

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 この作品は紹介済みです。選圖集も1月なので「將棋世界」に発表したのと同時に月報にも掲載されたことになります。
 左は月報、右は將棋世界の図。月報は33金ですが、こちらはと金です。
 

193901_3 193904_2



第44番(月報1938年11月号)


2655

31角、12玉、24桂、同金、23桂成、同金、24桂、同金、13歩、同桂、
21銀、23玉、22角成、同玉、32馬まで15手詰

【解説】持駒に金が無いから13玉と上らしては絶体に詰の無い形。
第一着手が31角は當然であらう。同玉なれば42銀、22玉、33銀成、同桂、32金、13玉、23桂成、同玉、33馬、13玉、25桂、12玉、22金迄の詰。
12玉直ちに23桂成では同玉で上邊脱出は防げない24桂と打つのが好手である。
同歩は23銀、同金、同桂成、同玉、35桂、12玉、23金迄。同金、同玉()では24玉が無いから32銀、12玉、21銀、23玉、22角成、同玉、32馬迄である。
此時13歩では同金と寄られ同角成では同玉で駒が不足の形である。
又34馬と引いても23金と合をせられて續かない。13金を消す爲再度24桂と打捨てる同金、13歩、同桂、21銀、23玉、22角成と捨て34玉の順を防いで32馬で詰となる。
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 44番と48番も紹介済みです。
 24桂、同金、23桂成、同玉の手順を指しているのだとしたら、32銀、12玉、21銀生、23
玉、22角成、同玉、32馬では、13玉で逃れ。ただし、22角成のところ35桂、同金、32銀生、24玉、42角成で詰みます。


第48番(初出不明)

2659

25桂、同龍、24銀、同龍、25桂、同龍、35角、22玉、33金、同香、
11飛成、同玉、13香、21玉、12香成、31玉、13角成、41玉、23馬左、32歩、
31馬、同玉、22成香、41玉、51銀成、同玉、33馬、61玉、51馬、同玉、
63桂、61玉、71桂成、同玉、62金、81玉、83香、91玉、82香成
まで39手詰


【解説】此局面では23金、同龍、同馬、同玉と交換しては詰が無い。持駒の桂と17角の配置を見れば此活用に依
て龍の利き筋を遮斷する順を發見出來やう。
第一着手として角の活動を阻害してゐる35銀を捨てる順が考へられるが直ちに24銀では同銀で下邊に龍の利きがあるから詰まない。
25桂、同龍、24銀、同龍再び25桂と打
て35角を狙ふ。
22玉なら31飛成、同玉、42と、同玉、53角成、32玉、33香、同龍、同桂、同玉、23金迄
又42との時22玉なら23香、同龍、同馬、同玉、33飛、24玉、35飛成、23玉、33龍、12玉、13龍、21玉、33桂迄である
25同龍、35角、22玉、31飛成は52桂の守備の爲に詰が無い。
33金、同玉なら31飛成、32銀、43と、同玉、53角成、33玉、42馬迄
33同香、11飛成、同玉、13香、21玉、12香成、32玉なら43と、同玉、53角成、32玉、43銀、41玉、42馬迄
31玉、13角成、32玉なら22成香、同龍、同馬、同玉、12飛、21玉、13桂、31玉、42と迄
41玉、23馬、32金合なら同馬、同玉、31金、32銀合なら31馬、同玉、22成香、41玉、32馬、同銀、42銀迄。又32桂合なら直ちに51銀、同玉、33馬で本手順より四手早い
32歩合が最善の應手。
直ちに51銀成では同玉、33馬、同歩、63桂、41玉、42香、32玉で飛車を交換しても詰は無い
31馬、同玉と取らして22成香と寄
て置くのが良い41玉、51銀成、同玉、33馬、同歩なら63桂で二手早く詰む
61玉、51馬、同玉、63桂、61玉、71桂成以下本手順の詰である。
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2017年2月16日 (木)

加藤文卓の「圖巧解説」その14

圖巧解説
二峯生述

月報1927年5月号

第三十番

0030

23飛成、同玉、13角成、
34玉、35金、同馬、44金、同馬、33龍、同玉、
23金、42玉、31馬、同玉、41成香、同玉、32金打也(17手詰)


變化

34玉の所13同玉ならば
33龍、14玉、24金、15玉、13龍也


44同馬の所同玉ならば
22馬、54玉、55金也

○本局は駒數少なく變化も簡單であるが35金、44金、33龍、31馬等妙手に富める好局である又此圖に於て31角22飛の二駒は共に成駒であつても差支はないのであるが42龍53馬の二駒は生(ナマ)であつてはいかぬのである若し53馬が角ならば前記35金の所に33金、44玉、43金、55玉、53龍と指しても詰となる


第三十一番

0031

此局も流石に妙作であるが變化が可成複雜して居るやうに思ふ

83香成、同玉、84飛、72玉、63桂成、同角、73飛、81玉、71銀成、同金、
92金、同玉、74馬、同角、94飛、81玉、92飛成、同玉、84桂、81玉、
71飛成、同玉、72金也(23手詰)


變化
72玉の所
(一)93玉ならば85桂、92玉、94飛、81玉、71歩成、同金、92金、72玉、63桂成、同玉、64飛、52玉、63飛成、同玉、53銀成、72玉、73飛、61玉、71飛成、同玉、62金にても詰む
63飛成の所53飛と指しても容易に詰む
81玉の所()83玉ならば
93飛成、72玉、63桂成、同角、73桂成、81玉、71銀成、同金、92金にても詰む
83玉の所93歩間ならば
同桂成、同飛、同馬、81玉、71歩成、同金、92馬、72玉、73金也

(二)92玉ならば74馬、83歩、94飛、82玉、71銀生、同金、92金、72玉、63桂成、同角、73飛、61玉、63飛成
此時62金ならば同龍、同玉、63金にて詰となり又62へ間駒を打てば43角にて容易に詰む
83歩の所に種々手あれど何れも容易に詰む

63同角の所同玉ならば
64飛、52玉、53飛、42玉、44飛、32玉、41飛成、22玉、66馬也
52玉の所72玉ならば
73飛、81玉、71銀成、同金、同飛成、同玉、62金、81玉、73桂の詰あり

81玉の所62玉ならば
63飛成、同玉、64飛、()52玉、54飛、43玉、53馬、()33玉、25桂、23玉、32角、同玉、34飛、23玉、33飛成、14玉、13桂成、15玉、16歩、同玉、36龍也
52玉の所
一 72玉ならば54角、83玉、95桂、92玉、94飛也
二 53玉ならば45桂、43玉、34角、32玉、65馬、22玉、33桂成、同玉、43角成、23玉、32馬、12玉、56馬也
33桂成の所55馬、31玉(此時13玉ならば63飛成也)、32歩、41玉、61飛成、同金、42金、同玉、33馬、41玉、53桂生の詰あり
33玉の所32玉ならば
43角、()23玉、15桂、12玉、13歩、同玉、31馬、22金間(此所22歩間ならば23桂成、仝玉、32角成也)、仝馬、同玉、23金、11玉、14飛也
23玉の所22玉ならば
14桂、23玉(此所12玉ならば21角成、同玉、24飛也)、34角成、32玉、43馬寄、31玉、22桂成、同玉、33馬上、13玉、14歩、12玉、21馬、同玉、24飛也

74同角の所83銀間ならば
94飛、81玉、63馬、72間、同飛成、同金、73桂、71玉、91飛成也

前記73銀間及81玉の所に種々變化あれど容易なれば略す


第三十二番


0032

26銀、同飛、27桂打、同飛成、同桂、26玉、17金、同玉、18歩、同玉、
28金、19玉、59飛、同と、18金、同玉、19金、27玉、28金、26玉、
37馬、25玉、34銀左、24玉、15馬、同玉、14銀成、同玉、23銀打、24玉、
25金、13玉、14金也(33手詰)


變化
26同飛の所同玉ならば
27金、15玉、26金打、()同飛、同金、同玉、27飛、15玉、37馬、26歩、同馬、24玉、34銀成、13玉、35馬、24歩、同馬、22玉、33馬の詰あり
26同飛の所24玉ならば
34銀成、13玉、25桂、同銀、23金、14玉、24金也

27同飛の所
一 25玉ならば34銀引生、24玉、33銀生、()同玉、55馬、24玉、34金、13玉、24金打、同飛、同金、同玉、34飛、25玉、35飛、24玉、34飛にて詰あり
33同玉の所13玉ならば
24金、同飛、同銀、同玉、34飛の手順にてよし

二 24玉ならば34銀成、13玉、24金、同飛、同成銀、同玉、34飛、25玉、35飛、24玉、34飛の詰あり

59同との所39銀間ならば
38金、73歩間、同馬、同龍、39飛にて詰となる

○前記15銀の所原書には23銀、24玉、25金、13玉、14金と記されてあるがそれでは手數が二手延びる丈けだから改めたのである

◆三月號に掲載した拙稿圖巧解説の終りに
「此二十八番と二十九番は玉の位置を相對的にしたばかりでなく駒數及持駒を同じにしてある所に作者の趣向が窺はれるやうに思ふ」と書く筈のをうつかり脱落しました(二蜂(ママ)生より)

2017年2月15日 (水)

忘れられた論客 その10

 1938年1、2月の「古今名作觀賞」は無双の2、3、12、15、17、22、34、43、51、60、67、79、80、97番、図巧の2、8、14、20、28、60、76、82、92、95番について解説しています。
 2箇月でこれだけ解説するからには相当な頁を費やしたように見えますが、
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第拾貳番(圖面解説省略)
本局は攻方の配置駒なき特異の作品にて六十餘手の大作なるも妙手に稍乏しく形惡きの感あるなり但し創作は偉とすべきなり
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 というような図も手順もない手抜きが8局もあり、その図を知らない読者にとっては全く意味がなかったのではないでしょうか。

 その中から、杉本らしい感想が述べてある解説を2局紹介します。

無双第34番

090034

24金、同歩、12飛成、同飛、23銀、同玉、12銀生、14玉、13飛、同玉、
25桂、14玉、23銀生、同玉、32馬、同玉、33金、31玉、53角成、同金、
23桂、21玉、13桂打、12玉、11桂成、同玉、21桂成、同玉、23香、31玉、
22香成
まで31手詰


【觀賞】最初の着手24金は妙手なり
一定の構想による妙手でなく、部分的妙手は(妙手の大部分は捨駒)その妙手に對する玉方の手順多き程妙手の価値は高し、この24金に對しても同銀同玉同歩の三手段あり。13飛25桂32馬皆巧妙なる捨駒なり
最後に二枚桂を打ち成捨てゝ香打の場所を作るも面白し
此の作も中編の好圖と思ふなり。
手數、駒數、妙手各々甚だ好しと思ふ


図巧第2番

100002

27金、15玉、16金、同と、27桂、同と、16歩、同玉、25角、同玉、
36角成、15玉、16歩、同玉、27龍、15玉、25馬、同と、16歩、同と、
24龍
まで21手詰


【觀賞】本局の主眼は歩詰廻避の捨駒なり、16金捨面白く、25二枚角の捨場巧妙なり、小作品の好局なり。然れども34との配置は形態上肯定出來ず
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 1938年12月号に「蒼門寺喬」という人の「偶感雜記」という一文がありますが、これも種々の特徴から見て杉本兼秋の手によるものと思います。以前、一部を紹介したことがあります。

偶感雜記
蒼門寺喬

 詰將棋作品の今昔の比較にては現今は享保の夫に比して劣るとされてゐる。
是には色々の方面から觀ての云分であらうが詰將棋全盛期享保年間の作圖としての現今に傳はる物は宗看、看壽の外數百局に過ぎない。
 現今は新聞雜誌類の發達で作品の發表が容易である爲か新作圖として發表されるものが少くとも一ケ月數拾局は降らないであらう。
 大正末期より現在迄。拾數年間に各新聞雜誌に發表されたものを合せれば數十局の多きに達してゐるであらう。
 是等多くの作品の大部分が専問棋士や素人の作品で有名な作圖家の作品は何拾分の一も含まれてゐない。
 是等の作品の平均した。作圖の價値と享保年間を代表した作家の作品を比較論評したのでは現代の作圖が昔にをとつてゐる事は言ふ迄もないだらう。
享保年間の作圖も現在に殘れる數百局が決して其全部ではないと思ふ。
 民間の作圖家にも、參拾局五拾局を作つたも多くあると思ふが者其發表が困難であつた爲に現在ではそれを見る事が出來無いのであらうと思はれる。享保年間を代表する宗看、看壽の作と現在一流の作家の作品を比較したら現在の作品が享保の夫に比して劣つてゐるとは決して思はれない。
難解な點に於ては享保の美に幾分か劣るかも知れないが、藝術的觀點からは現代の作家の作品は慥(たし)かに洗練されてゐる。
幕府時代は圖式献上の習に慣よつて創作されて來た故、一般の愛棋家の都合など考へてゐなかつたであらうが現在の様に一個の問題として作るには或程度の愛棋家の棋力をも考慮せねばならぬ故、無暗に難解なものは作れない事になる。
享保年間の作品には、長手順の作品が多いが是等は合駒の關係では手順を繰返すもので、手數に比して作品の價値は少ないものが澤山ある。看壽の六百拾壹手の作品も終局餘詰があるのを其まゝにしてあり。又大矢數の様な手數を多くする爲に無意味な歩合を拾數回も繰返へし其歩拾數枚が皆殘ると云ふ様な馬鹿々々しい作品もある。是等作品は現在の詰將棋創作規定では作品としては成立すべくもない。
難解と、作品價値は同一のものでないから難解なる作品必らずしも名作であるとは云へない。當時の名作には其創意のすぐれたのが多い。
現在の一般作品は一貫した創意が無くて部分的輕手による追詰作品が多い。
現在の作圖家が作品の構想に今一歩留意したなら未だ未だ優れた作品が作られるであらう。
當時の作品に飛角の遠打が多く見られるが現在の作品には遠打が殆んど見られない。
遠打は部分的妙手でなく其作圖の構想の中心をなすものである故是からの作圖に遠打の妙手を含む作品が現はれ出したら、作圖は幾らか進歩したと見て良いだらう。
  ×  ×  ×
土居市太郎氏の新著、初心詰將棋讀本及び近代詰將棋讀本が博文舘より出版された。
自分が想像してゐたものよりは幾分優れてゐる様に思へた。
酒井、今田の名手の作と比較論評するには其差が大き過ぎるが土居氏の作としては此集成は先づ成功であると思へる。
君仲の改作や大道棋の改作も數局見受けられ、たゞ本誌上に於て指摘された餘詰早詰のある圖だけは訂正して發表願ひたかつたと思ふ。
  ×  ×  ×
前號の前田氏の酒井先生訪問記は結構であつた。酒井先生の近況を知る事が出來て大變嬉しく思つた。
酒井先生の作圖集が出る事は詰棋愛好家の喜び大なるものがある。
酒井圖式の出版の一日も早からん事を祈る次第である。
酒井先生の名作が集成發刊されたなら詰將棋愛好家の現代詰將棋觀は可成變つて來る事だらう。
現代詰將棋界の双璧たる。今田、酒井圖式の完成も近き將來に實現すると信ずる。夫と同時に詰將棋の今昔比較論評は消ゆるであらう。
---

 いつも通り誤字脱字はそのまま、原文通りです。
 「數十局」は「數百局」(數千局か)、
作つたも多くあると思ふが者作つたも多くあると思ふが、「習に慣よつて」は「習慣によつて」でしょう。
 杉本の文章である根拠は
1.「現今」ということばの多用。

2.同じ主張がある。
享保年間を代表する宗看、看壽の作と現在一流の作家の作品を比較したら現在の作品が享保の夫に比して劣つてゐるとは決して思はれない。(「偶感雜記」)

それに作品の上から見ても享保の作品に比して決して劣つてはゐない。(「詰將棋講話」1936年4月)

3.土居八段作に対し一貫して厳しい。

4.遠打の重視。
遠打は部分的妙手でなく其作圖の構想の中心をなすものである故是からの作圖に遠打の妙手を含む作品が現はれ出したら、作圖は幾らか進歩したと見て良いだらう。(「偶感雜記」)

創作形作品の創作に於ては遠打を含むものが最も至難である
現今の作品に遠打の優れた作品が少ないのも是の爲であらう(「創作型の研究」1939年1月)

というわけです。

2017年2月14日 (火)

加藤文卓の「圖巧解説」その13

圖巧解説
二峯生述

月報1927年3月号

第二十八番

0028

33銀生、同歩、13角、23玉、24飛、同と、22角成、同玉、12飛成、31玉、
21金、41玉、31金、同玉、43桂、41玉、51桂成、同玉、63桂、61玉、
71桂成、同玉、83桂、81玉、91桂成、71玉、81成桂、同玉、83香、71玉、
82香成、61玉、72成香、51玉、62成香、41玉、52成香、31玉、42成香迄(39手詰)


變化
33同歩の所
(一)15玉ならば16飛、25玉、43角、35玉、47桂、45玉、57桂也
(二)23玉ならば12角、33玉、34角成、42玉、41飛也
(三)13玉ならば12飛、23玉、32飛成也
(四)33同玉ならば34飛、43玉、61角、52間、55桂、42玉、32飛成也
43玉の所42玉ならば32飛成、51玉、41と、61玉、83角也

23玉の所13同玉ならば
12飛、23玉、14飛成、22玉、21金也

---
 易しい趣向のせいか、そのことには何も触れていません。桂またぎです。


第二十九番

0029

96馬、73玉、65桂、同飛生、85桂、74玉、93桂生、73玉、84龍、同玉、
73角、同玉、74歩、84玉、76桂也(15手詰)


變化
73玉の所
(一)87香間ならば76桂、73玉、85桂、74玉、56角、65間、86桂也
(二)87桂成ならば同龍、75玉、74馬、同玉、76龍、75間、85角、84玉、96桂、95玉、87桂也

65同飛生のところ
(一)同飛成ならば74歩、同龍、同馬、同玉、85角、65玉、55飛、66玉、86龍也
65玉の所84玉ならば
63角成、87間、85飛にて容易なり
(二)65同香ならば64角、62玉、53角成、73玉、64金

74玉の所84玉ならば
76桂、74玉、93桂也、73玉、84角にて詰む

84同玉の所同歩ならば
74歩、83玉、94角、93玉、72角成也

○原書には前記74玉の所を84玉と記してあるが其れでは變化の部に記したやうな早詰があるから改めたのである
---

 このあとに、「附記」として
「此圖巧第二十九番の燒き直しが昨年四月號の新棋戰と仝年九月號の將棋新誌とに掲載されて月報の聲欄に問題となつたのである
而して兩圖とも盤面の模様を變へる爲二三の凡手を追加して徒らに駒數を増加し原圖の金を鉛と化したものであるから兩雜誌に對して誠に御氣の毒の次第であるが此所に圖面を掲げて簡單に解説を試みやうと思ふ」として以下2題とも余詰であることが指摘されています。

                         
將棋新誌二巻九號所載
2929bod_2
新棋戰二巻四號所載
2429bod


 作意はいずれも

44金、同玉、45金、33玉、34金、同玉、16馬、33玉、25桂、34玉、
13桂生、33玉、24龍、同玉、33角、同玉、34歩、24玉、36桂
まで19手詰

「○斯様な圖面が僅かの間に新誌新棋戰の兩雜誌に現はれた事は遺憾の至りであります
本紙に御寄稿下さる諸君は斯様な事は絶對にないとは信じますが萬が一にも燒き直しなどを自作然と御投稿下さる如き事之れなきやうお願ひ申します」

 「新棋戰」は1923年2月~1928年12月まで発行。発行人は大崎熊雄七段。

2017年2月13日 (月)

忘れられた論客 その9

 以前紹介した1938年3月号の「まぼろし」名義の「詰將棋對話」ですが、これは杉本兼秋の書いた記事だと睨んでいます。再掲します。

詰將棋對話
まぼろし

『如何です。相変わらず詰將棋の創作をやつてゐられますか』
『はあ、餘暇を作つては研究を續けています』
『時には駄作も出來ますか』
『君は云ふ事が反對ですね、時には名作が出來ますかと云ふべきでせう』
『いや君は始終名作ばかり作つてゐられるから少しは駄作も出來るかと聞いたのです』
『僕の作品が名作?君は何を對照にして僕の作品を名作だと言つてゐられるのですか』
『宗看、看壽の作品……』
『さう言つて頂ければ嬉しいですが、未だ未だ私如き凡人には宗看の域に達するには前途尚遠きの感ありです、否々一生掛つても宗看の様な名局は作れないでせう。僕は何時でも斷言できます』
『變な斷言もあるものですね。要するに君は君が詰將棋作家としては一個の平凡なる存在である事を自分で認めてゐるわけですね』
『さうです。僕は詰將棋創作に於ての自分の非力をつくづく感じてゐます』
『大變悲觀してゐる様ですね、僕も君が詰將棋の作者としては甚だつまらないものだと云ふ事は君が言はなくてもよく知つてゐます』
『君の惡舌も相當なものですね。僕を前に置いてそれだけ云へれば惡舌家としては一人前ですね』
『少し怒つた様ですね』
『いや怒りはしません。僕は君の云はれる様に詰將棋家としては誠につまらない存在です。君が當然の事を云はれたのですから』
『これは全く困りましたね、謹んで前言を取消します』
『いや取消す必要はありません。然し無暗に人を上げ下げする事は良くない事です。名局を作るとか詰將棋作家としてはつまらぬ存在だとか云つて』
『人を上げ下げする事は、一向に惡い事はないです。現に毎日人を上げ下げして暮してゐる者があります』
『そんな馬鹿な事が……』
『エレベーターガールを御覧なさい。毎日幾百人幾千人の人を上げ下げして居ます』
『君の云ふ事は落語ですね、僕は眞面目に話してゐるのです』
『では眞面目に話をします。前に云つた、君の作品が名局と云ふのは其の對象は宗看や看壽の作品を云つたのではないのです、宗看、看壽の作品と云つた時君が僕が未だ言はうとしてゐたのを途中で取つてしまつたのです』
『では宗古、宗桂の作品を對象としてですか?僕は宗古や宗桂の作品に比して僕の作品は優れてゐるとは思つてゐません』
『その通り君の作品は宗古や宗桂の作品と大差ないものでせう。唯現代の専門棋士の作品に比したら君の駄作も幾分か見られるでせう』
『君、言葉に注意し給へ、そんな事を専門棋士の人達が聞いたら怒るよ、専門棋士の人達の作品にもいゝのが澤山ある』
『これは失禮、前言取消、將棋大成會直属の棋士と比したらと訂正します。地方の有段者の方には君の作品より優れたのを作る人が澤山居られますからね』
『益々惡い。謹んで全言を取消しなさい』
『なあに一向かまはんです。花田八段の他には皆駄作中の駄作ばかりの作品です。花田八段の外の大成會棋士に比してと再度訂正して、處で君は將棋世界の三月號を讀んだかね』
『未だ讀んで居ません』
『その將棋世界三月號の別冊附録古今名局詳解と云ふ土居八段著の書物の中の三十頁に土居八段の名言が出てゐる、君達詰將棋作家には為になる事故今其の項を朗讀するから聞き給へ』
『謹んで聞かう』
『では朗讀する、良く聞き給へ……
近來將棋の流行につれて素人で詰將棋に熱心な人があり對局の實力は初段に遠きも自ら詰將棋を作るを得意とする處より詰將棋だけの段位を與へては如何と主張するものすらあるが若し詰將棋に段級を與へるとすると差詰名人を贈らなくてはなるまいと思ふのは彼の桑原君仲である……と』
『詰將棋作家に段位を與へるとすれば君仲は名人を與へても不思議はないだらう。然し詰將棋に段級は變だね。指將棋とは違つて詰將棋は一個の創作藝術だからね段級よりは別の名稱を冠すべきだね』
『次を讀むよ、……然るに此の君仲の著として有名な詰將棋が今日迄二百番迄も遺されて有る。殊に後の百番『將棋極妙』と題した中の八卦圖その他曲詰などの佳作も有り當時の家元大橋宗桂も、是等を稱賛してゐる程の卓越した詰將棋の天才である……と』
『異議ないね、君仲の詰將棋創作の天才は我々の十分認めてゐる處だ、唯遺憾なのは彼君仲の作品、極妙は曲詰だから別として玉圖は姿が惡い。彼君仲が形と云ふ點に注意して作つてゐたら未だ未だ有名になつてゐると思ふ』
『僕は詰將棋の姿だとか形とか云ふ事は良く解らないが……では次を讀む、君は良く怒る性だが我慢して聞き給へ……現代の素人が數局の凡作に誇り詰將棋の段級を要求するものとは雲泥の差がある…』
『?』
『解らないかね、つまり、君仲の作品と君達の作品を比べる時君仲の作品を雲としたら、君達のはすつぽん程の差がある。如何に君達の作品がつまらぬものであるかと云ふ事を云つてゐるのだよ』
『何程今後は努力して作るよ』
『處で君達の作品と君仲の作品に於てはそれだけの差があるかね』
『それはある、詰將棋の、天才と、一平凡人の作との對照だから、止むを得ない。だが一言云はして貰ひたいのは、一般の素人と君仲の作品を、對照せず我々の先輩作家とも對照してもらひたい事です。現代詰將棋界の名匠、酒井桂史先生。先生の高名は詰將棋を作る者誰しも知つてゐる筈』
『其の通り』
『酒井先生のあの精彩に富んだ流麗高雅の作品は君仲の上位に位すべき作品、否、宗看、看壽と共に並び稱されるべき名品であらうと僕は信ずる。其の他、田代、田邊、今田等の諸氏の作品も、君仲と優劣を競ふ作品ばかりだよ。他に未だ未だ十指に餘る名作を創る作者がゐる』
『待つて呉れ給へ君は詰將棋の事になると夢中になつてしまふので困るよ、僕は土居八段の言が間違つてゐるのを今發見したんだよ』
『土居八段の言が何處が違つてゐるのかね』
『僕が今讀んだ……現代の素人が數局の凡作に誇り詰將棋の段級を要求するものとは雲泥の差がある……云々の言葉だよ土居八段としては自分達の作品と素人の作品を比べると雲泥の差があると書きたかつたのだらう、だが土居八段たるもの、自分の作品を月報の圖譜考檢では皆に棚下しをされる、新聞へ發表すれば横槍を喰ふで自分の作圖を對照するの自信は更に無いので君仲の作圖で君達への敵討ちをしたんだらうと思ふ。桑原君仲氏さぞ今頃草葉の蔭でくはばらくはばらと云つてゐられると思ふよ』
『又落語かい、君其の本を見せ給へ……是は君仲と備中の平次郎の對局の詳解ではないか。だから君仲の詰將棋の事を書いてあるのも、當然ではないかね』
『それは僕も知つてゐる、だから現代の素人が云々の言葉は、……現代の我々専門棋士の作圖と、君仲の作圖を比較する時、我々専門棋士として誠に汗顔の至りである……と書くべきだと思ふよ。土居八段も心中さう感じてゐただらうと思ふよ、其の通り書いて於けば無事だつたのだが其處が土居八段の老獪なる處で君仲の作圖を使つて巧みに君達に仕返しをしたのだよ、然し此の反撃たるや將に天下一品の底抜けだね將棋界の大御所と云ふのを君聞いたことがあるだらう』
『土居八段の事を云ふだらう。土居八段の棋界に盡した功績は實に大きい』
『いやそれだつたら將棋界の大御所とは當然關根十三世名人を云はなければならないと思ふ。大御所の本元徳川家康の事を狸と言ふだらう。是は家康の顔が狸に似てゐたからではない。家康が狸の様に老獪であつたからである。◯◯を◯◯の大御所と言ふだらう又××を×××の大御所と言ふだらう皆同じだよ、將棋の大御所たる土居八段も狸の本領を發揮したわけだよ』
『君々、惡口も、いゝ加減にし給へ、君のは惡口と言ふより毒舌だね』
『これは失禮、前言取消。處で本誌の方に土居八段が將棋随想と題して詰將棋の事を書いて居るが其の中に……今や將棋隆盛期に這入つて居る關係上で詰將棋も、昔に比較にならない程澤山世に出て居るが昔の名作に比すべきものは滅多に見られない……と書いてあるが君の意見は』
『將に其の通り、大体に於て昔の作圖の方が優れて居る。然し是は作圖の平均しての對照であつて優秀な作圖のみを、對照したらそんな事は先づ無いと思ふね』
『何分現今のやうに棋界が多事となつては暇にあかして作る事が出來なくなつたのである……とね、然し小作圖を作るにしても未だ作り方があると言ふものだね。もう少し手極は良く』
『専門棋士の小作圖にはいゝのがあるよ』
『……次を讀むよ……それが証據には指將棋の盛んな都會より田舎の方が詰將棋に没頭して居る人が多い一体詰將棋は獨りで楽しめるものだけにさうした傾向に自づとなるのであらう……とまあ君達何等努力して名作を作つた處で天下の大新聞は此の人達の迷作が滿載されて居るんだから發表出來る事はないね、君も其の考へでせいぜい名局を作り給へ』
『僕は新聞へ作圖を出さうなんて野望はないね月報へ發表して本當に詰將棋を調べると言ふ方に見て貰つて居るんだから』
『塚田七段が宗看の不詰の局を研究して發表して居るよ』
『是非見たいね』
『月報の山村先生か岩木氏の研究より一歩も出たものではないよ、あれをそのまゝのせたと言つた方が至當だね、詰ま無いものを詰ありの解説を附けたりして居る以て玄人萬能の迷夢さまされん事を……で松井先生の横槍頂戴だよ』
『此の間木村新名人の名人就位記念の詰將棋を見たよ、大毎でね、中々凝つたものだつたよ』
『なあにあんなのは月報にはザラにあるよ』
『然しあの様に色々の條件を附けた作圖は作る事が難しいと思ふ』
『専門家の作圖を發表して居る將棋雜誌では素人の餘り優れた作圖は發表をさける様だね、將棋時代なんかでも一般の作圖は好いのを載せなかつた、それで月報に轉向した作家もある。月報へ載せ出してから名局が増したよ。これは創作力が上つたのではなくて別に名作を送つても發表しなかつたのだ、僕の知つて居る作家に此の様なのが二三人ゐる』
『將棋世界には塚田七段の發表だけに名作が多いだらうね』
『讀者作圖と同じ様なものだね、塚田六段の作圖の特長は本手順より變化の長い事だね、そんなのが二三あつた、それで同誌上に讀者の質問があつて建部六段が答へてゐるが相當面倒な問題だ塚田七段創作に當つて今少し注意すべきだね、解答者は迷ふよ。處で君先に言つた詰將棋の段位だねあれをもし君にやるとしたら君は貰ふかね』
『其の免状は誰が出すのだい』
『勿論八段や名人だよ』
『餘り有り難くないね段位なんか詰將棋には變だし指將棋と一緒になる、別な名稱の方が好い、もしだすとしたら詰將棋なら酒井先生か田代先生から出る筈だよ、それだつたら僕は喜んで貰ふよ、今日は君も随分惡口を言つたね、専門家の人達が迷惑するのだよ』
『うん暗殺されない様氣を附けるよ』
---

 誤字、誤植もそのままです。
 杉本兼秋の文章だと思う理由ですが、

1.同じ主張がある。
然し小作圖を作るにしても未だ作り方があると言ふものだね。もう少し手極は良く(「詰將棋對話」)
今一歩手際よく作れそうなものである(「詰將棋講話」1936年4月)

塚田六段の作圖の特長は本手順より變化の長い事だね(「詰將棋對話」)
唯遺憾なのは氏の作品には本手順より餘詰手順の方が長い作品のある事である(「燒直しを廢せよ」1936年4月)

2.プロ棋士、特に土居八段の詰将棋に対して厳しい
「詰將棋對話」、「詰將棋講話」

3.田代武雄、田邊重信に対する評価が高い
田代、田邊、今田等の諸氏の作品も…(「詰將棋對話」)
此の稿に對し里見、田邊、田代諸氏の御感想が伺へれば幸と思ひます(「現想と現實」1937年12月)
田代、田邊、里見、諸兄の詰將棋の御意見も伺ひたいと思つてゐます(「今思つてゐる事」1937年12月)

4.「」ではなく、『』で括るクセがある。
 『詰將棋は衰微した』
 『創作詰將棋の價値が減少した』
 『難解なる詰將棋が無くなつた』(「現代詰將棋論」1936年5月)

5.「其の本」「其處」など、其を多用する。「ゐられる」も特徴的な言い回し。
いや君は始終名作ばかり作つてゐられる(「詰將棋對話」)
然し氏は何か勘違ひをしてゐられるのでは無からうか(「詰將棋の規定に就て」1936年6月)
飯島先生が六月號に云つてゐられる通り(「詰將棋、其他」1937年8月)

というわけです。

 文中に触れられている「塚田七(ママ)段が宗看の不詰の局を研究して發表して居る」というのは「將棋世界」1937年12月号、38年1月号の「疑問の局に就いて」を指しています。
 この中では順に
73番(不詰)
26番(余詰)
62番(余詰)
88番(不詰とされているが詰む)
37番(不詰)
57番(余詰)
74番(不詰)

 括弧内は塚田六段の判定です。
 塚田六段は「この『詰物百番』には六局の缺陥があり、中三題は不詰である」と総括しています(88番は問題なしとの判断)。
 このうち、26番は塚田所持本では玉方12桂が脱落していて、実際は完全作です。また88番は移動合の見逃しがあり、不詰が正しいです。

 ちなみに「月報の山村先生か岩木氏の研究より一歩も出たものではないよ」と塚田六段の研究を評価していませんが、山村兎月は1933年8月号で「三代宗看圖式不詰五局に就て」という研究を発表しています。
 37番(不詰)
 62番(余詰があるが図面に誤りありか?疑問局)
 73番(不詰)
 74番(研究では詰むが、どこかに逃れ順がありそう)
 88番(不詰)

 括弧内は山村の判定。
 62番は不詰作ではなく、余詰あり。37、73、74、88は不詰です。

 塚田六段による第88番解と山村兎月の第74番解を紹介します。

「將棋世界」1937年12月号

第88番

090088

 本局は從來不詰との定評があつたものだが、私の研究によると詰みが有る。詰手順左の通り。

49金、同玉、48金、同銀生、58馬、38玉、48馬、28玉、37角、27玉、
16銀、同玉、38馬(參考圖)、25玉、26歩、同龍、24銀成、同玉、44龍、13玉、
14歩、22玉、42龍、32歩、55角、21玉、22金迄(27手詰)

(參考圖)

Photo

 少し詰上りが不味いと考へるが、詰手順は中々難解である。就中16銀と打捨て38馬等(參考圖參照)又參考圖25玉の場合26歩等其の例が指摘できる。
 最初47金を捨てず右の順を行ふと參考圖の場合27金合で不詰となる。參考圖の場合27金は66龍、25玉、47馬迄である。
 尚變化として、6手目38玉の處同玉の順を記すと、
68龍、47玉、48龍、36玉、37龍、45玉、36銀、54玉、44銀成、同玉、
46龍、33玉、24角、同玉、44龍、13玉、14歩、22玉、42龍、32歩、
33金、11玉、31龍迄
---

 31龍で終わっているのは変ですが、何が間違っているかというと、参考図で25玉のところ27龍と移動合されて詰みません。

 次に山村の第74番解。

090074_2

27角、28玉、29香、同成香、37龍、同玉、46龍、同玉、55銀、同玉、
66角、同と、54銀成、56玉、47金(15手詰)
---

 山村の図は攻方15とがないので、2手目17玉で詰みません。

«忘れられた論客 その8

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